2章裏 La Bestia #EX➁
2Fの吹き抜けの階段に近づく。
こういう階段がいくつかあって1Fのロビーと繋がっていて、この先はとても広い空間になっている。
その中でも人気のない階段を選んで、あたしたちはそこへ。
スタッフさんたちを待たせて、あたし一人で手摺りへとそっと歩いた。
「――うわぁ……」
下の1Fを覗いてみると、まさに戦場の様相。
ホテルの玄関口側にはテロリスト。
ホテル内ロビーの吹き抜けの階段の上と下に“G.H.O.S.T”が陣取ってる。
銃声と怒号が鳴り止まない。
それに――
あちこちに人が倒れて、血が流れている。
敵も。味方も。
たぶんあの人たちはもう――
MAPの反応を見ないようにして、あたしはスタッフさんたちの方に戻る。
「ここを下ります」
「ここを、って……」
あたしの方針を聞いた女性スタッフさんが恐る恐る1Fの様子を覗く。
そしてすぐに顔色を悪くした。
「――む、むり……っ、むりで、す……っ!」
驚きに目を見開いたまま、まるで譫言のようにそう言いながら彼女は後退る。
数歩そうしたところで足取りの覚束ない両足が絡まってよろめく。
それを後ろにいた男性スタッフさんが支えた。
まぁ、そうなっちゃうわよね。
女性スタッフさんは自分が誰かに支えられてることにも気付いてないようで、あたしの方を見たまま。
その後ろに立っている10Fで助けたスタッフさんたちもギョっとした目であたしを見てる。
鎖で引っ張るのはもうやんないってば。
「あ、あの、降りるって、どうやって……?」
「もちろん正面突破よ」
女性スタッフさんを支えてる男性スタッフさんが質問してくる。
あたしは意識して軽く聴こえるように答えた。
だけどスタッフさんたちは全員信じられないといったお顔。
「そ、そんな無理ですよ……っ」
「ん――」
ここまでずっと文句も言わずに着いて来てくれた彼らも、流石にこれには難色を示す。
だけどあたしはやっぱり軽い相槌。
当たり前のことのように。
そして、この気分の軽さを表現するように――
トッと軽く床を踏み切って、後ろに跳ぶ。
着地した場所は落下防止柵の手摺りの上だ。
背中の方、下の方は、絶え間ない銃声と怒号。
殺気が首筋にビリビリと伝わる。
もしかしたら下の敵に気付かれて狙われるかもしれないし、流れ弾が飛んでくるかもしれない。
でも、それを全部シカトする。
戦場に背を向けたまま、守るべき人たちのことだけを見つめる。
そんな彼らや彼女らは、こんな危ないマネをしてるあたしに心配げな目。
クスリと、笑って――
そして、あたしはずっと被ってたキャップを外した。
正体を隠蔽するスキルを解除して、みんなに素顔を晒す。
それから。
あたしの顔を見て驚く彼らに、ペコリ――
「――ここまで。あたしみたいな子供の言うことに協力してくれてありがとうございます! おかげで、みんなでここまで来れました。みなさんのプロフェッショナルにリスペクト!」
――頭の中に親友の顔を浮かべながら、元気いっぱいに言い切る。
そして勢いよく顔を上げた。
「みんなオトナって感じでカッコよかったです。だから――」
あたしは自信満々に言い切る。
「――今度は“おあいこ”に、あたしのカッコイイとこ見してあげる」
あたし的にはキメたつもりだけど、スタッフさんたちは困惑。
まぁ、何言ってるかわかんないよね。
それに――
「え……? お、女の子……っ⁉」
「そんなとこ乗ったら危ないよ……!」
スキルで男の子に見せてたからそこにもビックリしてるみたい。
説明してもしょうがないし、説明してる時間もないし。
行動と結果で見せるのみ。
「じゃ、全部やっつけてくるから、ここで隠れて待っててね?」
「やっつけるって、まさか――」
「ダイジョブ。ゼッタイにあたしがみんなをお家に帰してあげるから――」
そんなの簡単なんだから――って、安心してもらえるように。
あたしはニコッと笑いかける。
そしてそのまま――
背後に倒れるようにして、戦場へと落ちた。
空中で身を翻しながらキャップを被り直す。
【猫被り】を再起動。
そして、足音をほとんど立てずに、“G.H.O.S.T”とテロリストが睨み合うど真ん中に着地。
そこはちょうど敵と味方の境界線のような場所だ。
そんな場所に突然現れたあたしの姿に、どちらの陣営も驚く。
見た目はただの子供のよう。
だけど、非常識に片足を突っこんだ彼らには異質に見えたのかも。
一時的に射撃を止め、警戒を浮かべてあたしを見ている。
「銃を向けないでね? 敵だって認識しちゃうから――」
肩越しに顔を向けて、背後の“G.H.O.S.T”にそう通達する。
“なんだキサマは?”
その言動であたしを“G.H.O.S.T”側の人間だと判断したみたい。
テロリストの一人が険しい顏でそう質問すると同時に、彼らは一斉にあたしに銃口を向けた。
「【舞踏剣・双極】――」
『質問しといて答えも聞かずになに⁉』なんてことは、あたしも言わない。
名前を呼びながら、イヤリングにぶら下がった紅の宝石を指で弾いた。
両耳の宝石が輝き、あたしの両手に顕れたのは双剣。
それとほぼ同時に、テロリストたちは引き金を引いた。
【剣術スキル:LV6】【双剣スキル:LV7】【見切り:LV8】【鷹の目:LV9】【パリィ:LV5】……
全ての銃弾の到達ルートを感覚的に把握。
飛躍的に向上した動体視力がそれらを確実に捉える。
身体の反応もそれらの認知に追随する。
舞踏用の流麗な双剣を超速かつ連続で振って、銃弾を全て斬り払った。
今の射撃と同時に、MAPに表示されていた光点の約半数が一斉に赤色に変わった。
それは敵の色。
“ば、ばかな――ッ⁉”
テロリストたちが目を剥いてる。
あんたたちにそんな顔する資格ない。
平和に暮らしてる人たちのトコに、土足で乗り込んできて。
好き放題して。
「絶対に許さないんだから――ッ!」
剣を握ったまま右手を突き付ける。
そして――
「“魔力装填”……ッ!」
魔石を2つ呼び出して魔力を消費。
その魔力は双剣ではなく、剣を握る右手の人差し指に填めた黒い宝石の指輪に。
「【無尽の害意】――」
魔力を吸った黒い宝石の奥で、暗い光がドロリと歪んだ。
“た、たった一人でなにができる……! もう一度しゃ……、げ、き……を……”
威勢のよかったテロリストの声は尻すぼみに消えていく。
彼らの驚愕する目が向いているのは、あたしの背後だ。
あたしの後ろの空間を見上げて慄いている。
そこに浮かぶのは無数の黒い羽根――
とあるどこかのいつかに、伝説の暗殺王とかいうイカガワシイ人がいましたとさ。
彼だか彼女だか知らないその人が使っていたとされる呪いの魔剣が伝承にあります。
魔剣とか言ってもそれはナイフ。
すっごくよく切れるとか、ヤバイ毒が出るとかじゃなく。
その“権能”は、本体と同じ黒いナイフを無数に生成すること――
その“権能”を解放して生み出した小さなナイフが、あたしの背後の空間に無数に浮かんでいる。
こんなの完全にオーバーキルなんだけど、時間がないから一発で決める。
【短剣スキル:LV8】【投擲スキル:LV8】【射撃スキル:LV7】【マルチショット:LV6】【鷹の目:LV9】【必中:LV9】【手加減:LV4】…
「«鴉羽々斬»――ッ!」
群がって連なったナイフ群はまるで鴉の翼のよう。
その翼がはためくと黒い羽根が散るようにして、無数のナイフが射出された。
そのターゲットは当然、全てのテロリスト。
高速で飛来したそれらは彼らの持つライフルの銃口に突き刺さった。
“ぎゃああぁぁぁ……ッ⁉”
あ、ゴメン。
わりと? けっこう?
何人かは手に直で刺さっちゃったけど。
流石にそこまでは配慮してあげない。
そして――
≪スプリントバースト≫――
――もちろんこれで終わりじゃない。
この隙にダッシュスキルで一気に接近して、こいつらが我にかえる前に制圧する。
敵の集団に突撃して、思いっきり脚を振った。
「全員、こっから出てけぇーーッ!」
あたしに蹴り飛ばされた男たちは次々に玄関のガラスを突き破ってお外へ。
謎のナイフに、あたしのスピードとパワー。
それらに泡を食ってる間に、残ったヤツらもどんどんお外にポイ。
壊れたライフルを捨てて拳銃を取り出そうとするヤツや、爆弾を投げてこようとするバカには、宙に残ったナイフで狙撃して対応。
もちろん殺したりはしないけど。
でも、急いでるから結構ホンキでやらせてもらう。
そうして――
ホテルの玄関口と1Fロビーは、あっという間に制圧完了。
後ろでポカーンとしてる“G.H.O.S.T”の人たちには気付かないフリで。
あたしは吹き抜けの階段の上へと振り返った。
「――今よッ!」
上で待たせてたスタッフさんたちに声をかける。
だけど、あっちもポカーン。
気持ちはわからないでもないけど、早くしてってば!
「――い、いきましょう……!」
すると。
さっき怯えてよろけてた女性スタッフさんが他の人に呼び掛けて、そして先頭を切って走り出してくれる。
他の人たちもそれに釣られるように階段を駆け下りてくる。
おねーさんすき。
「時間が経つとまた外から来るかもだから、今のうちに――ッ!」
あたしもスタッフさんたちと一緒にホテルの外へ。
玄関から飛び出すと同時に、建物の前に居た敵集団にナイフ群を投擲。
一瞬で無力化する。
敵がパニックになってる間に、その前を通り過ぎた。
えっと……、佐藤さんたちはあっちかな?
MAPを見つつ、半分はカンで左の方へ。
「あっちまで逃げれば警察が保護してくれるからもうちょっとがんばって!」
先導しながら後ろへ顔を向けて、スタッフさんたちを励ます。
その時――
ゾワリとヤな予感。
反射的に顔を前に向け直す。
あたしの頭上から大きな影が差した。
見上げると、そこには獣の凶眼。
血走ってギラついた両眼があたしを見下ろしている。
そして間髪入れずに大きな手から伸びた鋭い爪を振り下ろしてきた。
どこから接近してきたのかわかんないけど、速いし強い。
だけど――
【体術スキル:LV9】【見切り:LV8】【カウンター:LV6】……
その時にはもう自動でスキルが立ち上がってる。
《ぐァッ――ッ⁉》
鋭い爪が届くよりも速く。
跳ね上げたあたしのブーツの靴底が相手の顔面に突き刺さった。
不意打ちをしかけてきたヤツはもんどりうって後ろに転がる。
だけどそれは距離をとるための行動だったみたいで、すぐに立ち上がった。
今のでKO出来ないのか。
つーか、デッカイなこの人。
《う……、ぐぅ……ッ! テ、テメエ……ッ!》
ボトボトと鼻血を流しながらあたしを睨んでくる。
あによ。
自分から襲ってきたんじゃん。
あ、でも、鼻が曲がっちゃってる。
それはちょっとだけゴメン。
あれ?
この人頭の上に耳が……
【偵察:LV8】……
疑問と同時に反射的に起動させたスキルで見てみると――
あ、獣人。
敵にも味方にもフツーに居るもんなのね。
へぇー。
てゆーか、こいつ。
カフェで絡んできたイタリア人と一緒に居なかったっけ?
ウチの街って治安悪すぎない?
あ、でも弥堂が住んでる時点で治安は終わってるのか。
その時、獣人さんの折れた鼻がヒクっと動く。
彼は痛みに顔を顰めながら口を開いた。
どうやら覚えがあるのはあたしの方だけじゃないみたい。
《テメエ……、なんか誤魔化してやがるが、街に居たな? あのクソ野郎と一緒に……ッ!》
「は? 知んないし」
《トボけんなッ! テメエはあのクソ犬ジャップの女だろうがァッ!》
ぷっちーん。
≪スプリントバースト≫――
その言葉が耳に入るや否や、ほぼ無意識に発動させたダッシュスキルであたしは獣人さんに接近。
そして――
【模倣:LV8】【体術スキル:LV9】……
【戦技:格闘】«ブラジリアンハイキック(改)»――
上体を横に傾けて右足を大きく振り上げる。
その右足は相手の頭の高さを超えると、軌道が縦の振り下ろしに変化する。
《なッ――⁉》
あたしの速さに驚きながらも、獣人さんは流石の反応。
そのハイキックをギリギリのところで腕でガードした。
だけどそれで終わりじゃない――
《――ガァッ⁉》
彼のガードに足首を当てて、曲げた爪先で獣耳を引っ叩く。
すると彼の両眼はチカチカと白滅した。
これは学園の廊下で弥堂が高杉に繰り出した蹴り技を見て、“模倣”したもの。
ほんの一瞬敵が意識を飛ばしたこの隙に、トドメいくわよ――
【体術スキル:LV9】【軽業:LV10】【手加減:LV4】……
【戦技:格闘】«三連凶爪»――
「だ、れ、が……ッ――」
下ろした右足が地に着くと同時にあたしの身体はクルっと回転。
まず左の後ろ回し蹴りがアッパー軌道で跳ね上げられて、相手のガードの隙間を縫って顎を蹴り上げる。
「あいつの――ッ」
相手の足が地面から浮き、それを追うようにあたしも小ジャンプ。
跳び上がりつつ身体を捻って、今度は右の回し蹴りが横から頭を打つ。
その衝撃で相手の身体はグルっと上下反転。
「女だ――ッ」
そして三連目――
蹴りを振り抜いた勢いのまま大きく身体を捩って、左の後ろ回し蹴りがストレートの軌跡を描く。
「――ボ、ケぇーーッ!」
最後の蹴りが相手の胸にヒット。
逆さまのままの獣人さんの巨体をど派手にぶっとばした。
地面と平行に飛んだ彼は停車してた消防車に衝突。
頑丈なはずの消防車のボディが思い切り歪んで、その車体にめりこんだみたいに獣人の姿は見えなくなった。
やば。やりすぎた?
【手加減】したからだいじょぶよね?
まぁ、やりすぎたとしても相手が悪い。
人として決して言っちゃいけない侮辱ってあると思うの。
うんうんと頷く。
てゆーかさ。やっぱフツーこうなるわよね?
あいつなんでこれ避けれたの?
あたしがあの変態について、ヒドく納得いかない気持ちで考えてると――
「――ニセネコッ!」
あら、黄沙ちゃん。
ポカーンとしてる清祓課のスタッフさんたちを押しのけて、黄沙ちゃんがこちらへ駆けてくる。
彼女の頭の上でイヌ耳がピコピコ。
うーん。女児だとなんでこんなにカワイさが違うのかしら。
なんて暢気なことを考えてたら――
「――トドメ、サセッ!」
「へ――?」
黄沙ちゃんにお叱りを受けたと同時に――
ドカーンっと消防車のボディが弾ける。
飛び出してきたのはもちろんさっきの獣人さんだ。
「あっ――⁉」
――という間に、その獣人さんは消防車から伸びるハシゴを軽快に昇る。
何をするつもりかと、それを見張ってると――
獣人さんは驚きの身体能力で、四つ足で走るように手足を使ってホテルの壁を駆け上がって行った。
どこまで行くんだろ。
すごい高さまで行って小さな点になっちゃった。
「……あれ?」
てっきりまた襲ってくると思ったんだけど。
え? どゆこと?
「傭兵、生キ汚イ」
その時にはもう黄沙ちゃんがあたしの目の前に。
ジト目で呆れたように見上げてくる。
かわいーし。
「傭兵、死ぬマデ、戦ワナイ」
「えっと?」
「傭兵、イノチ、懸けナイ。ヤバくなったラ、スグ、ニゲル」
「あっ……」
そこまで言われてやっと、あたしは敵を逃がしたことに気が付いた。
「ご、ごめんなさい……」
あたしはシュンとしながら謝る。
でもさ?
あんなにキレてたのに速攻で逃げるなんて思わないじゃん?
切り替え速すぎない?
「あ、そうだ。ホテルの中にいた一般人の人たち助けてきました」
「イッパン人?」
黄沙ちゃんはあたしの後ろのスタッフさんたちをギロリ
尋常でない殺気を纏った女児の視線にスタッフさんたちはビクリ。
「オマエ……」
「通信切れちゃったから、独断で突入しちゃいました」
「……ソウカ。オイ――」
黄沙ちゃんは清祓課の隊員さんに救助者たちを引き渡してくれる。
塩対応だけど行動は迅速。
ちょっとあいつみたい。
ホテルのスタッフさんたちはあたしにお礼を言いながら清祓課に連れられて行く。
あたしはヒラヒラと手を振ってニコやかに見送った。
無事に帰してあげられてよかった。
なんて、あたしは一安心したんだけど、黄沙ちゃんはどこか浮かないお顔。
お耳をピン、お鼻をピクピクで、なんかピリピリしてる。
あれ? もしかして怒ってる?
「え、えっと、勝手な行動してごめんなさい……?」
「モウイイ。ソレヨリ。屋上、見えるカ?」
「屋上?」
どうも、持ち場を放棄したあたしの独断専行に怒ってるわけじゃないみたい。
首を傾げるあたしに彼女は苛立たしげに眉を寄せた。
「敵のヘリ、コッチに。報告、アッタ」
「それがこのホテルの屋上にいないかってことね……」
得心しながら【小指で支える世界】で確認。
あたしのMAPにはヘリとか車とか、生き物でない乗り物は表示されない。
だけど――
「――んん……?」
屋上のホテルの建物の外――つまり空中に数人の反応がある。
もしかしてこれかな?
「ここの屋上に来てるみたい……? って、そうだ!」
【仮初の絆】の監視機能を使って、弥堂の様子を見てみる。
あいつも屋上に居るはずだ。
<――ねぇっ!>
ちっちゃくしてどこか隅っこにやっちゃった弥堂カメラの映像を探しながら思念通話で呼びかける。
<なんだ。今忙しい>
すると、いつも通りの素っ気ない返事が返ってくる。
その頃には見つけていたあいつの映像を拡大。
<さっき一瞬だけキミとの繋がりが切れたんだけど、なにかあったの⁉>
<別に>
<そこ屋上よね⁉ そっちにヘリが2機行ったって! 大丈夫なの⁉>
<問題ない>
<って! ヘリいるじゃんかぁ⁉>
黄沙ちゃんが心配したとおりの事態。
おまけに――
<まさかあれに博士が……。どうするの⁉>
<追うに決まってるだろ>
弥堂はそう言うけど、ヘリはもうホテルから離れようとしてる。
本格的に飛ばれ始めたらもうどうにも出来ない。
だから、何かするつもりなら早くって。
そう言おうとした時に気が付く――
――あいつが手に持ってるモノに。
<な、なにそれ……っ>
注射器……?
あいつは何も言わない。
これが答えだとばかりに、その針を自分の首に突き刺した。
なにかのクスリ……?
それはわかんないけど、でも効果はすぐに現れる。
<そ、その血管って……>
あいつの首から昇って眼まで繋がるように、血管が大きく浮き出る。
そして瞳の蒼銀の輝きが強くなってる。
どう見てもマトモなモノには見えない。
だけど、これには見覚えがある。
学園の正門で、キモ告してきた時と一緒だ。
え? まさかこんな時にキモ告してくんの⁉
なんて、つい身の危険を感じちゃったけど。
それはハズレ。
あいつはホテルから離れて行くヘリの方へ向かって走り出した。
速い――
てゆーか、ちょっと待って?
<ちょっと……、まさか――⁉>
あんたそれはムチャだって!
<やめ――っ!>
あたしの制止もむなしく。
あのバカは屋上の縁から飛んだ。
あたしのブーツみたいな能力でもないと、どう考えても届く距離じゃない。
でも。
あいつはなんか手から変な黒いワイヤーみたいなの出してヘリにブラ下がる。
ヘリから銃で撃たれるけど、身体を揺すって器用にそれを避けて。
そのままヘリがビルとビルの間のルートに入ると、あいつは空中ブランコみたいにグイーンっと飛んでビルの壁に張り付き。
そしてワイヤーでヘリと繋がったまま、壁を横向きになって走り出した。
ウッソでしょぉッ⁉
その映像にあたしはビックリ仰天。
なんですぐそういう変態っぽいことすんの⁉
や。あたしも今日は大概なこといっぱいしたかもだけど。
あたしのはスキルとか装備とかのおかげだし。
あいつのはなんかそういうのと違くない⁉
「オイ、ドウダ?」
あ、黄沙ちゃん放置しちゃってた。
あのね? 博士が屋上からヘリで攫われたみたい。
「ヘリは、何機ダ?」
「え? 1機だと思うけど……」
「タブン、モウ1機、イル。サガセッ!」
「は、はい、ただいまー!」
怒鳴られながらあたしは必死にMAPを広げる。
すると――
「――あ、進行方向にもう1機待ち伏せしてるっぽい」
「逃げテルヤツ、ドッチに、進んデル?」
「たぶん……、港のある方かな?」
「ワカッタ――」
それだけ確認すると黄沙ちゃんはあたしの傍を離れる。
その辺に居た隊員さんから無線機をふんだくって、誰かに何かを言ってる。
あたしはまた弥堂の方に注目。
あ、あいつってば、あそこからどうする気なの?
あれ詰んでない?
なんちゅうムチャをすんのよ。
てゆーか、もう1機のヘリのこと教えてあげないと――
<――ちょっと! あんたなにやってんのよばかぁーっ!>
そう思って呼びかけるけど、あいつは塩対応。
黄沙ちゃんはカワイイけど、こいつにされるとマジでムカつく。
なんか「うるせぇ!」とか怒鳴ってきたし。
は?
おっと、口ゲンカしてる場合じゃない。
早く報せないと。
<――そこの角! ヘリがもう1機!>
博士を連れたヘリが角を曲がると、それと入れ替わるように待ち伏せていたもう1機のヘリが現れる。
あいつは――
「ち……、ここまでか……」
こんなバカなことした割に、あっさりと瞼を閉じようと――
それを見た瞬間、あたしの頭にカっと血が昇った。
<――あきらめんなっ!>
思念通話で怒鳴ると同時に駆け出す。
【体術スキル:LV9】【軽業:LV10】……
「【跳兎不墜】――」
スキルログをスルーしてブーツの“権能”を解放。
大きく跳び上がってホテルの壁を蹴る。
さっきの獣人よりも、弥堂よりも速く――
ホテルの壁を駆け上がって、そして大きく空中へとジャンプした。
そこはもうヘリや弥堂とほぼ同じ高度。
「【心射つ幻穹】――」
魔法弓を呼び出すと同時に魔石でチャージ。
色を失った魔石が遥か下へと落ちていく。
【弓術スキル:LV8】【射撃スキル:LV7】【鷹の目:LV9】【必中:LV9】【手加減:LV4】……
次に放つ魔法の矢に、弓系のスキルバフを全部乗せる。
空中で身を捩って反転。
逆さまになって落下しながら魔力の弦を引き絞った。
「《閃光》・《曲射》・《迅速》・《炸裂》……ッ! 【アーチ・レイ】――ッ!」
神速の光の矢を放つ。
その光の線は大きくカーブを描きながら一瞬で着弾。
弥堂と、あいつに機銃を向けるヘリとの間――ビルの壁に当たってそして閃光弾のように光が弾けた。
視界を奪われたパイロットは大きく機体のバランスを崩し、高度を下げる。
弥堂は落下しながら姿勢を変えて軌道を調整。
そしてヘリのプロペラの真上に。
え、ちょっと?
そしてゴツいナイフを抜くと、なんか回転するプロペラに当てて受け流しながら一緒に回り、そのまますり抜けてヘリのコックピットの上に無事に着地した。
えぇ……?
す、すごいとは思うけど、なんでいちいちそんなに変態っぽいの……?
あたしがドン引きしてる間にあいつはコックピットのガラスを叩き割って、速やかにパイロットさんを脅迫。
言葉が通じないはずなのに脅迫は成功。
あれってスキルなの?
そして弥堂はそのヘリに乗って、最初のヘリが飛び去った方へ飛んで行った。
「よ、っと――」
あたしも無事に着地。
あいつあそこからどうするつもりなんだろ?
つーか、一人で敵の本拠地的なトコに殴り込むつもり?
だったら助けに行かないと。
弥堂を乗せたヘリの反応は――
――あ、ダメだ。
もうとっくに【小指で支える世界】で表示してるMAPの範囲外に出ちゃってる。
それに、意識すると【仮初の絆】の繋がりも切れてたことがわかる。
今度は多分、作戦エリアから出たことで自動的にスキルが解除されちゃったんだと思う。
どうしよ。
もしもさっきの獣人みたいのが他に何人も居たら、あいつかなり不利よね?
それに博士を連れて逃げてった先ってことは、敵の本隊っていうか残りの仲間が全部居るってことだろうし。
どう考えても危険だ。
でも。
なんでだろ。
あいつの本気の戦いを見たのは、さっきの博士の部屋でのアレだけだ。
実際あいつがどれくらいの強さなのか、何が出来るのかはわかんないまま。
だけど。
何故か、あいつが負ける姿が想像できない。
魔術とか、ギフトとか、スキルとか――
そういうの全部関係なしに、あいつが勝つような気がしてる。
とはいっても。
だからって後は「ワンオペよろー」とは言えない。
幸いこっちも落ち着いたことだし、すぐに助けにというか、手伝いにいかなきゃ。
あたしのスピードならヘリが逃げてった方へ追っかければ多分追いつける。
大体近くまで行けば【小指で支える世界】で探せるかもだし。
よし。
そう決めてあたしも港の方向へ足を踏み出そうとした時――
またも突如の轟音が――
「――な、なにッ⁉」
ホテルの上からガラスやコンクリートの破片が降ってくる。
慌てて身を躱しながら上階の方を見上げる。
上の方ではまた火と煙が上がってる。
これって、また爆発?
「――ニセネコ!」
「黄沙ちゃん!」
イヌ耳少女が駆け足で近寄って来る。
その背後ではお腹を揺らしながら佐藤さんも走ってる。
「ねぇ、黄沙ちゃん。これって――」
「――爆弾。サッキと、オナジ、爆発」
「そんな……、まだあったの……?」
自分の予想が当たってはいた。
だけど。
うん?
すぐに疑問が浮かぶ。
1回目の爆破って、弥堂がやったのよね?
それと同じだって言っても、その弥堂はもうここに居ないじゃん。
「ニセネコ。キュウジョ、モウ一回」
「え――」
じゃあ誰が? と考えるよりも先に黄沙ちゃんからの指令。
「一般人、優先。他ニモ、負傷者、回収」
「う……、そ、そうよね……」
確かにそれはやらなくちゃいけない。
「アメリカに恩を売るチャンスでもあるからさ。頼むよ、ウェアキャットくん」
佐藤さんにも頼まれてしまう。
仕事的にも、人道的にも、指示に逆らってあいつを追うなんてことは出来ない。
今の爆発の具体的な被害もわからないし、急がなきゃ。
【小指で支える世界】の範囲を再び調整。
MAPの範囲が狭まって周辺市街地が外れホテル内に絞られる。
それを見てると、何故かまた自分が蚊帳の外にされてるような気がした。
あたしはこのMAPの範囲内に居るはずで、弾き出されたのはあいつの方なのに。
ヘンなの。
ん?
また?
今あたし『また』って思った?
それって……
「イソゲ!」
「あ、うん」
黄沙ちゃんに急かされて思考は再び中断。
でも確かにごもっとも。
今は一般人とケガ人を助けなきゃ。
あたしはホテルの玄関の方を向いて、足を一歩前に出す。
その右足が地面を踏んだ瞬間――
「――ッ⁉」
――ハッとする。
なにか第六感的に感じるものがあり、急いで振り返って頭上を見上げる。
すると――
「あれは……っ」
――何時間か前と同様、頭上の高い位置に黒いドローンが浮かんでいた。
そのドローンはあたしと目が合うと、その場を飛び去る。
なに――?
今、あたしを見てた……?
あれは、みらいなの……?
そう思いつつも、あたしの頭に浮かんだのはみらいじゃない。
別の顔だ。
その浮かんだ顔は――
「――天使……?」
――なんで?
こないだ美景の海の上で戦った天使の顔が、何故か今思い浮かんだ。
あれは、みらいじゃない?
あのドローンは誰?
なにもわからない。
少し混乱もしてる。
だけど、カンが答えを先に教えてくる。
誰かが、あたしが港に行くのをジャマしてる……?
そんなの支離滅裂だし、イミわかんない。
でも、そう思いついたら。
もう、そうとしか思えなくなる。
だけど、それってどういうことなの?
「――ニセネコッ!」
「は、はいっ!」
黄沙ちゃんに怒られてあたしはホテルへ走り出す。
ゆっくり考えてるヒマもない。
ちきしょー。
なんかすっごくイライラしてきた。
この不快感はなに?
正体不明な不気味さを感じながら、あたしは再び救助活動に身を投じた。




