3章01 introduction ➀
「――おかえり! 弥堂君!」
「…………はぁ。ただいま、です」
G.Wが明けて再開された平日。
当然この私立美景台学園高等学校も再開される。
その再開された初日の朝。
HRが開始されるよりももっと早い時間に登校をした弥堂 優輝はサバイバル部の部室へと訪れていた。
当然、朝練の為である。
『災害対策方法並びに遍く状況下での生存方法の研究模索及び実践する部活動』――それがこのサバイバル部の正式名称だ。
要はどんな時でもがんばって生き抜く部活なのであるが、具体的にそれがどういうことなのかは外部に明確に示されてはいない。
外部どころかこの部活に所属する部員である弥堂や、彼を勧誘した部長の廻夜 朝次にも明確なものは共有されてはいなかった。
そんな訳で。
あと数ヶ月でこの部に所属してから1年が経過する今朝になっても、やはり弥堂は自分が何の練習をしにここに来たのかがわかっていなかった。
さらにそれだけでなく。
今朝の朝練が開始する際の部長の廻夜の第一声が今の「おかえり」だったのだが。
何故そう言われるのかも弥堂にはわからなかった。
なにせ。
弥堂の感覚としては、学園が再開されたから家を出て学園に『行った』のだ。
決してここに『帰って来た』わけではない。
だから自分の家でもないこの部室で「おかえり」などと言われる筋合いはないのだ。
弥堂はそう考える。
しかし相手は上司だ。
部長というモノはこの部の実質的な支配者である。
そんな王に等しい存在が「おかえり」と言ったならば、それに相応しい返礼をしなければならない。
例え自身が正しかったとしても、目上の者の間違いを正すのは不敬にあたる。
だから弥堂は内心はともかく、とりあえず口先で「ただいま」と発音した。
そしてその後は視線は廻夜の方へ向けつつも、意識は何もない虚空へとやる。
この件について真面目に考えると、言いたくもないことを言わされたことにイライラするからだ。
上司にイラつくことも勿論不敬だ。
なので、弥堂は適当な虚空を見つめながら、ぼんやりと金の指輪についてでも考えて自身の存在を薄めることにした。
そんな弥堂の内心など知らず。
可愛い後輩部員の“ごあいさつ”に廻夜は大きく頷き、その大らかなお腹を満足げに揺らした。
そして舌を回転させる。
「うん。キミが壮健なようで何よりだよ。キミのその地中深くにまで根を張った巨木のように動じない様は見ていて安心するね。まるで僕の話なんて聞いていないし何も感じていないようにも見えてしまうけれど。でも僕にはわかる。キミが僕の話を真剣に受け止めるがあまり熟考してしまっているだけだってね。なにせ固い絆で結ばれたキミと僕の仲だ。僕はこの部の長として、キミの先輩として、キミのそういうところをしっかりと理解しているよ。そうだね? 弥堂くん」
「……恐縮です」
話を聞いていなかった弥堂には何の同意を求められたのかがわからない。
わからなかったが、とりあえず相手は上司なので恐縮だけはしておく。
この1年間の高校生活において、とりあえず恐縮だけしておけば大体のことはどうにかなることを弥堂は学んでいた。
「……うん。まぁ、いいかな……。ではまず連休中のことだけれど――」
廻夜は一度だけ頬をヒクリとさせてから喋り出す。
彼は何度も弥堂に対して『全然恐縮していない「恐縮です」』を止めるように注意を与えていた。
しかしこの頃にはもう言っても聞かないことをぼちぼちわかり始めていたので、彼も彼で諦めて前回までの活動の振り返りに入る。
こうしてサバイバル部の活動も再開された。
「――さて。僕は連休中にキミに課題を出していたね?」
その課題とはもちろんサバイバル部の活動だ。
4月より2期目に入った今年のサバイバル部も、順番にテーマを掲げてその議題を一つずつ順番に解決していくスタイルである。
2期目1つ目のテーマは『日常生活で魔法少女に出逢ってしまったら?』で、2つ目のテーマは『宿泊先のホテルを爆破されたら?』というものだ。
そのようなシチュエーションでどのように行動するのがサバイバル部員として最も適切な行動かを考える活動だ。
サバイバル部というその名の通り、例え現実に起こる可能性が限りなく低くともあらゆる状況下で生き残る方法を模索するのが彼らのライフワークということになっている。
彼ら二人は至って真剣だ。
しかし一般の生徒さんがこれを聞いたらきっと盛大に眉を顰めることだろう。
廻夜は言葉を一度切ってチラリと弥堂の顔を窺う。
G.W中の宿題となっていたテーマについて彼に発言をさせる心づもりだ。
しかし――
「…………」
弥堂は廻夜の期待には気付かず、ボーっと虚空を見たままだ。
「……あの? 弥堂くん?」
「……はい? なんでしょうか」
改めて廻夜から呼びかけられてようやく意識を彼へと戻す。
慌てふためくことのないその態度には後ろめたさのようなものは一切無い。
そのあまりの堂々っぷりの前に、逆に廻夜の方がキョドキョドと目線を泳がせた。
だが、廻夜部長は今朝も室内であるにも関わらず大きなサングラスを着用している。
色の濃いレンズの向こうで本当に彼の目が泳いでいるのかどうかは誰の目にも触れない。
だから弥堂は気のせいだろうと判断し、もう一度問い直すことにした。
「部長。俺が何か?」
「いや……、その……。僕の話、聞いてたかな……?」
すると彼はメンヘラ彼女のようなことをおずおずと口にする。
弥堂は出来るだけ平坦な声を出すよう意識して答えた。
「いえ。聞いていませんでした」
「えっ⁉」
本人を目の前にしての再びの堂々とした宣言に廻夜はびっくりする。
そんな彼のリアクションにも動じず、弥堂は静かにサングラスの奥を見つめた。
廻夜は「あれぇー?」と首を傾げる。
弥堂のあまりの堂々っぷりに自分がおかしいのかなと不安になったのだ。
そして、弥堂がそれ以上謝罪も釈明も何も口にしないので、廻夜は気を遣って先を促した。
「え、えっと……? それじゃあ一体何を考えていたのかな?」
「は」
部長の問いかけに弥堂は軍人染みた短い返事を発し、上司の求める答えを堂々と口にする。
「指輪のことを考えていました」
「ん? 指輪……?」
「はい。王様になって法律を好き放題することが出来れば、気に喰わない奴をまとめて犯罪者に仕立て上げて始末出来るのにな、と」
「えっ⁉」
その答えに、廻夜はお腹をブルンっと跳ねさせてビックリした。
まず、弥堂の考えていたことは廻夜の発言内容とは全く関係ない。
掠りもしない程の別件だ。
そして、そこで指輪が出てくることの意味がわからない。
さらにそれだけでなく、その後の恐ろしい思想と指輪がどう関係しているかの意味も全くわからない。
何もかもがわからなすぎて、そして驚きすぎたがあまり、怒りすら湧いてこなかった。
それよりも、逆にこの部員のことが心配になってしまった。
「その……、弥堂くん……?」
「はい」
「キミには王位簒奪の意思があるのかい……?」
真意を窺うように廻夜が慎重に訊ねると、弥堂はあっさりと頭を振る。
「いえ、特には」
「そ、そうかい……」
廻夜はホッと安堵する。
だが――
「ですが、必要とあらばそれも視野に入れるべきかと急に思いつきました」
「…………」
思い付きで国家転覆を視野に入れてしまった後輩部員の言葉を受けて、廻夜は「あちゃー」と思わず目を覆った。
その際にサングラスのフレームがゴリっと鼻の付け根を削る。
しかしその痛みによって、彼は冷静さを保つことに成功した。
彼は指導を開始する。
「……弥堂君。キミ伝えねばならないことがいくつかある。だけどまず最初に僕の結論を言っておこう。それはよくないよ?」
「恐縮です」
何の話かよくわからないが、とりあえず自分は上司に窘められたようなので弥堂は一旦恐縮した。
「……いいかい? 法を私物化するって考えもよくないけど、それ以前の基礎知識としてね? 日本は王制でも王政でもない。我が国に王様というポストは存在しないんだ」
「あぁ、そういえばそうでしたね。ということは天皇になればいいと――」
「――いけない! 弥堂君それはいけないよ!」
小学生までしか許されない頭の悪い発言を廻夜は大慌てで遮る。
すると弥堂は席を立ち、部室の出入り口へと向かった。
「んん?」
突然のその行動を廻夜が訝しげに見守っていると、ガチャリと音を立てて部室の戸の鍵が閉められた。
その行動を終えると弥堂は黙って元の席へと戻ってくる。
「……弥堂君?」
自身の対面に座り直した弥堂に廻夜は行動の真意を問う。
そこはかとくなく感じた身の危険に二の腕の肉が制服の下で震えた。
「はい? カーテンも閉めますか?」
すると弥堂からは意味不明な質問が返ってくる。
「カーテン? えっと、何で人の目の届かない密室を作り上げようとしているのかな?」
「いえ。いつもそのように指示をされるので。違いましたか?」
怯えを見せる廻夜に今度は弥堂が首を傾げる。
先のように弥堂の不謹慎で不穏な発言を廻夜が大声で遮った際には、部屋を戸締りしてカーテンを閉め机の下に隠れるよう指示されることが多かった。
なので弥堂は反射行動として指示される前にそれを行ったつもりだったのだ。
「あぁ、そういうことかい……」
ようやくそのことに廻夜も合点がいく。
そして大きく首を横に振った。
「大丈夫。今回はそれには及ばないよ」
「よろしいので?」
「あぁ。いつもの連中なら問題ないよ。むしろさっきのような発言を聞いたら悦ぶかもね」
「そうですか」
「だが我々としてもヤツらを悦ばせてやる理由がないのも事実だ。だからあのような発言は控えるべきだね」
「恐縮です」
弥堂は廻夜の言う『ヤツら』が誰なのかを知らない。
どうでもいい細かいことに煩い面倒な連中なのだろうなと適当にアタリをつけ、とりあえず恐縮した。
「それにね、弥堂君。天皇陛下には法律を好き放題改変する権限はないんだ」
「そうなんですか? 天皇なのに?」
「うん。天皇なのに。というか、天皇はキミが思っているようなものじゃないんだよ」
「そうですか。天皇なんて――」
「――いけない! それ以上はいけないよ弥堂君っ!」
またも弥堂の口から不謹慎な発言が飛び出しそうになったので廻夜は素早くインターセプトをした。
「問題ないのでは?」
「あ、うん。ヤツらはそうでもね、それはよくない。特にこの学園の経営陣は天皇リスペクトが強い。だからそういった発言は慎むべきだし、ましてや天皇になりたいだなんて思ってはいけないよ? いいね?」
「いえ。俺ではありません」
「うん?」
またも噛み合わない答えに廻夜は首を傾げる。
「天皇になるのは俺ではありません」
「えっと……? じゃあ、誰が……?」
何か途轍もない不安を感じながら廻夜は慎重に訊ねる。
しかし――
「お戯れを」
「えっ⁉」
弥堂は何やら「ふっ」とか意味深に息を漏らしただけで明確な回答を控えた。
正常で優秀な部員である弥堂は早速上司の言いつけを守ったのだ。
「あ、あの、び、弥堂君……? まさかとは思うけれど――」
「ふっ」
「ねぇっ⁉ それもしかして僕じゃないよね⁉ 違うよね⁉」
「お戯れを」
「ちょっと! やめてよ⁉ そんなの想像しただけで色々なストレスで吐きそうだよ!」
「YES」とも「NO」とも言わない弥堂の不穏さに廻夜はびっくり仰天した。
そのまま椅子から転げ落ちると、「お願いだから違うと言って!」と弥堂に縋りつく。
「部長。このままでは本題に入る前に朝練が終わってしまいます。僭越ながら先に進めるべきかと」
「う、うん……」
弥堂は床に膝を着く廻夜のずんぐりとした手を柔らかく掴んで彼を立ち上がらせる。
着席を促された廻夜はどこか納得いかない表情だったが、指摘されたとおり時間も迫っていることなので、色々と無かったことにすることにした。
「あー……、えっと……?」
「G.W中の課題の件ですね」
「あ、うん……」
すっかりと何の話だったか忘れてしまった廻夜に、弥堂は記憶から彼の発言を呼び起こして内容を確認しアシストを送る。
「じゃあ少し巻いていこうか」
「恐縮です」
どうせ巻けないんだろうなと思いつつも弥堂はその内心を隠し恐縮をする。
「僕たちにはそれぞれ連休中に課題があった。そしてそれをそれぞれで終わらせてくるようにと、そういう話だったね?」
「仰るとおりです」
その課題内容は先に触れたとおり、『普通の高校生である自分たちがもしも宿泊先のホテルを爆破されたらどうすればいいか』というものだった。
「時間もないことだし、結果の報告は省略しよう」
「よろしいのですか?」
弥堂の目線に廻夜は力強く頷く。
「あぁ。キミのその頼りがいのある無表情を見れば僕にはそれだけでわかるよ。結果は訊くまでもなく大成功だってね」
「恐縮です」
ちなみに、先の課題に対する弥堂のアンサーは『爆破される前にこっちから爆破して皆殺しにしてしまえばいい』というものだった。
そして、ほぼそれ通りのことを彼は仕出かしてきたのだが、幸か不幸かそれを上司に確認されることはなかった。
「というわけで次の活動についてなんだけれど。その前にもう一つキミには重要なことを確認しておかなければならない」
「と言いますと?」
「あぁ。それはね、キミの“推し変”についてだ」
「なるほど」
弥堂は頷く。
G.W中に関わった事件は非常に複雑なものだった。
日本の警察的な組織、アメリカの警察的な組織、海外の犯罪的な組織――その全てと敵対しかけてしまうような非常に危険度の高いミッションであった。
その難局を弥堂は廻夜部長の「推しはいくら増やしてもいい」という教えに従って、推しては捨て推しては捨ての外道プレイをすることによって乗り切ったのだった。
「お陰様で首尾よく推し活を遂行することが出来ました」
「うん? そうかい? で、結局今は誰を推しているのかな?」
「今、ですか?」
「あぁ、そうだよ。キミは元々最強の魔法少女を推していた。だけど事情があって一時的にギャルに推し変をしたいっていうのが連休前の出来事だったね?」
「ギャル……? あぁ……」
思っていたことと違うことを訊かれ弥堂は眉を顰めたが、すぐに「そういえばそんなこともあったな」と思い出した。
「ご安心を」
「うん?」
弥堂は力強く安心を促す。
しかしその眼つきはとても他人に安心を齎せる類のものではなかった。
何か噛み合ってないなと感じた廻夜は当然不安を覚える。
「あの女はもう用済みです。ボロ雑巾のようにホテルに捨ててやりました。これ以降もうるさくつき纏ってくるようなら始末してやります」
「えっ⁉」
そしてその発言内容もとても安心できるものではなかった。
廻夜は激しく動揺する。
弥堂の過激さもそうだが、何よりその内容が問題だった。
廻夜 朝次は生粋のオタクだ。
そしてコミュ障の肥満児だ。
そんな彼には、これまでの人生でモテる場面は一度たりとも存在しなかった。
当然恋愛経験など皆無で実践的な知識もない。
弥堂の発言内容が真実なら彼の行動は年長者として窘めなければならない。
しかし臆病なオタクである廻夜には、他人のリアルな痴情の縺れに口を出せるような度胸はなかった。
万が一意見が割れた際には恋愛経験の差から言い負かされてしまう可能性が高い。
それは年長者として、またこの部の最高責任者として、彼のプライドが許さなかった。
なので、廻夜はサングラスの奥でしばし目を泳がせた後、半分だけ聞かなかったことにすることにした。
「え、えぇっと……、つまり? 今はギャルは推してなくって?」
「えぇ。ギャルの後にアメリカ人女性を推して、それから垢の抜けないガリ勉女を推して、ようやく魔法少女に帰ってきました」
「なんだって⁉」
その奔放で破廉恥な報告内容に廻夜は度肝を抜かした。
どうやらこの後輩部員はこの連休を激しくエンジョイしてきたようである。
「あ、あの……、ということは……?」
「はい。一切の問題はないということです」
「そ、そうなの……? そこまでやっても?」
「えぇ。全員逆らえないようにしてやったので大丈夫です」
「えぇ……? 僕の知ってる推し活と違う……」
廻夜の知見では“推し活”とは決してそのような爛れたものでも、暴力の匂いのするものでもなかったはずだ。
もしかしてこの後輩はまたなにか盛大な勘違いをしているのではと不安を覚える。
「弥堂君、あのさ? キミは一体何がしたいんだい?」
「それは推し活においてという意味ですか?」
「うん。いや、ホントは全体的になんだけど、とりあえずそこから聞いてみようか」
「そうですね……。次にやるべきことを強いて言えば、推しが人を殴れるようにしたいと思っていますね」
「なんだって⁉」
案の定弥堂の口からはまた問題発言が飛び出す。
しかし、ここまでと違い、これには廻夜も激しい反発をした。
「弥堂君、それはダメだよ!」
「なんですって?」
その強い否定の言葉に弥堂は眉を顰める。
基本的に思いやりのある人間である部長がこのように部員を否定することは滅多に――
(――いや……)
――そうでもなかったなと弥堂は思い直す。
むしろ割と頻繁にあれはダメこれもダメと注意を受けていたことを思い出した。
自分に対して事あるごとに噛みついてきて否定を投げかけてくる人物といえばまず希咲 七海が真っ先に思いつく。
しかし付き合いが長い分、実数を数えればもしかしたら希咲よりも部長の方がその回数が多いくらいかもしれない。
そう考えたところで――
(――ん?)
――おかしいなと、弥堂は内心で首を捻った。
弥堂 優輝という人間は自己中心的な人間だ。
遵法精神もないし倫理観もない。
弥堂の自己評価でもそうなっている。
そんな弥堂は他人からゴチャゴチャと文句を言われると途端に不機嫌になる。
その時の気分次第では、たったのそれだけで相手を殺したことも何度かある。
なのに――
(――何故俺は不快になっていない?)
――この廻夜相手にはそうはなっていないことに、この時に気が付いた。
相手が上司だからと割り切っているから――そう説明をつけることも出来る。
だがそれは我慢が出来るという話だ。
不快感を覚えすらしないことにはならない。
自分でも不自然だなと違和感を覚えたが――
(まぁ、いいか)
今はそれを考える時ではない。
これまでの経験上、ここからはいつもの部長の長いお説教が始まる。
そんな時に違うことを考えていればさらに彼の怒りに火を注ぐことになるだろう。
弥堂は途中だった思考を放り捨てて以後は何も考えないようにする。
そして、大きく息を吸いこんで勢いづく廻夜の後頭部の後ろの虚空へと視点を合わせた。




