1章04 Home Room ①
「この中に罪人がいる」
教室内前方の教壇に立ち、クラスメイトたちを睥睨しながら見下すようにそう言い放った風紀委員の男に、希咲 七海は思わず頭痛を堪えるように額を抑えた。
何故、朝っぱらからそんな不穏なことを言い出すのか。存在自体が不穏な男の顔を見れば否が応にも昨日の出来事が脳内でリフレインする。
そのため、これから彼が一体何をやらかすつもりなのか――猛烈な不安感が湧き上がる。
チラっと、自身の親友である水無瀬 愛苗の様子を窺えば、彼女も同じ気持ちなのだろう、心配そうに弥堂を見つめながらあわあわとしていた。かわいい。
少しメンタルが回復した希咲は姿勢を戻し、胡乱な目を弥堂 優輝へと向けた。
『教室内に罪人がいる』などと、普通に生活をしていたらあまり聞くことのない衝撃的な情報を突然渡されたクラスメイトたちが狼狽えるのをつまらなそうに見下ろしながら、騒めきの中で弥堂が動きを見せる。
コツ――と。
折り曲げた指の関節で教卓の天板を一度叩いて音を鳴らす。
然程強く叩いたわけでもないのに何故か室内によく響いたその音の後、教室の騒めきが止む。
その様子を見渡し一拍置いてから鼻を鳴らすと弥堂は口を開いた。
「俺はお前らに大変失望をしている」
続いて発せられた超絶上から目線の全方位へのディスに、教室内はすぐにまたざわつき始めた。
すると――
コツ――と。
弥堂が教卓を指で叩く音が再度鳴らされる。
コッ、コッ、コッ、コッ――と、その音は教室の騒めきが完全に消えるまで一定間隔で鳴らされた。
「罪人とはなにか――」
シンと静まった教室を満足げに見渡してから、今度は何やら禅問答のようなことを言い出した男を希咲は胡散臭そうに見る。
「罪人とは、罪を犯す者……だけではなく、罪人を庇う者隠す者、そして周囲に罪人が居ることに気が付かない全ての間抜けのことだ」
全人類のほとんどを収監しなければならなくなるような暴論を吐いた弥堂は目玉をギョロリと動かし、クラスメイトの一人一人の顔を順に見遣る。
「そして、我々風紀委員会は全ての罪人に関して、その身柄を拘束し拷問にかけることを学園の支配者たる生徒会長閣下より許されている」
「ゆっ、許されてませんっ!」
淡々と告げる弥堂に対してツッコミを入れたのは彼の行動を背後より監視していた木ノ下先生だ。
プルプルと震えながらも気丈に己の職務を果たそうと彼女は弥堂の言葉を否定したのだ。
弥堂はその彼女を特に何の感情もなくただジロッと見遣る。
しばし無言の時間が流れると――
「ご、ごめんなさい…………続けてくだしゃい……」
恐怖に耐えきれなくなった先生はガタガタと震え顔を青褪めさせながら一歩上がり下を向いた。
「も、もういいぞ、先生っ!」
「がんばった! 遥香ちゃんがんばったよ!」
「ありがとう遥香ちゃん! わたし達なら大丈夫だから……!」
「な、なぁ、弥堂……? 先生は勘弁してやってくれよ……な? 頼むよ……っ!」
すかさず生徒達からフォローの声が飛ぶが、木ノ下先生はワッと両手で顔を覆ってしまった。
弥堂としては別に自身の担任教師を害する心づもりなどなく、発言を遮られたから何となく彼女を見ただけだったのだが、大人しくしていてくれるのなら何でもいいかと背後でメソメソと泣くいい歳をした女を無視して生徒達へ向き直る。
そしてコッ、コッ、コッ、コッ――と、再び静寂が訪れるまで音を鳴らした。
「さて、今言った『罪人とは何を指すか』そして『罪人を我々がどう扱うか』という情報を各人念頭に置いてもらった上で、我々風紀委員会より貴様らに報告がある」
(あ、あいつぅ……っ! 遥香ちゃんまで泣かすんじゃないわよ……!)
妙に重たい空気感を演出して勿体つけて一体何を言うつもりなのか。
彼の次の発言内容が気になりつつも、どうせとんでもなくロクでもないことだろうから聞きたくないという気持ちもある。
そして、現在の彼が中心に立ち作り出しているこの状況。
この状況下で彼を見ていると様々な感情に囚われる。
希咲の家族である今年中学生になったちょっとヤンチャでおばかな弟に対して抱くのに似た『何かやらかさないかしら』と不安でソワソワする感情。
トンデモ男が偉そうにしながら好き勝手にトンデモ行動をするのにムカついてイライラする感情。
『あんたこんなことばっかしてたら余計に嫌われて避けられちゃうでしょうが……!』と、まるで心配をしているかのようなハラハラとした感情。
昨日彼と過ごした時間の中で何度か経験した、そんな様々な感情で胸の内がグチャグチャになる感覚により、まだ本日の授業は一科目も消化されていないのにも関わらず希咲は激しい疲労を覚えた。
もう止めさせた方がいいのではないか。
今すぐ飛び出して行って奴の後ろ頭を引っ叩き席に大人しく座らせて、後のことは野崎さんにお願いする。
何故かそれを自分がやらなければいけないと希咲は謎の使命感に駆られるも、HR中に勝手な行動をとってはいけないという極めて常識的な価値観との間のジレンマに苦しみ、どうしたものかとお口をもにょもにょさせた。
希咲が逡巡している間にも状況は進んでいく。
「今朝、重大な校則違反が発覚した」
短く告げて、弥堂は教室内の生徒達の様子を観察する。
わかりやすく態度の変わった者が何名か居た。中にはあからさまにガタッと机を鳴らして狼狽えた者まで居る始末だ。
フンとつまらなそうに鼻を鳴らし、とりあえず今はそんな連中も泳がせておくことにする。
「今朝――と言ったが、なにも校則違反は今日に始まったことではない。当学園の治安は日々悪化の一途を辿っている。それが何故だかわかるか? おい紅月。答えてみろ」
「え?」
突如弥堂に話を振られた紅月は困惑しつつも、しかし彼は特に弥堂に対して恐れを抱いていないので堂々と答える。
「そんなこと僕に訊かれてもなぁ……それよりも弥堂。あんまり酷いことをみんなに言うものじゃ――」
「――お前は毎日毎日随分な数の女を侍らせて街を練り歩いているそうじゃないか。報告は届いているぞ?」
「えっ――⁉ あっ、いやぁ…………ゴメン。ちょっと僕には難しい質問だったかなぁ、アハハ……」
しかし、恐れてはいないものの的確に自分の一番のウィークポイントを突かれて彼は笑って誤魔化した。
弥堂は鼻を鳴らし首を右へ動かす。
「おい、仁村」
「ひっ――⁉」
元空手部の仁村君に声をかけると彼は過剰に怯えた反応をした。
仁村君は以前に空手部の練習中に弥堂にカチこまれ、暴力をもって廃部に追い込まれた時のことがトラウマになっており弥堂を強く恐れていた。そして弥堂はそのことを正確に理解している。
「仁村。何故我が校はこんなにも風紀が乱れているんだ? わかるか?」
そうはっきりと問われるも仁村君は何も答えられない。
下を向いてハッ――ハッ――と短く息を吐き出し続ける。
弥堂はすぐに彼に興味を失くし矛先を他へ向ける。
「おい、鮫島。お前はわかるか? 何故学園の治安が脅かされているのか」
「あ? んなのテメーのせいだろうが――」
「――うるさい黙れ」
「こっ、このやろう……っ!」
気の強い元キックボクシング部の鮫島君は誰もが思っていることをキッパリと答えたが、自分から訊いてきたくせに強引に黙殺され怒りに拳を震わせた。
「こんな簡単なことに誰一人答えることが出来ないとはな……お前らは本当にどうしようもないな」
心の底から見下している。そんな眼を教壇の上から自分たちへ向けてくる風紀委員の男に生徒たちは激しく憤った。
「いいか? 頭の悪いお前らに俺が親切にも教えてやる。何故我が校の風紀が乱れるのか……」
再び教室中を睥睨する。
「それは、お前らがクズだからだ」
端的に人格を著しく貶める言葉を放つ弥堂に、生徒達もいい加減ライン越えだとばかりに怒号を投げ返した。
弥堂は自身に飛んでくる無数の罵詈雑言を涼やかに聞き流し、拳を握るとゴンっと教卓に振り落とした。
再び教室はシンと静まる。
その静寂を見渡しながら弥堂はコッ、コッ、コッ、コッ――と、今度は指先で天板を叩く。
「いいか? 我々はいつでもどこでも貴様らを監視している。気付かれていないなどと思うなよ?」
弥堂の鳴らす音が沈黙する教室内に木霊する。空気がより張り詰めたものに変わっていくように感じられた。
「いるだろ? この中にも。校則違反に心当たりのある者が」
再び何名かの生徒達が肩を揺らす。
彼ら彼女らには弥堂が鳴らすコッ、コッ、コッ、コッ――という音が、まるで自らが閉じ込められた牢屋へと近づいてくる看守の足音のように聴こえた。
ゴクリ、と誰かが喉を鳴らした音が響く。
教室内の緊張感は最高潮に達しようとしていた。




