非常食5
「ただいま」
「ママさん、ただいまー」
「おかえり。林檎ちゃん、疲れたでしょ。2回も学校行って」
「大丈夫! 朝の半分と、帰りの半分はミノルの後ろに乗ってたもん」
「よかったわねぇ。そうそう、みのりが部屋にいる間に、ネコに戻れるかしら」
「朝、人で通したのにか?」
「あれはやむを得ずよ。ちょっと遊びに来てただけの子ってことで」
確かに、寝泊りしてるだなんてバレたら面倒なことになりそうだ。
「……まあ、朝会っただけだしな」
つまり、ネコを飼っていて。
人型の林檎はたまたま遊びに来た知人……といった感じだな。
まだみのりはネコの存在を知らないわけだけど。
「じゃあ、みのりが来ないうちに……林檎」
「わかったよー」
林檎は素直にそう言って、獣の姿になる。
着ていた制服とパーカーがその場に残った。
とりあえず、俺の部屋に連れてくか。
……そうだ。
元の飼い主のこと、母さんには少し話しておいた方がいいかもしれない。
俺としては捜す気はとうに失せているが、勝手に母さんに捜し出されても困る。
「あのさ、母さん」
「なに?」
飼い主のところには返したくない。
元の飼い主は林檎を実験体にしようとしている。
……なんて言えるか。
「いや、まあいいや。とりあえず、林檎のことは俺がやるから、勝手な行動だけはしないでくれたら助かる」
「勝手な行動?」
「飼い主捜しとか」
「そう? このままずっと現状維持ってわけにはいかないと思うけど。今日のところは林檎ちゃん、たくさん歩いただろうし、早く寝せてあげてね」
「わかったよ」
ピーンポーン。
土曜日。
今日は休みだ。
携帯のアラームだって鳴らないように設定してある。
それなのに家の呼び鈴が朝からうるさい。
ピーンポーン。
ピーンポーン。
……母さんいないのか?
携帯で時間を確認すると、まだ早朝6時。
早すぎだろ。
まともな客じゃなさそうだな。
無視してもいいだろ。
ピーンポーン。
ホント、無視させてください。
……まさか夏川じゃないよな。
あれほど午後に来いと……。
「……ウォオオン」
背中から林檎の鳴き声が響く。
「気付いてるよ。気付いてて無視してんだけど」
ピーンポーン。
結構しつこい。
っつーか、夏川なら携帯に電話するだろう。
じゃあ誰だ?
しょうがなく体を起こす。
上から窓を開け、玄関を確認すると、そこには女性が2人立っていた。
1人は和服。
もう1人はヒラヒラとしたお姫様のような服装だ。
なんだっけ、ああいうの。
ロリータファッション?
「宗教の勧誘か? こんな早朝から起きてる宗教はごめんだな」
ほっといてもいいが、うるさいし。
とっとと断ってしまおう。
1階に下りていくと、母さんと鉢合わせる。
なんだ、俺が起きてくる必要なかったじゃないか。
「母さん起きてたのかよ。よろしく」
「待って。母さんパジャマじゃ出られないっ」
「知らないやつ相手なんだしいいだろ」
「ちょっと覗き穴から見たらすごい美人だったのよ」
いちいちそんなこと気にしなくていいのに。
まあいい大人の女がパジャマでお出迎えってのは確かに無いな。
けれど、そもそもこんな早朝に訪ねてくる方がおかしいだろ。
そうは思うが、俺を頼るよう母さんの視線が突き刺さる。
「……適当に流せばいいよな」
「うん。よろしくね。母さんもう1回寝るから」
「はいはい」
しょうがなく俺は母さんの代わりに玄関のドアを開ける。
確かに、美人の部類に入る女性が2人立っていた。
「なんの用ですか」
「どうもうちのネコが逃げ出してしまって。ここら辺にいると思うんですが」
和服の女が答える。
ネコって。
脳裏に林檎の姿が浮かぶ。
……もしかしてシュタインの身内か?
胸がざわつく。
飼い主は捜さない、そう決めたのに。
偶然にも俺が出てよかったと思う。
これが母さんだったらすぐにでも林檎のことを話していたかもしれない。
「知りませんね」
「赤いネコですよ」
「見てませんけど」
降りてくるなよ、林檎。
「あがらせてもらった方が早いわ。ねーさん」
妹?
姫っぽい格好の子はそう言って一歩前へと踏み出してくる。
「いや、あがられても困るんですけど」
なんだ、こいつら。
まるで林檎がここにいると、わかっているみたいだ。
どうすればいい?
「本当に知らないんで。帰ってくれますか」
この人たちの態度にイラつき、俺は語気を強める。
けれども引いてくれる様子はない。
「あくまでシラを切るおつもりですか。強行突破しますよ」
和服の女性は持っていた和傘の先を俺の首筋に当てる。
おいおい、マジかよ。
なんて凶暴なんだ。
「……とっとと出しなさい」
俺が今してることは正しいのか?
やっぱり悪いことなのか?
人んちの子を勝手に預かって、それでいて返さないって。
けれど、虐待受けてる子を無理やり保護するなんて話、よくあるだろ。
あれと一緒。
返したら林檎は実験体にされるかもしれない。
それ自身、もしかしたらいいことなのかもしんねーけど。
ああもう。
「俺はバカだから、わかんねーんだよ。そういうの」
「なにを言ってるんですか」
「とにかくこのまま、お引き取り願いますってことっ」
傘を掴み、逆に女性を突き上げる。
申し訳ないけど自己防衛だ。
「ぐっ……」
お腹を突き上げられ苦しそうに息を漏らす和服女性。
ホントごめんなさい。
「ねーさんになんてことをっ!」
姫がお怒りですね。
和傘より先の尖った洋傘を俺めがけて突き出してくる。
「はぁあっ!」
「危ねっ!」
間一髪。
服を掠めた。
こいつら、傘の使い方間違ってんだろ。
そもそも今日は晴れている。
「傘は雨具だっ」
「先に攻撃してきたのはそちらっ」
……確かにそれは間違ってない。
けれど俺の首筋に傘の先、触れてましたよ?
下手すりゃ死ぬ。
……こいつらホント、なに考えてんだ。
傘が怖いというより、こいつらの考え方が怖い。
狂ってる。
「さすがマッドサイエンティストの身内だけあるな」
姫は突き出していた傘を引っ込め、ジっと俺を見る。
「お前ら、シュタインの身内だろ?」
「どうしてその名を?」
もういまさら隠しても無駄だな。
知らないならいいです、って帰ってくれるような相手ではないみたいだし。
「赤髪の少女から聞いた」
「少女だって?」
2人は互いに顔を見合わせる。
「あいつ、ベラベラとしゃべりやがって……っ」
「しょうがないわ。ブラッディはまだ子供だもの」
「ねーさんはブラッディに優しすぎる」
……ブラッディって、林檎のことか?
和服の女は姫の頭を撫でてなだめる。
こちらとしても、穏便に済ませたい。
「どこまで聞いたのですか」
「いろいろと」
「あれはうちの子です。出してください」
うちの子って言われるとな。
さすがに罪悪感。
「いまはもうここにいないって言ったら?」
「無駄です。いるのはわかってますから」
「お前らが捜してたのはネコだろ」
「……両方です」
両方ね。
獣が擬人化するってことは、どうも隠してるみたいだな。
俺がわかってるかどうか、探ってやがる。
「シュタインと話がしたい」
「私はシュタインの代わりで来ました」
「じゃあ、代わりに聞いてくれ。……彼女が欲しい」
「……どうでもいい宣言ですね。勝手に作ってください。もっとも無理っぽいですが」
「いや、そうじゃなくて」
しかも無理っぽいとか失礼な。
「お前らがブラッディって呼んでるやつ。赤髪のあいつだ」
「……自分がなにを言っているのか理解出来てます? 欲しいって? 物じゃないんですよ」
「わかってる。うちで飼……一緒に暮らしたい」
「無理です」
……まあ俺が逆の立場だったら、同じように答えていたかもしれない。
どうする?
「……ちょっと時間かけすぎじゃないかなぁ」
突如割って入る男の声。
俺の前にいた2人の女性は振り返り、声の主を確認するとすぐさま頭を下げた。
……白衣着てますね。
それに妙な白手袋を片方だけはめている。
あからさまに異様な雰囲気が漂っていた。
あいつがシュタインか。
「マスター、すみません」
「君たちなら出来ると思ったんだけどねぇ。あとでお仕置きだ」
「はい……。彼はブラッディのことを少女だと」
「なるほどね……」
2人の背後に立ち、俺を見下ろす。
まあこいつがシュタインなら話は早い。
こっそり飼い続けるつもりでいたけど。
「シュタインさんですか」
「ああ。どうもうちの子が迷惑をかけたようで。すまないね」
意外とまともに会話の出来るやつなのだろうか。
「……うちの子って」
「君が、家にかくまってる少女と、この2人」
それを示すようシュタインは両側の女を抱き寄せる。
漫画やドラマでしか見たことのないやつだ。
姫の胸を思いっきり鷲掴み、もう片方の手は和服の衿から中へ。
そうだ。
こいつは変態だ。
俺の勝手なイメージだけれど。
実験なんてのも本当に行われているのかわかったもんじゃない。
「顔が赤いな、少年。羨ましいか?」
羨ましい。
……とは言いたくないが羨ましい。
2人もとくに嫌がる様子は無い。
なんて従順なんだ。
もしかして、こいつら自身が林檎と同じ獣か。
てっきりシュタインの研究員仲間かと思ってはいたが……。
「君も男だ。ペットが1匹欲しい気持ちもわかるが、人の物を取っちゃいけないな」
「林檎は、物とかペットとか、そんなんじゃ……っ」
はじめはネコのつもりで見てたけど。
「林檎? なんてネーミングセンスだ」
「うるさいっ。いいだろ別に」
「彼女はブラッディだ。さあ、とっとと出してくれ」
そっちのネーミングセンスだって酷いもんだと思うが。
「どうしてここにいるって……」
「チップが埋め込んであるからね。どこに行こうがわかるよ」
ああ。
俺の嘘もバレバレだったわけですか。
っつーか、わざわざチップまで入ってんのかよ。
まあ、最近は飼い犬にそういうの入れる飼い主もいるらしいからな。
あんまり俺はそういうの好きじゃないけど。
「僕の方もちょっと聞きたいな。君はブラッディのこと、どこまで知っている?」
……隠しても無駄っぽいな。
「拾ったときは、獣だった」
「……そう。見ちゃったってこと」
やっぱり機密事項か。
まあここは日本だし、口封じで殺されるってことはさすがに無いだろう。
「だったらわかるよね。彼女は普通じゃない。僕の大切な実験サンプルなんだ」
……実験サンプルね。
「わかりました。やっぱり俺、林檎のことあんたには渡せません」
「元々、僕のだ」
「あんたより俺の方が林檎を幸せに出来る」
強めにそう言うと、シュタインは大きくため息をついた。
……押したらいけそうか?
「林檎は、自分は実験体にはならないんじゃないかとも言ってたし。他の子で充分じゃないかって」
「彼女はとりわけ貧乳だからな」
「……それって関係あるんですか」
「実験する上で僕が興奮しない。それだけだ」
それだけですか。
「あんたの言う実験ってなんなんだよ」
「興味無い? 異種交配……」
「ありませんっ」
俺は咄嗟にシュタインの言葉に自分の言葉を被せる。
そういう実験なのか?
シュタインはあいかわらず両側にはべらした女性たちの胸を揉みしだいている。
つまりは、そういうこともしている関係なのかもしれない。
「……林檎とは……」
「ああ、彼女とはしていない。けれど他にも試してみたい実験は山ほどある。だから、ちゃんと価値はあるよ」
「価値とかそういう問題じゃないだろ。いい加減にしろよ。お前らも、こんなのにいいように使われて……それでいいのかよ」
俺はシュタインだけじゃなく、両脇の女たちに向かって声を荒げる。
再度、ため息をつくシュタインの手を和服の女性が服から引き抜いた。
「……失礼します」
そう前置きし俺の正面に立つ和服の女性に顔を向けると、いきなりパンっと乾いた音が響く。
「…………っ!」
なんだ。
今、なにが……。
左の頬が痛い。
そうか、俺、この人に叩かれて……。
「私たちは、マスターに愛されています。知ったような口をきかないでください」
あいかわらず冷静な口調。
「でも……」
……いや、否定は出来ない。
確かに、悪いことを言った。
もしも自覚していないのだとすれば、いいように使われているだなんて言うべきじゃなかった。
横に向かされていた顔を正面に向け、和服の女性を視界に入れる。
冷静な口調とは裏腹に、目が潤んでいた。
もしかして、自覚してるのか?
自覚したところで、逃げ場がない?
それとも、本当に愛されてるんだろうか。
どっちにしろ、俺の言葉は軽率だった。
「……しょうがないよ。3日やそこら一緒にいただけの人間には理解出来ない」
俺はまだ、林檎のことを詳しく知らない。
けれど守りたいだなんて思ってる。
林檎のことネコとして見ればいいのか人として見ればいいのか、その判断すら出来てない。
「……とりあえず、君に預けよう」
「……え」
「君が彼女を飼い慣らせるか、それもまたいい実験だ。素人ならではの発見なんてのもあるかもしれないしね」
俺まで実験サンプルにする気か。
まあそれも好都合だ。
喜んで実験対象になってやる。
「ちなみに僕は、愛猫家の科学者で通ってる。君も下手に、バラさないでくれよ。ブラッディはネコには無い毛色をしているからね」
擬人化出来る未知の生物。
そんなものを飼育しているだなんてことは、やっぱり秘密なのだろう。
「いずれは研究発表とかするつもりなんだろ」
「……名誉に興味はない。ただの探究心だ。なにかあればここへ。ブラッディの体調が優れないときも、教えて欲しい」
名刺をくれる。
……正方形だ。
やっぱり頭おかしいんじゃないか、こいつ。
3人を見送り、ドアを閉める。
意外と長引いた。
一応、この名刺は捨てずに取っておくか。
探究心ってなんなんだろうな。
それも一種の愛情表現か?
相手の好きな食べ物とか、好きな色とか、好きな異性のタイプとか。
そういう知りたいって感情が少し行き過ぎてるだけなのかもしれない。
「ああもう、わかんねー」
ぼやきつつ、自分の部屋へと戻る。
獣の林檎が、すぐさま足元に擦り寄ってきた。
「林檎……」
ネコにしては大きいその体を抱き上げる。
ネコには無い色の毛をそっと撫でる。
なんだかんだで強引にあいつから奪っただけじゃないか?
飼ってはいけない野生動物を、内緒で飼ってるようなもんだ。
……ちゃんと育てられるかもわからないのに。
3日やそこら一緒にいただけの人間には理解出来ない。
シュタインの言葉が頭の中で繰り返される。
たった3日。
飼うって考え方があってるかどうかもわからない。
あいつ、なんだかんだで林檎の体調も気にかけてた。
病院には連れて行けないもんな……。
「林檎。ちょっと母さんに事情話してくるから」
「事情?」
重い。
なんでこう質量まで変わるんだ。
抱いてるおかげで体は見えないが、今の俺、裸の女の子抱きしめちゃってるってことだよな。
やばい。
やばいんだけど、どうしても手放せない。
「いま、シュタインが来て」
「少し、上から覗いてた」
「……話、聞いてた?」
「うん」
「……そういうことだから。でももし、林檎が戻りたいってんなら、俺に引き止める権利は無いし……」
そう言いつつも俺はまた林檎の体を強く抱きしめてしまう。
「……ミノル。リンゴはミノルといて楽しいよ」
「うん……」
「ここにいたい」
「……ありがとう」
たった3日。
されど3日だ。
俺は林檎の体を引き剥がし、軽く頭を撫でる。
林檎は気持ち良さそうに、笑って獣の姿に戻った。
それを確認し、部屋を出た。
キッチンへと向かうが母さんの姿は無い。
そういえば、もう一回寝るとか言ってたな。
「あ、ネコ?」
突然の声に体が跳ねる。
みのりか。
振り返ると、足元には林檎。
ついてきてたのか。
「みのりには言ってなかったんだけど」
「うちで飼うの?」
「……一緒に過ごす」
「ホント? やったぁ」
「友達には秘密な」
「え、友達にも見せたいよ」
「駄目だ。まだ一時的に預かってる段階だから」
「うちの子じゃないの?」
「……まだな」
「わかった。早くうちの子になるといいね」
うちの子に……か。
「みのり、母さん起こしてきてくれないか」
「うん」
素直に両親の寝室へと向かうみのりの後姿を見送り、腰掛ける。
林檎は当たり前のように俺の膝上へと乗っかった。
少しして、母さんとみのりが来てくれる。
「おはよう。今日は朝から大変だったわねぇ」
「母さんはすぐまた寝ただろ」
「そうだけど」
「みのり。ありがとう。ちょっと母さんと2人で話があるから。向こう行っててくれる?」
「えー……」
まあ、そりゃそうだよな。
「悪い、林檎。みのりの相手、頼む。獣のままで」
小さな声で林檎に耳打ちする。
「オン」
頷いた林檎は、みのりの足元へと移動してくれた。
「みのり。隣の部屋で遊んでて」
「はーい」
……単純だな。
「なに? 2人で話って」
「林檎のことなんだけど」
「ああ。それね」
「朝の客、林檎の飼い主だったんだ」
「え……。どうしてここがわかったの?」
「なんかチップが入ってるらしい」
「チップ?」
「母さん、わかってると思うけど、林檎って普通じゃないだろ」
実験体……なんて言ったら動物好きな母さんのことだ。
俺以上に怒り狂うだろう。
「絶滅危惧種っていうか、保護動物みたいな扱いらしくて。でもその生活、林檎は居心地悪いみたいでさ。……そういうの伝えたら、もう少し預からせてくれることになったんだけど……」
「……それでいいの?」
わからない。
いままで動物なんて飼ったことがないし、子育てしたことももちろん無い。
居心地よく自由に遊ばせてばかりじゃいい子に育たないのと一緒で、俺のしていることはとんでもない間違いなのかもしれない。
「もう少し預かって、考えたいんだ」
「……そうね。母さんだって林檎ちゃんが大好きだもの。林檎ちゃんにとっていい環境で暮らして欲しいわ」
そうは言いつつも、声のトーンは沈んでいた。
もしも、俺たちが林檎を自由に甘やかして、その後結局返すことになったとすれば、俺たちとの生活は知らなければよかった自由だろう。
自由を知ってしまったことで、元の生活がより窮屈だと感じてしまうかもしれない。
「ずっと、ここにいられたらいいんだけど」
ついそうぼやくと、母さんの手がポンっと俺の頭を小突いた。
「……ただのネコじゃないのよ」
「うん……。それも、秘密にしておいて欲しいって」
「わかってる。母さんだってバカじゃないのよ」
「じゃあ、よろしく。みのりや父さんには、いまのところただのネコってことで」
「そうね。みのりなんてとくに口走っちゃいそうだし」
隣の部屋では、みのりが林檎をひたすら撫でていた。
うちにはネコの玩具なんてものもないしな。
そもそもネコの玩具を林檎が楽しいと感じるのか?
わからないことだらけだ。
「みのり、ありがとう。もういいよ」
「え、もういいって何?」
林檎の体を抱き上げる。
「部屋、連れてくから」
「お兄ちゃんばっかずるくない?」
「ずるいとかそういう問題じゃないだろ」
「えー……」
「みのり、朝ごはん食べなさい」
母さんが割って入ってくれる。
ナイスだ。
「実も、落ち着いたらまた食べに降りてきなさいね」
「了解」
部屋に戻れば一安心だ。
いつ林檎が所構わず変身するか、正直、気が気じゃない。
「林檎。あんまりぽんぽん変身すんなよ。見られちゃまずいんだから」
「オン」
「……わかってる?」
「オン」
頷きつつも、林檎は布団の中へともぐりむ。
見守っていると案の定、ひょっこりと人の顔を出した。
「……リンゴ、そんなにぽんぽん変身しないよ」
「してるだろ」
「お風呂場では人になる癖があったからつい……。でも、他はちゃんと考えてるよ。ミノルはもう知ってるでしょ。だからだよ。誰の前でも変わるわけじゃない」
「母さんの前でだって変わっただろ」
「……ミノルが困ってると思ったからだもん」
やむを得ず……か。
正直、そこまで困った状況ではなかったんだけど。
林檎が俺のためにしてくれたんだってのはなんとなくわかっていた。
「ありがとう」
「うん」
林檎には聞きたいことがたくさんある。
聞かなければわからない。
どういう生活をすれば快適なのか。
……聞いたところで、得られる知識はたぶん限られている。
人語も話せるのも、それなりには常識もあるのも、みんなシュタインのおかげ。
わかってんだよ。
知識量じゃあいつには敵わないって。
けれど、それを言い出したらキリがない。
犬だってネコだって、獣医が飼うべきだ、なんてことになってくる。
あいつに、聞けばよかったのか?
どう飼えばいいですかって?
聞けるかよ。
そもそも、飼うだなんて思いたくない。
過ごすんだ。
「とりあえずさ。林檎はなに食べてたの? ササミでいいの?」
「ササミ、おいしいね。でもこないだ、ユズちゃんとシズカちゃんに貰ったオカズもおいしかった」
こいつにとっておいしいものが体にいいとは限らないんだよな。
「いままでは?」
「いままで、食べてたもの?」
「そう」
考え込むようにして顔を伏せる。
「林檎?」
「……お肉」
「肉か。まあササミは鶏肉だし、間違ってないな。豚肉とかの方がいいのか?」
返事が無い。
その上、布団を頭から被ってしまう。
言いたくないってことか。
「いいよ。無理には聞かないし。徐々に解かってけばいいんだから」
効率悪いな。
シュタインがいままで林檎たちと過ごしてきて得た知識を、まったく聞き入れずにゼロからスタートするってのは。
貰った名刺を見返す。
柏周太郎。
……あいつ、周太郎って名前なのか。
「……ミノル」
「ああ、どうした?」
また少しだけ顔を覗かせる。
「リンゴ、ミノルに捨てられたくない」
いまここでシュタインに返すのは、林檎を見捨てるってことになるのかな。
「捨てないよ」
「うん」
林檎は目に涙を溜めていた。
それを隠すように、獣に変わると、自らの尻尾で顔を隠した。
「母さん。林檎、いままで肉食べてたみたい」
キッチンで洗い物をする母さんに声をかける。
みのりは部屋に戻ったか。
「お肉? じゃあ試しにいろんなお肉買ってこようかしら」
「うん。でも無理しなくていいよ。負担になるなら、考えた方がいいし」
「なに言ってんの。実が気にすることじゃないわ」
助かるな。
やっぱ俺1人じゃ厳しいし。
まあ、意外と簡単な肉料理で満足するのかもしれないけど。
シュタインが肉をあげてたってだけで、それが正しい根拠はない。
ただ、ここまで育ってる実績はあるな。
そうだ。
今日は夏川が来るんだったな。
林檎は大丈夫か?
逆に、気晴らしにでもなればいいけど。
部屋に戻ると、林檎はあいかわらず獣のまま丸くなっていた。
「林檎。今日、夏川が遊びに来るんだけど」
「オン?」
「……たぶん、お前に会いに。嫌ならどうにか断るよ」
「ううん。会うよ。ミノルの友達、リンゴも仲良くしたい」
「……服持ってくるから」
そう社交的じゃないみのりが夏川と会話することはないだろうし、林檎が部屋から出なけりゃ問題ないだろう。
「林檎ちゃん、こんにちはー」
昼過ぎ、予定通り来てくれた夏川のバカみたいな声が響く。
本当はそれどころじゃないんだけど。
それでも今はこの夏川の能天気さに救われる。
「マコトくん、こんにちはー」
林檎は、どこまで気にしてるのかわからない。
作り笑顔なのか、本当に気が紛れているのか。
「今日は髪、おろしてるんだねぇ。うん、それもかわいいよ」
「えへへ。ありがとー」
……悪くはなさそうだな。
まるで自分を売り込むかのようにベラベラしゃべりまくる夏川のおかげで、少し現実逃避出来た。
たぶん、林檎も。
「マコトくんはおもしろいねぇ」
夏川が帰った後も、そう言ってニコニコしていた。
「そうだな。ちょっとうるさいけど」
「ミノルの周りは温かいね」
「温かい?」
「ママさん、パパさん、ミノリちゃん、ユズちゃん、シズカちゃん、マコトくん」
「……ああ。よく名前覚えてんな」
「みんな優しくて、温かい。ミノルの周りはいいね」
林檎は獣の状態になり、俺の手の下に潜り込む。
甘えるよう頭を擦り付けられ、俺は林檎の毛を撫でた。
俺の周りがいいと言うのなら、ここにいて欲しい。
林檎がいいと思うように……。
夕飯はくどいくらいに肉料理が並んでいた。
豚のしょうが焼き、からあげ、牛のすき焼き。
……やりすぎだろ。
父さんがまたヤキモチ妬くぞ。
まあ、これが林檎のためだってわかってんのは俺と母さんだけだけど。
「それ、林檎ちゃんにあげるササミね」
そう言って、俺の隣に弁当箱を置く。
たぶん、中身は違う。
父さんとみのりの手前、そう言ってるだけだ。
「林檎ちゃんって?」
「ああ、名前言ってなかったっけ。ネコだよ。朝会っただろ」
「林檎ちゃんって名前なんだ。どこ行ったの?」
「部屋で寝てる」
「見に行っていい?」
「駄目。今日の朝、遊んだだろ。あれで疲れてんだよ」
「見るだけじゃん」
「今日じゃなくてもいいだろ。また今度な」
「……ケチ」
どうとでも言え。
「父さんも、そろそろネコ、見たいなぁ」
ああ、父さんはまだ見たことなかったか。
「また今度ね」
「……実はネコを独り占めするつもりか?」
「そんなんじゃないってば。別にいいだろ」
少し納得してない様子だったが、特に文句は無いようだ。
「ごちそうさま」
俺はとっとと夕飯を済ませ、部屋へと戻った。
「林檎。ご飯、持ってきた」
「オン」
「……出来れば感想聞きたいんだけど。俺のシャツ、ソレ着ていいから」
林檎の上へと大きめのシャツを被せる。
林檎はその中で、上手いこと人型になった。
「あと、ジャージも履け」
「ええ。もういいよ」
「目のやり場に困るんだよ」
いまさらだけど。
手渡されたジャージをしぶしぶ履く林檎を尻目に、俺は弁当を開ける。
ササミは少しだけ。
味付け前の豚しゃぶ、すき焼きの肉、衣を切り落とされたからあげが入っていた。
すき焼きも、たぶん湯で洗ってあるんだろう。
林檎はフォークを使い、順番にそれらを食べていく。
食べてる最中に話しかけるのも悪いしな。
ただ、俺はそれを見守った。
笑顔で次々と、肉料理を口に運ぶ。
やっぱり肉好きか。
好きなものがいいとは限らないけど、シュタインのところでも肉は食べていた。
悪いってことはないだろ。
「ごちそうさま」
「全部食べたか?」
「うん」
「多かったと思うけど」
「食べちゃった」
食べ過ぎて苦しいってこともなさそうだな。
「で、どうだった?」
「全部、おいしかったよ」
感想が聞きたいだなんて思ったけど、結局あんまり意味ないな。
「遠慮すんなよ。まずいならまずいって言えばいい。そしたら次は変える」
「うーん……。どれもおいしいよ。ママさんが作ってくれたもんね」
愛情は最高のエッセンス。
.なんてくだらないフレーズが頭を過ぎった。
そんなの綺麗ごとだ。
それでも、そう思ってくれるのはありがたい。
「林檎は、なにを食べてもそう言いそうだ」
「しょうがないよ。おいしいもん」
雑食か。
「とくにこれが一番おいしいとか、あるか?」
「うーん。この下の段のこっち側にあったやつ」
牛か。
「でもね。隣のもおいしくて」
聞いても無駄か。
「……ずっとここにいられたらいいのに」
なんだ、その言い方。
まるで、いれないみたいじゃないか。
「林檎はどう考えてる? ずっとここにいたい?」
「うん……」
「それって、可能だと思うか?」
「え……」
「林檎の考えが聞きたい。わからなければいいけど」
シュタインが来てから、あまり元気がないように感じる。
そりゃ夏川のおかげで一時は気が紛れたみたいだけど。
俺の不安が読み取られているせいか?
「いれるのかな。リンゴ……」
「シュタインが許してくれないってことか?」
「ううん……。ミノルに捨てられないかなって」
またそんなことを。
疑心暗鬼になってやがる。
人と同じで鬱みたいなもんにもなるのだろうか。
それともまだ、前に言ったこと気にしてんのか。
獣でいろ、それが出来ないなら捨てるって。
「俺の前で人型に変わるのは、もう構わないから。駄目なら今も、人型にさせてない」
「うん。ありがとう」
……もしかして、そのこととは別か?
「リンゴね。本当はわかってるの。獣でいた方がいいって。でもね。ミノルとお話したくて」
「わかったから」
「うん。ミノル。ごめん。疲れちゃった」
「ああ。いいよ。もう寝ろよ」
みのりに嘘で林檎は疲れてるだなんて伝えたけれど、本当だったのか。
精神的なもん?
俺のシャツの中で、獣になった林檎は、すやすやと寝息を立てていた。
とりあえず弁当箱、置いてくるか。
「実、どうだった?」
キッチンでは母さんがやたらそわそわした様子で待ち構えていた。
「うん、まあおいしかったって」
「よかったぁ」
社交辞令かもしれないし、なんでもおいしいって感じるのかもしれないけど。
ブーブーブー。
部屋に戻る途中、ポケットで携帯のバイブが響く。
夏川から?
「もしもし?」
「ああ、佐伯? 明日どうしてる? 暇?」
まあ暇なんだけど、林檎のことちょっと見てたいんだよな。
「なんで?」
「なんでとか言うなよ。用件次第で断ろうとしてるのバレバレだぞ」
「そりゃそうだ」
「冷たいなー。林檎ちゃん、俺が帰ってから、俺のことなんか言ってた?」
「……まあ、おもしろいって言ってたよ」
「マジか」
「けど、今日はもう疲れて寝てる」
「で、明日なんだけど。会いに行ったら迷惑?」
「今日会ったばっかだろ」
「暇なんだよ。もしかしてお前、林檎ちゃん独り占めするつもり?」
父さんにも言われたな。
独り占めするつもりかって。
……林檎も、いろんなやつと遊びたいか。
「明日、林檎に聞いて折り返す」
「佐伯、完全に保護者みたいになってんぞ」
否定出来ないな。
「マジで林檎のやつ、結構疲れてるみたいでさ。明日はどうかわかんねーから」
「そっか。まあ体調悪いならもちろん、邪魔しねーし。見舞いとか行きたいけどそれも気、使わせるしな」
「なんだ、お前。結構物分かりいいな」
「俺は女に対しては紳士だからな。日曜日は諦めるか」
「はいはい。じゃあまたな」
「おう、また今度な」
電話を切り、部屋の中の林檎を見下ろすが、俺の声で起きる様子は無い。
ホント熟睡してんな。
俺もとっとと風呂入って今日は寝るとしよう。