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俺は普通の高校生なので、  作者: 雨ノ千雨
3章 俺は普通の高校生なので、帰還勇者なんて知らない
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3章02 5月7日 ④


 悪の風紀委員による下級生への不当な尋問は続いている。



「拷問部屋が嫌ならこのまま家庭訪問に行くか? 川向こうの三丁目なら俺も土地勘がある。お前の家など簡単に……、ん? 三丁目だと……?」



 より直接的な脅迫をしようとして、弥堂は自身で口にした言葉に違和感を覚えた。


 あの新興住宅地の三丁目といえば――



「は、はい。キレイな花屋さんがあるんですけど。そこの二つ先の角を――」


「――花屋だと?」


「ひっ――⁉」



 颯太くんの言葉に弥堂の魔眼がギラリと蒼白くギラつく。


 その妖しさに颯太くんは思わず女子のような悲鳴をあげた。



「おい、何故今、花屋のことを持ち出した?」


「え?」



 三丁目のお花屋さんといえば愛苗ちゃんの実家である“amore(アモーレ) fiore(フィオーレ)”だ。


 彼がその近くに住んでいることも、今そのことを口にしたのもただの偶然だ。


 しかし処置の不可能なメンヘラ男はそうは考えない。



「貴様。俺を脅迫しているのか? 随分と命知らずだな」


「なんでそうなるんですか⁉」



 当然、弥堂のことも彼の抱える後ろめたい事情も何一つ知らない颯太くんはびっくりする。



「ここで、このタイミングで花屋だと? 怪しいな貴様」


「意味がわかんないですよ!」


「ところで貴様はいつからその辺に住んでいるんだ?」


「え? その、ボクの地元はこの辺じゃないので、つい最近引っ越してきました」


「なんだと?」



 胸倉を掴む弥堂の手にさらに力がこもる。



 他の地方からこの学園を受験し、合格したので引っ越してきた。


 ただそれだけの普通のことなのだが、弥堂はそう考えない。



「そうか。貴様はスパイではなく刺客だったか。俺が呼び止めなければ背後から俺を刺すつもりだったんだろ? ナメやがって」


「この人なに言ってんの⁉」



 弥堂と愛苗の事情からするともしかしたらそんなこともあるかもしれない。


 だが、『世界』は彼を中心に回っているわけじゃないので、赤の他人には何の関係も無いし、意味がわからないだけだ。



「ここまで証拠が揃ってまだ自分が潔白だと白を切るつもりか?」


「証拠ってなんのことです⁉」


「いい根性じゃないか。ところで、お前の親父はなんの仕事をしている?」


「え? お、お父さんはシステムエンジニアで……」


「聞いたことのない職だな。適当に横文字を並べたら騙せると思って、存在しない職業を言っているだろう? あまり俺をナメるなよ?」


「え? ふ、普通によく聞くと思いますけど……」


「黙れ。で? ヤサはどこにある?」


「ヤ、ヤサ? オフィスのことですか?」


「なんでもいい。答えろ」



 颯太くんは「この先輩もしかして馬鹿なのかな?」と内心で首を傾げながら、こんな目に遭わされているというのに質問には素直に答える。



「あの、隣街の……」


「隣街? 便利な言葉だな。上下左右どこにも隣はあるが?」


「でも下は海だからそっちには――」


「――うるさい黙れ。さっさと答えろ」


「で、ですから、江東区だから地図上だと左になるのかな? 役所とかある所の近くだって聞きました」


「なに?」



 颯太くんの答えに弥堂の眼はさらに細められる。


 彼が今言った場所は以前に弥堂の父が働いていた場所の近くだ。


 今の職場は知らないが、もしかしたらまだその辺りで働いているかもしれない。


 つまり、彼が今口にしたことは「それを知っているぞ」という脅迫だ――と、弥堂は受け取った。



「貴様随分と強気だな。この俺にそこまで言って五体満足で帰れると思うなよ」


「先輩が聞いたんじゃないですか!」



 ギリギリと締め付けられて颯太くんは震えあがる。


 こんなに会話の成立しない人間に出会ったのは初めてだった。


 色々と恐すぎてとうとう彼は涙目になってしまう。



「依頼人は誰だ? もしかしてお前を差し向けたのは紅月じゃないのか? 言え」


「え? 紅月……?」



 しかし、ここで颯太くんにも聞き覚えのある名前が出てきたことで、今度は彼の方も怪訝な顔をした。



「あ、あの、なんで紅月さんが……」


「あ? 紅月“さん”だと? ふん、ようやく白状したな? 言質はとったぞ」


「なんのことですか⁉」



 ついに自白をさせたと弥堂は勢いづく。



「ここまで上手く躱していたようだが、紅月の名に反応するとはイージーなミスだな。素人め」


「し、しろうと……? あの! 紅月さんとは同じクラスで……、というかボク、隣の席で……っ!」


「スリーアウトだ」



 弥堂はドクンっと心臓に火を入れて魔力の生成を開始した。



 今のこの時勢で――


 たまたま愛苗の実家の近くに最近引っ越してきて――


 たまたま弥堂の父の職場の近くで働いていて――


 たまたま紅月 望莱と同じクラスの隣の席で――


 そんな人物が、誰もが避けている弥堂に用もないのに自分から声をかけてくる――



「――そんな偶然があるものか。貴様死にたいようだな」


「ひぃぃっ……⁉」



 目ん玉ガンギマリのイカレた先輩に吊るし上げられて颯太くんは怯える。


 もちろん今挙げたことは全てただの偶然だ。


 彼にはこんな扱いを受けなければならない理由など何一つない。


 強いて言うなら、運がなかったのだ。



「ノコノコと間抜け面を晒しやがって。後悔すら出来ると思うなよ――」



 殺す理由が3つ。


 生かす理由は零。



 弥堂は颯太くんの胸倉を左手で持ち直し、右の手を顎の下で逆手に構える。


 そして、この世界には存在しないレイス化の魔術式を展開した。


 先日会得したばかりの零衝の最終奥義の練習台として、下級生の魂を跡形もなく消し飛ばし殺害することを決める。


 だが――



「――ねぇー? あの1年の子ちょっとカワイクない? 何組なのかな?」

「A組って言ってなかった?」



――周囲から有象無象の声が聴こえてくる。



 弥堂は舌打ちをして構えを解いた。


 いくらなんでもここでは目撃者が多すぎる。


 なんの準備もなしに皆殺しにして口封じをするのはいくらなんでも不可能だと思えた。



「ねーねーキミ、お名前なんて言うのー?」



 野次馬の中の上級生女子が気さくに颯太くんに声をかけてくる。



「え……? あの、幸馬 颯太です……」


「そーたクンだって! かわいー!」

「今度お姉さんたちと遊ぼうねー?」


「は、はぁ……」



 颯太くんは戸惑う。


 自分の認識が間違っていなければ、現在自分は上級生に暴力を奮われようとしているはずだ。


 そんな状況の自分に対し上級生がかけるべき言葉として、今のは適切なものなのだろうかと疑問に思った。



 この私立美景台学園において、人間が殴られることなど何も珍しいことではない。


 そんな学園生活にすっかりと順応した在校生たちは、これくらいのことでいちいち危機感を覚えることはなかった。



「そ、それより助けてください……っ!」



 だが、当事者はそれでは済まない。


 ハッと我にかえった颯太くんは、今しがた声をかけてきた上級生のお姉さんたちに助けを求めた。


 しかし、お姉さんたちはスッと目を逸らす。



「えっ……⁉」



 驚き、そして縋るように今度は他へ視線を向ける。


 だが、先程面白おかしく喋っていた男子の先輩たちも、まるで訓練でもされているかのように揃ってスッと目を逸らした。



 この学園においてこの程度の騒ぎを目撃することなど何も珍しくはない。


 だが、その騒ぎの当事者や被害者になるのは誰もが御免なのだ。



 美景台学園は数の多い不良生徒たちと風紀委員会のせいで治安がよろしくない。


 ここで学園生活を送る上では、自分の身は自分で守らなければならないというのが生徒たちの常識だ。



 例え事情を知らない新入生だとはいえ、一度学園の制服に袖を通したならば――


 タチの悪い上級生に絡まれても誰かに助けてもらえるだなんて、そんな甘えた考えは一切許されないのだ。


 それは“ダイコー生”として最初に覚えるべき基本的な心構えだった。



「そ、そんな……、こんなのおかしいですよ……っ!」



 まだシャバっ気の抜けていない1年生が悲痛な叫びをあげる。


 しかし、これもまた誰もが通った道なのだ。


 この理不尽への挫折から立ち直り、そして再度この正門を潜って登校した時に、ようやく真の意味で『ダイコーへようこそ!』と仲間として歓迎される。


 颯太くんはそんな世の中の冷たさと厳しさを知り、愕然とした。



「ち、仕方ないか」



 多くの生徒に理不尽な挫折を強いている主な原因は不満そうに独り言ちる。


 この場での刺客(仮)の殺害はとりあえず中止にすることにした。



 だが、弥堂は脳内で『1年A組 29番 幸馬 颯太』を監視対象としてしっかり記憶する。



「――あ……」



 そして彼の胸倉を離して解放してやった。



「あ、あの、許してくれるんですか……?」


「とりあえずこの場ではな」



 窺うように弥堂の顔を見上げると、変わらぬ冷たい眼が颯太くんを見下ろしてくる。



「じゃ、じゃあ、ボクはこれで――」


「――待て」



 颯太くんはこの機に急いで離脱をしようとしたが、あえなく呼び止められてしまう。



「誰が行ってもいいと言った」


「え……?」


「無事に帰りたいか?」


「は? そ、それは、もちろん……」


「ふん」



 弥堂はつまらなそうに鼻を鳴らし、再度眼光を鋭くする。



「条件次第ではこのまま帰してやる」


「こ、これ以上いったい何を……」


「仲間がいるだろ?」


「え? 仲間?」



 また意味のわからない質問を投げかけれて颯太くんは首を傾げる。



「友達のことですか? それならクラスに少しだけ……。ボク地元じゃないから頑張って……」


「へぇ」



 もしも同じクラスの生徒たちがここの地元の子たちばかりだったら、他所から来た自分は仲間に入れないかもしれない。


 クラスの人間関係の基本的なカタチは、大体が最初の一ヶ月で決まってしまうのだ。


 故に、G.Wに入る前に誰かと仲良くなってどこかのグループに入れなければ、そのまま一年間ぼっち生活を送るハメになりかねない。



 その可能性を危惧した颯太くんは、入学してからまず友達づくりに力を入れた。


 元来内向的な性格だったのだが、無理をしてでも明るく振る舞うよう心掛け、自分から積極的にクラスメイトたちに話しかける努力をした。



 その甲斐もあって、颯太くんは何人かのクラスメイトと無事に友達になれた。


 連休中には何回かその友人たちと遊びに出かけたりもした。


 とても充実した連休だった。



 これなら知らない土地での高校生活もどうにか上手くやっていけそうだと颯太くんは安心をする。


 それに、今日は会うことは出来なかったが、彼の隣の席となった女生徒は見たことのないレベルの美少女だ。


 そんな女の子が、冴えない自分にも気さくに話しかけてくれる教室。


 彼は新生活に何の不満もなく、大きな希望を抱いていた。



 だから、連休中に会えなかったクラスメイトたちにも早く会いたいなと、今日ははりきって登校をした。


 そして何日ぶりかに会う他のクラスメイトたちとも仲良くお喋りができた。


 全ては順調で、明日の登校にも期待をしながら足取り軽く下校の道についた。



 なのに、コレである。


 バラ色だったはずの世界は、出会ってはいけないものに出遭ってしまっただけで一瞬で色褪せてしまった。



「お前のその友達とやらもスパイなんだろ?」


「そ、そんなわけないですよ!」



 どうしてこんな会話をしているんだろうと、颯太くんは疑問に思う。


 だがここでしっかり否定をしておかないと、せっかく出来たクラスの友達に迷惑をかけてしまうかもしれない。


 颯太くんは必死に首を横に振った。



「へぇ? 仲間思いなんだな」


「だ、だって、みんないいヤツだし……」


「しかしお前の仲間はそうは思っていないようだな」


「えっ?」



 弥堂は嘲笑をし、そして適当に口を回す。



「幸馬 颯太。俺はここまでお前のことを知らない風に振舞ってきたが、それは嘘だ――」


「え――⁉ ど、どういうことですか……⁉」



 意味深な弥堂の言葉に颯太くんは強い不安を覚えた。



「貴様のことは知っているぞ。その名前はよく聞いている。お前の仲間からな……」


「え……? そ、そんなわけ――一体誰のことなんですか……⁉」



 驚きに目を剥く颯太くんを弥堂は鼻で嘲笑い、たっぷりと焦らしてから回答する。



「それはアレだ。お前の前の席の……出席番号27番あたりだったか……?」


「も、もしかして飯島石(めししませき)君のことですか⁉」



 それは1年A組の教室で颯太くんの前の席に座る男子で、一番最初に出来た友達だ。



 当然弥堂はその人物のことなど知らない。


 これは以前に法廷院が希咲に仕掛けたのと同様の誘導だ。


 弥堂の詐欺テクニックは日々進化を続けていた。


 だが――



「あ? あぁ、そう。そうだ。その“めししま、せくん”……? そいつだ」


「ボ、ボクの友達です……っ! その飯島石(めししませき) 澄空(すみそら)君が一体なんだっていうんです……⁉」


「ふ、言ったとおりだ。俺はそいつからお前のことを聞いていた。普段友達ヅラしてお前の近くに居る、その“さめしま……すせそ……?”君から……、鮫島(さめじま)だと?」



――対象がちょっとまず聞かないレベルの珍しい名前だったので、半分失敗している。


 自分のクラスメイトの鮫島くんに若干引っ張られて弥堂自身も若干混乱してしまった。


 しかしそれでも純真な颯太くんはこんな質の低い嘘に騙されてしまう。



「そ、そんなはずない! だって……、ボクたちは友達なんだ……!」


「だからそう思っているのはお前だけだったということだ。利用されたんだよ、お前は。さしすせそ君にな」


「利用……? 何を言ってるんです……?」


「いいか? さしすせそ君はスパイだ。お前は捨て駒にされたんだ」


「す、すてごま……?」



 この先輩が何を言っているのかまるでわからない。


 普段なら「この人頭おかしい」と一笑に付すような妄言だ。


 だがこのように異常な人と事態に慣れていないため、颯太くんはすっかり混乱してしまっている。



 それに飯島石君のクラスでの仇名は、大体“イイジマ君”か“さしすせそ君”だ。


 それを知っているということは、この先輩は本当に飯島石君と知り合いなのだと――信憑性を感じてしまった。


「しめた」と弥堂は幼気な下級生をさらに誑かす。



「よく思い出してみろ。なにか怪しい素振りがあったんじゃないのか? さしすせそ君には」


「怪しいだなんて……。だって、昨日だって一緒にカラオケに行って遊んだんです……!」


「その時に不自然に席を外した時はなかったか? 『トイレに行く』などと言って」


「それは、確かにあったけど、でも……」



 カラオケ店でトイレに行くなんてことは誰だってする。


 当たり前のことなのだが、社会経験の少ない一年生はすっかりと悪い先輩に疑念の種を植え付けられてしまった。



「お前は捨て駒だ。鉄砲玉にされたんだよ。だが、それはさしすせそ君の陰謀ではない。彼もまた利用されている駒の一つに過ぎないんだ。真の黒幕はまた別にいる」


「く、黒幕ですって……⁉」



 中学を卒業したばかりの颯太くんは急展開の連続にドキドキする。


 彼は割とアニメとか好きな方だ。



「女だ。お前の隣の席の女。紅月 望莱――全てはあの女の差し金だ」


「え――⁉」



 まさかの名前に颯太くんは一瞬目の前が真っ白になる。


 確かにそれは彼の隣の席に座る女子の名前だ。


 何故この先輩の口から彼女の名前が。



「お前もあの女に頼まれたんだろう? 俺を狙えと。いくらもらったんだ? 言え」


「…………」



 弥堂の喋る話の設定は割と滅茶苦茶になっていた。


 しかし、低予算アニメに慣らされて育った今どきっ子の颯太くんにはそんなことは気にならない。


 そんなことよりも――



「嘘だ――ッ!」


「む?」



――颯太くんは激昂したように声を荒らげる。


 弥堂は様子の変わった彼への警戒心を上げた。



「紅月さんがそんなことするわけない! 彼女がボクを騙すなんて……!」



 強い言葉で弥堂の言うことを否定してくる。


 その目は大分マジだった。



「紅月さんはすごく優しい子だ! 嘘を吐いたり騙したりなんかしない! 紅月さんは清楚で、素直で、少し人見知りするとこもあるけど……、でも仲良くなるとちょっと意地悪な冗談を言ってきたり、言った後でちょっと恥ずかしそうにしたり……、少しだけ病弱なところもあるから守ってあげなきゃいけないんだ……!」



 あと、もう一つ重要な要素を付け加えるなら、顔が頗る良いという点だ。


 どうやら初心な颯太くんは、みらいさんに遊び半分に誑かされているようだ。



 しかし弥堂も望莱の本性などは知らない。


 それよりも――



「…………」



――急な頭痛に襲われた弥堂は、思わず瞼を閉じて眉間を揉み解す。


 決して目の前に浮かんだ、『まだ猫を被っていた頃のセラスフィリアに今日あった出来事を楽しげに話すクソガキの姿』という記憶から眼を逸らすためではない。



「紅月さんは……、紅月さんは……、うわあぁぁーーん――っ!」


「あ――」



 ちょっと一回死ぬかどうかを考えている隙に、癇癪を起した颯太くんが踵をかえしダッと駆け出す。


 そして止める間もなく泣きながら正門の外へと行ってしまった。



「……まぁ、いいか」



 疑心の種は植えこんだ。


 あとは仲間同士で醜く疑いあって勝手に人間関係を崩壊させてボロを出すだろう。


 ヤサはもう押さえてることだしなと、弥堂は奪ったままだった颯太くんの生徒手帳をポケットに仕舞う。



 そして何事もなかったように元の仕事に戻ろうとする。


 周囲の野次馬たちは彼と目を合わせないようにサッと視線を逸らした。



 自身の周囲で起こる物事を全て自分に関連づいた不幸だと思い込み、無関係な他人に無差別に噛みついてくるメンヘラ男など社会の害悪でしかない。


 弥堂の起こす騒動を野次馬はしても、決して直接は関わりたくないのだ。



 しかし、中には奇特な者もいる。



「――あら? 弥堂クンじゃない」


「む?」



 散らばろうとする野次馬たちの隙間を通って近づいて来る女生徒が居た。



(誰だ?)



 弥堂は不審げに眉を顰める。


 知らない生徒だ。


 その女生徒にはパッと見、地味な印象を受けた。



 校則の範囲内で作られた髪型の黒髪。


 ほぼ校則通りに身に着けられた制服。


 顔や声にも際立った特徴は無い。



(1年か? ナメた口を……)



 知らない顔だということは1年生だ。


 それが先輩である自分に馴れ馴れしくタメ口をきいてくる。


 相手が女子だからといって手心を加えるような男ではない。


 暴力を以てシメてやろうかと拳を握ろうとしたところで――



(――いや、待て……)



 知らない顏だと思ったが、こちらへ歩いてくる女にどこか見覚えがあるような気がした。


 それもわりと最近のことだ。


 弥堂は魔眼に魔力を流し、記憶の中の記録を探る。


 すると――



「…………あぁ」


「ふふ、連休のせいでなんだか久しぶりに感じるわね」



――声をかけてきたのは同じ2年生の白井 雅だった。



 彼女は誰かに特別関心を持たれない地味な女子として日々を過ごしつつ、放課後は法廷院 擁護(ほうていいん まもる)が率いる集団の活動に勤しんで他の生徒に迷惑をかけている系の女子だ。


弱者の剣(ナイーヴ・ナーシング)』の構成員の一人であり、弥堂も希咲と一緒に彼らとは先月に一度揉めている。


 それはまだ一ヶ月も過ぎていない最近の出来事だったのだが、随分と前の話のように思えた。



(そういえば居たな。こんなヤツ……)



 思い出そうとすれば思い出せるが、弥堂自身が意識していなかったり思い浮かべていなければ簡単に忘れる。


 これが弥堂の記憶能力の欠陥である。



 弥堂は戦闘態勢は解除し、だが警戒心は緩めない。



 この白井さんは、クソの役にも立たないくだらない思想で自身の不満を正当化し社会の足を引っ張るゴミのような存在であり、女としても特別目を見張るような価値のない人物だ。


 しかし、彼女は特級呪物に分類するレベルのメンヘラである。


 地味な見た目とは裏腹に非常に攻撃性の高い女生徒なのだ。



 彼女の正体を思い出したことで、弥堂は逆に警戒レベルを上げた。


 そんな弥堂の空気などまるで読まず、白井さんは清楚に微笑む。



「風紀委員の活動かしら? お疲れ様」


「黙れ。貴様に言われる筋合いはない」


「あら? 連休の間まるまる放置していたからって、ここで慌てて機嫌をとっているのかしら? 正直嫌いではないわよ?」


「ちぃ、化け物め……」



 わりと直球な罵倒すら脳内で妄想変換して都合のいいように受け取られる。


 清祓課・“G.H.O.S.T(ゴースト)”・傭兵団のプロフェッショナル集団をして『化け物』と謂わしめた弥堂の眼にさえ、この会話不能な地雷女は『化け物』として映った。



 これまでの人生で数々のメンヘラ女に迷惑をかけられてきた弥堂は、この手のタイプには無条件に敵意と警戒を高める。


 相手に動かれるよりも先に問答無用で始末するべきかと、【falso(ファルソ) héroe(エロエ)】の準備に入った。


 だが――



(――駄目だ。目撃者が多い)



 それが出来るのなら先程既に颯太くんを殺害している。


falso(ファルソ) héroe(エロエ)】で消せるのは自分をほんの僅かな時間だけ。


 他人の死体を消してしまうことは出来ないのだ。


 それの所有権は『世界』にある。



「……なんの用だ?」



 仕方ないのでどうにか穏便にやり過ごすべく、相手の出方を探る。


 これから紅月たちとの決戦を控えている中、余計な騒動を起こしたくない。


 先程余計な騒動を起こした男はそう考えた。



「用がないと話しかけてはいけないのかしら?」


「駄目だ」


「ふふ、今日も連れないのね。でも残念ながら用はないわ。下校の途中で見かけたから声をかけただけよ。ここは正門だし、知り合いに会ったら挨拶くらいする。普通のことでしょう?」


「随分ともっともらしい理屈だな」



 白井さんの言っていること自体は特に何も間違ってはいない。


 しかし相手は人の姿をして人の言葉を発音するだけの怪物だ。


 通常の日本語と同じ意味でそのまま受け取ると痛い目を見る。


 弥堂のメンヘラセンサーは喧しく警戒音を鳴らしていた。



「悪いが見ての通り仕事中だ。邪魔をしないでもらおう」


「言ったでしょう? 私は弁えた女よ。男の仕事の邪魔はしないわ」


「そうか。失せろ」


「ところで弥堂クン。例の件は――」


「失せろ」


「ちょっと!」


「黙れ。失せろ」



 弥堂は相手の言葉をパワハラでゴリ押しして封殺する。


 メンヘラへの特効はパワハラだ。


 加減を間違うと刺されたり訴えられたりもするが、万が一刺されても弥堂は死に戻ることが出来る。実質ノーダメだ。


 仮に裁判になったら裁判所ごと爆破すれば、証拠も原告も一纏めに処分できると考えているので、訴状が届いても実質ノーダメだ。



「まさかこのまま有耶無耶にする気じゃないでしょうね」


「具体的な話は代理人を通してくれ」


「あの女、連休中に送ったメッセ全部スタンプだけ返してきて無視してるのよ」


「知るか。失せろ」


「もう……。まぁ、いいわ。今日は私もバイトがあるからまた今度ね」


「あぁ。失せろ」



 不満を溢しながらも、どうやら白井さんは立ち去ってくれるようだ。


 弥堂は内心で安堵する。



 先も挙げたように、今は日本の闇に潜むワケのわからない異能集団――その中でも厄介そうな紅月の一派との決戦が控えている。


 まだ紅月 聖人への具体的な対抗策が固まっているわけでもないのに、こんな市井のメンヘラ女に構っている暇は弥堂にはないのだ。



 弥堂は自身の脇を通り過ぎようとする白井さんを油断のない眼つきで監視する。



(そういえば――)



 そうしながらふと疑問が浮かんだ。



(例の件とはなんだ?)



 先程白井さんが口にしていた言葉だ。


 弥堂はよくわからないまま適当に応対をしていた。



(どうでもいいか)



 少し気にかかったものの、相手はメンヘラだ。


 どうせ自分の頭の中の妄想の中の出来事を現実の他人との約束かなんかだと思い込んでいるに違いないと決めつける。


 だが――



(――いや……、待て)



――何か強く引っ掛かるものがあった。



 別に白井さん自身に何かを感じたわけではない。


 だが何故かこの時、弥堂の脳裏に浮かんだのは紅月 聖人の顔だ。



(このメンヘラが紅月に、なんだ……?)



 何か重要な見落としがあるような気がして、弥堂は急いで過去の白井さんとの会話の記録を呼び起こそうとする。


 しかし、それよりも速く――



(――そうか……!)



――弥堂はハッと閃いた。



 この瞬間に思いついたのだ。


 紅月 聖人を完全封殺した上で葬り去り、地獄へと叩き落とす手段を――



「――待て」


「うん?」



 弥堂は急いで振り返り、正門へと歩く白井さんを呼び止めた。


 白井さんは首を傾げながら足を止め、ゆっくりとこちらへ振り返る。



 弥堂はその動きを魔眼で監視しながらさりげない動作で右足を僅かに退いた。


 そして左手を持ち上げ天を指差すように掲げる。



「なにかしら?」


「白井 雅……」



 弥堂は相手の名を口にしながら腕を下ろし、ビシっと真っ直ぐに彼女を指差した。




「貴様、孕めるのか――?」




 その言葉は白井さんを射抜く真っ直ぐな視線に乗って突き抜ける。


 そしてこの空間を罅割れさせた。



 連休明けで弛緩したチルチルな空気はその発言によってぶち壊され、放課後の学園の正門前に早速激震が奔った。


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― 新着の感想 ―
なるほど、そういう意味だったんですね。ありがとうございます。これでどう翻訳すべきか目処が立ちました。 ただ……ミカゲ市にはこんな歴史的な背景があったんですね。文化の違いとも地理的隔たりとも言うのでし…
傑作だぜ おなじみの誤解系コメディとスタイルが帰ってきたな。誰はばかることなく驚くべき行動を取り、さりげないところに伏線を張り、プロットを繋げていく…ああ、これでいい 幸馬颯太は多くの人と関わりを…
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