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第九話 森の魔獣


「俺たちゃ~どんほほほーいどんほほーい♪ 愉快な~どんほほほーいどんほほーい♪」

「待ってくれ。一体何の歌だ、それは」


 道なき道を進みながら、僕は頭を抱えていた。


「なにって王子。どんほほほーい音頭ですよ。民衆の間で今流行っているんです」

「どうやら食べ物の味とは正反対に、この世界の音楽のレベルは地の底を突き抜けているようだな」

「王子? 今なんて」

「いやなんでもない。流行っているのは分かった。しかし、なぜそれを今歌うんだ?」

「なぜって、歌うことによって王子の恐怖心を紛らわせているに決まっているじゃないですか」

「そ、そうか」


 ここブロッケンヒルデの森には恐ろしい獣が跋扈しているという。

 そんななかで時折か細くなったり裏返ったりするこの歌声を聴いていると、余計に不安が募るばかりであった。


「ギガントベアーでしたっけ、一番危険だという獣は。恐ろしく巨大で凶暴な人食い熊なんですよね」

「ああ。確か魔女から聞いた情報によると、ギガントベアーに遭遇した場合は絶対に背を向けてはならない。目を背けてはならない。突然大声を出してはならないだそうだ」

「それさえ守っていれば命が助かるんですかね?」

「一応、そうらしいが」

「まあ心配ご無用です。我らのなかにそのような腑抜けた行動をする者などございませんよ」

「そうか、それは心強いな。もし僕が猛獣と遭遇して取り乱していたら思いきり殴ってくれよ」

「承知しました。ですがこれだけ広い森なのです。そんな恐ろしい魔物がいたとしても、そう簡単に出くわしませんよ」


 鬱蒼とした森は視界が悪く、潜んでいる危険を察知しづらい。藪を進む際には一歩進むごとに猟銃で草を掻き分け、周囲の安全を確認する必要があった。巨大な獣でないにしろ、不意な毒蛇などとの邂逅を避けるためである。

 足場の悪い地形を歩きながら重量のある銃を振り回すというのは中々にしんどいものであり、僕らは休み休み、亀のようなペースで探索するほかなかった。


「なんて進みづらい森なんだ。早いとこ目的の草を見つけて立ち去りたいものだな」

「ですが王子、これだけ薄暗くて視界が悪いとなるとそれを見つけるのも厳しいのでは」

「うーむ、自然発光しているらしいから注意して見ればわかりやすいと聞いたがな。古い木の根元とかによく生えているらしい」

「あっ、王子! あれじゃないですか!?」


 家来の一人が突然駆け出し、茂みの中へと立ち入る。

 少しして顔を出した彼が天に掲げたのは、眩い光を放つ草だった。


「おおっ、でかしたぞ! その光、十字の形。魔女の言っていたジュウモンジヒカリクサに間違いない」

「やりましたね王子」

「ああ。さきほどは少々頼りないと思ってしまったが、こんなにも有能な家来に恵まれた僕は幸せ者だな」

「なにを今更。王子のお力になるために働くのは我々の使命ですから。それじゃあ草を袋に入れて、こんな不気味な森からとっとと退散しましょう」


 家来から草を受け取ると、僕は大事に布の袋に入れて懐にしまいこんだ。


「よし、これで魔女に薬を作って貰えば、晴れて僕もきついダイエットとおさらばできる。いくら食べても太らない夢のような体を手に入れられるんだ」

「よかったですね王子。いやあ本当に良かった」

「本当にお前たちには感謝している。実際に僕一人ではこの危険な森を探索するとも、あっさり目的の草を見つけることもできなかっただろう。この件についての褒美は期待してくれていいぞ」

「おおーっ!」


 密林に歓喜の声が響き渡る。

 しかし楽しい時間はそれまでだった。

 ある家来の引き攣った顔を皮切りに、僕らの晴れやかな表情は伝染するように消えてなくなった。


「……お、おおお……王子」

「うん? どうした」

「あ、あれ……あれ……」


 木を挟んで、黒い大きな塊がこちらを睨んでいた。

 

「まさか、そんな……。いやしかし、あれは」

「あの親の仇を見るような目つき、あまり我々を歓迎していないようですが」

「確かにそういう風に、見えなくもないな」


 黒い塊はゆっくりと立ち上がった。比喩なしに二階建ての家くらいの大きさはある。

 その凄まじい威圧感の前に、思わず笑ってしまいたいくらいだった。


「もしかしなくてもあれって、成獣のギガントベアーですよね」

「お、落ち着け。こいつがまだ僕らを襲いに来たと決まったわけじゃない。冷静に対処すればやり過ごせる可能性も」

「ぎゃあああーっ!!! く、来るなーっ!!!」

「馬鹿っ、叫ぶんじゃないっ!」


 無論、事というものは起こってから注意をしても遅い。

 猛獣の顔つきはより一層狂暴なものとなり、鋭い牙が剥き出しとなった。

 後ろ脚によって大地が蹴られる。

 その凄まじいパワーを示すかのごとく、土ぼこりは天高く舞い上がった。


「ど、どどど、どうしますっ?」

「こ、こうなってしまった以上、向かって来るなら撃つしかないだろう」

「撃つって、あれを撃つんですか!?」

「他に方法がないだろう」


 かろうじて使い方を知っている程度で、銃の腕前など知れたものであるが、それでも僕は銃口を巨体の方へと向けた。


「き、来ますっ!」

「う、撃てーっ! 撃ちまくれぇ!」


 一斉に銃声が響く。しかし恐怖で手が震えたか、或いは日頃の鍛錬不足か、急所を捉えた一発はなかった。

 お返しと言わんばかりに、耳をつんざくような咆哮が木々を揺らす。


「うわー、逃げろーっ!!!」


 もはや背を向けてはならない、などと言っている場合ではない。

 全身全霊を賭けて、ただただ走った。


「王子ぃっ!! 後ろっ!!!」


 背後からの衝撃により、僕の体は吹き飛ばされていた。

 どうやら体当たりを食らったらしい。運よく背中のリュックに衝撃を緩和されていなければ、それは間違いなく背骨ごと内蔵を砕かれた一撃だった。


「王子! 大丈夫ですか!? 王子!」


 なんとか体勢を立て直し、立ち上がることは出来たが、しかしそれで終わりではなかった。

 太って美味しそうにでも見えるからだろうか。

 怪物の視線は、完全に僕のみに固定されていた。

 この時点ですでに僕の頭の中は、半分ほど諦めの感情に支配されていた。


「……お前たち、今までありがとう」

「なにを言ってるんですか王子!」

「僕はもうおしまいだ。短かかったが、美味しいものが食べられていい人生だったな」

「おのれ! この野郎、王子から離れろ!!」


 再度の銃声。しかし家来たちの発砲を物ともせず、熊は突進した。

 獣臭が濃くなるたびに、諦めの念が強まっていく。

 次の人生のことはわからない。しかしこんなことになるのなら、魔女の力などに頼らず地道にダイエットをすればよかったと後悔が過る。

 鎌のような鉤爪が振り下ろされるなか、まぶたの裏に映ったのは、タルト姫のあの笑顔だった。


「王子ーーッ!!!!」


 目を閉じていたのでそのとき何が起きたのかは見ていない。

 しかし僕の鼓膜は確かに、美しい笛の旋律を聞いていた。

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