レイニィウスの泪 第一話
地球とは違う銀河の中にレイニィウスと呼ばれる惑星ある。その惑星は、創世神から生まれた子神である至竜レイニィウスが任され抱く世界で、惑星が誕生した時からずっと至竜は世界に産まれたあらゆる生命をその母たる慈悲の心で自身が産んだ三つの神官と共に見守ってきた。
しかし、遥か長い年月が経った今はその至竜の姿は見られず、三人の神官も一つの神殿に篭り世界はいつしか障気に侵された悪しき障魔と呼ばれる存在に、全ての生命はただひたすら脅されていたのだった。
障気はとある大陸から溢れ出ているという。その大陸はとある形をしていたのだが、唯一人型で知能ある魔族でも低空を飛ぶ事しか出来ず、大陸の全体像を見ることはできなかった。その為それが何であるのかを知る術はなかった。もちろん人型以外で有翼の生命は居た。だが、言葉を話さないそれは他に伝える事や、ましてはそれが何であるのかも認識出来るほどの知能は持ち合わせてはおらず、世界はその大陸の意味、世界の真実を知る事もなく緩やかに、だが確実に終焉へと向かい始めていく。
レイニィウス暦二三九四二年、土壌豊かな土の月を終えて次なる豊穣の水の月をむかえるかという月の変わり目。そんな時だった。
◇
ハーシュベルツ国の南にあるステルグマ伯爵領、カッソ村近くにある数種類の広葉樹が広がる深い森の中にある、古に建てられた祭壇のある遺跡。今はもうその遺跡の名前や祭壇のある意味すら忘れ去られた場所で、風の中風の刻(地球でいえば大体朝の九時二〇分から一〇時四〇分の間)一人の冒険者風できりりと精悍な顔つきの青年が、探索なのか遺跡を訪れその外壁伝いを歩いていた。
服装は黒の長袖に黒の厚めの生地で出来たジーンズに似たズボン。その上にワインレッドの半袖で丈はふくらはぎまである長衣を着ていた。こげ茶の革ブーツに肘までの革手袋を装着し、左腰には長剣を帯剣し、右腰には革袋を下げている。深緑の髪は耳が隠れる位の長さで、前髪だけがそれよりも少し長めで横に分けてられていた。西洋人の様な顔つきで、髪と同じく深緑の瞳。全体像は落ち着いた雰囲気だ。
「何の遺跡か知らないが、こんなのを造った石を採取して調べようなんざ、考古学者ってのは暇人変人だな」
外壁をこんこんと軽く右手の拳で叩きつつ、その青年、レインウォード・グロリアスは一人呟く。
遺跡はたいした大きさではなく祭壇を取り囲むようにして外壁があり、外壁の内側には、長年の森の営みの為に祭壇が活用されていたであろう時代とは比べるべくもないように、広葉樹で埋め尽くされていた。取り囲むその壁は厚く、今もなお使われることもない祭壇を守っている。
レインウォードは冒険者を生業とし、ハーシュベルツ王都の冒険者ギルドから依頼を請け負ってここに来ていた。
古からあるこの遺跡の用途を知るために、考古学者から遺跡を造っている石の採取を頼まれたのだ。だがただ石といっても外壁に使われているような物ではなく、遺跡内部奥にある祭壇付近の石を持ち帰らなければならない。祭壇付近の物ならば何かしら祭壇で行われていた儀式の痕跡が付着しているかもしれないからだ。本当ならば自分達で遺跡に直接調査をしたいところなのだが、遺跡は神殿の管轄なので一日以上の滞在は認められていないし、考古学者達がこぞって入り浸ることは出来ない。もちろん遺跡の石を持ち帰ることも認められていないのだが、そこはある程度のお目こぼしなのだとか。そんなこんなで考古学者達は、度々こうして冒険者ギルドへ石の採取を依頼していたのだった。
この依頼はレインウォードは初めてであり、知り合いの冒険者に割と良い報酬と聞かされていたこともあったので、たまたま依頼掲示板に張り出されていた依頼書を見つけて剥がして請負いこうして足を運んだのだが、微かな淡い期待(もしかしたら隠し部屋があって金目の物があるかもしれないといった)もあった。
しかし、既に盗掘され尽くしたこの遺跡には当然金になるような物はあるはずもなく、砕かれた淡い期待は目的の石を採取したら、早々に王都へ引き上げて報酬をさっさと得る。という本来の目的のみへと切り替えられることになるはずだったのだが。
気を取り直して遺跡正面入り口へと向かおうとしたその時、突如地響きのような音がして遺跡と地面が揺れ動いた。
「な、なんだ一体?」
レインウォードはふらくつく体を支えるため、壁に手をついて遺跡やその周囲を見渡す。揺れはしばらく続いたが、落ち着いたのか、遺跡と地面の揺れや地響きは次第に小さくなってきていた。
その後治まった揺れに安心した表情を浮かべたレインウォードは、手をついていた壁に背中で寄りかかり一息つく。すると、今の揺れで保たれていたらしい壁の均衡が崩れたのか、遺跡の内側にへこむようなずれが外壁に出来た。それを、その背で感じたレインウォードは壁から離れると、僅かにへこんだ箇所を手の平で軽く押し込んだ。
「もしかして隠し通路か? 崩れそうだな」
厚い外壁は空洞になっていたようで、力を込めてこのまま押し込めばぐらぐらと揺れる外壁は、完全に均衡が失われて崩壊するだろう。依頼品の石を入手したら帰ろうと考えていたレインウォードは、砕かれた期待が再び湧き上がったのか口角を上げてにやっと笑った。
両手にありったけの力を込めて外壁を押し込むと、積まれた石はばらばらに崩れちょうど人が通れる程の穴がぽっかりと開く。その穴の先は暗い。
レインウォードは腰に付けていた革袋を漁り、ランタンと固形燃料に直径〇.三シィ(単位シィ=センチメートル)程のガーネットを取り出して、固形燃料を入れたランタンの中にガーネットを入れると蓋を閉じ、指先でその上をなぞりながら小さく『キ・シィ・シスカ』と呟いた。すると、ランタンの中に入れたガーネットにぽうっと火が点いてランタンの中全体に火が広がる。
“キ”とは古語で火を意味し“シィ”は最小“シスカ”は星や攻勢。また“シィ”は重さを前につけると『重さ五シィ(五グラム)』長さだと『長さ(または直径等)五シィ(五センチメートル)』になる。使う場面により意味が違ってくるのだ。
レインウォードが呟いた言葉の意味は“最小の火を対象に熾す”という現象をおこすもので、自身と相性の良い火属性であるガーネットに身の内に流れるマナ(魔力の源)でもって点火し、固形燃料でその火を持続させる、という事をしたのだ。自分で熾した火は自身への影響はない。が、自身以外への影響はあるので、ランタンはそれが他に移らないようにするための囲いである。ちなみに固形燃料はアルミッスト国の商業ギルドで作られた丸一日はもつタイプを使用していた。
「行くか」
ランランの具合を確かめると、出来たばかりの暗い穴の入り口の先を見据えて、レインウォードはその灯りを頼りに中へと踏み込んでいった。
幅一ムィ(一メートル)程の細い遺跡内部の隠し通路を黙々と進んでいくと、地下へと行くのだろうか下り階段になっていた。それを見とめると息を呑んで一段一段慎重に下りていく。
そうしてどれほどの時が過ぎたのだろうか、腹の減り具合からみても昼時なのは間違いないだろうか。そんなことを考えながら、レインウォードはランタンを持っていないほうの手で腹を擦りつつも、未だ終わりの見えない階段をただひたすらに下っていった。
更に時は過ぎてようやく階段を下り終えると、今度は今までよりも細い幅七〇シィ程になった通路が続いていた。うんざりした面持ちでそれを見るが、同じ時間をかけて戻るよりも先に進んでみたほうがいい。これだけ長時間きているのだからきっと何かがあるはずだと、自身を励まして通路を進んでいく。
ランタンの中にある固形燃料を見ると、約六分の一が減ったくらいだ。丸一日分のタイプなのだからちょうど一刻は経ったようで(水風光火土闇の六属刻で一日であり、地球でいう二十四時間を割ったものが一刻=四時間。更に一刻を始中終の三つで分けられる)ある。
通路は岐路もでてくるようになり、迷わないようにと携帯していた暗闇で淡く光る発光苔を床に置いていく。ぐるりと一周してしまうのもあれば行き止まりもあり、そういう所の発光苔は回収しつつ進んで行くが、その間何一つめぼしい物も見つけることもできずに次第に足取りは重くなっていく。
腹の虫も鳴き始め、とうとう数歩進んだところでレインウォードは溜息をついて立ち止まってしまった。
「まさか廃れた遺跡で遭難……なんてことないよな? はは」
さすがに空腹を我慢できなくなってきたのか、その場でしゃがみこむとランタンを通路に置き、保存食の干し肉と固パンを取り出し咀嚼して飲み込む。味気ないが肉とパンの風味が口の中に広がっていき、一口目風味を味わった後は空腹を早く満たすためにか一心に食べ続けた。一食分をあっという間に食べ終えると革の水筒から水を数口飲んでふうと一息つき、まだまだ続くであろう通路の先をちらと見て、よしと気合を入れるように勢い良く立ち上がるとランタンを掲げて歩き出した。
「まあ障魔が出ないだけマシだよな、本当に知られていないみたいだし」
障魔が出るということは何処かに開かれた出入り口があり、そこから障気に侵された生命が障魔となり入り込んで徘徊しているということだ。だがここにはレインウォード以外の気配はないようで今までも出会ってはいないし、何かがいたらしい痕跡も見当たらない。
それはすなわち新発見の隠し通路ということなのだ。これがただの行き止まりで終わるのであれば、古代のこの遺跡を建てた者達は相当に底意地が悪い。進んだ先の終着点でどういう結果になるのか。レインウォードはなるべく前向きに考えるように努めた。
食事をしてから一刻の内の始めの時間は経っただろうか。細い通路にようやく終わりがきたようで、一辺約六ムィはありそうな小部屋に出た。取り立てて何もない小部屋の中を灯りで注意深く見渡してみると、目印のように他の石壁とは違うそれよりも小さめなこぶし大の大きさが四つ集まった箇所があった。他には特に特徴のある壁はない。
「……押してみるか」
そう言って石壁を押してみると、ことんと一つが押し出されて落ちる。しばらく待ったが変化は起きず、四つ全て落とすとランタンの灯りを当てて中を覗いた。
石が落ちた音や灯りの通り具合にその先の暗がりで判断するなら、小部屋の先はかなり広い場所に繋がっているようで、相変わらず特に何の気配も感じなかったので、出来た穴を取っ掛かりにして押し引きをすると引いたときに僅かに動いた。
確信を得てぐっと力を篭めて引く。ごごごと石同士が擦れる音をたてて扉になっていた部分が小部屋の内側に引かれると、ある程度開いたところで中へと入る。
念のため落とした石を扉が閉まった場合に挟まるように置くと、レインウォードは目の前にあるしっかりとした造りの祭壇を見た。そこは祭壇がある広間だった。
「な、あれだけ歩いて着いたのは祭壇かよ……俺の労力を返せ」
思わず床にくずおれるようにしゃがむレインウォードだが、とりあえず石を採取するかと立ち上がって祭壇の階段を上がる。だが、今までにも依頼は数え切れないほどあったはずなのだが石が採取されたような窪みはどこにもない。周りも調べてみたが綺麗な平面のままだ。
「どういうことだ? ここで合ってるよな」
怪訝な表情で祭壇の台座を見るが、しかし理由などどうせ考えても分かるはずもないと、とりあえず第一の目的である祭壇の石を採取しようと携帯の小型折りたたみ式のツルハシを革袋から取り出し組み立てると、祭壇の台座の角に向かって勢い良く振り下ろした。
がきんとツルハシが打ち込まれる音が広間に響き渡る。数度の打ち込みでひびが入り、最後の一振りでぼろっと角が崩れた。そして直径一〇シィはある落ちた石を拾うと手の平でぽんぽん跳ねさせる。
「がっかり感は否めないが、まあ依頼品は手に入れたし戻るか……正規の道で」
肩を落としてツルハシをたたみ手に入れたばかりの祭壇の石とともに皮袋へ仕舞うと、レインウォードは祭壇を背後にして正規の入り口を探そうとしたが、その時――祭壇全体がぽうっと光が広がるように明るくなった。
「なんだっ!?」
異常な事態に体が一瞬硬直したが、はっと後ろを振り返ると祭壇の台座から光が溢れ出るようにして広がっていた。その光は次第に強まっていき目を開くことも出来なくなる。それでもなお強まる光は閉じた目蓋からでも余りにも強烈で辛く痛い。レインウォードは両腕で目を覆い光から遮ると、治まるかも分からない光をただその場でじっと耐えて待った。
どのくらいの時間が経ったのか大分目が楽になってきたのが分かると、光は治まったようで恐る恐る腕を下げて目を開ける。
すると、目の前にあるのは祭壇の台座でもなく、レインウォードが居た場所も祭壇のある広間でもない、夜の星空が空に浮かび四角の形の建物がびっしり建っている見たこともない場所だった――。
遺跡での地響きに始まり今まで誰も気づかなかった空洞の外壁にある隠し通路の発見。それが何故容易く発見できて祭壇へと繋がっていたのか。そして祭壇の広間での強烈な光。この日遺跡で起きたことは、今のレインウォードにとって原因など知る由もなかった。
地球、日本の首都である東京都のとある区。都心から程よく離れた下町の住宅街を、時間は夜の二十二時頃、同僚の送別会からの帰宅途中、一人の女性が住宅地の中バッグをぷらぷらさせながら少々頼りないもたついた足取りで歩いていた。
彼女の名は語詩亜、三一歳の独身女で中小企業に努めるOLだ。彼氏いない暦はもう七年にもなるという周りからすれば非常に残念な日々を送っていて、見た目もどこにでもいる日本人の平均的な容姿。黒髪は肩にかかるくらいの長さで下ろしている。性格は自身については意見や意思があるにも、他に反発するのが嫌で何事も穏便に済ませるこれまたよくある日本人の性質であることなかれ主義。
だが一つだけ譲れないものがあるようで、それは田舎の両親からのよくある世間一般の『誰かいい人いないの? 早く孫の顔が見たい』攻撃をのらりくらりとかわしつつ、一人暮らしを貫いているということだった。
結婚出来ないのではなく、しない。それに、子供を産んで命ある人一人を育てるようなそんな大層な資格があるとは思えないし、そうなのでほしいとは思わなければ、また相手がいないからといって寂しさを感じることもない。
貯蓄もあるし年金もしっかり納めているし、保険だっていくつか加入済み。老後は田舎に戻って猫と一緒に気ままに自給自足で暮らすのが夢なのである。スローライフ万歳。そんな事を二四歳過ぎた頃から考えていた為に、周りからは相当枯れている人生だと思われていたことだろう。だが実際そんな目標に向かって生きてきて何一つ問題は起きていないのだから、結婚する理由はないのだ。
「ああ、ちょっと飲みすぎたかな……明日公休で良かった」
飲んで気が大きくなっているのか外で独り言も平気でする。これが素面ならば頭のおかしい人と思われると思い脳内だけで留めているのだろうが。まだまだ人通りがあったが今は気にしない詩亜。もちろん自宅ならば人目を気にする必要もないので独り言しまくっているのだが、それは一人暮らしが長いせいだ。
今回出席した送別会は、同期の同僚が地元の田舎にいる彼氏と遠距離恋愛の末にようやくこの度結婚をすることが決まり、その為東京本社を今日付けで寿退社することによって催された会なのだった。結婚式はその地元で行われるため、出席しない本社勤めの社員達は今回の送別会を盛大に行ったのだ。
送別会の主役である同僚とは、仕事帰りによくご飯を食べに行く仲のよい仕事仲間とよべるくらいの間柄ではあったので、これからはこの年では貴重になりつつあるそんな同僚と会えなくなるのは寂しくなるなあ、といった表情を送別会の様子を思い出して浮かべる。だがすぐ後には、同僚には幸せになってほしいと思ったのかそのすぐ後には優しげな微笑になっていた。
そうして最寄り駅から徒歩十五分程歩いた詩亜は、目の前に見えてきた自宅マンションを見ながら今日もネットサーフィンをしてから寝ようと考えながらマンション玄関口に向かって行く。
けれどあと数メートル先で、というところでそれは起こった。
急に背後に何かが近づいてきたようで、足音がすぐ傍でしたかと思うといきなり両手を背中で動かせないように押さえつけられる。
「抵抗する素振りを見せれば、分かるな?」
「っや! なに!?」
いきなり拘束された両腕をなんとか振りほどこうとするも、頭上でするその言葉に詩亜はぴたと動きを止める。口ぶりから本気なのが窺えたからだ。
たしかに都内の夜に女性の一人歩きは危険ではあるが、まさか自分がその対象になるとは思いもしなかったようで、動きを止めるとすうっと血の気が引いたように青ざめる。
マンションのすぐ傍の道路の脇にある電信柱の陰から出てきたのか、体格や声質からまだ青年であるだろうと判断できる不審者に、詩亜はなんとか今の状況を打破しようと思考を巡らせるが、やはり飲酒をしていたこともあり咄嗟の出来事に的確な対処は出来ないようだ。たとえ素面でも出来たかは分かりかねるが。
「……聞きたいことがある」
「私、びっ貧乏だからお金なんてたいしてないし!」
「盗賊じゃない。ただ、話が聞きたいだけだ」
「……話?」
どうやら害する気は今のところないらしく、腕も拘束はされているがそれだけだ。詩亜はもしかしたら案外話が通じる不審者なのかもしれない、と警戒を解く気はないが打開出来るかもしれないと考えたようで、一旦気を落ち着かせて抵抗の意思はないとばかりに動きを止める。
その様子を受けた不審者である青年は重ねて言う。
「話が聞きたい。ここは何処だ?」
「……どこって、北原町だけど、もしかして貴方迷子?」
「キタハラチョウ? ……カッソ村近くの遺跡じゃないないのは分かるが、こんな場所見たことがないしお前の格好も変だ」
「え、なに? 村に遺跡って、何言ってるの……酔っ払い? それに私の格好は普通です!」
訳の分からないことを頭上で話す青年に怪訝な表情をしながら見上げる詩亜に、青年は周りを見渡しつつ思案した後、酔っていないと否定しながら視線を戻した。
今までのやり取りで酔いが覚めてきた詩亜は、改めて自身の現在の状況を鑑みる。
もう目と鼻の先にある自宅マンションの前でいきなり不審者に捕まり場所を聞かれ、迷子か酔っ払いかと聞けば否定する青年。
おまけに格好まで否定されたが、詩亜の服装は仕事帰りのOLにはよくある白シャツに黒のジャケットとラインパンツにヒール姿だ。
この姿のどこが変なのだと軽くむっとしつつも、おかげで恐怖もわりと落ち着いてきたようで青年の方へ首を動かしその外見に注目すると、かなりの違和感があったようで怪訝な表情を更に濃くした。
肩上だけだが、目に入ってきた服装が現代社会ではありえないような奇抜な格好だったのだ。まるでどこかのコスプレのような……。よくわからない服装なのは不審者の方だと、詩亜は目線を上から下へ何度も変えて見てみるが、どう見ても青年と自身との姿が余りに違い過ぎておかしいと思う。そしてそれは恐怖心から戸惑いへと変化して、詩亜は悟られないように青年へと声をかけた。
「あの、もしかして大変な事情でもあるんですか? よければ落ち着いた場所提供出来ますけど……」
「後ろから取り押さえるような男によくそんなこと提案できるな、変わった女」
「だ、か、ら! 私の格好は普通だし貴方にもなんだか切羽詰ったような事情があるような感じがしたし、だったらこうするのも仕方ないのかもって思っただけで! 別にいいなら警察呼ぶだけですけど?」
拘束されている以外は害をなしてこない様子の不審者に、詩亜は居直ってきたのかただ単に変と言われたことにむっとしいているだけなのか、せっかくよかれと提案したことも逆に訝しめられて口調が通常に戻ってきていた。元々肝が据わっているのだろうか。
そんな様子の詩亜に、ふうと一つ溜息をついた不審者は表情を改めて拘束していた両手を解く。
「悪いがそうしてくれると助かる。俺も何がどうなってここにいるのかさっぱりなんだ、できれば詳しくこの辺りのことを聞かせてもらえるとありがたい」
「えっあっ、わかった。じゃあとりあえず家へ行こっか? 目の前がそうだし」
「よろしく頼む」
拘束を解かた両腕を擦りつつ、急に改まった不審者にとりあえずそう言った詩亜だが、普通こういった不審者を家へ連れて行くなど言うということがどれだけおかしいことなのか気づいていなかったようで。ただその時は何故だかそうしないといけないようなそんな感じが内を取り巻いている、そんな顔をしていた。まあ、日本人らしいお人好しな面も覗いたというのもあるが。
そうして一般的に見れば馬鹿なことをしているとも気づかないまま、詩亜は不審者を伴って自宅マンションへと入るとエレベーターで部屋のある三階角へと向かう。その間、何が珍しいのかしきりに辺りをきょろきょろと見回す不審者を横目にし、詩亜は首を傾げていた。
マンションのホールのガラスドアとエレベエーターの自動ドアにやたら声を出して驚いていたり、エレベーターの光るボタンや音。降りた時に出た違う場所を目にした時は「トラップか?」等意味不明なことを口に出す。
まるで文明機器等見たことも聞いたこともないという様な不審者に詩亜はこいつ大丈夫か? といった顔を向けるのだった。
「そんなに珍しくもないと思うんだけど……とりあえずここが私の家! さ、中へどうぞ」
「あっああ」
案内されたドアを前にして緊張しているのかやや上ずった声で返事をする不審者に、鍵で玄関のドアを開けて中へと促す。恐る恐ると足を踏み出すのを見てついに詩亜はぷっと吹き出した。
「貴方一体どこから来たわけ? さっきからまるで現代文明知らない人みたい。さっきも強盗のこと盗賊とか言うし、服装も全然違うし」
「当たり前だ、初めて見たものばかりなんだからな」
「初めて? よくわからないけど、本当に落ち着いて話を聞いたほうがよさそうね」
「俺もそう思う」
心底困りきった顔をしてそう言う不審者に、さあと再び中へと促す。けれど部屋へと土足で入ろうとする不審者に慌てて靴は脱いでと言う詩亜は、ものすごい厄介ごとに自ら首を突っ込んでしまったと今更ながらに気づいたようで、だがしかしここまで連れて来てしまったのだからと腹をくくったのか不審者の背を見ながら一人頷く。
とりあえずリビングへと不審者を通してソファへと座らせると、コーヒーを用意しにキッチンへと入る。
不審者が部屋の中を見回している間にコーヒーメーカーで抽出された香り良いコーヒーと角砂糖を二人分トレイへ乗せると、ソファの前にあるテーブルへと置き自身も向かいのソファへ腰掛けた。
互いにコーヒーを数口味わった後、詩亜は口を開く。
「それで、貴方の聞きたいことってなに? さっき場所聞いてきたけど迷子かなんかなの?」
「迷子、と言われればそうなのかもな……おそらく、ここは俺の居た世界じゃない」
「ふうんって、え?」
「俺は冒険者をやっているんだが、依頼を受けて入った遺跡で何らかの装置が作動したのか、急に広間が光で溢れて気づいたらあの場所に居たんだ」
「……薬物の中毒者には見えないけど、もしかして精神科に通ってたりする?」
「薬物には手は出していないし精神も病んではいない。そんな目で見ないでくれ、俺だってわけが解らないんだ」
不審者の発言にうさんくさそうな目を向けながら詩亜はテーブルに頬杖をついて先を促す。そんな目に不審者は肩をすくめながら、そういえばと皮袋から石を取り出してテーブルへと置いて見せた。
「これが依頼品の祭壇の石だ。これを手に入れた後光が溢れ出したんだ」
「こんな石が? ただの石にしか見えないけど……」
その置かれた祭壇の石にもうさんくさそうな目を向けて人差し指で軽く突く詩亜。掴んで持つと見た目通り大きさに見合った重さを感じるその石を、手首を捻って調べるように見る。
だがやはりどうみてもその辺にある只の石にしか詩亜には見えず、かつがれたのだろうかと目の前の不審者に目を向けた。そうして目が合うと、不審者にも只の石にしか思えていなかったようで肩をすくめられた。
いつまでも持っていても仕方がないと、じゅうぶんに見た石をテーブルに戻そうとする。
――その時。
祭壇で溢れた光が今度はリビング中に広がる。
「これだ! この光だ!」
「えっうそ、本当だったの!」
突然の眩い光に思わず目を瞑る詩亜と不審者の二人。
溢れる光にやはりと告げる不審者に半信半疑だった詩亜。
数分も経たないうちに互いの姿すらも見えないほどの光がリビンぐグを満たし、その数秒後、ふっと満たしていた光が収まった時、そこに居たはずの二人の姿はソファへと身を預けていた痕跡だけを残して忽然と消えていたのだった。