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第五の視点

 ま、まずい……。

 坂藤(ばんどう)安信(やすのぶ)は、目の前にそびえ立つ〝獣〟の威圧感に言葉を失った。人は命の危険にさらされると、これまでの人生が走馬灯のように蘇るというが、それもあながち間違いではないかもしれないと、この時の安信は強く感じた。それほどまでに彼の脳裏には、ここへ至るまでの出来事が鮮烈に思い起こされていたのだ。

 安信は新米の狩猟家(ハンター)であった。幼い頃に二親(ふたおや)を事故で亡くし、祖父母が彼の親代わりを務めてくれた。老夫婦が住んでいたのは、都会から離れた片田舎であったが、ゆえに自然と触れ合う機会も多く、安信はのびのびと育つことができた。

 祖父が猟友会に所属していたため、安信にとって狩猟は、ごく身近な日常の風景であった。大学へ通うため、一度は故郷(ふるさと)を離れたが、就職を機に地元へと帰ってからは祖父の勧めで安信もメンバーに加わり、狩猟免許を取得してからは週末一緒に狩りに出かけるのが日課だった。

 こんなご時世であるから、会の面々も高齢化が進み、なかなか次の担い手が見つからない状況が続いていた。それだけに安信の存在は、彼らにとっても待望の新人(ホープ)であった。

 当初は空気銃による鳥撃ちがメインであったが、散弾銃が扱えるようになってからは、シカやイノシシを仕留めることもあった。だが、クマはまだ仕留めたことがなかった。シカやイノシシとは違って、クマはあまり人前に現れない獣だったからだ。そのため、クマを仕留めた経験のある者は、仲間内でも年配者を除き、ごく限られていた。

 狩猟のために山へ入る際は、そのことが安信にとっての不安材料だった。もし山でクマに遭遇してしまった場合、逆に()()()()()()()()恐れがあったからだ。

 けれども、そうも言っていられない事態が否応なしに訪れることになった。害獣被害の主犯と(もく)される〝クマ〟を駆除せよ――との指令が下ったのである。

 県内の牧場で飼育牛が立て続けに襲われ、すでに被害は十数頭あまりにのぼっていた。現場に残された足跡や体毛などから、犯人が獣のクマであることはわかっていたが、DNA分析によって一連の被害は、()()()()による仕業であることが新たに判明したのだ。

 県からの要請で正式に駆除が決まり、関係各所と連携して痕跡調査や巡視を強化したにもかかわらず、しばらくは何一つ手がかりがつかめなかった。

 風向きが変わったのは、ある牧場主が自身の仕事場で不運にもクマと遭遇した際、勇敢にも単身立ち向かい、一矢報いたことがきっかけだった。牧場主は全治三ヶ月の大怪我であったが、鉈を使ってクマの片足に傷を与えたという。傷を負ったクマは、足を引きずりながら森のほうへと逃げていったそうだ。目撃証言などから()()()()であると断定され、安信が所属する猟友会に召集がかかったのであった。

 怪我をしていれば、獣の行動範囲は自然と狭まるため、それだけ狩猟はしやすくなる。獲物が弱っている間に一気に追い詰める手はずとなり、猟友会の仲間と共に、安信は森へと分け入ることになった。

 ハンターは二人一組となって、それぞれが区分けされた持ち場を担当する。安信は祖父と組むことになった。祖父の登巳蔵(とみぞう)は仲間内でも最古参の狩猟家で、過去にはツキノワグマを仕留めた経験もあり、安信が最も信頼を寄せる先輩ハンターであった。

 登巳蔵が先頭に立ち、例の個体が残したであろう痕跡を辿りながら、森の奥深くへと進んでいく。安全装置はオンにしてあったが、安信は心理的な理由から、猟銃を両手で抱え持ちながら歩いた。まるで、お守り代わりと言わんばかりであったが、慣れない持ち方をしているせいか、いつも以上に肉体への疲労を感じた。もっとも、安信が疲労感を覚えたのは、普段とは異なる状況下に置かれていることにも理由があるだろう。安信自身、駆除目的の狩猟は今回が初めてであった。おまけに相手は、人間さえも襲う〝怪物〟である。とてつもないプレッシャーにさらされ、安信は胃がキリキリと痛んだ。

 一方、先頭を歩く祖父の登巳蔵は、プロのハンターらしく冷静沈着であった。地面にめり込んだ足跡や草木に付着した血痕から、こちらが追っている獲物(クマ)であることをすぐに突き止め、逃走ルートの見当をつけた。その読みに誤りはなく、間もなく二人は周囲が開けた窪地のような場所へと辿り着くことになった。

 窪地の周りには樹木がそびえ立ち、根元には大きな横穴が空いている。見たところ、自然に出来た洞穴のようだ。穴の手前に広がる岩場にも血痕が付着していることから、ここがクマの巣穴(ねぐら)であるとみて間違いなさそうだった。

「じっちゃん、ここか?」

 安信が小声でそう尋ねると、登巳蔵が静かに頷いた。

「うんだ」

 さて、巣穴を発見したはいいが、ここからどうするかが問題だった。とにかく、むやみやたらに近づくのは危険である。なぜなら、クマは〝潜む〟生き物だからだ。

 相談の結果、安信が巣穴に向かって爆竹を投げ込むことになった。巣穴にクマが潜んでいれば、音に驚いて飛び出すため、そこを仕留めるというわけだ。一方、潜んでいなかった場合は巣穴に罠を仕掛け、そこを迎え撃つという計画であった。

 早速、安信は爆竹を手に巣穴へと近づき、登巳蔵は窪地の縁でライフル銃のスコープを覗き込んだ。こちらが風下のため、気づかれる心配はないはずだ。

 巣穴に狙いを定め、火の点いた爆竹を投げ込もうとする安信。スコープ越しに、その動きを目で追う登巳蔵。

 その時――。

「じっちゃん、後ろ!」

 安信が叫んだときは遅かった。登巳蔵は突如とし出現したクマの襲撃を受けた。とっさにライフル銃を盾にすることで、最初の一撃はなんとか防いだものの、二度目の攻撃は防ぎ切ることができず、登巳蔵は「ぎゃあ!」という悲鳴を上げながら、窪地の底へと落下してしまう。

「じっちゃん!」

 叫んだ安信は、投げ込むはずだった爆竹を自分の足元で破裂させ、クマの注意をこちらへと引きつけた。獲物との距離は十メートルと離れていなかったが、間が悪いことに安信が手にしていたのは()()()()()よりも威力が劣る()()()であった。これには理由があり、安信はまだライフル銃を所持する許可が下りていなかったのだ。

 けれども、今はそんなことを悠長に嘆いている場合ではなかった。とにかく手持ちの武器でなんとか応戦するしかない。唯一の勝機は、獲物の〝ど真ん中〟を狙うことであった。クマが正面から襲ってきた場合、必ず一度は立ち上がろうとするため、そこを狙撃するというわけだ。

 すぐさま照準器(サイト)越しに狙いを定めようとしたが――。

 その時、安信は奇妙な感覚に襲われた。目の前にいる獣の姿が、まるで〝人間〟のように見えたからであった。

 そんなはずはないと頭を振り、安信は再び照準器(サイト)を覗き込んだ。しかし、狙いを定める前に標的(クマ)が動き出したため、焦った安信は狙いが定まらないまま銃爪(ひきがね)を引いた。乾いた銃声が森に反響したが、クマを仕留めることはできなかった。もっとも、よほどの熟練者であればいざ知らず、動いている標的に弾を命中させることは、まだ新米(ビギナー)の域を出ていない安信には至難の業であった。

 仮に狙いが定まらなかったとしても弾さえ当たってくれれば、それなりのダメージを与えることはできただろう。しかし、クマはまるで銃の危険性を熟知しているかのように、巧みに射線上から逃れていた。

 そのため、安信は早々に弾倉(マガジン)を空にしてしまった。銃を投げ捨てると、安信は一か八かの賭けに出た。残りの爆竹すべてに火を点け、クマの足元に投げ入れたのだ。

 狙いどおり、クマが破裂音に驚き、足を止める。これでしばしの時が稼げた。

 その隙に、安信は岩場を目指して駆け出した。岩場を目指したのは、祖父のライフル銃を回収するためであった。幸いにも銃はすぐに見つけることができた。銃床(ストック)の部分に大きな引っ掻き傷ができてはいたが、銃身(バレル)は無事で(コッキング)(ハンドル)も歪んでいなかった。日頃から、祖父が銃の手入れを怠っていなかったことに、安信は心から感謝した。

 その時、クマが再び動き出した気配を感じた。足を引きずっているとはいえ、その勢いは依然として衰えておらず、おまけに全身に殺気を纏っているため、非常に危険だった。

 すぐさま弾丸を薬室へと装填し、安信は狙いを定めようとした。しかし、さすがにクマの動きは素早かった。狙いを定める前に距離を詰められてしまい、こちらが気づいたときには、すぐ目の前に獣の姿があった。その瞬間、安信は自らの死を覚悟した。

 や、殺られる……。

 思わず瞼をギュッと(つぶ)った安信であったが――意外なことに、自身の肉体が切り裂かれたような痛みを感じることはなかった。恐る恐る瞼を開けると、目と鼻の先で両腕を上げているクマの姿が飛び込んできた。

 どういうことだ……?

 目の前のクマからは、さっきまでの殺気が嘘のように消えていた。しかも両腕を上げ、降参ですとでも言いたげに後ずさりしている。まるで()()()()()()()()()()()へと移動しているかのようだ。

 一体全体、何がどうなっているのだろうか?

 訳がわからなかったが、今がチャンスだということだけはわかった。スコープを覗いて確実に狙いを定めると、安信は銃爪(ひきがね)を引いた。

 静寂を突き破り、一発の銃声が轟く。

 そして――クマが倒れた。

 横たわる(むくろ)を恐る恐る調べた安信は、クマが完全に息絶えていることを確認した。

 や……やった!

 安信は、思わず安堵のため息をついた。危険が去って、とりあえずはひと安心であったが、一方で自分が目にした光景は何だったのだろうかと(いぶか)った。

 さっきまでは安信を襲おうとしていたのに、その直前になって、あのクマは降伏するかのようなポーズを取ってみせた。なんだか見覚えがあるような気がしないでもないが、そのポーズをどこで見たのか、はっきりとは思い出すことができなかった。

 獣が最期に取った不可解な行動については後で考えることにして、安信は祖父の安否を確認することにした。クマに襲われ、岩場に落下してしまった登巳蔵であったが、幸いにも彼は一命を取り留めていた。

 すぐに無線で救援を要請し、登巳蔵は救助ヘリで病院まで運ばれた。安信は駆けつけたほかのハンター仲間と共に、クマの死骸を麓まで運び、解体業者へと持ち込んだ。

 ハンター仲間は口々に安信の功績を讃えてくれたが、本人はどうにも釈然としないものを感じていた。

 ひょっとして、あのクマは……俺に()()()()()()()()()のではないか?

 そんな考えが頭をもたげたのは、直前に見た幻影のせいかもしれない。それに最期の瞬間、あのクマはまるで自殺志願者のように逃げもせず、また抵抗もしなかった。それに、あの()()()()()()()()()はどこかで見覚えがあった……。

 とはいえ、この時は結局、答えには辿り着かなかった。

 大物を仕留めたことで、安信はハンター仲間からも晴れて一人前として認められた。本人も狩猟家として自信を得ることができたが、実際に狙撃で使用したのは安信が所持する散弾銃ではなく、祖父が持っていたライフル銃であった。それが後になって物議を醸すことになるとは……。

 害獣被害の主犯であるクマを仕留めたことで、本来であれば表彰されるべきはずが、安信はなぜか警察の取り調べを受ける羽目になったのである。そこで問題となったのが、くだんのライフル銃の使用であった。要は使用許可のないライフル銃を使って、クマを仕留めたことが問題視されたのだ。

 安信にとって、この詮議は言いがかりに等しいものであった。そもそもあの状況では、ほかに方法はなかったはずであるが、警察の見解は異なるようであった。なぜなら、安信はあの時、確かに散弾銃の弾を撃ち尽くはしたが、まだ予備の弾倉(マガジン)を所持していたからである。

 安信は、この点をしつこく追及された。なんとか正当性を認めてもらおうとはしたものの、あの時の安信自身が半ばパニックに陥っていたことは否定のしようがなく、結局は警察関係者たちを納得させるだけの論拠を示すことができなかった。

 その結果、祖父のライフル銃は押収されてしまい、安信も猟銃所持の許可を取り消されてしまったのである。

 納得できなかった。だから、猟友会の支援を受け、取り消し処分は不当だと裁判所に訴え出ることにした。一審では安信の主張が全面的に認められたが、二審ではその判決が覆ってしまい、最高裁でも安信の訴えは棄却されてしまった。

 信じられなかった。法制度が、ここまで無力だとは思わなかった。この判決には、猟友会のメンバーの間でも動揺が走った。こんな調子では、もう獣の駆除などできるわけがない。今後は、自治体からの出動要請にも慎重にならざるを得ないと――。

 さらに追い打ちをかけたのが、祖父の容体であった。命だけは助かったものの、登巳蔵の肉体には日常生活に支障が出るほどの障害が残ってしまっていた。当然、狩猟もできなくなり、それを生きがいにしてきた祖父を大いに意気消沈させた。

 しかし、祖父にとって何よりショックだったのは、愛用のライフル銃が取り上げられてしまったことであった。そのことがよほどこたえたのか、登巳蔵はすっかり気力が衰え、まるで腑抜けのようになってしまったのである。そして安信も、そのことを生涯にわたって悔やむことになった。

 将来を期待されていた若き狩猟家(ハンター)は、それ以降、二度と狩猟の世界に戻ることはなかったのであった。 

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