3章09 Threads Connect ⑩
「――その前に……」
弥堂は愛苗に自分の現状について少し話をしてみることにする。
それは彼という人間にしては珍しく起こした気紛れでもある。
だがそれだけでなく、せっかくならということで、以前から少し気になっていたことを彼女に訊ねてみることにもしたのだ。
「『ションボリ』と言ったな?」
「え? うん」
そんな彼の真意など知らないが、愛苗は目を真っ直ぐに向けて笑顔で答える。
彼女が頷いたのを見てから、弥堂は視線を床へ向けた。
そこに居るのは毛繕いをしているメロだ。
「こいつは俺が苛ついていると言った。だが、キミから見たら俺は『ションボリ』なのか?」
「たぶん? なんとなくそう思っちゃったの」
「そうか」
愛苗の言ってるいることは弥堂には少しもわからない。
だが、彼女には以前から特殊な感性があるのではと思っていた。
公園で2体のゴミクズーと戦った日、なにかこちらの心情を感じとっているようなことがあったりした。
メロがそうであるように、ニンゲンの感情を食い物にするからその動きに敏感なのかとも考えた。
一度悪魔に為った彼女の境遇を考えれば、その可能性は高いとも。
しかし、最近それも違うのではと思うようなことがあった。
この病室でエアリスがスマホを操作しようとした時、愛苗はそれに気付きかけた。
先程のルビアの件もそうだ。
なにか霊子の動作を感じとれるような、普通の生物にはない特別なセンスがあるのかもしれない。
弥堂ごときにそれを視覚出来る魔眼が能えられているのだから、遥かに存在として格上な彼女にそれが出来たとしても不思議ではない。
今行っているのはそれを確かめる作業だ。
「具体的に何が見えて、それで何故そう感じたか説明できるか?」
「せつめい……、うーん……?」
しかし、彼女にも説明できないもののようだ。
この様子から察するに、感覚的なものなのだろう。
「訊き方を変えよう。今、俺を見て、どう思う?」
「いま……」
愛苗ちゃんは言われたとおりに弥堂をジッと見る。
その鼻がクンクンと動いた。
(ニオイでなにかを察知している……?)
何度か見たことのある仕草だ。
すると――
「えっと、『ドキドキ』?」
「なんだそりゃ」
「ちがった?」
「少なくとも、俺にはまったく自覚がないな」
「あれー?」
当たっているとは思えなかったが、彼女にはそう感じられるのだろう。
(こいつに何か特別なチカラがまだあるのか。あるのなら、それの正体はなにか。俺は今それに興味を持っている。それは好奇心ともいえる。それを『ドキドキ』と言っているのか……?)
妥当なような無理矢理すぎるような。
弥堂にはまだ愛苗ちゃん語は難しすぎた。
「なにかニオイがしてそう感じるのか? 心情の変化が体調に現れて、それが体臭にも影響が出ている、とか」
「ううん。ちがうよ?」
そしてニオイでもないようだ。
ますますわからなくなり、弥堂は眉を寄せる。
「だがニオイがどうとか言ってなかったか?」
「えっとね、ニオイはニオイなんだけど。フツーのニオイとは違ったニオイなの」
「違うニオイ?」
「あのね? ユウくんが困っちゃってる時とかは、困っちゃってる時のニオイをみんなが『たいへんだよー』って運んできてくれて、それで私も『たいへんっ』ってなるの」
「……みんなって誰だ?」
「え? みんなはみんなだけど……、あれ? 誰なんだろう……?」
「……不思議だな」
「ねー? 不思議だねー」
「…………」
これ以上の聴取をすると頭がおかしくなりそうだったので、弥堂はもう「不思議だねー」で済ませたくなってしまう。
その時――
『ユウキ。出来るまでやれば出来るのです』
――弥堂はハッとする。
お師匠さまだ。
いつものパワハラで正気を僅かに取り戻すも、しかし――
「――あれー?」
――愛苗ちゃんのお鼻がまたクンクンと動いた。
「誰かユウくんに『ヨシヨシ』って言ってるよ?」
「そうか?」
「うん。やさしーね?」
「……そうだな」
弥堂はチラリと眼を動かす。
やさしーお師匠さまはすでに慌てて逃げて行ったあとで、そこにはもう誰もいない。
わからないということだけはわかった。
そういうことにして、あとはもう興味本位だけで訊いてみる。
「他のニオイはないのか?」
「え?」
「その『ドキドキ』とか『ヨシヨシ』以外に、他の感情というかニオイはしないのか?」
「うんとね……」
愛苗はまた鼻を動かし始める。
(たった1つの感情だけがあるわけではない。その中で目立つもの、或いは一番重要だと思うものを拾い上げている……?)
考えても無駄だと思いはしても、考えはしてしまうものだ。
もしも彼女のこの能力を訓練によってさらに自由自在に扱えるようになれば――
(こいつを賭場に連れて行けばボロ儲け出来るんじゃないのか?)
ディーラーの嘘を見破るだけで勝てるギャンブルは何かなかっただろうかと思いを巡らせる。
「『そわそわ』……」
待てよと、弥堂はその思考を止める。
(わざわざあちこち出向くのは効率が悪いんじゃないのか? そうだな。街角の占い師から始めて……)
さらに別の方向へ思考を発展させた。
(こいつを教祖に仕立てあげてカルト宗教を作るのはどうだ。このチカラで適当に相手のことを言い当てて。あとはなんかそれっぽいこと言っとけば楽に財産を巻き上げられる……)
「『ウキウキ』……」
だが待てよと、また立ち止まる。
(確かこの世界の魔術師どもも宗教と密接に絡んでいるはずだ。新興のカルト宗教なんぞ作って荒稼ぎしたら、逆に攻撃をする口実を与えてしまうだけか……)
「あ、『ざんねん』になっちゃった。ユウくんかわいそう……」
やはり魔法少女同様、目立つようなことはするべきではないという結論になってしまう。
(ダメじゃねえか。チッ、役立たずめ)
「あ、イライラしてるッス」
「うん。『ぷんぷん』だね」
『あんだけ宗教嫌っといてテメェで作るのかよ、クズが』
『ユウキ。今すぐ懺悔なさい。殺しますよ?』
「……わかるのはそれだけか?」
全ての声を無視して弥堂は最後にもう一度訊ねてみる。
金にならなそうなのでもう興味は大分失われていた。
「あとはー……、ななみちゃん?」
「あ?」
そして続いた愛苗の言葉で不快感まで覚えた。
「なんであいつが出てくるんだよ」
「だって、ななみちゃんのニオイがするの」
「そんなわけないだろ。俺はあいつに会っていない」
「うーん、でも、やっぱりななみちゃんだよ?」
「そんなわけ……」
強く否定をしようとして止める。
このニオイとやらに関して、愛苗が今日なんと言っていたかを思い出したからだ。
「その希咲のニオイとやらは、あいつの体臭だとか香水のニオイだとか、そういう意味のニオイではない方か?」
「うん。ない方」
「…………」
もしかして何かを既に仕掛けられているのではと疑いを持つ。
「愛苗。もう少し具体的に説明できないか?」
「え? えっとね……」
『数秒前に役立たずだとか言っておいてなんですかそれは。まずはマナに謝りなさい』
『オイ、やめとけよ。またバレんぞ』
お説教モードのエルフィをルビアが止めているようだが、幸い愛苗ちゃんは弥堂に集中しているようで今回は気付かれなかった。
少しの間、「むむむ……?」としてから愛苗は弥堂に手招きをする。
「ユウくん。ちょっとこっちきてくれる?」
「あ?」
ベッドの脇に椅子を置いて座っているのでこれ以上近寄りようもないのだが、弥堂は一応言うとおりにして上体を彼女の方へ近付けてやる。
すると、愛苗は弥堂の胸の中心に片手の掌を置いた。
彼女の手が触れたことで、自身の心臓の音を感じる。
「たぶん、ここ?」
「どういうことだ?」
「ここに、七海ちゃんがいる」
「…………」
「あっ、気を付けるッス! めっちゃイライラしてるッス」
メロがなにやら警告をするが、愛苗はまだ弥堂の胸の奥に集中していて耳に入っていないようだ。
「あ、うそだったかも。ごめんね?」
「まったくわからんのだが」
「あのね? 今はいないんだけど。でも、ここまで届いてるの」
「届く?」
「うん。虹の橋。みんなをつなぐ……」
「…………」
「それで、きっと……。いつか希望のお花を――ぁいたぁーっ⁉」
「チッ」
弥堂はなにやらブツブツと喋る愛苗の頭を引っ叩いた。
つい手が出てしまった後で遅れて舌打ちが出る。
「なんでぶつのぉー?」
「オマエ唐突に暴力すんのやめろよッス!」
愛苗ちゃんのお目めはうるうるだ。
その足元ではネコさんがふしゃーっと威嚇をしている。
弥堂は仕方ないので言い訳をした。
「すまない。今のはミスだ」
「え?」
「叩くつもりはなかったんだ」
「そうなの?」
「あぁ。お前がいきなりポエムをするからついな」
「ぽえむ?」
「そうだ。日常生活の中で唐突にポエムを読み始めるのはメンヘラの証だ。それを続けるとメンヘラになる。もう二度とするなよ」
「えっと、ごめんなさい?」
「よし。許してやる」
「えへへ、ありがとう」
「なんで立場が逆転してんッスか……」
不思議な仲直りをする二人にメロは眩暈を覚えてしまった。
「じゃあ続きするね」
「あぁ、いや。もういい」
また胸に近づいてきた愛苗の手を弥堂はやんわりととってやめさせる。
「もう終わり?」
「あぁ。もういい」
「なんで?」
「もう大丈夫になったからだ」
「そっかぁ……」
「なんで残念そうなんだよ」
もう少し七海ちゃんを感じたかった愛苗ちゃんはションボリだ。
しかし、弥堂の方はもう希咲の話を聞きたくないのでどうしても打ち切りたい。
『結局こうやって結論を投げるんだよなァ』
『この子の悪い癖です』
「あれ? みんなもざんねん?」
「…………」
性懲りもなく出てきて呆れのお気持ちを表明した女たちは、またすぐに逃げて行った。
「でもユウくんのションボリの原因はもういいの?」
「あ? あー」
そういえばそんな話だったかと思い出す。
というか元々それが本題だった。
それを正直に愛苗に話してみようという試みだったはずだが、弥堂としては先に話したことの内容の方が重要になってしまい、この後はもうどうでもよく思えてきた。
「そうだな。というか、メンタルに不調を来した原因には実は見当がついているんだ」
「そうなの?」
なので、話をやめるも進めるも決断しないまま、適当にそのまま話し出してしまう。
「あぁ。イカレ女のせいだ」
「いかれおんな……、さん?」
弥堂の口から出てきた独特な名前の人に愛苗は首を傾げてしまう。
「えっと、お友達?」
「そんなわけはない。イカレてる人と友達になったりしない」
「そ、そっかぁ。なんてお名前なの?」
「イカレ女だ」
「えっと、どういう人なの?」
「イカレてる女だ」
「なんでそういうお名前なの?」
「イカレてる女だからだ」
「えと、イカレてるの?」
「イカレ女だからな」
「そっかぁ……」
どうしようと、愛苗はメロへ視線を向ける。
すると、メロはコロリと転がってから毛繕いを始め、自分はただの愛らしい動物さんなのだとアピールした。
ジブンの手には負えないのサインだ。
ここは自分が頑張らねばと、愛苗ちゃんは「うんうん」と頷いて気合いを入れる。
「えっと、その人が“や”になっちゃったの?」
「あぁ。なにせイカレてるからな」
「イカレ女さんと一緒に遊んだ時に?」
「あんなもんと遊ぶわけねえだろ。別に会ったわけじゃない」
「えっと、じゃあ前にイジワルされちゃったのかな?」
「イジワルだと? あのな、あの女はそんな……、まぁ、イジワルではあるか……」
弥堂は反射的に「そんな生易しい女ではない」と反論をしようとしたが、途中で間違ってはいないなと思い直してしまった。
「あのね? ユウくん。もしかしたらイカレ女さんにもなにか事情が――」
「――あ? 関係ねえよそんなもん。事情があろうがなかろうがあの女は――」
「――マ、マナ、ストップッス! これ地雷ッス! 一瞬でかつてないほどパチギレてるッス!」
「え? え?」
早口で何かを捲し立てようとする弥堂の様子に「こりゃいかん!」とメロはタオルを投げ込んだ。
両者の間に入り試合を止める。
「あ、あの、ごめんね? 私、イカレ女さんをヒイキしたわけじゃないの。私はユウくんの味方だからね」
「…………」
謝ってくる愛苗を見て、弥堂も冷静になる。
彼女相手に言っても仕方ないし、何よりこの愛苗の口から「イカレ女」という言葉が出てくるのが少し面白くなったからだ。
「あ、ちょっと機嫌よくなったッス」
「うるさい黙れ」
余計な口ばかり利く悪魔を掴んで投げ捨てる。
話はもうめちゃくちゃになってしまったが、それをどうにか終わらせなければならない。
「夢をよく見るようになったと言っただろ?」
「あ、うん」
そうすると、やはりそのまま正直に話すしかない。
仕方ないのでそれを口にする。
「イカレ女は過去の知り合いだ。そいつがその夢に何度か出てきてな」
「“や”になっちゃったの?」
「……あぁ。そうだ」
その言い方をやめて欲しかったが、弥堂はギリギリのところで認めた。
「夢で見るのが過去に実際にあった出来事なんだ。だから余計にムカついてな」
「イジワルされちゃったから?」
「だから……、あぁ、そうだ。イジワルされた」
「えぇ⁉ ユウくんかわいそう……」
弥堂はもう何でもいいかなという気分になってきた。
「そうだ。俺は可哀想なんだ。あの女のイジワルのせいでな」
「ど、どんなことされちゃったの? お砂場のお城壊されちゃったとか?」
「…………」
弥堂はヒクリと口の端を引き攣らせる。
否定したかったが、むしろ彼女の城に破壊工作を仕掛けたのは自分の方だったと思い出したのでやめる。
今主張すべきことは、あの女の所業だ。
「あの女はな……」
「うん」
「…………」
だが、結局続かない。
実際のセラスフィリアの所業を説明するとかなりグロテスクな話になるし、難しい情勢や人間関係にも触れざるをえない。当然異世界だの勇者だのも。
とても彼女に聞かせるような話ではなかった。
だが、それでもあの女が悪いということにしたいので、弥堂は話を盛る。
「あの女はな、俺に無理矢理チューをするよう強要してきたんだ」
「えぇ⁉」
「それも大勢の人前でだ」
「は、はずかしいっ」
思ってもなかった大人の話に、愛苗ちゃんは「キャッ」とお顔を手で覆う。
弥堂はさらに追撃をしかける。
「あとは、罪もない牛さんに悪口を言うように命令をされた」
「えぇっ⁉ な、なんて言ったの……?」
「この牛ヤロウ、と」
「そんなヒドイ……っ! 牛さんもユウくんもかわいそう……っ」
「え? ヒドイッスか? むしろちょっとカワイイエピソードなんだが」
同じ動物さんの立場のメロは疑問符を浮かべるが、愛苗ちゃんはすっかり同情して涙目になっていた。
「どうだ。わかったか。どれだけあの女がクソでイカレてるか」
「で、でもでもっ、悪口はよくないけどチューはいいことだよね?」
しかし、だからといって彼女は誰かを悪く言うことに同調したりはしない。
どうにかまだ『みんななかよし』な世界への糸口を見出そうとする。
チッと舌を打って、弥堂は彼女を言い包めにかかった。
「それは違う。お前自身が前に言っていたことを思い出せ」
「え? 私?」
「そうだ。お前は前に言った。チューは好きな人とするものだと」
「あ、うん。そうだね」
「俺はあの女が嫌いだ。だからチューをしてはいけない。そうは思わないか?」
「あ、そう……かも?」
「自分を嫌っている相手に無理矢理チューをするのはよくないと思わないか?」
「それは、だめだよね」
「そうだ。しかも、だ。自分を嫌っている相手に、自分からチューをするよう強要するなど、さらに侮辱的なことだと思わないか?」
「あうあうあう……、だめですぅ……」
「そうだ。およそ人間のすることではない。だからあの女はイカレている」
「うむむむむ……っ」
順調に騙されて愛苗は何も言えなくなってしまった。
さすがの彼女でも擁護できないようだ。
一つ問題があるとすれば、この話が嘘であるということだ。
「そうだよね。無理矢理チューはよくないよね」
「その通りだ」
「チューは好きな子としかしちゃダメだもんね」
「あぁ。チューは好きな子としかしてはいけな俺は一体何を言っているんだ……?」
「オイ、途中で素に戻んな。やるなら最後までやりきれッス」
嫌いな人を貶めたことで満足したら、弥堂は急激に冷静になってしまう。
自身の口走ったことを自覚し自己嫌悪した。
『オォ、スゲェ。あのバカが自分で反省したぞ? こんなこともあるんだな』
『やっぱり……、あの子はやれば出来る子なんです』
その様子を見て、もうどうにもならないと半ば匙を投げていた保護者さんたちが感動していた。
やがて、「うむむむ」と反論に苦しんでいた愛苗が突然その表情を明るくする。
「でもでもっ」
「あ? なんだ? まだあの女を擁護するのか?」
弥堂はもう何も話したくないと彼女を睨むが、愛苗は首を横に振った。
「あ、ううん。イカレ女さんはイジワルしちゃったから、ユウくんが“や”になっちゃってもしょうがないかなって思ったんだけど……」
「じゃあ、なんだ?」
「えっとね、だからやっぱりユウくんはななみちゃんが好きなんだなぁーって、うれしくなって」
「なんだと?」
すると今度は別の嫌いな女の話を持ち込まれる。
「どういう意味だ?」
「だってね? ユウくんはななみちゃんにチューしたじゃない?」
「してない。しようとしただけだ」
「あ、そっかぁ。じゃあ、チューしようとしたじゃない?」
「だからなんだ。してないんだから賠償金は払わんぞ」
「ちがうの。だから、自分からチューしようとしたから、それってななみちゃんが好きってことだよね?」
「そんなわけ……」
弥堂はすぐに否定をしようとしたが、ここまでに適当にペラペラと話した嘘のせいで、それを否定できなくなったことに気が付く。
「テキトーなことばっか言うから……」
「うるさい黙れ」
反論に苦しむ弥堂をメロが残念そうな目で見ている。
決して同情はしていない。
だが、不屈の嘘吐きはまだ諦めない。
さらなる嘘を重ねていく。
「あれは違うんだ」
「え? なんで?」
「実はあの時、俺は希咲に脅迫されていた。チューをするようにな」
「えぇ⁉ で、でも、ななみちゃんはそんなことしないよ⁉」
「したんだ。キミは仲がいいようだから今まで気を遣って言わないでいた。あの女には気を付けろ。イジワルをされるぞ」
「えぇ……? う~ん……? しないと思うけどなぁ……」
ついでに愛苗と希咲の中を引き裂こうとチャレンジしてみたが、あまり効果はなかったようだ。
「チッ、じゃあもういいよ」
自分の嘘を信じて貰えなかった嘘吐きはもう何も話さないと不貞腐れた。
「ユウくん、あのね? 今度ななみちゃんと会ったらお話聞いてあげるね? 多分誤解だと思うの。ちゃんと仲直りできるように、私がんばるね」
「いや待て。それはやめろ」
だが非常にマズイことを彼女が言い出したので、即座に止める。
「え? でも……」
「いいか? 現在の希咲はその時の出来事は忘れているかもしれない」
「そうなの?」
「キミの記憶が人々から消えた影響がどうなっているかわからない。迂闊なことは言うべきではない」
「でも、私じゃなくってユウくんとななみちゃんの……」
「念には念を入れる。他の生徒がどう思っているかもわからないしな。だからまずは俺が確認してみる」
ちなみに、弥堂くんと希咲さんは付き合っているというのが、現在の学園内での公式設定だ。既に詰んでいる。
「俺に任せてみて欲しい。俺を信じてくれるか?」
「……うん。わかったよ。ユウくんお願いね?」
「あぁ。任せろ。何かわかれば都度報告する」
弥堂はどうにか無事にまた愛苗を言い包めた。
「あ、あの……、マナはそれでいいんッスか?」
「え? ユウくんはすごいからきっとすごく確認してくれるよ」
「い、いや、そうじゃくっておよめ……、えっと、こいつとナナミが、なんつーか……」
「? またみんなでなかよしになれるといいね」
「えぇ……? あれ? おっかしーなー……?」
いつも通りにお花畑なことを言う愛苗に、メロが何やら首を傾げている。
そんな様子を見つつ、
(ん……?)
おかしいなと、弥堂も首を傾げた。
愛苗に正直に話をするということで始めたはずが、気が付いたらいつも通りに彼女を適当な嘘で騙していた。
どうしてこうなったのだろうと疑問を持つ。
そもそも何の話をしていたのかすらよくわからなくなった。
だが、彼女と話しているとそれはよくあることだと他責思考に移ろうとすると――
「えっと、コワイ夢みちゃったからユウくんは『ションボリ』しちゃったってことなのかな?」
「あ? なんだって?」
愛苗の言葉に首を傾げたところで、そういえばそんな風な話だったと思い出す。
「あー、まぁ、そうだ。俺はイカレ女の顔を見ると、『世界』中の人間を殺してやりたくなるくらいムカつくんだ」
「それはダメだよぉ」
眉をふにゃっとさせる彼女の顔を見ながら、「それは確かにそうだ」と心中で苦笑いをする。
やってはいけないことだし。
実際にやろうとして、実際は出来なかったことだ。
今のそんな心情を何か感じとったのか、愛苗の眉がさらに下がる。
弥堂は彼女の眉間に指で触れて、皮膚を上に伸ばしてその表情をやめさせた。
彼女は何故か「きゃー」と喜ぶ。
弥堂が指を離すと、今度は彼女は心配そうな顔をした。
「ユウくん疲れてるのかもしれないね?」
「俺が? 別に疲れてなどないが」
「夢ってぐっすり眠ってる時に見るじゃない? 疲れてるからいっぱいぐっすりしてるのかなって思ったの」
「逆じゃなかったか? 夢は眠りが浅い時に見るものじゃないのか?」
いつかどこかで聞きかじっていたような気がして記憶の中を探ってみるが、元々夢を見るメカニズムに興味がないせいか、上手く該当情報を見つけられない。
「そうかなあ? 私いつもぐっすりだよ?」
「お前もよく夢を見るのか?」
「うん。楽しくなっちゃう」
「どんな夢を見るんだ?」
「お。話を広げた。オマエやれば出来るじゃねェッスか」
『そうなんです。この子はやれば出来るんです』
「うるさい黙れ」
「なんでジブンにだけ当たりが強いんッスか!」
「お前に言ってねえよ。黙ってろ」
メロに悪態をつきつつ、口を挟んできたエルフィーネを横目で睨む。
愛苗はマイペースに弥堂の質問に答えた。
「あのね、あんまり覚えてないの」
「ん? 楽しいって言わなかったか?」
「うん、楽しいっ」
「どういうことだ?」
例によって彼女の言葉は難しく、弥堂は首を傾げる。
「えっとね、眠ってる時に夢がないと、何もないじゃない?」
「あー、まぁ、そうか?」
「うん。だけど夢を見てると眠ってる時も起きてるみたいじゃない?」
「それはそうかもな」
自分が夢を見る時の感覚から、そこにはよく同意出来た。
「そうするとね? 1日が倍になったみたいでうれしくなるの」
「……あぁ、なるほどな」
そんな考え方があるのかと珍しく弥堂も感心をする。
だが、それが嬉しいことだとは思えなかったが。
「だが、キミはどんな夢を見たのか覚えてないんだろう?」
「うん。覚えてる時もあるけど、覚えてない方が多いかも?」
「それなのに、どんな夢を見たかもわからないのに、何故嬉しいと思うんだ?」
「えっとね? 朝目が醒めた時にね、私いつもしあわせーって思うのっ」
「いい夢を見たからか?」
「うん。いい夢だった時はもちろんそうだし。覚えてない時も」
「……?」
「だからね? 起きた時にしあわせーって思うから、きっと覚えてなくてもいい夢だったんだと思うの」
「……そうか」
「それで起きた後は一日があるから、またしあわせになれるし、それでまた眠ったらまたきっとしあわせな夢を見られるし。そうやっていっぱいいっぱいしあわせでお得だなーって」
「…………」
「みんなそうやってしあわせになればいいなーって思う」
今日は昨日の続きで、明日は今日の続き。
ずっとずっと終わらない戦いがあるだけ。
そんなクソッタレな時間が終わるのは死んだ時だけ。
死ぬまでずっとクソッタレだ。
「それは無敵だな」
「え? いいってこと?」
完全に自分とは真逆だと思った。
きっと彼女が幸せな人間だからこんな風に考えられる――わけではない。
こんな風に考えられる人間だから、彼女は無敵の魔法少女で、そして幸せを感じることが出来るのだろう。
「そうだな。それはいいことだな」
「えへへ。よかった」
見習おうとは思わない。
自分がそう為れるとは思わない。
だけど、少し前までのように、彼女がそうであることを不愉快だと思うことはなくなった。
「今朝、目が醒めた時――」
「え?」
「――今朝は、しあわせだと思ったか?」
「うん。今日もしあわせーだった。ユウくんのおかげだよ」
「そうか」
「そうっ。ユウくんはどうだった?」
「俺は――」
一度彼女から目を逸らす。
答えに迷ったわけではない。
ただ、「さっきクソだと言っただろ」と余計な口答えをしてしまいそうだったので、一度間を空けた。
「――わからないな。俺は起きてる間だけで精一杯だから。だから代わりに、明日もキミが変わらずに目覚めて。その時に同じようにしあわせだと思ってくれれば、それでいいと思ってるよ」
「私? ユウくんじゃなくって?」
「あぁ。目覚めたお前がクソだと思わないように。そうはならないように頑張ると決めているんだ。なるべくな」
「えへへ。ありがとう」
(少なくとも、二度と目覚めないなんてことだけはないように)
本当の言葉は、やはり心の中だけで呟く。
それでも、余計なことを喋り過ぎたと思った。
「ぅんしょ、ぅんしょ……」
すると、愛苗がなにやらベッドの奥の方に身体をズラし始める。
唐突な行動に弥堂は怪訝な眼で見た。
「なにをしている?」
「あのね? 私もユウくんにしあわせーを分けてあげようって思って」
「?」
「よいしょ。はい。ユウくんおいでー」
ベッドの半分くらいのスペースを空けて、愛苗は弥堂へ両腕を開いて伸ばす。
「なんのまねだ?」
「え? ユウくんおひるねした方がいいかなって」
「まだ昼前なんだが」
答えてから、そういう問題じゃねえなと自分で思い直す。
「あのね? ユウくん疲れてるからおひるねした方がいいと思うの。それでいい夢を見られるように、私いっぱいヨシヨシしてあげるね?」
「冗談じゃねえぞ……」
「はいっ。おいでー」
ようやく彼女が何をしたがっているのかがわかって、弥堂は危機感を覚える。
愛苗は実に嬉しそうにもう一度弥堂へ腕を拡げた。
「くっ、ぅぷぷっ……。ほら、マナもこう言ってることだし、ヨシヨシしてもらえよ」
「正気か」
「こないのー?」
「付き合ってやんねーとガッカリさせちまうッスよ。この後の昼寝から起きた時にマナが『クソが』って思っちまってもいいのか?」
「クソが」
やっぱり余計なことなど言わなければよかったと弥堂は『世界』を呪った。
こんな年下のガキに頭を撫でられて添い寝されるなど屈辱以外のナニモノでもない。
「ユウくん、“や”になっちゃった?」
「…………」
愛苗がお顔をションボリさせると、弥堂はフラフラと引き寄せられるように上体を倒した。
「ベッドに入るのは勘弁してくれ。このまま上体だけでいいだろ」
「えー? そう? じゃあ私、頭抱っこしてあげるね?」
「もう好きにしてくれ……」
弥堂は色々と諦めて、彼女に首をくれてやる。
すると両腕で頭を抱きしめられて、お胸に顔をむぎゅっとされた。
好きにしてくれとは言ったものの、ここで窒息死するのもどうかと思ったので、顔を動かして横を向く。
柔らかいクッションに頬を乗せて、溜息を吐いた。
顔に触れるパジャマから、髪に触れる手から、すぐに高めの体温が伝わってくる。
「えへへー。いいこいいこー」
「寝ても覚めても『世界』はクソだ」
「そんなことないよー? 『世界』さんはみんなやさしーよー」
「みんなくたばれ」
「だいじょーぶだよー? よしよし。ねんねしよーねー?」
「クソが」
図らずも、グズる子をあやすようなカタチになってしまった。
(こんなことで、俺がこんな場所で眠るわけがねえだろうが)
頭を撫でられながら怨嗟を吐く。
仮に眠ろうとしても眠れない。
自宅でさえまともに眠らないのだ。
襲撃を警戒する日々に慣れすぎたせいで、弥堂にとって睡眠とは瞼を閉じてジッとするだけの時間だ。
眠りは常に浅く、熟睡することなど滅多にない。
その熟睡をする時は、消耗しすぎて気絶した時くらいだ。
眼球だけを動かして、壁にかけられた時計を見る。
時刻は11時50分。
もうすぐ昼食になる。
(看護婦がメシを持ってくれば、そこで終わりになるか)
それまでの我慢だと割り切ることにした。
何も考えないようにしたいが、頭の上ではずっと愛苗の声がしている。
「よしよし、ねんねねんね……、え? あ、こっちだよー」
(なんだそりゃ)
「うん、そう。大丈夫だよ、ななみちゃん。こわくないよー?」
(あ?)
「えへへ。私はここだよ? うん。元気だよー」
(なに言ってんだこいつ)
まさか寝かしつけようとしている彼女が先に寝言を言っているのではと疑う。
ギャルナースさんに同じことをした時も彼女はすぐに一緒に眠っていた。
どちらにせよ、自分の頭を使って希咲に話しかけるのはやめて欲しいと文句を言おうとするが、声が出ない。
何故か、ひどく億劫だ。
(……別に、どうでもいいか)
どうせあと10分程度のことだ。
その間動けないのなら、彼女が何を喋っていようとどうでもいい。
ただ、聴かなければいい。
そう考えると、段々と頭上の彼女の声が遠くなっていき――
――ハッと瞼を開ける。
首から上はギュッと拘束をされているようで、頬はなにか柔らかいものに押し付けられている。
頭上からはすやすやとした寝息が聴こえていた。
眼球を動かして壁の時計を視る。
時刻は16時を過ぎたところだ。
「なんだと……っ」
反射的に身体を起こす。
「むぅ……?」
「ん? あ、オマエ起きたんッスか?」
抱き枕がなくなったことで眠っている愛苗がむずがる。
同時に、眠る愛苗の顔の向こう側からメロが顔を覗かせた。
「起きた……?」
「うん。めっちゃよく寝てたッスよ? マナー? 少年が起きたッスよー?」
「むにゃぁ……」
ネコさんに起こされた愛苗が猫のような声を漏らす。
「寝てた……? 俺が? バカな……」
そんな様子も目に入らないほど、弥堂は驚きを浮かべていた。
そんなことはありえないと。
「んんーっ。おひるね気持ちよかったー。ユウくんおはようっ」
「…………」
「? ユウくん?」
何も答えない弥堂を怪訝に思った愛苗がもう一度名前を呼ぶ。
弥堂は敵意のこもった眼でキッと睨みつけた。
愛苗ちゃんのお胸を。
「……くっ、こんなことで勝ったと思うなよ」
「え?」
首を傾げる愛苗を置いて弥堂は席を立ち踵を返す。
そのまま部屋の出口へと向かった。
「あ、ユウくん」
愛苗は慌てて彼を呼び止める。
ドアを半分開けた状態で弥堂は首だけで振り返った。
「えっと、いい夢みれた?」
なにがなんだかわからなかったので彼女は言葉を探し、どうにかそれだけを訊いてみる。
「さぁ。わからないな――」
弥堂は答えて、部屋を出た。
そんな彼を見送った病室では――
「――あれ? あいつあれで帰ったんッスか?」
「えっと、たぶん?」
目覚めて即帰宅の速度にようやく二人は追いついた。
「あいつって、帰る時普通に帰ったことないッスよね……」
「えへへ。いい夢見れてたらいいなぁ」
ヨシヨシ抱っこで散々昼寝したあげく、おっぱいに捨て台詞を吐いて帰っていった男のことをそれぞれに思った。
弥堂は足早に廊下を進む。
夢は見たか。
何か見たような気がする。
どんな夢かは考える必要も、思い出す必要もない。
(最悪の気分だ)
だから、夢もきっと最悪なものだったに違いない。
少なくとも、子供に寝かしつけられるなんて屈辱と同じくらいには。
(寝ても覚めても『世界』はクソッタレだ)
心中で毒づきながら、弥堂は美景台総合病院を後にする。
必要もないのに、つい考えてしまう。
酷く苛々した。
どんな夢を見たのか思い出そうとして、なかなか思い出せない。
そんな時の最悪の気分。
どうせ最悪だとわかっているのに。
最悪な記憶しかないから。
今日は昨日の続きで、明日は今日の続き。
全ての記憶が最悪なら、今日や明日に起こることはその最悪の続きだ。
それをよく知っているのに。




