3章13 Beyond the Veil ➁
弥堂と入れ違いになるように教室に入ってきたのは2名の女子生徒だ。
彼女らは控えめに聖人の名を呼ぶと、どこか警戒したような様子で周囲を見回す。
「あれ? 佐々木先輩?」
聖人に名を呼び返され、そして教室内に希咲や望莱が居ないことを確認すると、上級生女子2人は嬉しそうに笑う。
そして途端に態度が大胆になり聖人の席に近づいてきた。
「よかったぁ。紅月くんまだ帰ってなくて」
「僕に用事? どうかしたんですか?」
本音で言えば弥堂を追いかけたいところではあるものの、自分をわざわざ訪ねてきてくれた上級生を蔑ろにすることは聖人には出来なかった。
「実はね、聖人くんにお願いしたいことがあって……。今時間大丈夫?」
「はぁ、大丈夫ですけど。お願い、ですか?」
物憂げな表情をする佐々木先輩に聖人はパチパチと瞬きをする。
佐々木先輩は連れの女子の背中を押して聖人の前に立たせた。
「この子、石山さんっていうんだけどね? ほら……」
「う、うん……。あの、紅月くん。お願いがあるのは私なんだけど……」
石山さんはモジモジとする。
彼女の顔を見て、聖人は「あぁ」と思い出した。
「お久しぶりですね石山先輩。僕のこと憶えてますか?」
「う、うん……、前に紅月くん、部活の練習後に顔洗ってタオルを忘れちゃってた時に……」
「はい。あの時はハンカチを貸してくださってありがとうございました。憶えててくれて嬉しいです」
「そ、そんな私の方こそ……」
聖人のそれは社交辞令ではない。
彼が本当に嬉しそうな顔で笑うと、石山先輩はまたモジモジとした。
隣の佐々木先輩はそんな彼女をシラーっとした目で見て、そして用件を促すように咳ばらいをする。
石山先輩はハッとした。
「そ、それで、聖人くん……。私……」
「何かお困りのことでもあるんですか?」
石山先輩はどこか言いづらそうにする。
しかし聖人にとってはこういった状況はよくあることだ。
慣れた調子で彼女から困りごとを引き出そうとする。
「実はその、私のかれ――友達の男子が、不良に物をとられちゃって……」
「えぇっ⁉ それは大変じゃないですか」
ようやく石山先輩が事情を切り出すと聖人は大袈裟に驚いてみせる。
隣の佐々木先輩は、さりげなく『友達』だと言い直した石山先輩にゴミを見るような目を向けている。
そして、相手が自分を認知しているとわかった途端に名字から名前呼びにさりげなく変えてきた女どものことを、天津さんもゴミを見るような目で見ていた。王女さまはまだメソメソと泣いている。
「それで? 何をとられちゃったんですか?」
要はそれを取り返して欲しいという相談事だろう。
こういったことは聖人にとってやはりよくあることで、ライフワークと謂ってもいいようなありふれた出来事だ。
それを効率よくさっさと済ませようなんて心づもりは彼にはない。
しかし、あまりによくあるので、必要なことを聞き出すスキームが無意識に出来上がってしまうくらいに習慣化していた。
「えっと、佐城派の不良たちに、お金と……」
「部室の鍵もとられたみたいなの」
いまだにモジモジとカワイコぶって情報を小出しにする石山先輩の前に、佐々木先輩がズイっと割り込む。
「部室の……?」
聖人は怪訝そうな顔をした。
お金をとられたという話は中学の時からも定番だったが、部室の鍵をとられるなんて話は初めてだったからだ。
「うん、そうなの。最近よく聞かない? 部室の乗っ取り。それの被害にあったの」
「…………」
「そんなことが起こっていたんですね……。全然知りませんでした……」
佐々木さんは普通のことのように頷く。
聖人は事態を深刻なものとして受け止め、少し思案した。
そのため、学園一のイケメンの話相手という立場を奪われた石山先輩が、憎しみをこめた目で佐々木先輩を睨んでいることに気付かなかった。
「だけど、なんのためにそんなことを?」
「それはもちろんたまり場にするためよ」
当然湧き上がる疑問への答えも実にシンプルなものだった。
「ほら、ウチの学園ってちょっと前まで格闘技系の部活がいっぱいあったけど、それが次々に潰されて部室もとりあげられちゃったじゃない?」
「あぁ、うん……、そういえばそんなこともありましたね……、あはは……」
聖人は内心でドキっとする。
その部活たちを潰して回っていたのは弥堂であるという話は有名だが、ウチの真刀錵さんもいくつかの部活に果たし合いとか言って道場破りよろしく喧嘩を売っていたからだ。
「そうするとそこを溜まり場にしていた不良たちの行き場がなくなるわけじゃない? それで、最近はその彼らが新たな溜まり場にするために弱小部を狙っているのよ」
「なるほど……」
「この子の彼氏って自転車部なんだけど、あの部って運動場とかからは離れた目立たない場所に部室があって、部員も少ないし、顧問も兼任であまり来ないから狙い目だったみたいなの」
「あ、あはは、それは……」
さりげなく『友達ではなく彼氏であること』をバラされた石山先輩が佐々木先輩に掴みかかろうとするが、佐々木先輩は彼女の顔面を片手で押さえつけながら何事もないかのように聖人に説明する。
聖人はとりあえず愛想笑いだけをしておいた。
とにかく、事情は大体飲みこめてきた。
「つまり、その自転車部の部室を占拠されて困っているってことですね?」
そういった結論になるだろう。
先輩2人も掴み合いをやめて重苦しい顏で頷いた。
「お金だけなら大した額じゃないから最悪泣き寝入りでもいいんだけど……。全然彼氏とかじゃなくて友達だし」
「部室をずっととられたままってのはちょっと……」
「そうですよね」
「しかもその人たち入部届まで出してきて……。だけど部活なんてしないでおかしな私物をどんどん持ち込んできて……」
「おまけに部室でタバコ吸ったりしてるみたいなの。これがバレたりしたら元々真面目に活動してた人たちまで一緒くたに罰を受けそうで……」
「それは……」
聖人はチラっと後ろの天津を見遣る。
彼女はスイっと目を逸らした。
「う、う~ん……」
聖人は責任と罪悪感を覚えてしまう。
間接的に自分たちのせいかもしれないと。
「顧問の先生には?」
誰もが思いつく最初の対処方法だ。
先輩たちは首を横に振る。
「顧問が事なかれ主義みたいで……。関わりたくなさそうなの」
「元々、何も迷惑かけないからってことで無理に顧問をお願いしたところもあるらしいの。だからあまり強くは頼みづらいんだって」
「それじゃあ生活指導の先生は?」
「それがね、そっちに言うなって不良たちに脅されてるの」
「お前らも一緒にやってたって言って、道連れにしてやるって……。自転車部って3年生ばっかりで次が最後の大会だから……」
「それは……、なら、風紀委員会に相談してみるのは?」
そう訊ねると先輩たちは気まずそうに顔を見合わせた。
「風紀委員は……」
「相談したらもっとヒドイことになりそうで……」
「あー……」
言葉少なな説明だったが、察しの悪い方である聖人にも彼女たちが何を言いたいのかがわかった。
要望としては、大きな騒ぎを起こすことなく秘密裏に自己解決がしたい。
しかし、頼れる先が他にはどこにもない。
つまり結局、聖人にとってはいつも通りのことだった。
ここまでくるとストンっと胸に落ちてくる。
「話はわかりました。じゃあ、行きましょうか」
「「え?」」
そして理解すると同時に聖人は席から立ちあがる。
目を丸くする先輩たちを安心させるように微笑みかけた。
「僕が取り返してあげますよ。今から行きましょう」
「聖人くんっ」
「いいの⁉」
早すぎるくらいに話が早い彼に、先輩女子たちは目を輝かせるが――
「――おい、聖人」
背後の天津からは咎めるような声が。
聖人は苦笑いをしながら振り返った。
「ゴメン真刀錵。そういうことだからちょっと行ってくるよ」
「余計な騒ぎに加担するなと言われたばかりだろう」
「そうだけど。でも、部室を勝手に占拠して真面目に部活してる人に迷惑かけるなんて、やっちゃダメなことだろ? 実際先輩たちが困ってるみたいだしさ」
「やむなし」
一般的な回答としては至極真っ当なことを聖人は言う。
天津は短く言葉を発して目を伏せた。
喋るのが面倒になって説得を諦めたのだ。
しかし――
「――やむなし、じゃねェだろが」
天津のさらに背後からガラの悪そうな男の声が参加してきた。
「オマエもう少し真剣に止めろよ」
「む? 蛮か」
現れたのは蛭子 蛮だった。
「あれ? 蛮どうしたの?」
彼の姿を見て聖人がキョトンと目を丸くする。
蛭子の停学が明けるのは明日からで、そのため今日も学園を休んでいた。
それが放課後になってから制服姿で教室に現れたので少し驚いたのである。
「みや――あー……、生徒会に顔見せに行こうと思ったんだよ。だけど今さっき放送鳴っただろ? だからちょい時間つぶしに教室来たんだわ」
少しうんざりとした様子で蛭子は事情を話した。
その放送とは先程の呼び出し放送のことだ。
先客の用件が終わるまで、蛭子はすることがないのだろう。
「あぁ、うん。弥堂が……。京子センパイ大丈夫かな?」
聖人は心配げに言うが、蛭子は適当に顔を竦めた。
「まぁ、大丈夫だろ。さっきの放送の声よ。アイツだろ?」
「あ、そっか……。それならまぁ、大丈夫か」
「それより、だ――」
世間話は終わりだと、蛭子は目つきを険しくする。
「オマエよ、不良の揉め事なんかに首突っ込んでる場合じゃねェだろ」
「だけど――」
「――こっちのことが終わってからにしろ。つか、そんなモン教師にやらせろよ」
予想通りといえば予想ではあるものの、昨日の今日で何をやっているんだと聖人を説得しようとする。
しかし――
「でも、それでダメだったんだし。顧問の先生だって困ってると思うよ」
「だからって、オマエがやらなきゃんらんもんでもねェだろうがよ」
「それは違う――」
聖人の目には強い意思があった。
「それは違うよ。蛮」
「チッ」
そして頑なだ。
物凄く覚えのあるパターンすぎて、蛭子は辟易とし舌を打つ。
「先輩たちは困っていて、それで僕を頼ってくれたんだ」
「どうせいいように利用されてるんじゃねェの? 単にお前の気を惹きたいとかよ――」
言いながら、蛭子は半分は八つ当たりで先輩女子2人をギロっと睨む。
彼女らは気まずそうに目を逸らした。
だけど、それでも聖人は揺らがない。
「そうだったとしても、でも――そんなの関係ないよ」
天津の部活潰しが回り回ってこうなったという、そんな負い目も確かにある。
だが、それすらも関係なく――
「――部室の占拠はいけないことだ。正しくない」
――まず最初にそれが前提となる。
正論ではあるが、蛭子は露骨に嫌そうな顔をした。
「あのなァ……」
「蛮。僕は、紅月 聖人だ」
誰よりも長く一緒に過ごしてきた幼馴染に、聖人は自身の名を強調する。
「頼れる人がいなくて。僕ならって。この人たちはそう思ってここに来てくれたんだ……」
そこには希望と期待がある。
「それに応えないのなら。応えられないのなら――それはもう僕じゃない」
そうハッキリ言い切る聖人の目を見て、蛭子はもう諦め始めた。
「僕は正しいことをする。間違っていることは正す。僕がそうだと思ってくれているから、先輩たちは僕のところに来てくれた。他の人たちだってそうだった。だから、もし――一度でも僕がそれをしなかったら。それはみんなの信頼を裏切ることになる」
蛭子や他の仲間たちにとっては最早聞き慣れたようなものだが、上級生女子2人は聖人のどこか鬼気迫るような雰囲気に気圧され息を呑む。
「もうどうしようもなくなって、誰かに助けてもらいたくって、だけど誰も頼れる人がいなくて。そんな人たちを僕は助けてあげたい。そういう人たちが最後に希望を抱けるような……。最後まで希望を捨てずにいられるように」
「こいつらがそこまで追い詰められてるようにはオレには見えねェぜ」
「それは問題じゃないよ。いよいよまで追い詰められるまでは助けないなんておかしいだろ? 今やれるなら今でいいじゃないか」
「だけどな」
「蛮。期待してくれてる人や信頼してくれてる人がいるのに、僕の方からそれを裏切ったりしたら、もう誰も僕に頼ろうとはしなくなる。そうなったら助けられたはずの人も助けられなくなる。だから、助けを求める人がいるのなら、それを必ず助ける。必ず応える。それが僕だ。そうでないと僕は紅月 聖人でなくなってしまう」
「いや、あのよ――」
ガリガリと頭を掻きながら蛭子が一応反論しようとした時――
「――よくぞ言いましたわマサト! 流石はわたくしの婚約者です! それでこそエルブライト公国第一王女であるこのわたくしが見初めた英雄に相応しい振る舞いだと言えますわ!」
――泣きべそから復活した王女さまが聖人を褒めちぎった。
さりげなく先輩女子2人にマウントもとりつつ立ち上がる。
「さぁ行くのですマサト! このわたくしも後詰として出ます!」
「え? あぁ、うん。じゃあ佐々木先輩、悪いけど途中まででいいから案内してくれる?」
王女さまがビシッと出口を指差すと、聖人は先輩たちに案内を促して先に行かせた。
「オレは行かねェぞ」
それに着いて行こうとすると背後からは不機嫌そうな蛭子の声。
聖人は一度立ち止まり苦笑いで振り返った。
「うん。もちろん。蛮は今日まで停学だし。京子センパイによろしくね?」
手短に言って聖人は先輩たちを追いかける。
蛭子も今度は止めなかった。
代わりに――
「オイ――」
――彼らの後を追おうとするマリア=リィーゼに抗議混じりの視線を向けた。
マリア=リィーゼは足を止めないまま顔だけで振り返る。
「たまにはガス抜きも必要でしてよ?」
ワケ知り顔でパチリとウィンクをし、すぐに教室を出て行った。
辟易とした顔で蛭子は肩を竦める。
すると――
「――やむなし」
――さっきと同じ台詞を吐きながら天津も教室を出ようとしていた。
「オマエは戦闘禁止だぞ」
「バカな。横暴だぞ」
蛭子の一言に彼女は驚愕の顔で振り返る。
「うるせェんだよ」
蛭子は適当な返事をしながら、頭の中では希咲や望莱への言い訳を考え始めていた。
昇降口棟の2F、生徒会長室――
その部屋のドアを弥堂はノックなしで開け放つ。
入口から正面――部屋の奥にある執務机に座る生徒会長 郭宮 京子がギョッとした。
無作法者が一歩部屋に踏み込むと、主の執務机の前に小さな影が2つ出る。
学園のマスコット的存在であるちびメイドたちだ。
「あらー? 存外素直に来ていただけたんですね」
続いた声に、弥堂は足を止め部屋のドアを閉じた。
話しかけてきた者に視線を向ける。
「フフ。“ふーきいん”ビビってる。カワイイ」
手前に立つ“うきこ”が見下すように薄く笑う。
だが、最初に喋ったのは彼女ではない。
もっと大人びた声。
執務机に座る生徒会長でもない。
彼女の脇に立つメイド服の女性だ。
だがその人物は御影学園長ではない。
もう少し若い女性。
「“うきこ”。そんなこと言っちゃダメですよー」
軽薄な調子で“うきこ”を注意する弥堂と同じか少し上くらいの年齢のメイド。
歳こそ違うものの、“うきこ”とそっくりなその顔を視て、弥堂は眼を細めた。




