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俺は普通の高校生なので、  作者: 雨ノ千雨
2章 俺は普通の高校生なので、バイト先で偶然出逢わない
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2章34 零ノ捌キ~Eighth note beats feel FREE to DEATH~ ⑥


 勇者の力を使って戦った時――



 あの時は“勇気の証明(デモ・ブレイブ)”の覚醒により、己が肥大化していたように弥堂は感じていた。


 膨大な魔力だけでなく、己自身が高まり『世界』に拡がるような――



 きっとそれは、水無瀬 愛苗の見ている世界。



 あの時は“魂の強度”が最高位にまで高まったことにより、一挙手一投足の総てが『世界』に強く広く影響をするようになったから、何でも出来たのだろう。


 何でも出来るという全能感が在った。



 だから特別何かを意識していなくても力尽くで全てが罷り徹ったのだ。



 しかし、今はその力は無い。



 だから――



 正しい(すべ)(ことはり)を以て、己を徹さなければならない。




 死霊(レイス)と対峙しながら、弥堂は確立すべきその術理を頭に中に描く。


 己に問い、己で応える――



 魔術ではなく“加護(ライセンス)”――


 加護は俺そのもの――


 加護ではなく、己――


 糸に意図など無い――


 俺自身が――



 今まで考えてきたこと、今まで試してきたこと――


 どれも答えにはならなかったが、全くの外れでもないような気がした。


 おそらく、それらを解いたもう一つ先に秘奥の扉がある。



 ポイントとなるのは『糸』と『刻印』――


 そこまでは掴みかけている。


 あともう何歩か。



 だが、戦いの最中で敵は待ってはくれない。


 イヌの頭部の霊体を撓め、レイスはまた突進の意図を見せた。



「ちっ」


『ユウキ――』



 弥堂が舌打ちをするのとほぼ同時――


 エルフィーネが呼びかけてくる。



『あと一歩半、前へ』



 弥堂は無言で彼女の言葉に従い一歩半前に進むと、そこで黒鉄のナイフを抜く。


 ナイフの刃を左の掌に奔らせ自傷した。



 ボトボトと足元に血が流れて溜まる。


 弥堂はその血溜まりを右足で踏みつけ、ジャッ――っと、ブーツの靴底で床を擦りながら足を横に動かした。



 弥堂の足元に赤い線が引かれる。



 スッと――


 赤い線の手前、弥堂の隣にエルフィーネが立つ。



 彼女は弥堂の行いに何も言うことなく、ただ静かな目で敵を見ている。


 生きていた頃と同じように。


 弥堂もまた何も言わず、背後へと飛び退った。



 弥堂の前で彼女が、敵に立ち塞がるような形になる。


 ちょうど少し前に見た夢の中の記憶の場面のように。



『よく見ていなさい――』



 背後の弥堂へ目も向けずにエルフィーネはそう言うと、メイド服のロングスカートを掴んだ。


 そして――



 バッと、マントを翻すかのようにスカートを捲り上げると、一息でメイド服を脱ぎ捨てた。



 そうすると滅多に晒されない彼女の肌が露わになる。


 今の彼女の肢体を覆うのは黒革のレオタードのような装い。


 角度のキツイ競泳水着のようなバトルスーツだ。



 これは彼女が教会の暗殺者としての仕事をする時に着ていた服だ。


 悪魔戦の時に弥堂が来ていたバトルスーツの女性用のようなもの。



 エルフィーネは頭の上に残ったメイドプリムを放り、代わりにシスターヴェールを被る。


 ヴェールの奥に覗くその目は昏く、凄絶な殺意を奥に秘めていた。



 エルフィーネは半身になり足を開き腰を落とす。


 見慣れた、弥堂も教わった彼女の構えだ。



 ビリビリと――その殺気が背後の弥堂の肌にも伝わる。


 彼女はもう死んでいて、ここには存在しないはずなのに。



 記憶が彼女のこの姿を憶えているからそう幻痛するのか、それはわからない。


 だが、これが彼女の本気だ。


 弥堂はそれをよく知っている。



(そういえば――)



 ふと、気になる。



 レイスは変わらずに弥堂を睨んでいる。


 その前に立ち塞がるエルフィーネのことは認識していないように視えた。


 先日の悪魔たちの時のルビアと同じだ。



 悪魔や亡霊にも彼女たち――死者でいながら現世に姿を残した者の姿や存在が認識出来ていないのだろうか。


 ということは――



(エルやルビアは幽霊の類でもない……?)


『――来ますよ。集中なさい』



 思考を逸らしたこともお見通しのようで、師から注意を受ける。


 ほぼ同時に、レイスが突進を開始した。



 レイスが猛スピードで迫ってくる。


 レイス、エルフィーネ、弥堂――と、一直線に並んでいる形だ。


 荒れ狂う亡霊は手前に居るエルフの女ではなく、やはりその背後の弥堂を目掛けて突っこんできている。



 レイスには彼女が見えていない。



 だが、弥堂にはよく視えている。



 敵の前に立つ姿。



 あの頃と――



 生きていた頃と変わらぬ美しい立ち姿。



 視線が彼女の後姿に釘付けになってしまう。



 そうして放心しかけている内に、レイスは彼女と接敵する。


 レイスがエルフィーネを通り抜けようとする直前――



『今――』



 その声に身体が勝手に反応して魔術刻印に火を入れる。


 今日の戦いの前の日に仕込んでおいて、これまで一度も使っていなかった刻印魔術――



 それを起動しながら、師の姿を魔眼に焼き付けた。



 突っこんできた敵に対して、エルフィーネが零衝を打ち込む。



 何度も見た姿だ。


 今ここで焼き付けなくても、記憶を再生しなくても――


 自分でいつでもすぐに思い出せる。



 レイスが肉薄した瞬間、完璧なタイミングでエルフィーネの爪先が捻られる。


 生きていた頃の彼女と寸分違わない――同一だと確信できる完全で無駄の無い美しい殺しのカタチ。



 胴体と腰回りしか衣服で隠されていないので、その肢体の隅々までの細やかな動きが全て視える。



 関節の動作、筋や節の蠢きに形を変える肌――


 それは弥堂がこの世で最も美しいと思っていたものだ。



 目的の為――


 殺しの為に最も適していて、最も効率のいい――


 どんな貴人よりも美しい所作だ。



 それがもう一度目の前で再現され、魔眼を徹し魔術刻印に切り取られ、そして弥堂の“魂の設計図(アニマグラム)”にも刻み込まれる。



 もしも彼女が生きてここに実在していたら、今の完璧な零衝でこの死霊は消し飛んでいたことだろう。


 だが、彼女は実在しない。



 必殺のタイミングで零衝を打ち込んだ彼女をすり抜け、レイスはその背後で棒立ちになる弥堂へと突っこんだ。



『――避けなさい!』



 師の声で弥堂はハッとなる。



 彼女の姿に夢中になっていたせいで回避を失念していた。


 危険な距離まで近づかれてから、ギリギリのところで身体を横に放りだす。


 床を転がって慌てて立ち上がった。



『なにをボーっとしているんです。ちゃんと見ていましたか?』



 エルフィーネの呆れたような声に、弥堂は笑ってしまいそうになる。



「見てたよ。見惚れてたんだ」

『な、なにを……』


「エル。お前は美しい」

『なななななな――っ⁉』



 つい何秒か前までの研ぎ澄まされた雰囲気はどこへやら――


 見た目相応の少女のように照れて言葉を詰まらせるその姿を見ていると――



「――なんか出来る気がしてきたな」



 弥堂は彼女を置いて歩き出しながら、敵へ眼を向けた。



 レイスはまた元の位置――


 人狼の肉体の傍に戻っている。


 弥堂を見ながら嘲笑うかのように表情を歪め、そしてまた頭部全体を撓めた。


 あちらも準備は出来ているようだ。



『さぁ、やってみせなさい。私に――私が辿り着けなかった“零衝”の最奥を見せてください』


「言ってくれるぜ――」



 鼻を鳴らして、弥堂は赤い線の前に立つ。


 位置関係は先程エルフィーネが見せてくれた時と全く同じものだ。



 魔力を魔眼に送り込み集中を強める。



 深夜の港倉庫。


 本来なら無人で暗いはずのこの場所はそこらで上がる火に炙られて、赤い灯りで斑に照らされていた。


 その火が強く燃えている隣の倉庫で、バチィッと何かが弾けるような大きな音が鳴る。



 それら全てを意識から追い出す。


 すると世界には自分と敵だけに。


 そのどちらかが零へと帰すのだ。



 そんな考えを頭に浮かべた時、霊体を撓めていたレイスが顔を元に戻した。



 向こうも同じことをわかっているのだろう。


 弥堂の顏を見てニヤニヤと嗤い、そしてまた謳いだした――




ーーー




火を 火を

私の掌は小さく 流れる血を受け止め切れない

もしも今も苦しいのなら この火を抱いて


ともに永く眠りましょう




ーーー




――“死の嘆き(キーニング)



 生の苦しみを慰め、楽になれるよう、死へと優しく誘う。



「――うるせえ。くたばれ」



 耳障りのいい言葉に不快感を覚え、悪意と一緒にベッと唾を吐き捨てる。


 そして、弥堂は中指を立てて突きつけた。



 レイスは発狂したように奇声をあげて、再び身を撓めて攻撃の準備をする。


 弥堂も手を解き、そして構えをとった。



 とりあえず試しにやってみようという話だったはずだが、何故かこれが最期の攻防になる気がした。


 上手く師に唆されてしまって、弥堂はまた笑ってしまいそうになる。



 だが、それも余分なこと――


 戦い以外のあらゆることを自身から追い出す。



 己そのものを殺意とするかのように。




 右手から霊糸をひとつ出す。


 横目でそれをジロリと視下ろす。



(――だが、これは俺じゃない)



 自身の創り出したモノではあるが、それは自分自身ではない。


 これはただの魔術現象だ。


 現象自体――それのみには誰の意思も通っていない。



(其処に俺の“意”は無い。じゃあ、“俺”とはなんだ……?)



 深く自身を探りながら。


 その潜っていく過程でもう一度龍に“零衝”を打ち込んだシーンを記録から再生させる。



 これからやることが出来ていた――出来かけていた時のこと。


 まだ何か視落としていることはないかと。



 そうすると、エアリスの声が甦った。


 それはまさに龍に零衝を打ち込む瞬間――



『【霊衝(ストライク・ゼロ)】――』



――彼女は確かにそう言った。



(霊……衝……? それは――)



 その言葉に考えを巡らせようとした時――



「――っ⁉」



――突然周囲の景色が変わった。




 否――



 場所が変わったわけではない。


 今も同じ倉庫の中に居る。


 足元には血の線も引かれている。



 だが、それらの景色に重なるようにして――


 弥堂のほんの周囲にだけ、別の場所の映像が映る。



 其処は牢獄だ。



 思い出すまでもなく、ついさっき一度死にかけた時に見た場所。


 夢の中なのか――


 幻覚なのか――


 それはわからない。



 だが、そのわからない場所がまるで現実に侵食してきたかのように、身の周りに顕れている。



 弥堂はレイスの顔を見て、それから横目でエルフィーネの顔を見る。


 どちらも何の反応もしていない。


 弥堂だけにしか視えていないようだ。



 エアリスの言葉に何か閃きを得たら、死の間際の光景を再び幻視している。


 さっきは座り込んでいた牢獄の中で弥堂は立っていた。



 己とはなんだ――



 先程浮かべた問いがリフレインする。



 ここだ――



 不思議と自然にそう思えた。



 この暗く狭い湿った場所で。


 惨めに膝を抱え。


 閉じ込められている。


 或いは閉じ籠っている。


 そんな存在――



――それこそが自分自身だ。



 そう認めた瞬間、目の前に自身の“魂の設計図(アニマグラム)”が浮かぶ。



 自分の根幹。


 自分の設計図。


 なにもかものすべて。



 それを視止める。



(答えはここにある――)



 そう強く思い込んで、弥堂は自分自身を強く睨みつけた。



 “零衝”の奥義とは――



(“魂の設計図(アニマグラム)”を“魂の設計図(アニマグラム)”にぶつける……? いや……、違う……。そうじゃない……)



 魔術で糸を造るのではなく――



「――俺を……、(ほど)く……?」



 その閃きとともに、複数の記憶の再生映像が浮かぶ。



 まず一つはあの“死霊(レイス)”が生まれた瞬間。


 もう一つは異世界で二代目のノートを読んでいた時。



 視るべきところは――



 先程ヨギが使った不完全なレイス化の魔術式。


 そして二代目製の完全なるレイス化の魔術式。



 二つを並べて映すと、何か別のイメージが見えてくる。


 そんな気がした時――



 右手が蒼白い光で薄く光る。



 魔力光で手を覆っているのではなく、まるで自分自身がぼんやりと曖昧になったように感じられた。


 だけど、その曖昧さが自分なように思えた。



「そうか――」



 答えに近づいたと――


 そう実感した時、弥堂は気が付く。



 視線を向けている先――


 自身の“魂の設計図(アニマグラム)”や記憶の再生映像のその向こう側だ。



 暗く狭い牢獄の灯りが少し増したような気がした。


 それはいつの間にか石壁に穴が空いていたからだ。



 壁に空いた四角い大きくはない穴。


 それは窓。


 眼窩の窓だ――



 窓の向こう側を視る。



 その先に在るのは空。


 ずっと牢によって隔たれ閉ざされていた曇り空。



 だが。


 今。


 いや、少し前に。



 その空は晴れた。


 牢獄の空は晴れた。



 その空は『世界』だ。



 肉体という牢獄。


 そこに収監されるのは己という魂。



 そうだ。


 ここは魂の牢獄だ。



 この牢獄の外は『世界』


 自分でない総てのモノ。



 ならば――



 ここに居るのは。


 牢獄に閉じ込められた囚人こそが自分だ。


『世界』に存在する『世界』でない唯一のモノ。



 牢に因って閉ざされ――


 隔離され――



 唯一つ『世界』が未だ知らぬままの己という可能性だ。



 その自分を――


 可能性を――



 今。



 牢獄の外に――


『世界』へと放つ。



 視線を窓の外のもっと先、もっと奥へと遣るよう意識する。


 すると、なにか自分の自意識のようなモノが窓の外へと飛び出していくように錯覚した。



 晴れた牢獄の空へと出ると、一瞬の光とともに全てが消し飛ぶ。



 次に眼に映るのは元通りの倉庫。


 同じ場所に立ったままだ。



 幻牢は消え失せていた。



 しかし――



(そんなことはどうでもいい――)



 再び記憶の中に記録された二つの魔術式を浮かべる。


 それらの差異をよく見比べ、見定める。



 そして、自分自身で魔術式を組み、望むように構成していく。


 稚拙な記述で、思うようには進まない。


 だが、それでも集中して行う。



 理論構築や記述方式が正しいのかは弥堂にはわからない。


 だが、そんなことはどうでもいいことのようにも思えた。



 即興で勢いで組み上げた魔術式に、自身に可能な最大消費量の魔力を流し込む。



「俺を……、(ほど)く――」



 左足を前に。


 爪先は先のエルフィーネと同じ、僅かに赤い線に罹る位置。


 右肩を引いて半身に。


 右の肘を肩の高さで引き絞る。



 肩に近い位置に置かれた右手を脱力させ、視る。



 その手を視て、意識しながら、横目で己の“魂の設計図(アニマグラム)”を視る。



 指を緩慢に蠢かせ、一度握って、開く。



 すると、“魂の設計図(アニマグラム)”の何処か一点が煌めいたように感じた。



「そこか――」



 弥堂はその一点――


 “魂の設計図(アニマグラム)”の一部を剥がす。



 すると、肩の高さに在る右手の――


 手首から先の肉がボロボロと崩れ落ちた。



 腐り落ちたのではなく、分解され不要な不純物として弥堂から離れ落ちる。



 手首から先の右手は骨だけと為る。


 肉のまだ残る腕から血が流れ、先と変わらぬ形で開いたままの手の骨を伝って床へと滴り落ちていく。



 その血すらも解き、捧げる。



 否――



 生贄ではない。


 捧げ渡すのではなく、これも換えるのだ


 肉と同様に血液が分解されバラバラと崩れていった。



 そうして骨だけに為った右手を魔眼で睨む。



「違う……、逆だ……」



 骨しか無い――のではなく。


 まだ骨が在る。



 自身の右手の根幹は骨ではない。


 物質という不純物のもっと奥に在る霊子だ。



 だから、これは――


 この骨すらも、余分なモノなのだ。



「まだ……、これも……、全部、邪魔だ……っ!」



 “魂の設計図(アニマグラム)”を強く意識すると、右手に更に変化が表れる。



 まるでチーズを裂いたように。


 骨が細かく裂かれて、細い筋――幾本もの糸となってバラバラに解ける。



 このタイミングで弥堂は組み上げた魔術式を起動させた。



 解けた無数の糸が蒼銀に煌めく、半透明なモノへと変わる。


 これは最早完全な物質ではなく、限りなく霊子に近いモノだ。



 その様子を見ていたレイスが奇声をあげた。


 慄くような嫉むような、悪意の鳴き声。


 泡を食ったように突進をした。



「――!」



 弥堂は一つの魔術刻印をアイドリングさせる。


 先程と同じタイミングを見切った。



 その場を動かずに、迫る敵の姿を睨みつけ、そして殺意を漲らせる。



 魔力を燃料として、自身の外に糸を創り出すのではなく――


 自分自身を分解して、霊子の糸に換える。



 それならば間違いなく、その糸は純然に己の意図の通った、己自身と云える。



 続けて弥堂は【領域解放(ゾーンブレイク)】の刻印を起動する。


 自分自身に強烈な洗脳と暗示をかけて、超集中状態へと入った。



 それと同時に――



『自分には必ず出来る』と――



 そんな風に暗示し、洗脳し、思い込む。


 一点の疑いすら介在しないほどに、純然に。



『自分は希咲 七海の彼氏だ』と――


 そう思い込むことに比べれば、そんなことは造作もない。



 次に、無数の意図を絡めて、一つに束ねる。


 丸めてからグッと強く固めて拳を作る。



 肉体のままの右腕の、手首から先が霊体のようになり人体の拳を型どった。



 霊体の拳をさらに強く固める。



 無意識化で行われる思考すらも総て一つに。


 それは意図の統一。



 自分の総てがそれの許に――


 己の総てを以て、己と意思とする。


 唯それだけの為の装置へと。



 全てを集約し一度零へと。


 そして生まれ還したこの一。



 これこそが“意”だ。



 “唯一つの殺意(オンリーワンキル)”――


 それこそが己だ。



『今――っ!』



 さっきと同じ。


 エルフィーネの声に反応して、弥堂はアイドリングさせていた魔術刻印を起動した。



 その魔術は【自動人形(オートメイタ)】だ。



 特に大した効果もない“反射魔術(アンダースペル)”。



 昨日に愛苗の病室でエアリスに改造させたその魔術が実行するのは、指定した動作を記録して、任意にその動作を自分の身体に行わせることだ。


 たとえ自身の身体性能を超えるような動作や、人体には不可能な稼働であっても、己の身体が壊れることも厭わずに自動駆動する。



 ここで記録したのは、先程のエルフィーネの零衝。


 完全で完璧な型の極まった“零衝”だ。



 それを先程の彼女と同じ立ち位置、同じ機で、自身の肉体に実行させる。



 この魔術刻印を今日この場でこんな使い方をするつもりは微塵もなかった。


 だが、これが――


 こんな安っぽい“反射魔術(アンダースペル)”が奥の手と為った。



 師の武が――


 零が――


 弥堂の身に宿る。



 師事した彼女から受け継いだもの。


 愛した彼女から与えて貰ったもの。



 それらは総て――



「“己自身(俺のモン)”だ――」



 爪先が血の線を捩じる。


 ブチブチッと筋線維が引き千切れながら身体は彼女を追う。



 強烈な捩じりによって、踏みつけていた血溜まりから血液が舞い蜷局を巻く。


 身体の周囲で血煙の竜巻が起こった。



 各関節は適切に稼働し、身体の裡で研ぎ澄ませた殺意――


 “意”が“威”へと昇華する。



 目には死霊が映り――


 眼には彼女の姿が映っている。



 全てが再現され、霊子化した弥堂の右拳に吸い込まれるように、霊体が飛び込んできた。



 エルフィーネがその生涯を懸けて極めたものがこの瞬間――


 正しく弥堂へと継承される。



 そして、更なる先へ。



 至る。


 業の頂へと。



 その頂とはつまり――



絶掌(アブソリュート・ワン)』――



 零衝の捌式(はちしき)だ。




 弥堂の魔眼――【根源を覗く魔眼(ルートヴィジョン)】には霊子が映る。


 その存在を構成する霊子の集合体、その存在の基盤となる“魂の設計図(アニマグラム)”が視える。



 “魂の設計図(アニマグラム)”を視ることは出来るが、何が書かれているのかは読み解けない。


 当然内容を書き変えることも出来ない。



 だが唯一出来ることがある。


 それは、壊すことだ――



 零衝とは――


 殺意や闘争心といった戦う意思を威力化し、相手の裡に徹す技だ。


 それが術理だ。



 弥堂の使ってきた“壱式・徹威(とおい)”はあくまで物理的な技法なので霊体には触れられず、悪魔のような厳密には肉体を持たない高位存在には触れられない。


 だがここで使うのはそのさらに先、最奥の絶掌――“捌式・魄滅(はくめつ)”だ。



 今まで誰にも辿り着けなかったその最奥を閉ざす扉を弥堂は開け放った。



 自身の一部を疑似的に霊体化することで、相手の“魂の設計図(アニマグラム)”に触れることを可能とし、そして破壊する。


 破滅を強制実行するコンピューターウイルスを流し込むようにして、その魂に『死の意味』を徹す。


 それが弥堂の解いた答えだ。



 零衝。


 霊子の鑑賞。


 そして干渉。



 この3つが出来て初めて実現が可能となる業であり、それ故にこれまでに誰にも至ることが出来なかったのだ。



 だが、弥堂にはそれが出来る。



 零衝の腕前では足元にも及ばないが、霊子の鑑賞と干渉というエルフィーネに出来なかったことが、魔眼によって弥堂には可能となる。



 これは(まさ)しく、弥堂 優輝にのみ可能なスペシャルだ。



 異世界で伝えられた武の頂。



 それが今、地球のこの日本で、『世界』に表現される――



 死霊(レイス)の“魂の設計図(アニマグラム)”に、弥堂の霊拳が打ち込まれた。



零ノ捌キ(タイプ・ゼロハチ)――』



「――霊衝魄滅エーテルストライク



 零衝。


 霊子。


 そして純度の高い殺“意”。



 幾年月を彷徨いながら、別々に拾い集めてきたそれらがここに集約する。



 経た総てを己自身とすること。



 生まれ持った才でもなく、神さまに能えられた特別(ギフト)でもない。



 一つ一つは(ゴミ)に等しかったモノ。



 それらが零となり、加護にも匹敵する“デタラメ”をここに実現した。



 霊子と霊子が接触し、“意”が“威”となって、相手の魂へと徹る。



 無から死へ。


 零から零に。



 即ち、霊衝――



 “魂の設計図(アニマグラム)”へ撃ち込まれた『死』が弾ける。



 死霊の霊体は一度膨れ、それからボパンッと破裂するようにして消滅した。


 大きなイヌの頭部を模っていたそれは跡形もない。



 しかし――



「【falso(ファルソ) héroe(エロエ)】――」



――これで終わりではない。



 終わらせはしない。



 零は零へ――


 その存在の一欠片すら残すことを許さない。



『世界』から自分を引き剥がし、誰にも視止められないまま弥堂は駆け抜ける。



 次に姿を戻したのは、首無しの人狼の肉体の前。



 弥堂は左手を伸ばし、人狼の首の切断面から生えた大蛇のような首を掴んだ。


 腹の底から怒りを喚び起こす――



『――っぱ、最後はアタシだよな?』



「【燃え尽きぬ怨嗟レイジ・ザ・スカーレット】――ッ!」



 全魔力を燃やし尽くすように注いで、半霊体化していた首を灼き切った。



 これでレイスとの繋がりは完全に断った。


 しかし、その時――



 人狼の肉体から生えた細い10匹の蛇が纏めて襲いかかってくる。


 その霊体の蛇たちは既に崩壊を始めているが、それに抗うように弥堂に噛みつき生命を吸い始める。



 弥堂はそれに構わず――


 その場で半身になり足を開いて腰を落とす。



 何度も何度も繰り返した型――



『――いいえ、ルビア。今回は私に譲ってもらいます』



「――ッ!」



 弥堂はいつの間にか肉体に戻っていた右手を人狼に押し付け、爪先を強烈に捩じった。



 零衝壱式・徹威(とおい)――



 魔物としての格を失った人狼(ワーウルフ)の肉体に、その“威”は適切に徹る。



 人狼の肉体は爆裂四散するように血や臓物をぶち撒けながら背後に吹っ飛ぶ。


 そして倉庫の壁にグチャっと貼りついて、その肉体の滅びを赤く咲かせた。



 構えたまま、弥堂は磔の狂犬を視る。



 残心。


 構えを解く。


 戦場に心は残さない。


 戦いはもう終わったのだから。



「ニンゲンの棲み処に、狂った犬の居場所はねえんだよ――」



 静まり返った倉庫内でその呟きは響いた。


 誰もが弥堂を呆然と見ている。


 だが、その視線の内のどれにも、弥堂は目線を返さない。



 振り返って、ただ、一点を見ている。



 彼女がこちらを見ている。


 その顔はどこか嬉しそうに見えて、それを表情に出さないように耐えているように――


 そんな風に見えた。



 それは今まで見たことのない彼女の顔。



 エルフィーネは――



 師は、少し言葉を探してから口を開いた。



『よくやりましたね、ユウキ――』



 弥堂は聞いた瞬間、その言葉の意味が理解出来なかった。


 まるで知らない言語のように聴こえた。



 適当に何かを言い返そうとして、それから褒められたのだと気が付いた。


 もしかしたら、それも初めてのことかもしれない。



 弥堂の言葉を待たないまま、エルフィーネは感極まったように続ける。



『本当に、素晴らしいです。私を超えてしまいましたね』


「あー……」


『私に出来なかったこと……。果たしてくれてありがとうございます。弟子が自分を超えて、最奥へと至る姿を見ることが出来て……。私は幸せです……っ』



 喜びながら、涙を一つ溢す。


 そんな姿を見て、弥堂は何を言えばいいのかわからなかった。


 だが、何故かムカつく気持ちが湧いた。



「……どうだろうな。こんなのマグレ当たりの一発芸かもしれんぞ。どうせ、な」


『もう……、あなたはまたそんなことを……』


「本当に俺に出来てるのかどうか。最期まで責任を持てよ。調子のいいことを言ってその気にさせておいて、途中でバックレるのは詐欺だぞ」



 言いがかりのような弥堂の言葉に、エルフィーネはクスクスと笑った。


 見た目相応の少女のような笑い方――初めて見る笑顔。



『そうですね。貴方が神さまに怒られるような悪いことをしないか。もう少しだけ見守っていましょうか』


「……それじゃ師匠じゃなくて母ちゃんだろうが」



 ジト目を向ける弥堂にエルフィは『フフ』と微笑み、それから少しだけイタズラげな目をした。


 それも初めて見る顔。



『――でしたら』


「あ?」


『しっかりと生きてみせて。そうして、師でも母でもなく――私をただの女にしてみせて』



 その台詞に弥堂は参ったとばかりに手で顔を覆った。



 そうやってグウの音も返せないでいる内に――


 エルもまた、シスターヴェールをズラして目元を隠し、恥ずかしそうにしながら消えていく。



『――あーあ、女クセェなァ。まぁーたこのバカを死に損なわせやがってよォ……、知らねェかんな』


『――黙りなさいルビア。殺しますよ?』



 声も薄れていく。



「あ――」



 そういえば、ついさっきの戦いの最中で彼女に聞きたいことを思いついたのだった。


 それはなんだったかと記録を探そうとして、止める。



 あの様子ならまた近い内に自分の前に出てきてくれそうだし、その時に思い出せばいいかと心に残した。



 心に残った死者の声を遠くに聴きながら、弥堂は手を下ろす。


 そこで自分の手が元の肉体に戻っていることに気が付いた。



 いつもと変わらない自分の手。


 そこには何か確かな手応えのようなものが残っている。



 トクンっと、軽く心臓が撥ねた。



 麻薬でも、他人からの影響でもなく――



 己の裡から生じた新しい反応。



 新しい刺激。




 戦場跡に死者の嘆きはもう聴こえない。



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