レイニィウスの泪 第十三話
詩亜とレインウォードにカナンの三人は、シシエランカの中央大陸に戻ってきていた。今いる場所はクレスメン。ハーシュベルツ国の東に位置する森の中にある街だ。
こちらの気候は地球でいうところの西岸海洋性気候で、年中通して過ごしやすい。そのような場所に来たのは初めてのカナンは「さむっ」と外套を抱きしめる。それはそうだ。今まで熱帯雨林気候で生活をしていたカナンにとっては、詩亜やレインウォードには過ごしやすい普通の場所でもレィナ・セとは気温差がかなりあるのだから。だが、ハーフであるカナンの方がまだましなほうだろう。純血のエルフは寒さに弱かった。
「大丈夫、カナン。私の外套もいる?」
「i、いい。慣れないと旅なんてできないからね」
詩亜の申し出は実はすごく有難かったカナンだが、突っぱねてやせ我慢をしている。取り出した予備の外套をまた空間圧縮魔法の施されている瑠璃石の指輪にしまい込んで、詩亜は心配そうにカナンを見た。まだまだやせ我慢は続きそうだった。
時は光の中水の刻(五時二〇分から六時四〇分)で、まだまだ早朝。詩亜とレインウォードにとっても気温は少し肌寒い。同じく少しだけ外套を抱きしめながら、語詩亜は深呼吸をした。すがすがしい晴天とは今日の日のことをいうのだろう。雲一つない綺麗な青い空の下で、気持ちのいい澄んだ空気を吸い込んでデトックス。深呼吸一つで自身が生まれ変わったかのような気分になれた。
「辻馬車はもう少しで出発だね。このクレスメンから北西に二八日で、砂漠地帯の入り口になるカダックだっけ」
「ああ。そこからはトムトム鳥に乗って約一六日で砂漠地帯の大都市であるザードに着く。その後の日程はまあ、着いてから決めるか。買出しにギルド。用事もあることだしな」
「aa、そこで僕のギルドカードも発行するんだっけ。ヒトは面倒な生き物だね。国境を越えるのにわざわざ通行手形かギルドカードの提示なんてさせてさ。面倒ったらないよ」
「たしかに面倒かもしれないけど、ギルドカードは色々お得な特典もあるし、持っていると便利だよ」
クレスメンではギルド支店に立ち寄り一つ依頼を受けていた。配達の依頼だ。物はクレスメン特産の織物。この織物は柄が精彩で高級感があり、砂漠地帯で暮らす人々に人気が高い。夜はそのまま分厚い生地に寝そべって眠ることが多いのだそうで、今回の依頼もそういった用途に使うものらしい。けれど旅装に加えて彼女らが身軽に見えるのは、語詩亜の空間圧縮の瑠璃色の指輪にしまっているからだ。その指輪を回しながら詩亜は口を開く。
「でもさ、ギルドカードって不思議だよね。あんな薄いカードの中に情報がたくさん入ってるなんて。私の世界でも似たようなものがあったけど、ここまですごいのは見たこともないよ」
「なんでも古代の遺物を利用して作っているそうだぞ。アルミッストにその遺物はあるらしい」
「nuuf。ヒトは遺物を利用してまで型にはまりたいものなんだね。僕にはわからないな。名前を付けるのも好きだし、法律で縛るのも好きだし。変わった種族だよ」
細長く尖った耳をピクピクとさせながらそう言うカナン。
詩亜はその答えに確かにそれもそうだな、と思った。人間はなんにでも名前をつけるし時間にも縛られたがれる。自ら自由の幅を狭めていき、型にはまると安心する生き物だ。
けれど、カナンが言っているのは、詩亜からしたらずっと自由に生きていると思っているこの世界のほうだ。もしカナンが自分の世界にきたら、もっと辟易するのだろうな、と苦笑い。
「まあ、でも名前があると便利だし、いいんじゃないかな」
「enomak。たしかにヒトが作る呼び名はエルフのように長くないし、その点はいいと思うね。エルフはいちいち長くしたがるんだ」
「たとえば?」
「anaduos。リジュラルグ・ムル・ティエト。ヒトの言葉に直せば、樹木の恩恵を受け作られた掬い手。つまりスプーンのこと」
「え、なにそれ長い! リジュラ、ム?」
「uagihc。リジュラルグ・ムル・ティエト」
「リジュラルグ・ムルティエト?」
「nu。そう。長いでしょ」
「ほお、エルフはまだ古語を使用していると聞いたが、日用品にも使うくらい浸透したままなのか」
「asuos。今でもエルフたちは古語で話すよ。まあ、古語も進化してるみたいだけどね」
「古語なのに進化なんて、なんだかすごいね。何千年も昔の言葉がそのまま生きて、進化してくなんて」
「俺たちヒトの言葉はたしか、できて五〇〇年ほどだ。それを考えるとまだまだ浅いんだな」
「歴史の生き証人、かあ。エルフって改めて思うけど、すごいんだね」
「nuuf。歴史の生き証人か、なかなか良いこと言うねシアは。僕たちエルフの血はまさに歴史が凝縮された血だからね。といっても僕はハーフエルフだけど」
こころなしか得意げに見えるカナンだが、それは間違いではないだろう。年相応の表情を見ることができた語詩亜は、そんなカナンを見て微笑んだが、あることに気づく。
「あれ、待って。ということは、カナンにはヒトの血も入ってるわけだから、そっちの歴史も凝縮されてたりするのかな」
「eeh。なかなか鋭いこを言うね。そうさ、僕の血にはヒトの歴史も流れてる。エルフやヒト両方の歴史が体中を巡っているんだよ。おかげで書物いらず。さしずめ歩く書庫といったところかな」
「わお。じゃあ、わからないことがあればカナンに聞けばいいのね」
「aam、さっきも言ったけど、僕はハーフだからね。どちらも中途半端な知識しかないよ」
「あ、そっか」
「だがそれでも俺たちヒトにしてみれば途方も無い年月の知識であることに変わりはないが」
「aam、ハーフエルフの僕でさえ数千年は生きるからね」
「す、数千!? すごい……カナンって今いくつなの」
数千年を生きると聞いた詩亜は口をぽかんと開けてカナンに問いかける。
「ihsot? 僕は一五三歳かな」
「へっ? 一五三……歳」
「それだとヒトで言えば十三才くらいだな」
「nu、そうだね」
「実はすごいんだね、カナンって。私たちよりずっと年上じゃないの」
「odek、ヒトより年上でも僕はまだまだ子供だかね」
そう聞いても、空いた口は塞がらなかった。エルフの寿命、半端ない、のである。
そんな会話をしつつ、語詩亜とレインウォードとカナンの三人は、辻馬車に乗りガタガタと揺られながらクレスメン公爵領から出て、次はカッペルゲ公爵領へと入り二八日をかけて砂漠地帯の入り口に位置する、カダックへとたどり着いた。三人は連結されていた辻馬車の最後尾の客車から降りる。
カダックは地面が荒野のように土が乾いてひび割れた大地の上にある。ここから先は日中と夜間の気温差が激しい。マントをもう一枚ずつ買い足して、テントも集めのものを購入した。そして携帯食料も、より栄養価の高い固形物と干し肉を買い足しておく。寒さ対策だ。
暑いのに寒くなる。それを聞いたカナンは顔を顰めて「eeu」と項垂れた。
日中も暑いのにフード付外套をする。その理由は強い日差しから身を守るのと、舞い上がる砂埃を服の中に入れないといったものだ。詩亜は頭からすっぽりと被っているため、出ているのは目の辺りのみ。街の住人も皆色違いはあるが同じ格好であるため、はぐれたら探すのは大変だろう。
「買い足しはこのへんで終了かな」
「そうだな。あとは明日の朝に鳥舎へ行ってトムトム鳥を借りにいくだけだ」
「トムトム鳥ってすれ違ったの見たけど、すごく大きいのね。私の世界にはあんな大きな鳥はいなかったから驚いた。まるで恐竜みたい」
語詩亜は買い足しの途中に街ですれ違ったトムトム鳥を思い出す。
トムトム鳥は全長約八ムィほどで、口はペリカン、首は長く胴体は丸々。足はどっしりとしており、羽は小さく申し訳程度にちょこんとくっついている。そして鳴き声はクゥクゥと犬が鳴いていると思うほど似ていた。色は薄茶で砂漠の土地にはよく馴染んでいる。
こんな生き物見たことがないと、詩亜はスマホで写真を撮りたかったと残念がっていた。
「きょうりゅう? そういう名の生物がいるのか」
「いるっていうか、いた、ね。けど、約六,五〇〇年前に絶滅したといわれてるの。だから存在を知れるのは地層に埋もれた骨の化石だけよ。トムトム鳥の大きさくらいで今いる同じくらいの生物っていったら、そうね。象かな。海にもクジラっていう大きなのがいるけれど、逆にそっちの方が大きいし、似た大きさだと象くらいね」
「eeh。シアの世界、興味あるね」
「地面は硬いし街も狭かったぞ。箱型の建物がびっしりつまっていたな。それに空気が変だった」
「aa、レインは行ったんだっけ。ふうん、それはさぞ窮屈な世界なんだろうね」
「たしかに窮屈ね。しかも私がいたのは都心だし。空気が変なのは都会だから仕方ないというか……でも田舎の方だと空気は美味しいのよ。緑だってたくさんあるし」
「そういえば緑がなかったな。夜だったがわかる。ああ、俺がなにかおかしいと覚えていた違和感はそれか」
納得顔をして頷いているレインウォード。逆に詩亜はそんなに違和感を覚えるほどにおかしのか、と首を傾げる。都会に慣れてしまった彼女は緑が多いこちらの世界の方が新鮮で興味があった。
「そういえば、あいつらにまた遭ったら面倒だな。その辺も対策を練っておかないとな」
「あいつらって……あ、あの盗賊のことね」
「n、なに。盗賊って」
クレスメンからカダックの道中はあまりにもなにもなく暇であったため、三人は詩亜がこの世界に来ることになった経緯を事細かに確認し合うことに時間を潰していた。そして、詩亜は盗賊崩れの五人組に襲われ、自分を捕まえようとしていたことも話したほうがいいと判断し、それについても話し合うことに。
「実は……」
詩亜がクレスメンの森の中で出会った五人組みについて話す。時折レインウォードが説明を加えてカナンは眉に皺を寄せる。
「uos。つまり追われているかもしれないってことだよね」
「まだ諦めていないとしたらの話だがな」
彼らは追ってくるだろうか。詩亜はカダックの入り口のアーケードへと視線を移し表情を曇らせる。そんな様子の語詩亜にカナンは声を掛ける。
「nu。爺がシアを見ていた時に言っていた涙があの涙なら、そしてその盗賊たちがそれに連なる者ならば、おそらく追ってくるだろうね。黒目黒髪で魔法を使える乙女。そこまでの条件になると絞られてくる。そして言ってたんでしょ。神殿には近づくなって」
「うん。たしかにそう言ってたわ。もう駄目だって……やっぱり何か関係あるの?」
「ちょっと待て。となるとあの盗賊崩れはまさか」
レインウォードが身を乗り出してカナンを見る。
「os。神殿騎士だね。それも裏の。相当厄介なことだよ、これは」
神殿騎士。
至竜レイニィウスを神として崇めている宗教で、この大陸で唯一信仰されている。いくつかある教会の中でも、最古の教会が至竜レイニィウスの足元にあり、そこを総本山として一つの神殿とよんだ。
その一つの神殿に仕えている敬虔な信徒。その信徒の中でも貴族階級の者しかなれないとされている騎士たちを神殿騎士とよぶ。
王宮に仕えることを選ばなかった貴族階級の騎士は、幼い頃から訓練をしているために練度が高い。そのため騎士としての資質も十分に兼ね備えており、そして何よりも敬虔な信徒であることが条件であったため、なにかがあっても裏切ることはないとされる忠誠心厚い騎士たちで構成されているのだ。
その中でも歴史の裏で暗躍していたとされている者たちがいた。神殿騎士の「裏」と呼ばれているその騎士たちは、神殿のきな臭い部分には全て関わっているとされている。この大陸に住み、至竜レイニィウスを神として崇めている信徒ならば誰でも知っている闇の組織だ。
なぜ闇であるのに誰もが知っているのかというと、民からすれば正義のヒーローだったからだ。暗躍する彼ら裏の神殿騎士は、必ず悪を打ち倒す時のみに姿を現すそうだ。絵物語などには想像で描かれた神殿騎士が悪を倒す様子がよく載っていた。
裏で闇であるのに民からは歓迎される。語詩亜の世界で言うならば、義賊のようなものだろうか。その行為を肯定し指示しているのは三人の神官であるとされている。太古より至竜レイニィウスから生じたとされている三人の神官。民にとってはわかりやすい神の使徒だ。その神官に指示され動く裏の騎士は、さぞ民にとっては心動かされるものであっただろう。
「裏、か。もしそれが本当ならシアは」
「nu。レイニィウスの乙女」
「え、な、なに」
レインウォードとカナンが真剣な眼差しを語詩亜に向ける。二人のその眼差しに不安を覚えた様子で少し身を引く彼女はごくりと唾を飲み込んだ。
「aam、それも本当かどうかわかるのは、魔法国マレニデルムでだろうね。爺が言っていた甥に聞けばおそらく謎は解けるよ」
「う、うん」
緊張を解くようにふぅと息を吐き出したカナンは、旅の目的地である魔法国マレニデルムの名を出す。ここで自身の見解を述べるつもりはないようだ。レインウォードもそれに習い口を閉ざす。問いかけても答えてはくれなさそうだと感じた語詩亜は、両手を胸の上で握り拳をつくり顔を俯けた。
詩亜は言いようのない不安に駆られる。
こちらの世界には自分はレインウォードのおまけとして来てしまっただけではないのか。当初の旅の目的は魔法を使える理由を知るためではなかったのか。それなのにいつの間にか事が大きくなっている。
自分はただのOLで、世界を救うだとか、聖なる乙女だとか、そんな大層なことができるような力は持っていないはずだ。
いや、たしかに魔力の底がなく、息を吸うように最終の五段階まで扱えてしまうのは認める。だがそれは魔法なんてできないはずだった詩亜にとっては楽しいサプライズのようなもののはずだった。しかしその理由を知るにつれて、後戻りができない底なし沼に片足を突っ込んでしまったかのようで、ずぶずぶと音を立てて飲み込まれてしまうような、途方も無い闇に足場のないまま落ちていくような、そんな自身ではどうしようもない不安感を覚えることにすり替わってしまった。
元の世界に帰るまでの暇つぶしでギルドに登録し、観光したり、お金を貯めてレインウォードに少しでも返したりしている間に、考古学者からの良い返事を待つだけだったのに。
楽しい旅になるだろうと安易に考えていた自身に詩亜は内心で溜息をつく。周りの空気が雲ってしまったような。そんな暗い雰囲気になっていた。けれど今の三人にはそれを払拭することのできる、気の利いた言葉は見つからなかった。
その日は誰もが静かだった。
カダックでトムトム鳥を借り受けた詩亜とレインウォードとカナンの三人は、不安になる会話を避けるようにして旅を続ける。
トムトム鳥の速度は早馬と同じくらいの速さだった。
障魔に襲われさえしなければ、あと数日で大都市ザードへとたどり着くことができる。誰も口にはしないが、旅路を急ぎたいと思っているようだった。確かな答えを求めてひたすら砂漠の上を進んで行く。
時折オアシスに寄り、キャラバンから他愛も無い話を聞いたりして気を紛らわせる。そんなことが数度。最後に立ち寄ったオアシスのキャラバンの商人から、あと半日も進めば見えてくると聞いた詩亜はほっと一息をつく。これでやっとこの重暗い雰囲気から抜け出せるのではないかと思ったのだ。ザードは大都市だと聞いたため、きっと目新しいものがたくさんあるに違いない。そう思うと心が少し軽くなったような気がした。
それから半日をかけて詩亜とレインウォードとカナンの三人は、ようやく大都市ザードへと着く。
「すごい。砂漠の宮殿。まるでタージ・マハルが移動してきたみたい」
「タージ・マハル?」
「うん。私の世界にも、あの宮殿とすごくよく似た宮殿があるの。建築された理由がね、皇帝が亡くなった愛妃のために造った墓廟ってことなのよ。ロマンチックよね」
「へえ。その皇帝はずいぶん入れ込んでたんだな」
「素敵でしょ。まあ、私だったらお墓にあんな立派なものは望まないけどね。造るなら後世のために教育機関を設立してとか言うわよ。もちろんこの世界だったら、の話だけど。私の世界でならそうね、月にお墓を作ってって言うかも! そんなことできたら人類初の宇宙にお墓を建てたって、ニュースになるわね」
自分の墓廟でもないのになぜか得意げに自慢する詩亜。レインウォードは苦笑いをする。カナンは話を聞いていないのか、じっと宮殿を見つめていた。
「どうしたのカナン」
「ayi。別に。ヒトの造るものの中にもいいものもあるんだと思い直してたところさ」
「ふふん。でしょ」
「シアが威張ることなのか?」
そう言って隣で吹きだしたレインウォードに詩亜は肘鉄を食らわせれば「いてて」と脇を擦り距離を置く。二人の行動を見たカナンは「いい年した大人なのに」と溜息をついた。ようやく三人の調子が戻ってきたようだ。
「で、これからどうするの。一日はゆっくりするんでしょ」
「ああ。さすがに続けてトムトム鳥に揺られるのは勘弁だな。今日はギルドの依頼を達成させるのと、買い足しと観光か。明後日の早朝にはここを出発したいところだな」
「nuf。なら僕はそれまでは宿でゆっくりさせてもらうよ。ここまで神経使ってたから疲れたし」
「わかったわ。ずっと策敵してくれてたものね。有難う。ゆっくり休んでね」
「aa。そうさせてもらうよ」
道中ずっと障魔が出ないかと魔力でもって策敵をしていたカナンは、こめかみをぐりぐりと押さえると首をコキコキと鳴らした。昼夜問わずのそれにはさすがに疲れたようだった。
「じゃあ、カナンを休ませるためにも宿へ行くか」
「そうね。……ふぁあ。ねむ」
一五三歳とはいっても、まだまだエルフの中では幼い部類。しかも、見た目もヒトの十三才と同じくらい。一番の年長者であるが、その見た目ではやはり詩亜とレインウォードは、見た目=年齢でカナンを見ているようだった。
そうして少し歩いただけで見つかったメインストリートにあった宿屋へと入ると、レインウォードはさっそく一泊宿をとる。部屋は二つだ。同室のカナンを部屋で留守番させ、口にはしないが同じく疲れているであろう語詩亜を別室に入らせたレインウォードは、一人で買い足しを済ませるためにまた宿を出ていく。
一人建物との間に身を潜ませている女がいた。
「へえ、エルフの坊やでいいかと思ったけど、あの男でもいいかもしれないわね」
宿屋を出てきたレインウォードをショート髪の女が尾行する。だがレインウォードはそれに気づいていないのか、何店舗かで買い足しを済ませると、今度は武器屋へと行くようだ。武具店が建ち並ぶエリアへと向かっていた。
「んふふ。さーて、どうやって近づこうかしらね」
その女は胸部と腰だけを赤の服で隠した装いで、暑い砂漠地方にあまり見ないいでたちだ。一応、二の腕からの黒い長手袋と、黒いニーハイソックスと茶色のブーツを履いていたが、照りつける太陽の光を受ける服装ではない。腰の後ろには二刀のダガーを交差させて着けている。その装束はまるで暗殺者のようにも見えた。だが、行き交う人々は誰も気づかない。それだけ女の気配の消し方が上手いのだろう。
女はそうっとそうっとレインウォードの後ろを気配を隠して進んでいると、すっとレインウォードが消えた。
「……ちっ」
舌打ちをして素早くレインウォードの消えた路地へと入っていく怪しい女。
進んでいくが、行き着いた先は袋小路でそこには誰もいなかった。
「俺になにか用か」
背後から声がした。
「ふっ……」
女は振り向きざまに素早くダガーを逆手に持ち振り抜く。
キンっと刃がぶつかる音がした。振り抜いたダガーは剣で受け止められたようだ。
「やるわね。だけど……これはどうかしら!」
後ろに跳び退ったかと思ったら、今度は低姿勢でタックルをかますようにしながら突進する。けれどレインウォードはそれを寸ででかわすと剣の柄で女の首を強打。女はそのまま勢いを殺しきれずにつんのめった。そしてレインウォードはダガーを遠くへ蹴り飛ばして女の両腕を背中へ持っていき強く拘束した。
「離せっ」
「お前の行動を見るとこのまま離すのは得策じゃないな。なぜ俺を尾行した?」
「……」
「言わないと憲兵に突き出すぞ」
更に拘束を強めると、呻き声をあげながら女は質問に答えた。
「くっ……あんたがエルフの仲間だからよ!」
カナンの仲間だから後をつけたという女。レインウォードすぐに察する。
「人身売買か」
「そうよ! あのエルフの子供を売れば大金が手に入る。そうすれば……っ」
悔しそうに顔を歪めて言う女にレインウォードはなにかわけありなのだなと思うが、カナンは大事な仲間だ。その仲間を捕まえて売りに出そうというこの女に温情をほどこすつもりは毛頭ない。
「お前の事情など知ったことか。牢に入り大人しくしているんだな」
皮袋に引っ掛けていた縄をとると、レインウォードは器用に片手で女の両手を縛る。ナイフで余った分の縄を切って別けると今度は両膝を縛った。これで女からの反撃は受けないだろう。蹴飛ばしたダガーも腰に装着されていた鞘を外して収める。武器を取り上げ縄で拘束してしまえば、女は無力だ。そして、止めとばかりに布を口の中に押し入れて、出されないように口も別の布で覆い縛った。
「立て。詰め所へ行くぞ」
「んーっ、んー!」
「諦めろ。お前のしようとしたことは絞首刑になるようなものだぞ。エルフの売買はハーシュベルツ国の法律で禁止されているからな」
ぽろぽろと涙を零す女にほんの少し罪悪感が芽生えたレインウォードだったが、女のしようとしたことを思い出すと、これでいいんだと頭で納得させた。あんなことをする女だ。この涙も演技に違いない。そう言い聞かせ、詰め所へと歩みを進めるが、しばらく進んで気が変わったのか、方向転換をして歩き出した。
そして、着いた先は詩亜とカナンがいる宿屋。女はなぜこここに、といった表情をしてレインウォードを見るが、表情を変えず女を連れている彼からはなんの情報も読み取れなかった。
宿屋のおかみの視線を無視し、レインウォードはとっている二階の部屋へと行く。そして、カナンのいる部屋ではなく、その隣の詩亜のいる部屋の扉をノックして声をかけた。
「シア。起きているか」
「はーい。起きてるよ」
がちゃ、と扉を開けた詩亜は少し驚いたが、レインウォードが顎で中へ入れてくれと促すと、立ち位置をずらして招き入れた。
「なに。どうしたのその人」
状況が飲み込めないと詩亜はレインウォードと縛られている女とを交互に見る。
「カナンを捕まえて人身売買をしようとしていた」
「え! 人身売買!?」
「あまり大きな声を出すなよ。カナンに気づかれる」
「……どういうこと。あなた、本当にカナンを売ろうとしたの?」
「……」
詩亜が女に近づいて問いかけるが、猿轡をしているためにしゃべれない。猿轡をとってもいいかとレインウォードに視線をやると、レインウォードは女を椅子に座らせて、膝を縛っている縄を外すと、四足の前部分に両足をそれぞれ縛りつけた。そしてそれを見ていた語詩亜と目が合うと、うんと頷いてみせる。
猿轡を外された女はふうと息をつくと、こほこほと咳をした。喉が渇いたのだろうと、詩亜はコップに水差しから水を移して女の口元へともっていくと、それに驚いた女は詩亜をじっと見つめてから、コップに口を寄せた。女はごくごくと飲み干した空のコップを見ていたので再度水を入れると、今度も飲み干した。そして、落ち着いたのか、椅子の背もたれに体を預けた。
「落ち着いた?」
「水、ありがとう」
「それはいいのだけど、あなた本当にカナンを?」
「そうさ。あたしはあのエルフの坊やをとっ捕まえてお貴族様に売り飛ばそうとしたんだ。まあ、失敗に終わったけどね」
「なぜそんなことをしようとしたの?」
「……金がいるからさ」
少し俯いてそう言う女。詩亜は何か事情があるようだと、それを聞き出すことにする。レインウォードはなにか起きても対処できるように、剣の柄に手を置いた。
「どういうことか話してもらえるかな。あなたのやろうとしたことは許せないけど、事情があるなら話してみて」
「闇闘技場の剣闘士にあたしの弟がいるんだ。その弟が明日の夜、障魔と戦わされる。けど、金を出せば解放してくれるって……あたしは弟を助けたいんだ」
悔しそうにそう言う女に嘘は見えない。よほど演技が上手くなければ、こんなに切羽詰った表情で、苦しそうな声で話はしないだろう。
詩亜は、そんな女を見て、なにかできないかと思った。




