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異世界の路上少年上がりのペテン師とその相棒の、街の冒険物です。友情だったり、成長だったり、はたまたラブストーリーだったり。明るく楽しく軽いタッチで読める(と思う)物語です。
お楽しみいただければ光栄です。
トキは慣れた手つきで三枚のカードをテーブルに伏せた。
「さあ、クイーンはど~こだ?」
笑みを浮かべて、目の前のグラスにつがれたバーボンを親指と小指だけで優雅につまみ上げる。こんな簡単な仕草だけで、相手を軽く慌てさせられることぐらい百も承知だ。
余裕を崩さず、自分の手元を凝視する観光客を観察する。古ぼけた上下のスーツに、くしゃりと型の崩れた山高帽。中肉中背の中年のくせに、興味で輝く瞳。戦後の平和ぼけした典型的な観光客だ。
まあ、翌日が陽の日で休みとくれば、この手の観光客が国府のバーに溢れるのは当たり前のことだ。何しろ敵国からの艦砲射撃から逃れた、綺麗なままの国府は、今や絶好の観光地だ。
それを利用させてもらうのが、トキの商売だから、ありがたいと思わなければいけないだろう。観光客様々だ。
「まだかい? こんな簡単な賭けに時間掛けてる余裕、ないんだけどさ」
「もう少し!」
「カード三枚しかないんだよ? そんなに苦悩することかよ」
さらりと溜息交じりに、トキは黒髪を掻き上げた。自他共に認める見目の良さと溜息は、どうやら相性がいいらしい。
大抵の客は、このトキの癖でよりいっそう焦り出す。生まれてこのかた親の顔など知らないけれど、この顔に生んでくれたことだけは感謝だ。
「じゃあ、これ! 絶対にこれだ!」
「オッケー。じゃあ返してみて」
トントンと客が示したカードを指で叩くと、男は恐る恐るカードを裏返す。そこにいるのはもちろん艶めかしくウインクするクイーン……ではなく、むさ苦しいひげ面のキングだ。
「はい、残念。キングでした」
「え? 何で? だって……」
困惑する客の目の前に手を突きつけた。
「は~い、銀貨二枚ね」
「ちょっと待ってくれ!」
焦る男に、トキはさらりと手のひらを裏返してカードを指し示す。
「何なら全部確認していいよ」
余裕で笑みを浮かべると、男が苛立ち紛れに手荒くカードを三枚ともひっくり返した。キング、クイーン、スペード。何の変哲もない三枚のカードだ。
「これで負けを認める?」
「くそっ! 今晩はとことんついてない」
懐を漁った男が、銀貨を十枚テーブルに叩き付けた。ありがたいありがたい。これで今晩はちょっと贅沢できる。
「もう終わりかい、旦那?」
憮然としたままの男にからかい口調で言うと、納得できない表情のまま腹立たしげに吐き捨てた。
「終わりだ! マスター、勘定してくれ」
つぶれかけた山高帽を叩いて埃を落とすと、男はそれをかぶって会計に立った。後ろ姿からも、悔しさと、気軽に賭けに乗ってしまった後悔がはっきりと浮かんでいて、こみ上げる笑いを抑えきれない。
トキは内心で『毎度あり~』と舌を出した。
男の自分から興味がそれたところで、トキはサスペンダーでつり下げた労務者風のズボンのポケットを軽く探った。手の中には、今晩のスリーカードで稼いだ銀貨がたんまりと詰まっている。
「サンキュー、じっちゃん」
小声で礼を言うと、近くのスツールに腰を下ろしていた老人に銀貨を一枚投げる。白髪にひげ面の老人がそれを片手で受け取った。
さすがは元スリ、未だに手は器用だ。
「稼いだな、トキ坊」
「チョロいチョロい。じっちゃんのおかげさ」
トキは手の中のカードに目を落とした。
スリーカード。
最も単純明快なペテンだ。三枚のカード、キング、クイーン、スペードを伏せておき、三枚をテーブルの上でよく切り、どれか一枚を当てさせるというものだ。
トキがじっちゃんと呼ぶこの老人は、サクラである。先ほど払った銀貨一枚は、サクラの報酬だ。サクラが居ないと、このペテンは上手くいかない。
まずサクラは、こちらに興味を示していそうな観光客の前で、トキと勝負をして、華々しく勝ってみせる。しかも至極自然に、当たり前のように。
老人の前にはみるみる銀貨が積み上がり、トキは参ったというように『もう勘弁してよ、じっちゃん』と嘆き、こちらを見ている観光客に『俺と勝負しない? 今夜はついてなくて、このままじゃ帰れないよ』呼びかけるのだ。
これで大抵の客はつられる。ついてないトキを相手に大勝ちする気になっているから、金離れもいいのだ。
当然だが、トキは客を勝たせはしない。最初に客は、分かりやすいように少し端が折れていたり、真ん中に癖が付いているカードを選んでそれに金を賭ける。素人からすれば当然のことだ。
それを知った上で、トキはカードに修正可能な状況で印を付けているのである。そして目の前で三枚の位置を入れ替えながら、その目印を消してしまう。折れたところは真っ直ぐに、付いていた癖はまっさらにと言う具合に。
そして全然違うカードを折り、癖を付ける。当然客は癖の付いたカードを選ぶ。それは絶対に外れのカードだから、客が勝つことは決してない。
三回やると、怪しまれるから、大体一人を騙すのは二回までと決めている。二回で一人銀貨四枚。銀貨一枚あれば、トキと相棒が食堂で夕食を取れるぐらいの金額だから、単純な割に儲けはでかい。
見渡すと、観光客の割合はかなり減っていた。マスターの後ろにかかっている大きな振り子時計は、もうすぐ深夜であることを示している。これ以降の時間は、綺麗どころとの楽しい一夜を求める客が増え、花街が逸る時間帯だ。
すなわちトキの仕事時間は終了だ。
軽やかにカウンターに近づいたトキは、マスターの前に銀貨を二枚差し出した。
「これ今晩の支払いと、俺の酒代ね」
軍人を思わせるがたいのいいマスターは、それを手慣れた手つきで受け取った。
「今日は終いか?」
「うん。今日は結構実入りが良かったよ」
「そりゃあよかったな」
片方の口角を持ち上げて笑うマスターに、トキは惚れ惚れした。こういう格好いいおっさんになるのがトキの夢だ。
高級酒場『宵霞』。ここがトキの商売場所だ。この周辺にもいくつか懇意にしている酒場はあるが、ここが一番融通が利く。
マスターのコウロは、片眼が義眼だ。ガラス玉なのに、妙に生気を感じるその目は、昔義眼詐欺というペテンに使っていたのだという。トキは前にその手口を教えてもらい、代わりに銅貨をたんまり巻き上げられた。
今はすっかり堅気の酒場店主であるが、彼は元々詐欺師でペテン師だった。トキの師匠でもある。
短く刈り込んだ髪はごま塩頭と表現できるほどに、黒髪と白髪が交じり合っている。年を聞いたことはないが、おそらく六十代ぐらいだろうとトキは推測している。
「一杯飲んでいくか、トキ?」
声を掛けられて首を振る。人に驕るような甘い男ではないことぐらい、百も承知だ。それにトキは夜も夜中まで、一人でのんびり羽を伸ばして居られない事情もある。
「いいよ。相棒が腹空かせて待ってるし」
わざとらしく肩をすくめてトキは溜息をつき、カウンターに肘をついた。
「そろそろ飯買って帰んないと、また空腹で気絶しちまう」
「まるでひな鳥に餌を運ぶ、親鳥だな」
「俺が居ないと、飯を喰うのを忘れるって所はそうかもね」
ペテンの種や、色々な小道具を作っているのは、トキではなく一緒に暮らす相棒だ。でも彼は極端に人嫌いで、部屋の外に出たがらない。最近ではその引きこもり具合がますます悪化していて、相棒であるトキと時間を過ごすことすら減ってきている。
「相変わらず、あいつはモグラか?」
「ヒワが聞いたら怒るよ。仕方ないじゃん、ヒワは社会不適応者だし」
相棒のヒワを思い出して苦笑する。ヒワは生粋の遙東人では無い。敵国であるネーソス人と同じ白色系の血が混じっているのだ。完全なる黄色人種の中で、敵国である白色人種が混じったヒワはよく目立つ。
だからこその社会不適応ぶりなのだ。
子供の頃から一緒に苦労してきた路上少年だから、お互い気心も知れているし、お互いの分もわきまえている。そうでなければ相棒とは暮らせない。
「社会不適応者か。不精者を格好良く名付けたもんだな。たまには顔を出せと言っておけ」
「了解。じゃマスター、また週末に来るね」
古着屋で購入した、払い下げの重たいフェルトの軍用コートを羽織り、いつものように手を振ってマスターに背を向けると、いつもとは違った声で呼びかけられた。微妙に説教めいた声に身構える。
「トキ」
「何?」
振り返りもせずに返事をすると、マスターが小さく息をついてから言葉を続けた。
「戦争が終わって二年経つ。もうお前たちが就ける、まともな仕事が増えてきたはずだぞ」
やれやれ、またこの話かと、トキは溜息をついた。
「俺はこのままでいいよ」
「良くないだろう。トキもヒワも」
「いいよ。だって生活できてるじゃん。自分で稼いで家賃も稼いで、食い扶持も稼いでる。マスターだって同じ仕事でずっと稼いできたんだろ?」
「……そうだがなあ」
「その日飯を食える金があって、その週に暮らせる部屋代があって、ちょっと楽しみに金を使えて。結構毎日充実してるし、俺は俺のやりたいように暮らせてる。ヒワだってそうだ。何が悪いんだよ? 俺は俺の稼ぎ方に自信を持ってるよ」
最近回りの大人たちが、よってたかってこんな話をしてくるようになった。
戦争が終わったと言っても、トキたちのように路上生活をしている子供も多い。彼らにちゃんと職に就けと言ったところで無駄だろう。職に就く前に、その日の食事を取りたいし、雨露をしのげる屋根のある場所を確保したい。
そのためには、きちんとした仕事を探すより、トキのようにペテンや詐欺で喰うか、スリになるか、物乞いした方が早かった。
生きることが最重要なのに、何故仕事を見付けねばならないのか、それがトキには全く分からない。
トキの考えは態度に出るのか、マスターは気を悪くしたでもなく、いつものように唇を軽くつり上げて笑う。
「ま、そういう生き方もあるっちゃあるよな」
「あるよ。だから俺はこのままで全然いいって。それじゃね」
マスターの視線を感じながらも、トキは酒場の扉を開けた。一気に流れ込んでくる空気の温度はひりひりと染みるぐらいに冴えて冷たい。雪が舞うことすらも希で、路上で生活していても、凍死することのないこの国の気候には感謝しているが、寒いものは寒い。
今頃相棒は、暖かいベットの上に寝転んで読書三昧なんだろうなと思うと、微かに腹立たしくもあるが、稼げているのは彼のおかげだから、深くは考えないように小さく息をついて空を見上げた。
「もうすぐ今年も終わるなぁ」
最も寒い土凍月も過ぎ、まだまだ寒いが十三番目の雪消月に入ろうとしている。あと数週間でいつもと変わらない、何もかもが今まで通りの一年が過ぎ、今年も新たな芽吹月がやってくる。
だがトキも、ヒワも何も変わらない。
それでも年末は何とはなしに心が浮き立つ。冬が終わるのと同時に、年が変わる。春の訪れと共にまっさらな暦が始まるのは、新たな世界が生まれ出たようで心地よい。
また馬鹿騒ぎが好きなトキは、年末の国を挙げての派手な祭りも楽しみで、この季節はいつも心が躍る。
空気が澄んでいるのか、天空から降り注いでくるが如くに、夜空を星が埋め尽くしている。そういえば前に相棒が、海を渡る時に星の位置が重要なのだと言っていた。今はもういない親からでも聞いたのだろうか。
だがこの国を出ようという気が全くないトキには、そんな話は全く興味が無い。せいぜい『星ってそんな役割もあるんだな』と口にしたぐらいだ。
今まで通ってきた道を振り返ると、きらびやかな国府の輝きが嫌でも目に入った。この国は平和だ。まだ戦後二年しか経っていないけれど、この街は何事も無かったみたいに綺麗だ。
トキの住むこの国は遙東皇国という。実在したと言われる女神と精霊王の住まう伝説の大陸が、この国の遙か東に存在しているという言い伝えに基づき付けられた名前らしい。
遙東は楕円形の大きな島で南北に長く、他の国家と同じように回りを海に囲まれている。その島の中央にこの街はある。国府と呼ばれるこの街は、女皇が住まう国の中心であり、正式には国府瑞山という。緑に囲まれた美しき山岳地域という感じの意味合いらしい。
その名の示すとおり、緑に溢れ、古い街並みをたんまりと残すこの街は、とても綺麗だ。その上で様々な人々の行き交う商業の中心地である。商業の中心地でもあるこの街には巨大な駅があり、遙東の主要都市へ向かう蒸気機関車が、毎日幾本も行ったり来たりを繰り返している。
だがそれも目に見える中流階級以上の居住地での話だ。トキの住む貧困街と下級街は、まだまだ貧しく薄汚れたままだ。長く続いた戦争に国は未だむしばまれている。
重たいポケットの中身が派手な音を立てないように布を突っ込み、トキは軽やかに中心街から自宅のある貧困街へと歩き出した。
酔っ払いの陽気な声や、微かな喧嘩の声、女の呼び込みの声が、冷たい風に乗って流れてくる。
大人たちは呑気なものだとトキは思う。戦争が終わって平和になったと浮かれ騒ぐが、トキたちのような存在にまでその恩恵が回ってくることはない。少しまともに考えてくれる大人が入れは、ガキ共だって暮らしやすくなるのに。
中心街から少しづつ離れるに従って、道は下り坂になってくる。人々の喧噪も遠ざかり初め、石畳に自分の足の音ばかりが反響した。
国府を中心に同心円状に作られた大都市瑞山は、大通りさえ歩いていればとても分かりやすい街だ。ただ道を知らずに、細かな路地に入るという無謀なことをすれば、迷うこと請け合いでもある。
細い路地に入ると、ほとんどの家の明かりはすでに消えている。当たり前だろう。ここは住宅街だ。夜遊びを楽しむ人々と、トキのような仕事の人々以外は、とっくに眠りについている。
時折明るい窓辺を見上げて、見上げてしまった自分に、トキは少し後悔する。
暖かそうな明かりの漏れている家々の窓辺には、夜の闇の中でも鮮やかな草花が飾られていて、窓辺には明かりに照らされてほっこりと心の温まる雑貨が並んでいる。
ランプではなく電灯がついているから、中流のほどほどに位置する、ごく一般的な家庭の、暖かく幸せな光景。
トキが味わったことのない世界が、その窓辺の奥に広がっている気がして、心の中の孤独を噛みつぶす。親の顔さえ知らないし、どんなのが幸福な家庭かも知らない。そんな自分が妙に惨めに感じる。
ことにマスターからまともな仕事に付け、などと説教された日は。
「ちっ……」
小さく舌打ちして、トキは家に向かって早足で歩き出す。また自分の不幸と、他人の幸福を引き比べてしまった。
比べたってしょうがないし、相棒と暮らしているこの時間が楽しいはずなのに、微かに物足りなく疼く心の指し示す意味が、トキには分からない。
分かりたくないだけかもしれないが。
冷たい空気に、せわしく吐き出されたトキの呼気が白く曇る。再び舌打ちして、そんな自分の感傷からも逃げるように、トキは足を速めた。
静寂に支配された住宅街に響き渡る自分の靴音に、誰に言うでもなく心の中で『ざまあみろ』なんて言ってみる。
実際に自分がそんな風に吐き捨てられたらきっと、『負け犬の遠吠えかよ』と相手を鼻で笑ってしまうだろう。
まったく、こん畜生だ。
住宅街を抜け、夜の公園や、雑多な職人街を抜けると、深夜にもかかわらず街はまた活気を取り戻す。
電気などは来ていない。あちこちを明るく照らすのは、昔ながらのガス灯と、あちこちの店先に吊されたランプの炎だけだ。でもトキはこの光景が大好きだった。
大きく一つ息をつくと、ようやく先ほどの重苦しさを胸の中からはき出せた気がして、小さく安堵の息をついた。
石畳に舗装すらされていないこの雑多な街こそが、トキのふるさとであり、大切な場所だ。トキの足を持ってしても、中心街からは歩いて軽く三十分以上はかかる。ほどほどに背の高い人間からしてそうなのだから、きっと女性や子供なら、余裕で一時間近くかかるかもしれない。
だからこそ、観光客などが入り込んできたりしない、貧困層の楽園となっているのである。
大きく伸びをして、少し匂いのある生活臭を吸い込みながら、街をゆっくりと散策する。今日の夕飯を買わねばならないが、何にするか決めていない。
街の入り口では、深夜にかかわらずいくつかの露天が出ていた。そのいくつかを冷やかしてから、少し奥まったところに店を出していた老婆に声を掛ける。
うつらうつらと船をこいでいるが、起きているまで待ってたら夜が明けてしまう。
「ばあちゃん、何かおかず残ってる?」
目を開けた老婆が、しわくちゃの顔をほころばせ、黄色い歯を覗かせて笑った。
「あららトキちゃん。お帰り。今日も稼いだかい?」
「ま、ぼちぼちね」
「そんな謙遜して。肉と魚、どっちがいいの?」
「今日は寒いから、暖かいお肉料理がいいな」
ワゴンの中で湯気を立てる料理を覗き込む。見た目はみすぼらしい老婆だが、料理の腕はかなりいい。少し稼げるようになってから、トキはこの店によく立ち寄るようになった。
時折買い物に出かけるヒワが買う総菜もこの店のものが多い。
「ああ、それなら牛の煮込みがあったよ。時間ばかりあるからとろとろになるまで煮込んだ、自信作さ」
「いいねぇ。値段もそれなり?」
「牛だよ? ちょっとは色を付けておくれ」
老婆の少し濁った瞳が、抜け目なく細められた。この街に人がいいばかりの人間など居ない。皆こんな風に遠慮なく、したたかだ。
「一口味見さして。旨かったら、俺の分と相棒の分を買ってくから」
「いいともさ」
差し出された小皿を味わうと、寒空の下でしみじみと旨かった。これだからこの老婆の店で金を使ってしまうのだ。
「今晩の分と、明日の朝の分もらうよ。いくら?」
「鉄貨七枚でどう?」
「いいよ。ほい」
トキは銅貨を一枚老婆に渡した。
「つりはいらないから、その分ちょっとおまけして」
「肉を多めに入れてやるよ」
レードルを入れてスープをかき回している老婆から、自分の財布に目をやった。
ポケットに突っ込まれている金は、家に帰ってから七割対三割の割合で相棒と分ける。それまでは手を付けない決まりだ。その中から、お互いの生活費を出し合い、今トキが手にしている財布に入れる。
食事代や、二人で使うものはほぼ全てこの財布から出ることになっている。家に籠もって、ほとんど外出しないヒワではなく、常に外を歩き回るトキが持っているのは当然だろう。
食事は一度に二人分合わせて銅貨一枚まで。一日二回の食事で一週間七日だから、銅貨十四枚ほどで事足りる。銀貨にして一枚と半分ほどだ。
スリーカードで一人から巻き上げる限界値で一週間の食事にありつける。やはりペテンは誰が何と言おうと、効率のいい仕事だ。
一週間ごとに支払う家賃は、格安のぼろアパートメントで、週に二人で銀貨二枚で足りる。トキとヒワ個別の部屋があって、居間があって、風呂もあるのにこの値段は安いと思うが、貧困街では高い方だろう。
何しろトキは詐欺師で、浮浪者と比べたらかなりの高給取りだ。
老婆から牛の煮込みを受け取り、足取り軽く貧困街を歩く。観光客にとっては危なくて近寄れない場所らしいが、緊張感はまるでない。薄暗がりに引き込まれたところで、逆に相手を打ち負かせて、懐から迷惑料として財布を抜き取るぐらいは苦でもない。
もう長いことこの街で生きているのだ、それぐらいの体術は心得ている。骨と皮ばかりで細くて筋肉のなさそうなヒワでさえも、暴漢から身を守る術ぐらいは身につけて居るぐらいだ。
裏路地に入ると、子供たちが数人たむろっていた。
「トキ兄!」
「お帰り、トキ兄!」
「おう。お前たち、相変わらずきったねえなぁ」
薄汚れた身なりで駆け寄ってきた子供たちに、にんまりと笑いながらトキは自分の取り分が入っている方のポケットに手を突っ込んだ。じゃらじゃらと四角い鉄貨が指先に触れた。
運がいい。今日は細かい鉄貨が山ほどある。
「今日はちゃんとヒワんとこ行ったか?」
「行ったよ!」
「ちゃんと報告したよ!」
ヒワは自分が出歩かない分、沢山の路上少年や少女を毎日集めて話を聞く。自分が気に掛かっていることはもちろん、貧困街の噂、実情、現状などだ。それを元に現在の街を理解しているのである。
子供たちはその度に、ヒワに菓子をもらう。その菓子はヒワの取り分から出ていて、買いに行くのもヒワだ。黙って駄菓子を買いに行く姿は、多少痛々しいが、人間嫌いで外に出ない癖にそういう所はこまめだ。
でもこの子供たちの何気ない情報収集能力は、半端な物ではない。何しろ情報が入ってくるのは貧困街の話だけではない。
中流階級の噂話、果ては中心街の花街で働く女性たちの愚痴までも集まってくる。彼女たちの愚痴は、ごくたまに上流階級の噂話を含んでいて、トキのような詐欺師にはうってつけの情報だ。
ヒワはそれをまとめてメモ書きを作り、そんな情報から瑞山のことを知る。一日中街を歩き回っては飯の種を探しているトキよりも、ヒワの方が遙かに多くの物事を知っていだ。
ヒワばかりが子供たちにお駄賃をやっていることに気がついた時から、トキも情報源である子供たちに駄賃をやることにしている。
「ほら、少ないけど持ってけ」
細かくなって持つのに面倒な鉄貨を、一人数枚づつ手のひらに載せてやった。これでこの子たちも今晩は美味しい食事にありつけるだろう。
「ありがとう、トキ兄!」
埃と泥で薄汚れた子供たちは、嬉しそうにトキを見上げると、笑顔で声を上げて掛けだしていく。その後ろ姿に、トキは笑いながら声を掛けた。
「スリに取られんなよ」
「分かってるよ!」
「そんなヘマするもんか!」
口々にそう言いながら去って行くあの子供たちは、十年ぐらい前のトキだ。トキにもこうして面倒を見てくれた年上の路上少年たちが居て、こうして生きてきた。
だから次がトキの番になったのだと、トキはごく自然に自分と子供たちの関係を受け入れている。