十五里目
「インク?どうする? このまま逃げちゃう?」
リリスがインクに問いかけた。
今なら触手は体を引っ張り上げるのに夢中になっている。その証拠にリリスが『神避け』の結界から出たにも関わらず触手が襲って来ない。
いまなら簡単に逃げられる。
そもそもインクとリリスが命をかけてまでアウラの召喚を止める必要性は無いのだ。
インクの育ての親は5歳のころに死んだ。これといった知り合いも王都にはいない。
リリスはそもそも人ではない。
2人がいまここにいるのは成り行きで仕方なくだ。
ここで逃げたとしても誰が責められようか。
だが、
「そういう訳にもいかないんだよなぁ……」
「なんで?そこまでガンバる必要無くない?あたし達はもうできる限りのことしたって。それともここに何か守んなきゃいけない物でもあるの?」
「あるさ」
インクは即答した。
「天才ってのはな、諦めるっていうのが大っ嫌いなんだよ」
「……」
「前にも言っただろう?男は心の芯が折れた瞬間に死ぬって」
「……」
リリスは何も言わない。後ろから抱かれているので顔は見えないがきっと呆れた顔をしているんだろう。
「諦めたとき天才は自分の限界を知るんだ。そしてそれは絶望だ。そいつは俺にこう言うんだ。『オマエの力はその程度。ココより上には行けません』ってな」
「……」
「その声を聞いたら俺の芯はポッキリ折れるだろうよ。これは推測じゃない、確信だ。天才の心は案外ナイーブなんだよ」
「呆れた」
インクはその短い言葉にどのような感情が込められているかよく分からなかった。
苛ついているのか憧れているのか蔑んでいるのか喜んでいるのか。
いろんな感情が混ざりあって複雑な色になっていいた。
だがその後の言葉でインクは理解した。
「そんなにプライドが大事なら1人で守って。あたしは逃げるから」
その言葉と同時に体が重力に引かれて落ち始めた。
リリスが手を離したのだ。ちらりと後ろを見ると結界に向かって飛ぶリリスが見えた。
(やっぱり理解されなかったか)
インクの『天才的』思想は親にすら理解されなかった。
自分がプライドを守る戦いをするとき周りの人は皆こう言うのだ。
『そこまでする必要があるのか』
(あるに決まってんだろ)
インクにとって自分が天才であるという自負は人生の支柱である。
プライドが折れ、死んだまま生きるくらいならプライドと共に地獄へ落ちる道を選ぶ。
インクはそういう男だ。
ガツンという音が聞こえた。
見るとリリスが結界にぶつかっている。
(アイツ《結界抜け》使えないのかよ。……しょうがないな)
インクは《結界抜け》を発動させるとリリスにかけた。
なんとか結界の外に出ようと結界に体当たりを繰り返していたリリスの体が突然結界をすり抜け結界の外に出た。
リリスが驚いた顔をしてこちらを見る。
インクはそれを見届けると下――今まさにアウラの本体である球体部分が出てこようとしている魔法陣に意識を切り替えた。
(確か属性についての記述はあっちだったな)
インクはまず属性の増幅についての記述を書き換えることにした。
属性が突然切り替われば召喚が完了するまでの時間も引き延ばせるかもしれないと考えてのことだ。
方向に見当をつけ《魔力の糸》を伸ばして体をその場所に引き寄せる。
ダン!と勢いよく着地する。
すかさず細い触手が絡みつき《ドレイン》しようとしてくるが《経験値操作》で相殺する。
(くそっ。動きづれぇ)
一本一本は細く力の弱い触手でも全身にまとわり付けば拘束具と変わらない。
振り払いたいがそんな時間の余裕は無い。もういつ召喚が終わるか分からないのだ。
(魔力の迂回路作って、書き換えて、つなげる。だいたい一箇所1分くらいか!?)
インクは《魔力の糸》で迂回路を作りつつ考えた。
発動中の魔法陣を書き換えるのはかなりの高等技術だ。
自分の魔法技術に絶対の自信があるインクでさえ、ソリでの移動中に《高速回転》を書き換えたりしなかった。
下手すれば暴発して爆発する。
しかも今回はインクが今までに感じたことの無いほどの大量の魔力が魔法陣に流れている。
もし暴発したらこの国が地図から消えることになるだろう。
(よし!書き換え終わった!あとはコレに魔力の流れをつなげ……!!!)
ぞわり
体中に怖気が走った。
まるで皮膚の下をミミズが這うような気色の悪い感覚。
驚いて思わず顔を上げた。上げてしまった。
それが間違いだった。
(あっ…………………………)
巨大な一つ目と目が合った。
人間なら白眼であるところが黒く染まった、ルビーのように紅く輝く瞳を持つ目。
思考が止まる。人間、いや全ての生命の頂点に立つ神々の一柱。
あまりに圧倒的な存在の差に身も心も凍りついた。
アウラは球体の半分が目だった。既に球体の半分が地上に出て目を開き、不愉快そうにインクを見ていた。
始解の端で始めから出ていた太い触手の一本が動くのが見えた。
しかし停止した頭脳はその情報の意味するところも忘れただただ呆然としていた。
(…………………………ああ、死ぬのか)
視界の半分が迫る触手に占められても体は動かずようやくわずかに取り戻した思考は死の運命を受け入れた。
妙にゆったりとした視界の中。
だらりと力を抜いて。
命の折れる音に耳を澄ませた。
……だが
ギョルン!と勢いよくアウラの目が明後日の方向を見た。
それにつられるようにインクに迫っていた触手も向きを変えて明後日の方向に。
「カハッ!ハァーッハァーッ!」
アウラの目が逸れたことでインクは正気を取り戻した。思考と同時に呼吸も止まっていたらしく苦しげに呼吸をする。
何が起きたのかとアウラの目と触手が向かった方にインクも目をやる。
(……なに……やってんだ……アイツ……!)
そこには触手に捕まったリリスの姿があった。
苦しげに触手の拘束から逃れようとしているが《ドレイン》により力が入らないのかだんだんと動きが弱々しくなっていく。
リリスもトリガー無しの《ドレイン》をインクほどではないが使うことができる。だがそれでも持って10秒というところだろう。
(でも……それだけあれば十分だ!)
インクは唯一書き換えの終わった箇所――謎の属性から無属性を増幅するように書き換えられた場所に目を向けた。
インクが書き換えられたのはここしか無い。だがそれで十分だった。
インクは《経験値操作》で生命維持に必要な最低限の経験値以外を全て魔力方面につぎこんだ。
そして魔法陣に手を触れると自分の体を魔力の回路の一部にして魔力を循環させた。
「ぐぅ……くっ」
インクの体に常識では考えられない量の魔力が流れる。
(体が……ちぎれそうだ。だがこんだけ魔力があれば!)
「《ドレイン》!!!」
体に流れるバカげた量の魔力で《ドレイン》を放つ。
するとそれまでびくともしなかったアウラの経験値が凄まじい勢いでインクに流れ込み始めた。
「グチュル!グリゅグリゅ!!」
異変に気づいたアウラの触手が襲いかかってくるがインクの体から放たれた魔力に触れると灰になって消えた。
「グギャルブルベルゴシャア!!!」
どこからそんな声を出しているのか。アウラが凄絶な声を上げる。
だがインクにもまた余裕は無かった。
(ガッ……アッ……いてぇ……体が……軋む……)
濁流のように流れ込むアウラの経験値。どんな良薬も量を誤れば毒となるように、莫大な量のそれはインクの体を破壊していた。
それだけでもキツいのに今は扱う魔力も莫大だ。操作を誤れば自滅しかねない。
今もわずかに乱れた魔力で服が灰になった。
(ハッ……クソッたれぇ!)
無謀な賭けだった。もしかしたら魔力を制御できず爆発していたかもしれない。いくら魔力を増やしてもアウラに《ドレイン》はきかなかったかもしれない。
だがインクには絶対に成功するという確信があった。
(俺は……天才……だ!……だったら……出来ないわけが……ねぇだろうがよぉ!!)
視界が白んできた。激しい耳鳴りが意識を乱す。もう自分が立っているのか座っているのかも分からない。
それでもインクは意識だけで《ドレイン》を放ち続けた。
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「うっ……ぐぅ……」
頭が割れそうな程痛かった。全身が筋肉痛でも起こしたかのように痛い。
前後の記憶が不明瞭だ。
酔っ払ってケンカでもしたのだろうか。
(俺は……何して……)
目を開けるとそこはまるで廃墟だった。割れた窓から月明かりが差し込んでいる。
それを見た瞬間記憶が戻ってきた。
「そうだ!リリスは!?アウラは!?」
バっと起き上がる。全身に激痛が走るが無視する。
自分が生きているということはアウラは死んだか神界に逃げたかのどちらかだろうが、リリスはどうなったのだろうか。
あのときは無我夢中だった。もしかしたら《ドレイン》に巻き込んでしまったかもしれない。
そんな想像が頭をよぎり、体に冷たいものが走る。
あんな苦労をしたのにリリスが死んでしまっては意味が無い。
そのままベットから降りようとして、ベットに凭れるようにして寝息をたてるリリスを見つけた。
「すぅー……すぅー……」
よく考えれば自分が意識不明のままベットを探して寝れるわけがなかった。自分がベットで寝ていたということはリリスがココまで運んできてくれたということなのだろう。
そういえばあの時服は灰になったのに今の自分は服を着ている。これもリリスが用意してくれたのだろうか。
起こしてお礼を言おうかと思ったが、そうとう疲れたのか安らかな寝息をたてるリリスを起こすのは忍びなかったのでそのままにしておいた。
インクはリリスの肩に毛布をかけると、リリスの寝息をBGMにして再び目を閉じた。
リリスは明日になったら逃げているかもしれない。
だがインクには不思議と確信があった。
リリスは目が覚めても近くにいるだろうという確信が。
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翌日、目を覚ますとリリスは逃げ出していた。
「いやー!離してー!三十路ー!おっさんー!加齢臭ー!あたしは自由になるのー!」
「おい、せっかくベットに寝かしてくれて服まで用意してくれて見直してたのに……」
目が覚めるとベット脇にいたリリスの姿は無かった。
リリスに付けっぱなしになっていた《魔力の糸》を探ると森から離れて逃げようとしているのが明白だったので、アウラから奪った莫大な経験値で強化さらた身体能力にモノを言わせ捕まえたのだ。
実際インクは見直していたのだ。この自己中心的なサキュバスが命の恩人である自分を気遣ったということに。
それだけに今朝のことはショックでありインクはため息を隠せなかった。
だがリリスはキョトンとしている。
「ベット?服?あたしそんな事してないわよ。自分でしたんじゃないの?」
「え?」
「あたしは目が覚めたらあんたもアウラも消えてたから安心して、どっかのベットでも借りて一眠りしようと思ったらもうあんたが寝ててめんどくさいからそのままそこで寝ただけよ。ベットに運んだり服を替えたりなんてしてないわ」
(どういうことだ?まさか本当に無意識のまま俺が?それとも……いや……まさかな)
思い浮かぶのはシロと呼ばれていた正体不明の男。結局意図も目的も読めなかったが、どうも自分を助けてくれていたように感じた。
(まぁそれは有り得ないか。だったら自分がやって忘れてるだけ、っていう方が納得できる)
そんな風にインクが考えているとリリスが暴れ出した。
「はーなーしーてー。あたし知ってるのよ!あんたがもう隷属の首輪もってないこと!」
(あっそういえば)
インクが持っていた隷属の首輪。
あれはつけるだけで相手を自分の奴隷にできる優れものだ。その性能と性質から法外な値段を取られる上に入手も難しい品なのだが、服と一緒に灰になってしまっていた。
高い買い物だっただけに惜しい気もしてくるが別に今すぐ必要では無いと思い直す。
「心配するな。有っても無くてももうお前に使うつもりは無い」
「ハッどうだか」
リリスが鼻で笑ってくるが、これはインクの紛うことなき本心だ。
「本当だ。俺だって命の恩人を奴隷にするほど落ちぶれちゃいないさ」
「え」
「あの時、リリスが助けに来てくれなかったら俺は確実に死んでいた。リリスが来て時間を稼いでくれたおかげで俺はアウラに勝てたんだ。ありがとう」
「……それ命の恩人を組伏せながら言うセリフ?」
「それとこれとは別だ。そもそも俺とお前はお互いに命の恩人なんだからプラマイはゼロだろう」
「……」
リリスがジトッとした目で見てくる。負けじとインクも見続ける。
やがてリリスは根負けしたかのように長く長ーくため息をはいた。
「わかったわ。要するに他の淫魔の里まで案内すればいいんでしょ。やってあげるわ。ただし!淫魔の里に着いたら自由にしなさいよ!」
「それじゃダメだ。クイーンサキュバスのいる淫魔の里に案内しろ。そしたら自由にしてやる」
「わかったわかったから!それでいいから!」
リリスがそう言うとインクはようやくリリスの上から退いた。
痣になったらどうするのよ……などとインクに握られていたところをさするリリスに、インクはふと思い出したように問いかけた。
「なぁリリス。何であの時1回逃げたのに助けに来てくれたんだ?」
「なっ!お、男が細かいこと気にすんじゃ無いわよ!変なこと行ってないで早く行くわよ!」
そう言うとリリスはプイッとそっぽを向いてスタスタと歩き出してしまう。
よく見ると耳が赤くなっている。
インクはそれを見てニヤニヤとしながらも置いていかれないように追いかけた。
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「結局誰だったんだろうなあ。俺を介抱してくれたのは」
「知らないわよ。言っとくけど本当にあたしじゃないからね?」
「大丈夫だ。お前がそういう奴じゃ無いのは理解してる」
「……間違って無いけど面と向かって言われるとムカつくわね……」
インクとリリスが歩きながら雑談に興じるなか。
インクの服の背中側が一人でに蠢き出した。
服はインクにはバレないように蠢くと一つの膨らみを作った。
パチッと突然その膨らみが目を開いた。
目だ。ただしそれはタダの目ではない。
人間なら白眼であるはずのところが黒く染まった、ルビーのように紅く輝く瞳を持った目だ。
その目はキョロキョロとあたりを見渡した後、嬉しそうに目を細めた。
しばらくすると目を閉じ、できた時と同じように静かに蠢くと、そこは何事も無かったかのように元通りになった。
「そこで俺は言ってやったんだよ『何も問題はない。何故なら俺は天才だからだ』ってな!」
「そう言うだろうと思った」
インクとリリスは気付かずに雑談に興じている。
彼らの旅は一筋縄ではいかなそうだった。
活動報告なるものを完結記念に書いてみました。
相変わらずの駄文ですがよかったら見てってください




