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俺は普通の高校生なので、  作者: 雨ノ千雨
2章 俺は普通の高校生なので、バイト先で偶然出逢わない
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2章35 MAD DOG ⑥


 美景新港の倉庫――


 先程までここで鳴り続けていた激しい銃声と怒号はすっかりと消え失せていた。



 倉庫内には立っている人間は一人しかいない。


 他は例外なく床に横たわっている。



 その全てが死体――


 というわけでもなく、何名分かの荒い息遣いが聴こえていた。



「……ハァ……ハァ……ッ。マ、マジか、よ……ッ」



 黒人兵士ダニエル・スミスは仰向けになりながら右手を天井に透かす。


 自分がまだ生きているのが信じられないといった感嘆だ。



 彼以外にも生き残りは居る。



「け、けっこう……、どうにかなる、モンなんだな……ッ」


「オ、オォ……。絶対死んだと、思ったぜ……」


「も、もう、戦争なんて二度とゴメンだ……ッ」



 アレックス、ビアンキ、フェリペもダニーと同じく床に寝そべっており、息も絶え絶えな様子だ。



「オイ、エマ……、生きてっか……?」


「…………」



 少し離れた位置に倒れている彼女にアレックスが声を掛ける。


 するとエマは無言のままで、力無くパチンっと床を叩いた。


 口を利く余裕はないが、彼女も無事に生き残ったようだ。



 近くの瓦礫と瓦礫の隙間では、福市博士が身を丸めて震えている。



 まさに死屍累々の様相。



 しかし、真の意味で死屍累々と云えるのは、彼らではなく、彼らの周囲だ。



 彼ら以外に、生き残りはいない。


 他に床に倒れているモノは、全てが死体だ。



 “G.H.O.S.T(ゴースト)”、アレックスたちを裏切って“G.H.O.S.T(ゴースト)”に与した傭兵たち、それから共に戦った仲間たち。


 敵だった者も、味方だった者も――


 今挙がった彼ら以外は全員が死んだ。



 元々が多勢に無勢な戦いであり、さらにその戦いは突発的に劣勢な状況で始まった。


 だから、彼らの内の誰しもが、本当に勝てるとは思っていなかった。


 だが、抵抗する以外に他に道は無いので、破れかぶれで戦っていただけであった。



 今回勝てたのは奇跡と言ってもいいレベルの幸運で、おそらく同じことをもう一度やるのは不可能だし、仮にやれと言われれば全力で逃げ出す。


 こんな地獄のような戦場で勝ちの糸を辿れたのは――



「――勝てたのは、間違いなくアイツの……」



 顔は天井に向けたまま、アレックスは目線だけを横に動かす。



 視界に映した人物――


 アレックスたちが精魂尽き果てて倒れている中で、その男だけは顔色も変えずに死体しか存在しない戦場を未だ歩き回っている。



 一つが終わったらまた次の一つ。



 その為に必要となる物を拾い集めているのは、この戦場に於けるもう一人の生き残り――



――弥堂 優輝である。




 アレックスはボウッと弥堂の動きを見ている。


 その内に彼はこちらへと歩いてくる。


 何歩か近づいて来ると、彼の手に持ったモノが見えるようになる。



 アレックスは顔を顰めた。



「オマエ、そんなモン何に使うんだ?」



 床に寝たままアレックスが弥堂に問う。


 弥堂は彼に視線を向けたが、何も答えない。


 代わりに頭の中で念じる。



「――エアリス」


<警察や消防への通報は始めているわ。もちろん――『普通の』方のね>



 弥堂はそれだけ聞くとエアリスとアレックスにも返事をしないまま、行き先を変える。


 向かった先は、茫然とヘタリこむ福市博士の元だ。



「こ……、こんな……、こんなに、人が……、ははっ……、おかしい、おかしいですよ……っ、こんなの……、こんなこと……っ」



 目の前の惨劇が自分自身の身に起きた出来事だと受け入れられず、彼女は自失しているようだ。


 聡明なはずの研究者が何の意味も為さない譫言を繰り返している。



 弥堂はそんな彼女の目の前で立ち止まり、そして見下ろした。




「脱げ――」



「え――?」




 端的に命令をすると、博士はキョトンとした顔で弥堂の顔を見上げる。


 何を言われたのかわからないといった彼女の呻きは、アレックスかダニーのものか――誰かが吹いた口笛に重なって消えた。



「あ、あの……、こんな場所で、こんな時にそんな冗談を言うのは……」



 不謹慎だと窘める言葉を言おうとして、その途中で博士は弥堂の手に在るモノに気が付く。



 彼の手にはいつの間にかホテルの部屋で見た黒い手袋が嵌められている。


 その手で握るのは――(ノコギリ)だ。



 あれはカルトの魔術師が自分の首を切るのに使ったモノ。


 レイスを生み出す為に自身を生贄に捧げる。


 あの時の凄惨な自殺ショーを思い出してしまい、博士は声が出せなくなり身体が震え出した。



 弥堂はそんな彼女の姿を見下したまま、冷淡な声を浴びせる。



「聴こえないのか? 服を脱げ。全部だ」



 無慈悲な命令が繰り返され、その言葉の真実味と真剣味が現実味を帯びる。


 博士は何も反応が出来ない。



 その緩慢さに弥堂が「チッ」と舌を打つと、見かねたアレックスが横入りしてきた。



「オイオイ、ニイチャンよ。ヤるならオレにもヤらせてくれよ。出来れば先に。念願のヤマトナデシコだ。オレの夢を叶えさせてくれ」


「もう俺がヤッちまったぞ」


「ん? あぁ、そういやそういう設定だったな」



 ここまでの弥堂と博士の接し方を見て本当の関係性を察したのか、アレックスは軽く流す。



「つかよ。今はそんなことしてる場合じゃあねェぞ? まずここをバックレて、安心できる場所に移ってからヤろうぜ」


「なにを勘違いしている」


「ア?」



 アレックスはさりげなく弥堂の婦女暴行を止めようとしたが、どうも思っていたようなことではなかったようだ。


 弥堂は目を丸くする彼を放って、ノコギリを床に落とす。


 そして問答無用で福市博士の衣服を剥ぎ取りにかかった。



「い、いやあぁーっ!」


「お、おいおい……」



 博士は悲鳴を上げながらせめてもの抵抗に身を捩る。


 だが胸倉を掴まれて、力尽くで瓦礫の外に引っ張り出されてしまった。



 その姿を見てアレックスは眉を顰めるが、しかし止めるまではしない。


 彼としても今のここから弥堂と揉めたくないからだ。



 誰も助けに入らぬまま、非力な女性の肌が露わにされていく。


 博士は上下の下着だけを残して、半裸に剥かれてしまった。



「ひ……っ、こ、こないでください……っ!」



 お尻を包む濡れた下着で地面を擦りながら彼女は後退る。


 だが、弥堂は彼女から興味を失くしたように視線を逸らし、手に持っていた衣服をノコギリの横に放り捨てた。


 そして何処か別の場所へ歩いていく。



「え……?」



 博士だけでなく、全員が恐怖や警戒の目で彼の動きを追う。


 すると、弥堂は両手それぞれで何かを引き摺って戻ってきた。



「ひ――」



 彼が運んできたモノを見て、博士はまた放心しかける。



 弥堂の片手にはミラーの死体。


 もう片方の手には元々この倉庫にあった物だろう――セメントを入れるためのプラ舟があった。



 それらを引き摺って運んでくると、弥堂は怯える博士を無視してミラーの死体から衣服を脱がせ始めた。



「――オイ……ッ!」



 力尽きたように寝そべっていたエマがそれを見咎めて身体を起こす。


 当然弥堂は無視をして作業を続けた。


 そして――



「――これを着ろ」


「は……?」



 弥堂はミラーの着ていたパンツスーツを博士の目の前に差し出す。


 博士は何を言われているのかわからないと口を開けた。



 茫然としたままその服を見る。



 死体が着ていた服。


 それを気味悪く感じる。


 だが、それが見知った人物の死体で。


 おまけについさっきまでは生きていた。



 それを気味悪いなどと感じるのはいけないことなのでは――


 そんな強迫観念が胃を逼迫し、強い罪悪感がそれを捻じり上げてきた。



 弥堂は彼女の返答を待たずに服を投げつける。


 そして自分は博士から脱がせた服をミラーの死体に着せ始めた。



 博士よりもミラーの方が身長・肩幅・胸囲があったので懸念したが、白衣が思ったよりもゆとりのある作りだったので、どうにか問題なく誤魔化して着せることが出来た。


 すぐに着せ替えは終わり振り返ると、そこにはミラーの服を膝や肩に被ったままの下着姿の博士がボーっとしていた。



「早くしろ。着るのも俺にやらせる気か?」



 博士は無言でゆっくりと頭を振り、泣きながら着替えだした。



「オマエ、何の為にこんな――」


「――黙ってろ」



 少し表情を険しくしたアレックスを跳ねのけて、弥堂は次の作業に進む。



 死体の頭を持ち上げプラ舟の端を枕のようにして、頭部だけを舟の中に入れる。


 そしてノコギリを手に取った。



「オ、オマエ、まさか……ッ」



 彼が何をするつもりなのか――


 それを察したアレックスが顔色を悪くする。



 弥堂はプラ舟の中を覗く。



 額に穴が空き、目を見開いたまま絶命しているジャスティン・ミラー。


 弥堂が殺した女だ。



 光の失せたその瞳を視ながら、ノコギリのギザ刃を冷たくなったミラーの首筋に当てて――


 そして、刃を引く。



 ビチ、ブチッと皮膚が破けて、止まっていた血流が行き先を見つける。


 深緑色のプラ舟の中に、ビチャビチャッと血が落ちて溜まっていった。



「テメエェェッ! なにしてんだ⁉」



 エマが激昂し飛び出そうとする。



「よせッ!」



 しかし、それをダニーが止めた。



「やめとけ……ッ! 殺されるぞ……ッ!」



 エマは悔しそうに泣きそうに顔を歪めて、それからアレックスを睨んだ。



「アレックス! 本当にこんなヤツと手を組むのか……⁉」


「…………」



 アレックスは答えない。


 鋸を引き続ける弥堂の後姿に視線を固定したままだ。



「コイツは、クズだ……! 生贄を使うようなカルトのクソよりも……! もっと……! もっと下の……ッ! サイアクだッ!」



 エマの叫びはアレックスにも聴こえている。


 聴こえているし、言いたいこともわかるし、なんなら同意見だ。


 彼は険しい表情で弥堂を見たまま、冷や汗か脂汗を流した。



 周囲の様子など構わずに弥堂は作業を続けている。



 ミチ、ムチィッと肉を裂いて、辿り着いた骨を断ち、反対側まで進んでいく。



 傾いていく女の細首の割れ目――


 そこに突っ込まれた自分の操るモノを無感情に見下ろしている。


 何も思わずに、無心で上下に動かし続ける。



 ただ作業的に。


 果てに達する迄。



 周囲の誰もが声を発せず、また目も逸らせぬままそれを見送る。




 すると――


 やがてバチャリと、重量物が水を叩く音がしてプラ舟が揺れる。


 それの直前に鋸を動かす弥堂の動きも止まっていた。



 全員が息を呑む中、弥堂はすぐに立ち上がりまたどこかへ歩き出す。


 そして、今度はボコボコに歪んだ大きめの鉄のバケツを拾ってきた。


 それをプラ舟の横に置く。



 弥堂は舟の中に手を突っこむ。


 血に濡れた金髪を掴んで宙吊りにしながら、『ソレ』をバケツの中へと移動させた。



 彼が次に何をするつもりなのか――


 それは誰にもわからない。


 しかし、誰一人として、それを訊ねる気にはならなかった。



 そんな風に静まった周囲に渦巻く疑念や嫌悪感などまるで気にもならない。


 弥堂は必要なことを続ける。



 片膝を立て、片膝を着け。


 バケツの中に右手を入れる。


 掌を押し当てると額の穴が隠れる。


 そして慣れた動作で爪先で床を捻じった。



 ゴパンッと――



 ナニかが弾ける音がして、バケツの中から飛び散った粘性のある血飛沫が弥堂の頬を汚す。



「あ……っ、あぁ……っ」



 福市博士は両手を口元に遣り、目を大きく見開く。


 今の光景が目に、脳に、魂に灼き写された。



 その彼女の元にエマが駆け寄り、震える肩を抱いて向き先を変えてやる。


 慰めは、どちらが、どちらに。




 弥堂はバケツとノコギリを持って歩き出す。


 次に移動した先は、一際派手に燃えている瓦礫の場所だ。


 立ち昇る火の中に、バケツの中身をぶち撒けた。



 それから適当な木材と、カルトの魔術師が使っていたガソリンタンクに僅かに残っていたガソリンも、その火に注いだ。


 続いて、その辺に落ちている死体のいくつかからも、手早く首を切り取って火の中に投げ込んでいく。



 火に。


 火に。


 あらゆる死は火の中に。


 悪臭を放ちながら悪徳の煙を噴き上げる。


 生も死も、灰塵に。



 火勢を強めたその炎をバックに、弥堂は歩いて戻ってくる。


 何を言うべきか、何をするべきか、誰にもわからない。


 弥堂にはわかる。



 弥堂は博士の服を着た首無し死体を運ぶ。


 戦闘下でも壊れずに無事なままだった車へと。



 清掃業者の名前が書かれた軽バンのドアを開き、死体を運転席に座らせる。


 後部の荷台には血の入ったプラ舟を積んだ。



 流血や死体には見慣れているはずの傭兵たちも顔色を悪くし、ただその所業を見ているだけだ。



「なぁ、アレックス……」


「……なんだ?」



 ビアンキが歯軋りをしながら呻くように言う。



「あの女は、敵だ。敵だった……! それに、オレは、エマみてェに何か関わりがあったわけでもねェ……! だから、情なんて何もねェ……」


「…………」


「だが……ッ! なんだ……⁉ これはなんだ……ッ⁉ この怒りはなんなんだ……ッ⁉ クソだッ! こんなのは、クソだぜ……ッ!」



 ビアンキは他の傭兵たちと同様に、生まれも育ちもワルイ。


 元々はスラムでキッズギャングをしていて、マフィア相手にヘタを打ったところをアレックスたち傭兵団に拾われた。



 だから彼は根っからの不良であり、今は悪党だ。


 しかし――



「――コイツは、違う……ッ!」



 不良だの悪党だのと、そんな生易しいモノではない。



「コイツは“個人(ハグレ)”だ……ッ!」



 自分たちの生業はキッパリと悪業であり、それを正当化する気など毛頭ない。


 しかしそれでも、自分たちは『仲間のため』『ファミリーのため』に悪さをしてシノイでいる――そんな大義名分を掲げることはやろうと思えば出来る。



 それとは違って、この日本人の男は全くそうではない。



 最初は“清祓課”の戦闘員だと思って、次は“G.H.O.S.T(ゴースト)”とグルなのだと思った。


 だが、そうではない。


 この男は何にも帰属していない。



 何にも、何処にも属さず――


 誰の味方としても紛れ込み――


 誰をも裏切り――


 そして誰にでも敵対をする。



 その時、その場での、自分だけの都合で。


 この世のあらゆるものからハグレた異物だ。



 裏切りについては似たようなことをしたダニーやエマでさえ、この男の行動には嫌悪を抱いている。



 彼らは傭兵。


 人殺しなど数えきれないほど行っている。



 だが、それは戦場での、争いの中でのこと。



 生命を奪うか、奪われるか。


 殺らなければ、殺られる。


 そういう状況、ルールの元での話だ。


 それにはあくまでフェアでイーブンな感覚を持っている。



 だが、今のこの場は違う。


 戦争は、戦いはもう終わっている。



 何も抵抗も出来ない、口を利くことも出来ない死体を一方的に辱める。


 それは彼らのような者からしても、許されざる行いだ。


 こんなことをするのはカルトのゲリラ兵か快楽殺人者くらいしか知らない。



 しかし、この男はそれですらない。



 教義も、信仰もない。


 掲げる旗を何も持っておらず。


 そこには何の快楽すら無い。



 そこにあるのはきっと――


 ただ、ただ、自分だけの都合だ。



 この男は――


 これでは、まるで――


 悪――そのものだ。



 根源的な悪の前では、ビアンキのような悪童でさえも、今までに抱いたことのないような――


 そんな根源的な正義感のようなモノが湧き上がる。



 それは酷く彼らのプライドを汚すものだ。



 ビアンキよりも経験の豊富なアレックスでさえも、同じモノを感じていた。


 だが――



「――ビアンキ」



 アレックスはそこでようやくビアンキの方を向く。


 滅多にない真剣な眼差しだ。



「ソイツはな、腹いっぱいに食って、女を抱いて寝ちまえば、次の朝には忘れてるモンだ。忘れられるモンだ」


「…………」


「だからここに――戦場に全部置いていけ。ソレは持ち帰って、抱え続けちゃいけねェモンだ。抱えられねェよ。持って帰っても植える庭がねェ。育てて咲かせられねェんだ。オレたちは“家ナシ(根無し草)”の、傭兵だからよ」


「……クソッタレだ! 全部クソッタレだよ……ッ!」


「あぁ。この世界はクソッタレだ……」



 行き場のない怒りに震える弟分にアレックスが何かを伝える。


 ビアンキは憤りをこめて地面を叩いた。


 焼けた戦場跡に埋めて、置いていけるように。




 その間に弥堂の作業は終わる。



「それ、どうするんだ?」



 アレックスに訊ねられると、弥堂はようやく口を利く。



「車ごと海に突っ込ませる」


「無理があるだろ」



 何のためにそんなことをするのかについては察することが出来た。


 しかしアレックスは難色を示す。



「それで博士の死を偽装する気なんだろうが、すぐにバレるぜ?」


「え?」



 自分の名前を出されて福市博士が反応するが、弥堂もアレックスも彼女には構わない。


 時間がないということだけは共通認識として成立しているからだ。



「大体よ、後ろに積んだあのケースはどういうつもりだ?」

「あ? それはアレだ。血とか調べられるとバレるんだろ? 一緒に捨てちまおうと思ったんだ」


「血はそんな簡単に処理できねェぞ? あっちの火に入れたのも怪しい」

「そうなのか」


「死体だって粉みじんになるわけじゃあねェんだ。DNA鑑定なんぞされたら一発だぞ。アメリカの機密機関だからな。構成員のその手のデータを残してないはずがない」

「へぇ……」



 弥堂はその手の科学捜査などの知識に疎い。


 少し興味を持ってアレックスの話に応じる。



「だが、それはこの場ですぐに出来るものじゃないだろ。数日は稼げるはずだ」

「そりゃまぁ、そうだが……」


「それに……。バレても問題ない。というより、バレてもらわなければ困る」

「なんだと?」


「そろそろ聴こえてくる頃だ」

「なにが……」



 喋っている途中で弥堂が耳を澄ませる仕草をすると、アレックスも気付く。



 遠くから近づいてくる音がする。


 これはサイレンの音だ。



「チッ、ポリスか……?」


「“普通の”な。近くの交番など何ヶ所か――清祓課ではない――今夜のことを知らない普通の警察に通報を複数入れた。ここで火事が起きて銃声が鳴っているとな」


「なんだってそんなことを……?」



 ここには警察に捕まる側の人間しかいない。


 アレックスに怪訝な目を向けられるが、弥堂は当たり前のことのように続けた。



「簡単な話だ。世間に今夜のことがバレるとマズイのは俺たちだけじゃない。むしろ清祓課や“G.H.O.S.T(ゴースト)”の方が不都合を感じるだろう」


「それはまさか……」


「そうだ。一般の警察にミラーの死体を渡して調べさせる。だが、それでアメリカの特殊組織の指揮官だと判明したとしても、誰がそれを公表できる?」


「……そうか。むしろアイツら自身が圧力をかけて握りつぶしにかかるのか」



 理解の速いアレックスに弥堂は頷く。



「あぁ。清祓課がそれをやってくれるだろう。今夜ここで何が起きたかを世間に知られるわけにはいかない。そして何故ミラーが死んだのかをアメリカに知られるわけにはいかない。博士が日本で生きていることも」


「オマエ……、そういう……。最悪の手口だ。自分を追う連中の弱みに、オマエ自身がなるってことか……! イカレてるぜ、マジで……ッ」



 傭兵のリーダーは弥堂の思惑を見抜き、感心よりも先にドン引きした。



「“G.H.O.S.T(ゴースト)”はテロリストに敗北して壊滅。指揮官も戦死。現場は火事で全ての死体が見つかるわけじゃない。そして博士は行方不明。カルトに攫われたか、殺されたか。調査期間は長く続くだろう。ほとぼりが冷めるまで」


「それが日本とアメリカ、両国の裏機関の共通見解になるってわけだな?」


「そうだ」



 そこまで聞いてアレックスは顎に手を遣って考え込む。


 そんな無茶苦茶が通るかと思う一方で、決してワンチャンスがないわけでもないとも思える。


 そうしていると――



「アレックス? どういうことだ?」


「後で説明してやる」



 まるで察していないビアンキが問いかけてくるが、アレックスはそれを跳ねのける。


 今しばし考えに没頭した。


 乗る以外に選択肢がないことを知っていながら――




 その間に、弥堂はまたエアリスに念話を繋いだ。



「エアリス――」


<準備オッケーよ、ユウくん。旧港の方に貨物船が並んで停泊している場所があるんだけど、その大きな船の隙間に皐月組の手配した釣り船が来ているわ……>



 どうやら無事に皐月 惣十郎と連絡がとれて手筈が整ったようだ。


 弥堂はエアリスから聞いた説明をそのまま他の面子に伝えていく。



「――というのが合言葉だ。それで通じなければ『狂犬のツレ』だと言え。それでも通じなければ人違いだ」


「あぁ」


「無事に合流出来たらそいつの指示に従え。とりあえず今夜は凌げるはずだ」


「わかったぜ」



 脱出までの手筈はこれでいい。


 後はその先だ。



「新美景駅の南口の路地裏に、名前の書かれていない看板の下がった汚いBARがある。わからなければ皐月組のヤツに訊け。明日の午前中にそこで。博士を引き取りに行く。それまではお前らに彼女を預ける。言わなくてもわかっていると思うが……」


「あぁ。その皐月組ってのはオレらの監視でもあるんだろ? わかってるよ」


「そうか」



 取り引きの最後の要について確認し合う。


 今回の件において、戦闘の勝利が勝利条件ではない。


 最後に博士を手にしていた者の勝ちなのだ。



 しかも、弥堂と彼らは元々は敵同士の立場だった。


 だが――



「――オレらは傭兵だ。時にクライアントを裏切ることはあるが、同業との取引きを反故にしたりはしねェ」


「そうか。別に裏切りたかったら裏切っても構わんぞ。地獄の底まで追い込みをかけて必ず皆殺しにしてやる」


「おー、おっかねェ」



 弥堂の脅しにアレックスはおどけた態度で肩を竦める。


 だが、首の後ろには冷たい汗が一筋流れた。



 とはいえ、これで必要な情報は伝え終わった。


 弥堂は早速行動を開始する。



「――じゃあな」


「あ、オイ、待て――」



 踵を返そうとする弥堂をアレックスが慌てて止める。


 弥堂は必要なことを言い切ったが、アレックスとしては肝心なことを訊いていない。



「つか、オマエはどうするんだ?」



 彼は福市博士を明日まで預けると言った。


 まるで自分は脱出に同行しなという口ぶりだ。



 弥堂は「何をわかりきったことを」といった風に顔を顰める。



「死体を処理すると言っただろ」


「それはわかってる。その後は?」


「当然ホテルに戻る」


「はァ……ッ⁉」



 その答えにアレックスは仰天する。


 弥堂はそれ以上は説明せずに、今度こそ歩き出した。



 車へ向かう道すがら、火の魔人だったモノの死体に近づく。


 炭化した死体の首をブーツで踏み砕くと、ポキンっと首が折れた。



 その真っ黒な首を拾い上げて、弥堂は先程死体を積んだ軽バンの助手席に乗り込んだ。


 アレックスは慌てて助手席側の窓に齧りつく。



 弥堂は運転席に座る首無し死体の前、ダッシュボードに魔人の生首をドンっと置いた。



「い、いやッ! それはムリがあるって!」


「ワンチャンある」



 弥堂はこの死体の首はこれだと言い張る気のようだ。


 アレックスはそれを否定したいが、本当に言いたいことはそんなことではない。



「な、なぁ? ホテルに戻るってオマエが爆破したあのホテルか?」


「なにを驚く。当たり前だろ。依頼成功の報告をしなければ、清祓課から金を貰えねえじゃねえか」


「い、いや、成功ってオマエ……」



 お互いに「何言ってんのコイツ?」といった顔を向け合う。



「しょ、正気か……? オマエこんだけのことやっといて、連中のとこに戻るって……。どこが成功してんだよ。そのまま殺されるぞ?」


「成功だろ。俺の受けた依頼は、『福市博士を誰にも渡さないこと』だ。“G.H.O.S.T(ゴースト)”が全滅して、テロリストに持っていかれそうだったから博士を殺した。『誰にも』渡していない。文句の付けようのない成功だ」


「コ、コイツ……ッ、もしかして最初っから……」


「なりゆきで変わる程度のプランの一つだよ。じゃあな――」



 こうしている間にもサイレンの数は増え、そして音も近づいてきている。


 弥堂は今度こそ話を打ち切って助手席のドアを閉めた。



 しかし、そのドアは数秒でまた開かれた。


 そして――



「――おい。エンジンってどうやってかけるんだ?」


「は……?」



 アレックスは口をポカーンと空けたまま、困ったような顔でダニーを見た。


 ダニーは嫌そうな顔をしたながら運転席側に回る。


 キーを回してエンジンをかけてくれた。



「悪いなダニー」

「い、いや……」


「あと爆弾くれ」

「あ、あぁ……」



 ダニーは残った手榴弾を全て弥堂に渡すと一層不安そうな顔をした。


 そして若干言いづらそうに弥堂に問う。



「な、なぁ? オマエさ、エンジンの掛け方も知らねェで、どうやってコイツを――」


「――それよりダニー。『進むのペダル』は一番右のやつだよな?」


「ア、アクセルのこと言ってんのか? それはそうだが、何で助手席に座って……つか、オマエよ。運転したことは――」



 肝心なことを確認しようとした時、かなり近くまでパトカーや消防車のサイレンが近づいてきた。


 倉庫の窓の外で赤色灯が派手に動いている。



「そろそろズラかんねェとヤベエぞ!」



 フェリペの警告に全員が立ち上がる。



「オイ! オレももう行くぞ! 大丈夫なんだよな⁉」



 ダニーの声を無視しながら弥堂は魔力糸を創り出し、その糸でミラーの死体の右足とアクセルペダルを巻き付ける。


 糸を操作してペダルを押し込むが――



「おい、進まないぞ?」



 排気音が煩くなっただけで、車は前に進まない。



「サイド下ろせよ! それ! ハンドルの左下あたりに、なんか取っ手みたいなのが付いてんだろ⁉ サイドブレーキを解除しろ! それからギアをドライブに――」



 意外と面倒見がいいのか、ダニーがアワアワとしながらもその場に残って教えてくれた。



「これか――?」


「――ウオォォォッ⁉」



 弥堂が雑な手付きでギアを動かしてからサイドブレーキをガコンっと解除すると、車は急発進をした。


 運転席に身を乗り出していたダニーは間一髪で車から飛び退いた。



 弥堂は助手席からミラーの死体の膝の上に自身の上体を乗せて、フロントガラスの外からは見えないように隠れる。


 当然自分も外をよく見えないので、大体でハンドルを左右に動かす。


 魔力糸で固定したアクセルは常にベタ踏みだ。



 暴走車は蛇行しながらそこらの死体を踏みにじって進み、やがて倉庫の入口の開きっぱなしのドアにガンっとぶつかって外へ出ていく。



「……ク、クレイジーすぎんだろ……」



 彼が過ぎて行った入口を見ながら、ダニーは呆然と立ち尽くした。



 やがて、外の警察たちが弥堂の運転する暴走車に遭遇したのか――


 車のスキール音とともに、破滅的な破砕音と悲鳴と怒号が倉庫の中まで聴こえてくる。



 やがてその音がフッと消えると――



――キッチリその5秒後に大きな爆発音が轟いた。



 いい感じにそっちに注目が集まってくれたようで、この倉庫に入ってくる者は誰もいない。



 取り残された傭兵たちは無言のまま、沈痛そうな面持ちでお互いの顔を見合わせる。


 誰からともなく倉庫の外へと繋がる出口へと歩き出した。



「あ、あの――」



 一人どうしていいかわからずに立ち尽くした博士が彼らの背中に声を掛ける。


 倉庫の出口で傭兵たちは立ち止まり振り返った。



「わ、私も行かないと、ダメ……、ですよね……?」



 そのわかりきった問いに答えは無く、屈強な兵士たちはフニャっと情けなく眉を下げた。


 博士は察した。



「う、うぅ……、このまま警察に保護されて実家に帰りたいですぅ……」


「……実家までアレが来るぞ?」



 さめざめと泣く彼女にアレックスがそう言ってやると、博士はスッと真顔になり駆け足で彼らの元へと向かった。



 そうして彼らが立ち去ると――



 倉庫内の天井付近に潜んでいた黒い機体のドローンが1機、割れた窓からそっと外へと飛び去る。



 これで倉庫内は無人となった。



 生きている者は誰もいない。



 戦火は過ぎ去った。



 無数のジョン・ドゥを遺して――



 地には赤の川、流れ逝きて――


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― 新着の感想 ―
あれどこの勢力のドローンなんだろう
めでたく収まりましたね さすがは弥堂くん、行き当たりばったりでもどうにかなるといふ主人公ちからは随一だぁ
弥堂くん鬼つええ! これから逆らうやつら全員ぶっ殺していこうぜ!!
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