動き出す者 Ⅱ
「さて、諸君。今日は少しだけ毛色の違う話をする」
その言葉とともに始まったその日の「赤い悪魔」の会議。
この世界の隅々にまで名を轟かせる交渉を生業としているその組織の創立者であり、彼らが披露する交渉技術の頂点の保有者でもあるアントニオ・チェルトーザが口にしたものは、当然あの話である。
もちろんそれは部下たちにとっても寝耳に水の話。
必死に驚きの表情を隠しながら目を合わせる。
ようやくそのなかのひとりアルバーノ・アルタムラが口を開いたのはかなりの時間が過ぎてからだったのはその驚きの大きさを表したものといえるだろう。
「……そういえば、パンが少々高くなったと思っていましたが、てっきりいつものように悪徳商人どもが値を釣り上げているとばかり思っていました」
「まあ、王都に住み、それなりの収入があれば、その程度にしか思わないのは当然だな」
……しかも、彼らは身分的には民間人ではあるが、外交交渉の一翼担う者として認識され、徴兵は免除されている。
……まあ、そちらについては彼らが属している組織に透ける公爵という私の肩書が大きく影響しているのはまちがいないだろうが。
……だが、本人たちはともかく親族たちにまではその肩書は通用しない。
……戦地に飛ばされ、命を落とした者もいるだろう。
……それであっても、気づかない。
……どうやら、この世界も上と下の乖離は相当なものであるようだな。
改めてそう思うものの、もちろんそれを口にはせず、チェルトーザが口を開く。
「言うまでもないことだが、戦争とは人がいることで成り立つ。それはいついかなる時でも。である」
……別の場所では機械だけが戦場に出かける、そうでない戦争もあるのだが、結局それでも狙われるのは人間なのだからこの理論はギリギリ成り立つ。
誰にも聞かれぬところで盛大に言い訳をしてから、言葉を続ける。
「そして、それはその戦場に立つ人を生かすための食料。それがなければ戦争などできないとも言い換えられる」
「それにもかかわらず、この国の、いや、この世界で軍を動かす者たちは、その理を無視して戦いを続けようとしている」
「……戦争を続けることはすべてのことを優先されるという理屈のもとに。そういう輩を、どこかの国では戦争屋と言うらしい」
……まあ、実際の戦争屋の意味とは完全に符合しているわけではない。
……だが、ここはこれでいいだろう。
……どちらにしても、良い意味で使用されるわけではないのだから。
そう。
もちろん、チェルトーザが口にした「戦争屋」とはこの世界ではつくられた言葉ではないし、そこで使用されている意味と彼が言おうとしたことは少々ニュアンスが違う。
だが、チェルトーザは知っている。
自らが口にしたような輩はどの世界にもいることを。
そして、チェルトーザはそのようなものたちが大嫌いだった。
この世界に来る前から。
……国防の重要さを口にし、兵器の購入を推し進めるが、実はそこにあるのは、防衛産業からの献金という名の賄賂が目的。迂回させ、いつの間にか正当化されているが、あれは紛れもなく賄賂。自分の金儲けしか考えない奴らに比べればこの世界の戦争屋などかわいいものだ。
チェルトーザはその言葉を飲み込み、言葉を続ける。
「もちろん戦争を続けるかどうかは我々が決めるわけではないし、それに対する責任を負うものでもない。だが、こうして影響を受けていることに気づいた以上対策は考えるべきだろう。それに気づかぬ愚かな為政者のために」
「と言いますと?」
「さっきも言っただろう。人間は食べ物を食べずに生きてはいけない。もしかしたら、戦争屋という生き物は食べなくても生きていけるのかもしれないが、少なくても私の周りにいる者は食料なしでは生きていけない。そのことを知らないで戦争を指導している戦争屋たちにそのことを教えてやるべきではないのかと言っているのだ。もっとも……」
「私が知っている戦争屋諸君は、他人よりおいしいものを、他人より多く食べている。しかも、戦場から離れた最も安全な場所で」
「……たしかに、よい商売ですね。その戦争屋とやらは」
「まったくだ」
「もしかして、給金もいいのでしょうか?」
「当然だ。この世界で最高給と言ってもいいものを貰っている」
「なるほど。それだけいい商売ができるのなら、戦争を終わらせたくないという気持ちはよくわかります」
「まあ、そういうことだ。だが、戦争屋がいい思いするためには彼らのために働く者がいなければならない。そして、彼らを動かすためには食料が必要とわけだが、もうすぐそれが枯渇する。まずはそれを教えてやれねばならない。どうやら彼らはそのようなものはすべて自分たちが命令すればいくらでも沸いて出るものだと思っているようだから」
「ですが、それだけのことを教えてやるのです。ただはいけません。授業料はしっかりと取るべきでしょう」
「そうだな。そのとおりだ」
盛大に繰り広げた嫌味の連打に終止符を打つようにその言葉でそれを締めくくったチェルトーザは言葉を続ける。
「さて、それにあたって諸君に考えてもらいたいことは……」
「どうやったら、それが実現できるかということだ」
「よろしいでしょうか?」
「……議論を始めるまえに、それについてひとつ問題があることを指摘しておきたいと思います」
やってきたその言葉は、アリターナ王国が誇る交渉集団「赤い悪魔」で次席交渉官という肩書を持つアルバーノ・アルタムラからのものだった。
……男爵家である彼の実家は農地を所有している。
……つまり、気づくのは早いということか。
彼の雇い主にあたるアントニオ・チェルトーザは、声に出さない言葉を呟くと、薄い笑いとともに口を開いた。
「聞こう」
「主要作物である穀物類は植えつけから収穫まで半年から一年かかります。さらに土地が荒れてしまっていると、さらにそれ以上必要となります。たとえば、今年それが起こった場合には何をやろうが全く対応できません」
……そういうことだ。
……だから、崩壊が始まってから動き出すのでは遅いのだ。
チェルトーザは一番弟子ともいえるアルタムラからの言葉に嬉しそうに頷く。
「では、どうしたらよいかな」
「こればかりはどうしようもありません。ですから、できるだけ迅速に、そしてできるかぎり最大規模に兵の引き揚げをおこなう必要があります」
「なるほど。中長期的にはそれでいいだろう」
……もっとも、迅速に兵の引き揚げを始めるのはよいとしても、最大規模でおこなっては軍の瓦解が起こり魔族を我が国に誘引しかねない。当然軍は賛成しないだろう。
……まあ、それは国王や軍が考えることだ。
……それに、一番の問題はそこではない。
「だが、それでは自身が口にしたとおり、短期的な解決にはならないな。アルタムラが提示したこの問題を解決できる策を持ち合わせている者はいないか?」
もちろんこれは難題中の難題であり、解決策をすぐに思いつくものはいない。
……まあ、そうだろうな。
……これは政治家の領分。しかも、黒さが多分に含まれているもの。
……簡単に口にされたら驚く。というより、人格を疑う。
「まあ、当然出てこない。いいだろう。では、私から話す、ただし、ここから話すことはきれいごとでは済まないものだ。そのつもりで聞くように」
「そして、その一部については他言無用。漏れた場合は諸君全員の命を持って責任を問う」
そう言って、チェルトーザが語ったこと。
その骨子は三つ。
ひとつは、前線からの兵の引き揚げ。
迅速かつ最大規模というアルタムラの言葉は正しいが、現実的には敵に悟られず、かつ反撃されても持ちこたえられる範囲での撤収が妥当なところである。
もうひとつは現有戦力での穀物の増産促進。
もっとも、それは貴族所有の農場で働く農民たちのモチベーションを上げる策を講じる程度しかやりようがなく、そこにつけ加えるものでも、増産に対する報奨金制度くらいしかない。
そして、最後のひとつは……。
もちろんこれが肝になる対策となり、先ほどチェルトーザが緘口令を敷いた対象となるものでもある。
チェルトーザはすべてを語ったあとに、全員の顔を眺める。
「さすがにこれだけのことをやるのは国王の許可がいる」
「諸君は許可が得られることを前提に計画を策定してくれ」
彼がその言葉を口にしてから三日後の夜。
アリターナ王国の王城。
その最深部。
「……アントニオ・チェルトーザ」
彼の名を口にした者。
それはアリターナ王国の頂点に座する者である。
「人払いをしたのはそちと腹を割って話をしたいからだ」
俯き無言を貫く彼を眺めながら、王は言葉を続ける。
「昨日の提案の件だが……」
「まず小麦増産の話だが、指摘された貴族の荘園内での徴収率は、五割以下と定めることで貴族たちと折り合いをつけた。これでは効果がないかもしれないが、やらないよりもいいだろう。増産に対する報奨金はもちろんすぐに始める」
「それから、農民兵を農地に返す件については、敵前のことであり、すぐに始めるというわけにはいかないが、順次おこなうように軍に話をした」
「それで、そちが肝だというもうひとつの件だが……」
「最優先にやらせてもらう。だが、これを安心して任せられる者がいない。そちに任せていいか?」
「私もこの国の貴族のひとり。陛下の命とあれば、もちろんやらせていただきます」
「必要なだけ資金は提供する。権限も。万が一にもこの国が自壊することのないようによろしく頼む」
一国の王は、そう言って公式には爵位も持たない臣下に頭を下げた。
……たとえ演技でもこれができる王はそうはいない。
……そして、臣下はもちろん、名も知らぬ民を大切にする。
……だから、どんな無能でも、この王は皆に愛される。
……私を含めて。