3章17 5月12日 ➀
5月12日 火曜日。
希咲が学園に向かう前に掛けてきた電話が切られた後。
たっぷり1時間近く気絶していた望莱は、再び迎えに来た豪田さんの何十回目かの鬼電でようやく目を覚ました。
とりあえず自分も学園に向かわねばと。
豪田さんをマンションの外に待たせたまま、望莱は吐瀉物に塗れた髪だけをどうにかキレイにし身支度をしている。
そうすると、また秘書の豪田さんから電話がかかってきた。
社長である自分を急かすのかと、ちょっとムッとしながら彼女が電話に出ると――
「――サーバーが?」
『はい。つい今さっき侵入があったようです』
「……なるほど。被害状況のレポート作成を急がせてください」
『了解です』
電話を切って望莱は目を細める。
「このタイミングで?」
チラリと時計を見る。
まだ1時間目の授業が終わる頃だ。
戦闘中の弥堂と連携して動いている仲間がいる。
そう考えられるが――
「――そうなると話が変わってきますね……、うん?」
その時――
ガチャリと、玄関の鍵が開けられる音がした。
(このタイミングでここにも攻撃を――?)
これは完全に油断し、相手を侮っていたかもしれない。
そう考えながら望莱は急いで、リビングに放置されていた大きめの段ボール箱を被って隠れようとする。
「む――?」
しかし、お尻がつっかえて箱の中に入らなかった。
これはいけないとモゾモゾと動き、身体を丸めてみる。
今度は頭が箱の外に出てしまった。
みらいさんがカメさんのコスプレをしていると、リビングのドアが開く。
(どうやらここまでのようですね。無念)
彼女は存外早めに死を覚悟したが――
「――あんた何してんの?」
「おや?」
――部屋に現れたのは、希咲だった。
とても不機嫌そうな顔で、非常に不可解そうな目をこちらに向けている。
「――ま、いいわ」
カメさんスタイルの望莱に、彼女はツッコんでくれなかった。
自分の用件を伝えることを優先したようだ。
「ゴメン。勝手に上がって」
「はぁ。えっと、思ったより早い帰還というか……?」
希咲との電話を切った後の大半の時間を気絶していたので、望莱の体感ではついさっき学園に向かったはずの希咲がここに来ていることになる。
思ったよりというよりは、まるで予想外のことで、事態を把握出来ていない。
「ちょっと部屋貸してくれる?」
「それは構いませんが……、あの、大丈夫だったんですか?」
正常な時間間隔でも、こんなに早く弥堂との戦いを終えて戻ってくるというのは異常事態だ。
どんな決着になるにせよ、その後が問題となるのに。
「今日、ママが休みでウチにいるからさ」
「えーっと……?」
「だいじょぶ。上手くいったから」
「『うまく』? あの、七海ちゃん。というか一体なにがどう――」
「――ベッド借りるわね」
「あ――」
希咲はかなり気が急いているようで、会話もそこそこにリビングを出ていってしまう。
望莱は彼女を追うために立ち上がろうとした。
しかし、今度もお尻が引っ掛かって段ボールから抜けない。
「――む。こなくそぉー!」
箱を壊して無理矢理立ち上がろうとするが、しかしクソ雑魚ナメクジな彼女のフィジカルでは叶わない。
そして――
「――んごっ⁉ ……きゅぅ……」
望莱はバランスを崩して転倒し、床に額を打ち付けてまた気絶した。
その頃、2年B組の教室では――
ざわざわと、私語と動揺が広がっている。
2時間目の授業がまだ始まったばかりだ。
しかし、教卓につく先生もオロオロとしていた。
「び、弥堂……? お前、大丈夫なのか……?」
恐る恐る訊ねたのは化学の増田先生だ。
弥堂は彼をギロリと睨む。
「俺が、なんだ?」
「な、なんだってお前……」
先生は同意を求めて他の生徒さんの顔を見回す。
しかし誰もがサッと顔を背けた。
関わりたくなかったのだ。
増田先生は改めて弥堂の姿を注視する。
まるで通り魔に刃物で襲われたかのように制服のあちこちを切り裂かれている。
しかし、彼自身には怪我をしている様子はない。
もしも対象が女子生徒だったら、とても恐ろしいことを想像してしまいそうだ。
先生は前提情報を知らないが、他の生徒たちは違う。
今朝のHRが開始する前に、弥堂は希咲の呼び出しを受けて教室を出ていった。
そして、1時間目が終わったらこのような姿で彼だけ戻ってきたのだ。
弥堂に対する奇異や不審の感情はいつも通りではあるが、それが余計に高まる。
しかしそれ以上に、弥堂をこんな姿にしたであろう希咲さんへの恐怖心が爆発的に拡がっていた。
彼女に公開処刑をされたことがある鮫島くんと小鳥遊くんが親指の爪を噛みながらガタガタと震えている。
つい1時間前まで弥堂に敵意を持っていた聖人ですら、若干心配げな目を弥堂へ向けていた。
弥堂はそれを無視しているか、それとも気付いていないのか。
増田先生を黙らせにかかる。
「俺に構うな。さっさと仕事をしろ給料泥棒め。殺すぞ」
クラスのギャルにボコられたばかりで殺気立っているようで、弥堂は躊躇なく教師へ殺意を仄めかす。
殺気を感じとることなど出来ない素人の増田先生はそのあんまりな言動を見咎めるが――
「――せんせいっ!」
――彼が怒声をあげる前に、前の方の席に座る早乙女が止めた。
彼女の一つ前、教卓の真ん前に座る日下部さんも必死に首を左右に振っている。
「やめといた方がいいぜ、センセ」
須藤くんもそう窘める。
この2年B組に在籍する生徒さんは、普通の素人の方々よりは少しだけ殺気に詳しいのだ。
「う……、ぐっ……」
増田先生は悔しげに呻くと諦めたように溜め息を吐き、弥堂を無視して授業を開始した。
他の生徒さんたちも授業を聞く態勢をつくった。
だが、隠せない困惑が彼らにはあった。
彼らだけでなく、弥堂も困惑していた。
(あいつ……、一体なにが目的で……)
殺し合いをするつもりで呼び出され、実際に殺し合いをしていたつもりだ。
希咲の方も殺気を発していた。
今までに――戦った時でさえ――彼女からそれを感じたことはなかった。
だが戦いに勝った彼女は愛苗の引き渡しを要求することもなく、ただ立ち去っただけだ。
(……あぁ。俺が殺したと思ってんだったか)
じゃあ、あの戦いの目的は愛苗の仇討ちでしかない。
なのに、弥堂は生命をとられず、何かを要求されることもなかった。
おまけに傷の手当てのようなものまでされて。
まるで意味不明だ。
もっとも意味がわからないのは――
(あれは、どういうつもりだ……)
――思い出しながら、無意識に弥堂の指が唇に触れる。
その時――
(――っ? なんだ……?)
グラリと頭が傾き、視界がグニャリと溶ける。
突然、弥堂は急激な眠気に襲われた。
(これ、は……、いったい――)
そして、そのことに考えを巡らせる間もなく。
眠気に抗うことすら出来ず。
弥堂は机に顔を打ち付けて眠りに落ちてしまった。




