レイニィウスの泪 第六話
詩亜が仕立て屋のミリアの元へ相談をしに行った翌々日、再度、今度は連れ立って仕立て屋へと足を運ぶことになった。今日で三日経ち、詩亜のオーダーしたコルセット型の防具が出来上がっているはずだからである。
仕立て屋に着いた詩亜とレインウォードは店主のグレスに挨拶をする。
「こんにちはグレスさん」
「よお。もうできてるか」
「おお、お前らか。もちろん出来上がっているぞ。ほら、これだ。試着してみてくれ」
差し出されたコルセット型の防具はカタログよりも実際に見たほうが可愛く見れ、詩亜はほくほくした顔で試着室へと向かう。その様子を目で見送ったレインウォードとグレスの二人。
「一昨日はカタルが世話になった」
「いやいいさ。ミリアも友人ができたと喜んでいたしな。それで、戻ったらどうだったんだ」
レインウォードが時間を潰してから宿屋へと戻ると、その入り口で詩亜はさっそくというようにレインウォードの腕を部屋へと引っ張っていき向き直り、一つお辞儀をした。そして、ミリアに相談しに行ったことや、自分の考えていることをこと細かく説明したが、だがレインウォードの心内を考えるとやはり焦らずにやっていこいうと思い改めてそう決めたのだと話したという。
その話を聞いたレインウォードは苦笑いをしつつも、自分を尊重してくれた詩亜に礼を述べたのだそうだ。
「へえ。きちんと話したんだな。やはりそれだけ気にしてたんだろうな」
「ああ。だがこれで俺もカタルも気兼ねなくやっていけるというものだ。今回のカタルには素直に礼を言ったさ。俺も彼女が気にしているのには気づいていたが、どうすることもできなかったしな。ミリアに助けられたよ」
「はは。なら今度また旨い肉でも狩って持ってきてくれよ。そうしたほうがあいつも喜ぶだろうよ」
そうして話をしていうるうちに、詩亜が試着室から出てきたようだ。その顔は満面の笑みだった。
「ねえねえ、これどう。似合うかな」
「おー似合う似合う。さすが俺らの仕立てた防具だ」
「違うでしょ! 被写体の私がいいからでしょ……って、まあとにかく、有難うグレスさん。これ本当に気に入ったわ。サイズもぴったりだし手直しはいらないわ」
「おう、見た目もしっくりきてるし大丈夫だろう」
「カタル、よく似合っているぞ。その格好ならば冒険者に見えるだろう」
「本当? やった! レインウォードさんも有難う。貴方のおかげで私は防具を手に入れることができました。いつか必ず恩返しするからね」
「ああ。楽しみにしているよ。だが毎回そう言わなくともいいんだぞ、疲れるだろう」
「疲れはしないよ。だって感謝の気持ちだもの。でもそうだね、心の中で思っているだけにするよ」
でないと、これ以上言うとレインウォードが気にするだろうと詩亜は思い直した。前日に話をしたのだ。これ以上はいいだろう。
相当に気に入ったのか、詩亜は姿見の前でくるりと一回転をする。見た目は厚めで重みのある生地だがそれほど重くはない。これなら動きを阻害されることはないだろうと詩亜は思う。これから先、自分は元の世界に帰るまでは冒険者として活動し、帰る手段も探すというのが目的になる。
エルフの里に聞きに行くまでは使うのを控えたほうがいい魔法も、できれば使っていきたい。今のうちに少しでもエルフに相談する内容を詰めておくのもいいだろう。少しずつ、少しずつ魔法を使うのならばレインウォードも承諾してくれるかもしれない。詩亜は宿屋へ戻った後にレインウォードにそう話そうと決めた。
「ねえレインウォードさん。私どうしてもやりたいことがあるのよね」
「なんだ急に。言ってみればいい」
宿屋の部屋へと戻ってきた詩亜がレインウォードに話を切り出す。レインウォードは改まった様子の詩亜に少し戸惑ったが、すぐに気を取り直した。
「私、エルフの里に行くまでに魔法をもう少し使えるようにしておきたいの。だってその方が調べてもらうにしてもいいでしょ、なにをどこまで使えるんですとか先に自分達で調べておいたほうがエルフの人達ももっと調べる気になってくれるんじゃないかな」
「まあ、確かにそうだが、カタルは魔力を感じないだろう。それが問題だからエルフの里に行くんだぞ」
「そうだけど、ある程度どこまで使えるか把握はしておくべきなんじゃないかな。この先、そのエルフの里に行くまでの間になにがあるかわからないんだよ、そのなにかあった時になにも出来ませんでしたで終わっちゃうのは嫌」
詩亜は顎の下に指を当てて不安そうにそう言う。それを見たレインウォードは腰に手を当てながら斜めに構える。
「それは俺が頼りないっていうことか」
「違う。そうじゃなくて、そういう意味じゃなくて、ただ私は昨日話したお金のこともそうだけど、どこにいても自立していたいの。ただそれだけなの」
「……ふう。わかったよ、悪かった。だからそんな泣きそうな顔をするな。俺だってカタルの言うことは理解しているしそのほうがいいこともわかっている。ただ、別の世界から来たカタルを帰れるまではなんとしても俺は守りたいと思っているということも忘れないでくれ。原因がなんにしてもこちらの世界に連れてきてしまったのは俺なんだ」
「レインウォードさん。別に私はそのことを責めてはいないよ。帰りたいかどうか聞かれたらそりゃ、向こうには家族も仕事も家もあるし、生活するのにだって便利だし帰りたいよ。だけど、私は向こうの世界でもずっと一人で生きていくって決めてたから、そんなに未練はないのよね。だから最悪帰れなくてもいいとも思ってるの」
「そう、なのか」
「うん。だからそこまで気にしてくれなくてもいいの。まあ、気にかけてくれてるのは嬉しいけど、罪悪感でそうしてほしいとは思ってないから。だから普通にしてくれると助かるな」
詩亜がそうはっきりと言い切ると、レインウォードはてっきり詩亜は内心では一刻も早く元の世界に帰りたいと思っていると考えていたので驚いた。だが詩亜の目は嘘を言っているようには見えない。レインウォードはそれを信じることにした。
「カタル……。わかった。そこまでそういうのならお互い普段どおりでいこう。まずはその呼び名だな、これからは俺のことはレインと呼び捨てでいい。実はどうにもむず痒かったんだ」
「あら、そうだったの。じゃあ私も語じゃなくて詩亜でいいわ。友達は名前で呼ぶし」
「わかった、シア。これから改めてよろしくな。なんでも言ってくれ、お互いに遠慮はなしだ」
「うん。私はもともとそんなに遠慮していなかったけどね」
話はこうして一段落した。これで詩亜とレインウォードはもう互いに遠慮することはないだろう。一度本音を言い合えばこれからはもう心置きなくぶつかれるという安心感もある。詩亜とレインウォードはそのことにもほっとした。
「でね、せっかく王都にきたんだし観光もしたいんだけど、案内とかしてもらってもいいかな」
「ああ。そうだな、では簡単に王都の地図でも書いてやるか。羊皮紙とインクを借りてくるから待っていてくれ」
レインウォードはそう言うと、詩亜を部屋へと残して宿屋一階のカウンターへと向かっていった。詩亜はその間を手持ち無沙汰にしていたが、すぐに窓辺へと寄ると窓の扉を開けて青空の下に広がる王都の街並みを見渡した。
今までは考古学者の家と道具屋とグレスの仕立て屋に冒険者ギルド、そしてこの宿屋にしか足を運んでいない。いつ帰れるかもわからないのだ、この王都の街並みを把握しておくことも大切だろう。それに内心では見知らぬ場所を観光できるということに心馳せてもいるのだ。しかもここは見知らぬ場所の最高点、異世界の王都だ。これ以上の観光はないだろうと詩亜は思った。
「待たせた。さっそく書こうか。まずはこう……ここが西門。そしてアーチ状に外壁があり反対側に東門だ。ここは通ったな。そしてその北区には王城と貴族街。更にぐるりと西へ行くとハーシュベルツ川が流れている。西区に港があり、最西には貧民街がある。ちなみに貧民街はもう一つ対角線上、つまり東門の北だ。南区は市民街になっている。そして南区を下にしてアーチ状に西門から東門へとメインストリートだ。中央区は公共の場でその辺りが特に栄えているな」
「へえ~、じゃあさ今いるのは何区なの」
「今いるのは南区だがメインストリート沿いにあるからな。この地図でいうと南区の丁度真ん中辺りだ。さあ、こんなもんにして実際に王都を歩いてみるか。シアはこの地図を持っていてくれ」
レインウォードから即席の地図を手渡されて詩亜は笑顔で受け取る。その地図を見ながら頷いた詩亜はインクの乾いた地図をなぞりながらレインウォードを見た。
「有難う。これがあれば少しくらい迷子になっても平気そうね」
「だが迷子になられては困るぞ。市民街や貧民街は特に入り組んでいるんだ。それと貧民街にはごろつきもいる。スリなんかも横行しているからな、悪いが貧民街は案内はしないぞ」
「わかったわ。私も望んで厄介ごとを起こしたくはないからね。じゃあさっそく観光に行こうよ」
詩亜とレインウォードは連れ立って宿屋を出た。
まず二人が向かったのは宿屋から一番近い東門だ。そこからぐるりとメインストリート沿いに歩きまずは中央区の中央広場へと向かうつもりらしい。
東門から中央区へ向かうメインストリートも上下で分かれている。南半分は安価な服飾やや宿屋に武具屋、道具屋が多く軒を連ねており、北半分にいくにつれて高級服飾屋や高級宿屋、高級武具屋等がある。詩亜とレインウォードが宿を取っている宿屋はちょうど上下の間辺りだ。この辺りが一泊の価格も安全性もちょうどいい。
「この東門から少し歩いた辺り、この辺だな。その右手に以前行った道具屋がある。シアの旅装を一通りそろえた店だ。そしてそのまま真っ直ぐ行くと俺達が泊まっている宿屋だ。今歩いている東門から続いているメインストリートの右側が東区になる。ここは北東半分が貧民街になっている。その北には外壁を隔てて王家の私有森が続いている。これは俺達が依頼で行ったハーシュベルツの森だ。広い森を少し外壁で囲っているんだ」
「へえ~。で、王子様が時々狩をしているんだっけ」
「そうだ。外壁を隔てているから見たくても見れないがな。で、東区の左、西側には教会と第三市民学校がある。市民学校は全部で三つあり、西区、南区、東区にそれぞれある。だが貧民街の子供達は通えていないみたいだな。そういう子供達は大体は教会のシスターらに週一程度で勉学を学んでいるらしいぞ」
レインウォードから話を聞きつつ詩亜はなるほどといった様子でうんうん頷いている。レインウォードの話はわかり易く、地図を指し示したり実際にその通りを案内してくれるので詩亜は吸収も早く脳内で地図を補完していく。
そうして歩いていくうちに詩亜とレインウォードの二人は中央区の中央広場へとやってきた。
「ここは市民の憩いの場だ。中央広場の真ん中にほら、噴水があるだろう。あの周りで屋台が並んでいてよく噴水を取り囲んでいる芝生の上で、屋台のものを食しながら市民が休んでいるのを目にするな。俺達も何か食うか」
「うん。なにかおすすめはあるの」
「ああ。ケバブだな。ハーシュベルツ川の淡水魚と川えびを焼いたものを酸味の利いた胡麻だれで食うんだ。屋台主に聞くとそれが一番人気らしい」
「じゃあそれがいいな」
「わかった。買ってくるから適当なところで待っていてくれ」
そう言うとレインウォードは屋台へと向かい歩いていく。それを見送った詩亜は中央広場西側の芝生で木々が生えている場所へと向かった。休んでいる市民たちがちょうどそこにはいなく場所が空いていたからだ。周りを見渡してみるとそれぞれ思い思いに寝転んだり寄り添ったり、本を読んだり色々と各々の時間の潰し方で休暇を楽しんでいるようだ。詩亜はそれらを見て微笑んだ。
「ほら、これだ」
「わ、美味しそう。いただきます。うん、この淡水魚なんていうの、胡麻だれとすごく合っていて美味しい! 川えびも殻がカリカリしてるし。この胡麻だれもマヨネーズに味が似てる。なめらかなソースに胡麻の風味がよく合うね」
「それはカランという淡水魚だ。川魚特有の臭みや癖の少ない魚でこの王都ではよく食されている。昨日の夕飯でもから揚げで出てきてたぞ」
「そうだったんだ。あのから揚げもレモンたらして食べたらすごく美味しかったよ。うーん! 食べ物が美味しいのって心も豊かになっていいよね。私このケバブのファンになった」
「はは、そうか。ならそのうちまた食べにこよう」
ケバブを食べながら一休みをしていると、一人の子供、少年がじっと詩亜を見ていた。詩亜はそれには気づいていないようだがレインウォードは気づいており、なんらかのアクションがあれば即座に動こうと注意を払っている。
食べ終わった詩亜がぐぐっと両手を挙げて背伸びをした時。その少年が急に詩亜の懐目掛けて飛び出してきた。それに合わせてちょうど詩亜も立ち上がったために二人はぶつかってしまう。レインウォードは倒れそうになった詩亜を受け止めると、その瞬間を見た。
少年が詩亜の腰に身に着けていた革の腰袋を掴み取り、即座に身を翻すとその場から走り去ろうとしていたのだった。
レインウォードは詩亜を離すとすぐさまその少年の襟首を掴み上へと持ち上げる。持ち上げられた少年は足をじたばたとさせてレインウォードを睨みつけた。
「あにすんだよ! 離せよっ」
「どうしたのレイン。その子に乱暴をしないで」
詩亜がレインウォードをとめようと手を出すが、レインウォードはそれをさせまいと今度は少年を俵担ぎして詩亜から離す。
「だめだ。こいつの手をよく見てみろ」
「え? あっ、私の腰袋! うそ、いつの間に……」
レインウォードはそれを詩亜に見せてから少年から取り返す。そして詩亜に返してから少年を地面へと降ろした。すると、少年は詩亜に掴みかかろうとする。もちろんレインウォードに再度取り押さえられたが。
「返せよ! 俺のだっ」
「ならなにが入っていたか言ってみろ。当てたら返してやるぞ」
「……一,二五〇セト」
「シア。どうだ」
「違うわ。ここには私が初めて貰った依頼の達成金の二銀貨(二,〇〇〇セト)と冒険者ギルドの証が入っているもの……ほらね」
「……ぐっ」
少年は何も言えずに奥歯をかみ締める。それを見た詩亜は何か事情があるのだろうかと、少年の目線に合わせてしゃがみ込んだ。
このような行為をするにはなにかしらの理由があるはずだ。それを聞いてからでも怒るのは遅くはない。そう思ったのだ。
「どうしてお金が必要なのか教えてくれないかな。もしかしたら力になれるかもしれないよ」
「おいシア。そういうことを軽く言うんじゃない。俺たちは冒険者だ。冒険者は頼みごとは等価交換と決まっている。なにかするならそれ相応の対価が必要なんだぞ」
「わかってる。でもどうしても気になって。ね、言ってみて」
レインウォードがそう言うと、詩亜は頷いて、それも知っているがそれでも聞くのだといった様子だったので、レインウォードもその場は大人しく引き下がる。それを見ていた少年は自分のしたことを咎めたのかぽつりぽつりと俯いて話し出した。
「俺達のマザーが病気なんだ。ヨルンの薬丸がいるんだけどお金が足りない。なんとかして銅貨二五枚は集めたんだけど、あと一,二五〇セトもいる……俺達にはこうやってでしかお金を集めることはできないんだ!」
「じゃあ二五〇セトもすりで集めたんだね」
「……そうさっ、まぬけな大人から盗んでなにが悪い! 俺達の暮らしも知らないでのうのうと遊び暮らしやがって、俺たちは日々食う物だってなくて毎日毎日食べるために足掻きまくってるんだぞ!」
「そう。でもだからって人から物を盗んでもいいなんてのはおかしいよね。君に遊んでいるように見える人たちだって毎日働いて、その対価をもらって生活してるんだよ。頑張ったご褒美なのに君はそれを奪うの? たくさんお金を貰っているのはその人がそれだけ頑張って働いたからなんだよ。君達だって毎日そうやって生活してるんでしょ」
「それはそうだけど……なんだよ、俺達の頑張りが足りないからだっていうのかよ!」
詩亜の厳しい追求に少年は顔を上げて泣きそうな顔で怒鳴る。けれど詩亜は怯むこともせずに頷き返した。
「そうだよ。君達の頑張りはまだまだ足りない。すりなんかしなくてもどこかに必ず君達を雇ってくれる人はいるはずだよ。それを見つけもしないでお金を掠め取るなんて、やっていいこと?」
「……だけど、俺たちはまだ子供で。俺が一番大きいんだ。後は皆小さいやつらばかりで……」
「それ、いいわけだよね。まだ子供だからなに? 世界には君と同じくらいの子や、君の言うもっと小さい子だって懸命に働いてお金を稼いでいる子だっているんだよ。やせ細って、日々食べることもままならない子はたくさんいる。なのに自分達は盗んだ物で楽をするの」
「違う! 楽なんかしてない! 盗むことは悪いことだって俺だってわかってる。だけどじゃあどうすればいいんだ。今から探したって職なんか見つかってもマザーが助からない!」
「うん、そうだね。だから、依頼を出そう」
「え」
詩亜はこの展開を待ってましたとばかりにすくっと立ち上がると少年の頭をかるくぽんぽんする。そしてにこっと笑って腰に手を当てた。
「さっきレインも言ってたけど、私達、冒険者なの。だから依頼を出したらそれを受けてあげる。だけど等価交換だから君も対価を支払ってもらうよ」
「でもお金は……」
「お金じゃなくていいよ。対価はそうだなあ、材料集めを一緒にすることでいいかな」
うーんと言いながら詩亜はレインウォードに聞く。そこでレインウォードも詩亜のしようとしていることに気づいて苦笑いをしつつも止める気もないと相槌を打った。
「そうだな。ヨルンの薬草を調剤屋へ持っていけば材料持込で安く薬を作ってもらえるからいい考えだ」
「それと私達、観光している最中なの。だから君の住んでいるところにも案内してほしいな。もちろん代金は払うよ。そのお金で調剤を頼めば自分で働いて薬を手に入れることができるね」
「姉ちゃん達……なんでそんなに」
優しいの。少年はそういった表情で詩亜を見る。ただの赤の他人にそんなことを言う者なんか普通はいない。せいぜい、大変だねとか何も出来ないけど頑張って、とか言ってその場を過ぎ去るくらいだ。なのにこの目の前の女の人はすりをした自分になぜそんなことを、と思った。
「よくしてくれるかって? それこそなんでだよ。私達が事情を知った君に知らん振りをするような悪人に見えるんだったら悲しいけど、でも違かったら嬉しいなあなんて。ね」
「なんだよ……たんなるお人好しじゃんか。そんなお人好しに俺すりをしてたなんて、どうせするなら悪人にすればよかった。ううん、姉ちゃん、兄ちゃん。俺、リードっていいます。俺からの依頼、受けてください」
詩亜の話を聞いて、リードは肩の力を落とした。にっこり笑いながらいうことは、彼女にとっては普通のことだった。でもそれは平和な時世に生きている者が言えることだ。この世界ではそのような発言をする者はカモにされてぽいと相場が決まっている。なのにそれでもいいとでも思っているのか隣にいる男も何も言わない。なぜだろう、リードはこの二人になら思いを託して頼んでみてもいいと思ったのだった。
「もちろんよ。じゃあまずは二五〇セトを返さないとね。誰か覚えてる?」
「うん。酔いどれジョージっていえば西区の市民街じゃ有名さ。あいつ、弱いやつから金巻き上げてその金で酒場で呑んでるんだ。だから酒場に行けばいつでも会えるよ」
「必ず返すんだぞ」
「わかったよ」
酔いどれジョージはリードの言うとおりのどうしようもない酔っ払いの男で、手腕も強いため弱者は彼に脅され金を巻き上げられている。この男は職にも就かず、そうして酒場に日々入り浸っているのだった。
レインウォードは強く返すように言う。詩亜の言うとおりだと思ったからだ。だが人としての行動云々よりもどちらかといえば詩亜の為に、という方が強いようで、内心そのことに少なからず驚く。
けれど今はまだ酒場が始まるまで時間がある。先に依頼を終えてしまったほうがよさそうだった。
「酒場か。なら夕方まではまだ時間はあるな。先にヨルンの薬草摘みに行ったほうがよさそうだな」
「そうね。じゃあさっそく行きましょうか。まだお昼過ぎたあたりだし」
こうして詩亜とレインウォードとリードの三人は揃ってそのままヨルンの薬草を採集しに行くことになった。
ヨルンの薬草は依頼で既に採集したことのある薬草だ。群生地の場所も覚えているためすぐに終わるだろう。うまくいけばその日の内にマザーにヨルンの薬丸を届けることが出来るかもしれないと詩亜は考える。
だがそうそう上手く行くはずもなく。
「この前よりも薬草が減ってる。まだ若い芽ばかり」
「おそらく昨日か今日に先に採集しに来ていた者がいたんだろう。幸いヨルンの薬草は数日で育つ。明日明後日に来ればまた違うだろうが」
「そんなに待てないよ!」
「だろうな。ならもう少し奥まで行ってみるか」
「そうね。もう少し奥まで行けばまだ残っているかも。行ってみよう」
詩亜とレインウォードとリードの三人はハーシュベルツの森の奥深くまで足を踏み入れた。だが以前来たヨルンの薬草の群生地ではもう成長したものはあらかた摘み取られた後で、新芽やまだ若い芽ばかりが残されていた状態だった。そこで三人はより深い場所まで行くことにしたのだが、その場所で詩亜はまだ出会ったことのないものと相まみえることとなったのだった。
「シア、リード。注意しろ、なにかいる。おそらくこれは……」
レインウォードが何者けの気配を感じて詩亜とリードの二人に注意を促す。二人は揃って辺りを見渡すもその何かは見えなかった。
しかしレインウォードには見えていたようで、短剣を太腿のベルトに差し込んでいたところから取り出すと、ひゅんと木の陰に向かって投げつける。するとガサっと大きな影が隣の木に移動するのが見えた。
「な、なに。今の」
「ちっ、障魔か」
レインウォードは苦虫を噛み潰したような顔で帯剣している柄に手を置く。いつでも抜刀できるようにするためだ。そんな様子に詩亜が焦ったように問う。
「障魔って、あの障魔? 魔物の?」
「その障魔だ。やはり奥へ来ると遭遇率が上がるな。今のは猪の障魔だ。やつの突進には気をつけろ」
「気をつけるっていってもどうすれば」
「やつの動きは単調だ。突撃する相手を決めると土を掻いて一直線に向かってくる。だから数歩タイミングを合わせてずらすだけで避けられるのさ」
「タイミングってそんな難しいことできるかな」
いつ飛び出てくるかわからない猪の障魔にレインウォードは抜刀して構える。
「できるかじゃなく、やるんだ」
「姉ちゃんどんくさそうだもんな」
リードがそう言いながら下に転がっている石を数個掴むとははっと軽く笑った。
「もう、わかったわよ。やるだけやってみる。……あ、そうだ私にはあれがあったじゃない」
詩亜は小声でそう言うと、魔法の基礎を習おう、の魔法書を思い出す。あの本に書かれていた初期の魔法は全て暗記してあった。その魔法を使えば障魔ともうまく戦えるはずだ。
詩亜は脳内で四つの魔法を思い出した。土属性は二段階まで覚えており、今は火水風の二段階目を覚えている最中だ。ちなみに光と闇はその魔法書には記載されてはいないが属性としてはある。
たしか土の一段階目は《コ=シィ=キリル》で土属性の対象に守りを与える魔法だったはず。語詩亜はそっと唇にその詠唱を乗せた。
「慈悲たる母の抱擁、《コ=シィ=キリル》」
すると、リードの周りを黄色の淡い光が覆った。だがそれに気づく様子がないリードはいつ猪の障魔が出てくるかとじっと木の影を見ていた。
詩亜は続けざまに二回また詠唱する。今度はレインウォードと詩亜自身にだ。レインウォードは気づいたようで、小声で「さんきゅ」と礼を述べてきた。
これで、もしも突進されて衝撃を受けても少しは緩和されるはずだ。




