石蹴り
「だらしないからやめなさい」
それが僕の覚えている最初の母の言葉だ。
僕は歩き始めた頃から道の石を蹴り続けるクセがあるらしい。
なぜ【らしい】と他人事なのかは蹴り始めた頃のことを覚えてないからだ。
とくにゲーム性を感じていたとか、やることが楽しいだとかは思ってない。
なんとなく蹴っている。
それがクセというものだろう。
幼稚園に通ってた頃は退屈だった。
バス通園だからバスの中のものを蹴るわけにはいかなかった。
小学校に上がると石蹴りにゲーム性を見出して楽しんでいる奴が僕に絡んでくるようになった。
だが、悪い気はしなかった。
しかし、そいつらはもっと面白いゲームがあることに気づいて絡んでこなくなった。
かといって全く関わらなくなってはいない。
流行りものがあればそれに乗っかり、僕も誘われる。
それらはとても楽しかった。
否定などしたこともなかった。
だが、彼らは僕のクセをダサいと言ってきた。
それからはそのダサいクセを矯正した。
ありたい自分ではいられないと気づいた小5の夏。
年が明け、人生の半分をそこで費やした小学校生活が残りわずかとなってきた頃、大人にならなきゃという使命感で周りがありのままの自分を捨て始めた頃、それは僕に話しかけてきた。
「珍しいね。佐藤君が石蹴らないで帰ってるの。」
同じ5年間同じクラスの井上が話しかけてきた。
「あ、うん。あれダサいからね。」
「へぇ、別になんとも思わなかったけどなぁ。」
「そう?」
「うん。だって汚い言葉を喋って大声で笑ってる人たちの方がよっぽどダサいよ。」
「そうなんだ。」
「そうだよ。」
そう言いながら井上は石を蹴り始めた。
「私も何でかわかんないけど、あ、蹴りたいってなるもん。」
「そっか。」
何もせず僕は歩いている。
「なんにでも面白さを見つけられるってすごいなぁって私思ってたんだよ。」
途端、井上は石でリフティングを始めた。
僕は歩みを止め、その動きに釘付けになった。
「別に好きなことにダサいもかっこいいもないと思うよ。」
その日以降、僕のクセは治った。
あれに比べたら僕はダサいなと思えたからだ。
それから僕は絵を描き始めた。
かっこいいと思ったものを思い返して形にする。それがとても楽しかったからだ。
学び舎が変わった頃、僕は僕の事を知らない人間に根暗という烙印を押されて、僕の周りから人が減った。
あれも違う校舎で学んでるらしく3年間一度も会わなかった。
だが、僕の頭の中であのリフティングは何回もリフレインしている。
どんなに頑張ってもあのかっこいい姿は絵に表せなかった。
どんなに頑張ってもかっこいい絵を描けない僕にはあの頃のクセが再発していた。
「さすがにダサいんじゃない?」
石を蹴っていた僕に聞き馴染みのある声が流れた。
「うぇ、あ、無意識だった。」
「久しぶりぃ。」
そこには、あの頃の何倍も美しくなった井上がいた。
何を話していいか分からなかった。
「私より身長高くなりおってぇこのぉ。」
今までで一番楽しかった。
「そうだ。絵。まだ描いてるの?」
思い出したように聞いてくる。
「え?」
「絵だよ絵。6年生になってからずっと描いてたじゃーん。ね、見せてよ」
僕は恥ずかしいからよそ行き用の絵を見せた。
「かっこいい。」
口から漏れたそれは僕が今まで味わったどの快感にも勝るものだった。
その後は何を話したか覚えていない。
ただ、【かっこいい】その音がずっとこだましていた気がする。
それから僕たちは連絡先を交換し、何回か会って、僕の絵を品表する間柄になった。
それは、今までのどの瞬間よりも常に色づいていた。
井上とあーしたほうが、こうした方がとか喋ってるだけで時間が溶けていった。
働き口を決めなきゃいけない頃、僕たちはやることに集中するため会わなくなった。
一生懸命だった。
僕はやることが少し落ち着いて、趣味の画材を買いに出かけた。
いろいろ疲れてまたクセが再発していた。
蹴りながら文房具屋さんへと向かっていた。
よくあることだが、思わぬところへ蹴ってしまったのでその石を取りに路地裏の方へ向かった。
その路地裏は人が通れるかどうかギリギリのところだった。
奥に人が二人見えた。
一人は知らないがもう1人は井上だった。
その二人はハリウッド映画の佳境並に口を重ね合わせていた。
僕は石を蹴るのも、画材を買うのも忘れ、ただひたすら歩いて家に帰った。
あの楽しかった気持ちはまだ僕の中で残っている。
あの気持ちは僕にはないと思っていた恋愛感情だったのだろう。
心臓が鳴り止まない。
部屋についても僕の呼吸は上がったままだ。
そして、僕は机に突っ伏した。
僕はNTR作家になった。