レイニィウスの泪 第七話
詩亜は土水火風の第一段階の魔法を思い出す。
土属性は先ほど唱えた《コ=シィ=キリル》で対象に守りを与える魔法。詠唱は、慈悲たる母の抱擁、コ=シィ=キリル。
水属性は《ナ=シィ=シスカ》対象の頭上に氷のつぶてを降らせる魔法。詠唱は、凍てつく大気の波動、ナ=シィ=シスカ。
火属性は《キ=シィ=シスカ》指定した小範囲を火炎で焼く魔法。詠唱は、深淵にて燻る地獄の業火、キ=シィ=シスカ。
風属性は《セ=シィ=シスカ》対象を真空の刃で切り裂く魔法。詠唱は、厳粛なる静寂への誘い、セ=シィ=シスカ。
そして唯一覚えている土属性の第二段階は、《コ=スィ=シスカ》対象の足元を隆起させて攻撃する魔法。
詠唱は、怒れる大地の隆動、コ=スィ=シスカ。だ。
《コ=スィ=シスカ》はこの前の試しですでに使えるのを実証済みだ。そして今、コ=シィ=キリルも使えることが判明した。詩亜は土属性に適正があるのかもしれない。だけど他の属性も使えるならば戦う幅も広がる。詩亜は試しに水火風の魔法を使ってみることにした。
「シア! なにぼさっとしてる、そっちに行ったぞ!」
考え事をしているとレインウォードの声ではっとした詩亜は前方を見た。すると目前には猪の障魔が迫っていた。レインウォードは少しでも軌道をずらそうと、短剣を再度猪の障魔に向かってひゅんと投げつける。それは左前足の付け根にぶすりと刺さり、ヒギィと鳴いた猪の障魔の軌道は少しずつずれていく。
「姉ちゃん!」
「わ! ちょっ」
レインウォードの機転もあってかなんとか詩亜はずさあっと地面へ飛び込んで避けられたが、猪の障魔は詩亜を目標に定めたようで、ざっざと砂を蹴っていつでも突進できるようにタイミングを計っているらしい。
猪の障魔は紫の霧を身に纏っている。あれを吸い込んだら自分も障魔になってしまうんだろうかと考えるが、レインウォードを見る限りではそうではないらしい。彼は口元を覆っていたりはしていない。
猪の障魔は依然こちらの様子を窺っている。こうなれば戦うしかないと詩亜は両手で握りこぶしを作り構える。が、レインウォードにとってはそれは危なっかしいものにしか見えず、詩亜の前へと駆け寄ると庇うようにして剣を構えた。
「おいおい、武器も何も持ってないんだ。素手でなにしようってんだ。大人しくさがっててくれ」
「あ、ごめん。つい」
「姉ちゃん、こっち」
詩亜もレインウォードに指摘されて自分がおかしな行動に出ていたことに気づいたらしい。リードが木陰から詩亜に合図を送り呼んでいるのに気がついた。
詩亜は猪の障魔はレインウォードに任せてリードの方へひとまず移動することにした。
「危なかったね、姉ちゃん」
「うんうん。でもレインウォードがなんとかしてくれると思うけど、そうだなあ、私にも出来ることがあるんだよね。ねえ、レイン! 私、魔法使ってみる」
「魔法? そうだな。こうして睨み合っていても仕方ないか。シアの魔法で隙が出来たら俺が止めを刺す」
「わかった。じゃあ、いくよ……凍てつく大気の波動、《ナ=シィ=シスカ》!」
詩亜の唱えた魔法はきちんと猪の障魔の頭上に氷のつぶてを降らせることができた。ヒギィと鳴いて体勢が崩れたところにレインウォードが走り、剣を突き出して猪の障魔の脇腹をうまく刺すことが出来た。そこへ詩亜も畳み掛けるように、厳粛なる静寂への誘い、《セ=シィ=シスカ》と詠唱し真空の刃で切り裂く。レインウォードもまたそれに続いてなぎ払うと猪の障魔から攻撃を体に受けることなく無事に倒すことが出来た。
「やった、みたいだね」
「ああ。シア、やるじゃないか。土に続いて水と風も使えるとはな。第一段階とはいえ三属性も扱えるのは並大抵のことじゃないぞ」
「うーん。相変わらず魔力を感じないんだけどね。でも、三属性だけじゃなくて、他にも使える気がする」
「姉ちゃんと兄ちゃんってすごかったんだね」
三人で会話しているうちに、猪の障魔は核(心臓のこと。魔力が籠もっており硬い鉱石のようになっている)だけを残してしゅうしゅうと紫の煙を出して消えていった。それを見た詩亜は驚く。
「なにあれ、消えたよ!?」
「障魔になるとこの世のものではなくなるというからな。この世との繋がりを持つ核だけを残して消えていくんだ」
「なにそれ、まるでゲームみたい……じゃあもしかしてその核ってお金になるの?」
「なるさ。冒険者ギルドへ持っていくと何の障魔か核を鑑定してそれに応じた額を討伐報酬として貰えるんだ。ギルドランクも場合によっては上がるからな。今回の猪の障魔はせいぜいD+といったところだろう。俺はランクはCだから上がらないが、シアならばE+になるんじゃないのか。後で持っていくぞ」
「そうなんだ。すごい」
詩亜は試しに聞いてみると、案の定ゲームと似たような答えが返ってきた。ますますファンタジー色が濃くなり詩亜は内心わくわくする。
「ふ~ん。冒険者になると金になるんだな。俺も大きくなったら冒険者になってマザー達に楽させたいや」
「体力つけて毎日稽古を欠かさずすれば、よほどのことがない限りはランクCにはなれるんじゃないのか。お前にやる気があるんなら後で剣の型を少し教えてやるぞ」
「うん! 教えてよっ、じゃない。俺に剣を教えてください」
「ああ。俺の稽古は厳しいぞ」
その後も詩亜とレインウォードとリードの三人はヨルンの薬草採集を続け、なんとか必要そうな束を集めることができた。そしてこれから道具屋へ直行してヨルンの薬丸を作ってもらうことにした三人は、ハーシュベルツの森を抜けて東門から入ってすぐの道を左へと曲がり、その道を縫うようにして冒険者ギルドの向かいにある道具屋へとやってきた。
この道具屋は詩亜の旅装を一式揃えた店とは違う店で、冒険者ギルドに認定されている御用達の道具屋だった。ここで作られた薬はよく効くと評判で、レインウォードも何回も足を運んだことのある店だった。レインウォードは慣れた様子でその店へと入っていく。
「よお。おやっさん」
「おお、レインじゃないか。どうした女子供引き連れて。お前のか」
「違う。俺にこんなでかいガキがいるわけないだろ。それより薬を頼みたい。材料は持ってきた。できるだけ早く頼む。病人がいるんだ」
「病人? ヨルンの薬丸で本当にいいのかい。病状によっては飲む薬は違うんだぞ」
「どうなんだ、リード」
「マザーは俺達の食材探しに森へ行ってそこで障魔に会ったんだ。逃げてきたときに負った傷のせいで熱も出てて……頼むよおっちゃん、マザーを助けてくれよ」
泣きそうな顔でリードがマザーの容態を説明すると、どうやら受けた傷が化膿して熱が出ているようだった。道具屋の主人もすぐにそれに気づくと、それなら大丈夫だとすぐにヨルンの薬丸作りに取り掛かってくれた。
その様子にひとまずほっとしたのか、リードが床へとしゃがみ込む。語詩亜もリードを気遣って一緒に隣にしゃがむと、背中を撫でて大丈夫と言うのだった。
それからしばらくすると奥から道具屋の主人が戻ってきた。そして出来上がったヨルンの薬丸をリードの手に持たせる。
「ひとまずこれだけあれば大丈夫だろう。一週間分だ。毎日食後に飲ませるんだ、いいな」
「わかった。おっちゃん、他にすることはある?」
「あとはそうだな……これを患部に塗ってやるといい。炎症を抑える塗り薬だ。それと熱さましの薬丸も飲ませるといい。濡れふきんも忘れずにな。そうしてりゃ、一週間もすれば治るだろうさ」
「うん。有難う」
大事そうに受け取っった三つの薬を抱えて語詩亜の元へと戻ったリードを横目で見たレインウォードは道具屋の店主にそっと声を掛ける。
「で、いくらだ」
「しめて二,五〇〇セトだな。化膿止めが一,〇〇〇、頭痛薬が一,〇〇〇、炎症止めが五〇〇だ。材料代の五〇〇は差し引いてある」
「わかった。きっかり二,五〇〇セトある」
「まいど」
銀貨二枚と銅貨五〇枚を道具屋の店主に支払ったレインウォードは、ふうと溜息をついて詩亜とリードの元へと戻ってきた。
そうして道具屋を出てそのまま南区の市民街を通り抜けて、西区側のメインストリートに出ると、そこも通り抜けて狭い路地をぐんぐんリードの案内で進んで行くと、外壁を背にして古ぼけた大きな建物が見えてきた。
「あれが孤児院だよ。俺は孤児でマザーは孤児院の先生なんだ。昔教会のシスターをやってたから今でもシスターの格好をしながら俺達の面倒を見てくれてるんだ」
「そうなの。すごく優しそうな先生なのね。そんな先生にいつまでも辛いままでいてほしくないものね。早く治ってもらわないと。行こうかリード」
「うん」
「なんだよお前ら! ここは僕達の孤児院だぞっ。こっちにくるな!」
「帰れ帰れ!」
孤児院につくと数人の子供達が入り口を取り囲んでいた。威嚇するように箒や棒を持ってこちらを睨んでいる。いきなり見知らぬ他人が来たことで警戒させてしまったようだ。だがすぐさまリードが子供達に声を掛ける。
「あれっ、リードじゃん、なになにどうしたのそいつら。カモでも連れてきたの」
「違う! 姉ちゃんと兄ちゃんはマザーの薬を手に入れるのに協力してくれたんだ。冒険者だよ」
「冒険者? でもそんな依頼出す金なんか持ってねえじゃん」
「報酬は金じゃなかったからな。それよりもほら早くどけ。薬を飲ませなくちゃ」
「「「「うん!(わかった)」」」」
「じゃあ通させてもらうね」
「邪魔をする」
リードの案内で語詩亜とレインの二人は孤児院の中へと入っていく。その後ろを心配そうに四人の子供達もついてきた。その様子から本当にマザーのことが心配なんだなと詩亜は思った。
廊下を真っ直ぐ進んでいき、突き当たりを左へと進むと一つの扉があった。リードはそこで立ち止まるとそっとその扉を開ける。詩亜が覗き込んだその中にはベッドの中で苦しそうにしている老婆が一人横になっていた。
「うう……」
「この方がマザーね。……うん、ひどい熱。桶の水は、ぬるいわね。誰か水を汲んできてくれない。あとできれば布を数枚持ってきて」
「水汲みは俺が行こう」
「お願いねレイン」
孤児院の子供達もそれぞれ布を持ってきてくれる。皆心配そうにマザーの顔を覗き込んでいるが、これから患部も見てみようと詩亜は考えていたので部屋を出て行くように指示する。傷口を子供にはあまり見せたくない。
「これは……この手当てはリードがしていたの?」
「うん。水で洗ったり、時々膿を取ったりしてたんだけど……」
「そう……」
詩亜が見たマザーの傷口は酷いものだった。脇腹に一直線で長さは二〇シィはあるだろうか。ぐちゅぐちゅと褐色の膿が爛れたように出てきている。これは早急になんとかしなくては。詩亜は腕まくりをすると子供達が持ってきてくれた布でまずは褐色の膿を取り除くことから始めた。
「水、持ってきたぞ。……これは酷いな。随分深くやられたもんだ。内蔵までいってるんじゃないのか」
「そんなっ」
「レイン」
「ああ、悪い。他にすることはあるか」
「できればもっと水がほしいかな。リードと二人で行ってきてくれる」
「わかった。行くぞリード」
「うん。姉ちゃん、マザーのことお願いします」
レインウォードとリードの二人は揃ってマザーの部屋を出て行く。
語詩亜はもってきてもらった桶の水に布を浸して絞り、それで傷口を綺麗に拭いていく。丹念に拭いていくと赤茶けた切り口が見えてくる。傷の幅は二シィほど。これは爪などで抉られた後だろうか。この傷でよく老婆が逃げてこられたものだと思った。
「もってきたよ、姉ちゃん」
「有難う。そこに置いてくれる。後はもうしてほしいことはとくにないから。そうね、リード、レインに剣の稽古を付けてもらっえきたらどう?」
「え、でも」
「行こうリード。ここにいても俺たちは邪魔なだけだ。それなら将来冒険者になってマザーに楽をさせるために剣の稽古をしたほうがいいだろう」
「あっ。うん! そうだね。じゃあ姉ちゃん、俺行ってくるよ」
「ええ。頑張ってね」
レインウォードに諭されて今自身がすべきことを教えてもらったリードは、マザーをちらりと心配そうに見たあとにマザーの部屋をレインウォードと共に出て行った。それを見送った詩亜は、持ってきてもらった水を使い、更に丹念に拭いていく。あらかた拭き終わり、傷口は綺麗になっていた。
詩亜は傷口を綺麗にしたところで、炎症止めを丁寧に傷口に塗りこんでいく。そのあとに傷口を覆うように布を張り付けて、更に長めの布を包帯にしてぐるぐると脇腹に巻きつけていく。
その後、水差しからコップに水を注いで化膿止めと頭痛薬をそっと飲み込ませた。そこまでの間に外はもう夕日で赤く染まっていた。
「ふう、こんなもんかな。早くよくなるといいけど……そうだ」
何かを思い出したように詩亜は背嚢から物を取りだした。一冊の本、魔法の基礎を習おうと書かれた魔法書だ。ペラペラと頁を捲ると水の魔法のところを読み始める。水の属性。第二段階。《ナ=スィ=キリル》対象の生命力を回復させる魔法。詠唱は、慈悲の涙、奇跡の雫、ナ=スィ=キリル。と書かれていた。
これだ。と詩亜は思った。この魔法がうまく発動すれば回復の手助けになるに違いない。土属性の第二段階は最初に使えたのだ。水属性の第二段階もできるかもしれない。今日は水属性の第一段階で猪の障魔に攻撃することもできたから、おそらくこの魔法も扱えるはずだ。そう考えた。
「やれることはする。よし、やれるだけやってみよう」
詩亜はすうっと息吸い込むとゆっくり息を吐く。それを数回して息を整えるとマザーの傷口長さ数シィのところで手をあてがい「慈悲の涙、奇跡の雫、《ナ=スィ=キリル》」と唱えた。すると、水色の淡い光が詩亜の手とマザーの傷口を覆い、ふっと消えていった。だが、すでに布で覆っていたために詩亜がそれを知ることはなかったのだが。
数分後にはマザーの息も落ち着いていき、すうっと静かな寝息が聞こえてくる。
「効いたのかな。効いてればいいけど。なんか、手が暖かかった。もしかしてこれが魔力なのかな」
自身の掌を見てそう呟いた詩亜はここではもうすることがないと、片づけをしてから部屋を出た。廊下を歩いて外に出ると、入り口の小さな広場でレインウォードとリードの二人がまだ剣の稽古を続けていた。その様子を他の子供達も真剣に見ている。
邪魔をしては悪いと、詩亜はそっと見ている子供達の隣に腰掛けて、剣の稽古が終わるまで待つことにした。
レインウォードとリードの二人は手ごろな木の棒で向かい合って型の練習をしていたようだ。見た目は剣道に似ているが、片足を前に出してはいない。直立不動でいつ動き出すかまったくわからなかった。
「えい!」
突然リードが頭上から振りかぶってレインウォード目掛けて剣を振り下ろす。詩亜は当たってしまうと思って思わず目を瞑ったが、聞こえてきた音は木の棒がバキと折れる音だった。そうっと目を開けると、木の棒はレインウォードの木の棒で折られており地面に転がっていた。
いつの間に。レインウォードが動く様子は微塵も感じられなかった。あのままでは確実に振り下ろされた木の棒に当たっていたはずだ。なのに実際には当たらずに逆にリードの木の棒が折られている。詩亜は緊張した面持ちでごくりと唾を飲み込んだ。
「まだ動きが甘い。支点を作るなと言っただろう。そうすることで相手に動きを見られてしまう」
「やったつもりなんだけどなあ」
「つもり、ではまだまだだ。まあ、初めての稽古にしてはよくやっているほうだぞ。あとはひたすら続けるだけだ」
「わかった、じゃない。わかりました」
「棒も折れたしここまでだな。日も落ちている。……と、シア。見ていたのか。マザーの具合はどうだ」
お辞儀をして折れた木の棒を片付けに行ったリード。レインウォードはそれを見たあとに敷地内に生えている木に木の棒を立てかけた。気づくと詩亜がこちらを見ていたので声を掛けると、詩亜は立ち上がるレインウォードの元へと歩み寄る。
「うん。きちんと手当てもしたし、水の魔法の第二段階もしてきたから大丈夫だと思う。容態も随分落ち着いたみたい」
「そうか。なら俺達にすることはもうないな。日も落ちたし帰るとするか」
「なに、姉ちゃん達もう帰るの」
「ああ。リード、きちんと稽古を毎日欠かさずするんだぞ。でないと冒険者にはなれない」
「わかったよ。……姉ちゃん、それでマザーはどうなの」
「もう大丈夫よ。落ち着いたみたい。あと六日薬を欠かさず塗って、化膿止めと頭痛薬を飲ませてね」
「わかった。姉ちゃん、兄ちゃん。本当に今日はどうも有り難う」
「いいのよ。じゃあまたね」
「うん」
そこへリードが戻ってきて声を掛けてくる。その顔は少し残念そうだ。だがいつまでもここにいては邪魔なだけだろう。まだ夕飯も食べていない子供達だ。これから食事をとるのだろうにしても自分らがいれば食べていけと食事を奪ってしまうことになる。それは避けなければいけないとレインウォードは考える。
詩亜ならここで皆で食事を、食費は払う、となりそうだがそうではないのだ。そういうことをしてはいけない。言えば詩亜も納得するだろうが、ここでその説明をするわけにはいかない。レインウォードは詩亜を伴って足早に去って行くのだった。
宿屋へと戻ってきた詩亜とレインウォードの二人は食事を終えたあとに各々の部屋でゆっくりと時間を潰していた。詩亜は魔法書読み。レインウォードは剣の手入れ。
今日は予想外の出費があった。仕方のないこととはいえやはり少し懐が痛い。レインウォードは剣の手入れをしつつ、考古学者に会いに行くまではまだ二日あるため、その二日で依頼をこなしておこうと考える。今日の分を取り返しておきたいところだ。
辻馬車に乗る代金もある。このハーシュベルツの王都からハーシュベルツ街道を通り、サルスベルト侯爵領のスタンツリーフまでは辻馬車で一週間はかかる。そこからまたクレスメンの森の間のハーシュベルツ街道を抜けてクレスメンまでも一週間。その後渡し舟でエルフの里であるレィナ・セへ行くのだが、その渡し舟からが問題だ。
レインウォードはレィナ・セには行ったことがない。案内人を頼むにしても、レィナ・セ大森林は亜熱帯で進むのもままならないだろう。そこを案内してくれるような者などみつかるわけがない。第一、レィナ・セ大森林はエルフの領域。普通は人間が踏み込んでいい場所ではないのだ。エルフに案内を頼むにしても、大陸の端まで来るエルフなどいるのだろうか。レインウォードは自ら行くと言ったが、今は少し不安があった。考古学者の調べてすぐに詩亜が帰れればそれが一番いいのだろうが。
「まあ、結果によっては行かなければならないのだからぐちぐち行ってても仕方ないか。それより長旅の準備をしないとな」
レインウォードは気持ちを切り替えて剣の手入れを続けた。
翌々翌日。
考古学者に会いに行き話を聞いた語詩亜とレインウォードの二人だったが、結果としてはなんの手がかりもなかった。
ただ、レインウォードのもってきた祭壇の石は、普段調べている石とは年代は同じだが石の性質が少しばかり違うらしい。レインウォードとしては、普段考古学者が調べている石を持ってきたつもりだったが、どうやら違う祭壇の石だったようで、そこは要検査の必要があるとか。
だがそれを調べるにも長い月日が必要で、今すぐわかるものでもないらしい。それを聞いたレインウォードはやはりエルフの里へと行くべきだと考える。調べ物をできるわけでもない自分らがいてもなんの足しにもならない。それよりも他にすることがあるのならそちらをするべきということだ。それは前にも思っていたことで、レインウォードは詩亜を連れて行くことにした。
背嚢にできる限り保存食を詰め込んだ後、詩亜とレインウォードの二人は王都からスタンツリーフに寄ってクレスメンに行く辻馬車に乗っていた。
クレスメンまでは二週間。詩亜は辻馬車の旅を大いに楽しんだ。ちなみに現在、詩亜のギルドランクはE+である。猪の障魔を倒したことであがったのだ。
ハーシュベルツ街道はよく整備された街道だ。詩亜とレインウォードが旅するクレスメンまでは、中央大陸の南、ハーシュベルツとレイニィウスへの巡礼街道、広大なクレスメンの森を通り砂漠を越えた遠くアルミッストの間にある中継都市ザードまでをハーシュベルツ街道というが、そのおよそ三分の一もある。
途中小さな村もあるが、大体は少し街道から離れた場所にあった。理由はそのほうが生活するのに便利だからだ。森に近ければ近いほど獲物が取れやすい。生活するのに必要なものも手に入りすい。その多くは森からの恵で作るものばかりだからだ。
だがそれぞれの貴族の領地に街道がある場合はその街道沿いに大きな都市を築く。それは流通のためだ。領内の発展のためにそうしていた。スタンツリーフが街道沿いにあるのはそうした理由だからだ。つまりスタンツリーフはサルスベルト侯爵領の一番大きな都市になる。そして侯爵家もある場所でもあった。
「ここがスタンツリーフかあ。城壁大きいね」
辻馬車の停車場に到着して降り立った詩亜は、眼前に広がる大きな外壁に圧倒される。堅牢な城のような見事な石垣で不届き者を一切通さない、そんな厳しさを感じる門があった。このスタンツリーフは東西に一つずつしか門がない。人の入れ替わりが激しい分そうしているのだとか。それだけ安全性に配慮しているのだろう。ここの領主はできた人のようだ。
「このスタンツリーフはクレスメンの森の入り口にあるからな。障魔を警戒してるんだろう。あとは賊などにな」
「ふーん。やっぱりここにもそういうのるんだ」
「だが他の領よりは少ないそうだぞ。侯爵の直属騎士が常時街の巡回をしているからな」
「騎士! うわ、見たい見たい」
「……聞かなくともわかるが、それもファンタジーとやらなんだよな」
「うん」
詩亜はレインウォードの問いかけに力強く頷いた。だが騎士を見に行くにしてもまずは今宵の宿を探さなくてはならない。詩亜とレインウォードの二人は西門の門番に声を掛ける。
「こんにちは。お訪ねしたいのですがよろしいでしょうか」
「ん、なんだ」
「実は私達この街は初めてでして、よろしければおすすめの宿屋をご紹介いただけないかと」
「なんだそんなことか。いいぞ。このスタンツリーフはこの西門から東門までと中央を縦に切る、十字のメインストリートがある。まずは西門からのこの道を真っ直ぐ、次に交差したところを左に。そしてちょうど真ん中辺りを左に目をやると武具屋の隣に宿屋がある。そこがおすすめだ。あそこはスープが旨いんだ。ぜひ行って食べてみてくれ」
「そうなんですか。ちょうどお腹も空いてきてるしそこにします。場所教えていただいて有難う御座いました」
ぺこりとお辞儀をして詩亜とレインウォードは言われたとおりの道順で紹介された宿屋へと向かう。今は光の終風の刻(十四時半から十六時)でそろそろ夕日も落ちてくる頃合だ。早めに宿屋へ行ったほうがいいだろう。
「ああ、お尻痛い。スプリングきいてたけどそれでも痛い~やっぱり馬車での長旅は堪えるわ~」
ベッドでごろりと横になりながらお尻を擦る詩亜。今この部屋には一人しかいないのでやりたい放題だ。お尻を揉み解した後、今度は肩や首をこきこきさせる。そしてヨガのポーズをして凝りをほぐしていた。
「さて、夕飯食べに行こうかな」
一階に降りて食堂へ行くと、レインウォードがすでに一杯やっていて、軽めのつまみも数点置いてあった。詩亜はそれを見て隣に座るとひょいとつまんで食べる。
「お、きたのかシア」
「うん。お腹すいたー。あ、これ美味しい。お酒によさそう。私も頼もうかな。おばさーん、美味しいお酒一杯とこのおつまみに、おすすめのスープ下さい」
「はいよ」
運ばれてきた酒はぶどう酒だった。熟したぶどうの香りが強く、甘口と辛口のちょうど中間あたりだろうか。すっと喉に通りひじょうに呑みやすかった。詩亜がレインウォードからもらったつまみは魚の揚げ物でスパイスがよく効いた辛味のある魚だった。そしておすすめのスープはトマトベースのひよこ豆のスープで酸味が効いていて、ひよこまめも柔らかく煮られていてとても美味しかった。
ご馳走をたらふく食べてご満悦な詩亜はぶどう酒に舌鼓を打ちつつ、ふうと息をつく。少し酔ったようだ。
「どうした、もう酔ったのか」
「まっさかあ~酔ってませーん」
こいつは酔ったな。レインウォードはそう思った。そう思っている間にもやれあーだのこーだのと中身のない会話をぺらぺらとする詩亜。レインウォードは適当に相槌を打ちつつこの酔っ払いを早く部屋へと運ばなければと食事を切り上げる。
早めに食べ終えたつもりだったが、詩亜を見るとすでに夢の中にいるようで、そっと肩に手を当てて詩亜を起さないように抱き上げながら二階の部屋へと運んだあと、ベッドに横たえると自身も部屋へと戻り就寝することにしたのだった。




