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筆を執れ!  作者: 楠木千歳
二 その少女、曰く付き。
11/23

彼女の分身。(二)

 俊哉は思わず、まじまじと渉の顔を見つめてしまった。

 


「あれ、もしかしてお前、知らないのか」

「何、を」

「そっかそっか。てっきり上もお前には、全部話しているもんだとばかり」


 渉が頭をかく。まずかったかな、とその表情が語っていた。


 俊哉は内心で溜息を漏らした。渉がいかにずば抜けて優秀だとしても、また役職についているからと言っても、自分の後輩の秘密を彼が握っていると知ればいい気はしない。それが、自分の知らされていないことだとすればなおさらだ。


「お前の知っていることを教えてくれ。望月は……何者だ?」

「つってもねえ……俺は直接望月さんに会った回数少ないからね、実際のところはどうか分からないよ」


 渉は気乗りしなさそうな表情でブレスレットを操作する。だがこんなチャンスを逃す手はない。俊哉は彼に詰め寄った。


「俺に言えないような事なのか」

「いや。別に隠された話じゃないし、いいとは思うんだけど」

「信頼できないか」

「そうじゃねーよ」


 むしろお前が信頼できないなら俺は誰を信頼すりゃあいいんだよ。

 そう言って渉は降参だと言わんばかりに手を上げた。


「おーけーおーけー、とりあえずその話は本丸へ帰ってからにしようぜ。誰に何聞かれてるか、分かったもんじゃないからな外は」


 俊哉の心臓が不規則に音を立てる。緊張の手汗を握りしめ、彼は目の前のコーヒーをゆっくりと飲み干した。





* * * * *





 それから諸々の買出しや調査を済ませ、彰考会本部へ彼らが戻ってくる頃には、すっかり日が落ちて社内の人影も随分とまばらになっていた。

 濡れたスーツは帰ってきてから速攻で着替えた。びしょびしょのスーツが気持ち悪かったのはもちろんだが、瑠璃色の隊服、世間では二度見されるこの格好も、着慣れた今となっては一番肌にしっくりとくる服装である。


「どうして和装は廃れたんだろうな」


 インターネット戦略部の部屋へと歩く道すがら、俊哉はぽつりと疑問を漏らした。


「さあな。生活の基盤が西洋化してから、着物は礼装ビジネスへの変更を余儀なくされた、っていうのはどっかで見たことあるけどな」


 高級品になった『着物』は、庶民の手に届きにくいものになってしまった。日常で使う必要が無ければ着なくなる。高額であれば買わなくなる。悪循環である。たしかにぺらりと着られるTシャツとは違い、着方も初めての人間には難解だ。故になかなか「高級品」から抜け出せない。

 日常着として着られる隊服は、彰考会にゆかりのある呉服屋で破格の値段で買っているとかいないとか。汚れたり擦り切れたりした時点で申請し天引きされる制度なので、詳しい事は誰も知らない。


「着慣れれば割と、動きやすいのにな」

「なんでもそういうもんじゃねーの。食わず嫌いのもあるかも知れないね」


 帰るところだろうか、洋装の少女が、ネット戦略部のある方から一人早足で歩いてきた。聡明そうな表情をした彼女は腕に大量の資料を抱えている。ふたりを認めてぺこり、と小さく頭を下げる。研修生の腕章をしていたから、きっと候補生なのだろう。ネット戦略部の候補生は皆、頭の回転の早い優秀クンである。頭の硬い自分には到底似合わない仕事だな、と俊哉はつねづね思っていることをまた反芻はんすうした。


 日野渉のアジト、インターネット戦略部のある小部屋は、俊哉も度々の出入りする執筆室とは、また違った雰囲気の部屋である。一番奥まった箇所にある渉の机は、モニタールームのような大量のパソコン画面が鎮座していた。


「毎度思うけど、よくこんなところに篭ってられるよな」

「仕事だからしゃあないわ。ま、それより前に基本引きこもりだからね、俺は」

「俺は無理だ。一週間で気が狂う。あと情報量の多さに吐くと思う」


 確かにお前は吐くかもな、と渉に言われて、自分から言い出したことながら俊哉は少し凹んだ。渉は気づきもせずに「どれだったっけなー」と言いながら機器を操作している。


「もう一度聞くけど、いいのか」


 目まぐるしく数値が入れ替わっていく画面を見つめたままで、渉が俊哉へ問いかけた。手は超高速でキーを叩いている。


「何がだ?」

「お前、表面上で付き合うとかいう器用なこと、無理だろ。知ったら元には、戻れないかも知れないぞ」


 目は全く合わせようとしなかった。だが、気をつかってくれているのがひしひしと伝わってきた。


「いい。情報を最後まで聞いて、判断するのは俺だ」


 それを信じるか、信じないか。とにかく今のまま彼女とやっていくのは、無理だ。

 渉が一瞬だけこちらを見た。その顔は笑っていた。


「俺はほんと、お前のそういうとこ尊敬するよ……あった、これこれ」


 渉が長文のリンクをクリックする。

 右下の画面に表示されたのは、『社外秘』と大きく書かれているファイルだった。一抹の不安が過ぎる。


「いいのか、これ……」

「そのリンクの有効時間、三十秒だから。ざっくり見ろよ、ざっくり」


 俊哉は慌てて画面に目を戻した。渉がそのファイルを開ける。そこに現れたのは、顔写真つきのリストだった。

 スクロールしても名前、名前、名前。すべて英語表記だった。日本人も数多くいたが、三分の一は日本名ではない。

 史奈の名前を注意深く探したが、それらしい名前はなかった。


「あと十秒……」


 渉のカウントに焦る。次のページをめくる。次、次、次……「あと三秒」その声がかかった時、俊哉の目に信じられないものが飛び込んできた。


「え」


 思わず短い声を発した瞬間、画面がブラックアウトする。切られた回線にその残像の影を探して、視線がさ迷う。やがてそれは渉にたどり着いた。


「今の……見間違いじゃ」

「ない。そっくりだったろ? 目の色と名前以外は」


 他人のそら似、兄弟。そういったレベルではない。


「Luna Storia……」


 ルナ・ストリア。

 見たばかりの名前を口に出す。鮮やかなグリーンの瞳の、『彼女』に瓜二つな顔写真を思い出す。

 俊哉はその事実を整理出来ないまま、渉に尋ねた。


「あれは、何のリストだ」

「二年前の、ユナイテッドブックスに登録されている作家一覧だ。ルナ・ストリアという人物は、英語作家として登録されている。他の作家が鳴かず飛ばずで出版を渋られていた低迷期に、一人だけ何作も刊行を許されていた謎の人物さ」


 その年の前後の刊行本一覧だ、と渉がどこからか書類の束を差し出した。めくるまでも無く、一番上にその名はあった。一人だけ幅をきかせている原因はすぐに見つかる。刊行タイトル数が、桁違いに多かったのだ。


「数年のうちにこれだけの本を出せる人間がいたら拝んでみたいもんだね。単純計算でも10日間で一冊かきあげるようなスピードだぜ。そんなこと、普通の人間にはムリだ。それができるのはバケモンだと俺は思うよ……でももっとおかしいのは」


 一番下のページを開くように渉が言った。頭が追いつかないまま、言われた通り機械的にそこを開く。


「売れてないんだ、この人。一発屋とか、シリーズものしか刊行してない人間の方がよっぽど稼いでる。どうしてこんな人間が、年に数冊ペースで出版できたと思う? 普通なら切るだろ」


 俊哉は動揺を隠せないまま目を閉じた。情報を意識的に遮断する。だが瞼の裏に史奈の顔が焼き付いていて、離れてくれない。

 記憶の中にある光のない目が一瞬、グリーンへと変化した。突然吐き気が喉元まで押し寄せる。息を詰めた。気合で飲み下した。

 からからに乾いた口で、救いを求めて言葉を紡ぐ。


「でもまだ、望月と決まった訳では……」

「無いさもちろん。もしかしたら本当に他人のそら似かもしれない、生き別れた双子の姉妹が、彼女に変装しているのかもしれない。この時代、目の色なんてカラーコンタクトでどうにでもなるしな。ルナ・ストリアがペンネームだとして、自分の親族にアピールしたい可能性だって十二分にあるには、ある」


 俊哉の頭になけなしの知識の断片が浮かんだ。


「確かルナはイタリア語で月、だったよな」

「ああ。ストリアもイタリア語の『歴史』という単語に、良く似ている。彼女のフルネームは?」

「……望月、史奈」


 答えてしまった。認めざるを得なかった。


「そういうこと。どちらにせよ、関係性が全くないとは考えにくい」


 混乱でぐちゃぐちゃになった頭を整理しながら、俊哉は必死に言葉を探す。資料がくしゃくしゃになるのもかまわず、無意識に指先へ力を込めていた。


「つまりお前は、望月が元ユナイテッドブックスの所属作家、あるいはその関係者で、彼女が彰考会うちの諜報活動をしてる、と言いたい、わけか」

「勘違いしないで欲しいんだが、言い出したのは俺じゃない。もっと上のお偉いさん方だよ」


 俊哉はもう一度資料へ目を落とした。文字は頭に入ってこない、先の画像だけが頭を占める。

 どちらともなく大きなため息が出た。


「もう一つの可能性もまだ検証出来てはいないんだけど」

「まだあるのか」


 あるよ。


 言いにくそうに渉は答えた。長い付き合いの俊哉には、そちらが本題であることに薄々気がついていた。


「何だ?」

「聞くの? これ以上聞くとお前、冗談じゃなく吐くかも知れないよ?」


 真剣な眼差しに射抜かれる。止めておけと言外に言われている。だがここまで来たなら、聞くも聞かないも同じことだ。今更引けない。


「いいんだ。最後まで聞くと決めたのは俺だ」


 深呼吸をして、心臓を落ち着ける。まだ耐えられる、まだ。

 その様子を見て再度ため息をついた渉が、今度は左下のディスプレイを点灯させた。専門用語だろう、日常会話程度しか英語のできない俊哉には、かなり難解な文章だった。渉も読ませるつもりは無いらしい。俊哉の目を見ない言い訳のために付けられたその画面を凝視したまま、渉は呟いた。


「彼女が――望月さんかルナ・ストリアのどちらかが、アンドロイドであるという可能性だ。または、アンドロイドだったルナが、何かの拍子に記憶力と英語能力を欠落させてしまって用無しになり、棄てられた可能性」



 これなら。

 あとは言われなくても、理解出来る。


「異常なまでの出版数……実験台か」

「何のまでかは、分からないけどな」


 二人の間に痛いほどの沈黙が降りた。

 俊哉は真っ青な顔で、「水を、くれないか」と呟いた。

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