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俺は普通の高校生なので、  作者: 雨ノ千雨
2章 俺は普通の高校生なので、バイト先で偶然出逢わない
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2章15 風ニ薫ル ②


 希咲はハート型のカップルストローの自分の方へ向いている先端をジッと見る。


 その顔色は悪い。



 なんで好きでもなんでもないクソ男と一緒にこんなイベントに向きあわされるのか。


 しかし、彼女の表情が優れないのはそれだけが理由ではない。



 チロリと目線を動かして、一応弥堂の様子を窺ってみる。


 だが、ヤツは相変わらずの態度だ。


 目の前のラブラブジュースにまるで興味を示していない。



 自分と同じ立場のはずなのに、そんな他人事の態度をとる弥堂に希咲はムッとした。



「ちょっと、なに自分は関係ないって顏してんのよ」


「関係ないからだが」


「あ、あんたねぇ……っ」



 沸々と怒りが湧いてくる。


 だが、ここまで一切何も口にしようとしなかった男が、今更言うことを聞くとも思えない。


 諦めてもう一度問題のカップルジュースに目を向けたが、



「こ、これ、あたしが全部飲むの……?」



 やっぱり文句だけは言うことにした。



「ねぇ、あたしお腹いっぱいなんだけど」



 ここまでほぼ全ての料理を希咲が一人で処理してきた。


 彼女が普段食事の適量と設定しているラインは既に超えてしまっている。



 単純にもうこれ以上は飲み食いが出来ない。


 というか、若干気分も悪い。


 それが彼女の顔色が悪いもう一つの理由だ。


 それもこれも――



「――あんたが全部あたしに食べさせたせいなんだけど」



 食べ物を粗末にするなというのが希咲家の家訓だ。


 食べもしないのに悪戯に注文をするなどという行為は、彼女の信条的に言語道断なのである。


 しかしそれ故に、滅茶苦茶な注文をした本人が一切何も処理をしようとしないので、希咲はソロでの討伐を余儀なくされてしまった。



「そういえば……」



 そんな彼女に対して悪びれるでも、気遣うでもなく、弥堂は思い出したように彼女へ視線を向ける。


 そしてその身体をジロジロと無遠慮に眺めた。



「お前細っちいのに随分と食えるんだな」


「…………」



 そのNG質問を、七海ちゃんはスーンっとお澄ましして無視した。


 しかし、そのせいで碌に文句も言えなくなってしまう。



 お店に入ったら注文しなきゃダメ。


 食べ物を粗末にしちゃダメ。



 どこのご家庭でも教えるような当たり前のことのはずだ。


 なのに――



「――なんで……? どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの……?」



 自分が一体何をしたというのだと嘆く。


 とはいえ、そうしていてもジュースは無くならないので、少しずつでも減らしていかなければならない。



 しかし、いざグラスの前で構えてストローを指で挟むと、喉が「ゔっ」と緊張する。



「――ねぇーっ!」


「なんだよ」



 やっぱりもう少し文句を言うことにした。



「あたし先に半分飲むからさ、あんたも残り飲んでよ」

「断る」


「少しは協力してくれたっていいじゃんっ」

「冗談じゃない。誰がそんなもの飲むか」


「そんなものとかゆーな!」



 弥堂は鬱陶しそうに眼を動かし、グラスの中の真っ青な液体を睨む。



「自然にそんな色になる液体があるわけがない。何が入っているか知れたものじゃないだろ。そんなものを飲む奴は馬鹿だけだ。つーか、何で青いんだよ。便所の色水だろこれ」


「余計なことゆーなっ! あたしまで飲みたくなくなっちゃうじゃんっ!」



 そうしてギャーギャーと言い合っていると、義妹ちゃんがウキウキの様子で戻ってきた。



「お待たせしましたっ!」



 また何か食べ物を追加されるのではと希咲は警戒していたが、どうも彼女は料理を持って来たわけではないようだ。



「どうしたの?」


「はい! チェキの撮影サービスです!」


「は?」



 義妹ちゃんは手の中のカメラを誇らしげに希咲に見せつける。



「こ、これは……?」


「お二人でストローをパクっとしてるとこをチェキっちゃいますね!」



 茫然とする希咲に無邪気に無慈悲なことを伝えてきた。



「い、いや、それは……」



 控えめに言って冗談ではない。


 その確かな本音が表情に出てしまっていたのか――期待していたものとは違う希咲のリアクションに、義妹ちゃんはシュンとする。



「あの……、もしかして、ご迷惑でした……?」


(うんっ! 超迷惑っ!)



 心の中で即答するが、そんなことは言えない。



「え、えっと……、迷惑っていうか……、その……」



 お目めをキョドキョドさせながら、何の意味もない言葉で濁すことしか希咲には出来なかった。



「あたし……、お二人にもっとラブラブになってもらいたくって……」


「う、うぅ……」



 義妹ちゃんの目にジワっと涙が浮かぶ。


 泣きたいのは自分の方だというのが希咲の本音ではある。


 しかし、中学生くらいの女の子が善意で一生懸命希咲たちの為に考えてくれたのだ。


 そんな彼女は悲しませることに、希咲は強く罪の意識を感じてしまう。



 七海ちゃんはお目めをギュッとして「むぅーっ」と己の中の何かと戦う。


 やがて、「クッ……」と呻いて、非情な決断を下した。



「――よしこいっ!」


「あ?」



 バッと弥堂の方を向いてそう宣戦布告すると、パクっとストローを咥える。


 それからキッと上目遣いで弥堂を睨みつけた。



 弥堂はそんな彼女を珍しい生き物を見るような眼で視る。



「お前はバカなのか?」


「うっさい! バカはあんたよっ!」



 ついいつもの調子で怒鳴りつけると、その声に驚いた義妹ちゃんがビクっと肩を縮めた。


 希咲は慌てて声を潜める。



「か、勘違いしないでよね! あたしだって、あんたなんかとこんなことすんのマジでヤなんだからね……っ!」

「やらなきゃいいだろ」


「だって、あの子がカワイソウじゃん!」

「そこまで付き合う義理はねえだろうが」


「悲しませちゃったらカワイソウだし、気まずいじゃんか!」

「だからって自分を切り売りする程の理由には足りないだろ」



 当然、人でなし代表の弥堂からは共感も納得も得られない。



「つーか、あんたは飲むフリでいいから」

「フリ……?」


「そ。ストロー咥えてるだけ。あたしがちょっとだけ飲むし。むしろあんたは飲むな。一緒にとかキモいし。写真撮る間だけガマンして。そしたらあの子も満足してお仕事に戻るでしょ?」

「ふん、その手にはのるか」


「は?」



 仕方なく妥協案を出してみたが、弥堂は何故か警戒レベルを上げた。


 ギロリとストローを睨む。



「そのストロー……、ストロー……?」

「ストローで合ってるわよ?」


「そのストローに細工をしているな?」

「あんたなに言ってんの?」


「お前がそれに息を吹き込むと俺の側から毒針かなんかが飛び出すんだろ? 騙されるものか」

「そんな手の込んだことするバカがいるか! てゆーか、あんたに毒を盛ってお店やあたしに何の得があんのよ⁉ 人生終わっちゃうだけじゃん!」


「それは自分でよくわかっているだろ。その薄い胸に手を当てて考えてみろ。間抜けめ」

「あ? てめーいまなんつった?」



 弥堂の繰り出したクリティカルな暴言は、一撃で彼女をブチギレさせた。


 七海ちゃんのお目めは一瞬でガンギマリし、チンピラのように恫喝する。


 ストローを離して“ゆらぁ”と席を立ち、そして遂に弥堂に掴みかかった。



「もう怒ったんだから!」

「触るな」


「なんなの⁉ ワガママばっか言って!」

「わけのわからねえ要求をしてくるのはお前の方だろうが」


「うっさいボケ! わけわかるから!」

「わかんねえよ」


「いいからもうこれ全部飲め! 飲まないと浮気だって許さないしっ!」

「うるさい黙れ。たかが浮気くらいで俺に何でも命令できると思うなよ」



 突然取っ組み合いを始めた二人に義妹ちゃんが呆気にとられる前で、希咲はカップルジュースのグラスを持ってそれを弥堂の口に押し付けようとする。


 そうして彼女の手が塞がった隙を逃さずに、弥堂は希咲のおさげを掴んでそれをキャンキャン吠える彼女の口に押し込んだ。



「もがぁっ――」



 希咲が怯んだ隙にグラスを奪い取る。



「バカめ。お前の喉奥に無理矢理全部流し込んでやる――」



 彼女の顔を押さえてグラスを唇に近付けようとした。



 その時――




「――マテよ、ニイチャン」




 声と共に横合いからタトゥーの入った屈強な腕が伸びてきて、グラスを持った弥堂の手首を掴む。



「あ?」



 ギロリと眼球を動かすと、そこには見知らぬ外国人の男が居た。



「オンナにチカラずくなんてするモンじゃあネエぜ?」



 ニヤリと笑うその顏は陽に焼けた元は白い肌と無精髭。


 黒髪に近く見えるくらい色の濃い金髪。


 そして片言の日本語。


 ヨーロッパ系の人種のように見えた。



「え……? 外人さん?」



 戸惑う希咲の様子が横目に視える。


 彼女の仕込みではないようだ。


 弥堂は男への視線を鋭くさせる。



「なんだお前は?」


「オレは……、あー、通りスガリだ。ソコ歩いてたら、大きなオンナの声。ヒメイかと思った」



 そこまで流暢な日本語ではなかったが、どうやら希咲の声がデカかったせいで事件だと思われ、さらに弥堂は暴漢の類だと誤解されていることがわかった。


 弥堂はコクリと頷く。



「そうか。この女が欲しいなら持っていけ。失せろ」

「はぁ? あんた何また勝手なこと言ってるわけ?」


「アァン……?」



 しかし、弥堂が日本人にも理解不能な日本語を喋ったせいで、外人さんは「おかしいな?」と首を傾げる。



「え、えっと、あたしたちちょっとケンカしちゃっただけで、こいつは一応あたしの彼氏なんです……」



 顔つきや表情は優男風だが身体は見るからに屈強なこの外人さんと弥堂を絡ませたくない。


 途端に漂う事件の薫りに強い危機感を覚え、希咲は慌てて弁明をした。



 外人さんは希咲へ向けた目線を上から下へ遣ってからまた上に戻し、彼女の顔をジロリと眺めながらサングラスの奥を覗こうとする。


 その無遠慮な仕草に希咲は頬を引き攣らせたが、文化の違いなどもあるしと無理矢理愛想笑いを維持した。



《う~ん……、ツラはよさげだがどう見ても大和撫子じゃあねェよな……》


「ん? やまとなでしこ……?」


《あぁ、いや、何でもねーよ》



 男は意味が通じないようにイタリア語で独り言ちた。


 だが、「大和撫子」の部分を拾われてしまったようで、内心で少しだけ焦りながら取り繕った。



「はぁ……えと、『人でなし』でよければそこに居ますけど」



 希咲が何の気なしに言ったその一言にちょうどいいと、弥堂の方へ話しかける。



「ヨゥ、ニイチャン」


「あ?」


「オンナは大事にしろヨ。このクニでもスタンダードだろ?」


「意味がわからんな」


《あれ? なんか日本語間違ったか?》


「あー、や、そいつが日本語下手なんです」


「ア? ヘタ? どういうことだ?」



 まさか自分より日本語の下手な日本人がいるとは想定しておらず、外人さんは怪訝そうな顔をした。



《おい、ニイチャン。お前日本人じゃないのか?》


「あいあむとむ」


《トム?》


「タムじゃないトムだ」

「トムでもないでしょ! あんたなんですぐ偽名使うの!」


「うるさい黙れ」

「せっかく向こうが日本語使ってくれてるのに、何であんたが日本語通じないのよ⁉」


「外人との会話くらいできる。邪魔をするな」



 弥堂は希咲を押し遣って、異世界で培った己のグローバリズム力を発揮する。



「でぃすいずぺん」



 だが、そのあまりの酷さに希咲は頭痛を堪えるように額を押さえた。



「この人喋ってるのイタリア語だってば。つか、あんたの英語も間違ってるし」


“あ? なんだって? それ英語のつもりだったのか?”


「や。多分知ってる英語をテキトーに言ってみただけです。こいつバカなんでほっといてください。すみませんでした」



 今のところ二人の会話はまるで意味が通じていないが、通じたら通じたで余計にマズイことになる気がする。


 どうせ弥堂の口から出てくるのは罵倒か挑発か脅迫だ。


 希咲はペコリと頭を下げて、会話が成立してしまう前にどうにか二人のコミュニケーションを終わらせようとした。



 しかし、ガラの悪そうな見た目とは違って意外と親切なのか、外人さんは歩み寄りを見せる。


「“This is pen”じゃなくって“This is a pen”だから。中学校で習ったでしょ?」と希咲が弥堂に『えいご』を教えていると、男はご丁寧に英語を使って弥堂に話しかけてきた。



“ニイチャン。とりあえずその子から手を離してやれよ”



 言いながら希咲の手首を掴む弥堂の手へ目を遣る。


 そういえば掴まれたままだったと思い出して、反射的に希咲もそちらへ目線を動かした。



「ごるごるごるごるすーぺるごらっそー」


《アン? 兄ちゃんもしかしてカルチョの話してんのか?――って、うぉっ⁉》



 二人の視線が自分から外れたその隙を弥堂は逃さない。


 男の膝裏に蹴りを入れて足を払うと、タイミングよく彼に掴まれている腕――希咲の手を掴んでいる手を離して――を動かして重心を操り、男を地面に引き倒す。



「ばもー」


《ごぼぼぼぼぼっ⁉》



 そして、突然のことに目を白黒させた見知らぬ外国人男性の喉奥にラブラブジュースを熱烈に注ぎ込んだ。


 さらにグラスに刺さったままのストローの片方に口を付けて強く息を吹き込んでみる。



《おごぉ……っ⁉》



 だが、特に毒針が発射されるようなことはなかった。


 男の容態が急変しないか確かめるためにグラスを押し付けながらジッと様子を視る。


 堪らず希咲が止めに入った。



「こ、こらぁーっ! あんたなにしてんの⁉」


「でぃすいずあぺん」


「それペンじゃないから! や、やめなさいってば……!」



 希咲は慌てて弥堂を引き離す。



 幸い大事には至らなかったようで、外人さんはケホケホと咳き込みつつも、地面に座ったまますぐに上体を起こした。



《な、なんだいきなり……? 日本人のわりに過激なニイチャンだな》


「あ、あの、ゴメンなさい……っ! こいつマジでバカなんです! これでも悪気は……えぇっと、その、とにかくゴメンなさい……っ!」


《あぁ、まぁ、いきなり知らない言葉で話しかけられてビックリしちまったのかもな。こっちも悪かったよ》


「いや、ホントにすみません……」



 希咲はペコペコと頭を下げる。


 こんなことを仕出かしたバカはまるで悪びれもせずに、そんな彼女の横に立ったまま油断なく男を視下している。



《気にしねえでくれネエチャン。面倒なヤツらと喋ってたからちょうど喉も渇いてたしよ。つーか、随分甘ったるいなそのジュース》


「あ、ありがとうございます……。ほらっ! 許してくれるって! あんたもちゃんと謝んなさいよねっ!」


「あ? 日本に来たら日本語を話せ間抜け。ナメてると殺すぞ――と伝えろ」


「日本語で喋ってくれてたでしょ! あんたがまず日本語と法律覚えろぼけっ!」


《ハハッ!》



 希咲は顔を真っ赤にして弥堂を叱りつけると、その様子が可笑しかったのか、男が笑いだす。


 七海ちゃんは別の意味でお顔を真っ赤にした。



《――いや、悪い。俺の早とちりだったみてえだ。てっきりケンカか暴漢かと思ってよ。どうやらオマエらはそれが普通みたいだな。余計なお世話だった》


「あぁ、いえ。あたしはそうでもないんですけど。こいつのせいでなんかこうなっちゃうっていうか……」



 弥堂のしたことを考えると随分寛大なことを言ってもらっているのだが、どうにも素直に喜べずに希咲はお口をもにょもにょさせる。


 男はそんな彼女の様子にニカっと笑い、そして座ったまま弥堂の方へ手を伸ばす。



「オイ、ニイチャン。手ェ貸してくれヨ。それでテウチにしようや」


「あ?」



 弥堂は自身に向けられた手を怪訝そうに睨む。


 希咲は頭痛を堪えるようにしながら日本語を日本語にして教えてあげる。



「手引っ張って起こして、だって。それで手打ちにしよって。つか、わかるでしょ」


「手打ち、ね……」



 弥堂はジロリと男の目を視る。


 目が合うと男はニヤリと口の端を持ち上げて伊達男染みた笑みを浮かべた。



(い、いきなり蹴ったりしないわよね……?)



 希咲がドキドキとしながらその様子を見守るが――



「――おら」


「オォ」



 弥堂は素直に自身の掌の上に男の手を重ね、手首を掴んで引っ張り上げる。


 そのタイミングに合わせて男が膝のバネを跳ねさせたおかげで、すんなりと楽に立たせることが出来た。



 男は勢いよく立ち上がりながら弥堂の身体の横に自身の身体を持っていき、その脇を通り過ぎる。



 一瞬だけ二人の身体が擦れ違う。



 二人の身体が互いの体臭が感じとれるほどの距離まで近づき、そして離れる。


 その擦れ違いざま――



 男の立ち上がる勢いが強かったからか、その瞬間の二人の間に微かな風が生じた。


 風が流れて、お互いにお互いの情報を僅かに伝える。



「…………」


《…………》



 その情報により、ほんの一瞬だけ弥堂も男も真顔になり、ピクリと眉を動かした。


 身体の位置が入れ替わっても、互いに掴んだ手を離さないまま無言で視線を合わせ続ける。



(こ、これ以上揉めないでよ……)



 二人が何故そうしているのかがわからない希咲は、祈るような気持ちで事態が過ぎるのを見守った。


 そんな彼女が、どこか張り詰めていくような空気に緊張を感じ始めた時――



《――オイッ! アレックス……ッ! なにをやっている……⁉》



 カフェのオープンテラススペースの外、通りの方から大きな声が外国語で叫ばれた。



《ヤッベ。ダリオにバレたぜ》



 その声に外国人の男――アレックスはばつの悪そうな顔をして、弥堂の手を離した。


 弥堂も手を離し、油断のない眼つきで通りの方を視る。



 人が絶え間なく流れるショッピングストリート。


 その中で3人の外国人男性が立ち止まり、こちらを見ている。


 だが、実際に感じられる視線はもっと多い。



《じゃあオレは行くぜ。邪魔して悪かったな》


「あ、いえ。こっちもすいませんでした」


《なァに。いいってことよ》


「あの……、日本。楽しんでください」


《ア?》



 希咲のその言葉にアレックスは一瞬キョトンとした顔をし――



《――あぁ。せいぜい愉しませてもらうさ》



 ニヤリと、どこか毒のある笑みを浮かべた。


 それから彼は立ち去ろうとする。



「待て。イタリア野郎」


「アン?」



 踵を返そうとしたアレックスに、弥堂はテーブルの上から取った一つの皿とフォークを差し出す。



「お前らパスタばっか食ってんだろ。これやるよ。それで手打ちだ」


《ハッ――》



 アレックスはその言葉に凶悪に歯列を剥き出しにし――



「モラウゼ?」



 弥堂から皿とフォークを受け取って今度こそ踵を返した。



「あ、あの……っ! こまりますぅ……っ!」



 義妹ちゃんのガチめの叫びを背景に、アレックスはズルっとパスタを啜りながら立ち去っていく。



 弥堂は黙って、その背を視ていた。



「ちょっと……! ガンつけるのやめなさいってばっ!」


「……別に」



 希咲に咎められると弥堂は少し視線の圧を弱めた。


 だが、目線はそのまま動かさない。



 ようやく一心地ついたと希咲は胸を撫でおろす。



「はぁ……、ビックリした。いきなり外人さん乱入とか。つか、あんたってばマジで誰とでもケンカすんのね?」

「そういうわけじゃない」


「だってなんか睨み合ってたじゃん」

「あれはそういうことじゃない」


「は?」



 意味がわからないと首を傾げる希咲に一度だけ目線を遣り、そしてすぐに雑踏の方へと戻す。



「ただ、ニオイがしただけだ――」



 彼女に伝えるわけでもなく、そっと呟いた。









 一方、仲間と合流した矢先にアレックスはダリオから大目玉をくらう。



《――アレックスッ! いい加減にしろと言っただろッ!》


《いやいや、今回はナンパじゃあねェよ。人助けのつもりだったんだ》


《オマエはいつもそう言って……》



 慣れた調子で説教をしようとしたダリオだったが、周囲の注目に気が付いて口を噤む。



 このショッピングストリートを歩く人々は、朝に歩いた歓楽街の者たちよりも育ちがいい。


 そのせいかガラ悪く外国語を発する自分たちは、随分と奇異の視線を集めてしまっているようだ。



《チィッ、もういい。頼むぞ》


《わァーってるって》


《現地人だけじゃない。外人街の目もある》


《でも、おかげで撒けただろ?》


《フン……》



 今は目立つべきではないと判断し、ダリオは話を切って先を歩く。


 彼が離れると意地の悪い笑みを浮かべたビアンキがアレックスに近付いてきた。



《アレックスぅ。なに日本人の素人なんかにコカされてんだよ?》


《アァ?》



 アレックスはスッとぼけた声をあげた。


 ビアンキはここぞとばかりにますますニヤつく。



《見たぜ。尻もちついてるアンタのダッセェとこをよ》

《あぁ。アレって柔道か? 上手いことクルってコカされたぜ》


《ヨユーぶってんなよ。ちょっとキレてただろ? アンタ》

《ハッ――んなワケねェよ》



 一生懸命挑発をしてくるビアンキの言葉をノラリクラリと躱す。


 ビアンキは面白くなさそうに口を尖らせた。



《だってよ、ちょっと目がマジになってたぜ? あの日本人と睨み合ってた時》


《カァーッ! ったく、わかってねェなァ、ビアンキちゃんはよォ》


《アァッ⁉》



 そして逆にアレックスに手玉に取られてビアンキは額に青筋を浮かべる。



 アレックスは弟分のジャレつきを素知らぬ顔で受け流し、パスタをまたズゾーっと啜る。


 唇についたソースをベロリと嘗めとり――



《――ただ、ニオイがしたんだよ。同類のな》


《ニオイ……?》


《オマエ鼻が効くくせに気が付かなかったのか?》


《なんだよ? 教えろよ》


《あのニオイ。ありゃあ――》



 アレックスはニヤリと嗤った――







 答えになっていない弥堂の答えに、希咲は不可解そうに眉を寄せる。



「あによ。ニオイって」


「別に」



 弥堂は言葉にはせず、心中で確かめる。



(世界が変わっても、其処に違いはない。あれは――)






 重ならない面影も。



 触れられない記憶も。



 突然の風に流された。



 その風に薫るは――







《――戦争のニオイだ》



 慣れ親しんだソレには嫌気と親しみを同時に感じる。



 アレックスは一気にパスタを啜って、その矛盾ごと無理矢理腹の底に沈めた。



 空になった白い皿を背後へと投げ捨てる。



 皿が割れる音がパリンッと鳴り、群衆に穴を空ける。



 平穏な時間には今、罅が入った。



 その異国の集団は街に溶け込んでいく。



 離れて行くそれらを弥堂は視ていた。



 さっき絡んできた男と合流して4人と為ったチーム。



 それとは別に何人かがバラバラに雑踏に紛れながら追従している。



 弥堂にはそれがわかる。



 わかる限りのそれらの一つ一つを眼に映していた。



 心はもう一瞬で其処に在る。



 いつでも在るままだ。

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