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友との再会 Ⅱ

「あり得ない。これは絶対にありえない……」


 アドニア・カラブリタがアリターナ行きを決めてから二日後のアリターナ王国有数の貿易港ヴァルペリオ。

 王都に比較的近い天然の良港として発展するとともに、アリターナ海軍の根拠地であるその全景が見渡せる丘の上に立つレストレンのテラス。


 カラブリタがどのようにしてやってくるか興味があり、約束の時間よりだいぶ前から、交渉場所として それからしばらく時が過ぎ、会談場所に多数の随行員を従えたカラブリタガスが姿を現わす。

 もちろんチェルトーザは満面の笑みで彼女を出迎える。


「わざわざお越しいただきありがとうございます。アドニア・カラブリタ殿」

「いえいえ、特別大きな取引だと言われれば、何をおいてもやってくる。それは私たち商人として当然のことです。アントニオ・チェルトーザ様」


 取り立てて特別なことなど何も含まれていないふたりの短いあいさつ。

 だが……。


 ……お互いここで嫌味のひとつでも言ってくれたほうがまだありがたい。そうすれば、もう少し場が和むというものだ。少なくても今よりはずっと雰囲気がよくなる。

 ……腹がキリキリする。

 ……言葉はごくありふれたものだが、纏うものはまったく違う。さすが、フランベーニュがその名を聞いただけで逃げ出すというだけのことはある。アントニオ・チェルトーザ。それにしても……それにしても息が詰まる。


 ふたりの随行員が示し合わせたかのように顔を歪ませ腹や胸を押さえるという実に不思議な光景が披露されたのだ。


 そして、交渉は始まる。

 その冒頭。


 チェルトーザが口を開く。


「残念ながら私はアグリニオンの言葉を解せない。そして、カラブリタ殿も我が国の言葉を使いこなすところまではいかないようだ。だが、お互いこれだけ共通語が話せるなら問題はない。一応通訳は用意していたのだが、どうやら、通訳はいらないようだ。ふたりだけで話をするというのはどうかな?」


 ふたりだけ。

 つまり、交渉は差しの勝負。

 もちろんそうなれば個々の交渉力が問われる。


 ……そして、そうなれば自身の方が圧倒的上。

 ……なるほど。これが先ほどのお返しというわけですか。


 アドニアは心の中で呟く。

 もちろんさまざまな理由をつけて断るという選択肢もある。

 そして、それは許されるだろう。


 ……ですが……。

 ……あえて、ここは前へ進む。


「いいでしょう」


 ……ほう。


 帰ってきた言葉にチェルトーザは少し驚く。


 ……さすがに私や「赤い悪魔」について何も知らないということはないだろう。

 ……それでも、あえて私の誘いに乗るということは、自らの交渉力に自信があるということか。

 ……それとも、そこで私の力を見ようということか。


 ……まあ、どちらにしてもおもしろい。


「では、別室で茶でも飲みながら始めましょうか……」



 周囲に相談もないまま決まってしまったふたりだけの会談。

 ここからさらに激しいやりとりがおこなわれる。


 誰もがそう予想する。


 ……あの娘の力量がどれほどのものなのかは知らないが、残念ながらそれが公爵様の上ということはない。

 ……そして、公爵様は、それが仕事となったときは相手が誰であろうと容赦はしない。

 ……つまり、公爵様の圧勝。

 ……小娘が泣いて出て来なければよいが。


 別室で待つ一方の関係者はそう断定する。

 もちろん、それはもう一方も同じである。

 まあ、内容は全く逆ではあるのだが。


 ……口だけですべてを動かせると思ったら間違いだ。アントニオ・チェルトーザ。

 ……こちらはそれだけの実力がある。万が一のことがあれば、ここを丸焼きにしてやってもいいのだぞ。

 ……そもそもカラブリタ様の交渉力は並みのものではない。しかも、それが商売に関わるものとなればなおさらだ。

 ……一対一の交渉に持ち込んですでに勝った気でいるだろうが、そうはいかん。

 ……負けるのはおまえだ。アントニオ・チェルトーザ。

 ……そして、断言しておこう。

 ……おまえの不敗神話は今日で終わる。


 だが、実際はといえば、その交渉はどちらに傾くことなく淡々と進んでいた。

 まるで、ふたりで悪巧みの相談をするように。


 まずはチェルトーザが口を開く。


「カラブリタ殿の商会は穀物が主力商品であると伺っているが、それでよろしいか?」

「そのとおりです」


「……まあ、今はガラスや磁器などの商品や、南国の果物のほうが儲けを出してしますが」


 アドニアがガラスや磁器、それに南国の果実をわざわざつけ加えたのは、もちろん後ろに大海賊がいることを言外に示している。


 ……相手の意図がわからない以上、予防線を張るのは当然である。


 それを聞いた心の中でそう呟いたチェルトーザは薄く笑う。


 ……定石通りともいえるが……。

 ……こういう場面では用心深さは忘れてはいけない。


 ……素晴らしい。


 ……それに、今回はこの娘を叩くのが目的ではない。

 ……あくまで試験。

 ……我々の仕事を任せられるかという。


 ……さて、次だ。


 チェルトーザは小さく頷くと再び口を開く。


「たしかにあれはすばらしい。ですが、ガラス製品や南国の果物についてはいずれ別の機会にお伺いいたしましょう。なにしろ今回来ていただいたのはあくまで穀物の件で話がしたかったからなので」

「穀物?」

「はい」

「それの何を?」

「まあ、あなたにとっては難しいことではないのでしょうが、専門家の立場で、最近の小麦価格についてなにか気づいたことはありませんか」

「……気づいたこと?」


 もちろんなくはない。

 なくはないが、それとアリターナの無敵交渉人が出張る関係がわからない。

 本来であれば、知らないと答えるのが定石。

 だが、ここでアドニアの超がつく一流商売人の勘が教える。


 ……これはつまらぬ揉め事の解決交渉などではなく、本物の儲け話。


 即断する。


 ……乗った。


「少々高くなっているようですね。どうやら品不足気味なようなので」


 そして、これが転機となる。


 あと数手、下手をすれば数十手をかけなければやってこないと思われた言葉があっさりと手に入ったチェルトーザは、こちらも自身が持つ人の良し悪しを見分ける嗅覚によってその少女が信頼に値できる者と確信する。


 ……どうやら、こちらの意図を理解したか。

 ……まずは合格。


 ……いや。十分に役割を担える。


 ……そういうことなら……。


 ひと呼吸の数倍ほど開けた間の後、チェルトーザが再び口を開く。

 それを話すために。


 そして……。


「……驚きました」


 チェルトーザからすべてを聞き終えたアドニア・カラブリタは隠すことなくその言葉を口にした。

 そう。

 常人にはわからない何かによってふたりは相手が信用できる人物であると理解した。

 あくまでこの取引に関してという限定は付くのだろうが。


 だが、それであっても駆け引きのプロであるふたりが初対面の相手に対してこれだけ本音で語ることは珍しい。


 まあ、実際には初対面どころか、旧友であるわけなのだから、もしかしたら僅かの間に心が通じたのはそういうことも影響しているのかもしれないが。


「カラブリタ殿……」

「アドニアで結構です」

「では、アドニア。あなたはこの件についてどの程度まで情報を掴んでいましたか?」


 もはや、チェルトーザの言葉には遠慮や隠し事はもちろん、回りくどい言い回しすらない。

 つまり、本気モード。

 もちろんもう一方も。


「実際のところ、私たちは小麦が品不足で価格が上がっていることくらいしか知りませんでした。たとえば、干ばつや長雨などの天候不順によって小麦が不作ということならすぐに動きだしますが、今回はそのようなものはまったくありませんでしたから」

「なるほど」


「つまり、あなたほどの商人が問題の本質に気づいていないということは他の商人も気づいていないと思ってよさそうですね」

「……おそらく」


 チェルトーザの言葉に相槌を打ちながら、アドニアは考える。


 ……ここまで情報を提供したということは、間違いなく取引内容は小麦に関するもの。

 ……ですが、その内容がどういうものかはこの時点ではわかりません。

 ……おそらく買い付けを依頼したいということなのでしょうが、その具体的な目標がないとなんともしようがありません。

 ……さて、ここからそれが出てくるのでしょうか。


 心の中でそう呟きながら興味深そうに待っていたアドニアだったが、チェルトーザからやってきたものは彼女の予想をはるかに上回るものだった。


「この件について多くの提案をしているが、一番の問題はそれがすぐにやってきたときへの対応だ」


 ……来た。


「これに対して我々ができることは二点。アリターナ産の小麦を国外に出さないこと。それから、国外からより多くの小麦を手に入れることだ。これについても色々と考えてはいるが、所詮素人の考え。これを効率的におこなえる方法をご教授いただきたい。もちろん我々が依頼したいのはその仕事をおこなうことです」


 ……つまり、目的は買い占めと備蓄?ですが……。

 ……食料生産国のアリターナがそこまで考えなければならないくらいのものということなのですか。

 ……その、これからやってくるものとやらは。

 ……ということは、慢性的に食料輸入国に甘んじているブリターニャやノルディアはさらに大変なことになる。

 ……もちろん食糧のほぼすべてを輸入に頼っているアグリニオンも。


「ちなみに、その規模はどれくらいを考えているのでしょうか?」

「アリターナ国民が最低三年間は暮らしていける量」


「……多いですね」


 ……というより、多すぎる。

 ……短期間にそれを達成するということは、出回っている小麦をすべて買い漁らないといけないということです。


 アドニアの表情からその心の内を読み取ったのか、チェルトーザはすぐに言葉を加える。


「たしかに多い。ですが、それくらいを集めるくらいの気構えでやらないと一年分だって手に入れられないのではないかと」

「たしかに」


 チェルトーザが口にしたその圧倒的な量に少々気圧されながら、アドニアが口を開く。


「一応お伺いしますが、これは何を置いてもやるということでよろしいのでしょうか」


 アドニアの問い。

 それは聞きようによっては非常に無礼なものである。

 だが、チェルトーザはまったく動じない。

 その内容はそう聞き直す、というか、確認しなければならないだけのものであることを、言った本人であるチェルトーザが一番理解しているのだから。

 顔色ひとつ変えることなくチェルトーザはそれに答える。


「私はそのつもりで話していたのだが、そうは感じなかったのなら言い方が悪かったようだ。では、改めて言おう。これは我が国の存亡にかかわってくるものだ。当然何を置いてもやるべきことである」


「承知しました。では、そういうことであればそれについての私からの提案をしたいと思います」

「伺いましょう」


そこからアドニアが語ったこと。

それは有効ではあるが、やや道からは外れたもの。


 ……さて、私はもっとも効率的な方法を提示しました。

 ……あなたはこれを飲むことができますか。アントニオ・チェルトーザ。


 ……まあ、私が提示した案は事実上のアリターナの穀物市場の独占。


 ……さすがのあなたでも簡単には返事はできないでしょうね。


 一瞬で思いついたものとは思えないものを提示したアドニアは、考え込むチェルトーザを冷ややかに眺める。


 ……これだけのものはどれだけの権限を与えられていても単独では決められない。まずは国王に確認しなければならないでしょうね。

 ……さらに国内の商人たちを宥めることも必要になる。

 ……そうなると、最低でも百日は……。


「少々詰めるところはありますが、いいでしょう。ただちに準備に入ってください。できれば、五日以内に完璧な形で作業を始められるくらいに」

「えっ?」


 心の中での呟きを遮ってやってきたチェルトーザの言葉には驚かざるを得ない。


「……よろしいのですか?」

「もちろんですとも」


 そう言って笑うチェルトーザは大きく口を開けて笑い、それから種明かしをするように言葉を続ける。


「実際のところ、私もそれしかないと思っていました。問題はそれを誰に任せるかというところでした」

「それを私に……」

「あなたは間違いなく優秀な商人だ。あなた以上の商人がアリターナにいないのであれば、あなたにお願いするしかない。ただし、条件はあります」

「伺いましょう」

「この件は内密にお願いしたい。小麦の価格が上がるだけならいいが、小麦そのものがなくなるという事態は避けたいもので。それと、この備蓄用小麦の買い取りはアグリニオンも我が国の費用で購入するということで構いません」


 これによって、ことがあった場合でも備蓄小麦を放出して混乱を防げる。

 それによってアグリニン国におけるアドニアの立場はさらに強化される。


 ……十分な利益供与とともに口止め料でもあるということですか。

 ……ということは、やはり本気ということですか。


「承知しました」


「では、大枠が決まったところで、細かな点は外で待っている者たちに任せることにしましょう。一応たたき台になるものは用意してありますので」


「はい」


 大幅な譲歩。

 というよりも、一方的な敗北。

 結果だけみれば、それにしか見えない。

 それにもかかわらずチェルトーザは上機嫌である。

 反対にアドニアは圧倒的勝者であるはずが、どうも釈然としない。

 まるで、敗者のような気分がぬぐえないのだ。


 ……まあ、莫大な利益が私の商会の入るのですから悪いことではありません。

 ……ですが、彼の手のひらで踊ったかのような気分。このままでは借りをつくっているようで気持ちが悪いです。

 ……ここは少しでも負債は返すべきですね。


「ところで、チェルトーザ様」

「なんでしょうか」

「アリターナ国内の小麦の生産高が下がっている件について、少し提案があります」

「伺いましょう」

「アリターナの、特に貴族の方々の領地では農地を常に作物の苗で埋め尽くしているようですが、あれは改めたほうがいいでしょう」

「どういうことでしょうか?」

「同じ作物を何年も続けて栽培すると取れ高が大きく下がるのです」


「……もしかしてレンサクショウガイ」


 ……なぜその言葉を知っている?


 それは別の世界のある国では農家はもちろん家庭菜園をやっている者でも知っているごくありふれた言葉であるのだが、当然この世界ではまったく使われていないものである。

 突然やってきたそれにアドニアの警戒と緊張が最高潮に達する。

 口にしかけた「あなたはどこから来た?」という言葉を飲み込むと、アドニアは冷静を装いながら尋ねる。


「……レンサクショウガイ。初めて聞いた言葉ですね。それは……」


「元海賊だったか、流れの商人だったかに、そのような状態をそう言うのだと聞かされていただけで、実際の意味がどのようなものかも、どこの国のものかよくわかりません。残念ながら」


 思わず口にしてしまったそれをすかさず追求されかかったものの、その言葉を遮り流れるような嘘でとりあえず躱したチェルトーザはさらに言葉を続けることによって乗り切りにかかる。


「ただし、私が聞いたのは野菜に関するものだったのですが、小麦にもそのようなものがあるのですか?」

「え、ええ」

「それは一大事。実をいえば、我が領地も毎年小麦を生産しています。領主である私が無知とはいえ、それは大変なことをしている。それで、それに対してはどのような方策があるのでしょうか?」

「それは……」


 さすがこの辺は一枚上手というところでチェルトーザはあっという間に危機を乗り切ってしまった。

 もっとも、元専門分野に近いということもあり、その話をすると止まらないアドニアの側にも十分な要因があったのだが。


 そして、その話が終わると、仕上げのようにチェルトーザは満面の笑みで感謝の意を示す。


「……ということは、貴族たちが国内の農地をあらたなに手に入れた今はその輪作とやらをおこなう絶好の機会ということですね」

「まあ、そういうことになります。もっとも、自らの土地を持つ農民は経験からそれを知っていたようです。私もそのやりかたを農民の方に教わったのですから」

「なるほど」


 アドニアが口にした最後の言葉。

 もちろんこれもチェルトーザの言い訳同様大嘘である。


 なぜなら、この世界も御多分に漏れず連作障害は起きていたものの、ある大家の発言が根拠となる「定期的に起こる作物由来の病気」というのがこの世界におけるその状態に対する定説であって、土地そのものに問題があるとは誰も考えていなかった。

 もちろん育ちが悪い作物を諦め、違う作物に植え替えて成功したことはあったのだが、それは偶然の産物であり、経験としては知っていても、それ以上のものはない。

 当然連作障害という概念や、その対策となる土地を休ませるという意味での輪作を他の者に伝えることなどありえない話なのである。


 ……まあ、これで輪作が進み、連作障害による生産高の減少を食い止められる。

 ……チェルトーザ氏の話は若干気になるところではありますが、悪いことではないのだから、今回はよしとしましょうか。


 アドニアは笑みの裏側でそう言った。


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