ある勇者の最期、そして始まり
荒涼とした大地には夥しい人と魔物の血が流れ、噎せ返るような死臭が風に乗って戦場を駆け巡る。
数万を超える魔物の軍勢が、一個の生物のように輝く鎧に包まれた人の軍勢に殺到する。
対峙する人の軍勢は、重装鎧に身を包んだ騎士が魔物の突撃をその身を以て食い止め。後方の者達が矢を、投石を、魔法を叩き込む。そしてまるで傷口を食い破るかのように騎馬部隊が魔物の軍勢を蹂躙する。
これまでに何度も繰り返された光景。肥沃なる王国パリスを我が物にせんと幾度となく侵攻を繰り返す魔神ルミステアの軍勢と、国土を守らんと命を賭して戦う太陽神殿騎士団の実に17度に及ぶ戦争であった。
かつて田園風景が広がっていた大地は、繰り返される戦争により荒れ果て、かつての面影は全く消え去っていた。
多くの人と魔が入り乱れる戦場において、ぽっかりとまるで決して立ち入ってはならない不文律でもあるかのように、何物も存在しない空間があった。否、その戦場の空隙に居るのはただ二人だけ。
一人は男、年の頃は40半ばに見え、壮年の域に達してはいるがその肉体に衰えは一切見えない。伸ばし放題であまり手入れのされていない黒髪から覗く隻眼は、目の前の魔神の一挙手一投足を見逃すまいと、鋭く敵手を見据えている。
一人は女、恐らく百人いれば殆どの男が美しい、可憐だと褒め称えるような容姿をし、長い黄金の髪はまるで最上質の絹のような光沢を放っている。およそ戦場には似つかわしくない扇情的な鎧を纏い、戦場にも関わらず見惚れてしまうような色気を漂わせる美女だ。
パリス王国の軍を取り纏める大将軍にして、太陽神の加護を受けた勇者であるリオンの剣は、剣閃を追う事すら並みの者には不可能。音速を遥かに超え、繰り出される無数の斬撃は、一つ残らず目の前の魔神ルミステアの首を狙う。
剣が音速を超えた余波だけで大地は切り裂かれ、愚かにも彼らの戦場に近寄った者が巻き込まれる。
初めて彼女と対峙した時は、味方を巻き込まないようにしていたが、そちらに気を取られた挙句に右目を失って以来、近寄らないように命じる以外やりようがない。
対峙する魔神ルミステアは武器は持たず、しかし肘から先を失っている左手の義手から伸びた、剣の如く長く鋭い爪でリオンの剣を受け流し、あるいは右手で魔術を放つ。
魔神の魔力は人間とは比較にもならない、彼女からすれば牽制の一撃ですら城壁を砕き、万軍を退けるほどの破壊力を有する。
放った魔術がリオンの音速の剣に切り裂かれ、あらぬ方向に飛んで行き、自分の部下とそれと交戦中の騎士団が巻き込まれたが何時もの事だ。そんな些事を気にしていては、今度は左手だけでなく首を切断されるだろう。
彼らがぶつかり続けてこれが17回目、リオンの初陣である15歳の頃からこの魔神とは戦場でぶつかり合ってきた。
「まったく、ガキの頃からやり合い続けて30年、俺ももうオッサンか。お前さんとは長い付き合いになっちまったな」
「おお!? 昔を懐かしむとは、其方も歳をとったのぉ。初めて我に挑んできた頃からでは考えられんの、奇声を上げて我の言葉を一切聞かずに斬りかかってきたのが懐かしい」
閃光の如き斬撃の嵐を左手の義手だけで凌ぎながらも、ルミステアの表情は親しい友人と語らうかのように穏やかな笑みが浮かんでいた。微笑みながら右手で魔法陣を描き、死の概念を帯びた闇の球体をリオンの右側、右目を失ったリオンの死角から解き放つ。
「おうよ、初陣で片目を無くすのを懐かしいと思うくらい昔だなぁ、けどお前は変わんねぇな!」
触れれば生命力を奪われ息絶える死の球体を、ルミステアを見据えたままに軽く体を捻るだけで回避してのける。そして攻防の一瞬の間に、太陽神に仕える者が得意とする浄化の光を無詠唱で発動、圧倒的な光が二人の戦場を満たし、視界が白く染まる。
リオンは研鑽の果てに視界が無くても空気の流れ、敵手の気を読む事で十全に戦う事が出来る。浄化の光ではこのレベルの魔神にダメージを与えられないのは分っているが、ルミステアの視界を奪ったこの刹那に首を狙って渾身の一撃を見舞う。
しかし、ルミステアは魔神、人の理の外に在る者。その身に秘めた膨大な魔力を術式に乗せず、ただ放出するだけで濁流が如き衝撃となる。無論消耗が激しいので何度も使える手ではないが、緊急時の防御手段としては上等だ。
「其方も心根は変わらんな、人は変わるものだと言うのにただ強くなるだけで、初めて会った少年の時のままではないか」
「うるせぇな、ガキっぽくて悪かったな、これでも王宮とかじゃ分別のある大将軍様だぞ」
魔力の放出により弾き飛ばされたせいで、50メートルほど距離が開いたが、彼らほどの実力者にとって十分に致命の間合いだ。リオンの剣から放たれる無数の衝撃波、その間を縫うように駆け、一瞬の後に再び剣が直接届く間合いまで詰める。
「其方に左手を切り落とされてから、我を侮って攻めてくる魔神が増えての、魔力を奪えたのは良いが内も外も敵ばかりじゃ! 其方のせいだぞ!」
「お前に右目を抉られてから、軍の奴以外には怖がられてこの年まで独り身だぞ! どうしてくれるんだこの野郎! お前のせいだ!」
剣と爪がぶつかり合い、その衝撃がまた一段と戦場の空隙を広げる。あまりにも突出した二人の戦いは、回数を重ねるごとにその破壊の規模を拡大させていった。
ルミステアは左手を失った事で、彼女の隙を常時窺っている魔神たちが我先にと襲い掛かって来るようになってしまった。逆に返り討ちにすることでその魔力を奪い、片腕を失う前よりも遥かに強くなっている。
しかし、我欲と自惚れが強い魔神たちは、彼女を恐れつつもいつでも寝首を掻く機会を狙っていた。
リオンは、優れた才覚に驕っていた時にルミステアと戦い右目を失ってから、ルミステアを打倒する為だけに研鑽を続け。40を超えてなおその鋭さを増していった。
だが、パリス王国の内部には彼を厭い、排除して魔神に降伏しようとする一派がいた為に、暗殺の危機に常に晒され続け、結果極限の精神状態が彼を人のままに修羅へと変貌させていた。
閃光の剣が疾る。爪が唸りを上げる。魔術と剣を同時に扱い。複数の魔術を並行して発動させ。態と隙を作って攻撃を誘い。態と受けた攻撃で付いた傷を利用し血の目潰しを。剣にだけ意識を集中させてるところで蹴りを放ち。
血生臭い戦いを繰り広げながら、リオンとルミステアは笑っていた。まるで親しい友と語らうかのように、まるで家族と一緒に食事をとる時のように、まるで愛しい恋人と閨を共にしてるかのように。
リオンは平民でありながらあまりにも高い地位に上り詰めてしまった、偏にその戦闘力により魔神に対抗するには彼しかいなかったから。
ルミステアは元は人間であったが、より強大な力を求める為に実験台とされた『人工魔神』だった。故に侮られ彼女に心からの忠誠を誓う魔物は存在しない。
二人に共通していたのは、30年余りの戦いの日々で、もはや本音を語れる相手は目の前の宿敵しかいないと言う事。そしてお互いに戦いに疲れ切ってるのも。
「……小競り合いはもうやめぬか?」
「……そうか。そうだな」
一際大きな剣と爪のぶつかる音が戦場に響き、二人は一瞬で間合いを広げる。そしてルミステアは宙に浮かび上がり、太陽を背にしリオンを見据える。
リオンは剣を下ろし、項垂れ目と瞑る。一見して勝負を諦めたかのように見えるが、彼を知る者であればそれが奥義を放つ前の準備段階であることを知っている。
宙に浮かぶのは魔法ではなく何らかのマジックアイテムだ、いかにルミステアが複数の魔法を並行して扱えるとは言え無限ではない。最大の術を放つのに同時発動できる枠を『浮遊する』程度の事に使うわけが無い。
「リオンよ、愛しい宿敵よ。結果がどうであろうとこれが最後だ……楽しかった。其方との戦いだけが疑心と欺瞞だらけの毎日を忘れさせてくれた」
「最初はただ倒すべき敵だと思ってた。だがまぁ人間って奴は分不相応に出世すると碌な事ねぇな。もう戦場以外に俺の居場所なんざどこにもねぇ」
お互いの声はもう届かないし、顔も見えない距離だが、不思議と相手がさっぱりした笑顔を浮かべてるのははっきりと分かった。
リオンは子供の頃の祭りが終わり、まだ遊びたいと駄々をこねた事を思い出した。寂しさはある、だが心の中にあった迷いがいつの間にか無くなっているのが分かった。
穏やかに微笑みながら、リオンは奥義を放つ為に自らの内面に没入し、極限まで自らを無に近付ける。剣の速度の要訣は弛緩と緊張の振り幅にあり、極限の剣速を得るための全身の強張りを一つ一つ解していく。
「ゆくぞ……」
彼女の同時に扱える魔術は四つ。まずは巨岩を『召喚』。次いで巨岩を己の周囲に『旋回』させ、人の枠を遥かに超えた膨大な魔力で『加速』させる。
『召喚』は一切抵抗しない岩を持ってくるだけであるし、『旋回』も自分を中心に盾のような硬い物を周回させ、身を守るだけの簡単で初歩的な魔術だ。
だがそれは単純であるがゆえに制御が容易く。『加速』させる事に全ての魔力を注いでも問題ない。そして莫大な魔力で加速された巨岩は音速を超え、空気の壁にぶつかり、次第に熱を帯びルミステアの肌を焼くほどの炎の塊と化す。
『召喚』された巨岩は十数個、そのすべてがルミステアの周囲を高熱を放ちながら周回する。引き裂かれた空気が叫びをあげる。その絶叫は戦場の全てに響き、遠く離れたパリスの首都にまで届いた。
ルミステアもその爆音に伴う衝撃に晒されているが、魔神の頑強さで耐えているだけだ。並行して発動できる魔術に限りがある以上、身を守ることに使うリソースなどありはしない。そんなものに使うならより威力を高めるまで。
「聴け星の歌声を。冥府へ旅立つ我が宿敵への餞となる世界の嘆きを謳った葬送曲を!」
ルミステアはリオンを指差すと同時に『誘導』の術を発動させる。ただ移動する物体の進行方向を変えるだけの下級の術が、この瞬間、極大の破壊を齎す引き金となる。
「輝く星のッッッ!」
彼女の周囲を音速の数倍、数十倍の速度で旋回していた巨岩が、一斉にリオンに向かって放たれる。最も小さな岩ですら直径3メートル以上の巨岩、そのすべてが灼熱と衝撃を撒き散らしながら音速の数十倍の速度で降り注ぐ。
「狂瀾の奏ォォォォォ!!」
言ってしまえば『大きな石を速く遠くに飛ばす』だけ、言葉にすれば単純にして簡単な事だろう。しかしそれを極限まで突き詰めたのがルミステアの最大奥義。なるほど破壊力で言えば城砦をも容易く破壊するだろう、山脈ですらその形を変えるだろう。
しかし、それだけではルミステアの、大陸でも五指に入る最強格の魔神が持ち得る最大奥義に足りえない。この術の最も恐るべき点は、下級の魔術の組み合わせであるために消費が少なく、発動に要する時間も同格の術に比べ十分の一以下。そして何よりも連射が可能かつ、常識では有り得ないほどの超射程距離にある。
通常であれば。己の領地に居ながらにして敵国を滅ぼせる彼女が、あえて先陣を切って攻め入ったのは、戦いを求める魔神の性か? それとも……
空間があまりの暴威に悲鳴を上げている。音速を超え引き裂かれた大気の嘆きが戦場に木霊する。一瞬の後に自分のみならず味方、否、敵である魔物すらも巻き込んだ超絶的な破壊が振り注ぐにも関わらずリオンの表情に焦りはない。
感情の揺らぎは脱力の妨げとなる。一瞬が極限まで引き伸ばされ、彼の目にはゆっくりと、数えて15個の巨岩が猛火を纏い迫りくる。
「蒼天流・終の剣……」
殆ど力を籠めないままに己の剣に手を添える。片目を失ってから我武者羅に修業し、神託を受け勇者となった。そして神の祝福を受けた神剣を授かり、彼女と幾度となくこの剣をもって死闘を繰り広げた。
自分の人生が彼女と共にあったのは間違いない、敵ではあるが誰よりも本音を語る事が出来て、誰よりも自分が彼女を理解し、誰よりも彼女が自分を分かってくれた。
「星火燎原!」
神剣を振るう。ただの一振り、これまで生きて、戦いの中で培った全てをただの一振りに籠めて。己の全てを太陽を背にする愛しい宿敵にぶつける為に。
人の身の限界を遥かに超え、音速を超え、その先の領域へと足を踏み入れたその一閃。ルミステアに向かって放たれる斬撃に空間が捻じ曲がり、その余波で巻き起こった衝撃が降り注ぐ巨岩を砕き押し返す。
二人の最大奥義がぶつかり合ったその刹那を知る人間はいない。あまりにも一瞬の出来事で把握できる者など、固唾を飲んで二人の勝負を観ていた神々だけであろう。
しかしその結果だけはその戦場に居る全ての者が知った。大量の血を吹き出し地に墜ちたルミステアの姿を全員が目撃したからだ。
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「……其方の勝ちだ」
「ああ……苦しくないか、介錯はいるか」
ルミステアはリオンの奥義を受け、心臓の近くを切り裂かれ、もはや助かる術がないのが見て取れた。
リオンもまた限界を超え歩くだけでも苦痛なほどに傷ついているが、これまでの人生の多くを彼女の為に費やしてきたのだ、最期に言葉を交わすのに限界であるなど言い訳にはできない。
「いらんよ……もう痛みも感じない……リ、リオッ!……後ろ!」
ルミステアに歩み寄ろうとするリオンの背後に弓を番えた人影が見え、警告しようとしたが一瞬遅れてしまい、人影の放った矢は満身創痍のリオンの背に突き刺さる。背に刺さった程度なら、太陽神の加護を受けた勇者ならば治癒の魔法で助かるのだが、刺さった場所がよりにもよって心臓だった。
「がっ! なっ……に……」
「ひっひひひひひっ! やった! やったぞ怖ぇのに潜んでた甲斐があった! これで、これで俺は英雄……ガフッ!」
ルミステアの死力を振り絞った術で矢を射った男を絶命させるが、もはや彼女の意識から消え去っていた。ルミステアの目にはリオンしか見えていない。
「ハハッ国王以外のお偉いさんには嫌われてた自覚はあるが……まぁこんなもんか」
「リオン……リオン……もっと近くに……」
もう声を出すのも辛いのか、無言で頷いたリオンは足を引きずりながらルミステアの傍まで歩み寄ると彼女のすぐ隣に倒れてしまった。
「……リオン……もう、多くは語れない……だからせめて……誓いを受け取って……くれ」
「ああ……長くは……ない、から……」
戦場で生きた二人にはお互い命の灯が消えかかっているのが分かった。言葉少なく見つめ合う二人は自然に手を取り合う。それはまるで長く連れ添った伴侶を看取るかのようだった。
「いつか、生まれ、変わったの……ならば……貴方に、愛を……捧げる事を……誓おう」
死力を尽くし、全身全霊でぶつかり合った相手。戦場でしか逢う事は叶わなかったが、それでも間違いなく分かり合う事の出来た彼に。自分に勝った宿敵が何よりも愛おしかった。残り数秒にも満たない時間だけでも心を捧げたかった。
「ああ、俺も……あい……」
リオンの最期の言葉は途中で事切れてしまったが、穏やかなその表情を見れば誓いを受け入れてくれたのは分かった。十分だ、愛しい宿敵、愛を捧げると誓った相手の安らかな顔を見ながら、ルミステアはそのまま眠るように魔神としての永い生を終えた。
意識が闇の飲まれる直前、何か温かいモノに包まれた気がした。
―――『真実の祈り』しかと我が心に届いたぞ、我が御子よ―――
三人称と戦闘描写の練習に描いてみたお話。
このまま生まれ変わって最強夫婦が鼻歌交じりに悲劇を消し飛ばすお話を考えてはいますが、遅筆ゆえにある程度の書き溜めが出来るのがいつになるかは不明です。
描写等に関しご意見など御座いましたら、遠慮なく仰っていただけると嬉しいです。