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 『かいなの園』は暁神殿の神徒によって運営されている施設だった。

 太陽を女神とし、世界の全てに宿るとされる無数の精霊たちを女神の眷属として崇めるこの宗教は、暁の女神教といい、遙東皇国に存在するたった一つの宗教である。この暁の女神教の総本山を暁神殿と呼ぶ。

 暁神殿はここ国府瑞山の女皇がいる巨大な城と共にある。それから町内もしくは市内に一つ、暁庵と呼ばれる生活に密着した神徒の住む場所がある。人々は困りごとがあると、まずこちらに相談に行くことが多い。

 遙東の人々にとって暁の女神教は、生活と信仰の拠り所なのだ。そのため様々な生活と密接に結びついており、一週間の暦も全て女神とその眷属で表されるぐらいだ。

 週の初めは陽日(ようじつ)、次に光日(こうじつ)火日(かじつ)風日(ふうじつ)水日(すいじつ)

土日(どじつ)闇日(あんじつ)だ。闇日は遙東皇国では休日とされていて、身体を静かに休めることを推奨されている。

 もちろん詐欺師であるトキに休日など無いが、仕事上、休日の前日である土日は忙しい。

 そんな暁神殿が孤児院を運営することは珍しくない。国家に保護されている宗教であるが故に、孤児をいくら預かっても経営に苦労することが無いのはもちろんだが、それ以外にも理由がある。それは御使いのことだ。

 御使いたちは世界に満ちるありとあらゆる精霊たちの、いずれかと運命を共にするのだという。大まかに彼らは暦の元となった七大精霊の加護を受けており、火ならば火の御使い、水ならば水の御使いと呼ばれている。

 暁神殿のほとんどの神徒が御使いであるらしいが、暁神殿に知り合いがいるわけでは無いからよくは知らない。

 玄関で名前を名乗り、路上の少年たちの知り合いだと申し出ると、出てきた年配の女性神徒は笑顔で施設内に招いてくれた。通されたその施設は決して新しくも綺麗でも無かったが、暖かみがあり穏やかな雰囲気に満ちている。

「トキさんとヒワさんの名前は、子供たちに聞いていますよ。彼らはあなた方を好いているようですね」

「ただ年が上なだけですよ」

 何となく気恥ずかしくて髪を掻き上げると、女性神徒は穏やかに笑った。

「戦災孤児にとって、頼れる人がいるのといないのでは、大きく違いますわ」

 目尻の皺まで綺麗で穏やかな女性だ。へらへらとにやけていると、ヒワに溜息交じりに呟かれた。

「この人も許容範囲内?」

「当然」

「見境なし」

 前を行く六十を超えているだろう女性神徒は、地味なワンピースの上に、明るく大きな橙色の布を掛けていた。片方の肩が隠れるその布は、神徒の証だ。橙色は暁の女神の色なのである。

「子供たちはどうしてますか?」

 トキはいつもの好青年に見える如才ない笑顔で尋ねる。これが一番世間受けすることは重々承知しているからだ。

「今朝は混乱していましたけど、今はかなり落ち着いてきましたよ。食事もきちんと取っていますし」

「それはよかった。あのトビは無事ですか?」

 核心に迫る質問をしてみた。トキにとってトビが生きているのか死んでいるのか、それは重要な問題だ。ところが女性は微かに俯き首を振る。

「子供たちにも聞かれたんですけど、その子はここには来ていなくて」

「……そうですか……」

 落胆が顔に出たのか、女性神徒は申し訳なさそうに顔を曇らせた。

「ごめんなさいね」

「いえ。こちらこそ済みません」

 微笑みながら女性神徒に謝ると、彼女はホッとしたように扉に手をかけた。

「こちらにおりますわ」

 開かれた扉の向こうに、沢山のベットが並んでいた。三段に組まれたベットの一番下に子供たちが幾人も腰掛けている。扉の音に気がついてこちらを見た子供たちが声を上げた。

「トキ兄! ヒワ兄!」

「お前ら、無事か?」

 一声掛けると、子供たちの顔がみるみる歪んでいった。子供たちの視線は女性神徒を伺っている。路上生活者である彼らは、育ちの違うこの女性神徒がいる前では話しづらいのだろう。

「すみませんが、子供たちと俺たちだけで話をさせて貰ってもよろしいでしょうか?」

 子供たちを気遣うような優しさを込めて、丁寧に女性神徒に尋ねると、彼女は穏やかに微笑んだ。

「そうですわね。ではお帰りの際に私に声をおかけください」

「失礼ですがお名前は?」

「私はアカネ。この施設の責任者です」

「アカネさんですか。暁の女神のように美しい名ですね。お心遣いに感謝します」

 笑顔で頭を下げると、アカネは少し照れくさそうに笑った。

「若い子にそんな風に言われては、立つ瀬がございませんわ。ごゆっくりお過ごしなさい」

 アカネが立ち去り、扉が閉じられた。廊下を遠ざかる足音を確認し、トキは口を開く。

「で、お前ら、何があった?」

 真剣に聞いたのに、子供たちはぽかんとした顔でこちらを見つめている。

「何だよ、んな顔しやがって」

「トキ兄って、本当に詐欺師なんだね」

 子供たちを代表するように、一番年長の子、テツがしみじみと言った。

「はぁ? 何言ってんの、お前」

「あんな風に微笑むトキ兄なんて、見た事ないもん。な、みんな?」

「うん!」

「ああやって人を騙してんだね!」

「すっげえ悪い奴なんだね、トキ兄!」

 口々に尊敬されてるのかけなされてるのか分からない言葉を投げつけられたが、それで子供たちが幾分か元気を取り戻していることが分かった。

「そんな詐欺師の俺の稼ぎを、てめえらがピンハネして飯食ってんだろうが」

「ピンハネ、ピンハネ!」

「俺たち詐欺師より偉そうじゃん」

「んだと、こら。誰が喰わせてやってると思ってるんだ」

 ふざけて腕を振り上げると、子供たちがいつものように声を上げて笑い出す。悪のりしかかった時、小さくも冷静な声がトキを制した。 

「トキ」

「分かってるってヒワ。で、朝のことを正確に話せ」

 子供たちを促すと、子供たちは困ったような顔をして元々腰掛けていた場所に銘々で戻った。

「実は俺たちも、何があったかよく分かんないんだ」

 テツが重たい口を開いた。

 戦災孤児たちは夜が遅いため、朝はいつも遅い。今朝もいつものように裏路地の荷物置き場に作られた粗末な小屋に全員で寝ていると、唐突に小屋の扉が開け放たれた。

 テツはその音で目を覚ましたのだという。

 それは時折あることで、戦災孤児の誰かが怪我をした知らせであったり、浮浪者が昨夜の上がりを奪いに来ることであったりもする。

 だが今朝は違っていた。気がつくと建物の中に幾人かの大人の男たちが雪崩れ込んできたのである。

 驚く子供たちに向かって、男は手にしていた拳銃を構えて怒鳴ったのだ。

「トビという子供はどこにいる!」

 飛び起きた子供たちは、うろたえてトビを見つめた。トビも彼らに怪我を負わせたりしたくなかったのか、すぐに立ち上がった。

「俺がトビだよ、おっさんたち。何か用?」

 そういった瞬間だった。トビは近くにいた男に拳銃の台座で頭を殴られた。

 声も出ない子供たちの目の前で、床にくずおれたトビの顔に、その場の中心的な男が蹴りを入れた。頑丈そうなブーツでの蹴りは、トビの鼻をへし折り、床中が血に塗れた。

 痛みにもだえ、苦しみながらも、トビは子供たちに来るなと言った。実際にそう言われなかったら、テツたちは大人に飛びかかり、全員が怪我を負っていただろう。

 顔面を血に塗れさせたトビを、中心の男の部下が髪をわしづかみにして持ち上げた。痛みに呻くトビに、中心の男が言ったのだという。

「お国の役に立てなかった親の子のくせに、我らの邪魔をしよって。戦災孤児風情が余計なことをするな」

「……戦災孤児……風情……?」

 血に塗れながらトビはそう言って男を睨み付けた。だが男は汚らわしい物でも見るように、トビの浮き上がっていた腹を蹴った。

 地面に転がされ血を吐いたトビに、男は冷淡な顔で吐き捨てたのだ。

「余計なことをしよって。女皇様のお耳に入っては元も子もないではないか。虫けらなら虫けららしく大人しくしておればいいものを」

「どういたしますか?」

「虫けらどもは潰せ。どうせ世間の役にもたたん」

 その言葉に、子供たちは皆一様に恐怖を感じたのだという。つまりこの男たちから見れば、自分たちは殺してもいい虫同然なのだ。

 その時、床に転がっていたトビが、顔を上げて怒鳴った。

「お前ら、逃げろ!」

 怯えて竦んでいた子供たちは、その途端弾かれたように駆けだした。

 元々この家は寄せ集めぼろで作られている。大人には抜けられないが、子供が通れる隙間は至るところにあったのだ。

 その途端、拳銃の発砲音が聞こえ、トビがゆっくりと倒れたのが見えた。

 でもテツたちは最後のトビの命令に従ってただ走った。走って走って、それでも路地から離れがたく、大通りに出たところに隠れた。

 すると先ほどの男たちが走って逃げていくのが分かった。

 静まりかえった後、子供たちは恐る恐る様子を見に戻り、そこでトビを抱きかかえるユウオウの姿を見たのだ。

 思わずトキは唾を飲み込む。子供たちの話が本当ならば、何か大がかりなことに巻き込まれているのかもしれない。しかもそれがトビが調べていたことだったとしたらつまり、御使いが消えるというあの話だ。

 たいしたことじゃ無いだろうと思っていたというのに、それほどまでに危険な話だったのだ。

「ユウオウは何してた?」

「トビの手当てをしてた。でもユウオウが何をしてもトビは何も反応しなくて。死んでるみたいだった」

「そんな……」 

「施療院に連れて行くからついて来いって言われてついて行ったら、ここに連れてこられたんだ」

 そういうとテツは仲間たちの顔を見た。子供たちは皆一様に黙ったまま頷く。どうやら補足すべきことは何も無いらしい。

「ユウオウとトビは?」

「そのまま施療院に行った。僕らはそれからずっとここに居るんだ」

 手がかりはここで途絶えた。やはり情報を知っているのはユウオウだ。

「ユウオウはもしかして、その攻め込んできた男の中にいたんじゃ無いのか?」

 疑いを口にすると、テツを始め子供たちが首を振る。

「ユウオウがいたなら分かるよ。ユウオウほど大きな人はいなかったし」

「じゃあどんな奴だったかは覚えてないのか?」

「覚えてないよ。全員が黒ずくめで、布で目以外を覆ってたんだもん」

 覆面をして、御使いを探す子供たちを脅しに来た。

「奴らは御使いが消えることを知っていた。ってことだよな、ヒワ」

「ああ。彼らが犯人だと考えるのが妥当だ」

「だよな。でも女皇様に内緒ってどういうことかな?だって俺ら一般人が何やろうと女皇様に知られることなんて無いじゃん」

 トキにとってこの国を治める女皇は雲上のまた上の存在だ。時折本当に存在しているかも分からなくなる。なのに彼らは女皇の耳に入れたくないと言ったのだ。

 つまりそれは、女皇を知る立場に犯人がいる事になる。

「トキ兄、ヒワ兄、一つ思い出した」

 テツが隣にいた幼い少女を押し出した。

「こいつが何か聞いたって」

「どうしたエンジ」

 話を向けると、引っ込み思案なエンジはモジモジと俯いて手をいじった。トキに変わってヒワがエンジの元にしゃがみ込む。

「エンジ?」

 こういう時、ぶっきらぼうのヒワの声が少し優しく甘くなる。するとエンジは安心したように口を開いた。

「あのね、一番威張ってた男の人ね」

「うん」

「一度だけ『かっか』って呼ばれたの。それでね、呼んだ人は、その人にすっごく睨まれてたの」

「『かっか』……閣下か」

 ヒワの声が重く沈んだ気がした。だがトキは驚きで声を荒らげる。

「閣下って、軍人じゃねえか!」

「……あだ名の可能性もある」

「じゃあ何で子供に聞かれて怒るんだよ。それが本当の身分を示すからじゃ無いのかよ!」

 くってかかると、ヒワは小さく溜息をついた。

「そうだな」

「軍人が何で御使いを……? 御使いなら暁部隊がいるのに」

 遙東軍には、暁部隊という部隊がいる。その名の通り、暁神殿から派遣される御使いたちの集団だ。貧困街の戦災孤児でさえも知っている、特殊な正義の集団である。

「暁部隊の司令官は暁神殿の人間だ。軍属じゃ無い」

「あ、そうか……」

 軍に所属しつつも、彼ら暁部隊は女皇直属の部隊であり、女皇の許可無く動かすことは一切できない。つまり軍にあって軍では無いのだ。

「しかも人数が少ない」

「そういえばそうだな」

 御使いには使える力に差があると聞いたことがある。戦いのに適した力と、守るのに適した力。平和な世で無ければ役に立たない力、人々の心和ますのにのみ役立つ力。

 だからこそ最強とうたわれる暁部隊は、子供たち憧れの存在なのである。

「じゃあ軍が暁神殿に取られる前に御使いを攫って軍にも暁部隊を作ろうとしてるとか?」

「なるほど。女皇様が許すわけ無い」

「だからこっそり知られないようにさ……」

「トキ」

 ヒワに制されて周りを見ると、子供たちがじっとこちらを見ていた。トキとヒワの話に興味を示している。

 暁部隊の話は子供たちの前でするべきじゃ無い。憧れの暁部隊に危機が迫っているかもしれないとなれば、子供たちは制止しても御使い失踪事件を追おうとしてしまう。トビのような子をもう出すわけにはいかない。

 これ以降は最も年上で成人済みのトキがやらねばならない事だろう。

「お前ら、他に何かあるか?」

 尋ねると、子供たちは顔を見合わせ合ってから首を振る。

「じゃあ俺たちは行くな。お前らがねぐらに帰ったら、また襲われるかもしれねえから、しばらくここに潜伏しとけ」

「でもトキ兄……」

「俺たちが何とかする。だからお前らはここで綺麗なアカネさんたちをたらふくたらし込んでおけ。何かあったら助けて貰えるようにな」

 冗談めかして言うと、子供たちは渋々頷いた。トキがこの顔で言うときは、子供たちの介入はこれ以上許さない時だとみな知っている。

「一つだけお願いだよ、トキ兄」

「何だ?」

「トビが生きてるって分かったら知らせてよ」

 テツを見るとたった一日で子供たちを束ねる立場になったテツの目がこう語っていた。

 もしトビが死んでいたら知らせないでくれ。トビが目の前で殺された衝撃に、子供たちは耐えられない。

「分かった。すぐ知らせる」

「うん」

 子供たちに別れを告げ、アカネに彼らを頼んだトキとヒワは『かいなの園』を後にした。

 時間はすでに夜も遅くなり、空を見上げると、貧困街側に星が瞬いていた。上流階級と皇族のすむ最も高い峰の向こうは、光に白く霞んでもやがかかっているみたいだ。

 寒さに軍用コートの襟を立てて首をすくめると、隣でヒワがマフラーに首を埋めた。

「トキ」

「ん?」

「本当にこれからもこの事件に関わる気?」

 マフラーのせいか、いつもよりもくぐもったヒワの問いかけに振り返ると、いつも白い頬がいつも以上に白く、青ざめているように見えた。吐く息の白さは、頼りなく消えてしまいそうに細い。

「寒いの、ヒワ?」

「……質問に答えて」

 長い前髪の陰から見える非難するような真剣な瞳に気圧されて、トキは言葉に詰まる。

 軍人が出てきた時点で少し怖くなったのは事実だ。でも自分の仲間たちが怪我を負わされ、攫われているのも事実だ。放って置いていいわけがない。

 ユウオウは強いし、トキよりも頭がいいから、もう動いているだろう。ユウオウに任せておけば問題はない気もする。

 だがトキにはトキの正義がある。仲間を助けられずに、何が孤児たちの顔役だ。

「トキ」

 怒ったような焦れたような声に振り返った。トキの心は決まっている。だけどそれを言っても、ヒワには分かって貰えないような気がした。

 考えてみればヒワは最初から、この件に介入することに反対していた。

「まず飯食おうよ。昨日の今日で、俺少しは懐が温かいんだ」

 考えてみれば家を飛び出したときに昨夜の残りを腹に収めてから何も食べていない。何をどうするにも必要なのは腹ごしらえだ。

「はぐらかすなよ」

「本当に腹減ってんだよ。食べてから、それから話そうぜ」

 腹をさすりながらいうと、ヒワの腹も小さく空腹を訴えた。白い頬を微かに赤らめて、ヒワがそっぽを向いた。

「じゃあ食べたら質問に答えろよな」

「もちろん」

 遅れがちなヒワを後ろに従えたまま、トキは中流階級と貧困街の境にある、馴染みの店に向かった。 

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