3章13 Beyond the Veil ⑦
「――で? アイツのなにが恐いって?」
執務机に座った京子に蛭子はジト目を向ける。
結局彼女はメイドさん3人がかりで着替えさせられた。
心なしかスッキリとした顔をしている。
そんな彼女の脇には一仕事終えたヅラをしたメイド女が侍っている。
氷上の足元には口を堅く縛った半透明のレジ袋があった。
その中には水気を吸ってずっしりとした何かがあるのだろうと窺える。
今は京子のスカートの中はキレイな下着か新しいオムツに変わっていることだろう。
下着であって欲しいと蛭子は心の裡で願った。
「結局のところ何かされでもしねェとよ、いくらビビリのオマエでも漏らしはしねェだろ?」
オムツのインパクトが凄すぎたので肝心の部分をまだ訊けていない。
改めて尋ねると会長さんはシュンと顔を俯けてしまった。
その仕草は、彼女のことを何も知らない人間から見ると、市井の人間とは目も言葉も交わさない高貴な立場の者のようにも見える。
「それはそうですね~。でも~」
すると、代わりに氷上が答える。
彼女は足元のレジ袋をペイっと机の影に蹴り転がしてから説明を始めた。
「本当に何かされたわけじゃないんですよ~。いや、あの人素で圧が強いんで、お嬢さまみたいな気が弱くて我も弱い女子は養分でしかないってのはあるかもですが~」
「ア? なんか恐喝とかされたってことか?」
「違いますよ~……、いや、どうでしょう? あの人ゴリゴリにオラついてきますからね。本人にそのつもりがなくても話しかけるだけで恐喝が成立するかもしれません?」
「オレに訊かれてもな。進級してすぐ停学くらったからカラミねェんだわ」
「まぁ、あの人が何かそういうアクションをしたというわけではないんです~。これはどちらかというとお嬢さまの“特性”の問題なんですよ~」
「なんだそりゃ?」
だがわざと迂遠にしたような氷上の説明ではピンとこず、蛭子はまた京子の方を見る。
すると、今度は彼女が直接答えた。
「あの人。“死の気配”。すごい」
「死の……? まさか霊視か?」
“特性”と“死の気配”――
それでようやく蛭子もどういうことか察することが出来た。
郭宮 京子には【霊視】の特殊能力がある。
それは“祝福”に類するものだ。
霊媒師が持っているような霊なるモノや思念や怨念などを知覚する能力とほぼ同じで、彼女の場合はその強力版となる。
そういった魔術や陰陽術とは違った個人が有する特殊能力は、陰陽府の定義では“祝福”ではなく“神通力”や“霊力”などと呼ばれるのだが、実質は同じようなものである。
京子は霊的な乱れや、思念や怨念を視覚的な情報として得ることが出来る。
それによって、霊害が起こっている場所や起こりそうな場所だったり、呪いや他人の術式を見破ることが出来るのだ。
その彼女が、弥堂から多くの“死の気配”を感じると表現した。
それは弥堂に死人の怨念が纏わりついているという意味になる。
蛭子がそう理解すると、京子は静かに頷いた。
「怨霊に憑りつかれてるとか、呪いを受けてるってのか?」
だが、続けた蛭子の問いには首を横に振る。
「そういうのとは。ちがう。と思う。誰かが仕向けた思念じゃなく。残ってしまった」
「……なるほどな」
他の陰陽師や霊能力者などが使役した怨霊でも呪いでもない。
自然に残ってしまったモノ。
それの意味するところはつまり――
弥堂が殺害した者の残留思念ということだ。
直接・間接を問わず、彼に怨みを持ったまま死んだ者たちの怨念。
京子は弥堂にそれを見たという。
しかし、ただそれだけなら、彼女がここまで怯えることはない。
京子はこの能力を使って妖の“清祓”や、呪いや祟りを受けた人のお祓いをすることもあるのだから。
「数が。普通じゃない」
「なに?」
「美景の災害。それよりも。ずっと多い」
「…………」
この美景の地では約18年前に大規模な災害があった。
その死者数は1万人以上と言われている。
それは龍脈の暴走という霊害だ。
当時土地や龍脈の管理をしていたのはまだ10歳にもなっていない都紀子だった。
その責を問われ都紀子は郭宮の当主を下りることになり、その後を継いだのが生まれたばかりだった妹の京子だ。
郭宮は京を追われこの美景の地に移り、それ以降幼い時から京子はこの地の鎮魂を行っている。
彼女は“祝福”により、霊害の死者たちの怨念やその数をよりダイレクトに知覚しているのだ。
その彼女が言う――
弥堂にはあの恐ろしい霊害以上の死者の怨念が纏わりついていると。
他人の仕向けた死霊や悪霊の憑依でもなく、また呪いでもなく。
そんな風に怨念を集めるとしたら――
――それは本人が誰かを殺した場合だ。
京子の言が正しいのなら、弥堂は一人で美景の大災害の犠牲者以上の人間を殺めていることになる。
つまり、霊視の出来る京子にとって弥堂と対面するというのは――
あの災害以上に恐ろしい霊害の権化を目の前にすることと同義となる。
それが、京子が弥堂を過剰に恐れる理由だった。
蛭子もそう理解した。
「……あのヤロウ、そんなにヤベエのか?」
目を細め慎重に問うと、京子はまた首を横に振った。
「わからない。数が多すぎて。一つ一つの声までは」
「パっと見では読み取れないということですね~。ちゃんと視ようとしたら相手にも何かしていることを感づかれちゃうでしょうし~」
氷上の補足まで聞いて、それはそうかと蛭子も納得する。
現状でわかるのは、弥堂 優輝というのは何万、何十万という死に触れてきた人間であるということ。
そして、もしかしたらその幾多の死は彼自身が齎したものである可能性が高いということ。
だからその死の断片が彼の魂にこびりついている。
生命を奪うというのは、そういうことだ。
「G.Wの前に会った時から。また増えてる。百近く」
「…………」
京子の言葉に蛭子は思い当たることがあった。
(まさか“アムリタ”の事件のことか……?)
カルトの魔術師やテロリストとの戦いがあったと望莱から聞いた。
それに弥堂が関わっていて、そこでの活躍が佐藤に認められたということは――そういうことなのだろう。
そう考えると京子の言うことの信憑性が増したように感じる。
蛭子が思案していると、京子が少し話題を変えた。
「蛮ちゃん。聖人さんは?」
「え?」
「聖人さんは。弥堂さんのことを。どう?」
言葉足らずな京子の問いに蛭子の胸がドキリと跳ねる。
「……やたらと、アイツのことを意識するようになった。執着でもしてるみてェに」
「そう……」
蛭子が正直に打ち明けると京子は思案気に目を伏せた。
聖人に京子と同種の能力があるわけではない。だが――
「聖人さんは。必ず嗅ぎつける。あの血のニオイを」
「…………」
「蛮ちゃん。聖人さんと。弥堂さん。戦わせないで」
その願いのようでいて、確信のある予言のような言葉に蛭子はまた息を呑んだ。
彼女に予知能力や予言の能力があるわけではない。
しかし、余人には知覚の出来ないものが知覚できる彼女は、通常の人間には測り知れないモノを予感するセンスがある。
それが郭宮の巫女というものだ。
そんな京子がこんなことを言うのは――
彼女には伝えていないはずの、自分たちと弥堂との確執に気付かれているということだ。
そして、言葉としては「戦わないで」という願いの形をとりながら――
これはきっともう、避けられないことなのだろう。
「あの人の存在。紅月の。血の紅を刺激する」
「勝とうが負けようがロクでもねェことになるってことか?」
蛭子の問いに京子は無言で頷いた。
蛭子は思わず舌打ちが出そうになる。
今更どうにもならないからだ。
蛭子には聖人や希咲、それに京子のようなセンスはない。
しかし何年間も喧嘩に明け暮れていた彼には、大きな喧嘩が起こる前の空気というようなものを感じることが出来る。
今がまさにそういう空気だ。
「紅月の血の“アレ”は聖人にあるのか?」
「わからない。けど」
「もしもあるんなら、目醒めさせるきっかけになっちまうかもって?」
「うん」
「もう何代も発現してないんだろ?」
「うん。だから。杞憂。かも」
「……わかった。覚えてはおくぜ」
「うん」
京子からの忠告に蛭子は軽く肩を竦めるだけにしておくに留める。
京子もそれ以上は言わなかった。
「つーか、アイツと会っただけでそんなんになるんなら、なんだってわざわざ呼び出したんだ?」
「訊きたいこと。あったから」
「それにプラスして、教育機関として訊かなきゃならないこともあったからですね~」
「なんだそりゃ?」
「彼が女子生徒に痴漢をしただとか、妊娠させただとかって通報が複数件入ってまして~」
「ハァ?」
思ってもみなかった内容に蛭子は素っ頓狂な声を上げる。
自分の認識が間違っていなければ、今は異能の世界における事件について、そして幾万の怨念を纏った危険人物についての話をしていたはずだ。
「詳しく訊きたいですか?」
「……イヤ、聞きたくねェわ」
なんでそんなしょうもない性犯罪者とマジになって揉めてるんだろうと、蛭子くんは若干テンションが落ちた。
「で、京子、オマエは?」
「門のこと。訊いた」
「なに――?」
しかし、彼女の方の話は異能業界ド真ん中のトピックだったので、すぐにシリアスモードに引き戻される。
正直、温度差というか落差についていくのがしんどいので、シリアスはシリアスでまとめて欲しいなと内心で思った。
「龍脈暴走事件当日、4/25の港のことを聴取したかったんです~」
「港……? 港と門になんの……って、まさか……⁉」
氷上の補足で蛭子は京子が何を考えているのかを察した。
「あの日よ、ゾンビだけじゃなくて悪魔もいっぱい出てきたんだぜ? 学園にまで来やがって」
「雑魚おにくだったけど」
「最初に災害の死者を屍鬼として喚びだし、それに後から悪魔を降ろしたといった感じでしたね~。1体や2体ならともかく、そんな数の悪魔を一度に召喚するには~?」
「入口。必要」
“まきえ”、“うきこ”、氷上の順番に龍脈暴走時の証言をし、京子が見解を述べる。
それを聞いた蛭子は一瞬だけ逡巡し、口を開いた。
「……島の門が消えた」
「――⁉」
彼の言葉に京子の目が見開かれる。
「やっぱり」
「島の門が美景に移動して、あれを使って悪魔を大量に召喚した。オマエはそう考えてるんだな?」
蛭子が真意を確認すると京子は頷いた。
その上で弥堂に門のことを訊ねたということは――
「――彼が当日港に居た可能性が高いからですね~」
「なるほどな。で?」
「それをちゃんと訊ねる前に勝手に出ていっちゃいました~」
「惚けてんのか?」
「う~ん、どうでしょう。さっきの感じだとお嬢さまの質問自体最後まで聴こえてなかったかもしれませんね~。とにかく人の話をちゃんと聞いてくれませんので~」
蛭子は少し考え、京子の顔を見る。
「……みらいのヤツが、オレらのこと、オマエと御影には話してもいいって言ってた。必要ならって条件だが」
今の話と関係のない話題のようだが、京子はそれに理解を示すように首肯した。
「だからオマエらがあの門のことを把握してること、そろそろ言っても大丈夫かもしんねェ」
「蛮ちゃんに任せる」
「……わかった。この後アイツん家で報告会みたいなのがある。言えそうならそれとなく言ってみるわ。つーか、こうなったら黙ってもいられねェよな」
4/25の港に門があって、そこに弥堂が居た。
ということは彼が門に何かをした犯人である可能性が出てくる。
犯人でなかったとしても、門を目撃したかどうかを彼から聞き出さねばならない。
「チッ、さっきまでは他人のケンカの助っ人くらいのノリだったが……」
そうも言っていられなくなってきた。
蛭子自身にも弥堂に関わる理由が出来たことになる。
「よくない魔の流れが」
「だよな。美景の地全体がそうなってるって話なんだよな。ったく、あちこちややこしくて面倒な話になったもんだぜ」
本来最優先すべきはそっちだ。
弥堂から話を聞き出して龍脈暴走時の真相を知り、そして現況に対応する。
そもそもケンカをしている場合ではないのだ。
弥堂が犯人でないのなら、彼に協力を仰げるようなカタチを目指すべきなのかもしれない。
それか、霊害が本格化する前にスピード勝負で彼との決着をつけるかだ。
「こっちの都合のいいように、みらいのバカを誘導できるとは思えねェけどな」
「大丈夫」
蛭子が辟易といった風に髪を掴むと、京子は彼を安心させるように頷く。
「望莱ちゃん。すごい。正直に情報。渡した方がいいと思う」
「……ま、アイツ相手に知能戦や駆け引き挑んでも勝てるわけねェしな。巫女様の仰せのままに」
「ふふ」
蛭子が最後は冗談めかしたようにおどけてみせると、京子は薄くだが可笑しそうに笑った。
「つかよ、なんだって弥堂のこと隠してたんだ?」
「え?」
その彼女に少し意地悪をするように、蛭子は違う質問をする。
「アイツって“外法師”だろ? なんでそんなのが学園っつーか、オレらと同じクラスに居るって教えておいてくれなかったんだ?」
「それは。その……」
すると、思いの外それは効果的だったようで、京子はシュンと俯いてしまった。
蛭子としても本気で彼女を責めたかったわけでもなかったので、その反応に少々困惑する。
「なんだ? どうした?」
「蛮くん。実は言えない事情があったんですよ~」
代わりに氷上が答えてきたが、その内容にますます怪訝に思う。
「言えない事情? なんだそりゃ?」
「それも言えないんです~」
「なんだと?」
「アナタたちへの悪意があって隠してたわけではありません~。ただ言えない。それでどうにか察してください~」
「オイオイ……」
それはまるで何処かから強力な圧力でもかけられているかのようにも聞こえてしまう。
蛭子は一気に不穏さを感じた。
「御影は?」
「その御影様の方がメインに絡んだ事情ですね~」
「まさかあの御影が弥堂に脅されて屈してるわけじゃあねェだろ?」
「弥堂さんからではないですね~。ただ、こうなった以上は御影様に直接訊ねれば答えてくれるとは思いますよ~?」
「ハッ、それには帰ってくるまで待つ必要があるって?」
「ですね~。だから当座は期待しない方が身の為です」
「ケッ」
今はこれ以上詮索するなという氷上からの警告に、蛭子はささやかな意趣返しとして悪態をついてみせた。
だが、この件に踏み込むことはやめる。
「カワイソウなので、それとは関係があるかどうか不明な情報だけ~」
「ア?」
すると、苦笑いをした氷上がそんなことを言う。
サービスをしてくれるという意味だ。
「本当ならアナタたちと弥堂さんは同じクラスになる予定ではなかったんです~」
「なんだと?」
「2年生に進級時、弥堂さんは別のクラスになるはずでした。一度そう決まっていたはずなのに、正式告知の直前でいつの間にか現在の形に変えられていました~」
「誰かがクラス替えを操作したってことか? 弥堂か?」
「そうかもしれませんし~、全然違う人かも~? もしかしたらさっきの件の彼の御方が何かをしたのかもしれません~。ヒントはここまでです~」
「その先はオマエらにもわかんねェからか?」
「ですね~」
「ざけんな。聞かなきゃよかったぜ……」
蛭子は苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。
これではただ不明なことが増えただけだった。
「何から何までキナくせェったらねェ。どうなってんだオレらの周りは……ッ!」
気味の悪さに苛立ち、蛭子は語気を荒げた。
また一つ弥堂から訊き出さねばならないことが増えてしまった。
「カンベンしろってんだ――」
だが、わからないことの前で止まっていても仕方がない。
一旦思考を切り替えて、この後は美景の各地の霊害についての相談をしていった。
「――カ、カンベンしてくれ……ッ!」
校舎の外――
ここは自転車部の部室だ。
床に手と膝をつけた不良生徒が、呼吸を乱しながらそう許しを乞う。
周囲には物が散乱している。
「――許すもなにも……」
その懇願に困った顔で答えたのは紅月 聖人だ。
「僕は別にキミたちとケンカしてるわけじゃないから。許すも許さないもないよ」
彼自身は極めて平常な状態で立っていた。
苦笑いをしながら床に這いつくばる不良生徒を見下ろしている。
「ケ、ケンカじゃねェって……」
不良生徒は聖人の返答に様々な感情を一度に浮かべる。
困惑、怒り、そして恐怖だ。
反射的に周囲に目を泳がせる。
そこらには彼の仲間である不良たちが何人も床に転がり、そしてその全員が息も絶え絶えな様子だ。
自分たちがこの有様であるというのに、敵対したはずの聖人はケンカをしたつもりもないと言う。
様々な感情が胸に渦巻き、しかし最後に残ったのはやはり恐怖だった。
「わ、わかった……。オレらもう、ここを出ていく……ッ! だから……ッ」
「うん。それに――」
「――あぁ……ッ! もう二度とここには来ねェ……ッ! 約束する……ッ! だからもう、カンベンしてくれ……ッ!」
「わかったよ。それを約束してくれるんなら、僕からはもう何もないよ」
「あ、ありがとう紅月クン……っ!」
聖人はあくまでにこやかに応対をしている。
だが、そのことに不良生徒はさらに恐怖を覚えた。
聖人には本気でケンカをしたという認識がないことに気が付いたからだ。
だがそれは事実そうかもしれない。
不良たちは立ち上がれないくらいに疲弊しきっているが、彼らは全くといっていいほどケガもしていないのだ。
少し前の時間に、聖人たちが突然この部室を訪れた。
そしてここを占拠している彼らに立ち退くように要求をしてきた。
不良たちは紅月 聖人が強いという話を聞いてはいたが、聖人自身に高圧さがないので、その要求に反発した。
噛み合わない会話をしばし続けて、結局は気の短い不良たちがキレて聖人に襲いかかった。
しかし、それで彼に殴り返されたりはしなかった。
なのに何故複数人でかかったのに打ちのめされたのかと言うと――
約30分ほどの間、ずっと攻撃をいなされ床に転ばされ続けたのだ。
全力の動作をしている最中に転ばされるというのは、意外と体力を消耗する。そしてプライドを傷つけられる。
ムキになって何度もそれを繰り返していると、最終的には体力が尽きて心も折れるものだ。
彼らは聖人に一回も殴られたりはしていない。
だが彼らの攻撃も一度も聖人には当たっていない。
そこにあったのは圧倒的で純然たる実力の差だった。
そして現在の彼らにはもう逆らう気力が残っていなく、終始敵意も見せない聖人に対する恐怖心だけが植え付けられた。
「な、なぁ……、紅月クン?」
「ん? なに?」
「アンタは……、アンタも……、佐城派じゃなかったのか……? オレら仲間のはずじゃ……」
「え?」
恐る恐る訊ねる彼の質問に聖人は心底不思議そうに首を傾げた。
「そうなの? そんなつもりはなかったんだけど」
「さ、佐城さんに逆らうってのか……?」
「そんな気もないよ」
不良のロジックに聖人は苦笑いを浮かべる。
「僕は同じ学園に通う人はみんな仲間だと思ってるよ。だけど、真面目に活動している人から部室を奪うのは悪いことだろ? それは誰の仲間とか関係ないよ」
「そ、それは……」
「オ、オイ、もうやめとけって」
どうにか起き上がってきた彼の仲間が横から止めてくる。
聖人に問いかけた者も、なにか底知れぬ恐怖を覚えたように口を閉ざした。
そして彼らは仲間を助け起こしながら緩慢な動作で部室から退去していく。
「なんだ。もう終わりか?」
「ヒィッ⁉」
彼らは背後から聴こえた女の声に身を縮こまらせて悲鳴を上げた。
声を掛けたのは天津 真刀錵だ。
しかし、彼女には不良たちに声をかけたつもりはなく、彼らのことなど眼中にないようだ。
天津の目線は聖人に向いている。
「もうわかってくれたみたいだし、やめとこうよ真刀錵」
聖人はまだ暴れたりないといった様子の天津に苦笑いをする。
「こんな手緩い仕置きではまたやるぞ、あいつらは」
「でも……。もう戦う気のない人に何かするのは……」
「ふん、相変わらずお人好しだなお前は」
「いやぁ……」
聖人は天津から向けられるジト目に居心地悪そうにし、それから彼女の手にある物に気が付いた。
「あれ? 真刀錵、なにそれ?」
「む? これか?」
天津は右手を持ち上げてみせる。
彼女の手にあるのは自転車の整備用だろうスパナだった。
「今日はこれで戦ってみた」
「え? そ、そんなので殴ったりしてないよね……?」
恐々と訊ねる聖人に天津は肩を竦めた。
「安心しろ。ちゃんとお前のルールに合わせてやった」
「よ、よかった……」
聖人はホッと胸を撫でおろす。
天津の力でスパナなんか使って頭でも殴ったら、下手をしたら死人が出てしまう。
しかし、天津も聖人同様に向かってくる不良たちを転ばせるだけに努めていた。
というか、実質相手をした人数は天津の方が多かったくらいだ。
「なんだってそんなものを?」
打撃武器として使わないのなら素手で相手をした方がやりやすいだろうにと訊ねてみる。
「これなら武器として認識されないのではと試してみたのだ」
「そしたら?」
天津はふにゃっと眉を下げた。
「【自転車整備:LV1】を習得してしまった……」
「そ、そっか……」
「これはもう使えないな」
口惜しげにしながら天津はスパナを適当に投げ捨てた。
すると――
「ま、聖人くん……?」
――不良たちがいなくなったのを見計らったのか、今回の件を持ち込んだ上級生女子2人が部室の入口から顔を覗かせた。
「あぁ、先輩たち待っててくれたんですか? もう大丈夫ですよ」
「そ、そう……」
聖人は振り返って爽やかに微笑む。
しかし彼女たちは荒れた部室内の様子を見て若干引いていた。
「すみません。ちょっと揉めることになって、部室を散らかしちゃいました」
「う、ううん。それはいいの……。それで……」
「あぁ、はい。ちゃんとお願いしたらわかってくれましたよ。もうここには来ないって約束してくれました」
「あ、ありがとうっ! 流石は聖人くん!」
「お願いしてよかった!」
「いやあ、話のわかってくれるいい人たちでしたよ」
そこまでを聞くと、女子たちは謙遜する聖人に駆け寄ってキャイキャイと彼を褒めちぎる。
天津はその様子を下らないものを見るような目で見ていた。
「よかったらこのあとモールでも行かない?」
「お礼にフードコートでなんか奢るよ?」
女子たちはすかさずこれを口実に彼を誘い出そうとする。
しかし――
「すみません。実は今日家に帰ってやらなきゃいけない用事があって……」
「そう?」
「ざんねん」
「あはは、お礼なんて気にしないで。僕は当然のことをしただけだから」
覇気のない笑顔で聖人がそんなことを言っていると、あと2,3言葉を交わしてから、彼女たちは部員や顧問に報告をすると言って部室を出て行った。
「珍しいな。お前が口八丁で女の誘いを断れるとは」
「い、言い方……」
天津が意外そうに言うと聖人はまた苦笑いになってしまう。
ちなみに天津の言葉は皮肉ではない。思ったことをそのまま言っただけだ。
「断るために嘘を吐いたわけじゃないよ」
「そうなのか?」
「今日はみらいがウチの方に帰ってくるって言ってて……」
ウチの方というのは、紅月家の本宅のことだ。
聖人や両親はそこに住んでいるのだが、中学の途中から望莱は自分でマンションを購入し、実家とそこを行き来して暮らしている。
「島から持って帰った荷物で大きいのがあるから、それを部屋に運んでおいて欲しいって頼まれてさ」
「あまりあいつを甘やかすな」
「いや、パソコンとか重い物もあるみたいだし……。それに、やっとかないと……」
聖人はそこでフッと遠い目になる。
彼のその表情で天津も合点がいった。
「あぁ。あいつが帰った時にそれが終わっていないとどんな嫌がらせをされるかわからんということか」
「あはは……」
「それが甘やかしているというのだ。だが、やむなし――」
キッパリと会話を斬って、天津は部室の出口へと向かう。
「真刀錵?」
「さっさと行くぞ」
「え? 手伝ってくれるの?」
聖人が丸い目をすると天津は頷いた。
「さっきの戦闘もどきでは鍛練にもならん。今日の運動には足りていないからな」
「ありがとう」
「構わん。私もとばっちりは御免だからな。教師がここに来たら足止めを喰らう。その前に帰るぞ」
必要なことを言って天津は部室からさっさと出て行ってしまった。
「あ、待って……、うん?」
聖人は彼女を追おうとするが、その時爪先に何かがカツンっと当たった。
「あれ? なんだろ? これ?」
部室には様々な物が転がっている。
不良たちの忘れ物か、元々部室にあった物か。
大した物ではないのだろうが、聖人はそれがやけに気にかかって拾い上げた。
それはアルミのペンケースのような物だった。
「どうした? 聖人?」
天津が引き返してきて部室を覗く。
「あ、真刀錵。なんか落ちてて。これなんだけ――」
聖人は彼女にそれを見せてやりながら蓋を開けてみる。
すると――
「こ、これは――⁉」
――ケースの中に入っていた物を見て、驚きに目を見開く。
「む? なんだそれは?」
「わ、わからない……。けど……」
それはこの部室――もしくはこの学園にあること自体相応しくない物のように見える。
筆箱大のアルミケースの中にあったのは――
――液体の入った数本の注射器だった。




