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「トキ兄」
不意に後ろから声を掛けられて振り返ると、先ほどの子たちより少しだけ年を重ねた少年が立っていた。継ぎ当てだらけのジャケットから、古ぼけた吊りズボンが覗いている。見覚えのある帽子に至るまで、全てがトキのお下がりだ。
酷く癖毛の黒髪は、いつ洗ったか分からないぐらいに、もじゃもじゃと縮れて帽子からはみ出している。年は確か十四歳だ。戦争で家族親戚を全部失った、典型的な震災孤児で、名前をトビという。
「よう、トビ」
少々生意気だが自分と似た名前だし、トキをこよなく尊敬してくれているから、彼を特別に目を掛けていた。
「どうかしたのか? そんな思い詰めた顔をして。女でも孕ませた?」
ここいらではよくある話で、孤児が孤児を生むと問題になっている。からかいめいた言葉に、元来真面目なトビが眉を顰めた。
「……やめてよトキ兄。トキ兄が言うと冗談に聞こえないよ」
「そんなに俺がいい男?」
「うっかりミスして女を孕ませたあげくに、逃げ回りそうなタイプってこと」
「お前、俺を何だと思ってるのさ」
トキは大げさに溜息をつき、片手で額を押さえた。尊敬されているはずだが、こういうことはずばりと言い切るのがトビのいいところだ。と思うことにしている。
「ヒワ兄に比べて節操ないよね」
「仕事! これが俺の仕事なの!」
確かにトキは詐欺師で口が上手いし、田舎者の女性を騙して、カモにすることは多々ある。
元々トキは女性全般が大好きで、カモにする相手以外の女性だったら、誰に誘われても後腐れが無ければ色々な温情をありがたく頂くことにしている。
だがカモにする女は別である。食事をおごらせてから、大概女がシャワーを浴びている間に、財布の中身をぜんぶ頂いて帰るぐらいで、決して身体まで頂くような人でなしなことはしない。女好きを自認する、トキの信条だ。
それに素人であるカモに手を出して、孕まれて、自分と似たような生き物がもう一匹増えるなんて、冗談じゃない。孤児が孤児を作ってどうするというのだ。
少なくともトキは路上少年が増えることを歓迎しては居ない。トキがそうであるように、彼らは皆、心に重い傷を背負っているからだ。
「くだらない話はさておいて、トキ兄」
あっさりと今までのやりとりを流されて、トキは溜息をつく。路上少年になる前の彼は、きっと利発な子だったのだろう。
「何だよ」
「リンが消えた」
真剣なトビのまなざしに、トキは表情を改めた。黙ったまま顎をしゃくって続きを促すと、トビは頷く。
「シシ、ベニ、フシも消えたんだ。ここ一月に四人だよ、トキ兄」
声を潜めたトビに、トキはそっと顔を寄せる。
「養子にもらわれたんじゃないのか? 孤児院に入ったとか?」
「違うよ。俺もそう思って孤児院を見て回ったし、大人たちに聞いてみたんだ。でもあいつらどこにもいない」
思い詰めたようにトビは唇を噛んだ。路上生活をする子供たちは、トビからすれば皆兄弟だ。苦しげに黙ってしまった彼に、トキは続きを促す。
「……で?」
「絶対変だから調べたら、あいつらが居なくなる数日前から、妙な男たちに付けられてたみたいなんだ」
「付けられてた?」
「うん。ほら、あいつら、御使いだったから」
「……御使いか……」
トキは呻いた。
ごくごく希に、不思議な力を持った子供が生まれることがある。ある者は座ったまま遠くを見渡し、またある者は目に見えない自然の声を聞く。そしてある者は自然現象を操る力を持つ。
この国で信仰されている暁の女神教と同じ、光、火、風、水、土、闇を操るのである。
彼らは遙東では御使いと呼ばれる。他の路上少年たちと比べて、できることが桁違いに多く、食べていくことに苦労はしないから、単独で稼いでいることが多い。集団で物売りなどをしたり、金物を拾ったりする必要が無いのだ。
それに彼らの多くは望めば暁神殿の管理下に置かれ、神官になる。実際にこの街でも見る光景だ。
上流家庭や中流家庭ではどうだか知らないが、こと貧困街の場合、女神の力を持つ子供が暁神殿に召される時は、この街にも沢山の授かり物が配られる。女神の僕となる人々に関わった者たち、特に彼らを育んだ貧困街に、神徒たちの祝福が与えられるのだ。
だが最近、女神の賜物は配られていない。つまり彼らが消えた理由は、暁神殿にはない。
「ヒワ兄にも話したんだ。途中までは頷きならが聞いてたんだけど、途中で急にその話に関わりたくないから帰れって……」
「へぇ……珍しいな」
「うん。急に仏頂面になったんだ」
普段からあまり喜怒哀楽を表現しないヒワではあるが、情報源である子供たちにそんな態度を取るなんて珍しい。体調でも悪いのだろうか。
「トキ兄……どうしたらいいかな」
深刻なトビの頭を軽く手のひらで叩く。もしゃもしゃの髪の毛のをかき回すと、トビは顔を上げた。
不安げな眼差しを受けつつ、トキは口元を引き上げた。自信満々の笑顔という奴を作るのは、トキの得意とするところだ。
「調べてやるよ。ガキは余計な心配しないで寝ちまいな」
「本当に? 嘘じゃ無いよね?」
「俺は大人をカモっても、兄弟を騙さない」
貧困街では親のいない子供たちは助け合うのがルールだ。その生活から一歩抜け出たトキであっても、この街で暮らしている以上、このルールは貫くつもりだ。
「ありがとう、トキ兄」
トビが肩の荷を下ろしたように、笑みを浮かべた。利発なこの少年は、こうして生き生きとしているのが一番似合う。
「明日、お前んとこいくからできるだけ情報を拾っとけ」
「了解! いっぱい集めておくよ」
やけに自信に満ちた言葉に顔をしかめる。
「こんな時間から情報を集めんのに、なんで自信たっぷりだ?」
「だってトキ兄、どうせ昼まで寝てんだろ? 俺んとこ来るのも昼過ぎだし、余裕余裕」
「……馬鹿にしやがって」
文句を言って見るも、本当のことなので反論しようが無い。
「明日、待ってるからね!」
「朝一で行ってやるからな! 覚悟しとけよ!」
「トキ兄には無理無理」
弾むような足取りに安堵の表情を浮かべて帰って行く背中を確認してから、トキは溜息交じりに頭を掻いた。もしかしたら面倒ごとを背負い込んだのだろうか。
立ち尽くしていても寒いだけだから、もう一度大きく息を吐くとトキは自分のアパルトメントへと足を速めた。
人混みから離れ、一本裏路地に入ると、古いアパルトメントが、いくつもひしめくように並び立っている。暗い路地にはトキの早足の靴音だけが壁に反響して高く響く。強固な石造りの建物だから、内部の生活音は全く零れてこない。
見上げると黒々と建物の影が迫る。建物と建物の隙間などなく、まるで巨大な一つの建物のようだ。
木組みと石積みで作られた、生成り色、薄い桃色、水色の漆喰塗りの建物は、風雨にさらされて、全てが薄ぼんやりとした灰色に包まれている。
重厚な建物群といえばたとえはいいが、古いだけで無く、恐ろしくボロボロだ。人が住んでいるのかいないのか見た目では見分けがつかなそうな建物の中から、トキは部屋のある建物の中央扉を選んで集合玄関へと入った。
中心街だったなら住む人などいないだろうが、ここには結構な数の人々が生活を営んでいる。
薄暗い集合玄関には、緑青の浮いた銅作りの郵便受けが左右に分かれて並んでいて、一階の住民の扉が静かにその口を閉ざしている。ここまで来たって、住民たちの生活の何の物音もしてこない。
その奥に各階を結ぶ螺旋階段が、建物の最上階までを抜ける吹き抜けのようにそびえ立っている。入り口の木造の扉が重たげな音を立てて閉じると、冷たい空気がすっと途切れた。まだ底冷えするように寒いが、風がないだけましだろう。
トキの零す吐息に変わって、埃としめった空気が、しんと螺旋階段から下りてくる。太陽が空にある時間ならば、天窓から明かりが落ちて、古ぼけた木製階段を多少は美しく見せてくれるが、ランプの明かりだけが頼りの宵闇の中では、ただただ古い印象しかない。
階毎に廊下が交差する階段を上る自分の足音の響きに、どことなく追われるような気分になりながら、トキは一歩一歩周りの気配に気を配りながら上る。この季節は、暖を取るためにこうした廊下の薄暗がりに潜んでいる浮浪者も少なくない。
路上少年たちと違って、大人の浮浪者は、組織されているわけではないから、トキのような立場からすれば面倒で注意すべき相手なのだ。
何しろトキはまだ成人したての十八歳だ。歳を重ねた彼らからすれば、子供の部類だろう。もちろん喧嘩となれば負ける気は無いが、刃物を手に迫られたら今日の稼ぎは諦めねばならないだろう。
金があっても、生きて居てこそ。命あっての物種だ。
五階の最上階まで上ったトキは、静まりかえった廊下をいつもの如く足音を忍ばせて進み、突き当たりの扉に鍵を差し込んだ。静かな廊下に施錠の音が響き、軋みながら扉が開く。
扉の中に身体を入れ、後ろ手で扉を閉めた瞬間に、トキは少し安堵する。この街に住んで長いが、やはり何の警戒心もなく歩き回れる街ではない。だから絶対に安全だと分かっている自分の部屋に戻ってくると、本当に力が抜ける。
入り口でコートとハンチング帽を掛けて、中に向かって呼びかけた。
「ヒワ、ただいま」
二人で使っている狭い居間に入ると、古ぼけた石炭ストーブの火が、少し小さくなっていることに気がつき、隣にある石炭バケツから石炭を継ぎ足す。火は一瞬小さくなったが、構わずにストーブの上に載せられていた、大きなブリキのケトルを振る。空っぽだ。
「空焚きするなってのに」
小声で文句を言い、タイル作りの炊事場までケトルを持って行って蛇口をひねり、水を満たした。寒くても屋上の水タンクが凍ることがないのは、こういう時に助かる。年中水が出るのはありがたい。
戻ると石炭ストーブの中は赤く燃え始めていた。ケトルを載せると、石炭はまだ隣にバケツ一杯あることを確認する。
外へと伸びるストーブの煙突には幾本かの鉄線が結ばれていて、そこには未だ洗濯物が掛けられたままだ。
「ヒワぁ、ただいまってば!」
いつもはヒワが片付けている洗濯物を取り込みながら大声で相棒を呼ぶと、ようやく自室の扉が開いてヒワが顔を出した。室内にいるというのに、外から帰ってきたトキの三倍以上は服を着て着ぶくれている。その上何故か前屈みで、見た目だけだとぬいぐるみのクマみたいだ。
最近夏でも着ぶくれているせいで、ヒワが少しでも大きくなっているのか全くのなぞだ。寒がりもここまで来ると一種の病かもしれない。
小さく欠伸をかみ殺したのか、髪がふわふわと揺れた。遙東には珍しい、黒髪ではなく茶色がかったふわふわの癖毛に、白っぽい肌をしたそばかすが、妙に馴染む。長く伸びた前髪の隙間から覗く半開き目も微かに薄青い色彩を湛えている。
トキは勝手に、敵国からの亡命者が、花街で身体を売っている花人たちを孕ませて産ませた子だと信じているが、本人は嫌そうな顔をして肩をすくめただけだった。
きっとトキと同様、自分のことなど分かっていないのだ。
「お帰り、トキ」
ぼそぼそと少し高くてかすれた特徴的な声で、しかも早口で聞き取りにくく口の中で呟くように言うヒワに、トキは溜息をついた。
「ただいま。何その髪。寝てたの?」
「まあ、思想にふけっていたというか……」
「つまり寝てた?」
「ベットに寝転がっていたからといって、寝ていたわけじゃない 肉体労働派からみればだらけているかもしれないが、僕は頭で仕事してる」
ヒワは時折理屈っぽい。特に言い合いになると、声を張るわけでも感情的になるわけでも無いのに勝てない。トキがからかうと三倍の言葉になって返ってくるから、こういう時は別の話題にさっさと切り替えるが勝ちだ。
「はいはい。夕飯、牛の煮込みだよ。食べる?」
「食べる」
朝食から何も食べていないヒワが素直に頷く。トキは二食きっちりと食べた上、出先で色々なものを摘まむが、ヒワはトキが運んでくる食事だけで生きている。
珍しい容姿であることも外出を渋る理由になるだろうが、それ以上に外に出ることが面倒なのだろう。
本当に腹が減れば彼だって、アパルトメントを出て食べ物を買いに行くだろうが、何となく彼ならば買い物に行って食事を取るよりも、食料庫の瓶詰めを舐めて暮らしそうな気がして怖い。
どうやらヒワはあまり食料を必要としていないようだなのだが、そのせいで背が高くて均衡の取れた身体をしているトキと比べて、ヒワは小柄でとにかく線が細かった。トキはヒワの年を知らないのだが、年下だろうとは思っている。同い年だったとしたら、あまりにヒワの成長が遅すぎるし、食事を取る量が少なすぎる。
まるで日陰の植物みたいだ。
たまにトキは、同じ植物を日向で育てたのがトキで、日陰で育てたらヒワになるんじゃないかと考えることがある。
背を丸めた格好で、自分の部屋から出てきたヒワは、振り向きざまにコインを一枚放ってきた。反射的に受け取る。
「回転コイン用のコイン。今までのはかなり摺れたっていってたろ」
手のひらのコインを見ると、器用にコインの表側下と裏側上が一見すると分からないように斜めに削られている。これは客にコインを回させて裏表を当てるという最も単純なペテンだ。コインの裏表を上下逆に倒れやすく削ってあるため、客が回した途端にどちらに倒れるか分かる優れものだ。
あまりに簡単に稼げるから、本格的なペテンの前座にやることも多く、枚数を持っていた方がいい代物だ。
「相変わらず器用だな」
「ありがたがってくれ」
当たり前のようにそう言いつつ、ヒワはいつものように食器棚から二人分の食器を取り出して並べ始めた。
出会った頃からヒワは異常に手が器用で、目にもとまらない動きで人の財布を摺り取るその指はトキの憧れでもあった。だから自然と二人はコンビのスリになった。
だがトキが詐欺師になり、ヒワが後方支援と決めた時から、見事なスリの腕前を見ることはなくなった。
その代わり、ヒワはいつも見事なペテンの仕掛けを作る。今日の稼ぎの大半を稼ぎ出したスリーカードに細工したのもヒワだ。毎日毎日ヒワは細かな小道具を作るために部屋に籠もっている。それがまた楽しいようだ。
日常生活も仕事と同じように完全に役割分担されている。食事を買ってくるのはトキ、並べてよそるのはヒワの役割だ。部屋を手に入れて、一緒に暮らすようになってから決まった、二人の役割分担なのだ。
部屋など持っておらず、道ばたで寝ていた時はお互いに役割なんてなかったが、今はすっかりこの役割分担で落ち着いている。
最初トキは、ヒワに洗濯物、食事の片付けをやらせるのは気が進まなかった。遙東皇国では通常それは家を守る女性がやることで、男同士で暮らしている場合はお互いに同等だと思っていたからだ。
だがヒワはあっさりとこれでいいという。その代わり、外には必要最低限しか出かけないと彼は宣言したのである。
確かに路上少年だった時も、ヒワだけが知らない浮浪者に小突き回され、トキが彼らに立ち向かうことが多かった。
幾度か小競り合いを繰り返し、一昨年までは断続的に十年近く戦争状態にあった敵国ネーソス人に近い容姿のヒワは遙東人より顔の彫りも少し深い。本人は親の顔も覚えていないというが、ネーソス人の血が入っているのは明らかだった。
戦争が終わってから上流階級の住む最も標高も金額も高い地区では、時折ネーソス人を見るようになったという話だが、ここ最下層の貧民街では、本物のネーソス人を見た事もない。
いつものように背中を少し丸めて、乏しい表情で油紙の袋に入れられた牛煮込みを盛りつけているヒワを見ていて、ふと思い出した。そういえばトビが妙に素っ気なかったと言っていたのだった。だがヒワは見たところいつも通りだ。
自分で焼いたらしい大きなパンを切り分けている背中に向かって声を掛ける。
「今日、トビがきたろ?」
一瞬妙な間があったが、ヒワは小さく頷いた。
「……ああ」
「話、聞いた?」
「聞いた」
「話聞いて、急に不機嫌になったってトビが……」
「そんなことない」
思ったよりも強く、ヒワがそれを否定した。叩き付けるような断言に、いつもと違う拒絶感が含まれている気がして戸惑う。
「いや、どうかしたのかなと思っただけだけど……」
戸惑うトキに、ヒワは我に返ったように振り返った。こちらを見る瞳が微かに動揺で揺れている。相棒の顔は見慣れているから、彼の心の動きまで簡単に伝わった。
「子供たちが消えたって聞いて、少し驚いたんだ」
「だよね。だってみんな御使いだって言うし」
ただ同調しただけなのに、ヒワの顔がまた軽く引きつったのが分かった。こんな風に動揺するヒワを見るのは初めてだ。
でもそのまま言葉を引っ込めるのも気持ちが悪いから、いつものように持ちかける。
「調べてみよっかなって思ってるんだけどさ」
「それはトキの自由だ。僕の許可を取る必要はない」
「……手伝ってくれる気は?」
「僕は今回は手を出さない」
またきっぱりと言い切られた。
「何で?」
「悪いけど、無理だ」
「そんなあっさり……」
「御使いの行方不明が知れたら、警邏隊が動く。僕は警邏隊が嫌いだ」
ヒワの動揺はここだろうと、トキは何となく察する。ヒワは自分の姿形のせいで、軍隊、警邏隊の全てが嫌いだ。街を歩いているだけで敵国の諜報員扱いされて怪しまれるヒワにとって、避けたい人々なのである。
子供四人の行方不明であるが、ここは貧民街だから、警邏隊が動いてくれることはないだろう。だが御使いだったと言うなら話は別だ。御使いは神殿の庇護下に入れられる。神殿にこの話が伝われば、神殿経由で警邏隊が動き、失踪事件を調べるかもしれない。
そうなればそれをかぎ回る存在は怪しまれる。それがヒワだったら、また敵国の諜報員かと誤解される。きっとヒワはそれがいやなのに違いない。
「分かった。じゃあ俺ひとりで調べるよ」
「ああ……」
「仕方ないよな。警邏隊だの神殿だのが出てくるんじゃ。戦争が終わったんだから、もうヒワにも構わないで欲しいよな」
重くなってしまった空気を軽くしようと、冗談交じりにいったトキだったが、ヒワを見た瞬間にぎくりと竦んだ。ヒワの青い目が、いつも以上に青く澄んで悲しみを湛えているように見えたのだ。
「ヒワ?」
「そうだね。本当に勘弁して欲しいよ」
妙にしおらしくヒワがそう言って俯いた。骨の浮いた手の甲が妙に白い。それがきつく握りしめているせいだと気がついて、トキは眉を寄せた。
何でこんなに緊張しているんだろう。もう十年近く相棒であるヒワが、何を悩んでいるのか全く分からずに、トキは立ち尽くす。
戸惑いの中にいるトキに気がついたのか、ヒワがいつもの微笑とも苦笑ともつかない表情を浮かべて自分から椅子に座り、向かいの席を指し示した。
「暖かいうちに食べよう」
明らかに気を遣われて我に返り、曖昧に微笑みを浮かべながら席に着いた。目の前にはパンとバターも置かれている。小さく息をつくと、トキは明るく手を合わせた。
「冷めたらもったいないもんな」
「うん」
「ヒワ、いっぱい食べろよ。俺、宵霞でも少しつまんだし」
「これはトキの稼ぎだ」
「ヒワの稼ぎでもあるだろ。あまり食べないと、いつまで経っても大きくならないぞ。未だに声変わりしないなんて、お前だって困るだろ」
ついつい年上風を吹かせると、ヒワは小さく溜息をついた。
「別に困らないけど……」
「嘘つけ。綺麗なお姉さんといつまで経っても遊べないなんて悲劇だぞ?」
いつまでも細いヒワを心配していったのに、ヒワは思い切りトキを蔑んだ目で見た。
「……トキの中そればっか?」
「あ、男のロマンを笑ったな?」
「そんなロマンいらない。頂きます」
「頂きまーす!」
結局その日は、トビの話を抜きにして、いつもの子供たちの話を聞いた。微かに心に刺さったヒワの痛みを伴う表情を、トキは意識的に心の奥底へと追いやった。