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筆を執れ!  作者: 楠木千歳
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その少女、新米につき。

Special Thanks

英文訳 零零機工斗

キャラクターデザイン(みてみん、Twitter投稿)一斗缶

 大きなボロ布をかけたリヤカーが、アスファルトの上を重たそうに進んでいく。


 がらがら、ガラガラガラ。カラカラ、がらカラがら。


「……少々ガタが来てませんかね、このリヤカー」

「うるせ。黙って引いてろ」


 フードを被った少女と青年が、小声でそんなやり取りを交わしていた。通行人たちは会話の中身などつゆ知らず、ただその馬鹿でかいリヤカーと足元まで覆うようなベージュのマント姿を訝しげな視線で二度見していく。


「見られてますよ、先輩。うわっ、あのサラリーマンとか二度見してる」

「こんなもんだろ」

「大通り避けてきた意味あるんですか」

「マシだというだけで好奇の目にさらされない、とは言ってない」

「そんなあ……」


 少女はわざとらしくため息をついた。


「あーやだやだやだ、あたしも車販組が良かったです」

「馬鹿言うな、販売初戦のくせに。人目が気になるくらいで、車販組なんかお前に務まる訳ないだろう? あいつらがどれだけ売上取ってると思ってるんだ。それにこっちは万が一尋問にあった場合、行商免許で充分逃げ切れる。だが車販は警察と追いかけっこになるんだぞ」

「クーラーの魅力には勝てません!」

「……ぐっ」


 少女は勝ち誇った笑みを少年に送る。

 だがまたすぐに顔をしかめて、胸元にバタバタと風を送った。


「しかもこのマント、聞いてたよりあっつい……し、めっちゃ重い……!!」

「あのな望月。気持ちはわかるが、我々には課せられた任務を遂行する義務がある。その為には──」

「多少の自己犠牲はいとわない、でしょ?」

「……」

「分かってますよ。ちょっと文句垂れてみただけです」


 望月、と呼ばれた少女はやや不貞腐れ気味に口をつぐんだ。

 真夏は過ぎたとはいえ、残暑の厳しい温暖化の今日このごろ。

 傍目に見ても、その野暮ったいマントを纏った服装はいささか重装備といわざるを得なかった。

 アスファルトの照り返しが容赦なく彼らを蒸していく。だがしかし、彼らは歩みを止めない。


「この辺、か?」

「地図によると、この辺みたいですねえ」


 やがて二人がたどり着いたのは、小さな川の河川敷だった。


「よし、水分補給」

「へい、先輩」


 彼女は青年にいかにも付け焼刃で適当な敬礼をして、マントの中から直飲みタイプの水筒を取り出した。


「五分後には販売開始だ、それまでに昨日のシュミレーション通り台を整えておけ」

「ふぉーい」


 真面目に聞いているのだかそうでないのだか、水を飲みながら気のない返事をした後輩の姿を見て彼は額に手をやりため息をつく。


「時々疑いたくなるよ。どこを評価されてお前が彰考会の販売員『剣士』になったのか……」

「しつれーな。望月史奈、正真正銘実力を買われた『剣士』ですわ」



 大きなあくびをひとつ吐く。

 それは完全に人を舐めきった態度であった。

 

「さ、て、と。準備しましょうか」


 少女──望月史奈がばさり、とリヤカーのほろを取り去った。

 そこに現れたのは、およそ百部ほどの、雑誌の山。

 

 だがこれは、いわゆる「ゴシップ雑誌」ではない。


 風でめくれ上がった藁半紙の中身には、芸能人や政治家らの写真らしきものは一切みあたらない。趣のある挿絵がちらほらと見うけられる程度で、あとはすべて、文字で埋め尽くされている。

 近年めっきり見ることのなくなった和柄模様、「麻の葉」をあしらった表紙。ここにも写真はなく、あるのは人物名と思しき文字の羅列だ。

 『月刊 あさの葉』と銘打たれたそれは。


「同人小説誌、とでも言いますか……」


 史奈は呟きながら一部を手に取って、パラパラと中身を確認した。

 その行為に特に意味は無い。強いていうならば、染み付いた「癖」の一環だ。


 台座に戻す。リヤカーにうまく収納されていた看板などを引っ張りだし、即席屋台を作り上げた。


「せんぱーい、準備完了ですー」


 呼びかけられた青年は、間延びした声に苛立ちを隠そうともしなかった。裏側に回ってゴソゴソ細工をしていた彼は少し荒っぽい声で「開始速報!」と指示を飛ばした。


「へいへーい……そんなにイライラしなくても」


 史奈は少し眉根を寄せる。彼女は左腕につけた、時計によく似たアイテムをパタパタとタッチした。どこからともなく空中に現れた液晶画面にむかい、タップを繰り返す。【通知完了】と表示されたのを確認して、史奈は再び青年に向かって声をかけた。


「完了です」

「よし。販売開始三分前」


 一閃。彼らの重そうなマントが風に翻った。二人の装束があらわになる。



 瑠璃紺るりこん色の上衣。

 濡羽ぬれば色の袴。

 袖に見ゆるは桜散る様、白き花弁が舞い踊り。

 たすき掛けたるその帯の色、ひんがしの空朝焼け雲の、染まりゆく薄紅うすべににも似て。


「新田望月組。九時ちょうど、東三番街河川敷にて、臨時販売会を開始します!」


 青年は手首に巻かれたブレスレットのようなものに向かって声を張る。


 かくて号砲は、鳴らされた。

 

 



* * * * *






 西暦、2×××年。

 これは、そう遠くない未来の話。



『一年間あたりの、日本語書籍発行部数を制限すべし』


 十数年前、突如としてそのような法令が施行されたのは、読書好き、ことに手にとって読める『紙媒体の書籍好き』にとっては記憶に新しい大事件であった。

 確かに、ここ五十年で日本語書籍の新刊刊行数は倍以上に膨れ上がっていた。その反動か、「話題作」「ヒット作」と打ち出される作品が数日で世代交代を余儀なくされる書店の本棚は、どこか虚しさを覚える光景でもあった。


 青年、新田俊哉にったとしやは、元書店販売員である。

 

 大量に出版社へ差し戻される本を見た。耐えきれない悔しさを抱えたあの頃の記憶は、今も脳裏にこびり付いて離れない。



"少子高齢化に伴う人口減少。ゲームや電子書籍の登場による本離れ……どれも加速の一途を辿るばかりだ。そろそろこの店も、オシマイかな"


 その言葉を最後に店を閉じた店主の寂しそうな顔は、一生忘れることがないだろう。


 本よりも動画、映画、アニメーションが好まれる。

 動く映像は生き生きとして、脳への刺激がダイレクトであるとも言える。

 映像技術は、白黒写真の時代から短期間で飛躍的な進歩を遂げた。となれば、よりそちらへどんどん人が流れていくのは必然だ。空想に頼らざるを得ない、小説という『不自由を楽しむ』文化は、廃れていくのが時代の流れであったかもしれない。そこへ登場した通称「書籍制限法」は、一連の流れをクールダウンさせるのに有用な策のように思えた。真新しさと数打ちゃ当たる戦法でなんとか視線をひこうと足掻き、疲弊しきった出版業界を、一旦リセットさせてくれるようにも見えたのだ。少なくとも、俊哉はそう期待した。


 だがしかし。

 規制されたのは日本語書籍のみであった。その波に便乗し、怒涛のように流れ込んできたものがあった。


 いわゆる「洋書」と呼ばれるものだった。


 就職した書店をわずか一年足らずで解雇された後、職場を失った俊哉は就職活動に明け暮れた。その頃から急に目に付くようになった洋書に、俊哉は正直な話戸惑った。

 違和感、というのだろうか。

 グローバル化に伴い、殆どの日本人が英語を日常会話で酷使する社会ではある。だが少なくとも自分の幼少期の記憶では、入口すぐの新刊コーナーに洋書が並んでいるのを見たことがなかったからだ。

 だが面接をいくつか受ける度に、その原因が見えてきた。購入者層が読めるのであれば、翻訳版よりも原作を置くのが当たり前。日本語小説が新しく入ってこないのであれば、新作の洋書を置くのが当たり前。

 生き残りをかけた書店では、ある意味必然とも言えた。


 あっという間に売り場の三分の二は洋書、それも世界共用語の英語の本が大多数となった。残る僅かなスペースを、雑誌と日本語書籍が肩身の狭そうな顔をして共有している。本屋はどこも似たような様相を呈するようになっていた。日本語書籍の既刊名作は在庫ゼロ、取り寄せが必要という店舗ばかり。


 俊哉は失望した。本が好きで書店員になったはずなのに、どこかで冷めていく自分を止められなかった。洋書が嫌いなわけでも読めない訳でもなかったが、何故か暗澹たる気持ちに苛まれるようになったのである。


 いっそ本屋を視野から外して、別の職種に就こうか。バイトで食いつなぐ生活をしながらそんな事を考えたのは、一度や二度ではない。


 かつて、ライトノベルから純文学まで多様なジャンルを形成していた日本の「本」という文化は、その面影を見事に失ってしまった。

 書店から日本文学が消える日も近い。俊哉だけではなく、誰もが確信に近い気持ちでそう思っていた。






「いらっしゃいませー、いらっしゃいませ! 本日『あさの葉』最新号の発売日でーす」


 陽気な声で呼び込みをする後輩、望月史奈の声で、俊哉はふと自分の回顧から引き戻された。


 ちらりと彼女へ視線をやって、俊哉もバーコードスキャン用の端末を握りしめる。顔を上げると、遠くの建物の陰から一人の青年がこちらを伺うようにして見ているのが目に入った。自分と同じくらいの年齢だろうか、と俊哉は思った。遠巻きに眺めながら、こちらを随分と気にしている様子である。



『我々は日本語書籍を支持します。世の中にいかなる洋書が溢れようとも、いかなる言語が溢れようとも、日本語を捨てることはありません』



 いま、自身の引いてきたリアカーの前にぶら下げられているその文言は、俊哉がかつてバイト帰りにばったり出会ったものと同じである。

 初め見た時は「馬鹿か」と思った。どこのキチガイが運営しているのだろうと、鼻で笑った。

 そんなちゃちな運動でナニかがどうにかなるのなら、初めから書籍制限法など可決されなかったに違いない。

 

 だがしばらくすると、至るところで同じ文言をぶら下げた車を、リヤカーを、見つけるようになった。それを見るたびに、俊哉の心には期待にも似た何かが芽生えてくるのを自覚した。


 彼らは着物姿という特異な格好をしていた。だから遠目からでもすぐにわかる。紺色の衣装を颯爽と翻す彼らは、どこで誰を見かけても、どういう訳か「生き生きと」仕事をしていた。

 日本語で書かれた同人誌を、きらきらした目で売り込む。ふらりと足を止めた客が笑顔で受け取って帰っていく。販売員はそれを、笑顔で見送る。

 

(この人たちなら、俺がいつの間にか忘れてしまった「本への情熱」を取り戻してくれるかもしれない)

 

 猪突猛進を自覚する所のある俊哉は、思い立ったが吉日とばかりにその組織の名を調べて本拠地へと向かった。幸い、本拠地は自宅のすぐそばだった。お世辞にも立派とは言い難い古いビル郡の一角に、「彰考会」の看板はこじんまりと佇んでいた。


『君、本好きなんだね? よく僕達のこと、見てたでしょ』


 初対面のはずである人事部の人間にそう言われ、赤面したのは記憶に新しい。




「俊哉せんぱーい、よく分かりませんが懐かしそうな回想の目してないで、ちっとは販売してくださいよー。初日からノルマ未達成なんていうかっこ悪いこと、したくないですー」


 はっとして横に目を向けると、ぶすくれた表情の史奈がこちらを軽く睨んでいた。彼女の前の山は着々と減っていたが、確かに自分の前の本は微動だにしていない。


「……悪い。考え事してた」

「俊哉先輩にも考えることとかあったんですね」

「あるわ失礼な!」


 噛み付く勢いで反論する。と、けらけらと笑い転げられる。面白くない気持ちになりながら、俊哉はやけになって声を張り上げた。


「彰考会特別小説誌、日本語雑誌のあさの葉本日最新号です!」

「最新号ですよー、あ、おじさん、チラシだけでもどうぞ? はい、あ、お買い上げですか? ありがとうございます」


 また一冊、史奈の方から売れていった。

 

「いらっしゃいませ、どうぞご覧下さい」

「いらっしゃいませー」



 こちらを凝視していたあの青年が、ふっ、と背を向けて行ってしまうのを視界の端に捉えた。

 俊哉はその背中に届くように、大きな声で呼びかけた。


「またお待ちしております!」



 史奈がびっくりした表情で、「誰に呼びかけてるんですか」と問いかけてくる。「いや、ちょっとな」と返しながら、俊哉はふっと頬を緩めた。


「昔の俺がいたから」

「なんだそれ」


 首を傾げる史奈に、俊哉は分からなくてもいいと首をふる。そこへ常連と思しき中年男性が「楽しみにしてたんだよ!」と話しかけてきたので、二人の会話は打ち切られた。





* * * * *




 日本語書籍への逆風の中。立ち上がり、その流れに真っ向から勝負を挑んだ人々がいた。


 彼等の出自は様々であった。出版社に切られた往年の作家もいれば、まだ学生身分の者もいた。バラバラの彼等をつなぐ共通項は「本が好き」「日本語が好き」という、ただその想いだけだった。

 彼等は当初、渋い顔をする本屋に頭を下げ、出版社に頭を下げてまわった。それが不毛だと悟ると、今度は自分たちで小説誌を発刊しはじめた。

 人目を引く姿でゲリラ販売を繰り返す。その場所、時間は神出鬼没だった。小説誌は書籍制限法が規定する『書籍』に当てはまらず、また流通無視の完全な個人事業とあっては取り締まることもままならない。手に入るのは直販か発送のみ。


 インターネットでは噂が噂を呼び、次第にあちこちで賛同団体が現れ始め、その勢力は次第に無視出来ないものへと拡大していた。


 彼等の組織の名は――「彰考会」。

 



 日本語と本を愛した、誇り高き集団である。

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