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第六話 天馬を食らう

「兄貴の職人技は一度に六十四個のペガサス焼きを焼く。どうだこの匂い、たまらないだろう」

「くっ、なんて美味しそうな匂いなんだ……」


 天馬の形をした焼き菓子が次々と大皿の上に積み上げられていく。

 鼻を突き抜ける甘い香りはもはや食欲がそそるなどという生温い感情などではなく、僕から完全に理性を剥ぎ取り、内に秘めたる動物としての原始的な欲望を露呈させた。

 まるで獲物を前にした獣のように、ユーラは僕の顔を見て言った。


「ふん、それでいいんだよ。どうだ、あたしとの勝負を受ければこの美味しい菓子をたらふく食べられるんだぞ」

「美味しい菓子……たらふく……」


 とうに限界だったはずの僕の足は自然と動き、気付けば皿の前へと移動していた。


「いいかい。制限時間はなし、ルールはどちらかが倒れるまでのデスマッチで」

「いただきます……」

「お、おい!?」


 衝動に駆られるがままに、それに手を出し、口に放り込んでいた。


「はむっ、はむっ。う、うまいっ」


 小麦粉や卵などで作られた生地の中に包まれているのはつぶあんである。モチモチとした生地と甘塩っぱい餡の相性は言うまでもない。

 このところずっと控えていた甘味である。

 その上、お腹と背中がくっつきそうなほどの空腹である。

 極上の褒美を得た胃袋は歓喜にうち震え、目頭からは熱いものさえこみあげてきた。


「泣くほど美味しいか。まあフライングは大目にみてやるよ。最終的にどっちが多くのペガサス焼きを食べられるかの勝負だからね。いくよ爆食王子、いざ勝負っ!」


 ユーラが隣に座り、食べ始めた。彼女もまた凄いスピードでペガサス焼きを口に詰め込んでいる。

 しかし僕にとっては勝負をしているという感覚はなかった。

 ひたすら己が細胞の欲するがまま、目の前の物体を頬張るのみであった。

 美味い。ただ純粋に、美味い。

 食べるほどに力が漲るのを感じる。

 そしてある程度空腹が満たされ、考えるだけの余裕を取り戻したとき――僕はふと、食の手を止めた。


「なんのつもりだ爆食王子。まさかこれで限界なんて言うんじゃないだろうね」

「そうさ。僕はここでギブアップだ」

「なっ! ふざけるな。馬鹿にするんじゃないよ。あんたならまだ全然行けるだろう」

「なあ、このペガサス焼きって、一個で一体どれくらいの熱量があると思う?」

「はぁ?」

「ざっと見積もったところ一個でおよそ300ギロ熱量といったところだろう。僕はこれを10個食べた。3000ギロ熱量だ。それに対し、5ギロのランニングで消費する熱量はせいぜい250ギロ熱量、つまり一個分の熱量も消費できていない」


 ユーラが僕の胸ぐらを掴む。

 そして食べかすが顔にかかりそうなくらいの勢いで怒鳴りつけた。


「ごちゃごちゃうっさい! 伝説のフードファイターがそんな小さいこと気にするんじゃないよ! 熱量がどうだとかこうだとか、そんなの全然アンタらしくないよ!」

「放っておいてくれ。こちらにはこちらの事情があるんだ。どうしても痩せなきゃいけない事情がな」


 こちらも引けぬと睨み返す。するとユーラは少しだけ声を落ち着かせた。


「ああそうかい。だったらあたしの体を見な。こんだけ食ってんのに引き締まってて細いだろう?」

「自慢のつもりか。どうせ食べても太らないとか、そういう体質なんだろう」

「違う、あたしもどっちかって言うと太りやすい体質なんだ。この体型を維持できているのにはいくら食っても太らない秘密があるんだよ。この勝負であたしに勝てたらそれをあんたに教えてやるよ」

「……嘘じゃないだろうな」

「ふん。ハングリータイガーは嘘をつかない、いい女だよ」


 自信たっぷりの物言いである。そんな魔法のような方法があるとはにわかには信じがたいが、藁にも縋りたい状況であることに変わりはない。

 僕はユーラの手を振り払い、ふたたび熱々のペガサス焼きを手に取った。


「それでこそあたしのライバルだ。さあ、今度こそいざ尋常に勝負!」

「望むところだ」


 今度は紛れもなく自分の意志で、口いっぱいに詰め込んでは咀嚼し、呑み込む所作を繰り返した。

 あまりの熱さに口の中が焼けそうであるが、怯んでいる場合ではない。

 気を緩めれば負けると分かっていた。彼女も目の色を変え、相当なペースで掻き込んでいる。

 天馬の菓子は次々と焼き上がり、皿に積まれた。

 その早さよりも早く、僕らはそれらを平らげた。

 そして数十分後、まるで妊婦のように腹を膨れ上がらせたユーラは食べかけを握ったまま、天を仰いだ。


「どうやらあたしはもう限界だ」

「負けを認めるのか」

「これ以上食べたら今までの分が全力でリバースすると、神様が言っているよ」

「それはなるべく見たくない光景だな」

「ふっ。食ってるときのアンタの顔、生き生きとしてたよ。うちの国の第二王子様はやっぱり根っからのフードファイターだね」


 彼女は満足げにそう言い残すと、横たわって目を閉じた。

 その肩を揺すり、まどろみの世界に行きかけた彼女の意識を現実に呼び起こす。


「待て。やり遂げた顔をして人の家の庭で居眠りをする前にすることがあるだろう。いくら食べても太らない秘訣を教えてもらおうか」

「ああそういえばそうだったね。実はね、魔女の力にお世話になってるんだよ」

「魔女、だと?」

「ヘルゴルゴの丘の魔女の噂は聞いたことがあるかい。あしたら兄妹はその魔女と交流があるのさ」


 魔女。言葉通り、魔法を扱う女性である。この世界ではその存在は幻とされ、姿を見た者は片手で数えるほどしかいないという。


「しかし、かつて父さんが家来を引き連れて探索をしたときは魔女の痕跡もなにも見つけられなかったというが、噂は嘘じゃないのか?」

「探し方が甘いんだよ。あの丘に魔女はいる。じゃなきゃ一介の大食いと菓子職人の兄妹がペガサスなんて生き物を捕まえて手懐けられるわけがないだろ」


 ユーラの兄と目を合わせると、彼は黙ってこくりと頷いた。


「あの丘に魔女がいるという噂は本当だったのか」

「魔女の家に入るには合言葉が要るんだ。あたしに勝ったアンタには特別に教えてあげるよ。あたしの名前を言えば多分協力してくれるはずさ」


 ユーラは僕に魔女の家の詳しい場所と合言葉を伝え、こと切れたように眠りについた。

 家来たちが慌てた顔をして駆けつけてきたのはそのすぐ後のことだった。


「王子! ご無事でしたか」

「お前たち、さては物陰から僕が大食い勝負している様子を見ていただろう?」

「な、なぜそれを」

「ユーラたちが来てから数十分も経っておいてご無事でしたかは調子が良すぎだろう」

「さすがは王子、お見通しでしたか。それよりダイエットに関する耳寄りな情報を得ましたね」

「お前たちは今の話、本当だと思うか」

「二人とも嘘を言っているようには見えませんでした。ヘルゴルゴの丘の魔女といえば千年ぐらい生きてるっていうじゃないですか。その魔女なら食べても太らない魔法なんてきっと朝飯前ですよ」

「しかし魔法なんぞに頼っていいものか」

「何を言っているのです、使えるものは使うというのがゼファール王家のルールでしょう。それに、食欲を我慢して無理なダイエットを続ける今の王子は見てられませんよ。このままじゃ痩せる前に本当に倒れてしまいます」

「確かにな……。よし、では明日ヘルゴルゴの丘に向かうぞ」


 ご機嫌な胃袋のあたりを擦り、僕はゆっくりと立ち上がった。



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