九里目
ズザザザザザ
《魔力の糸》で引かれたソリが大地を滑る。ソリは大地との摩擦によりだんだんと速度を落としていきやがて止まった。
ふう。今のでだいぶ進めたな。やっぱりこの方法で正解だった。灰まみれになったけど。
リリスに付けた方の《魔力の糸》を見る。もう先程のように伸びていっていない。《魔力の糸》がつけられていることに気づかれて切られたという感じではないな。とすると目的地についたということなのだろうか。急がなければ。
糸の感覚的にそこまで離れていない。もう一回やれば追いつけそうだ。
よし、じゃあ《ドレイン》で道を開いてからの《魔力の糸》+《魔弾》そして《高速回転》!
もうあまり猶予も無さそうだし今回は《高速回転》を強化しよう。2、3倍くらいでいいか。
よし、発進!
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(クソッ!クソッ!!クソッ!!!)
リリスは猿轡を噛まされて、肩に担がれながら悪態をついていた。
狩りをしていたら突然襲われたのだ。狩りと言ってもばらまいた淫蕩属性の魔力で《魅了》にかかった獲物をインクの下まで連れていくだけの簡単な作業になるはずだったし、実際途中まではうまくいっていた。この白ずくめが現れるまでは。
角ウサギの5、6匹程の群れを《魅了》し引き連れて意気揚々と帰還しようとしていたときのことだ。
視界の端に白い影がチラリと見えた、と思った時にはすでに終わっていた気がついた時には手足を縛られ猿轡を噛まされて肩に担がれていた。咄嗟に角ウサギ達に助けるよう命令したが一瞬で殺された。
その後も何とか抵抗しようと、近くにいた魔物を《魅了》し『この人間を殺せ』と命令を出していた。しかしどれも無駄になった。
(この人間速すぎる。あたし担いでるのにあたしより速いってどういうことよ。コボルトだとかゴブリンじゃ話しにならないじゃない。どうしろってのよ。)
苛立ちとせめてもの抵抗にリリスは縛られたままの手で背中をバンバンと叩いたが白ずくめは意にもかいさない。
(そもそもなんで他のヤツらは黒ずくめなのにコイツだけ白ずくめなのかしら。それに他のヤツらより明らかに強い。それも飛び抜けて。それとあたしの場所がわかったのも何で?一応警戒してたし敵感知能力の高い角ウサギに周りを守らせてたのに誰も接近に気づけなかった。それに人間にバレないように淫魔の里にはってあった結界も消えてるっぽいしどうなってるの?ああもう、わからないことが多すぎてイライラするわ!)
苛立ちを込めて一際強く白い体を叩く。
すると、白ずくめはだんだんと減速しだした。リリスの体からブワッと冷や汗が吹き出した。まさか叩きすぎて怒らせてしまったのか。
流れる景色はゆっくりと止まった。まさか大人しくさせるために動けなくなるくらいにボコボコにされるのだろうか。そんなことを考えたリリスはせまる暴力の恐怖に目を閉じて身を縮めた。
(イヤだー!あたしの美しい体に傷がついたらどうすんだー!いやもう傷だらけだけども!痛いのはイヤ!リョナほあたしの好みじゃないんだよ!)
ガクガク震えるリリス。しかししばらく待っても何もおきない。
焦らしプレイも好みじゃないと思いながら目を開くと森を抜けて開けた場所に居た。
(ってココは!)
見覚えのある場所。そこはリリスの生まれた淫魔の里だった。黒ずくめの襲撃によりだいぶ荒れてはいたが、見間違うはずもない。
そんなことより先程からこの白いのはどうしたというのだろうか。後ろ向きに肩で担がれているため顔を伺うことも出来ない。
もしやコイツ寝ているのでは、とリリスが思い始めたころ、白ずくめは思い出したように歩きだした。今度はリリスが歩くのと変わらない速度で。
逃げ出すチャンスかもしれない、とおもったがやめた。どちらにせよ今のリリスにできることは瞬殺される魔物を集めることか、ぽすぽすと白い背中を叩くことだけだ。この何を考えているのかわからない白ずくめをイラつかせることが関の山だ。
(ああせめてインクに助けを求めることができたらいいのに。インクー助けてー!もし助けてくれたら1発ヤらせてあげてもいいからー!)
猿轡をガジガジしながら今も必死に火を起こしているであろうインクに念を送る。
いや、もう火を起こし終わっているかもしれない。そしてドヤ顔を浮かべながら『無属性魔法で火を起こすなんて俺はやはり天才だ』とか言っているのだ。その裏でこんなことが起きているとも知らずに、呑気に。
(ムキー!天才っていうぐらいだったら今すぐ助けに来いよー!お前の大事なリリスちゃんが拉致られてんだぞー!なんとかしろよー!)
己の身に起こる理不尽な境遇への不満をインクにぶつけていると再び白ずくめの歩が止まった。
今度は何だとリリスが周りを見渡す。そこは見知らぬ場所だった。
いや、よく見れば見覚えがある。そこはかつて広場として使われていた場所だった。しかしそこはだいぶ様変わりしていた。
広場いっぱいに書かれた広大な魔法陣。要所要所に置かれた魔結晶製の祭具のようなもの。その周囲には黒ずくめ達が祈りを捧げるように片膝をつきながら手を触れている。
と、魔法陣の外。新しく作ったのだろう、広場全体を見渡せるほどの高さの見覚えのない高台から拡声魔法を使った声が降ってきた。
『シロ殿!遅いですぞ!既に儀式の準備は出来ているのです!困りますぞ!こちらも高い金を払って雇っているのですからそれ相応の働きをしてもらわねば』
シロ、と呼ばれた男はそちらを見ると謝罪するように頭を下げた。
高台の上に立つ男は他の黒ずくめとは明らかに違う格好をしていた。他が黒い盗賊のような衣装を着ているのに対し彼だけはまるで司祭のように豪華な服だ。
(あの格好、それにこの魔法陣。コイツらまさか邪教の使徒か何かかしら?ココで何かの儀式を行おうとしている?わざわざ淫魔の里まで来て?一体何が目的なの?)
リリスが黒ずくめの目的を探ろうとモンモンとしていると再び黒司祭が口を開いた。
『それでなぜそのサキュバスは生きているのですか?私は淫魔の死体をお願いしたのですが?』
その質問にシロはようやく口を開いた。
「……この者は……殺さずに……贄にするのが……吉と……視ました。」
(あれ?今の声どっかで聞いたことあるような……?って贄!?そんなあたし死んじゃうの!?イヤ!まだ遊び足りないのに!)
濃厚になった死の気配にリリスが暴れ始める。しかしそんなことは意に介さず白いのと黒いのの会話は進む。
『むぅ。そうですか。他ならぬ貴方が言うのなら従うとしましょう。それではそのサキュバスを中央に置いて貴方はこちらに来てくだされ。』
「いえ……自分は……まだやるべきことが……ありますので……儀式は……先に……始めておくのが……吉かと」
そう言うとシロは魔法陣の中央に向かいリリスを乱雑に放り投げた。
乱暴な扱いに怒気が溜まるが、周りを見て一瞬で血の気が引いた。
周囲には淫魔の死体が散乱していた。首を切られた者、胸に穴が開いた者、死因は様々だがどれも一様にこときれていた。
この段になって急に死が近く感じられた。昨日まで楽しげに会話していた彼らが。棒姉妹だと酒を酌み交わしていた彼らが、今はもう何も言えない体になっていた。
(イヤッイヤッイヤ!!)
半狂乱になって逃げようとするも中からは出られないような結界がはってあるのか、見えない壁にぶつかり止められる。
そのとき全ての準備が整ったのか黒司祭が口を開いた。
『時は満ちました。それではこれより姦獄の蹂神アウラ・テムアリブ様の召喚の儀を執り行います』
場にピリリと緊張した空気が流れる。
『全員、私が詠唱を開始したら魔晶柱に祈りと共に魔力の注入を。この儀式が成功すれば我らは新たな存在へと昇華できることを保証しましょう。それでは始めますよ』
黒司祭がブツブツと詠唱を開始するそれと同時に魔晶柱と呼ばれた祭具に光が灯りそこから魔法陣に光が移っていく。
そんなある意味で幻想的な光景をみながらリリスの心は取り返しのつかない絶望に占められていた。もう助からないと半ば確信的に感じていた。
やがて変化が起こり始めた。魔晶柱の無色の光りがピンク色に変わり脈打ち始めたのだ。
そして、それは突然起こった。
バガン!!!
爆発するような音がなった。
8方におかれた魔晶柱全てが突然砕け散ると中からピンク色の極太の触手が姿を現したのだ。
突然の触手の登場は黒ずくめ達にも想定外なのか動揺が伝わってくる。
だがその動揺はそれ以上の混乱に飲み込まれることになる。
触手の一本がおもむろに近くにいた黒ずくめを絡めとると持ち上げ、ギュッと締め付けた。
黒ずくめはビクンと震えるとみるみる弱っていき、やがて灰のようになって消えた。
「「「ぎぃゃああああ!!!」」」
混乱は悲鳴とともに一瞬で伝播した。我先にと逃げ出す黒ずくめ。すると触手達もにがしてなるものかとばかりに黒ずくめを捕まえては灰にしだした。
「おい!出られないぞ!」「なんでこんなとこにも結界が!?」「いやぁ!来ないで!来ないで!」「やめろお!やめてくれぇ!」
阿鼻叫喚の渦の中黒ずくめの1人が黒司祭に向かって叫んだ。
「大司教!これはどういうことですか!?この触手は一体!仲間達はどうなったのですか!?」
『落ち着きなさい仲間達よ』
落ち着いた声だった。まるでこうなることなどわかっていたとでもいうかのように。
『この触手はアウラ・テムアリブ様の一部。彼らはその贄となったのです。神と一つになれたのだから彼らにとっても本望だったでしょう。』
「ちくしょう!はめやがったなぁぁああ!!」
絶望と怨嗟の響き渡る広場を眺めながら。リリスは死刑執行を待つ死刑囚の気分を味わっていた。
(なんでこんなことに……。せっかく転生して。もっかい生き直せるって思ってたのに。こんなことって。こんな最後なんて……)
彼らは自分の未来の姿だ。里を滅ぼした彼らが死んでいくのは気分がよかったが、今はそんな気分に浸れそうも無かった。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
黒ずくめの悲鳴が響き渡る。
「ああああああああああああ!!!」
せめて里を滅ぼした奴らの末路をこの目に焼き付けてやろうと思い。
「いやあああああああああああああああああ!!!!!!」
空から飛んでくるインクの姿が見えた。