2章37 5月6日 ①
5月6日 水曜日。
G.Wの最終日――
「――ヤサだ」
この日の正午頃、新美景駅北口にある御影探偵事務所の応接室に現れるなり弥堂 優輝はそう言い放った。
「こ、困りますぅっ!」
この事務所の所長である御影 都紀子はそう返す。
「なにが困る?」
「な、なにって……」
弥堂にそう聞かれると所長は彼の背後に困惑の目を向ける。
彼はここに一人で現れたわけではない。
二人の同伴者を伴ってシフトも入っていないのに勝手に出勤してきたのだ。
ちなみに今日の弥堂くんはジャージ姿である。
弥堂と一緒に居るのは、一人は見知らぬ日本人の女性。
そしてもう一人は彼の陰でなにやらコソコソと隠れる女児だ。
まず目を惹かれるのは女児の方。
くすんだ銀色の髪の上にほっかむりをしていて、サングラスで顔を隠している。
大人用のサングラスなので手で押さえてないとズリ落ちてくるようだ。
そんな恰好で弥堂の身体を盾にして身を隠し、ビクビクと怯えている。
その女児が怯えている理由は所長にもわかる。
弥堂とは別口で来所していた“清祓課”の女児――黄沙が原因だ。
公務員女児は頭の上のイヌ耳をピンっと立てて、弥堂が連れてきた野良女児をガン見している。
どうやら一目でロックオンをされるような理由のある女児のようだ。
それから、もう一人の成人女性の方。
こちらは所長と同じくらいの年代に見えた。
この女性もどこか気まずそうにオドオドとしている。
当然知らない人なのだが、所長はこの女性を見た瞬間に途轍もなくイヤな予感を覚えたのだ。
一通り目を配ってから弥堂へと視線を戻す。
「なにがなんだかわからなすぎて困りますぅ……っ!」
そして所長は再び正当な主張をした。
なにせ昨日の顛末もまだ碌に聞かされていないのだ。
それを教えてくれるためについ先頃“清祓課”の方々が見えたばかりで、その矢先に弥堂が現れたという順番となる。
弥堂はコクリと頷き、そして自身の隣に居る女性――
福市 穏佳へと声をかけた。
「お前は今日からここで働くことになる。住み込みでな」
「え……? だって……」
福市博士は驚きに目を開き、そろーっと所長を見る。
この職場の責任者と思われる人が「困ります」と言ったばかりなのになにを――そう思ったが、昨日の今日だ。
下手に口答えをすると、この殺人鬼が何をするかわからない。
自分に酷いことをしたり言ったりしてくるのも怖いが、もしかしたら昨日のようにこの場に居る人たちを脈絡なく殺害し始めるかもしれない。
博士は慎重に言葉を噤んだ。
プルプルと震える彼女に弥堂はコクリと頷く。
反論をしてこなかったので、了承をしたと受けとったのだ。
再び所長へ告げる。
「こいつを雇え」
「そ、そんな、いきなり言われても……。それに――」
所長は『そもそもその人は誰なの?』と聞こうとして、言葉が止まった。
聞いたらなにか後戻りが出来ないような、そんな気がして喉が締まったのだ。
なので、反論の方向を変える。
「そ、その、ウチには従業員を増やせるだけの余裕が……」
「勘違いをするな。これは俺からの依頼だ」
「え?」
しかし、いつも通りこちらの予測していない方向からの返答をされてしまう。
「こいつを働かせれば毎月100万円をお前にやる。その金からこいつに給料を払って、残りは所長――アンタの取り分だ」
「え、えっと……?」
混乱する所長が反論をしなかったので、弥堂は了承と見做して話を進める。
彼は効率厨なので相手の理解を待てないのだ。
「ということで、お前は今日からここの構成員だ。しっかり組織に貢献しろよ」
「えっ? そ、そしき……?」
「あ、あのっ! 従業員っ! せめて従業員って言ってください! ウチは健全な探偵事務所ですから……!」
慌てて横から訂正してくる所長の言葉に、弥堂はギラリと眼を光らせる。
「おい、聞いたな? 俺はお前のことを『ここの従業員』と呼ばねばならんそうだ。なにせここのボスがそう言ったんだからな」
「あ――っ⁉」
完全に揚げ足をとられた形になり、御影所長はびっくりする。
「そういうわけでお前は今日から健全な探偵事務所の従業員だ。しっかり貢献しろよ」
「あ、あの……、いいのでしょうか……?」
「うっ……⁉」
続けて博士からおずおずとした目を向けられてしまい、人のいい所長は拒否をしづらくなった。
他人への気遣いの心などは欠片も持ち合わせていない男だけが、当たり前のように頷く。
「悪いわけがない。何せお前を置いておくだけでこの女には毎月数十万もの定期収入が入るんだ。断る理由がない。そうだろ? 所長」
「え、えっと……」
所長はお目めをキョロキョロとさせて考える。
この事務所は人手にも困っているし、お金にも困っているのだ。
それに――
「――元々それがお前のシノギなんだろ。俺を拾ったのも、そうだったんだろ?」
「……フフ、シノギって言わないで……、いえ、確かに“凌ぎ”ですね……」
御影所長は微笑み、頷き、やがて――
「――あ、あの……? 事務が手薄なんですけど、パソコンとか使えます……?」
「は、はい……、その、一通りは出来ると思います……」
チロっと博士へ目を向けて、控えめにそう訊ねる。
オドオドとしながら博士も控えめに答えた。
天才研究者相手に何を言っているんだと、弥堂はそれを白けた眼で視る。
すると――
「――ちょ……っ! ちょっとちょっと、弥堂君……っ!」
そのタイミングで声を挿しこんできたのは、最初からこの部屋に居たがここまでずっと置物のようになっていた男だ。
“清祓課”の役職者で今回の事件の責任者――佐藤 一郎だ。
昨夜から調査を続けており、そして現在も行方の知れないはずの福市博士。
その本人を連れて弥堂が現れたので、オジさんはぶったまげてフリーズしてしまっていたのである。
護衛任務は失敗。
護衛対象は死亡。
ほんの数時間前にそういうことにしたばかりなのだから無理はない。
「ね、ねぇ? 弥堂くん……? こ、この方って……」
佐藤は徹夜で普段より一層脂ぎった顔にダラダラと汗を流して博士を凝視する。
その目は、徹夜なので当然血走っている。
大変申し訳ないがキモいと――博士はそう感じて身を捩った。
弥堂は佐藤に、やはり当然のことのように告げる。
「こいつは路頭に迷っていた知らない女だ。さっき拾った」
「はい……?」
理解出来ないと首を斜めにするオジさんに、弥堂はなおも白々しく続けた。
「俺は心優しいナイスガイであり慈善家だ。彼女を救いたい。だからこのヤサをくれてやった。とりあえずこのビルの2階の空き室に突っ込む」
「慈善家の言葉遣いじゃないんだよなあ……」
弥堂が中年男性相手にゴリ押しをしようとしていると、御影所長が大事なことを思い出したように口に出す。
「……あ。で、でも弥堂くん……。あの空き室はウチの物件では……」
「皐月組のモンだろ? 話はつけてある」
「そ、それはそうなんですが、でも、それ以外にこのビルに入居するには御影の許可が……」
「皐月もそう言っていた。だから俺はお前に伺いをたてた。お前は『いい』と言った」
「で、でも、私じゃなくって御影の――」
「お前も『御影』だろ」
「そ、そういえば今はそうでしたぁー⁉」
弥堂の悪質な詐欺に引っ掛かったことに気が付き、御影 都紀子はガーンっと頭を抱える。
「あ、あわわ……っ。大変なことに……っ! 御影に怒られちゃう……⁉」
いい歳をして「あわわ」とか言いながら顔色を悪くする女に弥堂は呆れる。
『お前の方が立場は上だろ』――と。
その頃には佐藤も体裁を繕っている。
咳ばらいをして弥堂へ言葉を向けた。
「キミのやりたいことはわかったよ。だけどね? キミ、こんな無茶苦茶なこと……」
「無茶苦茶? お前に言われたくないな」
大人からの説教に弥堂が居住まいを正すことなど当然ない。
むしろ見下したような眼を佐藤に返す。
「いやあ、僕は極めて真っ当な大人であり、模範的な公務員だよお」
「ふん、昨夜もそんなことを言っていたな。だが、いつまでそう言い張っていられるかな」
「え?」
「おい――」
何やら意味深な弥堂の物言いに佐藤は目を丸くする。
そんな彼に構わずに、弥堂は自身の背後に控える者に声をかけた。
すると――
「――ヘ、ヘイッ! アニキ!」
ほっかむり女児が前に出てくる。
当然、その正体は悪魔メロだ。
女児スタイルの彼女のお手てには何かが握られている。
「やれ――」
「ヘイッ!」
弥堂のアニキの命令に従って『スイッチオン』されたその物体は――
ボイスレコーダーだ。
『――どうか、オジさんのママになってくれないか?』
『で、でも――』
「え――⁉」
そのレコーダーから流れてくる自分の声に、佐藤のオジさんはビックリ仰天した。
思わず固まってしまうが、その間にもどんどんと音声は続く。
『――この後のほんの2時間ほどの時間だけ、オジさんのママになって甘やかして欲しいってだけのことなのさ。簡単だろう?』
『――ママっていうのはね、概念なんだ。見た目・年齢・性別……、そういった俗世的で物理的なものを遥かに超越した次元の存在。それがママだ。むしろ年下である方がいい。年下のママこそ至高なんだ』
『――で、でも……、私おっぱい出ないです……』
『――キミ……、いいお乳をしているねぇ……』
「な、なんだこれは……⁉ しらない! 僕は知らないぞ……っ!」
一部恣意的な編集をされているが、喋っている声は間違いなく佐藤のもの。
そして話し相手は、少し幼げな声と口調の女の子だ。
佐藤は焦りながら全力で否認するが、御影所長と福市博士の二人の成人女性からゴミを見るような目を向けられる。
だが、これは佐藤が苦し紛れにしらばっくれているわけではない。
彼は本当に身に覚えがないのだ。
この音声の出来事は4月24日の午後、新美景駅前のパパ活広場で起こったことだ。
学園を飛び出した後に行き場がなくて街を彷徨っていた愛苗に、佐藤が声をかけた場面の切り取りである。
なのに、佐藤自身はこの出来事を本当に覚えていない。
この時に弥堂と初めて出会ったことはしっかりと記憶にある。
だが現在流れているこの音声内の会話内容と会話相手には全く思いあたるものがないのだ。
何故ならこの出来事の翌日に愛苗は――水無瀬 愛苗は『水無瀬 愛苗』ではなくなってしまったから。
彼女はニンゲン『水無瀬 愛苗』から魔王級の悪魔となってしまった。
それは存在の根幹からの変貌。
“魂の設計図”が大きく書き換わるような変化――それ以上とも謂えるベツモノに“生まれ孵る”ようなことだ。
それに伴い、この『世界』からは元の『水無瀬 愛苗』という意味は消失してしまい、そして全ての人の記憶や記録から消えてしまった。
正確には思い出せなくなっている。
本当に何の意味もないものを人は認知出来ない。
認知できないものを思い出せない。
したがって、現在の愛苗と、以前の『水無瀬 愛苗』を同一の存在として結びつけることが出来なくなったのだ。
それは人の記憶だけでなく、あらゆる媒体の記録も同じである。
動画、写真、音声、書類――そういったあらゆる記録も失われている。
自動的に消えてなくなったわけではなく、人々が不要なものとして無意識にそれを処分してしまうのだ。
しかし、そうはならない例外も居る。
それは弥堂のように、愛苗を覚えている側の人間だ。
『――キミはいいママになれるよ。もしかしてこういうことは初めてかい?』
『――大丈夫。オジさんは慣れているから。オジさんがキミを立派なママにしてあげるよ。なにせ僕はプロだからね』
では、現在流れているこの音声はどうやって用意したのか。
弥堂とメロが愛苗に売春を持ち掛ける佐藤を押さえに現場に突入したのは、この音声の少し後のことだった。
「――証拠を押さえる前に、俺がノコノコと顔を出すとでも思ったか?」
「ウハハハッ! 気付くまいッス! 音もなく死角から忍び寄るこのネコさんにッ!」
「ど、どういうことだ……? 僕はあの時レイラちゃんと約束をしてあそこへ……、でもこの声は彼女じゃない……?」
「防犯ブザーが鳴る前にこいつにボイスレコーダーを持たせて近づかせてたんだよ」
弥堂がタネ明かしをしながら、イキがる女児の後ろ頭をペシっと引っ叩くと、メロはそのショックで「ヘブシッ」とくしゃみをした。
女児の生唾が佐藤のスーツに染みを作る。
パパ活オジさんは若干興奮してしまって今考えていたことを忘れる。
だがそんな場合でもないので、慌てて頭を振って弁明をした。
「ま、待ってくれ……! 本当に覚えがないんだ!」
「じゃあこれは誰の声なんだ?」
レコーダーからは今も音声が流れ続けている。
『――オジさんがキミのパパになってあげる――』
『――帰る場所も、行く場所もない。そんなキミにとりあえず必要なのはお金。そしてキミにお金をあげられるのは、僕のような訓練されたパパだけ。そうだろう?』
「…………」
ついにド直球に金銭の話をし始めたいつかの佐藤の声に、全員が白けた顔をした。
佐藤も否定出来なくなる。
覚えがないのは今もそうだが、しかし自分でも「あ、僕が言いそう」と思ってしまったからだ。
『――あくまで概念上のパパだよ。お金で繋がって心で通じ合う。そんな関係さ』
「…………」
それもいつも自分で言っていることだった。
それには確実に覚えがある。
だが、だからといって認めるわけにはいかない。
佐藤はプロのパパだからだ。
「ふ、黄沙ちゃん……っ!」
最後の悪あがきのために、佐藤は最も信頼できる部下に助けを求める。
イヌ耳女児は汚物を見るような目をしているが、しかし彼女とは昨日今日の付き合いではない。
きっと話せばわかってくれるし、信じてくれるはずだ。
「き、聞いてくれ黄沙ちゃん……! 僕が――」
その時――
『――僕がキミのパパになり、そしてキミが僕のママになる。これで対等さ。なぁに、心配しないでくれ。オジさんこれでもお金だけは持っているんだ』
佐藤の肉声に被せるように、音声が流れる。
そして――
「オヤジ、キモイ。イタイ目、ミロ」
――黄沙ちゃんはパパ活を行っていた上司を斬り捨てた。
何故なら今しがた流れた台詞と似たようなことを、彼女自身しょっちゅう本人から言われているからだ。
「そ、そんな……」
ドサっと、万策尽きた売春男は崩れ落ちた。
その哀愁が漂いつつも情けのない姿に、俄然メロが勢いづく。
「オイオイ、オッサンよォ? アンさんエライことしてくれはりましたなぁ~?」
「あ、あぁ……っ」
メロが佐藤の生え際が衰退し脂ぎったオデコをピシャリピシャリと叩く。
佐藤は震えつつも若干興奮した。
「ウチの若いモン、それもよりによってアニキのスケに手をだしてくれよってからに……。こんなん許されまへんでェッ! ねッ? アニキ!」
「うるせえな。それ何語だよ」
「にゃー」
調子にのったメロの襟首を掴んでそのへんにペイっと投げる。
そして入れ替わりに床に膝を着く佐藤の前にしゃがみこんだ。
「だが、言っていることは大体そのとおりだ。おい、お前これどうケジメつけんだ?」
「ケ、ケジメって……、でも、やっぱり僕には覚えが……」
「へぇ? それはパッと思い出せないくらいに身に覚えがあるって意味か? お前常習だろ」
「そ、それは……」
激しく目を泳がせる佐藤に、弥堂はさらに囁く。
「このデータはコピーだ。これは俺に何かがあった場合、自動的に関係各所へ送られるようになっている」
「か、関係……?」
「わかるだろ? お前が何を主張するかじゃない。これを聞いたお前の上司、市長、そして各新聞社にTV局、週刊誌――そういった連中がどう思うかだ。そして彼らが発信する内容が世間にとっての“真実”となるだろう」
「ままま、まさか……⁉」
「俺の言ってる意味、わかるよな?」
弥堂に冷酷な眼を向けられると、佐藤は一気に青褪めた。
そして弥堂に縋りついてくる。
「こ、困るよ……! オジさん昇進したばっかりなんだ! 家出してた妻子だってようやく実家から帰ってきてくれるって言ってくれたばかりなのに……!」
「妻子が家出してんのに売春なんかしてんじゃねえよ、クソジジイ」
「あぅ……っ⁉」
弥堂はスッと真顔になり、素で彼を非難した。
佐藤はベチャと床に投げ捨てられる。
「ドーンッ!」
「ぶひぃっ⁉」
するとすかさずメロが佐藤の背中にお尻を落とす。
豚のように鳴いた佐藤は特に何も言われていないにも関わらずに四つん這いの姿勢を取り、彼女の椅子になる。
身体にかかる負荷により「はふはふ」と息を荒げ、佐藤の眼鏡は曇っていった。
弥堂は四つん這いの中年の前に立ち、見下ろす。
「さて、どうする?」
「キ、キミは、僕にどうして欲しいんだ……⁉」
「さぁ? わかるだろ?」
「えー? 僕にはちょっとわからないなぁ……」
佐藤の口元がヘラヘラとした笑みを浮かべる。
その愉悦はどこからくるものなのか。
眼鏡のレンズが曇っていて、その奥は見えない。
「……美景台総合病院、ホームレス――」
「――っ⁉」
ポツリと言ったその単語に、メロのお尻の下の佐藤の身体がピクっと反応をした。
「あそこの近くの廃病院にホームレスが棲みついていた。最近見かけないんだ。何か知らないか?」
「えぇ……、オジさんはホームレスには詳しくないけど、警察の指導で退去したんじゃあないかなぁ……」
関係ない世間話をするような弥堂の問いかけを、佐藤はヘラヘラと受け流す。
「俺は最近、美景台総合病院に頻繁に出入りをしている」
「……へぇ?」
「あそこの理事長と友人でな。近頃病院内で怪奇現象が起きるからそれを解決してくれと頼まれた」
「なるほどなるほど。あくまで『魔術師として仕事を受けて』ってことだね?」
「そうだ。つまりあそこは俺のナワバリだ。お前らの関係者を近付けるな」
「うぅ~ん……」
「なにか問題でもあるのか?」
ギロリと睨めつけ見下ろす弥堂に、佐藤はニヤリと笑って見上げた。
「いんやぁ? あ、ホントはダメなんだけどね。規則的には。でも、通報や命令がない限りは“清祓課”の方から自主的に“外法師”のシノギを取り締まったりはしない。地回りの皐月サンや御影サンに話が通っているんなら、僕の方では問題ないよ?」
「そうか」
気弱なパパ活オジさんを、若い不良の男が恐喝している。
そんな雰囲気が徐々に変わってきていて、少し室内の温度が下がったように他の者に感じさせた。
「もう一度言うが、俺はあそこの理事長と友人だ。親友なんだ」
「それはそれは、随分と歳の離れた友人だね」
「友情に年齢は関係ない。そうだろ?」
「そうだね。友情にはただ、理由があればいい。それで?」
二人の会話は一見すると穏健なようでいて、どこかピリピリとした緊張感もある。
佐藤の背中に座るメロは逃げだしたくなったので降りようと僅かに身を動かす。
その瞬間に弥堂の視線がギロリとメロに向いた。
メロはピィーンッと背中を伸ばしてお行儀よく座りなおす。
弥堂のあの雰囲気は戦闘態勢に入っている。
これは動いたり余計なことを言ったりすると殺されるヤツだと、メロはプルプル震えながら大人しくした。
「あの理事長が支援している政治団体。地元の。そんなのがあるだろ」
「へぇ~、そうなんだぁ~」
「そこの議員に居るよな? 警察OBが。結構上の方に」
「うん? まぁ、そういうこともあるかもしれないね。それで?」
「別に。色々と出来るかもしれないな。それだけだ」
「色々ってなんだい?」
「色々は色々だ。それがどんなことになるかはお前次第じゃないか?」
「ふふ、それはそうかもねぇ」
美景台総合病院の理事長の指名嬢である華蓮さん――彼女がベッドの中で聞いたこと。
それを弥堂もまたベッドの中で彼女から聞きだす。
今語った内容は半分はハッタリだ。
具体的に何が出来るかまでは弥堂は把握していない。
しかし『色々出来るかもしれない』というのは本当だ。
その色々がどういう内容になるかは佐藤次第というのも。
彼が『どっち』の意味で受け取るかによる。
これが今回の件における弥堂の切り札だ。
今回の件とは昨日の仕事のことではない。
あれは清祓課から受けたただのバイト。
その目的は金とツテ。
しかしその二つを求めるのは結局手段でしかない。
もっと大きな範囲での弥堂の目的は一つ――
水無瀬 愛苗を守ることだ。
それを達成するためには直近の問題があった。
“魔法少女”というモノをこの国がどういう目で見るか。
“魔法少女”というモノをこの国がどういう風に扱うか。
そして前回の港の事件をどのように見て、どう扱うか
それらは今回の事件を通して大体把握することが出来た。
彼らに愛苗は渡せない。
そうすると、社会というモノは愛苗を脅かすモノである――そういうことになる。
少し言い換えると、愛苗の生活は警察などの行政に脅かされるものとなる。
弥堂が愛苗を守るためにまず第一に熟さなければいけないミッションは、彼女を日常生活に復帰させるということだ。
それは絶対に避けては通れないことであるし、彼女との約束でもある。
『元通りに戻りたい』と彼女は泣いた。
弥堂はそれを『6,7割は叶えてやる』と約束した。
だが、前回の美景市で起きた事件を捜査するために警察並びに清祓課は港での出来事を追っている。
その過程で弥堂に行き着いた。
たとえ弥堂が居なかったとしても最終的には愛苗に辿り着くだろう。
つまり、国や警察、それに陰陽師の機関――それらは愛苗を追う存在であり、脅かすものだ。
ならばどうするか――
弥堂の出した結論はいつも通り。
脅迫だ。
その為に今回の事件を通して、自身の力を見せしめてやった。
だがその力で脅して抑えつけることは不可能だろう。
まず数が違う。
それに、弥堂以上の実力者だって当然居るだろう。
だから生命の脅迫だけじゃなく、立場を脅かす脅迫もする。
『自分に何かあったら自動的に不祥事が各所に送られる』
これは言葉どおりだけの意味ではない。
佐藤ならそれに気が付くだろうと判断した。
今回、弥堂 優輝は日本の“清祓課”が、アメリカの“G.H.O.S.T”に味方として派遣した戦力だ。
弥堂自身が相手の弱みとなることで、いざとなれば自爆して外交問題をおこしてやるという脅しだ。
そして脅すだけでなく――
「――さっき言ったホームレス」
「うん?」
「ヤツを殺したのは俺だ」
「「え――っ⁉」」
唐突なその暴露にギョッとしたのは佐藤ではなく、メロと御影所長だった。
福市博士は特に反応しない。
彼女は今回の事件の渦中で弥堂が次々に人を殺すところを一番間近で見ている。
今更知らない人をもう一人殺していたと言われても特に何も驚きはない。
佐藤は含み笑いを漏らすだけだ。
「それで?」
「俺を裁くか?」
「うぅ~ん……」
佐藤は唸る。
しかしそれは考えているというポーズだ。
「いや? しないよ」
「へぇ」
そして最低限の体裁は繕ったとして、警察官がそう返事する。
「あれはね、こっちで雇ってた情報屋だったんだ」
「らしいな」
「だけど、不誠実な人でね。漏らしちゃいけないとこにまで漏らしちゃいけないことを……」
「そうか。それは困ったな」
「そう。困っちゃうよ。ところでどうしてそれを?」
結論が既に決まっている。
そんな白々しい会話をまるで通過儀礼のように二人は行う。
「お前らの手間を省いてやったんだ」
「モノは言いようだねぇ」
「あぁ。好きなように謂える。俺も、お前も」
「それで?」
「お互いに困ることはしない。助け合う。そんな友達になろうと言っているんだ。病院の理事長のように」
「それはいいねぇ。オジさん平和主義者だからさ。友達は好きだよ」
弥堂はもう一歩踏み込む。
「汚れ仕事をやってやる」
「汚れ仕事ねぇ……、例えば?」
「今回と同じだ。消えただろ? お前にとって不都合な人間が」
「そんな、僕はそんなことを他人に思ったことはないよ」
「使えない手下、部下、従業員。代わりに始末してやるよ。こういうの何て言うんだ?」
「うん?」
「最近流行ってるんだろ? あー……、そうだ。“退職代行”だ」
「それはちょっと意味というか、立場が真逆になっちゃうかな……」
足手纏いを殺害することで代わりに退職に追い込んでやると言う弥堂に、佐藤は苦笑いをした。
「当然、身内だけじゃない。今回と同じ。消えただろ? お前に不都合な外部の人間。それは……」
「…………」
弥堂はその先を――
その名前までを口にしなかった。
その前に――
佐藤の貌がグニャリと歪んだ。
それは笑みだ。
醜く、厭らしい――
豚のような笑い貌だった。
これが――
この脅迫材料が、弥堂の用意した今回の件に対する切り札だった。
そしてそれは――
「――ぶぇっ」
弥堂がメロの襟首を掴み上げると彼女はブタさんのような鳴き声を漏らす。
そのまま持ち上げて佐藤の上からどかした。
佐藤は何事もなかったように立ち上がると、スッと弥堂に手を差し出す。
弥堂はその手を握った。
「いやあ~、オジさん難しいことよくわかんないけど、でも仲良くしたいからさ。友達になっておくよお~」
「そうか。よろしくな」
汚い大人は手を握り合う。
「……ニンゲンってクズばっかッス」
「オヤジ、キタナイ、クソ」
二人の女児はそれを醒めた目で見ている。
しかし――
そこまで簡単なことでもない。
「でもさ。ちょっと事が大き過ぎるというかなんというか……」
熟練の大人である佐藤ははぐらかしにかかった。
「だから――」
「――“WIZ”って知ってるよな?」
その寸前に、弥堂はもう一つの爆弾を放りだす。
握っている佐藤の手がピクリと動き、そして彼は愛想笑いを浮かべたまま止まった。
弥堂は彼の耳元に顔を寄せる。
そして――
「――あれの原料は“賢者の石”だ」
「…………」
佐藤は表情を固めたままで、目線だけを福市博士に向けた。
そのまま佐藤は数秒程動きを止める。
それからまたその唇を厭らしく歪めた。
「へぇ~? それはそれは……、それは知らなかったなあ……」
「戦場で拾った。これは土産だ」
実に愉しそうに嬉しそうに笑う佐藤の瞼の奥――
全く笑っていない目を視ながら弥堂は手と身体を離した。
「売人は一人押さえてる。皐月組に渡しちまったが、必要ならコンタクトを取るために口を利いてやる」
「うんうん。その時は是非頼むよ。オジさんその前に調べなきゃいけないことが山ほど出来ちゃったから、先にそれを整えるね?」
「こっちにもそれを回せよ」
「もちろん。そんな不義理はしないさ。だけど弥堂くん。オジさんにこんな刺激的なことを聞かせちゃったんだ。“その時”は“ヨロシク”ね?」
今もまだ笑っていないその目を佐藤は向けてくる。
弥堂は適当に肩を竦めた。
「それをやってやると売り込んだんだ」
「フフフ……」
佐藤は意味深に笑う。
そして、弥堂はここで、ようやく肝心なことを訊く。
「それで――今回の仕事、ボーナスの査定は?」
「フフフ……」
佐藤は変わらぬ笑みを浮かべたまま、黄沙に目配せをする。
黄沙はイヤそうな顔をしながらアタッシュケースを持って進み出ると、それを弥堂の眼の床にドンっと置いた。
「150%だよ。当然キャッシュで――」
それを開けることなく、佐藤はそう通告した。
「そうか」
弥堂もそれを開けることなく、メロへ顎を振って合図する。
「ヘイ! アニキッ!」
メロは威勢よく返事をしてその現金の入ったアタッシュケースを回収する。
しかし思っていた以上の重さだったようで盛大に引っ繰り返った。
彼らが受け取ったことを確認すると、佐藤は退室する気配を見せる。
弥堂はその前にもう一度念押しをすることにした。
「おい。お前は係長だったか? それなりに偉いんだろ? それなりのモノを持って来いよ」
「うん?」
弥堂のその言葉に佐藤は不思議そうに首を傾げ、それからクスクスと可笑しそうに笑い始めた。
弥堂は不快そうに眉間を歪める。
「なんだ?」
「あぁ、いや、違うんだ。ごめんごめん。ちゃんと名乗り直してなかったなあって……」
佐藤は曖昧に笑ったまま近づいてきて、弥堂の手に何かを握らせる。
それは以前と同じように、名刺だった。
「言っただろ? 昇進したばかりだって」
佐藤は応接室の出口へと歩いて行く。
その後を黄沙が着いていく。
進みながら、離れながら、諳んじる。
「申し遅れました。ワタクシ、東京都公安委員会 第十三課 清祓係 課長補佐代理 兼 美景分室 特別情報室 室長代理、佐藤 一郎と申します……」
ドアを開けて振り返り――
「もちろん偽名ですっ――」
不細工なウィンクを残して、彼らは立ち去った。
「ふん……」
胡散臭そうに鼻を鳴らして弥堂は渡された名刺を指で弾く。
ヒラリと宙を舞った名刺には、今佐藤が読み上げたものと同じことが書かれていた。
名刺が床に落ちると同時に、応接室のドアは完全に閉まった。




