幕間 ~夢幻~
茫、と家々の間の隙間が歪んでいた。
時折風が村人のいない家を揺らしていく他に音もない場所。
そこいらに血が見られないことから、おそらくは流行病で全滅、あるいは残った村人はいずこかへ逃れたのだろうと検分をつけ、用済みの元は村だった地を離れようと思ったときだった。
不可思議に揺れる細い隙間。
隣立った家を抜けた向こう側の草木はよく見えているのに、やはり手前側が奇妙に歪んでいる。
風も熱も、磁場すらも感じない。アヤカシなのかと思案するも、それらしい気も感じない。
興味を少し引かれはしたが、生者でも妖でもない者の対応など、坊主でもない己にどうこうできようはずもない。
その場を離れようと身を翻したが、すでにその者はいた。
「おまえは……なんだ?」
「そちらこそ、どなたさまでしょう?」
臆すことなく問い返したその女は、気配もなく背後に立っていた、という以外は特別変わったところはないように思えた。
黒に近い質素な藍色の着物に、ざらりと長い髪。長い髪は貧しい者には手入れが難しく、やや珍しい感はあるが、どこにでもいるような、村娘と遜色ない。
先の依頼であった女のように、刀を手にしているでも、傷があるでもない。
だが。
「この村にはとうに誰もいない。おまえは何をしている」
「そんなこと、ありません。ここにはみんないます。これからも人は増えるけど、減ることなんてありはしないんです」
「おまえ以外に鼠はおろか、死体すらない」
娘は僅かな困惑を浮かべていた口元から、急にくすりと笑みをこぼした。
「みんないますよ。大戦がまだ終わらないから、まだまだ人は増えます。少しずつ消えてはいくけれど、それでも間に合わないくらい。
あなたもこちらへ来ますか? 殺されるよりは、自分から来たほうが痛くはないと思いますよ」
なるほどここは、死者の村、というわけだ。
永くこの生業を続けてはいるが、亡霊というものは見たことがなかった。
これがそうだというのなら、現世で目撃されるのは不思議ではないだろう。
本当にこれが亡霊なら、だが。
どちらにせよ、関係のないことだ。
背を向けると、左肩がひやりとした冷気を感じ取った。
触れるでもないのに、何かが己の肩を冷やしている。
「こちらは、よいですよ。あなたのように苦しむこともない。生業なぞなくとも、思うままに暮らしてゆける」
それはそうだろう。死んでいるのだから。
「輪廻できぬ、怨にもなれぬ、半端な存在だというのにか」
「輪廻など……生まれ変わればまた生によりて苦しみを負うだけ。生きることがなんになりましょう?
例えこのまま朽ちるとて、あのようなおぞましい死の痛みを再び味わうことに比べれば、極楽というものでございましょう。
浄土の地を二度と踏むことがなくとも、幾度となく繰り返されるこの世の土をも、踏むことがなくなるならばよいのです」
言の葉こそ儚げで哀しみさえ含んでいるのに、なにぶん女の表情が歪んでいる。
口元も頬も一分とて動いてはいない。だが、その双眸は、ほの暗い笑みを灯して細められていた。
「遺し言すらない者に、用はない。手を離せ」
「ふふふっ、いつまでも待っていますよ。何度でも……お誘い……致します……」
年若い女子のような楽しそうな声を上げた女の全身が、急速に彩度を失って風の中へと溶け、奇妙な隙間の揺らぎが消失した。
それと共に、廃村と思っていた風景が一変し、茶けた土の荒らされた戦場跡へと姿を変える。
夢か、幻か。
現に存在しないのならば、今しがた見ていた己の記憶など、宵闇の夢と同じだ。
存在しているのは……。
「死に損ないめ」
左肩に触れる着物を払い落して、肩口の皮膚を確かめる。
亡霊の女が、生者の己に触れられずとも、その冷たく体温のない手の平を乗せていた左肩は。
指の形まで見て取れるほど、はっきりと痣がついていた。
ねむねむ……奈々月 郁です。
本作の幽霊ヒロイン登場回です。
基本的には、主人公であるひねくれた彼と、幕間での幽霊彼女の繰り返しでお話が進んでいく……予定です。
プロット立てるのが苦手なので、この先どう進むやらですが;;
それにしても、可愛いヒロインではなくて申し訳ない限りです。
ん? でも、容姿については長い髪と着物についてしか触れていませんね。
もしかして、本当は(見た目)可愛いヒロインかも……!
絵が描けない作者なため、真相は謎のままです。
そんなこんなですが、お付き合いいただければ嬉しいです。
それでは、おやすみなさいませ……。