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筆を執れ!  作者: 楠木千歳
三 その少女、己を知る。
14/23

記憶

"As much as I was breaking apart, I was also breaking someone else. But I was not able to notice that, because I was not myself anymore. I was an artificial product of myself."





* * * * *




 ぐらりと視界が揺れて、見えている景色が変わった。

 次に史奈が目にしていたのは、どこかの研究室のような場所だった。白を貴重とした部屋に、作りかけの機械マシンや設計図があちこちに散乱している。

 中央の白い長机に、一人の女性が座っていた。背中に届く髪が緩くウェーブしている。また顔は見えていなかったが、あれは自分自身だと直感的に悟った。


 先ほどの話と総合するに、「先生」と呼ばれていた人物の部屋だろう。


『すみません、お待たせして』


 史奈が腰掛けている場所の正面に、扉があった。そこから男性の声がした。先程の記憶で横槍を入れた、あの声だ。ようやく「先生」の顔が見られるかもしれない。記憶を見ている自分のほうの心拍が上がる。

 やがて白衣の裾を翻し、奥の扉から「先生」が入ってきた。だがその人物には……


『お待たせしました、定期検査を始めましょう』




 顔が、無かった。


 目、鼻、口、眉、耳に至るまで、およそ生物の顔の要素となるものの一切が失われていた。咄嗟に判別した「男性」という括りも、声と髪型のみの情報であり確定ではない。

 心臓を鷲掴みにされたかのような恐怖に突き落とされた。悪寒のようななにかが這い上がってきた。


 いわゆる「のっぺらぼう」とも呼ばれるその妖怪は、口もないのに明確な言葉を発している。質問されている当の自分に、まるで動揺の色は見受けられない。どころか、嬉しそうな雰囲気すら伝わってきた。背中しか見えていなくても分かる。

 奇妙だ。妖怪を気味悪がってないことももちろん、二人の間に流れるあまりにも普通の友人どうしのような気さくさが、どこかちぐはぐなものを感じさせる。


 先程の記憶から推理すれば、自分はこの人の、この組織の実験台にされているはず。彼は嫌悪の対象になってもおかしくないのに。

 史奈が彼に何かを答えていた。よく聞き取れなかった。


『では、いつも通り基礎質問から始めますね。あなたの生年月日を教えてください』

『…………』

『好きな食べ物は?』

『……』

『趣味は』

『…………………………………』



 そこまで聞いて、ようやく自分の言葉の中身を聞き取れなかった原因に気がつく。


(英語を、話してる……? この、あたしが?)


 どくりと、嫌な予感がざわつかせた。『出版社』と自室で書き連ねてはフラッシュバックを引き起こした、あの時の違和感と似たような感覚が背筋を駆け抜ける。

 追い打ちをかけるように、この世で一番聞きたくなかった声が背後から聞こえてきた。



『どうですか、実験の進捗は』



 反射で吐きそうになる。だが現在、意識だけの存在である自分に吐くという行動が取れるはずもない。

 視界をそちらへ動かした。思っていた通りの人物がそこにいた。


 腹こそ出ていないもののギトギトした中年らしさを全身に匂わせる「部長」は、白昼の中で見るとその油っぽさが二割ほど上乗せされていた。彼は下品な顔に下品な笑いを浮かべ、下品な声で顔無しの男と話をした。


『いい具合ですよ。拒絶反応が一切無い』


 顔の無い男が答えた。


『そうでしょう、そうでしょう? 単純で阿呆ですから、役に立つと思ったんですよ。記憶の書き換えが効きやすい、これ以上にない逸材でしょう?』


 部長のその言葉を聞き、腸が煮えくり返るのを通り越して史奈は呆れてしまう。何を言っているのだこの人物は。記憶の書き換え? だが顔無し男も首を縦に振り「非常に扱いやすいです」と同調する。

 意味が分からなかった。


『前は俺の姿を見るだけで怯えていたのにな』


 顔中を口にする勢いでニタニタと笑う彼が、史奈の方へ歩み寄った。

 止めろ、近づくな。それ以上の距離へ踏み込むな。叫びたくても声が出なかった。干渉できない。

 部長の登場によってこちらを向いた自分の顔がよく見えた。 そして、気がついてしまった。

 『出版社』と書き連ねていた時に刺さった、違和感の正体に。


 瞳に宿る、宝石をめ込んだかのような美しいエメラルドグリーンの光。

 自分の双眸そうぼうが、ありえない色に彩られていたのだ。


“どうして……? さっきまでは、普通の黒だったはずなのに”


 理解の追い付かない自分を置き去りに、過去はゆっくり進行していく。

 緑の瞳を宿した自分は、「部長」に対してこれまた奇妙な反応をした。

 あれだけの事をされてボロボロ泣いていたにも関わらず、ただただ戸惑うような表情を見せて視線をさ迷わせている。まるで彼と初対面かのような表情に、頭が警鐘を鳴らした。


 あれは本当に自分なのか。別人ではないかという疑問が起きる。

 それともまさか……あの記憶を、消された、とでもいうのか。

 目を覆うことも叶わない。その光景から目を背ける事は出来なかった。

 男の手が史奈へ届く範囲まで来た、その時。


『部長さん、触れるなどの直接行動は控えて下さいね、強すぎる刺激は記憶操作のキーを壊すきっかけになりますので。そうなると実験データに支障が出ます』


 こわばって動けなくなっていた彼女をさらりと救ってくれたのは、またしても顔無しだった。部長は舌打ちをして顔を背ける。不思議そうに首を傾げる、緑の瞳をした史奈のような人だけが空気を読めていない。

 顔無しの男は敵なのか、味方なのか、それともただ単に実験にしか興味が無いのか。最後だろうと検討をつけ、心の中で大きく息を吐く。

 史奈は意識の中で諦めを持ち始めた。

 煮られようが焼かれようが、もうどうにでもなればいい。これは済んだこと、過去の話。それを知りたいと願ったのは自分自身のはずだ。それが聞き届けられた映像であれば、受け入れよう。無理矢理そう思うとほんの少しだけ楽になった。

 とにかく知りたいのは、「実験」とやらの中身と先の会話に出てきた「記憶操作」について、である。そして不気味な自分自身の瞳の色。答えはきっと、すべてここにある。


『実験成果を、詳しく教えて欲しいのですが? そろそろ上も気にしていましてね』


 手もみしながらタイムリーに部長が尋ねてくれた。上層部への報告があるらしい。


『構いませんよ。ちゃんとお話していませんでしたからね』


 顔無し男が史奈に小さい声で話しかけると、ぷつりと電池が切れた人形のように首を落として動かなくなった。『電源を落としただけですから安心してください』と彼は言った。まるでアンドロイドそのものと何も変わらない、と史奈は思った。


『まずエメラルドグリーンのコンタクトと、耳に付いているイヤリングの外部情報変換装置ですね。これは聞いたり読んだりした日本語を、脳で処理して英語へ言語化するソフトの補助装置です』


 顔無しが淡々と説明をしていく。史奈は自分の持てる限りの集中力をつかって、彼の話に耳を傾けた。


『脳を経由することで言語変換ソフトの精度を上げる事を目的としています。これにより、多様な言い回しの選択が可能となりました。不自然な英語は、物語を書かせる上で致命傷になりますので。この実用に際して、特に問題は見受けられませんでした』


 瞳の色はコンタクトだったのか。まず、あっさりと目の色の謎が解かれた。翻訳機能を持っているらしい。脳波に影響を与えるもののようだ。人体に悪影響を及ぼしそうな事だけは、容易に想像がつく。

 

『次に記憶置換。これも、幾度か書き換えを行ってみましたがプログラムの作動に問題は見受けられませんでした。ご覧になった通り、あなたとの記憶は彼女の中で全て無かったことになっています』


 やはり、そうだった。別人ではなく記憶を消された、正真正銘自分自身、「望月史奈もちづきふみな」だ。

 淡々とした口調で語る顔無し男の報告に、そうですか、と満足そうな色を浮かべて部長が笑う。そして手に持っていた無駄に高級そうなカバンから、おもむろに分厚い紙の束を引っ張り出した。


『実用化もいよいよ、ですね』

『そうなります』

『ではこちらのデータを彼女の記憶に上書きして頂けますかな?』

『……準備のいい方だ』


 顔無しの研究者は、目も付いていないくせにその白い顔で紙の束を眺めた。


『了承しました。この日本語書籍原稿の起承転結を、記憶改竄きおくかいざんによって自然発生的に彼女の脳内へ想起させろ、と。原作者の始末はお済みでしょうか』

『人聞きの悪い事を言わないで下さいよ。当の昔に死んだ人間のものですよ』

『ならば良いのですが』


 会話を理解するのに数十秒かかった。その間に部長は『頼みましたよ』と去り、顔無しはデスクのパソコンに向かって無言で何かを打ち込み始めた。机の前に座る史奈は依然として首を垂れたままだ。


『ああそうだ、ペンネームを決めなければ。史奈。望月。そうですね……ルナ・ストリア、でどうでしょうか』


 顔無しの彼の独り言とキーボードの音だけが、静かな部屋に落ちていく。


『今日からあなたも、女性作家の仲間入りですよ。Luna Storia』


 かたん、と一際大きなキーボード音が響き渡る。記憶の史奈がゆっくりと、エメラルドグリーンの瞳を見開いた。

『私は壊されると同時に別の誰かを壊していた。それに気づくことはできなかった。既に、作り物の自分になってしまっていたから』



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