2章35 MAD DOG ②
強敵は全て退けた。
戦闘的という意味では。
しかし他に残した問題を解決せねば仕事は終わらない。
問題とはこの戦場で弥堂が行った味方殺しだ。
『自分には味方などいない』などと嘯いてみせたところで、そのような屁理屈は通じない。
ジャスティン・ミラーから持ち掛けられた交渉とはつまり――
『その味方殺しの罪を不問にする代わりに、彼女の部下となれ』
――そういうことだ。
それを断れば、あっちで手枷を嵌められているアレックスたちと同じように、テロリスト――犯罪者として弥堂も処理されることになる。
「――どう? わりと破格の条件だと思うけれど?」
「……そうかもな」
それは確かにジャスティンの言う通りだと、弥堂も心中では認めた。
なんなら断る理由の方が少ないくらいかもしれない。
だが――
だからといって、目の前に餌をぶら下げられて即座に頷くわけにはいかない。
彼女の下に付くというのは、具体的にどういった形になるのか。
そういった条件面のこともあるが、他に大きな問題がある。
うっかり着いて行って後になって表面化したら、今この場で槍玉にあげられた『味方殺し』よりももっと大きな罪となるような――
――そんな問題が。
(さて……)
それをどうするか、弥堂は考える。
それを隠しておいて、バレた時にしらばっくれることが出来るかどうか。
それが通じなかった時に、その時に戦うのと、今この場で戦うのと――どちらの方が勝率が高いか。
予想される損失を天秤にかけ――
「――俺はホテルでもお前らを殺したぞ」
「え――?」
――弥堂は考えるのが面倒になり、ここでまとめて終わらせることにした。
目を大きく見開くジャスティンに、淡々と自身のやったことをぶち撒ける。
「建物を爆破したのも俺だ。その混乱に乗じてテロリストも、“G.H.O.S.T”の隊員も――見かける端からまとめてぶっ殺した」
「…………」
「スパイ認定も半分以上嘘だ。多分な。最初はそれなりに真面目にやってたんだが、途中からめんどくさくなって適当にスパイにした。さあ――」
罪を告白する咎人とは思えぬ尊大な態度で、反抗的な眼で。
弥堂はジロリとジャスティンを見下ろした。
「――俺を許せるのか?」
「…………」
許せるものなら許してみろと――
そう謂わんばかりの弥堂に対して、ジャスティンは少し困ったように笑う。
弥堂は【領域解放】を使いかけて――それも面倒だとやめた。
「もしかしてリミットテスティングなの?」
「……さぁ? どう思う?」
「……リミットテスティングって意味わかる?」
「わかる。それより能力で読んでみればいい。無駄な会話だ」
「狂ってるのは演技じゃないのね……」
どこか胡乱な瞳で呆れを表し、それから――
――ジャスティン・ミラーは微笑んだ。
今度の笑みはどこか邪悪さを感じさせる――そんな妖艶な笑みだ。
彼女はさらに弥堂へ顔を近付ける。
「――ホテルの戦力は使い捨てなの」
「なんだと――?」
頬と頬が擦れるような位置にあるジャスティンの顔を弥堂は横目で睨んだ。
「あそこに配置した戦力の大半以上はね、元々今回の任務中に始末するつもりだったの……」
「…………」
他の者には聞かせられない話。
それを弥堂にだけ囁きかけてくる。
「アナタも知ったでしょうけれど、スパイが多すぎたの。厳密にはスパイとは言えなくても、外の組織から圧力をかけられて送り込まれたおかしな人員まで居て。邪魔だったのよ……。本当に、目障りだったわ……」
彼女のその声には確かな疲れと、そして怒りが滲んでいた。
弥堂にはこっちの世界の裏の組織のことや、アメリカのこともわからない。
だが、なんとなく、セラスフィリアの国でスパイ捜しを始めた時のことを思い出した。
「だからね。国から離れるこの機会に、邪魔者と足手纏いを一掃する予定だったの」
「初めから、テロリストと相討ちにさせるつもりだったのか?」
「えぇ。この日本でなら、うるさい外部組織の目も届かないし、任務中には圧力もかけられない。こんなチャンス逃さないわ」
「…………」
「とはいえ、簡単なことではないけれどね……」
ジャスティンは苦笑いをしながら嘆息する。
「いくらなんでも問答無用の処刑なんて出来ない。だけどやり方はいくらでもある。ワタシならそれを考えられる……」
彼女の声に合わせて、吐息が弥堂の耳朶をくすぐった。
「色々準備してきたわ。例えば、掴まえたテロリストと司法取引をして証言をでっちあげて、邪魔者を適当にスパイ認定してもいいし。なんだったらいっそのこと――まとめてホテルごと爆破できないか、とか? フフ、全部アナタが代わりにやってくれたわね。さすがにビックリしちゃったわ」
「……ということは、ここに連れてきた部隊は――」
「――そう。この倉庫に居るのはワタシに従い、本来の役目を十全に全うすることが出来る――そんな選りすぐり、本当の“G.H.O.S.T”よ」
「なるほどな……」
どうやら彼女は――
このジャスティン・ミラーという女は、弥堂よりも、アレックスよりも、佐藤よりも――
さらにもう一つ上の次元から今回の出来事を見下ろし、そして己にとってよりよい結末となる“絵”を描いていたようだ。
「とはいえ、想定外のこともあったわ――」
彼女は弥堂の耳元で独白する。
「1つはさっきのモンスター。あれをどうにか出来るほどの戦力を用意していなかった。それもアナタがどうにかしてくれたけどね……」
「マグレかもしれんぞ」
「フフ。もう1つはケインよ。彼は優秀で忠実だった。だから彼のことだけは惜しかったわね」
ケインは福市博士の護衛チームのリーダーであった男だ。
ホテルの戦力は捨て駒といっても、本当に全人員をそれだけで埋めるわけにはいかない。
ケインは今ここにいる部隊の戦力だったのだろう。
弥堂はフンと鼻を鳴らす。
「そうか? 簡単に殺せたぞ。数秒もいらなかった」
「フフフ……」
せめてもの反抗のように、彼女の部下の死を貶めてやった。
だが、それも彼女には通じない。
先よりも少し、温度の上がった湿り気のある息が頬に触れる。
「……いいわ。それも許してあげる。だって、アナタがやってくれるんでしょう? 彼の代わりを――」
その実質的な勝利宣言を聞いて、弥堂も嘆息をした。
最初から完全に彼女の掌の上だった。
今回の戦争の勝者は、間違いなく彼女だ。
弥堂が心中でそれを認めようとした時――
触れるか触れないかの距離にあった彼女の頬が、ピトリと弥堂の頬に合わせられる。
表面の肌は少し冷んやりとしていて、だがその裏に――確かな火照りを感じた。
ジャスティンは弥堂の耳の中に、声を送る。
「アナタは何も欲しくない――」
「――!」
その言葉に弥堂の眼は見開かれ、無意識に瞳の奥に蒼銀の揺らぎが灯った。
「アナタは目的の為に何でもする人。今回もそう。自分の勝利条件を満たすためだけに、他の人間には考えられないような――信じられないほどのデタラメをした」
「…………」
「普通の人間では出来ない。法律、道徳、倫理、人情、保身……。同じことを仮に思いついたとしても、それらに阻まれて誰も実行出来ない。本当に。そんな。デタラメ……」
言葉だけを捉えれば、それらは全て咎める為に使う言葉だ。
しかし、彼女の声はどこか熱に浮かされたようなものだった。
「でも――アナタには出来る。たった一人でも、国家を相手にしてでも実行する。だけど……。そこまでするのに。そこまでしたのに……。アナタ自身には、何ひとつ欲しいものがない。なのに、そこまでをする……」
「……それが?」
「ワタシがアナタのことで一番評価しているのは戦闘能力じゃないわ。もちろんそれも魅力的だったけれど……。でも一番チャーミングで、タフなのは、あの戦いを支えているその精神性よ。他では見たことがないわ……」
「まるで口説いているみたいだな」
「フフフ……」
彼女の声と言葉の熱っぽさが増すと、その身から漂ってくる香水の香りまで増したように錯覚した。
堪らずに、真っ直ぐに進めたくなる。
「それで? 何が言いたい?」
「ワタシが与えてあげる――」
耳奥に伝わる熱の中心に、尖った理知を感じた。
「ワタシが、アナタに目的を与えてあげる――」
それは弥堂を縛る言葉――
全身に絡みついて雁字搦めとし、亡くした時へと引き摺り戻す“死への喚び声”だ。
「アナタは自分で考えなくてもいい。何も望まなくていい。ただワタシの言うことを実行していくだけで……、それだけで脅かされずに生きていける」
望むという行為を強要される不自由さ。
弥堂が人間社会の中で常に感じる息苦しさ。
自由でなければならないことに感じる不自由を慰める美辞。
弭耳を震わせるはずの声はもうどこか遠くに。
そして自分の視線もどこか遠くへ。
頬を合わせて弥堂の耳元に口を寄せる彼女の顔は弥堂からは見えない。
だから真っ直ぐに、彼女の後ろ髪の向こうへと視線を向けている。
その視線の先には、彼女ではない、他の女がいる。
蒼みがかった銀色の煌めく長い髪。
そこに在るは絶世の美。
過去の象徴とも云えるその女を視ると、無意識に、反射的に、勝手に刻印を起動させてしまう。
「――心を閉ざしたわね。でも、安心して。というか、勘違いをしないで」
サイコメトリーの能力でそれを察知したのだろう。
鼓膜を擽るジャスティンの声が少し優しいものになる。
「ワタシはアナタを脅しているわけじゃないの。口説いているのよ?」
(よく言うぜ)
「えぇ。良くなるようにしてあげるわ。ワタシがアナタを上手に使ってあげる」
誘惑の最後に、ジャスティンは弥堂の耳輪に唇を触れさせてから離れて行った。
正面に立って、今度は微笑みをよく見えるようにしてくる。
弥堂は僅かに顔を俯け、前髪で目線を隠した。
そして考える。
確かに、アメリカをケツモチにすることは元々考えていた。
弥堂を追うのは日本の警察。
そして愛苗に害を為す可能性のある陰陽師の家系に連なる者たちと、その元締めとなる清祓課。
それらから身を守るには、単純にそれらよりも強いモノを後ろ盾にすればいい。
アメリカと“G.H.O.S.T”はその後ろ盾の有力な候補であると謂える。
それに“G.H.O.S.T”自身に、積極的に外部や外国からの人材を受け入れる土壌が出来ているのなら、そんなに極端な待遇にはならないだろう。
さらに、今回の戦いでわかったことだが――
(――この世界の魔術師は大したことない)
当然、サンプルが少ないので決めつけるのは危険だ。
しかし、この“G.H.O.S.T”は外部から優秀な人材をスカウトしている。
その上で実戦部隊に配備された魔術師があの程度なのだ。
“G.H.O.S.T”の魔術師は死霊にはまるで通用していなかった。
カルト側の魔術師の方が腕は上だった。
だが、そのカルトの魔術師も、弥堂が異世界で殺し合ってきた魔術師どもに比べればまるでカスだ。
“賢者の石”などという禁忌を奪い合う戦場に出てきた両陣営の魔術師の実力があの程度――
それなら、この世界の戦闘を生業にする魔術師の平均レベルもそれなりに測れるというものだ。
それを鑑みると――
あの程度の腕で『トクベツ』を気取っているようなカスどもの中でなら――
弥堂程度の戦闘能力でも、それなりにいい待遇を期待出来るだろう。
故にこの話は――
ジャスティン・ミラーの誘惑は――
弥堂にとっても、愛苗にとっても、そう悪くはない話だ。
だから――
「――わかった。俺の負けだ」
弥堂はそれを心から認めた。
「フフ、イイ子ね」
余裕ありげにジャスティンは笑う。
だが、その言葉と表情とは裏腹に、身体は僅かに緊張を緩めたようにも見えた。
「安心しなさい。ワタシはペットを大事にするタイプよ?」
「そう願いたいね」
ジャスティンは片足を半歩程下げる。
「じゃあ、シズカ博士は連れていくわね」
「それはキミが決めることだ」
彼女は振り返り、博士の方へと向かう。
弥堂はそれを止めないし、追わない。
この瞬間に――
今回の福市博士と“賢者の石”を巡る戦いは完全に終わった。
勝敗は明確に決して――
今宵の勝者となったのは、ジャスティン・ミラーと“G.H.O.S.T”であり、そして弥堂もまたそれを認めた。
弥堂 優輝は明確に敗者となり、それを受け入れたのだ。
博士の前で立ち止まったジャスティンの後ろ姿を見ながら、弥堂は今後のことに考えを巡らせる。
これからは、アメリカと“G.H.O.S.T”をバックにして、日本の清祓課とそれに与する魔術師・陰陽師を牽制する。
そうして水無瀬 愛苗を守る。
問題はアメリカの連中にどれだけ魔法少女のことを隠していられるか。
そしてバレた時に“G.H.O.S.T”が愛苗をどういう目で見るかだが――
(――あれだけ人材不足なら、そこは日本と変わらないかもな……)
それはもう少し彼らを見てみないと判断は出来ないだろう。
いざとなったらジャスティンか大統領の首を土産に、今回のように他の国へ亡命すればいいだろう。
(アメリカと仲が悪いのってどこだ?)
後は、アメリカにゴミクズーのような魔法少女の敵となるモノがいないことを願うばかりだ。
なんにせよ、これで当座は凌げる。
今回、負けは負けだが――
『――そう悪くはない負けですね』
隣からお師匠さまの声が聴こえてくる。
弥堂は無言で彼女をジッと視た。
『な、なんですか……?』
(別に)
居心地が悪そうにする彼女から弥堂は眼を逸らす。
さっきあんな立ち去り方をしておいてもう出てくるのかと思ったのだが。
さっきぶりでそれを言うのは可哀想なので手心を加えてやることにした。
『あ、貴方が変なことをしないか心配で……』
だが、彼女も少し自覚があったようで、ばつが悪そうに自己申告してきた。
弥堂は嘆息して、声を潜める。
「この大詰めで取引をトチるほどバカじゃねえよ」
『アメリカに渡るのですか?』
「かもな」
実際にはジャスティンの意向を聞かないと、どういった形で彼女に飼われることになるのかはわからない。
アメリカに着いていくのだと考えるのが妥当だが、このまま日本に残って清祓課へのスパイにさせられる可能性もある。
弥堂の希望としては愛苗と一緒にアメリカに移住することだが――
(――問題は、あのチート翻訳機なしで英語を覚えられるかだな……)
弥堂が異世界に渡った時は、耳の穴に電極のようなモノをぶっ刺して魔力を流し込むと言語野がバグって異世界語を話せるようになるという、二代目製の怪しげな魔道具があった。
それのおかげで弥堂はどうにか異言語を身につけることが出来たのだが、それなしで今から英語をマスターするというのはどうにも自信がない。
この1年ほど、学園の英語の授業で教師が言っていたことは全て憶えているし、いつでも完璧に思い出せる。
だが、それが出来るのをいいことに弥堂は授業を全く聞いていない。
だから、全ての教科の教師の言葉を正確に思い出せはするが、それが何を意味するのかはさっぱりわからないのだ。
美景台学園の編入試験も、これまでの定期テストも。
全てをカンニングと裏金で乗り切ってきた弥堂の素の学力は、中学一年生の一学期でカンストしてしまっているのだ。
自力では全く英語を出来るようになる気がしない。
(まぁ、水無瀬に覚えさせればいいか)
実はわりと成績のいい愛苗ちゃんに丸なげすることにして、思考放棄することにした。
こうして弥堂は異国でのコミュニケーションに不安を感じていたが、お師匠さまは違う意見のようだ。
『まぁ、大丈夫ですよ。貴方は普段日本語同士で会話をしていても、どうせ人の話なんて聞いていないですし』
「聴こえていればあとで思い出せるからな」
『ですから。それはやめなさいと以前から言っているでしょう。しかし、言葉が通じない方が却って好都合かもしれません』
「どういう意味だ?」
『貴方が喋っていることは多分伝わらない方が他人と上手くやっていけそうです』
「どういう意味だ?」
彼女の言っていることがわからなかったので聞き返したのだが、同じ問いを繰り返すことになってしまった。
そうして首を傾げようとすると、向こうからジャスティンと博士が近づいてくるのが見える。
弥堂が唇を締めると、エルフィーネはスッと下がる。
主人の背後に控えるメイドのように。
そういえば彼女はさっきメイド服を脱ぎ捨てたはずだが、またメイド姿に戻っていることに気が付く。
彼女たちの衣服に関してどうなっているのかと気になって、それを訊ねようとしたが、もう時間に猶予がない。
ジャスティンたちはもうあと何歩かの距離だ。
仕方ないので弥堂はメイドさんのお洋服に関しての質問を諦め、アメリカ女どもの到着を待つ。
すると――
彼女たちが弥堂の前で立ち止まるよりも前に、その間を横切る者たちがあった。
連行されるアレックスたちだ。
先に両手を結束バンドで拘束されたビアンキが隊員に両脇を固められたまま通る。
擦れ違いざま、彼は弥堂に横目を向けてきたが、特に何も言わずに通過した。
弥堂も特に彼に言うことはない。
強いて用件を挙げるのなら、一度敵対した以上キッチリ殺したいということだが、貴重な情報源をこの場で始末するのは指揮官であるジャスティンが許さないだろう。
続いて同様に拘束されたアレックスが連行される。
やはり特に言うことがないので、弥堂は無言で彼が通り過ぎるのを待つ。
そして特に何事もなく、彼らも目の前を左から右へ横切って行った。
おそらくもう彼らと会うことは二度とないだろう。
そう頭に浮かべた時――
「――よォ、ニイチャン」
――そう声をかけられた。
話しかけてきたのはアレックスだ。
弥堂は右方向へ目線だけを向ける。
アレックスは首だけを振り向かせてこちらを見ていた。
勝手に足を止めた彼を両サイドに立つ隊員が急かしている。
そんなことに構わず、アレックスは弥堂の顔を見ながらニヤリと嗤った。
「“取引き”しねェか? 魔術師のニイチャンよ」
「あ?」
「オレらを助けてくれって言ってんだよ」
アレックスの言葉に、弥堂は皮肉ではなく、心底言っている意味がわからないといった顔をした。
「冗談は顔だけにしろ。俺に何のメリットがある?」
皮肉を言うつもりはなくとも、罵倒が挿し込まれるのはデフォルトだ。
きっと育ちが悪いせいだろう。
同じく育ちの悪いアレックスも当然そんなことは気にしない。
怒りはしないが、困ったように眉を下げた。
情けない顔だが憎めない顔のように見えた。
「それがよォ、なんにもねェんだわ。ダッハハハー。代わりになんか考えてくんねェか?」
「…………」
ふざけたような態度と言葉。
だが弥堂は、彼がふざけているとは受け取らなかった。
その言葉は傭兵の――ルビアに教わった流儀では、『そっちの条件をなんでも受け入れる』という意味だ。
それを聞いて特に何も思わなかったが、ただ弥堂はルビアのことを思い出した。
『――ダメですよ?』
(当たり前だろ)
静かな声でのエルフィーネの窘めに、頭の中でそう答えると――
「――連れていきなさい」
――弥堂が何も答えないでいる内に、ジャスティンが会話を断ち切るように指示を出す。
アレックスは隊員たちに引き摺られて行った。
弥堂は当然それを止めはしない。
彼の持ちかけた取引きを受ける理由もメリットも何も無い。
彼に対して望むことなど何もなく、やはり強いて言うならここでキッチリ死んで欲しいということくらいだ。
それが出来ない理由は考えたばかりなので、弥堂はもう彼らから関心を失くす。
犯罪者たちがいなくなって、そしてジャスティンと博士がまたこちらへ進む。
彼女らは弥堂の前では立ち止まらず、その脇を通り過ぎるようだ。
弥堂の左側から右側へ通り過ぎたアレックスたちが連れられて行く先は倉庫の出口。
そして、弥堂の前から後ろへ通り過ぎようとする彼女らが向かう先には脱出用の車輛があるようだ。
弥堂はやはり、ジャスティンにも福市博士にも特に何も言うことがないので、擦れ違うのを横目に映すだけだ。
真っ直ぐに、ファッションショーに出るモデルのように胸を張って歩くジャスティンと――
その彼女の後ろで俯きがちに覚束ない歩調で歩く福市博士――
二人が通り過ぎて――
「――待ってください……!」
――また呼び止められた。
今度は弥堂が首だけを振り返らせた。
「助けてはやれないぞ」
声をかけてきたのは福市博士だ。
彼女は捕虜でも囚人でもなく護衛対象なのだが、とりあえず先に適当に答えておいた。
「そんなことはどうでもいいです……!」
弥堂の言ったことを冗談と受け取ったわけでもないようだが、彼女は声を少し荒らげる。
怒っているようには見えないが、どこか切実な様子だ。
「何故……、あなたが持っているんです……⁉」
「……?」
言葉が足りない彼女の言葉の意味がまるでわからない。
「シズカ博士……?」
ジャスティンも怪訝そうにしている。
やはり博士の様子に尋常でなさを感じたのだろう。
弥堂は無意識に――
首だけではなく、半身になって彼女の方を向いた。
「何故、あなたが“これ”を持っているんです……⁉」
意図が伝わらないのがもどかしそうに、博士はまた同じような問いを繰り返した。
当然弥堂には伝わらない。
「これとは?」
「“これ”です……っ!」
苛立ち混じりに彼女が何かを強調する。
弥堂の視線は自然に下がった。
まず、ジャスティンの手にシルバーのケースが持たれていることに気が付く。
あれには“賢者の石”が入っているのだろう。
続いて福市博士の手元に目がいく。
彼女も何かを持っていた。
両手にそれぞれ、何かを一つずつ。
「わたし……、見ただけでなんとなくわかるんです……! だから……! それで、検査をしたらやっぱり……っ!」
博士の右手には割れた小瓶が――
そして左手には割れた注射器――
“馬鹿に付ける薬”と――
“WIZ”――
「どうしてあなたが……、あなたたちが、アムリタを――」
――それを聞いた瞬間、弥堂の身体が動く。
反射魔術でも反射行動でもなく、魂に染み着いた悪癖染みた加護にも似た、偶発的な自然と必然――
右手をスーツの懐に突っ込み拳銃を抜く。
淀みの無い動作で博士の居る方へと銃口を向けて――
戦いが終わったはずの倉庫に、渇いた破裂音が響いた――




