レイニィウスの泪 第九話
レィナ・セは熱帯雨林だ。年間の降水量も多く温暖でとても暖かい。山の高低はさほどなく高さ二,〇〇〇ムィほどまでしかない。樹木も多種多様で低地では下層、林冠、超出木の三層からなり、一番高い樹木では高さ五〇ムィを越えるものもある。下層では低木や蔓ものが多く剣などで捌かないと歩くのもままならない。
そんな中を詩亜とレインウォードの二人は少しずつだが進み続けている。今は太陽が真上にきている光の始光の刻(十二時から十三時二〇分)だがあまりにも樹木が多いため日光は遮られあまり光は届かない。だが、場所によっては日光が届く場所もある。その理由は詩亜とレインウォードの二人は知らなかったが。ただ単に山火事などで樹木が減り日光が届くようになっただけなのだが。そういう場所はとくに歩きにくく、詩亜はそれを見るたびに辟易するのだった。
「はあ、はあ。この道なき道を行くってのがまたあれね。太陽の位置もあまりわからないし薄暗い。これ、方位磁石がなかったらジャングルの中を迷子になっておしまいね」
「ああそうだな。レィナ・セがこんなに植物の多い地域だとは……これでは何かを見つけるのにも一苦労だ。せめて道でもあればいいのだがな」
「道~道よーでてこ~い。そして私たちに快適な旅をさせなさ~い! ってぎゃあ! 虫! しかも蛭! ぎゃああっ」
「シア……疲れてるな」
両腕を上げながらそう喚く詩亜を呆れつつも少し同感した様子で見るレインウォード。渡し舟に乗っているときは船酔いもせず波に乗った船の上で楽しそうにしていた詩亜だが、実はもうここ十二日ほど歩き通しだった。
このじめじめした虫の多い地域を野宿しながら剣で道を作りながらの行程は詩亜には相当きついものがある。たまに小川があれば粘土石鹸でかるく髪を洗ったり洗濯をしてすこしでも気分をさっぱりさせていたが、度重なる疲労はどんなに休んでもなくなるものではなかった。
レインウォードの所持していた簡易世界地図を見ると、今、詩亜とレインウォードの二人は南東へと歩みを進めていた。簡易というだけあってかなりアバウトな作りの世界地図で、正確な形を知ることはできない。この世界では空から見たような正確な世界地図はなく人々の見聞でこの辺りからこの辺りまでをどこどこや、あの辺りからあの辺りまでをどこどこといったふうにしか作られていないのだ。
詩亜は見せてもらった世界地図の一角を見てあるものを思い浮かべたが頭の隅に追いやった。いくらなんでもそれなないだろうと考えたのだ。ちなみに今いるレィナ・セ大陸はハーシュベルツ国がある中央大陸の南東に位置している形にすれば『つ』に似ていた。だが見る者によっては『コ』でもあり『へ』でもあるし『フ』でもある。そんなアバウトさの地図だ。レインウォードが言うには大体の位置が掴めればいいのだそうだが。ここでも時計がないこの世界で思ったのんびりさが表れているようだった。
「今はのこ地図でいうとまだ一〇分の一もきてないのね。あとどのくらいあるの」
「話に聞くとちょうど中央にあるらしい。あと二〇日以上はかかるだろうな。ここには辻馬車がないからひたすら歩くしかないのが厳しいが」
「ま、まだそんなにあるんだ。エルフってその中央辺りにしかいないのかな。ほら、人なら途中に街や村があるでしょう」
「どうだろうな。そんな話は聞かなかったが、里の位置も噂程度だしな。もしかしたらもっと近いのかもしれんし遠いのかもしれん。街や村もあるのかもしれんしないのかもしれん。まあつまり俺は知らんということだ」
「はああ。まあそうだよね。そもそもエルフと人って関わりあいがほぼないみたいだし」
「ああ。たまにはぐれエルフが中央大陸にもいるらしが俺は見たことがない」
「そんなに希少なら情報がなくても仕方ないか」
「そもそもエルフってのはだな……」
レインウォードに詩亜が聞いた話によると、エルフは森の民で森から出ることはあってはならないことらしい。見た目は森の些細な音をも拾うことのできる長く平べったい耳を持ち、身体能力は木々を上り行き来できるほどの身軽さ。どんなに小さな動きでも見破ることのできるよい目を持ち、動物達と会話のできる歌声を持つ神秘の生物らしい。顔の作りも精霊の化身といわれるほど美しく、見た者は魅了されるのだとか。
そのため人工物は苦手で人のいる場所には滅多にいないらしく、出ること自体ほぼないのでまず見かけたら人に捕まえられ観賞用として奴隷商で売買されてしまうそうだ。ちなみに魔族も似たようなものなのだが、肌の色が青色で人との関わりはエルフほど避けられていないために、エルフのような扱いはあまり受けないでいる。
「ふうん。やっぱりエルフって私の世界でいうのとほとんど同じなんだ。もしかしたら他にも世界があってその世界でも同じような感じなのかもね。人だって私とレインじゃ変わってないじゃない。なんだか不思議」
「そうだな。生態も同じといっていいだろう。俺達を創った神が同じなのかもな。ちなみに俺達の神の名は至竜レイニィウスという。神話だが……」
長い道のりの会話を続けるにあたり場を長持ちさせるためレインウォードは神話を話し出す。
始めに宇宙の原初の神が気まぐれに名も無き惑星を誕生させた。宇宙の原初の神はその惑星に一つの卵を落とし竜が生まれる。
神はその竜に名をつけて惑星を託した。竜の名はレイニィウス。
レイニィウスは純粋で穢れ無き存在であった。その為宇宙の原初の神は数多有る惑星の記憶を贈った。善悪を知らす為だ。
レイニィウスはその記憶を元に人型の生命体を作る。作られたのは三人で不死の者だ。
五〇〇年後、その三人はそれまでレイニィウスと共に世界の構築に尽力していたが、やがてレイニィウスも手を掛けるのをやめ進化を見守ることにしたので、三人もそれを見習って神官となり世界のバランスを保つ役割を担うことにした。
惑星にはまだ空に浮かぶ小さな大地しかなかったが、悠久の時を経ていくつもの大地が繋がって大陸となっていくだろう。レイニィウスはしばらく眺めていたが、ゆっくりと良い方向へと進化していく生命たちを見て安心して眠りについた。
それから三〇〇年余り後、大地もいくつか増えて大きな大陸になった。
大陸に住む人型の生命体はいくつもの種族ができており始めは共存していたが、次第に種族に適した住む場所や互いの種族の価値観や思想に違いができはじめ、種族ごとに分かれて生活を営むようになる。
それは疎遠になった種族間に争いを生むこととなり、肥大化していきやがてとても大きな戦争となった。
三人の神官は良いほうへ導こうと尽力するも、もはや意思を持ち負の感情に支配された者達には届かない。
一〇〇近く続いた戦争に深い眠りについていたレイニィウスは目を覚ます。その目が写したのは広がる荒れた大地に枯れた森。
生命たちに根付いた負の感情は取り除くことはできなかった。強大な負の感情はやがてレイニィウスへと押し寄せ、数多有る惑星の記憶は受け継ぐも心はまっさらなままだったレイニィウスは耐え切れず倒れてしまう。いくら神とはいえど、途方もない数の負の感情を全て受けきることはできなかった。それほどまでに生命が溢れかえりそして死んでいったのだ。
惑星を覆っていた水に倒れたレイニィウスの影響で浮遊していた大陸が力をなくし同じく水に沈みこむ。
レイニィウスの上へと落ちた大陸を被り、レイニィウスは目覚めることはなくなった。
僅かに残った大地に残された運の良い生命たちは過ちを知り争いは終わる。だが代償はとてつもなく大きいものだった。
生き残った生命たちの中で争いを疎み善の心を持ち続けた生命たちは三人の神官と共に、横たわったレイニィウスの大陸へと渡る。そしてレイニィウスを思い偲んだ。
すると、レイニィウスの目があるとされる場所に大きな湖ができた。それはレイニィウスの泪だった。
その泪の中心部から一滴の泪が宙へ浮かび上がり、乙女になった。
乙女はレイニィウスの御使いとなり虹色に輝くオーロラをレイニィウスの体に掛けた。その後瞬く間に大陸に大森林ができ、生命たちもまた増えていく。
大陸全体は緑で溢れると、三人の神官に付いてきた生命たちの中で人型の者達はつま先にあたる位置にある高い山に一つの神殿を建てる。
その神殿に三人の神官は入り、レイニィウスと共に永久に争いを禁じることを誓う。付いてきた生命たちもそれに習い守ることを選んだ。
そこまで見届けた乙女は光となり空に拡散して青い月ができた。
その後レイニィウスの大陸は渡ってきた人型の生命たちによってシシエランカと呼ばれることとなる。倒れてから一,〇〇〇年経ったことだった。
それから更に二,〇〇〇年経ち、いつしか紫色の濃い霧のようなものが僅かに残った大陸から噴出し始める。それに浸った生命は正気を無くし見境なく他の生命を襲い出す。その為その霧は障気と名づけられた。
障気は浮遊大陸と共に落ちて助からなかった大多数の生命達の負の感情、闇の心が具現化したものだった。
やがて障気はシシエランカにも現れ、侵された生命たちが出始める。
障気に侵された生命は体に施されている、限界突破して体が壊れないようにされていたリミッターまでも解除してしまい、障気から元に戻る術もないために倒すしか助ける方法がなかった。いつしか障気に侵された生命は障魔と呼ばれ討伐が当たり前となる。
三人の神官も手を尽くしたが、生きたまま障気を取り除くことは出来なかった。そこで、乙女に縋ることにした。
神殿の祭壇で祈りを捧げると、祈りが通じて乙女が現れた。
しかし、もはや障気は乙女でもどうすることもできないほど強いものとなっており、乙女も倒れてしまう。
だがその後、神官らの力により世界は辛うじて保たれることとなった。
「これが神話、これまでの世界の歴史だ」
「え、乙女でも駄目だったのに神官で大丈夫だったの?」
「さあ。俺達が教会で教えられているのはここまでだし皆そう信じている」
「ふうん。なんか取ってつけたようで変な感じ。まあ宗教ってのは何かしら裏があるものだものね。本当かどうかは上層部くらいしか知らないんだろうけど」
「そうだな。俺もそれほど信じてはいないからな。ただ熱心な信者には言うなよ。手痛い説法が待っているからな」
「なんかもう説法されたみたいな言い方ね、経験者は語るみたいな」
「さあな」
レインウォードから神話を聞きつつ歩いているとちょうど空がみえる位置まできた。そこは少しばかり小高い丘になっていて空の隙間から見える景色はやはり森森森。まだまだ歩みは続きそうだった。そんな果てしなさを感じて疲労感一杯の詩亜はあるものを見つける。
「煙!」
「煙?」
「きっと人がいるんだ! 行ってみよう」
そう言って一瞬で疲れも吹っ飛んだ様子で詩亜が駆け出した。急に駆け出したためレインウォードは出遅れるも自身も煙を認めて詩亜の向かったほうへと駆け出す。
「人じゃなくてエルフかもしれんが……なんにせよ行ってみるしかないか」
ひたすら煙の方へ走る詩亜。追いついたレインウォードと平行して走る。剣で草木を凪ぐ早さも随分と上がったようで、だらだらと歩いていた時とは全く違っていた。
三〇分ほどだろうか。しばらく進んだ辺りで少し背景が変わってくる。見晴らしがよくなってきているのだ。よくよく見ると地面も変っていた。剣で凪ぐこともなく進めているのだ。そしてなんとそこには野菜が植わっていた。やはりここに人かエルフがいるのは確かなようだ。野菜を見た詩亜とレインウォードの二人は互いに頷きあいそのままぐんぐん進む。
そうしてまた三〇分ほどだろうか、しばらく進んだところで屋根が見える。
「やっと着いた!」
「だな。しかしこんな場所に小屋か」
「otihuoyaknan、nian」
ほっと一息ついていたところに背後から声がかけられる。しかし聞こえてきたのは聞いたこともない言語だった。そしてそこにいたのは一人の男の子。レインウォードに聞いたとおりの容姿のエルフだった。
金髪碧眼で髪は肩まで下ろしている男の子の肌は白磁のように滑らかで美しい。服装は白のハイネックに白いズボンで上着に空色の厚手の太腿までの長さのある長袖を着ている。そして茶色の革のブーツを履いていた。変わっているのは上着のうえから蔓草を体に巻いていることだろうか。右腕まで巻かれている。水もないのにとても新鮮な蔓草だった。左腕には蔓草はないが、上着の裾を濃い水色のリボンで巻いていた。
「なに、なんて言ったの」
「エルフの言葉か。すまないが俺達は森の民の言葉を理解できない。俺達にもわかるように話してくれないか」
「adnuiotadakabahngeninarakaderok、nuf。これでわかる?」
「ああ。助かる」
「……なんか引っかかる感じだけどまあいっか。ところで君、ここに住んでいるの? あ、私の名前は語詩亜。シアって呼んでね」
「俺はレインウォード・グロリアスだ。レインでいい」
「oyianeihsoahuoymnohodekad。ugik・umorotuhse。カナンって呼んで。シア、レイン」
「カナンね。よろしく」
握手をしようとした詩亜だがカナンにぷいとそっぽを向かれる。どうやら馴れ合う気はないようだ。気を取り直して情報を聞きだそうと話を続ける。
「実は私達レィナ・セまで旅をしているのだけどここからどうす進めばいいのか教えてくれないかな。とても困ってるの」
「?aah、なんで僕が教えなければいけないの。君達人に教える気は残念ながらないよ。他を当たってくれる」
「う、そこをなんとか!」
「俺からも頼む。少しでいいんだ。この世界地図に大体の場所を書き込んでくれないか」
「irawotoko、nuf。はっきり言うけど、僕は人が嫌いなんだ。だから君達とこれ以上話すのもお断り。帰ってくれる」
なんともつんけんしたカナン。これ以上は何も言っても無駄だと思ったのか、詩亜とレインウォードの二人はそっとその場を離れる。せっかく出会ったのに残念な結果になってしまった。
「aranuresan、etutlam。ナセルなら今日の夕方までにはつくよ。エルフの村。そこで案内人を探すといいよ」
「え、ナセル? どの辺?」
不意に掛けられた言葉に素早く反応した詩亜はレインウォードから世界地図を借りるとカナンのところへ走り寄る。そして今いる辺りを指し示してどこどこと聞くのだった。
「igusakihc、awu。ここ。今いる僕の家がここで、ナセルはその少し南にあるんだ。距離的には今日の夕方頃にはつくと思う。後はそこで聞いて」
「うんうん、有難うカナン! それだけ教えてくれるなら大感謝だよ」
つい感激し過ぎた詩亜はカナンの手を取りぎゅっと握ってぶんぶん振る。それに慌てたカナンな振りほどこうとするも意外と詩亜の握力が強かったのか振りほどけなかった。仕方なくカナンはされるがままになる。
「ahotiharakaderok、aah。もういいでしょ。離してくれる」
「あら、ごめん。でも本当に有難う。助かったわ。じゃあ私達はもう行くね」
「助かった」
そう言って詩亜とレインウォードは小屋から離れていく。それを見送ったカナンは一言呟くのだった。
「etutlatutliinuresanesuod」
さて、カナンの小屋を離れて南下していく詩亜とレインウォードの二人は剣で草木を凪ぎながら地道に
少しずつ歩みを進めていた。
時は既に光の始火(十六時から十七時二〇分)の刻。小さく見える空の窓は夕日で橙色へと変わっており、カナンの話の通りならばそろそろナセルに到着してもよい頃合だ。
「そろそろ着いてもよさそうよね」
「ああ。……ん、あれじゃないか。ほら、向こうに建造物が見える」
「あ、ほんと。行ってみましょ」
目的地が見えたことにより俄然歩みは強まった。あっという間に辿り着いた先は乾燥した草木を屋根にした家屋が何軒か建てられている村だった。ここがカナンの言っていたナセルなのだろうと詩亜は思う。
「あ、いたいた。すみませーん」
「oregin !adotih !awu」
「ああっ、待ってください! お聞きしいたいことが」
「akonomuraodanotokusanahinotih、iasuru」
何を言っているのかはわからなかったが詩亜との受け答えではよい感情は読み取れなかった。何かを話したエルフの青年は民家へとはいるとばたんと扉を閉めて籠もってしまう。
「ああ、逃げられちゃった」
「やはりエルフと人は相性が悪いんだな。まあそんなことを言っていても仕方がない。ここで案内人を探さないとレィナ・セへ辿り着くのは難しいだろう。なんとかして話してくれるエルフを見つけないとな」
「そうね。なんとかして家の扉開けてもらわなくちゃ」
何軒か民家を訪ねてみるがどの家も硬く扉を閉じておりひっそりと息を潜めている様子が窺える。どうやらエルフに相当警戒されてしまっているようで、とてもではないが家の扉を開けてもらえる雰囲気ではなかった。
「これは駄目ね。とてもじゃないけど話を聞いてもらえる感じじゃないよ」
「……だな。仕方ない。もう一回りして駄目ならカナンのところに戻ろう。そしてなんとか頼んでみるんだ」
「そうね、それがいいかも。じゃあ右回りで行ってみよう」
だが、結局どの民家も扉が開くことはなく。詩亜とレインウォードの二人は来た道を再び戻りカナンの小屋へと行くことにした。そうして戻った頃には深夜の闇の中土の刻(二十一時二〇分から二十二時四〇分)になっており、そような刻に小屋を訪ねるのも悪いと二人は近くで野宿することに。
そうして翌日。
朝早く起きた詩亜は大きく背伸びをするとレインウォードを起こし素早くテントを片付ける。
「おはようカナン。いるー?」
詩亜が小屋に向かって声を掛けるが返事はない。カナンは気づかぬうちに出かけてしまったのだろうか。一瞬そう思ったがそれはないと思い直す。これまで随分と野宿を繰り返してきて気配には敏感になっている。そんな自分が気づかぬわけがないと詩亜は思う。やはりカナンはいる。
そうなると何故出てきてくれないのか。もしかしたらまだ寝ているのかもしれない。それか病気になってしまい出てこれないか。詩亜はそう考え、カナンが起きていてわざと出てこないのだということなど考えもしなかった。それが詩亜とレインウォードの二人にとってはよいほうへと動くことになる。
「カナン! 大丈夫? 頑張って! 今開けるからっ」
「お、おい。どうしたんだシア」
「カナンが病気なの! だから早く助けないと」
「あ? いや、ただたんに……」
「レイン! 突っ立ってないで早く開けるの手伝いなさいよっ。じゃないといつまで経っても開けられないじゃない。こうしている間にもカナンは苦しんでいるというのに!」
「え? あ、ああ」
それは違うと思う。レインウォードは言えなかった。言えなかったがそれでもよいと思った。何故ならばどちらでもよかったからである。
たとえ本当に病気ならシアの魔法で治して恩に着せてレィナ・セまで案内させればいい。そしてもし違うのならば説得して案内させればいいだけなのだから。ただ、その説得が大変そうなのは困ったものだが。
カナンの昨日の様子を見ればなんとなくわかる。カナンは人が他のエルフと同様に嫌いなのだが、そのエルフからもあまり好かれていないように見えた。そうでなければこのような場所に一人で暮らさないだろう。そんな者が案内役を進んで買って出てくれるとは思えない。
それは詩亜も気づいていてもよさそうだが。いや、気づいていてわざとこうしているのかもしれない。開けてくれないのなら少々強引でもこちらから開けてしまえばいいのだ。レインウォードは詩亜の押しの強さに掛けてみることにした。きっと開けてしまえば詩亜がなんとかしてくれるだろうと。
それから二人は体当たりでダンダンと小屋の扉を破ろうとしていた。だがなかなか扉は頑丈で開かなかった。なにかつっかえ棒でもしているようである。
「もう! 急いでいるのに。こうなったら……深淵にて燻る地獄の業火、《キ=シィ=シスカ》!」
隣にいたレインウォードはそれは驚いた。片方にいた詩亜がいきなり魔法を使い出したのだから。詩亜が使用した魔法は火炎の魔法。指定した小範囲を火炎で焼くものだ。いきなりそんなものを使われたら目を見開いて驚くだろう。
それはカナンも同じだったようで。
「!adnurusinan」
魔力を感知したのかカナンが扉を開けて小屋を飛び出してくる。だが一歩遅かったようで、詩亜の放った火炎の魔法は扉だけでなく小屋全体へと燃え広がってしまうのだった。しまった語詩亜が思った時はもう遅く、火はあっという間に燃え盛る。
「うそーっ、扉だけのつもりだったのに! このままじゃ小屋が燃え尽きちゃうよどうしよう!?」
「こうなってしまってはもうどうしようもないだろう。せめてもの救いはカナンが家の外に出てきたということだな」
呆然と燃え広がっていくの炎を見ながら詩亜は両膝を地面へとつく。
「……adnateruketihsowotoketnan」
その隣で突っ立ったままカナンがそう呟く。三人は朽ち落ちていく小屋を見守りながらただただどうすることもできずに無力なまま微動だにしなかった。
そしうして小屋が完全に全焼して炭になった木を見ながらしばらくしたあと、カナンが大きく溜息をつく。その声に気づいた語詩亜はカナンの体中をぺたぺたと触り始めた。
「カ、カナン! 病気は? 無事? 痛いところあったら言って。治すからっ。ううん、どこかわからないし全身治さなくちゃ! 慈悲の涙、奇跡の雫、《ナ=スィ=キリル》」
詩亜の唱えた呪文がカナンの全身に広がりぽうっと優しいい青白い光が広がっていく。その光に包まれながらカナンはえ、と思った。自分はどこも病気になどなっておらす、ただ単に詩亜とレインウォードの二人に会うと面倒なことになると思い居留守を使っていただけなのだ。なのに、この詩亜は自分が病気だと勘違いをして扉を破り自分を助けようとした。結果、小屋は全焼してしまったが。だがこんなにも自分を思い行動に移してくれる者などカナンは知らなかった。とまどいながらもカナンはどこ悪くないのに治療を黙って受け続けた。そして光が消えた後。
「a、ありがとう」
「ううん。これで治ったんならよかった。駄目だよカナン。病気なら早前に薬を飲まなくちゃ。私が水魔法使えたからよかったものの、もしこなかったら治るまで苦しむことになったんだからね」
「u、うん」
カナンは思う。別に自分は病気でもなんでもなくただ家を燃やされた被害者なのだが、何故ここまで親身になって心配するのだろうかとそっちのほうが気になった。昨日会ったばかりの他人なのに。詩亜とレインウォードの二人だけでここに戻ってくるのを見ると、やはりナセルでは案内人を見つけることはできなかったのだろうと、それで自分に頼もうと考え戻ってきたのだろうことくらいはわかる。だがそれにしたも詩亜のこれは利用できそうな者を救うにしたっていき過ぎていた。
カナンは全焼してしまった小屋をみて決める。それはここまで自分のことを思ってくれるものがいいたから絆されたのではない。ただ、小屋を燃やしてしまった詩亜がもう一度小屋を建てる資金を集めさせるために、逃げないように付いていくのだと言い聞かせて。
「enarakadnianajekawatutlakihseruinuteb。わかったよ……案内は僕がする。森まで燃やされちゃ敵わないからね」
「シア、もう少し後先考えてから行動しろよ」
「う、二人ともごめんなさい」
こうして詩亜に小屋を全焼されてしまい住む家をなくしたことを理由に、詩亜とレインウォードのたびの仲間に新たにエルフのカナンが加わった。この三人がレィナ・セに着くまであと徒歩で二〇日間。中央大陸からレィナ・セ大陸に着いてから全部で三二日の行程だった。
その行程の間にも詩亜とレインウォードとカナンの三人は親睦を深める為に色々と話をしながら進む。カナンは性格で言うと天邪鬼。だが詩亜はそれすらも包み込んでしまうような暖かさをもつ女性だった。母親を物心つく前に亡くしたカナンにとって、それはとても暖かくまた不安になるものでもあった。いつかそれがなくなってしまうのではないか。案内を終えたらお役御免とばかりに別れてしまうのだろうと。それだけが今は心配事であった。




