2章32 DEMONed I Scream ④
「――これは……」
福市博士の目は釘付けになる。
先程ヨギのズタ袋から出てきた白濁液を見た時と同じように。
今その視線が向く先は彼女自身の股の間――
そこに落ちてきた瓶が割れて、床に零れ出た知らない液体だ。
つい数秒前まで、この瓶と拳銃が突然飛んできたことで一瞬我にかえっていた。
だけど今はもう、この知らない薬品に強く関心が引かれている。
他のことなど何も意識に入らないほどに。
彼女の居る場所の少し先で、瞳から光を失くし倒れる弥堂のことも。
そこいら中で泣き叫びながら殺されゆく人々のことも。
倉庫内でいくつか上がる火の手も。
隣の倉庫を燃え上がらせる炎も。
今は何もかもがどうでもいい――
博士はジッと、床に出来た水溜まりを見つめる。
何か感じるものがある。
頭の中に浮かべるのは――
➀先程のミルクのような液体。
➁今そこで暴れているバケモノを生み出す時にカルトの魔術師が使った薬品。
➂弥堂が使った薬品
――この3つだ。
そして、
➃割れた瓶から出てきた目の前の液体
➁と➂は恐らく同じ薬品だ。
そして、今目の前で水溜まりになっている➃も、これらの2つに極めて近い薬品だと思われる。
さらに➀は、以上の3つとは別方向を向いて作られた薬品ではあるが、元となる素材には同じものが使われている。
➀➁➂の素材の一部は同じ。
➃の素材はそれらに極めて似通っている。精巧ではないがこちらの方が野性に近くパワフルにも感じられる。
つまり――
「――これら4点の物は、同じ思想のもとに作られた。そして一部用途に合わせて別系統に派生した薬品。その可能性が極めて高い……」
ブツブツと呟きながら、床に零れた液体から視線を外さない。
彼女にはこうして一部の薬品や化学製品などを見ただけで、それがどういった効果を持つ物なのかを察知することができ――
さらに見ただけでその構成物質・素材・含有成分などの見当をつけることが出来た。
それはひどく感性的なモノであり、博士自身はそれを特にスピリチュアルな能力だとは思っておらず、なんとなく働く勘のようなものだと思っていた。
この感性は幼い頃から持っていたモノではなく、人生のある時から芽生えた――或いは自覚した感性だった。
それはアメリカでの学生時代の研究に行き詰まっていた時のこと――
祖母の死期が見えてきて焦っており、しかし学業や研究は上手くいかず、ひどく心を病んでいた時期であった。
ある夜。
睡眠時間を削って自室で薬品の素材となる植物の品種改良についての研究をしていると――
――見知らぬ男が突然、音もなく部屋の中に現れた。
現れた瞬間を彼女には知覚出来なかったので、気が付いたら居たという感覚だ。
窓は閉まっているし、扉も開いた様子はなかった。
その男はふと気づいたらデスクに齧りつく彼女の背後に立っており、PCモニターや机の上に散らばった書類を覗き込んでいた。
誰なのか――
何の用なのか――
聞くべきことはたくさんあって、動揺しながら彼女は彼の顔を見上げ――
――そして何も言えなかった。
美しい男だった。
ヒトの域を超えたほどに。
だけどそれは造り物めいた造形美ではなく。
生々しさと妖しさがあった。
白に近い銀色の髪、紅い目。
青褪めても見えるほど血色の悪い肌は薄く。
細くて華奢な喉、骨と筋が浮き出る。
だらしなく着た黒いスーツの上にくたびれた白衣を羽織っている。
顔の造形は若い男にしか見えないのに、どこか老成していてくたびれた雰囲気が年齢を想像させない。
生物として枯れたような印象が強いのに、だけどそれでも美しい。
その病的な美しさに彼女は魅入った。
そこから先のことは憶えていない。
その男が誰で、何を話したのか。
彼が何をしに来て、そして何をして帰ったのか。
何も。
だけど、翌朝デスクで一人目覚めると、モニター内で迷走していた品種改良の為の理論は完成していた。
そして、先に述べた彼女の特別な感性が目醒めていた。
それからそう時間をかけず、福市 穏佳は“賢者の石”を発明し、博士と為った。
不思議な出来事だった。
しかし、彼女はその時のことを特に何とも思っていない。
――否、思えない。
詳細を覚えていないこともそうだが、普段はそういう出来事があったということすら思い出すこと――頭に思い浮かべることもない。
今回のように特別な出来事があって、その記憶を想起させられない限りは。
特別なこと――
それを見て、その感性が告げた。
これは同じモノだと。
獣人を人狼へと変貌させた白い液体。
その人狼をさらに死霊へと変える時に使った“力を呼び起こす薬”。
何故、これらの化け物を生み出すような薬品に『コレ』が含まれているのか――
自分の知らないところで――
「……そんなわけ、ないのに……。知らない……。わたしは知らない……。わたしが、知らない……」
そして、また目の前に舞い落ちてきた新たな薬品。
これも同じだ。
感性がそう言っている。
だけど、この液体は少しだけ違う。
素材が他のモノと似ている。
だけど、これだけは、この素材だけは彼女が知らないモノだ。
なのに、似ている。
不可解だ。
福市博士はアムリタの検査薬に試験紙を浸す。
紙を取り出してそれを数秒見つめ――
そしてその試験紙を脚の間に溜まった液体へと触れさせた。
作業を行っている少し先では、自分を助けてくれた謎の多い男が死んだように瞼を閉じた。
周囲ではなおも人々が殺され、泣き叫んでいる。
だけど、そんな光景も目に入らず、声も音も耳に入らず。
ただ自身の前のフラスコの中の世界だけに集中する。
ここは戦場だ。
だけど彼女の周囲だけはそうではない。
彼女の周りのごく狭い場所だけは、閉じられた世界で、彼女の実験室だ。
まるで『世界』から隔離されたかのように、全ては他人事で――
彼女は『ソコ』に閉じこもり、フラスコの中の出来事に没頭する。
しかし、『ソコ』も『世界』の一部で。
『世界』の中に在り。
『世界』の中で起こった出来事だ。
 




