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幕間 ~陣風~

刀を抜くと、敵わぬ相手がこの世にいかほど多いのか、思い知る。

抜き身の刀に映るのは、怯えた表情の己の顔。

刀を抜かねば、死に逝くだけ。抜けば、死が少しばかり遠ざかるだけ。


人を斬ったのは、幼い頃だった。

背を斬られ、己も他者もなく交わった血によって黒々と色の変わった地に伏していたとき、侍はやってきた。

今度こそ、死ぬかもしれない。その怯えで、そばに落ちていた刀を振るった。

侍は地面に転がっていた子供が生きているなど、予想もしなかったのだろう。あっさりと己に斬られ、先まで己がそうしていたように、地に転がった。

伝い落ちる血液を恐れ、刀を放りだしたことを覚えている。どうせ、そのまま後生大事に持っていたところで、血糊がひどくて二度は切れなかっただろう。

侍がやってきたのは、幸か不幸か、引き上げ前に死体の持つ物品を漁ろうとしただけのようで、他に人影はなかった。戦の音はすでに遠く、村を一掃して過ぎ去っていた。


死体と血と砂に気を取られていたのはどれくらいだったか。背を焼くような痛みを一度でも思い出してしまうと、どうやっても耐えかね、瓦礫となった家の跡でうずくまった。

痛みと発熱。死ぬのか、と思った。だが、それは己にはどうしようもないことだった。

朦朧とした意識は、容易く闇に溶けた。


意識を失っているうちに、どこかの家に拾われたらしい。

そこで下働きとして幾年もの時間を家畜のように働くうち、主人の寝室で刀を見つけた。


拵えのあまりの美しさに、興味本位で刃を抜けば、脳裏を焼く閃き。

唐突に、思い出す。

人一人、殺したこと。


棒きれのように細い身体でも、すでに幼くはなかった。

人を複数人殺すのは、幼いあの日に行った行為よりも、もっとずっと安易になっていた。

怯えはいつまでも拭いきれず、震えながらの殺人ではあったが。


大名の戦に、敵味方なく混じり。

またある時は辻斬りになり。

しかし、命を奪うところまでは、いつもしなかった。

どこまでも、それは戯れだった。

己の中に深く根を張る、怯えを払拭するための遊戯。


そうして、何人も戯れのために斬った。




当然、戯れはすぐに見つけられた。

人気ない、神が住まう山近くの道で、人生においてこれ以上ないほど逃げ回ったが、ついに右肩から腕までを斬られた。

見つけられてから斬られるまで、刀を抜くことなく、ひたすらに逃げ回った。

斬られた後も、そうして死ぬ物狂いで逃げ続けた。

日が昇り、落ち、夜を迎え、更け、もう一度繰り返すころには、とうとう逃げ切った。

その頃には、右腕はまったく上がらなくなっていた。




ふ、と意識が浮上する独特の感覚。

朝日が昇る少し前の時間。暑さにも寒さにもある程度耐性はあるが、そろそろ外で眠るには寒くなってきた。

夢というものをあまり見る性質ではないが、珍しく過去の夢を見ていたようだ。

荒れた時代だ。人を殺すことなど、珍しくもない。人の生き死にの価値など、在ってないような認識だ。自分以外は、あくまで自分ではない者。相手が死ぬとしても、自分が生き残るほうがいいに決まっている。

とはいえ、殺害は煩わしく、恐ろしい。

肉を纏った存在より、不可視の存在のほうが恐ろしいからだ。


ぞわり。思考が縁を呼び寄せたのか、背後に死の気配が立つ。

右手が凍るように冷えていく。


「奇縁ですね、またお会いしました」


どこかで聞いた声だ。振り返れば、やはりどこかで見た娘がいた。

しかし、生きている気配はない。己が遺し言を聞いた者ならば、怨を遺せないから現し世に姿を見せることはないだろう。

どこで会ったのだったか。黒に近い紺色の着物に、ざらりと長い髪。


「お会いしたばかりだというのに、もう忘れたのですね。薄情なのか、それとも、生きた時間は長いのでしょうか?」


薄情かと問われれば、間違いなくそうなのだろう。死に逝く者を見ても、それに感慨を覚えることはほとんどない。

ふむ、と思案してみれば、娘の薄く笑む顔を唐突に思い出す。

ああ、あの廃村か。

肩に触れた、あの底冷えするような冷気と痣の痛みが脳裏に蘇る。


「ついてきたのか」

「何度でもお誘いすると、申したでしょう?」


己の戯れが、人間に見つかったように。

今度は、亡霊に見つかったということなのだろうか。

やっかいなものに好かれたものだ。肉体を持たない相手から、逃げることなど容易ではない。


「遺し言を聞くのが己の業だ。存在がすでにない者に用はない」

「ここに。見えているではありませんか。それをないとは、不思議なことを」


まったく、もったいない。魔除けは易くないのだが。

しかし、亡き者に執着を持たれる危険は、生者よりも恐ろしい。

滅したとしても、怨むのは筋違い。ならば、容赦など要らないだろう。


懐から破魔の力を込めた札を出し、右手に握らせる。

動かない右手に代わり、左手で逆手の握りのまま刀の鯉口を切る。

本来は鞘から抜き切ったほうがよいのだが、左差しの刀を左逆手で抜くには、反りの向きが邪魔になり、満足に抜けないのだから仕方あるまい。右差しは恥とされるため、旅行く身には注目を集め過ぎるのだ。


「念の入ったことですね……。刀身に破魔の経を刻み、亡霊など斬ってしまおうというのですね」


経を読む前に異変に素早く気付いた娘が、すうっとその身を薄くした。逃げる心積もりらしい。


「まだお会いするには、早かったようで……また、お誘い致します……」


そのまま、木々と朝日に溶けるようにして娘は消えた。


「殺しそびれたか」


なれば、やはり次の邂逅には、確実に消す方法を用意すべきだろう。


「面倒なことだ……」


ねむねむ……奈々月です。

今回は長めの幕間、主人公の過去編です。

幽霊ヒロインとの二度目の出会い編でもあります。

出会いって書くと、なんだか恋愛っぽい感じですが、本編では殺伐としてますね……えぇ、恋愛要素は皆無です。

ここからは、また生業を続ける主人公と、それを追うヒロインの繰り返しになります。お暇な時に、お付き合いくださいませ。


それでは、おやすみなさいませ……。

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