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レイニィウスの泪 第二話

 太陽が西に沈み始め辺りを橙に染めだした頃。光が全く届かない地下の部屋の中に二人の男女が床にうつ伏せで倒れていた。数分後、先に男の方が意識を取り戻したようで、むくりと上体を起こすと顔を上げて部屋の中を見渡す。

 その男とはレインウォードだ。

 起きたレインウォードははっとしたように手探りで腰に付けている皮袋の中からいくつかの小石を取り出すと、目を瞑り何かを感じ取るように小石を撫でる。

 そしてその中から一つを選ぶと小声で『キ・シィ・シスカ』と呟いて石に点火させ、周囲をほのかに照らす。

 最初に遺跡に来た時に使っていたランタンは別の世界に飛ばされる前に落としてしまったようで今は持っておらず、小さなガーネットから出る蝋燭ほどのほのかな光を頼りに目を凝らして部屋の様子を窺う。

 かすかに照らし出された部屋は依頼でレインウォードが訪れていた遺跡内部と酷似していて、それで判断する限りでは、どうやら先ほどまで居た部屋の中に溢れた光で元の世界へと戻れたようだ。

「もしかして戻ってこれた、のか?」

 部屋の中を確認するとそこは小部屋のようで、壁側に大人の両手を二人分広げたほどの泉があり他には何もない。だが造りは遺跡と同じようで、その事に安堵した表情でそう独り言をすると、すぐ傍で何かが身じろぐような声がしてばっと下へと視線を下ろす。

「……んん」

 そこには先ほどまで話していた女が倒れていた。その姿に目を大きく開くと、なんてこったとばかりに片手を頭に添えて首を振り溜息をつく。どうやら一緒にこちらへ来てしまったようだ。このままでいるわけにもいかず、レインウォードはどうしたものかと考えつつも女を起こすことに決める。

「おい、大丈夫か? 起きろ」

 しゃがみ込んで女の肩に手を当てて軽く揺すると、眉間に皺を寄せた後に静かに目を開ける女に安堵する。

 女も次第に意識が覚醒してきたのか上体を起こすと辺りを見渡し始めるが、だがレインウォードとは対照的に、女の顔は呆然としていて何が起こったのか理解できていないといった感じ。

 レインウォードは自身に起きたことの説明がし易くなったはなったが、逆に新たな問題も出来てしまい頭を抱えたい思いだった。

 二度目までも石が光った後に場所が変わっていることを考えると、その入手した祭壇の石が鍵になっているのだろうが生憎光らせる方法など想像もつかない。続けざまに奇跡といえるような偶然さで光った石を、今度は故意に再度光らせ女を元の世界へ戻す。はたしてそんなことが都合良く出来るのか。レインウォードはただの冒険者であって古代文明の専門家ではないのだ。石を光らせる方法なんて知るわけもない。そんなことを思っていると脇から声が掛けられる。

「貴方、不審者の……」

「誰が不審者だ! って、そういえば名乗ってなかったな、俺はレインウォード・グロリアスだ。立てるか?」

「やっぱり外国の人だったんだ、堀の深い顔つきだものね。髪色は染めてるの? 綺麗な緑色だったわね。あ、私は語詩亜。語がファミリーネームよ」

「そうか、今更だがよろしく。カタル」

「うん、よろしくねグロリアスさん」

「ああ、いや。レインウォードと呼び捨てでいいさ。ファミリーネームはあってないようなものなんでな」

「わかったわ。でもさんは付けさせてね」

 レインウォードはファーストネーム呼びで構わないと言い、呼び直す詩亜に片手を差し出して立たせると、聞きたいであろう今の状況をどう説明しようかと考える。すると、両の手のひらをぽんと合わせて音を立てると先に詩亜の方が話し出した。

「ねえ、もしかしてこれって貴方の言ってた遺跡?」

 話しながら視線をきょろきょろと動かす詩亜に頷きながら「ああ」と答えるレインウォード。状況を説明するよりも前に、起こってしまったことを察したようでその答えを聞きながら「やっぱりそうなんだ……」と一つ疑問がなくなったような納得顔をしている。そこには取り乱すようなものは伺えず、思ったよりも肝が据わっているのかもなとレインウォードは思った。

 次に詩亜はレインウォードの持っている小石に注目し、わあと歓声を上げて覗き込む。

「ね! これなに? 石の内側が凄く光ってて綺麗」

「これはガーネットだ、魔力を通して発光させてるんだ。明かりがないと見えないからな」

「ガーネット!? って光るの? てか魔力ってなんかファンタジーな単語だけど、もしかしてレインウォードさんの世界って魔法があったりする?」

 嬉々として魔力という単語に反応し詰め寄って近づく詩亜に、若干引き気味で少し仰け反りながら肯定するレインウォード。「すご! 映画みたいじゃん!」と興奮する詩亜に肝がっ据わっているのではなくて、ただ単に何も考えていないのではいか? と考え直す。

 他にも気になることだらけのようで、詩亜は早口であそこにある泉は飲めるのかだの、それは何々っぽいだのこっちは何々かな等と独り言を言っている。この様子では説明に説明漬けで咽がからからになるのではないかと先のことを思いげんなりするレインウォードは、先手とばかりにこほんと咳払いを一つつくと詩亜に話しかけた。

「いつまでもここにいる訳にはいかないからな。そろそろ遺跡から出たいから足元に注意して付いてきてくれ」

「あ、うん」

 言われるまま付いて来てくれと部屋の出入り口の方へ歩いていくレインウォードに、傍目から見ても丸分かりなわくわく顔で付いて行く詩亜。レインウォードは自身が詩亜の世界へと行ってしまった時とはまるで違う詩亜の様子に、この先大丈夫だろうかと溜息を一つ零す。

「あれ? そういえば私達靴履いてるよね、なんでだろ」

「そういえばそうだな……確かに脱いでいたはずだが」

「うーん、でも考えても分かんないしーいっか」

「そう、か?」

 詩亜の自宅の玄関で脱いだはずの靴を、お互いにきちんと履いていることに気づき疑問に思う二人だったが、世界を渡る現象も理解する事が出来ない2人にはさっぱり分からない。早々に思考を放棄した詩亜につられ、レインウォードもその疑問は一時忘れることにする。

 そうして部屋から出た先はレインウォードが祭壇の石を入手した広間で、やはりここは元の世界にある遺跡で間違いないのだと確信を得て肯く。

「俺がこの遺跡に入ってきた時に通った道がある、そこから出るぞ」

「わかった、それにしても随分広い祭壇の広間ね、なんかの話である召喚とかの儀式とかに使いそう」

 レインウォードはそう言って祭壇付近に落ちていた未だ明かりを灯しているランタンに気づくと拾い上げ、持っていたガーネットもランタンの中へと入れた。

 そして詩亜に分かるように遺跡内部へと入るときに通ってきた通路口を指で指し示すと、それを見た詩亜は頷いてから見渡した広間について感想を告げる。

「そうだな、俺も見た時は驚いた。召喚かどうかは知らないが、今はもうなんの為の儀式の祭壇かも忘れられているんで、それを知るために研究者が石の採取依頼をギルドへ出してるんだ」

「それを受けてレインウォードさんが来たってわけね」

「ああ、俺が来た時からカタルの世界へと行きここまで戻ってきた時間は……そうだな、そんなに長時間居たわけではないし大体光の終光の刻(十四時三〇分から十六時の間)くらいか、依頼の期日は四〇日間であと二四日はあるから十分間に合うな。」

 固形燃料の減り具合で経った時間を割り出したレインウォードは両腕を組みながら考え込む仕草をしてそう言う。

 それを聞いた詩亜は首をかしげて考える。詩亜の趣味はゲームやファンタジー小説を読むことだ。主人公が体験する物語の中では互いの世界の時間軸が同じところや、数時間から何千年単位で差がある話もある。もしかしたらそれと同じように、ここと元の世界である地球にも差があるかもしれない。

「私の世界とこの世界って時間軸って同じでいいのかな? もしかして時間差激しくて実は何百年も経ってました~なんて事ないよね?」

 先ほど思ったこともレインウォードに伝えると、レインウォードもうむと考える仕草をする。

「……なるほど、それは考え付かなかったな。そういうことも有り得るということか、ならますますここから出て街か王都へ行く必要があるな。まあ、おそらくその心配はないだろうが」

 詩亜の指摘に真面目な表情で顎に手を当てるレインウォードは、ランタンの固形燃料を見つつそう言うと、広間に入ってきた時の通路へと案内する為にランタンを掲げながら広間を突っ切っていく。そのすぐ後を詩亜も慌てて再びついていく。

「王都! じゃあお城があるんでしょ? なんか観光しに行くみたいで楽しみ」

「……はあ、じゃあ王都を目指すか。カタルが元の世界に帰るにもこの石が鍵なんだろうが、どうすれば光るのかやり方も解らないし、依頼人に渡して調べてもうしかないな。それにその間せっかくこの世界に居るんだ、ここを知るのも無駄ではないだろ。案内してやるよ」

「ありがとう! 楽しみにしてるよ」

 ぱあっと顔を輝かせる詩亜に何度ついたかわからない溜息をつくと、気を取り直してレインウォードは遺跡を出る通路を進んで行った。

 

 半刻ほど通路を進み、その間に詩亜の世界とこちらの世界との違いを確認し合う。例えば先ほどレインウォードが口にした時間のあらわし方、お金の単位や物の名前。そして一般常識。

 一般常識の確認は特に必要な事柄だ。詩亜の世界でも外国では詩亜の住む日本の国でしか通用しない事や、命にかかわるような絶対してはいけない事の認識がまるで違うことも多々ある。例えばジェスチャーなんかは日本と他国では全く正反対の意味になるものもあるのだから。ここはましては異世界であるし、元の世界へ帰るまでにその常識外の事をしてしまって命に関わるようなことがあっては非常に困る。そういわけでその辺は特に詳しく確認し合うのだ。

「えーと、主に単位は古語であるシィ、ムィ、レィで、最小、中、最大……他にスィとリィがあってこれは小と大で、こっちは単位には使われないと」

「ああ、例えばこの祭壇の石は大体直径一〇シィくらいだな、でこっちの片手剣は八五シィだが両手剣だと一.三ムィ近くはあるな」

「うーん、私の世界では一〇センチメートル位と八五センチメートル位か、じゃあムィだとメートルかな? 単位の読み方が違うだけで覚えやすいかも」

 うんうんと頷きながら出された石と剣を交互に見る詩亜に、レインウォードは覚えやすいと言ったのを試す為に質問をする。

「なら俺の身長はどうだ?」

「レインウォードさんの身長かあ、私が一六四センチメートルだから……目線からいうと一八〇シィ位?」

 質問に答えるためにレインウォードの身長を測るために足先から頭までを見てそう言うと、目が合ったレインウォードは笑った。

「近い、俺は一八三シィだ。身長一.八三ムィや一ムィ八三シィともいうな」

「なるほどね、じゃあ私の場合は一.六四ムィか一ムィ六四シィってわけね。じゃあ重さだとこの石は一ムィはないともいえるわけね」

「そうだな、一ムィはないが五〇〇シィよりはあるってとこか」

 そしてやはり重さの場合はシィがミリグラム、ムィがグラムでレィがキログラム。詩亜は単位を口に出しては自身で納得して覚えているようだ。時々レインウォードに聞いて確認をし正解と知ると顔を綻ばせる。

 そんなことを話しながら歩いている二人。

「あと時間の数え方なんだけど、さっき何とかの何々の刻とかって言ってたけどあれは? 私の世界では何時何分って言い方するんだけど」

「ん? そうだな。この世界では一日は二十四時間で、六つの属性の刻に分けられているんだ。その各刻をさらに始中終でわける。それよりも短い時間をいう固定の呼び方は特にないな……少し、やしばらく、などでいうくらいか」

「てことは四時間で一刻か……それを三つだから一.三時間くらいよね。さらに短いのは少しやしばらくで言うって、なんだか大雑把ね」

「まあ時間など気にしても仕方ないからな、ある程度の刻が分かればいいのさ」

「はあー、時間にがんじがらめの日本人には理解出来ないわね。でもまあ私はそういうの好きだけど」

 時間に厳しい国で育った詩亜はレインウォードの世界の時間観念が気に入ったようだった。元々スローライフを目指していた為か、こういった時間を余り気にしない生き方は理想そのものだったから。

 そうして半刻ほどを会話をしつつ通路を進んでいたのだが、一気に頭に知識を詰め込み過ぎるのもキャパシティを越えてしまうのだろう。詩亜は首をこきこきと鳴らしながら一息つく。

 会話しつつ歩いていたが中々日の光にお目にかかれない。そろそろ仕事帰りの足は疲れもピークに達しそうだったようで、詩亜はその場で立ち止まる。

「ところでレインウォードさん。遺跡の外にはあとどのくらいかかるの?」

「ん? そうだな……あ、そうか。失敗した」

 詩亜に問いかけられて、はっとした後に気まずそうに視線を向けるレインウォードに首を傾げて続きを促す。ぽりぽりと頬をかいてばつが悪そうに口を開くレインウォード。

「その、な。遠回りの道を進んでしまっていたようだ。すまない」

「えっ遠回り?」

「ああ、こっちは遺跡の内部と外部とを繋ぐ隠し通路なんだ。だから祭壇の広間からは正規のルートでもっと短時間で出られたはずなんだ」

「そ、そうなんだ」

「今から来た道を戻るにもこのまま先に行くにも、かかる時間はそう変わらないだろうな」

「わ、じゃあここまでと同じくらい歩かないと出られないってことね」

 それを聞いた詩亜はそう言うとへなへなとその場にしゃがみ込んでしまった。そして両手の握り拳でふくらはぎの脇をぽんぽん叩く。歩き疲れた足の筋肉を少しでも楽にしようとしているらしい。

 それを上から見ているレインウォードには疲れた様子は一切なく、さすが冒険者を生業としているだけはあり、まだまだぴんぴんしていた。

「すまない、女の足ではきつかったか。ちょうど中間辺りだろうしここらで休憩にするか」

「きゅーけいさんせーい」

 だるそうに賛成する詩亜に苦笑いをしたレインウォードは革袋をごそごそと漁って何かを探している。

 隣で物を漁る音も気にすることもなく、しゃがみこんだ詩亜は通路の石床にに座ると壁に背を付けて寄りかかる。

 座って全身の力を抜いて「あー……」と声を漏らしていると、顔の前に何かが差し出された。

「これは?」

「ルヌクの実を乾燥させたものだ。保存食として俺たち冒険者の間ではよく食べられている。甘酸っぱく疲労回復と栄養補給にいいんだ。即効性もある」

「ありがとう、いただきます」

 手渡されたルヌクの実を乾燥させたものは、干し柿をもっと色濃くしたような色で大きさはピンポン玉ほどあり、ベージュの布の小袋に五個入っていて、袋を開けると甘い匂いがし食欲をそそる。

 小袋から一個取り出した詩亜は人差し指と親指で摘んでくるりと見た目を一巡りさせると、口元へ持っていき口の中へ放り込む。

「わ、ほんとだ甘酸っぱい。美味しいこれ」

「疲れにいいし、栄養価も高いから一個で十分効果があるんだ。残りも道中疲れたときに食べるといい」

 見た目と食感は干し柿とよく似ているが味は言われたとおり甘酸っぱく、ラズベリーに近い味だ。もごもごとよく味わっていた詩亜は、首を上下に振り頷く。

 十分に噛んで飲み込むとレインウォードはいいの? と聞く。だが、俺は疲れていないから大丈夫だと横に首を振り言われ、詩亜は残りも有難く頂戴することにしたようだ。

 そうしてしばらく休憩を取った後、二人は遺跡の出口を目指して再び歩き出す。


 村に着いたのは地球でいう夕飯時の頃合だった。

 あれから時々小休止をはさみつつレインウォードと詩亜の二人は、更に続きといいこの世界の常識というものを話しつつ、ときに詩亜の世界の常識と比べながら進みながら、ようやく遺跡を出た頃には既に日はそろそろ落ちるかという頃合い。今も次第に暗くなっていく橙の空の下、沈みそうな夕日を浴びて長い影を背後に連れて森を進む。遺跡を出た森に馬を繋いでいたらしいレインウォードは、乗馬など初めてだという語詩亜を馬に乗せて相乗りで道といえない道を走る。 

 そうして着いた場所はカッソという名前の小さな村だった。レインウォードは自分だけならそのまま王都へ向かうのだが、今は連れの詩亜がいる為に遺跡近くのカッソ村で一泊することにしたのだ。

「今日はできればこの村で一泊し、明日の朝に王都へ向かうことにするか」

「さ、さんせーい。もう足が棒過ぎるーお尻痛いー」

「じゃあ俺は泊まれるか交渉してくるぞ」

「いってらっしゃーい」

 村の入り口でしゃがみ込んでお尻を擦る詩亜に苦笑いをして、レインウォードは村長の家と思われる村の中で一番大きい家へ馬を連れて向かう。そんなレインウォードをここなら安全だろうとそのまま座って見送るが、見送りの言葉ももう元気のない棒読み状態で、もし泊まれて寝る場所を確保できたなら速攻でダイブして寝ることだろう。というか、むしろ今座っている地面でもいいかもしれないとその時、詩亜は思っていた。

 それほど疲れていたのだ。一般的なOLの体力などたかが知れているし、自宅から会社まで徒歩でいく距離は今日歩いた分だといったい何日分になるだろう? と乾いた笑いを零す。よくここまでレインウォードに着いてこれたものだと自分で自分を賞賛したい思いの詩亜。実際はレインウォードは速度をかなり落としていたのだが。それプラス度々の小休止。だがやはり現代女性にしては頑張ったといっていいだろう。

 はああ、と長い溜息をついて交渉しているであろうレインウォードを待つ詩亜は、少しは落ち着いたのかそれでも緩慢な動きでのっそりと立ち上がり、村の様子を首を回して見渡せるだけ眺める。

 

 カッソ村は本当に小さな村で、村の入り口から見える範囲での軒数は六軒くらい。ただ、村全体を囲う柵は以外と広がっているようで、おそらくその数倍はあるかもしれないなと考える。それは正解で、カッソ村は一六軒の家とその家に住む各々の家族が住んで形成されている村だった。村民は一〇〇人も満たないが貧しいというほどではないのか、夕飯時らしく煙突から煙と食べ物の食欲を誘う良い匂いが風に運ばれてくる。

「ああ、お腹も空いたかも……でもそれよりもやっぱり寝たい疲れた歩きたくないー」

 誘惑の美味しそうな食事の匂いを嗅ぐも体は休息を求めているらしい。見るからに肩を落とした様子で項垂れていると、誰かが近づいてくる足音が聞こえてきて顔を上げる。その足音は交渉が終わったらしいレインウォードだった。

「村長宅で泊まらせてもらえることになった。夕食も馳走してくれるそうだ」

「よかった……」

「大分疲れてるな、大丈夫か?」

「んー、頑張る」

 レインウォードが伝えてきた言葉にほっとした表情を浮かべた詩亜は有難うと笑みを向ける。同じく疲れている詩亜を気遣いつつ笑みを返してきたレインウォードに、もう一分張りと頷いて見せるとそれを見たレインウォードは村長宅へ案内する為に歩き出す。

 足取りは大分ゆっくりでそこでふと詩亜は今までもそういえばレインウォードにしてみれば随分遅い速度だったのかもしれない事に気づく。

 仮にも冒険者を名乗り、しかも男で体力も有り余るような年齢のはずだ。見た目は二〇代後半辺りに見えるし、大した運動など高校を卒業して以来全くしていない自分でも必死の思いではあったが着いていけたのだからそうなのだろう。

 まだ会ったばかりの自分にしてくれるその気遣いに、内心で大いに感謝した詩亜だった。

「やあ、お嬢さんいらっしゃい。疲れただろう? ずっと歩いてきたのだとか。大したもてなしはできないがゆっくり休んでいくといい」

「有難う御座います。突然お邪魔してしまってすみません」

「いやいや気にすることはないよ。この村には宿はないからね、たまに貴方達のような冒険者の方々を泊めることもあるからねえ」

「世話になる。それと何かあれば今のうちに言ってくれ」

 案内された村長宅の玄関で家主である村長に挨拶をする。年はおそらく六〇歳手前、ちょうど詩亜の両親と同じくらいだろうか。温和な雰囲気で迎え入れてくれた村長にお辞儀をする。

 村長が言っていたとおり村には宿はなく、たまに来る冒険者達を泊めることがあるらしい。村で一番大きい家であり代表でもある村長宅がその宿泊所になるのだそうだ。これは大体宿がないどこの村でも同じなのだとか。

「家内に部屋を案内させるよ。おーい、サハナ来てくれ」

 玄関口から家の奥へと声を掛けると奥のほうから「はーい」と感じの良い明るく朗らかな声が聞こえてきた。今返事したのが村長夫人なのだろう。すぐにぱたぱたと廊下を小走りで来た感じの良さそうな笑顔のおばさんがエプロンで手を拭きながら笑顔を向けてくる。

「まあまあ、いっらしゃい! 疲れたでしょう、部屋はこっちよ。どうぞ」

「よろしくお願いします」

「俺は後で行く」

 詩亜を見るなりそう言ってきた夫人にもお辞儀をするとレインウォードがそう言ってきた。それに頷いて夫人の後を付いて行く詩亜を見送って、レインウォードは村長と話をし始める。

 

 話しながら居間へと案内されるとテーブルには食事の支度が整っていた。席に座り食事を勧められたレインウォードは素朴だが素材そのものの風味が良く活きた野菜スープにパン、狩猟で採れたのだろう獣の肉の煮物と野菜サラダに舌鼓をうつ。

「で、何か出来ることはあるだろうか? 明日の昼前には発つつもりだが」

「そうだなあ、ここら辺は障魔の被害もほぼないし家財の修理も特にはないしなあ。おお、そうだ。そういえばカラックの親父が息子に手紙を出したいと言っていたな」

「配達か、その息子さんはどこに居るんだ?」

「ううむ、たしかステルグマ領街だったかな。詳しくは明日カラックの家に案内するから直接聞いてくれ」

「わかった」

 宿代は金銭は商業の発達していない村等ではさほど重要ではないため、もっぱら肉体労働や他所への配達等で恩を返すのが普通だ。そのためレインウォードは村長に出来そうなことはないかと聞いていたのだ。

 聞いてみたところ手紙の配達以外は特に何もないらしく、一泊の恩として明日はその手紙を預かってステルグマ街まで行くことにする。そこから街道を辿れば四〇日の期間全部で丁度間に合うくらいだろう。カッソ村から徒歩で普通の人なら約九から一〇日、冒険者等の体力に自身のある者なら六から七日。ステルグマ領街から馬車だと王都まで、神殿への巡礼道沿いにあるカーティス領の街を経由して一四日。今日の一泊と王都までの行程で詩亜の足だと九日と一四日で二四日。だが馬があるので相乗りでも順調に行ければ一八日程で行けるだろう。何かが起きたとしても六日は余裕がある。

 レインウォードはそう脳内で日数を割り出すと、そういえば詩亜がまだ居間の食卓に来ていないことに気づく。

「カタルはまだ来てないのか」

「おお、そういえばお嬢さんがまだ来てないな。おーい、サハナ」

 廊下へと出る扉の方へ向けて夫人の名を呼ぶ村長の声に応えて、すぐ近くまで来ていたのか居間の扉が開く。すると、口元に人差し指を一本当ててしーっとジェスチャーをだす夫人。

「部屋に案内した後に手洗いの水を持っていったんだけどね、あの娘はもうぐっすり寝入ってたよ。相当疲れてたみたいだねえ」

「そうだったのか、すまないなサハナ夫人」

「いいんだよ、明日からまた野宿が続くんだろう? 今のうちに安心してぐっすり寝かせてあげないとね」

「そうだな、それじゃあ俺もそろそろ明日のために休ませてもらうことにする」

「おお、そうだな。長話に付き合わせるのも悪い。ゆっくり休みなさい」

 話しながらも食事を終えたレインウォードはそう言うと椅子から立ち上がり、村長と夫人に頷くと1泊の宿となる部屋へと案内を聞いたのち向かう。

 その部屋へと続く廊下を歩きながら、今日起きた事を思い返す。すると、一瞬、これから何か大きなことが待ち構えているようなおかしな不安感が胸を過ぎるような気がした。その不安感を払拭するように頭を軽く振ると、レインウォードはたどり着いた部屋のベッドに身を投げ出して目を閉じるのだった。


 時は少し前、サハナが手洗い水を用意してた頃。自分への気遣いをされていることなど知らずにベットに倒れこむようにしてそのまま深い眠りの中に入った詩亜は、浅い眠りで見るはずの夢を見ていた。

 明晰夢(めいせきむ)など経験したことがない詩亜は、これが夢などとは気づくはずもなく、ただこの現状が当たり前の出来事のように何の疑問もなく受け止めている、というだけだった。

 詩亜が夢の中でふと目を開けると、そこは見渡す限りただただ真っ白な森の中だった。土も、周りの木々も、空も全て真っ白。上空から差し込む光があちこちで木々の間を通って光の柱を立てている。そんな幻想的で神々しい場所に詩亜は立っていて、まるでそのうち自分という意識や、詩亜という形を成している身体がこの場所に粒子のように拡散して真っ白の一部になってしまうような感覚が意識を覆う。

 その感覚に負けないよう少しずつだが首を回して辺りを見ると、木々の間が少し他よりも空いていて道が続いているようだった。それを見とめるとどうしようもなくその道の先へと行きたいという思いが襲う。そしてそれはそのまま足を動かし道へと向かって行くことによってますます大きくなっていく。

 あの道の先に自分に必要な“絶対に無くしてはならない必要な何か”がある。確信だった。詩亜は先程の拡散されそうな不安定な状態などまるでなかったかのように、今や確固たる意識でただ前へと進んでいた。その歩みは次第に小走り、そして走りに変わる。恋焦がれるような妄執。はたから見ると、誰かを強く想い求めている、そんな表情だった。

 どのくらいの時間が経ち、どのくらいの距離を進んだのか。あるいは全く時間も距離も動いてないのか。そんな時が止まったような世界の中、詩亜は急に足を止める。一点をただ強く見つめているその視線の先を辿ると道の終点、少し開けた空間があった。そこはまるで小部屋のように木々の壁で周りが囲まれていて、中央には銀色に煌いた泉がある。

 その泉をしばらく見ていた詩亜は、ごくりと唾を飲み込むと一歩一歩泉へと近づく。泉はそんな詩亜を待っていたかのような様子で迎えた。泉に意思等あるわけがないのだが、詩亜にはそう思えたのだ。

「銀の泉、――の泉。――の半身…」

 無意識に呟いて泉の辺で跪くと右手で泉の水を掬う。

 その銀色の水を何の抵抗もなく当たり前のように飲み干した詩亜は、満足そうに微笑むと意識が暗転し泉の辺に倒れてしまう。

 その様子を誰かが窺っていた。その場所に実際に居たわけではなく視線のみではあったが、確かに見ていたようだ。詩亜が倒れると同時にその視線もふっと消える。

 

 夢の終わりに、最後に銀の泉の煌きが増したようだった。


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