2章裏 5月6日 ➂
「――つまり、どいつもこいつも裏切ってたってことッスか?」
新美景駅南口、『名前の無いBAR』――
福市博士を御影探偵事務所に押し付けた後、弥堂はメロを連れてこのBARに戻ってきた。
そこでは午前中に落ち合ったアレックスたちが酒を呑みながら待っており、そして改めて各々の自己紹介を済ませた後のメロの第一声がそれである。
店内に居るのは“傭兵団 La Bestia”の生き残りであるアレックス、ビアンキにフェリペ。
“G.H.O.S.T”を脱走してきたダニーとエマ。
この店のバーテンであるトーマスに。
そして皐月組の若頭である山南だ。
ついでに店の隅っこの壁際では、ゲロモンとだるだるタンクトップのオジさんが震えながら気を付けの姿勢で立っている。
メロは今回の事件は“視界共有”を通して見てはいた。
しかし、登場する人物や団体が複数おり、関係や顛末も複雑で、結局どういうことだったのかいまいち理解出来ていなかった。
なので、弥堂以外の当事者たちから、彼ら目線での事情をサラっと聞いてみたところ――
「――どいつもこいつもクズッス!」
――やっぱりそういう感想しか出てこなかった。
女児からの非難の言葉に、酔っぱらった悪い大人たち――アレックスとフェリペとダニーは「ガッハッハ」と笑う。
その態度に不快そうに煙草の煙を吐き出したのは、バーテンのトーマスだ。
「そうだお嬢ちゃん。コイツらはクズだ。関わっちゃいけねェぞ」
「ありがとうッス。顔面がイカツイおっちゃん!」
「…………」
年長者として子供が道を踏み外してはいけないと注意をしたつもりだったが、メロのビミョーなお礼の言葉にトーマスはビミョーな顔で髭を撫でた。
その表情のままトーマスは、カウンターに座るメロの前にミルクが半分まで入ったコップを無言で置く。
「あ。こりゃどうも――ん?」
メロがそのコップに手を伸ばす前に、カウンターに置かれた水差しを取った弥堂がメロのコップに水を注いだ。
目の前で真っ白なミルクが薄められていく。
メロはコップの中をジッと見て、眉をふにゃっとさせる。
一応一口飲んでみた。
「う、うぅ……っ、ひもじぃよぉ~……ッス」
何故だか零れてきた涙がコップの中にポチャポチャと落ちて、ミルクはさらに薄くなる。
そんな彼女の横に座る弥堂は、反対側の隣に眼を向けた。
「悪いな山南さん。まさかアンタが出張ってくるとは思ってなかったが」
「いえ。聞いた名の傭兵団だったんでね。なにより、弥堂さん。アナタの紹介だ。ワタシが来るのが礼儀ってモンです」
「そうか」
弥堂が話しかけたのは皐月組の若頭である山南だ。
メロもつい最近一度会ったことがあるが、尋常でない雰囲気を身に纏った渋いオジさんに若干怯える。
弥堂はアレックスと取引をして、“G.H.O.S.T”から彼らを助けたカタチになっている。
その彼らの身受けを皐月組に頼んだのだ。
彼らは当面の間はこの街で過ごすことになる。
彼らは元々海外を拠点にして海外で活動をしていた犯罪集団だ。
ほとぼりが冷めさえすれば行く場所など日本の外にいくつもあるのだが、弥堂としては彼らを外に出すわけにはいかない。
自分のことや博士のことを色々知ったからだ。
だから美景でシノギが出来るように世話をしてやる必要がある。
弥堂はその辺りのことを本人たちに明言していないが、アレックスたちもそれは暗黙の了解でわかっている。
そして今回、弥堂から渡された人員を預かる引受人として、皐月組では大幹部である山南がわざわざ出てきたという恰好だ。
「裏のマナーはわかっているだろうが、この国のことには明るくない。その辺りでしばらくは迷惑をかけるかもしれない」
「えぇ。任せて下さい。その辺は慣れたモンです」
「そうか。ところで――」
「ん?」
弥堂は山南の前にスッと紙袋を出す。
「これは……」
少し身に緊張を覚えながら山南はチラリとバーテンを見る。
トーマスは素知らぬ風にスッと目を逸らした。
それからようやく山南は紙袋に手を伸ばして受け取る。
中身を見てみると――
「――うん? なんだ……洋服、ですかい?」
拍子抜けしたといった風に目をキョトンとさせた。
そのリアクションに弥堂もキョトンとする。
「なにが入ってると思ったんだ?」
「いえ、てっきりヤクかと……」
「そんなモノ持ってるわけないだろう」
心外だと弥堂は肩を竦める。
しかし――
「イヤ、ジブンもヤクだと思ったッス」
「オレもだ」
さりげなくトーマスまでそう言ってくる。
ジロリと見ると彼は目を逸らして使ってないグラスを磨き始めた。
その間に山南は紙袋の中を確かめ――
「……これは、スーツ?」
「あぁ、この間貰った物だ」
「いや、しかし……、何があったんで?」
袋の中から摘まみだしたボロボロの上着をオレンジ色の照明に透かして、若頭は目を丸くする。
「こいつらのせいで壊れた」
弥堂がすかさず傭兵たちのせいにすると、カウンターの近くのテーブル席に座っていたダニーが聞き咎める。
「イヤ、オマエのせいだろ! パイナップルで自爆なんかしたらそうなるに決まってんだろ……ッ!」
「貰ったばかりで悪いんだが直せるか?」
「うーん……」
ダニーの証言を無視して弥堂は山南に問う。
しかし若頭は顎を撫でて難色を示した。
「こりゃあ新調した方が早いですね」
「そうか」
「せっかくだから今度こそキッチリ採寸しましょうか」
「今度行く。行ける時に」
「それ絶対に行かない人のヤツッスね」
「うるさい黙れ」
大人の話に口を挟んできた生意気な女児を弥堂が叱ると、山南は「クックックッ」と悪そうに笑った。
弥堂は強引に話題を変える。
「ところで、話の調整はもう終わったのか?」
「えぇ。午前中の時点ですんなりと」
「いやァー、ハナシのわかるダンナで助かったぜ」
山南が頷くとテーブル席に座っていたアレックスが、ダニーとフェリペを残してカウンターテーブルに寄って来た。
カウンターには左からメロ、弥堂、山南の順番で座っている。
アレックスの右側には椅子を2つ空けてビアンキが、さらにそこから離れた右端の方にエマが一人で座っていた。
アレックスは山南の右隣に腰かけてこっちの会話に混ざってきた。
「今後ともヨロシク頼むぜ。ヤマナミのダンナ」
「えぇ。こちらこそ。少なくとも喰いっぱぐれることはないようにはします。その後はアンタら次第だ」
「ヘヘ、任せとけよ。オレは役に立つ男だ」
国産ワルとイタリア産ワルがニヤリと笑い合う。
調子づいたアレックスはバーテンの髭男に注文をする。
「オイ、トンマージ。こちらの紳士に一杯出してくれよ」
「チッ、早速常連ヅラすんじゃあねェよ。アレックス」
トーマスは煙草を吐き捨てて不機嫌そうに酒を作り始めた。
そのバーテンに弥堂は怪訝そうな顔をする。
「知り合いだったのか?」
アレックスとトーマスのやりとりにそう感じたのだ。
「ん? あぁ……、ちょっとな」
「昔ツルんでた時期があったんだよ。トンマージは腕のいいスナイパーだったんだぜ?」
「オイ」
「いいじゃねェか。引退したって聞いてたアンタと、まさか日本の映画館でバッタリ会うとは思わなかったぜ」
「チッ……」
弥堂の質問をトーマスは軽く流そうとした。
だが、アレックスがペラペラと喋ってしまい、トーマスは眼帯に指先で触れながらまた不機嫌そうに舌を打った。
弥堂はスッと眼を細める。
「トンマージってのはアンタの本名か?」
「……イタリアではそう読むんだよ」
「へぇ」
弥堂は適当な相槌を打って目線を外す。
「興味ねェんなら聞くなよ、クソガキが」
「別に」
実際のところ、今の話に興味がないわけではない。
トーマスもそれをわかっている。
「興味ねェんなら」とは「興味を持つな」という意味だ。
弥堂は“ポートパークホテル美景”が今回の戦場となること、そこに既に爆弾が仕掛けられているということ――それらの情報をトーマスから買った。
そしてトーマスは恐らくその情報をアレックスにも売った。
元々は博士の宿泊先は“ホテルニューポート美景”だとリークされていた。
それを直前で変更することによって、敵に現地へ前乗りさせることを防いだのだ。
なのに“ポートパークホテル”には“G.H.O.S.T”内のスパイとは別に、最初からアレックスたちが潜伏していた。
だから、これはそういうことなのだろう。
「――おい、裏切者ならここにも居るぞ」
「アン?」
それを指摘したところでトーマスは絶対に認めない。
言うだけ無駄なので弥堂は厭味ったらしくメロにそう話しかけた。
当然彼女にはなにを言ってるのか通じない。
「オレぁ真面目に仕事をしてるだけだ」
トーマスの方も肩を竦めるだけでそれ以上は何も言わなかった。
弥堂もそこで手打ちにする。
その時――
「おーいマスター! ピザとビール追加だ!」
テーブル席からダニーが威勢のいい声を上げる。
トーマスはお客さまからの注文に舌打ちで応えた。
「テメエら今回ヘタこいたんだろ? 朝から好き放題食って呑んでるが、金持ってんだろうな?」
トーマスのその言葉に傭兵たちは「ギャハハ」と笑い、「ある」とも「無い」とも答えない。
その態度を受けて、トーマスはカウンターテーブルに刺さったままのサバイバルナイフに手を伸ばす。
すると――
「――ん?」
トーマスの手とナイフの間に、弥堂は懐から出したモノを一つポンっと放る。
それは札束だった。
トーマスは胡乱な瞳で札束を拾うと、弥堂を睨む。
「随分景気がいいな?」
「俺は今回仕事に成功したからな」
「……狂犬。オマエ今回いくらで受けた?」
「答えるわけないだろ」
にべもない弥堂の返事に、トーマスは煙を吐きながら煙草の火種を磨り潰した。
「探ってるわけじゃあねェ。相場のお勉強だ」
「……300だ」
「安すぎる」
弥堂が口に出した数字にトーマスは眉間を険しくさせる。
「扱った案件的にもそうだが、生命を賭けるシゴトとしては安い報酬だ」
「それは俺が決める」
「いいや違う。業界自体がナメられる。キッチリ適正な金をとれ。オレら全体がナメられてるってことになる」
「……わかったよ」
ボーナス込みだと適性金額と比べてどうなのか気になったが、弥堂は口を噤んだ。
トーマスは新たな煙草に火を点けて、少し声を和らげる。
「というか、オマエよ」
「あ?」
「報酬300で、ここで100出したら、手元にほとんど残らねェだろうが。金の勘定どうなってんだよ」
「また稼げばいい。それにこれからこのクズどもが世話になるから、迷惑料の前払いだと思ってくれ」
「……それはいいんだが。狂犬、オマエは金の請求にはうるさいくせに、出す時は考えなしすぎる。この仕事やってていつまでも五体満足に動けると思うなよ?」
「わかってるよ」
「そうやって雑にまとめて金をポンポン放るから、次もまたヤバイ橋を渡ることになんだ。そんなんだから足を洗えねェんだよ」
「もうわかったって。ほっとけよ」
この手の刹那的な生き方をする人間は、この店に来るような客では珍しくない。
だからトーマスはそれ以上は言うのをやめた。
それに、それはそれとして貰った札束はカウンターの中にしっかりと仕舞う。
彼が黙ったので、弥堂は視線を他所に動かした。
すると、店の端っこの方でオジさんと身を寄せ合って震えるゲロモンが眼に入る。
ゲロモンのお腹には前回にはなかった絆創膏が。
随分と大きな絆創膏で、『✕字』に貼られている。
その絆創膏の下から何かが漏れ出ているような気がして、弥堂は眉を寄せる。
するとゲロモンの震えが強まった。
弥堂は魔眼に魔力を――
「――アァァーッ⁉ ゲロモンがいるッス!」
――流そうとしたところで隣から耳障りな子供の金切り声が響き顔を顰めた。
ゲロモンは子供に大人気のマスコットキャクターだが、メロは喜ぶというよりはどこか懐疑的な様子でゲロモンをジロジロと見ている。
そのメロの視線を受けて、ゲロモンはさらにダラダラと汗を流し始めた。
そして――
「――わぁ! ゲロモンダンスだぁ! かわいーッス!」
――ゲロモンは苦し紛れにヒョウキンな仕草で踊り出す。
すると効果は覿面のようで、頭の悪い女児は今考えていたことを忘れてキャッキャと喜んだ。
「……なんだ? あの着ぐるみになにかあるのか?」
「うん? いんやぁ……? ゲロモンちがいだったようッス」
「なんだよゲロモンちがいって」
「ほら、あのゲロモンのお腹にはバッテンがあるだろ? ジブンの知ってるゲロモンにはなかったから」
「そうか」
よくわからない話だったので、弥堂はすぐに聞く気が失せた。
「どこの国も、子供は元気でいいネェ……」
そんな二人の様子に笑いながらフェリペはテーブルを立って、カウンターで一人で飲んでいるビアンキの横に移動する。
「……クソ、みんな死んじまった……」
昨夜のことをまだ引き摺っている様子の後輩に苦笑いしながらフェリペはトーマスに酒を注文する。
そしてビアンキの肩を優しく叩いた。
「なぁ、フェリペ。シェキルは……、アイツは最後にオレのことなにか言ってなかったか?」
フェリペの前にストレートの蒸留酒が入ったグラスが置かれる。
「……オマエの無事を願ってたよ」
フェリペはカシャッサで舌を湿らせてからそう答えた。
しかし、ビアンキは答えを求めているわけでなく、ただ心の裡を溢しているだけのようだ。
「アイツ……、オレはアニキなのに……。助けてやらなきゃならなかったのに……」
酒気を帯びた吐息が言葉とともに。
目端からは涙も漏れ出てきた。
彼らのやりとりは山南とアレックスを挟んだ弥堂の耳にも聴こえてきた。
(シェキル……? あぁ……)
カルトの魔術師によって人狼にされてしまった少年兵だ。
弥堂のクラスメイトたちと同じか、少し下くらいの年代の。
記憶の中の記録を取り出して、それを思い出す。
シェキルと弥堂との関係性といえば明白で、彼を殺した関係だ。
あとはスパイ認定をして拷問をした程度の関係。
彼について知っていることはそれだけだ。
それだけのことについて思うことは何もない。
「……ナニ見てやがる……ッ」
「別に」
弥堂の視線に気づいたビアンキが眉間を険悪に歪める。
弥堂は流そうとしたが、彼の方は収まらないようだ。
「テメェがシェキルを……ッ! オレは忘れねェからな……ッ!」
「そうか。その気になったらいつでも来い。誰のことか知らんが、同じ場所へ送ってやるよ」
「テメェッ!」
「やめろビアンキ!」
カっとなって立ち上がろうとするビアンキをフェリペが押し止める。
すると、二人の間の視線を遮るようにアレックスが身を割り込ませた。
「ワリィな狂犬。コイツ酔ってるんだよ」
「別に」
弥堂の方は、現在彼らを殺す理由よりも生かしておく理由の方が勝るので、適当に肩を竦めてアレックスの顔を立てた。
それに少し安堵の息を漏らし、アレックスはビアンキの方へ振り返る。
「なァ、ビアンキよォ」
「……なんだよ?」
「オレらァ傭兵だ。恨みもシガラミも戦場に全部置いて来い。それが流儀だ」
「……わかってる。だけどよォ……」
ビアンキは力無く答え、傷だらけのカウンターテーブルへ目線を落とした。
その彼の肩を抱いて、フェリペが諭す。
「ソイツを抱えたままだと、次の戦場で死ぬのはオマエだぜ? アレックスにいつも言われてるだろ?」
「……オレはまだ、割り切れねェよ……フェリペ……」
弱気な声を漏らす彼の前にフェリペは自分の飲みかけのグラスを出した。
「だから呑め。ストレートで。腹の中で酒と割っちまうんだよ」
「……チクショウッ!」
半分はヤケで、ビアンキは天井を向いてグラスの中身を飲み干した。
そしてまた両肘をカウンターについてテーブルと見つめ合う。
「う、うわぁ……、ジブン吐きそうっス……」
彼らの様子を見て胃を痛めたメロが表情を曇らせる。
弥堂はジロリと彼女を見た。
「お前ガキのくせに酒飲んだのか? ただでさえバカなのに自分で知能を下げようとするな」
「飲んでねェッスよ! オマエのせいで気まずいんだろうがッ!」
「俺のせい? 何のことだ?」
「え……? なにこの人……? 流石にウソだよね……?」
本気で不可解そうにする弥堂を化け物を見る目で見上げながら、メロは心細くなった。
さらに――
「……ジャスティン……」
――カウンターのもっと向こうから、そんな寂しげな女性の声も聴こえてくる。
ジャスティン・ミラーの秘書官として潜伏したスパイだったが、その彼女にスカウトされて正式な“G.H.O.S.T”隊員の身分と立場を得ていたエマだ。
だがそれだけではなく、彼女とミラーはどこか気心の知れた仲だったように弥堂の眼にも見えた。
弥堂が知るエマとミラーの関係はそれだけで――
そして、それだけのことに何も思わない。
「……あの人、多分あの金髪ネーチャンとトモダチだったんじゃねェんスか? 仲良しだったし」
「さぁ。知らないな。洗脳されてただけかもしれんぞ」
「なんッスかそれ」
「サイコメトリーだ。人のココロの、思いの、その機微を読む。這入り込むことも誘導することも容易だろう」
「ヤなこと言うなよ」
なにせ、そんなもの無くてもそれが出来る女がいるんだから――と、弥堂は心中で嘯く。
メロは弥堂のその物言いに眦を上げるが。弥堂はどこ吹く風だ。
「実際に俺もミラーにそれをやられかけたしな」
「だとしても! 死んじまった後にそんなこと言わなくてもいいだろ!」
「死んだ後だから、もうどうでもいいことだろ」
「オマエ……ッ!」
まるで他人事のような弥堂の態度にメロはカっとなる。
『オマエが殺したんだろ』と言いかけて、だがそれだけは自制した。
メロが下唇を噛んで黙り込むと、弥堂は彼女からも関心を失くす。
それにしても――
(――加護もなしに強烈な洗脳と誘導をかけてくるって、あのイカレ女やっぱヤベエんだな……)
――思い出しついでにシミジミとそう思った。
弥堂やエルフィーネだけでなく、恐らくグレッドガルドの国内国外を問わず多くの人間がセラスフィリアによって操られていた。
しかし、それによって、きっとあの国にとっては良い方に結果が出た。
そうするとあの女のことを恨めばいいのか、畏怖すればいいのかが難しくなる。
今でも『世界』で一番嫌いなのは間違いない。
弥堂は彼女の治めるグレッドガルドで育ったようなものだ。
弥堂の持つ常識から何からは、異世界で培ったものだ。
この日本があるこっちの世界で生まれ、そういったことを覚え始めた頃に異世界に飛ばされたため、あっという間に上書きをされてしまった。
だから、こっちの世界の常識などは今知っていっているようなものだ。
しかしそれは半分は言い訳のようなものでもある。
中学生にもなれば世の中の常識も少しは知っている。
ただそれが身に沁みてなく、忘れているだけで。
でも弥堂はそれを思い出そうとすればいつでも思い出せるのだ。
だが、ここで思うことはそういうことではなく。
かつての飼い主だった女は“こっち”と“あっち”の2つの世界を合わせたとしても、トップクラスにヤバイ女だったということだ。
だがそれも――
(考えたところで意味がない)
今も遠くで生きているだろう彼女とは、もう会うことはできない。
だったらそれはもう死んでいるのと同じだ。
自分にとっての彼女も――
彼女にとっての自分も――
だから、それに関して何も思わない。
「……なぁ」
少し声のトーンを落としてメロが話しかけてくる。
弥堂は彼女の方に顔を向ける。
だが彼女は続きを話さない。
どこか言いづらそうな顔で口をモゴモゴとさせた。
「なんだ」
「……あんな?」
「なんだよ」
弥堂に聞き返されて、それからメロは嘆息して喋り出す。
「ジブンは悪魔だから、あんまウルセェことは言わねェッスけど」
「あ?」
「あ、でもカンチガイすんなよ? ウチらは、天使と違って基本的に殺しはNGッスからね?」
「だからなんだよ」
天使とは違うと強調して、悪魔は語る。
「オマエ、よくねェッスよ?」
「なにが言いたいんだ」
「あの金髪ネーチャンは、ダメだったと思うッスよ」
「さぁ? どうだろうな」
「いや、オマエ……」
「それはこの先に、そのことで何か不都合が起きた時にそう思えばいいだけだ」
「…………」
平然とそう語る弥堂に、メロは失望を浮かべ黙りこんでしまった。
そして席を立ち、カウンター端に座るエマの方へ歩いて行く。
特に他に見るものがなかったので、弥堂はなんとなくそれを眼で追った。
「おねーさん。黒人のおねーさん」
「ア?」
メロは無邪気な風にエマに話しかける。
「そのキレーな色のジュースくれッス。ジブンなんかマッズイの出されたんッス」
「これはカクテルだからガキはダメだ……、ダメよ」
「それは残念ッス。この店は客に水で薄めたミルクを寄こすんッス……」
「はァ? トーマス。ちゃんとしたの出してやんなよ。ミルクくらいケチるな」
エマは咎めるようにトーマスをジロリと睨む。
「オレじゃねェよ。ミルクを水で割って飲むバカなんてあの狂犬だけだ」
すると、トーマスは心外だと煙を吐いた。
メロは大きく頷く。
「そうなんッス。ウチのご主人バカなんッスよ」
「あー……、そりゃ……、あぁ、うん。それよりお嬢ちゃんさ」
エマは内心で納得しながらなんとも言えない顔をした。
そして話題を別のセンシティブに変える。
「うん? なんッスか?」
「『黒人の――』とか付けない方がいい。アタシは気にしねェけどナイーブなヤツはそんだけでぶちギレてくるわよ。時には黒人じゃないヤツが」
「へぇー。ニンゲンってめんどくさいッスね」
「うん?」
「『人』って付くだけいいじゃねェッスか。ジブンなんて悪魔ッスよ?」
「はァ?」
怪訝な顔をするエマの前で、メロは“パフン”っとエフェクトを出して悪魔の羽とシッポを出して見せる。
エマの目がまん丸になり、メロは得意げな顔をした。
「……こりゃ驚いた。ホンモノ、よね……?」
「うむッス。といってもジブン弱い悪魔ッスけど」
「へぇ……、ってことは、あのイカレ野郎は“悪魔遣い”なのか……」
「まぁ、全然なってない初心者ッスけどね。ジブンが面倒みてやってるッス」
「フフ、優しいのね。大変でしょ?」
エマが笑ってくれたことでメロはますます調子づいてペラペラと喋る。
「マジしんどいッス。こないだなんか悪魔のセンパイたちと大ゲンカして。センパイたちみんなアイツの頭がおかしいってドン引きしてたッス」
「アハハ、悪魔でもそうなんだね」
「そうッス。だからあんなのに絡まれたらもう野良イヌに噛まれたと思うしかねェッス。運が悪かったんッスよ」
「……そうね」
どこかシニカルに唇を歪めて、エマはグラスの中を見つめた。
メロはまた“パフン”っと音を出して羽とシッポを消す。
それからエマに近寄ってコショコショと内緒話をする。
「あ、でもジブンが悪魔だって内緒ッスよ?」
「え?」
「バラしたってバレたらあのイカレ野郎にシメられちゃうッス。おねーさんだけトクベツッスよ?」
「ナイショって……」
エマはメロの頭越しにあちらを見る。
すると弥堂と目が合った。
弥堂はただ視線を逸らす。
エマは自分でも正体のわからない感情で薄く笑った。
「……わかったよ。ナイショにしとく」
「ヘヘッ、頼むッスね」
「それより――」
エマは身体を傾けてトーマスへコインを投げた。
「ヘイ、バーテン。こちらのちっちゃなレディにコークを」
「……まいど」
もう準備をしていたのか、トーマスはプシュっと音を鳴らして詮を抜くと瓶のままメロの前にジュースを置く。
メロはその瓶を両手で掲げて小躍りをした。
「ひゅぅーっ! シュワシュワッス! 久しぶりのシュワシュワーっ! おねーさんコップ! コップに入れてくれッス!」
「ハイハイ……」
エマは苦笑いをしながらコーラの瓶を受け取り、新しいグラスに中身を注いでやった。
キャッキャッと女児が燥いでいると、ビアンキがチッと舌を鳴らす。
「チッ、酒場にガキを連れてくんじゃねェよ……」
それは弥堂への嫌味のつもりで呟いたものだったが、その言葉にはメロが噛みついてきた。
「ハァ~~~ッ⁉ ハンパなイヌッコロ風情がナメたこと言ってんじゃねェッスよ!」
「な、なんだと……?」
予想外のところから喧嘩腰で来られてビアンキは戸惑う。
「この由緒正しきネコ妖精サマにシツレーッス! 頭を下げろよこのイヌ耳ヤロウ!」
「ね、ねこ……? なんだって……?」
「本来はオマエのような下賤なイヌが口を利けるメスじゃねェんッス! ジブンにマウントとるならタワマン買ってからにしろよな!」
「こ、このガキ……ッ」
よくわからないが思いっきり見下されてることだけは理解したビアンキが歯を剥こうとすると、それを仲間たちが止めた。
「よせってビアンキ。オレたちみてェなチンピラには手が届かないお高いレディだぜ?」
「そうよ。女にあたるなんてオマエの方がガキよ」
「クソ……ッ」
他の大人たちに守られてドヤ顔のメロから顔を背けると、ビアンキはヤケクソで酒を煽る。
それを見た周囲の者たちがドッと笑った。
その様子を遠巻きに見ながら、弥堂は思う。
ジャスティン・ミラーとエマの関係――
彼女らの間にあった物語はわからない。
その先も語られることはない。
ジャスティン・ミラーのことはわからない。
彼女は家の再興の為に組織で成り上がるようなことを言っていた。
その背景も、その先の物語ももう語れることはない。
わからないままだ。
この先、ずっと。
弥堂が殺したから。
シェキルと。
シェキルとビアンキの間にあった物語もわからない。
わからないままだ。
弥堂が殺したから。
死とは――
殺しとは――
これまでもそうで。
どこでもそうで。
きっとこれからも。
どこに行っても。
ずっと、そうだ。
ここも、あそこも、同じ『世界』で――
『世界』はそういうものだから。
だから――
そこに新しい刺激はない。
「――あァーーッ! イライラしてきたッス!」
思考はそこまでで、メロが突然あげた叫び声に意識を戻された。
メロはズカズカと歩いて戻ってくると、弥堂の前で立ち止まる。
そしてビシっと指を差してきた。
「オイ! 少年ッ!」
「なんだよ」
弥堂はうんざりとした顔で返事する。
「ジブンやっぱナットクいかねェッス!」
「なにがだよ」
探偵事務所を出た時と同じように、憤り露わにメロがまた何かクレームをつけてきた。
「『なにが』じゃねェーんッスよ! 好き放題! ワルイことやりたい放題ッ! オマエはそれでも勇者かァーッス!」
「おい……」
突然大声でアウトワードを叫ばれて、弥堂はメロを咎めつつ周囲へ眼を遣る。
しかし――
「ヒュゥーッ! オレたちの『MAD DOG』にカンパァーイッ!」
――誰も本気にはとってないようで、ダニーの茶化すような号令に合わせて酒を呑んでいる。
それも確かにそうで、これだけのことで『異世界で勇者になって帰還してきた』と考える者は普通はいない。
とはいえ、だからといってもそんなことを自由に喋らせるわけにもいかないのだが。
メロはおさまりがつかないようで、尚も女児ボイスでキンキンと喚く。
「勇者って……! 帰還勇者ってそういうモンじゃねェだろ⁉」
「どういうもんだよ」
「そりゃオマエ、異世界から持って来たチート的なチカラで、悪いヤツをテキトーにボコボコにして! そんで行きずりの美少女に『きゃーすてき抱いてー!』ってなるもんだろ!」
「ならねえだろ」
「それをオマエはなんッスか⁉」
「うるせえな……」
「ひゅーっ! いいぞお嬢ちゃんもっと言え!」
マジギレ女児を周囲の酔っ払いたちが無責任に囃し立てる。
弥堂はあまり迂闊なことを言いたくないので、仕方なく聞き流すことにした。
だが、メロはどうもその周囲のオジさんたちに文句があるようだ。
「だいたいなんッスか! こんなカビくせェ、きったねェ酒場で!」
「悪かったな」
トーマスがボソっと呟くがヒステリーを起こした女児には聴こえない。
「何処に連れてかれるかと思ったら、こんな寸詰まったオッサンどもと、お通夜みてェにしみったれた合コンとかありえないッス!」
「合コンじゃねえよ」
「詐欺ッス! 勇者詐欺ッス! オマエもっかい異世界行って帰還しなおしてこいッス!」
とうとうメロは酒場の床に背を着けてジタジタと暴れ出した。
それを見てアレックスは意地悪げに口の端を持ち上げる。
「オイ、言われてんぜ? ビアンキちゃんよォ。オマエがメソメソしてっからだよ」
「ウルセェ! 泣いてなんかねェよ!」
「ダハハー! オイ、トンマージ、なんか景気のいい音楽をくれよ!」
「アァ?」
BGMの注文をされると、トーマスは露骨に面倒そうな顔をした。
アレックスはカウンターの脇を指差す。
「そこにジュークボックスがあんのに、何で何もかけねェんだよ」
「本当は今は営業時間じゃねェんだよクズども。人の店を勝手に悪だくみの溜まり場にしやがって」
「そう言わずに頼むぜ。あのお嬢ちゃんがゴキゲンになれるようなイカしたミュージックをよ」
「チッ……」
子供をダシにされたことで、仕方なくトーマスは折れてカウンターから出てくる。
その様子を見ながら、弥堂は内心で少し安堵した。
ただでさえ愛苗の件や福市博士の件で、物事が複雑だ。
そこに自分の『異世界からの帰還勇者』などという事情も絡めて余計にややこしいことにはしたくない。
昨夜ダニーがしていた『MAD DOG』の話のおかげか――
『勇者』という言葉に違和感を持たれずに済んだようだ。
しかし、彼らの思っていることなど、本当のところはわからない。
ずっと、わからないままだ。
生は。
死は。
殺しは。
セラスフィリアだって。
死が人を別つことも。
人が道を別つことも。
同じことだ。
二度と逢えなくなるのなら。
だから人間は人と人とに別けられて。
ずっとわかりあえないまま――
それこそ、頭の中の何もかもを覗くような――
覗いてもらうようなことでもしない限りは――
本当に人が人を知ることなど出来ない。
夢の中で映画のように記憶は流れ続けて。
だけど観客はいつだって自分独り。
隣には誰も居ない。
もう。
ずっと。
「――オイ! 聞いてんッスか! ダメ帰還勇者!」
「聞いてる」
聞いてないことをメロに伝えて顔を動かすと、ふと右隣に座る山南が不思議そうな顔で自分を見ているのが眼に入る。
「なにか?」
「いえ。なんです? “帰還勇者”って?」
彼のような40過ぎのヤクザ者には聞き馴染みのない言葉だったのだろう。
40過ぎのヤクザ者には似つかわしくない仕草で首を傾げている。
どう答えたものかと弥堂が考えていると、左右の手にミルクとコーラを持ったメロがまた横から口を挟んできた。
「だいたい何で牛乳を水で薄めたんッスか⁉ このネコさんに充分な栄養をとらせろよ!」
「うるさい黙れ」
弥堂はカウンターに置いてあったレモンを手に取って、メロの持つミルクの水割りの上でそれを握り潰す。
「ギャァーーッ⁉」
その所業にメロがビックリ仰天した。
「うぅ……、ニオイだけでもうすっぱいッス……」
「ギャハハハッ!」
眉をふにゃっとさせてグラスの中を覗くメロの姿に、傭兵たちが陽気に笑った。
弥堂は手に着いたレモン汁を舐めて顔を顰める。
すると、山南がまだ自分を見ていることに気付く。
そういえばさっきの質問に答えていないままだったと思い出した。
「弥堂さん?」
弥堂は少し困ったような顔で、彼に肩を竦める。
「ガキの戯言だよ。俺にもわかんねえんだ。だって――」
その先の言葉は、ガチャガチャとジュークボックスを弄っていたトーマスの怒鳴り声によって途切れる。
どうやら店内の騒がしさに我慢の限界を迎えたようだ。
「ウルセェんだよこのクズどもがッ!」
しかし酔っぱらった傭兵たちはそんな彼の様子にすら下品な笑い声をあげる。
アレックスがまた揶揄うようにトーマスに声を掛けた。
「早く音楽くれよ! 使い方わかんねェのか?」
「黙れ! しばらく使ってなかったせいか動かねェんだよ!」
「使わねェのに何だってそんな年代物置いてんだ?」
「オレじゃねェ。マスターの趣味だ。形から入る人なんだよ」
「ヘェ……」
どうでもよさそうな相槌を打つアレックスにトーマスはそれ以上は答えず、八つ当たり気味にジュークボックスを横からぶっ叩いた。
「お――?」
すると、その原始的な修理方法で中のレコードが動き出したようだ。
スピーカーからノイズのような音が小さく鳴った。
その様子を見て、弥堂は山南の前で再度口を開く。
「だって――」
同じタイミングでトーマスが乱暴にボリュームを右へと捻った。
途端にスピーカーから大音量のバンドの前奏が溢れ出し――
NEXT……3章『俺は普通の高校生なので、帰還勇者なんて知らない』
――弥堂の口から出た言葉は塗りつぶされた。
キョトンとする山南に肩を竦め、弥堂はカウンターの中に戻ったトーマスに500円玉を指で弾いて放る。
それを受け取ったトーマスは、弥堂の前にジョッキビールを置いた。
弥堂はそれを飲まずに隣の席に動かす。
誰も居ない左隣ではなく右隣に。
そこに座る山南はニヒルに笑う。
ビールには手をつけずに、弥堂に煙草を1本差し出した。
弥堂はそれを咥え、山南に火を点けてもらう。
一口だけ吸い込んで。
トーマスがビールジョッキの隣に置いた灰皿に煙草を置いた。
何となく天井に向かって煙を吐き出すと、ちょうどそのタイミングで前奏が終わりボーカルが歌い出す。
ーーーー
ある日 俺は街を歩いていたのさ
ビビっちまうくらいに刺激的で ゴキゲンな音を探して
…………
ーーーー
英語の歌。
その意味は弥堂にはわからない。
わからないからただ天井を見上げ。
オレンジ色の灯りの下で漂う灰色の煙が。
灰皿から立ち昇る煙と混ざって。
音の波に揺らされるのを見ていた。
しばらく店内からは意味のある言葉は無くなる。
ボロボロの箱の中の不揃いの不良品たち。
一時に身を委ね騒ぐ。
その色は、何処にも向かわず。
漂い、揺れて、いつか消える。
わからず、知らないまま、それは突然――




