桜雨 ~序章~
桜のようだ、と思った。
煌々と華やぎ、紅く染まった花弁が散る。
城を覆い尽くして燃え上がった炎は、誰一人として逃すまいと魅了するかのように天高く舞い踊り、恐らく助かる者はいないだろう。
命の燃え尽きる様は、なんと美しいことか。
絶叫も、すでに聞こえてこない。今頃は魂となって天を目指しているころだろうか。
そんな、見方によっては凄惨で、己にとっては現の幻のごとく華美な光景に見惚れていたのか、気付けば女が一人立っていた。
胴に一閃、致命傷であろう刀傷が走っている。着物は血を吸って元の色など分かりはしない。間違いない、この女も間もなく終わる人間だ。
「許さない……」
虚ろで死人も同然だった双眸に、唐突に光が宿る。禍々しくも魅了される、憎悪の光が。
「あの、御方に……仇を為す者は……敵は……殺さねば……」
掠れた呟きは風に吹かれれば恐らく聞きとれまい。だが、女が手にしている、身なりに不相応な一振りの刀は、女の着物と変わらぬほど血を浴びて、赤々と命そのもののように輝いていた。
斬った、のだろう。目につくまま、女の言う「御方」を守るために。
そこに死は感じられない。
朱に染まった着物と凄烈な殺気とが相まって、生々しい渇望すら感じさせた。
女が刀、しかも相手を幾人も葬っている。有り得ない。これが恐ろしくないと言うのならば、天下などとうに誰かが手にしているに違いない。
「おまえはもうすぐ死ぬ。遺し言があるのなら聞いてやる」
「いやだ……まだ、御方の敵が……まだ……」
「あの炎で助かる者などいない。おまえの御方様とやらの敵も、もういない。だが、おまえもこの世から消える。遺し言はないのか」
「………………」
ぽたり、ぽたり。刀から血が数滴落ちるほどの間を置くが、女はぴくりとも動かない。
だが、怨の念は揺らいでいた。先のようにすぐさま否定しないことが、それを物語っている。
「おまえの御方様に、伝えることはないのか」
今度こそ、反応があった。女が憎悪ではなく、興味を引かれて呆けているとも、死を目前にして覚悟しているともとれる奇妙な色を湛えてこちらを見た。
「御方に……もっと永く、お仕えしたかった……お慕い申しておりますと、あの方に……」
唇が、
頬が、
意識せずとも、引かれて歪む。
「それは無理だ。おまえの御方は死んだ」
瞬きほどの間だった。
言霊を遺すと、生きていたことこそが偽りであったかと疑うほど、女の命は跡形もなく失われていた。瞳に絶望を刷いたまま。
思慕を託して消えたこの場所に、最期にぎらりと憎悪がはためこうとも、怨など遺せようはずもない。
残るのは先までの殺気と怨ではなく、刀を握りしめて地に崩れ落ちた、ただの女の死骸。
なんと、愚かなことか。そして、愉快なことか。
「御方」はとうに城で焼かれて死に逝き、女を恐れて己に依頼してきたのは、味方であったはずの「御方」の右腕たる大将。
怨が残ることが、恐ろしいと。「御方」は、信頼していたはずの右腕たる人間に裏切られて死んだのだ。女の知らないところで。でなければ、こうも中から綺麗に城が丸焼けになるはずなどない。
ふう、と息を引き取ったがごとく、一瞬強く風が吹き、柱の崩れるけたたましい音が鳴り響いた。
これだから、この生業は止められない。
この世には、浮かばれずに死に招かれる者が多く存在する。
無論、そういった魂はすぐに死を受け入れようとはしない。未練を手放して御魂となるを拒み、死に招かれる原因となった何かを恨み、そうして、ある者は死に損ないとなり、ある者はその地に災いを呼び、ある者は生ける者を祟り殺す。
死に逝く彼らにある強烈な――――怨。
聞き届けられることのない言の葉は、怨となり、この世の理を歪めてまで存在せんとする。
つまり、死に引きずられてゆく彼らの言の葉を聞きさえすれば、生ける者はほんの僅かばかり安寧に暮らすことができる。
様々な立場の人間たちから依頼を受け、遺し言を聞き、怨となるを防ぐ。それが己の生業である。
……建前上は。
実際は、己の興味と先方の利害がたまたま一致する、そういう業もあるのだというしかない。
死を前にして、強烈な指向性を持った意思を捻じ曲げ、冥界へ導く。
死神だと呼ぶ者もいる。
聖人だと言う者もいた。
どちらでもよい。どちらでなくともよい。
『死を迎える人間が何を想い、遺そうとするのか』――――この興味を満たしてくれるというのなら、どんな人物でも引き受ける。
なればこそ、己はここにある。
初めまして、奈々月 郁です。
死神、とも呼べる男が死に逝く人々の遺言を聞いて回る、という、あんまり明るくない系ファンタジーです。
なにしろ、キーワードを入れていたら、「流血表現あり」「死神」「幽霊」「妖怪」「刀」……なんだか、なんだかですねぇ……。
そんな今作品ですが、みなさまのお心がふと動くような、一因になれれば幸いです。
よろしくお願い致します!