3章12 ○× sneak into ×○ ➁
目的の部屋のドアの前に立つ。
表札に名前は書かれていない。
【小指で支える世界】で部屋の中に生き物の反応がないことをもう一度確認をしてから、あたしはドアと一体になっている郵便受けに指を伸ばす。
あたしの手には薄いビニール手袋が。
これはもちろん指紋を残さないためだ。
……
ダ、ダメよ、七海……っ!
考えちゃダメ……!
今はとにかくやり切るのよ!
指で郵便受けの投入口の蓋を少しズラす。
出来た隙間から万年筆サイズの器具の先端を中へ。
そのまま数秒して――
『――クリア』
――イヤホンから豪田さんの声が。
これは『M.M.S社』製の秘密道具で、盗聴器とか監視カメラとかそういう系の機械の動作をチェックする探知機だ。
つまり、玄関付近にそういったものは仕掛けられてないから大丈夫ってこと。
こんなペンサイズの道具でどうやってそれを探ってるのかって理屈はあたしにはわからない。
わからないけど、こういう怪しい道具からお客さんを守るのがセキュリティ会社なんじゃないの?
みたいなことを以前にみらいに訊ねたことがある。
そしたら、あらゆる犯罪からユーザー様を守るためにはあらゆる犯罪を研究する必要が――とかってゴニョゴニョ言ってた。
そん時は「へー、ま、そっか」とかって流しちゃったけど、それって今あたしがやってるみたいなことにも使えちゃうのよね。
そしてさらに今気付いちゃったけど。
これって「キミを守るためにはキミを殺す全ての方法を――」とか言ってた弥堂の理屈と一緒じゃんか。
いけない。
考えちゃダメよ。
というわけで――
「【万能鍵】――」
――開錠スキルの効果によって、ガチャリと玄関の鍵が開く。
よかった。
特殊なことはしてない普通の鍵だったみたい。
音を立てないように、そっと玄関のドアを開ける。
(おじゃましまーす……)
心の中で申し訳程度に断りを入れて、あたしは弥堂の住居へ足を踏み入れた。
玄関があってそこから真っ直ぐ奥へ廊下が伸びている。
その先にはダイニングキッチンがあって、その道中のドアはトイレとお風呂。
ダイニングに入って右手に寝室があるはず。
事前に確認した間取りを頭に浮かべながら玄関の様子を見る。
随分とスッキリした玄関だ。
靴が一足出ているだけで他には何もない。
小さなガムテープの切れ端が一枚玄関の床に貼ってあるというか、落ちてるくらいだ。
ちゃんと捨てなさいよ。
置いてある靴は新品に近い学園指定の革靴。
愛苗の靴があったりはしなかった。
ドアを開けたまま考えてても仕方ない。
あたしは自分の身体を玄関の中に入れて、開けた時と同じくそっとドアを閉める。
念の為カギをかけておいた。
靴箱の中を覗いてみるけど空っぽ。
普段履きの靴は?
女子はけっこう靴もサンダルも増えがちだけど、男子だとこんなもん?
あれ? あいつこないだブーツ履いてなかったっけ?
ウチの弟たちや聖人はいくつか持ってるけどなぁ。
サッカーシューズやスパイク以外にも何足か。
蛮は蛮で、スニーカー集めるのが好きだったから靴はかなり持ってる。
これって、人によるって範囲でいいのかな?
にしても少なすぎだと思うけど。
ま、こんなことに拘って玄関で足止めくらっててもしょうがないか。
(んー……)
少し考えて、あたしは指輪に仕舞っておいたスリッパを取り出した。
スニーカーを脱いでそれに履き替えることにする。
いくらなんでも土足は気が引けた。
そして――
「【隠滅】――」
盗賊の人御用足しの証拠隠滅スキルを掛け直す。
これは足跡や残り香などの自分の痕跡を残さないようにするスキル。
でも万能なものじゃない。
例えば雪の上を歩く時にこのスキルを使ったら――
その場合は自分の足跡は残らない。
だけど雪を踏んでも凹みもしないのかというとそうじゃない。
雪も土も踏めばちゃんと凹んだり潰れたりする。
だけど足を抜いた後に残るのはあたしの足跡ではなくなる。
つまり、あたしだと特定できるような痕跡を残さないようには出来るけど、何にも跡を残さずに雪の上を歩けたりはしない。
そんなちょっと中途半端なスキルだ。
あと、何故か指紋には対応してない。
みらいが言うには、多分それを想定して設計されてないから――らしい。
ということで、念のため【隠滅】を使った状態で廊下に上がる。
あー、ヤダな。変な感じでドキドキしてきた。
一人暮らしの男子の部屋とかダンジョンよダンジョン。
何が出てくるかわかんない。
しかも相手が弥堂となると、『何が』の意味がより多岐に渡ります。
とりあえず、まず目指すはダイニングだ。
その手前にトイレとお風呂があるけど当然スルー。
あたし女の子なので。
でも、あっちで成果が上がらなかったらこっちも見なきゃよね……
あんま見たくないなあ……
【小指で支える世界】のMAP上では誰もいないことはわかってるけど、一応慎重に歩く。
スリッパの底からジャリっとした感触が。
あいつめ。あんま掃除してないな。
イメージどおりだけど。
みらいのマンションとは違って一般的な独り暮らし用のアパートなので、すぐに廊下の端へ到着。
ダイニング兼リビング兼キッチンとなっているお部屋に入る。
足を踏み入れてすぐに、なんかヤな感じ。
パッと見でおかしな物を見つけたとか、スキルに何か引っかかったとか、そういうことじゃない。
なんていうか、雰囲気がすっごく悪い。
そんなヤな感じ。
部屋の中に進む前にもう一度探知機を。
ペンの先端にはセンサーとカメラが付いていて、外の特殊車両に居るスタッフさんたちの元にデータが届くようになってる。
そのペン先を部屋の中心へ向けた。
『――クリア』
今度は部屋の左端から右端へとゆっくり動かしていく。
『――クリア』
だいじょぶみたい。
ちょっと意外というか拍子抜け?
あいつに科学機器とか駆使するイメージはないけど、それでも何かしらは仕掛けたりとかしてそうって思ってたのよね。
まぁ、普段自分が生活する部屋にそこまでするわけないか。
さ。さっさとお仕事して撤収を――
『――ナナミン。トイレと風呂を』
「…………」
――すると豪田さんからの指示が。
ちょっと渋めで抑揚のない極めて事務的なお兄さんの声で『ナナミン』呼ばわりされ、あたしはビミョーな顔に。
といっても、これは豪田さんの意思ではない。
作戦中は『コードネーム:ナナミン』、そういった命令がみらいから出てる。
豪田さんもイヤイヤやってるので、それに文句をつけることはあたしには出来ない。
みらいめ。
あたしの“edge”のアカウントをイジってんのか?
ゼッタイ後でほっぺたつねってやるんだから。
『――念のため。お願いします』
「あ、はい」
ですよね。
やっぱ確認しないとダメですよね。
溜め息を吐いてあたしは廊下に引き返した。
トボトボとまずはトイレへ。
わかってる。
ここまでの感じでもうわかってる。
トイレだけピカピカなんて、そんなことするヤツじゃない。
トイレのドアに隠れるように肩をつけてドアノブに手を。
「ふぅ……」
短く息を吐いて覚悟を決めてから、ゆっくりとドアを開ける。
すると――
「――ん……?」
――あたしの目の前、上から下に何かがヒラヒラと舞い落ちていく。
「なにこれ?」
トイレの中に入る前に、先にそっちを拾って確認。
すると、それはただの付箋だった。
「え……? これって……」
あたしはドアの隙間の上部を見上げる。
あそこにこれ挟んでおいて、留守中に誰かが開けたら気付けるようにってこと?
反射的に玄関の方を見る。
そっちには特に何も落ちてなかった。
続いてお風呂のドアを見てみると――
「――あった……」
そのドアの上の方にも付箋が挟んである。
思わずそれをペン先のカメラに映す。
『――確認』
これって、どう見ればいいんだろ。
今日ここに侵入してくるって警戒してたから?
まさかアパートごと……、なんて考えを浮かべた時――
『――爆発物等の反応は感知なし。作戦続行』
――豪田さんのタイムリーな指示。
あ、はい。ですよね。わかりました。
つーか、これがあいつの日常ってことか。
「うわぁ……」
ドン引き。
毎日こんなの仕掛けて生活してるのか……。ヘンタイじゃん。
すごく残念な気持ちになりながらあたしはトイレに戻る。
ドアをゆっくりと開けて慎重に中を覗く。
その瞬間に「――ゔっ……」ってなる。
うん。わかってた。
そうだと思った。
学園の古めの男子トイレとか公衆トイレとか、そういう感じのニオイ。
だいじょぶ。それくらい想定内。
ウチに男子2人住んでるし、探偵事務所のトイレとかも掃除してるから、同年代の他の女子よりは耐性あるつもり。
弥堂め、こんくらいであたしを倒せると思うなよ。
そう思いながらも若干ビビリつつ、トイレの中へ。
そしたらまたも「ゔっ……」となり、反面ホッとする部分も。
洋式便器が1つ。
蓋と便座は上げっぱなし。
よかった。
もし蓋が閉まってたら開けなきゃだもんね。
開けた瞬間そこには生首が――とか、そういうの想像してビビってたから、そこだけはホッとした。
考えすぎだろうけどさ。
そんな風に一安心して改めてトイレの中を見ると、今度は一気に不快感が湧いてくる。
あのさー、汚い……!
トイレットペーパーは袋ごと床に適当に転がされてる。
せめてちゃんと立てて置いておけ!
あとフツーに埃が!
反射的に指輪に収納されてるアイテムリストを呼び出す。
マスクは持って来てなかった。
もうっ!
憤りとともにあたしはギロリと便器を睨む。
便器の縁にはヤな感じの汚れというか跡というか。
そんで便器の手前の床にも同様の染みのような跡のような汚れ。
まぁ、うん。
ウチにも男の子いるから生態はわかってる。
こうなっちゃうのよね。
うんうん。わかってる。
それはしょうがない。でも――
――掃除しろ!
え? これ放っておくとこんな汚くなんの?
うわぁ……
続けて便器の中へも視線を。
きゃー。
縁の裏っ側あたりとか変色してるし。
てゆーか。え? これマジで一切なんにも掃除してない系?
あいつこれでなんにも気にならないわけ?
キョロキョロとトイレの中を見回しても、洗剤どころかブラシすら見当たらない。
うそ、マジで?
もしかして入居してから一回も掃除してないとか、そういうレベル?
やだー、弥堂くんったら。もぉ、だらしないんだからぁ。
……ウチの子たちの躾もっと厳しくしよ。
将来独り暮らしとかさせたらこうなっちゃうんだ。
特に望んでなかった男子の生態について、あたしはちょっと詳しくなってしまった。
マジ最悪。
ちょっと申し訳ない気持ちになりながら、ペン先のカメラでトイレ内を映す。
『――クリア』
あたしは廊下に戻ってトイレのドアを閉めた。
付箋を戻さなきゃ。
風呂のドアに挟んであるやつと大体同じ高さで挟んでおいた。
あいつさぁ!
こんなの気にする前にもっと気にすることあるでしょ!
『――次、風呂へ』
あ、はい。
あたしはトボトボとお風呂へ。
気が重くなると足も重くなる。
スリッパで床を擦るようにして歩く。
もう帰りたいよぅ……
トイレと同様にビビりながらドアを開ける。
するとまずは脱衣所だ。
今更だけど、ユニットバスじゃないし、脱衣所兼洗濯場付きの部屋って結構いいお部屋よね?
それでも掃除しないと全然そうは見えなくなっちゃうのね。
手前にシャンプードレッサーが。
ここも汚い。
鏡も流しの中も汚い!
あんにゃろぅ!
置いてあるのはコップが1つで、その中に歯ブラシが立ててある。
……ハッ⁉ いけない。
歯はちゃんと磨いてるんだ。えらい。
――とかって思いかけちゃった。
そんなの当たり前でしょ。ハードル下がりすぎたせいでわけわかんなくなってきてる。
ん? 待って? 歯磨き粉は?
ここでもキョロキョロとしてみるが、見当たらない。
え? うそでしょ? ブラシと水だけでゴシゴシしてるってこと?
うわぁ……
つーかさ。
それって前のカノジョさんとかどうしてたん?
ヤじゃないの?
だってキスとか……、ハッ⁉ ダメよ七海。
そういう想像はよくない。
エルフィさんのお顔を知っちゃっただけに、なんか生々しくなる。
だからやめよ。
うんうん。
でも、多分キスするのがムリで別れたんだ。
でも、待って。
もしかしてヨソん家の男子はそれがフツーとかある?
「あの、歯磨き粉って使います?」
無線にそう問いかけると数秒間が空く。
『……はぁ。まぁ。普通に』
「ですよね」
やっぱそうよね。
ブラシで汚れは落とせるだろうけど、虫歯とか口臭とかのケアは出来ないもんね。
何回かあいつに顔近付けられたことあるけど、特にニオイが気になったことはない。
だからって、でもよ? ちゃんと歯磨きしないヤツはダメよね。
そりゃフラれるわ。
あたしだって、歯磨き出来ない男とキスとか絶対にありえないし。
若干テンションが上がったあたしが「うんうん」と頷くと、ある物に気付く。
そこは洗濯機置き場だ。
置き場だけど洗濯機はない。
えぇ……
あいつ洗濯どうしてんの?
フツーに考えたらコインランドリーかなって思うけど、でもあいつがマメにそんなのに通うわけないし。
洗濯してないの?
そんなことある?
あのさ。
前にあたし、あいつに洗濯の仕方教えて「お母さんにやってもらって」って言ったじゃん?
でもその後に親元離れて失踪してたこと知ってさ、悪いこと言っちゃったな、謝んなきゃなって思ったわけじゃん?
や。結局それはそれなんだけど。
でもさぁ、そもそも洗濯機自体ありませんとかさあ。
なんなの? なんで常に想像を超えてくるわけ? ハラスメントなんですけど。
こういうのって、なにハラって言えばいいんだろ?
ビックリしちゃうからビクハラ? ビックリハラスメントで。
今度考えとこ。
あれ? でも前に何回かあいつに抱きしめられたけど、別に服は臭くなかったわよね。
むしろクリーニング卸したてくらいの感じ?
……いや、待っておかしい!
『前に何回か抱きしめられた時ー』とか『前に顔近付けられたけどー』とかって、そんな思い出だか記憶だかがフツーに出てくる方がおかしいってば!
しっかりしろあたし! 毒されるな!
ということで、色々なかったことにして仕事に戻ります。
恐る恐る浴室のドアを開ける。
やっぱりまた「ゔっ」ってなる。
カビくさいよぉ……
換気扇を回したい気持ちを押さえて中を確認。
ここも汚い!
洗い場の床もそうだけど、浴槽と壁はもっとひどい。
まず、壁にはカビがあちこちに。
うわぁ。
汚いお風呂ってのは見たことなかったから、トイレより引いたかも。
浴槽はなんか使ってる形跡がないわね。
というか使える状態にない。
浴槽には口の開いた段ボールとかがいくつか入ってる。
見た感じ、宅配とかで送られてきた荷物の中身を出した後の空き箱って感じだ。
それを浴槽に適当に放り込んだみたいな。
え……? これゴミ箱ってこと?
うそでしょ?
こんなことする人見たことも聞いたこともないんだけど。
あたしはビビリながらも、箱の隙間から浴槽の底の方を覗いてみる。
すると、特にコワイものとかはないようだ。
浴槽には水垢がない。けどゴミっていうか埃が底に溜まってる。
箱類も濡れてない。多少シワシワになってるのはシャワーを使った後の湿気を吸ったから?
あれ? もしかして浴室の湿気対策とか……、なわけないか。フツーに壁にカビ生えてるし。
ともかく浴槽には水を流してないってことね。
でも、シャワーの下はそうじゃない。
埃やゴミはないけど、代わりにタイルの継ぎ目とかに水垢とかカビの汚れがある。
うわぁ……、水流したらヌルヌルしてそう……
ともかく、こっちは使ってるってことね。
ちょっと落ちてる毛みたいなのは見えないフリ。
排水口のチェックはさすがにご勘弁を。
つまり、ここからわかることとしては――
――弥堂はシャワー派。
……またいらない情報が増えちゃった。
かなしいな……
つーかさあ。
トイレもそうだけど、こんな汚いお風呂を愛苗に使わせる気?
そういうことよね?
だって病院を出たら愛苗をここに住まわせるってことでしょ?
ありえなくない?
女の子がこんなの使えるわけないでしょ!
あとさあ、掃除もそうだけど。あいつトイレ使った後に絶対便座下ろしたりしないわよね。
おしっこ溢しても掃除しないし。
やれって言っても逆ギレしてきそう。
マジないし、絶対に許さないんだから。
お風呂には特に何もないのでこれでお暇。
何もないっていうか……、あれ?
てゆーか、何もなさすぎ?
石鹸が1個置いてあるくらいだ。
あぁ……、そういえば……
前にシャンプーも何も使ってないって言ってたっけ。
あれマジだったんだ……
ウソであってほしいことだけは本当な嘘吐きってホントやだ。
さ、こんなとこさっさと出よ。
終わり終わりっ。
お家帰ってシャワー浴びたい。
『――では次はリビングに』
……ですよね。
というかここからが本番だ。
キッチンとか見たくないなあ……
Gとかでないわよね? あたし悲鳴あげるわよ?
やだなあ……
これ以上あいつの生態に詳しくなりたくないなあ……
どうして? どうしてこんなことになっちゃったの……?
過去のどの地点に戻ればこんなことしないで済むようになるんだろ。
うぅ……、男子の部屋コワイよぉ……
本命のリビングや寝室を調べる前に早くも泣きそうになりながら、あたしは付箋をドアに挟み直して元の部屋へと戻った。




