2章33 朔 ②
魂の牢獄
背信の証左
檻穽の未完
未遂を隔絶
情熱 真実
優しい輝き
禁秘の攪拌
鎮圧された概念
朽ちて罅割れ
反逆の萌芽
月は無く
逆しまなる十字
涙を吊るして
時めきは闇
いずれかいまか
朔の時
<――ネコ! ネコ! 早くワタシを……!>
美景台総合病院の病室で、エアリスはメロを急かす。
あれから愛苗とメロはこっそりと病室に戻ってきて、本格的に眠り直す準備をしていた。
メロが愛苗ちゃんの枕の隣に伯爵印のパンティストッキングを敷いて前足でフミフミと均していると、ひどく焦燥をしたエアリスに呼びかけられる。
<ん? どしたんッスか、お姉さん>
<ワタシをユウくんの居る港まで連れて行きなさい! 今すぐに!>
<え? そ、それはマズイんじゃないんッスか……?>
メロは弥堂との視界共有をONにしたままで、自分ではあまり見ていなかった。
先程までゴミクズーや謎の着ぐるみと戦っていたこともあるし、何よりあのご主人の戦いを見ていると正気が削られるからだ。
<うるさい! 早くしろクソ悪魔……ッ!>
<で、でも、マナになんて言えば……>
大変なことが色々と終わったばかりで、深夜の今から出かけること。
さらには彼女のブラジャーを持ち出して。
その正当性を主張できるだけの言葉を瞬間的には思い付けなかった。
<……あ? え……? しょ、少年……⁉>
一体何が起こっているのかと弥堂の方の映像を意識するが、それは暗い闇に閉ざされていて何も見えない。
どうやらあちらは非常事態のようであると、メロも遅れて理解した。
そして肝心の愛苗はというと、先程の騒ぎで荒れてしまった部屋のお片づけをしている。
ベッドを整え直して今は窓を閉める為に窓際へと歩いて行っていた。
手を伸ばして窓を動かさそうとした時――
クンクンと愛苗の鼻が動く。
「……あれ? ユウくん、また困ってる……? 少しだけ……」
首を傾げながら考える彼女の動向を、メロは迷いを浮かべながら窺った。
そんなことには気付かずに、愛苗はブツブツと呟きながら弥堂の心を感じる。
「……あ、でも、ちがう……。これ……、うれしい……?」
彼には珍しい心の動き。
だけど――
「――あれ……? なんかこれ、知ってる……ような……?」
その感覚に愛苗は憶えがあるような気がした。
いつのことだったか思い出そうとするが、思い出せない。
なにか霞ががっているような、穴が空いているような。
変な感覚がして、思い出すことが出来ない。
「……ちがう? わかんない……、だけど。だめ……、だめだよユウくん……っ。どうしよう……」
「マナ?」
それでも、直感なのか第六感なのか――彼女は焦燥を浮かべ動揺し始めた。
まるで、途中の何かを全てすっ飛ばして、『現在弥堂が危機にある』という結論・真実だけを察知しているかのような。
そんな愛苗の様子にメロもどうしていいかわからなくなる。
<……こうなったら小娘を……>
<で、でも……ッ>
エアリスは違う答えに行き着いたようだ。
メロは増々焦る。
<コイツなら余裕で皆殺しに出来る……>
<それは、確かに……>
そうだろう。
魔法少女に変身した愛苗ならレイスは簡単に処理できる。
多分、一撃で。
だけど、メロは気が進まない。
弥堂の指示もあるが、何よりあの現場に居る人間に愛苗を関わらせたくなかった。
エアリスの言う“皆殺し”の対象が、弥堂以外の全ての存在であることはメロにはわからない。
あの場に居る全てのニンゲンは、どいつもこいつも悪辣だ。
今なら弥堂がニンゲンたちの何を警戒していたのかが、メロにもよくわかった。
多分、あそこに居るほとんどのニンゲンにとって、『魔法少女』は利益になる。
あんな場所に愛苗を行かせてはいけないと感じる。
最初、今回弥堂が受けた仕事とは――
正義と悪の戦いがあって――警察という正義と犯罪者という悪と――その正義側の手伝いをするものだと、メロは考えていた。
しかし、まったく違った。
あそこには正義などなく、正しいニンゲンなどいない。
全員が全員、自らの利になることを求めて争っている。
だが、仮に人間として自らの利を追及することが正解なのだとしたら――
その場合は、あそこに居るニンゲン全員が正義にもなるのかもしれない。
正義だから悪と戦うのではなく、悪だから正義と対立するのではなく。
それは戦った後についてくる『勝利者』と『敗北者』の別の呼び名に過ぎないのだ。
それぞれがそれぞれの立場において『正しい』ことをする。
それが別の立場の者と対立・競合すれば戦う。
そうやってお互いの正義を押し付け合って、勝った方が正義となる。
勝った者が自らが正義となる理屈を敗者に押し付ける。
(そんな戦いにマナを関わらせちゃダメだ……! 少年もきっと……)
そう考えていたのだと、彼のこれまでの言動を思い出す。
多分それで合っていると思った。
彼女はこれでも悪魔だ。
悪魔はニンゲンの欲望に敏感だから。
<ダ、ダメッスよ……!>
<は?>
エアリスを窘めると強烈な怒気を向けられる。
委縮しそうになるが、メロはどうにか堪えて反論をした。
<マナをあそこに近付けちゃダメッス! 少年もきっとそう考えてる!>
<……薄汚い悪魔が。オマエがユウくんを語るなァ……ッ!>
<だ、だって、少年が……!>
<うるさい。もういい。あまり使いたくなかったけれど、最後の手段を……>
メロから関心をなくしたように何かを呟きながら、ベッドの上からエアリスは愛苗へ触手を伸ばす。
窓の外へ向きながら「うんうん」唸っている彼女は背後のそれに気が付いていない。
きっとまた「行かなきゃ」と考えているのだろう。
エアリスが何をするつもりか知らないが、メロはとてつもなく嫌な予感がして、慌てて愛苗に声をかけた。
「マ、マナッ! 応援ッスよ!」
「え?」
咄嗟に言ったメロの言葉に愛苗は振り向き、首を傾げる。
するとエアリスの触手は愛苗に見つかる前に霧散した。
続きを考えていなかったが、メロは必死に舌を回す。
「そ、そうだ……! 少年を応援してやるんッスよ!」
「おうえん?」
「うむッス! ほら? ゴミクズーと戦ってる時、マナもニンゲンどもに応援されてパワーアップしたじゃないッスか!」
「あ、そっか。そうだよね! さすがメロちゃん!」
パンっと手を叩いて彼女は表情を輝かせる。
どうやら納得したようだ。
「あ、でも……、どうやって応援すれば……」
しかし具体的な方法は思いつかずに「むむむっ」と考え込んでしまう。
メロはすかさず畳み掛けにいく。
「なんかアレッス! 伯爵さまがアドバイスみたいなこと言ってたッス!」
「伯爵さま? さっき何か言ってたっけ……?」
愛苗は病院前で別れた謎の英国紳士の言葉を思い出そうとする。
『アレはやる時はやる男だよ』
『どうかキミはヤツに守られてやっておくれ』
伯爵は弥堂のことについて、そんなことを言っていた。
「えっと……、ユウくんががんばるのを見守ってあげて……だったっけ?」
「うん? あ、それもそうッスけど。ジブンが言ったのは今日じゃなくって、昨日お庭で会った時のことッス」
「きのう?」
「ほら、別れ際になんかよくわかんないこと言ってたじゃないッスか」
「えぇっと……」
メロが言っているのは昨日の初対面の時のことのようだ。
病院の中庭で会った時のこと。
その記憶に思いを巡らせると――
「――あ、そっか!」
「思い出したッスか?」
「うん、よくわかったよ!」
――カチリとパズルがハマったような気持ちのよさがあった。
メロが伯爵のどの発言のことを言っているのか。
そして、昨日聞いた時には理解出来なかった伯爵のその言葉の意味。
それらが同時に愛苗には理解できた。
笑顔を浮かべた彼女はまた窓の外へ身体を向ける。
手を口の横で立ててメガホンのようにすると――
――言葉はシンプルでいいだろう……、常にね。こう伝えてくれ――
「――いきろーっ」
――彼を想って励ましの言葉を送った。
その意思は、夜空の向こうへと届く――
――牢獄に光が灯る。
薄い桜色の明かり。
優しく光っている。
床の石と石の隙間から伸びた芽。
その先端の蕾が花を開いている。
左右に葉が一枚ずつ。
その葉の間から茎が伸びて。
桜に似た小さな花が一輪咲いている。
まるで小学生が描いた絵のようなお花。
開いた花の中心、子房から光の粒子が浮かんでいる。
ピンク色の光。
その粒子が近づき触れると、何かが戻るような感覚を得る。
もう一つ、粒子が浮かび、それはどんどんと高く昇っていく。
思わず眼で追った。
光は周囲を照らしながら遥か上へ。
終わりは天井、それは牢獄の空。
穴の空いた天井から光は外の『世界』へと飛び出し――
そしてその穴――牢獄の窓から光が差し込んでくる。
牢獄の窓。
それは眼窩の窓だ――




