2 ミッシング
この件で俺は母を遠ざけ、家に戻らなくなった。保護観察が付いていたけど、保護司には最初に一度だけ会って、その後は何かしら理由をつけて面会すらせず、公衆電話からたまに話をするだけだった。面白いことに、困った保護司は本当の事を保護観察所に報告せず、結果的に俺を庇い、嘘の報告を重ねていた。またしても、大人を操る俺の能力が発揮されていたのだ。
当時、母にはきつく当たっていたが、自由を何よりも望んでいた自分にとって、あの時少年院に行かずに済んだことは、振り返れば救いだった。感謝を口にすることはなかったけれど……
事件は地方紙にも掲載されていた。中学生が凶器を使用して社会人をボコボコにしたとね。
中学生か…… 学校に行ってなかった俺は、そう一括りにされてもピンとこなかった。そして、やはりというべきか、俺は裏切者扱いされた。4人逮捕されて、少年院に行かなかったのは、俺と後輩。残りの二人は他県にある中等少年院に飛ばされた。後輩はこれがほぼ初犯で、先輩の襲撃には消極的だったと判断された。だが、他の余罪で保護観察になっていた。周囲はそれを理解できても、俺のことは理解出来なかった。主犯にも等しい俺が後輩と同じ保護観察だなんて…… そして、舞うべきして噂が舞った。俺がチクったから少年院を逃れたと。とんでもない嘘話さ。だけど、そう言われるのは覚悟していた。けどさ、頭の悪いヤツが確信してることなんて、大概ハズれてんだよ。
同じ地区の同い年の中で、特に悪さをしてたのは、俺を入れて5人だった。そのうちの二人は今回の件で少年院へ。そして、もう一人も、今回の件とは別件で少年院送致になった。残った一人と俺は、馬が合わなかった。複数人で遊ぶことはあっても、二人で遊ぶなんてことはしなかった。後輩をぞろぞろと連れるのも好きじゃないし、仲良かった先輩たちは、就職して真面目になろうとしていた。俺はお呼びではないのさ。しばらく俺は、女遊びに没頭していた。決して悪さをやめた訳ではない。相変わらず無免許でバイクどころか車も乗りまわしていた。気に入らない先輩の車を借りて、そのまま返さずに乗り回していた。車種はセドリックの430。角ばっていて、俺の大好きな車だった。三つ上の先輩を鉄パイプでボコボコにした俺を、一部の先輩たちは怖がっていた。俺が先輩たちから報復を受けなかったのは、ボコボコにした先輩が、みんなから嫌われていたせいもあった。だけど俺は、絶対に筋を通さないといけない人がいた。
それは一個上の先輩で、昭和の縦社会の申し子の様に上下関係に厳しい人だった。その先輩のあだ名はジャイアン。そう、見た目もそっくりでガタイも良く、驚くほど喧嘩も強かった。その人だけは無視する訳にもいかず、俺は鑑別所から出てきた後、一人で謝罪にいった。ボコボコにされるのを覚悟していたが、意外にもジャイアンは俺を殴る事をしなかった。後に聞いた話ではあるが、兄の先輩に、神の敵である悪魔のような人がいた。とにかく凶暴で残虐非道。おまけに身長が190cmもあり、体重も100キロを超えていたので、誰も歯向かわない。その人は、俺に警察からの逃げ方を教えてくれた一人だった。どうやら、その人からジャイアンに俺のことを許してやってくれと電話が入っていたらしい。とにかく俺は、殴られる事無くジャイアンの家を後にした。
別に自慢ではないが、無免許で車やバイクを乗っていても、俺は事故など一度も起こした事ないし、警察から逃げられなかった事もない。歳は15歳なのに車を乗り回している生活をしているから、同世代の女は腐るほど寄って来た。毎晩助手席と後部座席に女を乗せて、海や山、街舞い(繁華街を周回)のドライブ。その日の気分で一人二人選んで一夜を共にしていた。だけど、そんな生活しているから嫉妬する連中からの噂はさらに悪くなった。そいつらは俺がチクッたせいで、二人が少年院に飛ばされたと、まだしつこく噂を流していた。そうやって他人を下げる事しか出来ない奴はどこにでもいる。確かに俺が切っ掛けで二人は少年院に飛ばされたのかもしれない。それはわかっているさ。ずっと、心に引っかかってる。けど俺には、二人分の人生があるんだ…… 人は、時間が限られているんだ。
ある日、いつもの様にドライブで海に来ていた。すると、海水浴場の駐車場にどこかで見たことある奴がいた。街灯の照明の中、相手も俺を見ていた。そいつは、以前に喧嘩した他校の奴だった。確か30対30ぐらいの人数で、喧嘩というよりも抗争だった。その時俺は、正直まいったなと思っていた。こっちは女4人連れ。喧嘩になると足枷になるだけで戦力にはならない。相手は男ばかりで5~6人はいる。喧嘩は先手必勝。逃げるのも嫌だから車で轢き殺そうかと考えていたら、相手の一人が声をかけて来た。
「お前、汐江中だろ? なにやってんの?」俺は喧嘩腰で返した。「見たら分かるだろ? 女とドライブしてんだよ」けれど、そいつは怒らなかった。「ふ~ん」そう返事をしたそいつは、俺が連れている女を見ないで、車をジッとみていた。「430かっこいいな…… 俺も乗せてよ」「……ツレは?」「あの人たちは先輩だから、正直離れたいんだよ」俺はハンドルを握りながら考えた。べつに、轢き殺して友達のいる少年院に行っても良かった。このときは、そんな考えが頭のどこかにまだ残ってた。
それでも俺の口から出たのは「乗れよ」だった。なぜそう言ったのか、自分でもわからなかった。
そいつは何世代も前から汐江中が抗争していた城東中の奴だった。女4人を後部座席に押し込んで、俺は助手席に乗るように言った。「お前名前は?」「一道」「まさかかずって漢数字の一?」「そうだけど、どうした?」「名前に一が入ってる奴、嫌いなんだよ俺」そう言うと、一道は笑い出した。「なんだその理不尽は。キャハハハハ」その笑い声は女みたいに声が高くて変だった。「キャハハ、お前の名前は?」そう聞かれた俺は答えた。「信一だよ」「キャハハハハ、お前も一が入ってるじゃねーか! キャハハハハ」そう、俺は次男なのに、名前に漢数字の一が入っていた。そのせいで一の入っている名前が嫌いだったんだ。
一道の笑い声は本当に変で、俺は運転しながらも我慢できなくなって「うひゃひゃひゃひゃ」とマヂで笑った。すると一道は「やめろや、その笑い方! うひゃひゃひゃって漫画か!? キャハハハハハ」と、お互い相手の笑い方が面白くて笑いが止まらなかった。後部座席の女たちは、ポカンとして誰一人笑っていなかった。その日から一道は、俺の親友になった。城東の者と遊ぶ俺の噂は、すぐに汐江で広まり、ますます居場所がなくなったが、それは一道も同じだった。汐江の俺と遊ぶことで、一道も城東で立場を失っていた。結局一道も俺と同じで、自由を愛していたのさ。
一道から紹介された青園中の和義と、岡赤中の誠司とも仲良くなった。三人とも俺と同じように学校にいってなくて、まぎれもなく親友だった。青園中は自転車に乗る時、ヘルメットをかぶる校則があって、他の中学から馬鹿にされていた。俺も和義の家に初めて行ったときは「ヘルメットどこだ?」と、からかっていた。岡赤中のある地域は、中心地から遠く離れた漁師町で、大人も子供も老人も男も女もオカマも気性の荒いことで有名だったが、珍しく誠司は違っていた。一道も和義も背が高くてイケメン。誠司は背は低かったけど、女ウケする中性的な顔で、当時流行っていたブレイクダンスが上手くて、地方局のテレビで紹介されるほどだった。そんな俺たち4人は女にモテた。なのにする事といえばナンパだった。車で街を舞うルートは右回りと左回りの二つ。車でそのルートを走っていると、必ず喧嘩に出くわした。理由は単純だ。ナンパ待ちの女の取り合い。自分たちを取り合って喧嘩する男たちを、女たちは満足そうに見つめていた。勝った方の賞品は私よと言わんばかりに。俺たち4人は、喧嘩を見かけると、必ず車を止めて観戦し、ヤジを飛ばしていた。和義が近くまでいって煽っていると、巻き込まれて殴られた。俺と一道はそれを見てゲラゲラと笑っていたが、和義は本気で怒ってそいつらと喧嘩になった。仕方ないので、トランクに積んでいた鉄パイプを持って俺たちも参戦した。誠司は喧嘩が苦手だったので、いつも観戦専門だった。だからと言って、俺たちが誠司に文句を言ったことは一度も無かった。なぜなら、誠司は優しくて良い奴だったから。喧嘩に鉄パイプを使うと勝負が早かった。そりゃ当たり前だ。俺たちはいつも女を抱いていたが、その数よりも喧嘩の数の方が多かった。
それくらい場数を踏んできたのに、素手での喧嘩は、時に手こずることも長引くこともあった。鉄パイプはそんな悩みを解消してくれるマジックアイテムだったんだ。頭に一発入れれば、大抵の奴はうずくまるか、ぶっ倒れるか、逃げていく。年上でも、体力的肉体的に差があっても、それも解消してくれる。いったい何人、何十人の頭を鉄パイプで殴ったのか覚えていない。だけど、これだけは言える。誰も死んでいない。俺たちに鉄パイプで頭を叩かれても、誰一人死ななかったんだ。それは、まだ俺たちが子供だったから、というのも理由の一つだと思う。喧嘩に負けたくないから、毎日体を鍛えていたけど、所詮15歳の子供。だから単純に力が弱かった。それに運もあるだろう。頭の何処を狙ってなんて考えていなかった。ただ、当たる場所に叩き込んでいただけだった。
相手は当然年上だったけど、自分たちの先輩や知り合いで無い者は全然怖くなかった。俺たちは相手をボコボコにして、賞品の女も手に入れた。だけど、その件で車の持ち主の先輩の家に警察がきた。ナンバーから足がついたのだ。先輩は気を利かして車は盗まれたと言ってくれた。目撃されている俺たちと先輩は似ても似つかない外見だったので、警察は疑いながらも先輩の証言を保留していた。
俺は車を夜景で有名な山に乗り捨てて、鍵を近くに捨ててあった看板の下に隠した。人を通じてそれを先輩に伝えてもらい、結局車は先輩の友人が偶然発見したという体で警察に通報した。その件で俺や一道、和義や誠司が捕まることは無かったが、大切な大切な足が無くなってしまった。これが令和の現代なら、そこら中にあるカメラで簡単に身元を特定されて逮捕されていただろう。
車を失い、15歳本来の姿である自転車に乗ることになった俺たちは、まるで昭和から石器時代にタイムスリップしたような気分だった。またバイクか車でも盗もうかと話をしていたが、最近警察の取り締まりが厳しくなっているとの情報があり、しばらくは大人しくすることにした。
俺たちはいつも和義の家で寝泊まりをしていた。母屋とは別に、庭にプレハブ小屋があり、そこが和義の部屋だった。泊まる部屋はあっても金など無いから、食べ物と飲み物、タバコはすべて万引きしていた。車に入れていたガソリンは、当時のスーパーカブには、ガソリンタンクに鍵がなく、シートを開けるだけで給油口にアクセスできた。その仕様を利用して、営業用に何台も並べられた銀行の駐輪場を深夜にいくつも回り、シュポシュポを使って少しずつガソリンを携帯缶に抜き取っては、車に注ぎ込んでいた。乗っていた430は燃費が悪く、リッター5〜6キロしか走らない。カブ一台から抜けるガソリンの量なんてたかが知れていて、そのわずかな燃料のために、途方もない時間を費やしていた。
当たり前だが、プレハブの和義の部屋にはトイレはなく、小なら庭でしていたが、和義に怒られたので、公園のトイレに行く振りをして、和義の家の、壁の外側にいつもしていた。ある日それもバレてしまい、和義は見せしめのため、俺と一道を家から閉め出した。
仕方ないので一道は一旦家に戻って、ついでに着替えを持って来ると言い残し帰っていった。俺も空を見上げ「はぁ~」とため息を付いて、数カ月ぶりに家に戻った。和義の家から俺の家までは、自転車で40分ぐらいの距離だった。
戻ってきた俺を見た母は驚いていた。「あんた、何処行ってたの!? 捜索願いを出そうと思っていたのよ」と言ったけど、俺は無視して服を着替えて、母が見ている前で、母のバッグに手を入れて、財布に入っていた札を全部抜き取った。「どこに泊まっているかぐらい教えて!」という言葉を無視して、和義の家にまた向かった。その当時兄は家を出ており、俺も戻ってこないので、母は一人で暮らしていた。母は俺に久しぶりに会ったと思っていたが、俺はそうではなかった。車で街舞いをしている時、何度か男と腕を組んで歩いている母を見かけていた。別に何も感じなかったけど。
母の財布から抜き取った金で、セブンスターを3箱買って、和義に渡して機嫌を取った。「もう絶対に壁に小便するなよ」と言われたので「わかった」と答えたけど、遠くまで行くのが面倒だったので、それからもよく壁に小便をしていたよ。
和義の家に戻って数時間たっても、一道は戻ってこなかった。少しだけ不思議に思っていたけど、あまり気にしてなかった。けど、次の日も、その次の日も、一道は和義の家に戻ってこなかった。心配になった俺と和義と誠司は、一道の家に向かった。一道の家は、街の中心地に近い場所にあって、古いけどなかなかの豪邸だった。チャイムを押すと、母親が応対してくれた。「あの~、一道君はいますか?」「……どちら様?」「友達です。信一といいます」俺の名前を聞いた一道の母親は、しばらく無言だった。突然「一道はいません」そう言って、インターホンを切ってしまった。俺は和義と目を合わした。一道が留守? どう考えてもおかしい。一道が俺たち以外の所に行くなんてありえない。けど、親が無理矢理家に引き留めてるのも考えにくい。なぜなら、一道が黙って従うはずないのだからだ。「どういうこと?」「いや、本当にどういうことだ?」「うーん……」いろんな可能性を口にしたけど、多くの知識を持っていない俺たち三人には、これだという答えは出なかった。
一道の行方は、数週間後に和義の家を尋ねて来た者の口からわかった。それは和義の後輩で、そいつはとある施設から戻って来ていた。現在のコンプライアンス意識からすれば到底許されないが、当時その施設では、問題行動を起こす若者に対し、暴力による強制がまかり通っていた。まぁ当時は学校でも教師が普通に暴力を振るっていたので、別に珍しい事ではなかったけど。
そこに一道が連れてこられたと、和義の後輩が言っていた。
どうやら一道の両親は、以前からその施設に相談していたらしく、一道が自宅に戻ったタイミングで施設に連絡を入れた。その後、職員が一道を迎えにやって来た。一道は暴れたようだが、一人では太刀打ちできず、結局は強制的に連れて行かれた。
一道の両親がどうしてそんな事をしたのか、それは…… 弟のためだった。一道には、5歳年の離れた弟がいたが、両親はその弟を溺愛し、一道がその弟に与える悪影響を考えて、施設に放り込んだのだ。たまにしか戻らない一道に、そこまでする必要はないと俺は思ったけど、かつての自分の両親を思い出した俺は、妙に納得してしまった。とにかく一道の行方は分かった。後は俺たちが助けに向かうだけだった。が、和義の後輩に、一道は俺たちへの伝言を頼んでいた。その内容は「半年で戻るから気にするな。絶対に助けになんか来るなよ」だった。一道は優しくて頭も良かった。施設に居ると聞いた俺たちの行動は、手に取るように分かっていたのだろう。自分のせいで、施設を襲撃して、捕まる俺たちを見たくなかったのだろう。だけどそれでも俺は、納得できなかった。一道の居場所が分かった今、黙ってはいられなかったんだ。