1 アイデンティティ
この物語には、昭和という時代背景や登場人物のリアリティを重視し、
現在では不適切とされる表現や乱暴な言葉遣いが含まれています。
作品の時代性やキャラクターの内面を描くための演出であり、特定の個人や集団への差別を意図したものではありません。
読者の皆さまには、その点をご理解のうえ、お読みいただけますと幸いです。
俺は、昭和に生まれた。そう、俺は、昭和45年に生まれた。
父親はタクシーの運転手。母は大叔母の旅館の清掃をしていた。父は厳しく、母は優しかった。昭和らしく、男と女の役割分担がはっきりしている何処にでもある家庭。俺には4つ年上の兄がいた。母は、次は女の子を望んでいた。生れてきた子は、男の子だった。
実は俺が生まれるまでには、一悶着あった。それは、貧乏だった家庭に、二人目の子供は必要ではなかったのだ。両親は中絶を決断した。母は病院に行き、手術台に横になった。目を閉じて眠り、起きた時には、命は一つ消えている、そういう予定だった。だが、運命とは、複雑に編まれた糸のようなもの。誰の手で結ばれ、誰の想いでほどけるのかは誰にもわからない。今から麻酔をという時に、急患が運ばれて来た。その女性は、股から激しい出血をしていた。先生は母に告げた「明日来てください」と…… だが、母は病院に行かなかった。その理由は、何となく面倒だったからだそうだ…… 確かにそう言っていた。そして、それから7か月後に俺は生まれた。昭和45年に生まれた。7月の暑い日の朝に。
俺はその話を聞いた時、誰にも言った事のない不思議な感覚が確信に変わった気がした。子供の頃、俺はひとりで山に登り、昆虫や動物を観察して遊んでいた。だけど、俺は一人ではないといつも感じていた。自分の中に、もう一人の自分がいる。何故だかわからないが、幼い頃からずっとそう感じていた。俺を中絶しようとしていた時に運ばれて来た急患の女性は、恐らく流産したのだろうと母は言っていた。それほど酷い出血だったと。その子の命が、俺をこの世に誕生させた。ずっと感じていたもう一人の自分。それは、流産で中絶を止めてくれたその子だったんだ……
そう確信した時、みんなならどう思う? その子の命を無駄にせず、りっぱに生きていこう。普通ならそう思うのか…… そもそも立派に生きるとはどういうことだ。親戚のおばさんや母方の祖母は俺に会うたびにいつも言ってた。「信ちゃん、勉強頑張ってる? 信ちゃんは勉強が出来るから、良い学校入って、良い会社に就職するんだよ」ってね。俺と顔を合わす度、同じ事を狂ったように何回も何回も言ってきた。兄は壊滅的に勉強が出来ず、頭全体が悪かった。二桁いるいとこたちも同じだった。親戚の期待は自ずと俺に向けられた。その頃小学生だった俺は悪い気はしなかった。その期待に応えてやろうと、そう思っていた。
勉強など簡単だった。けど、簡単だからこそあまり興味がなかった。だけど、優しい母は、俺がテストで良い点を取ると、喜んでくれた。厳しかった父も、「流石俺の子だ」と、褒めてくれた。だが、どんなに俺が勉強が出来ても、父と母の興味は出来の悪い長男の兄に向けられていた。さっきも説明したが、兄は壊滅的に勉強が出来ないし、そもそも頭が悪い。おまけに手癖も悪い。俺はカメラが欲しくて、お小遣いを貯金していた。目標は2万円。一度に100円、また100円と、地味に貯めていた。誰かに盗まれると思っていた訳じゃないけど、貯金箱に入っている金額は把握していた。ある日、貯金箱の蓋を開けて小銭を数えたら金額が合わなかった。犯人は兄しかいない。それは分かっていたが、証拠がない。兄を問い詰めたが、知らぬ存ぜぬで通された。それから数日後、学校から帰ってきたら、兄が俺の貯金箱に手を伸ばしていた。決定的な瞬間をついに押さえた。その日から兄は俺に気を遣う様になった。それは、親にチクられたくないからだ。兄は夕食に出て来る大好きなウインナ―を盗まなくなった。食べるのが遅かった俺は、いつも兄におかずを盗まれてた。父は勉強が出来る俺より兄が好きだった。だからおかずを取られて泣く俺を逆に叱った。「食うのが遅いお前が悪い」とね。だから、おかずを盗られなくなるだけで、それだけで俺は満足だった。だが、また俺のおかずを盗むようになった。この時、俺に弱みを握られているのを忘れるほど頭が悪かったのかと思ったよ。もちろん俺は言ってやったさ「あの事を言うぞ!」ってね。すると兄は俺のおかずを返した。その様子を見ていた父が俺たちを問い詰めた。
「あのことってなんだ!?」
とね。俺も兄も黙っていた。すると、短気だった父は声を荒げた「さっさと答えんか!!」と。兄は黙ったままだった。自分が悪くない俺は、父が怖くてつい口を開いてしまった。兄が俺の貯金箱から金を盗んでいたと。当然父はブチ切れた。「お前は泥棒か! 馬鹿野郎!」と、昭和の父親らしくテーブルを力一杯殴った。だが、それで終わりだった。父は兄にビンタひとつせず、テーブルを叩いてそれで終わったのだ。俺に金を返せとも言わずに…… それは、俺の敗北を意味していた。次の日から、兄はまた俺のおかずを取り始めた。だから俺は、信じられないぐらい早食いになった。おかずを取られたくなかったからだ。早食いが身についてしまった俺は、食道も胃も調子悪く、何度も入退院を繰り返している。
お勉強……? そう、俺にはそんなの意味がなかった。いくら勉強が出来ても、両親は俺より兄が大切だったから。それに、俺と同じぐらい勉強が出来る奴はクラスにいたさ。だけど、全然面白くないんだ、そいつらと話をしていても。例えるなら宇宙人と話している感じさ。勉強のレベルでいえば同じぐらいなのだろう。だけど、話が合わないんだ。そんな奴らの集まっている学校に行って何になるんだ? それに、良い学校いって良い会社にってのもいまいち想像できなかった。そんな所に行って結婚してそれで? と、子供なのに密かに心で思っていた。それともうひとつ、じゃあ勉強しなければどうなるんだ? って。いつもそう思っていた。俺は完全に勉強から興味をなくした。それよりも、勉強しないで大人になればどうなるのかの方に興味を抱くようになっていた。
父は俺が中学一年の時に、母と離婚が決まり家を出ていった。それからは絵に描いた様なよくある定番さ。手に職のない母は、金を稼ぐために夜の街に仕事にいった。父から解放された母は、それが楽しかったのだろう。それで子供への興味もなくした。
父は昭和の男らしく亭主関白で、よく母親を殴っていた。幼い俺の目の前で、優しかった母を殴っていた。その時俺は心で思っていた。大人になったら、この父を殴ってやると。母が目の前で殴られる度そう思っていた。だけど結局俺は、死ぬほど嫌いな父を、一度も殴らなかったんだ。父が死ぬまで一度もね。
父が家を出ていって数週間後、俺は学校に行かなくなった。子供への興味を失った母は、何も言わなかった。つまり、俺の最終学歴は小卒さ。
父は出ていき、夕方から朝まで戻らない母。俺の家は、兄のよからぬ友人や先輩たちの溜まり場となっていた。夕方から集まり始める兄の友人や先輩は、家が揺れるほどの大きな音を出す単車や車で集まり、朝まで麻雀をやっていた。それまで家族のように仲良くしていた近所の人達は、兄の友人や先輩たちを怖がり、挨拶もしなくなった。
狭い兄の部屋に多い時は10人も鮨詰めになり、タバコを吹かし、麻雀から溢れた者はエロ本を読み漁り、俺が大切にしていた手塚治虫先生の漫画を勝手に持ち出して読んでいた。タバコで焼けて穴の開いたページ、意味不明の落書きもされていた。「ジャラジャラ」と牌を混ぜる音と「ポン」「リーチ」「ロン」「ツモ」などの声が家中どころか近所中に響いていた。薄いカーテン2枚で隔てた隣の部屋にいた俺は眠れるわけもなく、そいつらが帰る朝までいつも起きていた。酒がなくなると「おい、ビール買ってきてくれ」と、学校に行かなくなった俺をパシリに使う。今みたいにコンビニなんてない時代。酒屋も夜中には閉まっている。けどどうしても買ってこいと俺に無理難題。そんな時は、遅くまで開いている居酒屋や屋台でビールを瓶ごと譲ってもらったよ。それも自分で考えて行動したんだ。
ある日、いつもの様にビールを買って来いとパシリに使われて夜中に外に出た俺は、なぜだかわからないけど、いつもいく屋台を自転車で通り過ぎた。不思議なことに、ただ自転車を漕いでいるだけなのに、楽しくて楽しくて笑みが浮かんでくるんだ。ビールを買って帰らないといけないのに、楽しくて自転車を漕ぐのをやめれなかった。
時代は昭和。深夜には、たった一台の車すら走っていない。俺は道路の真ん中をひとり自転車で走っていた。あれほど自由を感じた時は、他にはない。本当に、本当に楽しかった。その日俺は、母が戻って来る朝まで家に帰らなかった。ビールを買ってこなかったから、怒られるのが嫌だったから。
そして次の日から自由の味を知った俺は、夜になるとひとりで外に出かけるようになった。愛車は当時流行っていたカマキリと呼ばれる黒色の自転車。その愛車にまたがり、その日も俺は車の走っていない道路の真ん中を走っていた。たまに車が走っていたが、そんな時は対向車線で上手くかわしていた。だけど、前から来たハイビームの車がそんな俺を見て止まった。まぶしいなと目を細めていたら、突然赤い回転灯が回り始めた。パトカーだった。驚いた俺は思わず逃げた。自転車vsパトカー、勝負にならないと思うだろ? だが、地の利は俺にあった。子供の頃から遊んでいた地元。猫の通る道だって知っていたさ。「止まれコラァ!!」とマイクで喚き散らし、寸前で空ぶかしをするパトカーが、俺を追い越そうとした時、車の通れない細い道へ突っ込んだ。パトカーは急停車し、助手席から警官が飛び降りて走ってきたけど、それでも俺の自転車の方が早かった。見事に警察を振り切ってやったのさ。俺は自然と空に浮かぶ月に向かって「アォーーーン!」と、オオカミのように吠えていた。何度も、何度も勝利の味を確かめるかのように吠えまくったんだ。その話を兄の友人や先輩にした。するとそいつらは「お前は素質がある」そう言って笑っていた。勉強以外の事で認められるのは、不思議な感覚だった。だけど、悪い気はしなかった。
その日から、家に集まる兄の友人や先輩は、俺に警察からの逃げ方を教えてくれた。道の真ん中を走って、絶対にパトカーに抜かれるなと。あいつらは当ててこないから、抜かれそうになったら幅寄せしてやれと教えてくれた。俺はさっそく実践するために、深夜にまた自転車でひとり道路の真ん中を走っていた。まるで、運命の糸に惹かれるかのように直ぐにパトカーが現れてサイレンを鳴らしながら俺を追いかけて来た。教えられた通り、俺は道の真ん中を走りパトカーを前に出せないようにした。すると、パトカーは俺を追い越せずイライラしてマイクで怒鳴るだけだった。「なめとんのかっ!!」ってね。そしてまた俺は細い道でパトカーをまいた。ドキドキと心臓が高鳴り、高揚感が身体を、心までも支配した。テストで良い点を取って父と母に褒められた時よりも嬉しかった。あの気持ちを知ると、もうあとには戻れなかった。離婚後夜の店で働くようになった母と同じような定番さ、俺は自転車では満足できなくなり、バイクを盗むようになった。もちろん盗み方を教えてくれたのは兄の友人や先輩さ。クズも沢山居たけど、優しい人も沢山居た。直結という手段で盗みやすいパッソルというバイクばかり狙った。だけど無差別に盗んでいた訳ではなく、兄の友人や先輩から、この家とあの家とあっちの家のパッソルは盗むなと教えられた。なにやらややこしい人間のパッソルらしい。
面白いもので、学校も行かない俺に同じ様な境遇の友達が出来た。あの頃、一番大切なものはって聞かれたら迷わず即答してたよ、友達だってね。仲良かったけど、喧嘩もよくした。生まれてはじめての喧嘩。女の子みたいな顔をしていた俺は、小学校の頃はよく虐められていた。人など一度も殴ったこともなかった。けど、なぜか勝ってしまった。自分でも知らなかった喧嘩の素質。新しい発見が毎日のようにあったそんな時期。それから友達は、俺を立てるようになった。
その友人たちと夜中に集まっては、パッソルを盗む。金なんてないから、ガソリンが切れたら捨てる。そしてまた盗むの繰り返し。バイクの盗難届が増えると、比例してパトカーも増える。毎晩鬼ごっこをしていたが、一度も捕まらなかった。だけど、一緒にバイクを盗んでいた友人が別件で捕まって、それから芋ずる式にどんどんと友達が捕まった。やがて、俺の順番がきた。14歳になっていた俺は、朝、家で寝ていると母が起こしに来た。「なに?」と寝ぼけながらタバコに火をつける俺に「警察が来てる」と一言だけ伝えた。俺は「あっそ」とだけ返した。その時の母の顔は今でも覚えている。父に殴られている時よりも悲しい顔をしていたよ。でもさ、ひとつだけ言いたい。お前が悪い訳じゃないんだ。俺が中一になるまで、よく耐えてくれたよ、あの父の暴力から。だけど、ふと思うんだよ。もし父が、俺が大学生になる年齢まで家に居たらってね。勉強に興味を失っても、やらなくなった訳でも、出来なかったわけでもない。東大や京大は無理でも、その辺の国立大学になら受かることも出来ただろう。そうなっていた時、俺はいったい今、何をしているのだろうかってね。別に恨んでなんかいないさ。少しだけ、今と違う人生を歩む俺が気になっただけさ。
家に来た警察は、制服を着ていなかった。昭和の刑事は、どこから見てもヤクザと同じだった。これも面白い話だろ? 警察は、いわいるヤクザを締め付ける組織なのに、あいつら普段はヤクザと同じ服装で一般市民を威嚇してるんだよ。俺を乗せて走る警察車両を、母親はずっと道路に佇んで見ていた。角を曲がるときに、心配そうに車を見つめる母親が目に映ったよ。その光景は、今でも鮮明に憶えている。
警察署について取調室に連れていかれた。正直に言うと怖かったよ。今から何されるんだろうって、怖かったよ。たぶん殴られたりもするんだろうなって思ってたよ。事実、友人は取り調べ中に灰皿で頭を何度も叩かれ、喉に手を当てられ、壁に押しつけられたりもしていた。俺も同じ目に合うと覚悟していたさ。だけど、友人の時とは状況が違ったんだ。俺の名前が出て警察署に連れていかれたのは、一番最後だったんだ。つまり、友達が何処まで吐いていたか、すでに知っていたんだ。「おい! 正直に自分の口から言え! お前は悪いことしてるだろ? だから今ここにいるんだ。正直に言え!」そう言われても、明後日の方向を向いて黙っていた。すると案の定、刑事の手が俺の寝癖を直す暇もなかった髪の毛に伸びて来た。そのまま引っ張られて机に顔を叩きつけられたよ。派手な音が取調室に響いたけど、別に痛くはなかった。俺はその状況下で、刑事を睨みつけた。「あ~ん。なんだその目は? なめてんのかコラァ!」あまりの怒号で、耳が痛くなり目を閉じた。「さっさと吐けや! お前は何をしたからここにいるんだ!? あーん」小さい頃、正義の味方だと思っていた警察のイメージと全然違った。それでも俺はしばらく黙ったままだった。すると、その刑事が作戦を変えて来た。「お前、お母さんの顔を見たか?」あぁ、見たよ。そう心で呟いた。「正直に言って、お母さんのところに早く戻ってやれ」それは、刑事の本心か、それとも俺を落とすためなのかは分からなかったけど、俺は俯いたまま、ぽつりぽつりと自分のしたことを話し始めた。刑事は満足そうに紙と鉛筆を取り出してメモを取り始めた。俺の供述が止まると、机を叩いたり、母の話を再び持ち出したり、なかなかの役者だった。だけど、申し訳ないが俺も役を演じていたんだ。母の話で落ちた心優しい不良少年の役をね。そう、全部計算だった。最初からペラペラ話せば、友人と口裏を合わせているのがバレてしまう。そう思った俺は、最初は頑なに口を閉じていたんだ。そして、ある程度のタイミングで口を開けば、この刑事は俺の言う事を信じると確信していた。なぜかって? 自分が落としたと慢心するからだ。俺は14歳で、大人を操る術を身に付けた。実験の相手は普通の大人じゃない。刑事さ。笑っちゃうぐらい上手くいったよ。もともと勉強もできて、他人より頭が良いと自覚していた俺は、さらに他人を見下す様になっていった。そのきっかけがこれだった。
そんな性格だったから、先輩や嫉妬深い奴からは嫌われたよ。顔も悪くなかったから、自然と女も寄って来た。夜を過ごす相手に困ったことなど一度もなかった。先輩と嫉妬深い奴らは、ことあるごとに難癖をつけて俺をフクロにした。一対一ではなく、集団で俺を殴るんだ。それでも俺は性格を変えなかった。先輩たちには、暴力ではなく、別の方法で復讐したよ。それは、罪悪感だ。俺を殴った先輩たちは、その後俺をパシリに使っていた。満足そうな顔をしてたよいつも。だけど、俺はそんな先輩たちに嫌な顔一つせずに従った。月日が経ったある日、俺に嫉妬していた先輩がつぶやいた。「あの時、殴って悪かったよ」って。真摯に従う俺に、罪悪感を抱いたのさ。もちろん俺は、こうなる事を予測して、良い後輩を気取っていたんだ。けど、正直演技だけではなかったよ。付き合ってみると、良い人だなって俺も正直思っていたからさ。だから、これでお相子にしよう。
15歳のとき、えらそうなだけの先輩が俺の目の前で友人を殴り始めた。理不尽な理由で。不良の世界では、先輩に反抗するなんてもってのほか。その時は勝っても、先輩に逆らった奴は、必ず後からフクロにされる。それが当たり前だった。だから俺も、友人が目の前で殴られてても、見て見ぬふりをしていた。だけど、その日は違った。無性に腹が立ったんだ。友人を殴っている3つ年上の先輩に俺は後ろから飛び掛かった。殴られていた友人と後輩は、驚いてただ茫然と見ていた。どれぐらい殴り合ってたかは分からないけど、俺は負けた。中3の俺にとって、3つの年齢差は大きかった。友達のために戦ったのに、加勢もなかったしな。俺はその場でボコボコにされた。だけど、俺の友人は、情けない友人ばかりではない。いたるところから血を流し、歩くのもやっとだった俺は、近所の友人宅に向かった。その友人は、血だらけの俺を見るなり「どうした!? 誰にやられた!」と激怒した。後輩が訳を説明すると、その友人は傘立てに刺していた鉄パイプを持って外に飛び出した。その友人の家にある傘立てには、一本の傘も入っていない。他校の不良の襲撃を何度も受けていたそいつは、玄関に置いている傘立てに、武器を入れていたんだ。鉄パイプを持って出ていく友人を見た俺も、足を引きづりながら角材を手にして後を追った。すると、俺と友人を殴った先輩は、まだ近くをうろついていて、友人はそいつを見つけるなり、有無を言わさず鉄パイプで頭を殴打した! まるで映画かドラマみたいに血が噴き出したよ。プシューってね。追いついた俺も角材で頭を殴りつけた。何度も何度もね。だけど、そんな俺の角材を取り上げた奴がいたんだ。そいつは、最初にその先輩から殴られていた友人だった。そいつは「死ねっ! 死ねぇー!!」と奇声を上げながら、俺から取った角材で、最後の最後まで殴っていた。深夜だったけど、周囲の家から明かりがつき始めた。そして何人かが外に出て来た。「お前ら何をやってるんだ!」そんな声を無視して、俺たちはその先輩を殴り続けた。だけど、パトカーのサイレンが聞こえ始めて、仕方なくその場を後にしたさ。すると翌日、刑事が俺の家にやってきた。その先輩は、あのあと救急車で運ばれて、手術を受けたらしい。15歳の俺は、初めて手錠をされて警察署に連れて行かれた。自分の頭の良さををフルに使って、上手く警察をかわしていた俺だったけど、今度ばかりはお手上げ。逮捕された俺は、鑑別所に送られた。取り調べは鑑別所でも続いた。「友人が殴られたから、やり返しただけだ。俺だってボコボコにされた」そう説明しても無駄だった。逮捕されたのは俺だけではなかった、その場に居た友人や後輩までも。その後輩から別件がボロボロと出てきて、傷害事件だけではなく、様々な罪状で起訴された。最後まで抵抗した俺の審判は、一番最後だった。友人たちはすでに少年院に送られていた。だが、俺は鑑別所だけですんだ。理由は、母親だった。加害者の中で、唯一被害者に補償したのは、うちの母親だけだったのだ。それが認められて俺だけ自由の身になった。もちろん保護観察はついていたけど。俺は母親に感謝するどころか、逆に攻め立てた。友人は少年院に行ったのに、俺だけ助かりたくなかった! お前は俺を裏切り者にした! 俺も一緒に少年院に行くべきだったんだって、そう攻め立てたよ。母は俯いたまま何も答えなかった。
お読み頂き、ありがとうございます
この小説は、不定期掲載になりますのでご了承ください。
実は、「ライフ」は依然から凄く書きたかったのですが、いろいろあって後回しになっていました。
これは粗書きでして、もっと一話一話時系列でしっかり書き直すかも知れませんし、このままかもしれませんし、続きを書かないかもしれませんが、お楽しみいただければ幸いです。