いつものベーコンエッグ丼
夏休みといえば、多くの中学生にとっては遊びやら何やら大忙しの時期である。しかし今年度は未知なる感染症への恐怖から、誰もが欲求不満の日々を過ごしていた。一年生の元太も当然ながら例外ではない。今日も天神や博多での用事を取りやめ、『自称』叔母の職場で羽根を休めていた。
「……いや迷惑なんだけど!」
マスクを着用した事務所の主が、ソファに寝転ぶ元太へ抗議する。
「どうせ開店休業状態じゃないですか」
上目遣いで元太が言い返した。テレビには甲子園球場の様子が映っている。
「それは、まあそうだけどさ」
「本当のことバラしますよー」
ぐぬぬ、と内心で歯ぎしりする彼女、欠月世丸は元太の本当の叔母ではない。
探偵事務所経営のため、元太の父にあたる玻璃光彦探偵の妹をインターネット上で名乗ったところ、その不正に一人だけ気づいた元太から遊ばれることになったのだ。ちなみに、本当に世丸が光彦の妹だとするなら、実に二十五歳差の兄妹ということになる。
「妹ってのは無理ありませんか?」
元太は机の上に置いてあった飴玉を勝手に口へ運ぶ。
「義理の妹って設定に変えたんだってば。詰めが甘かったのは認めるよ。でも玻璃探偵の年齢を知らなかったんだから仕方ないじゃん。……もうお昼か」
テレビがニュースを報じ始めた。十二時四十分からは帯広農業対健大高崎の交流試合中継が始まる予定だ。世丸が冷蔵庫から安物の卵を二つ取り出した。
「ねえ」
フライパンに油をひいたところで、少し大きな声で世丸が元太に呼びかけた。
「はい?」
「元太くんは一人っ子なの?」
「大阪に姉がいます」
「ふうん。いくつ上?」
「七つですね」
そうか。そう言って、世丸はこれまた安物のベーコン4枚をフライパンに並べた。元太には会話の意図がわからなかった。ただ、卵を割る音が二回聞こえたことから、きっと二人分の昼食を用意してくれているのだろうと推理していた。甲子園のサイレンが鳴るよりも早く、元太の推理は的中していたことがわかった。
「ほれ、少年」
「ありがとうございます。……またこれですか?」
焦げ目がつくほどカリカリに焼かれたベーコンが炊き立ての白米に乗っている。ベーコンエッグが上下逆さまに盛られているのだ。
「まただよ。ベーコンエッグ丼」
それ以上の説明をせず、世丸はベーコンエッグの中央を箸で勢いよく突き刺した。引き抜かれた箸先は卵の黄身で黄色く染まっていた。
「行儀悪いなあ」
「私は効率を最優先したいの。洗い物も少なくなるし」
世丸のベーコンエッグ丼は麦茶が進んだ。つまり元太にとっては味付けが濃かった。
「料理上手ですね。ごちそうさまでした」
「どういたしまして。君のお母さんには敵わないだろうけど」
「どうでしょうね。手料理を食べる前に死なれたので、よくわかりません」
元太の母親は、元太を出産してすぐに殺害されている。元太は顔も覚えていない。
「そうだったんだ。初めて知ったよ」
「家族のことに関心が薄いですね」
「あのね、探偵とはいえ家族構成ってのは個人情報なんだから、私が知るわけないでしょ? 本当は血の繋がりがないんだし」
世丸をからかって、元太はまた笑う。
試合が始まり、初回の攻撃がどちらも無得点に終わったとき、机の反対側の椅子に座って雑誌を読んでいた世丸がぽつりと言った。
「……十歳差は、姉って年齢でもないよね」
元太は少しだけ横目で世丸の笑顔でない表情を見たが、またテレビに目線を戻した。
「サザエさんとカツオくん」
「さらっと反証を挙げてくれるけど、それはフィクションでしょ。玻璃探偵とは二十五歳差で、君とは十歳差。私は君の叔母にも母にも姉にもなれない赤の他人なんだな、って思い知らされるよ」
「赤の他人っていうのは事実ではありますけど」
テレビでは帯広農業が満塁の好機を作っていた。
「『田舎のお姉さん』役が個人的には一番しっくりきます」
例年なら家族で帰省している山口県へ、今年に限り玻璃家は向かわないことにしていた。今日八月十六日も、いつも通りなら親戚と遊んでいるはずだった。
父は多忙で、母は亡くなり、姉は遠くへ離れ、親戚にも会えない。元太が寂しいだろうと世丸は心配していた。今年五月に発覚した虚偽の血縁関係を秘密にしているのは、構ってくれる相手が欲しかったからではないだろうか。夏休みを利用して事務所に入り浸る元太を見て、世丸はそう感じていた。だから、親戚役と言われたことは少し嬉しくもあった。
「今夜、星を見に行こうか」
「どうしたんですか突然」
二点を追う健大高崎の攻撃中に、世丸が天体観測を提案した。
「いや、夏休みだし、夏休みらしく、夏休みじみたことをしようかと思って」
不要不急の外出というものではないだろうか。元太はそう感じたが、そもそもこの事務所も自宅ではないことを思い出したため言わなかった。
「そうですか。血液型を聞いてもいいですか?」
「O型だけど?」
「ということは、蚊取り線香は必要なさそうですね」
「人を虫除け扱いするな!」