2章15 風ニ薫ル ①
黙々とパフェのグラスの中を掘削し、スプーンから手を離す。
カランっと音が鳴った。
(会話途切れちゃった……)
希咲 七海は今の空気にどこか気まずさを覚える。
無口な彼とは別に会話がなくても気まずさを感じない――
少し前はそんな風に思ったはずなのに。
(ヘンなの……)
食事の手を止めると視線の置き場に少し困る。
彼――
対面に座る弥堂 優輝の顔をずっと見つめているのも、それはそれでどうかと思うのでゆっくりと目線を泳がせた。
視界が自然と横に流される。
完全に視線を向けることは出来ないが、どうしても其処を意識してしまう。
其処は自身の右肩。
その後ろ。
さっき弥堂は希咲のことを見ているようで、ここを見ていた。
(まるで誰かが居るみたいに……)
しかし、希咲自身は其処に誰の気配も感じない。
(感じたらホラーだけど)
あの時、弥堂の力を探る為のスキルを使うチャンスだった。
しかし、彼の顔を――目を見て、止めてしまった。
決して見惚れただとか、そういったわけではない。
だけど、他の行動や思考が出来ないくらいに目が離せなくなってしまった。
彼のあの目が――その色が、見たことのあるものだったからだ。
何も無い――誰も居ないはずの其処を見る弥堂の目は、“あの時”と一緒のモノだった。
それは4月の16日。
例の法廷院たちとのトラブルが終わって昇降口棟へ向かう前にトイレに寄った時のこと。
『――そうだな。そういうことなら、キミの言うとおりエルフィは俺の彼女なのだろう』
弥堂が昔の恋人であるエルフィーネのことを話した時。
その時と一緒だと、希咲は感じた。
「…………ごめん、ちょっとトイレ」
この居心地の悪さを切り替えるために一度席を外すことにした。
「あぁ。早くしろよ」
「ばーか」
浮気男らしいノンデリ発言を端的に罵倒して席を立つ。
(そういうとこまで一緒じゃん)
彼に背を向けてから小さく笑みを浮かべた。
(でも――)
何故か自分の方が浮気相手になってしまったような――
そんな風に思えてしまって――
消えない居心地の悪さから逃げるように希咲は離れて行った。
そんな彼女の背を視ながら、弥堂は何も思わない。
<――ユウくん>
<なんだ?>
敵が居なくなった隙にエアリスからの念話が届く。
<伝言よ。エルフィーネが、『申し訳ありません』ですって>
<あ? なんのことだ?>
<フフッ。さぁ? なんのことかしらね?>
エアリスの微笑みがどこか意味ありげな風に聴こえたが、現在の任務に関係があるとは思えなかったので弥堂は興味を持たなかった。
<エルフィーネって誰ッスか?>
弥堂が何も言わなかったことで出来た会話の隙間をメロが埋める。
<ユウくんの元カノよ>
<えっ⁉ 元カノ⁉>
そうしたら出てきた新情報にメロはビックリ仰天した。
<か、彼女居たんッスか……? マジかよ>
<ネコ。それはユウくんを侮辱しているのかしら?>
<い、いや、ただ今日みたいな苦行に耐えられるツワモノ女子が居たことにビックリしたんッス>
<ふむ……>
<お姉さん……?>
急に黙ったエアリスの様子を訝しむと――
<――そうね。「実際あれは辛い」本人がそう言っているわ>
<え? 少年の元カノと連絡とれるんッスか?>
<連絡と謂えばまぁ、とれるわね……>
<へぇ。どうしてこんなクズと付き合ったのか是非とも聞いてみたいッス>
<……本人は口ごもったわ。人様に言えない事情のようよ>
<なんか想像出来るような出来ないような……。あ、じゃあ。何で別れたかも聞いて欲しいッス!>
「…………」
頭の中で自身の女性遍歴について勝手なことを語られる状況に弥堂は疑問を感じる。
だが、エルフィーネが何と言うのかに若干興味もあったので、もうしばらく放っておくことにした。
<やっぱアレッスか? こいつがアタオカすぎだから? こんな男といつまでも付き合っててもどうせ結婚なんて考えられないし的な理由ッスか?>
<フフッ、今聞いてあげるわ>
<うわぁ。楽しみっス>
<……ダメね。泣き崩れたわ>
<えっ⁉ オ、オイ少年ッ! オマエ一体どんなヒドイことをしたんだ⁉>
<あ? 別に。チンコ挿れたら爆発したんだよ>
<はぁ? もっとマシな言い訳しろよ。つか、それレイプしたって意味っスか?>
<やめなさいネコ。ユウくんは悪くないわ。ただ、このクソエルフがとんでもない地雷女だということよ>
<エ、エルフッ⁉>
普段まったくファンタジーみを感じない勇者から出てきた定番のファンタジー要素にメロはテンションを上げる。
<オイオイ少年。オマエ、エルフのネエちゃんコマしたんッスか?>
<あ? あぁ……? 多分そんな感じだ>
<ひゅ~ぅっ! やるじゃねえッスか! なんだよぉ、なんだかんだ勇者様してんじゃねえッスか! っぱ、勇者ったら奴隷エルフとエッチだよな! 見直したッスよ!>
<…………>
エルフィーネは別に奴隷ではなかったのだが、彼女の出自や生活を考えると一般的な奴隷の方が遥かにマシな待遇で生きていたので、弥堂は訂正をしかけてやめた。
<うわぁ~っ! エルフとかスゲーッス! カッケェーッス!>
<悪魔のくせにエルフが珍しいの?>
<そりゃそうッスよ! ジブンはサキュバスッスから。エルフさんといえばオークやゴブリンとガチンコするパワーファイターじゃねえッスか? ジブン憧れちゃうッス>
<まぁ、確かにパワーファイターではあったわね>
<やっぱりッスか! 元カノエルフさんもアレッスよね? やっぱオークやゴブリンに孕まされたんッスよね? スゲェッス! 何匹くらい産んだんッスか⁉>
<さぁ? 定かではないけどきっとバチバチに殺り合っていたでしょうね。あの女はどちらかというとニンゲン専門だったけれど>
<よくわかんねえけどマルチタレントってことッスか。さすがエルフッス! もしもお会いする機会があったら是非サインを頂きたいッス! 少年、オマエからも頼んでくれッス>
<……別に構わんが、もしも彼女に会えてしまったらオマエは殺されるぞ>
<えっ⁉ なんでぇ⁉>
<悪魔は絶対に殺せと俺に教えた女だ>
<か、過激な人だったんッスね……>
<教会暗部の最高傑作。最強の人間兵器とか言われてたわね。迫害されていたからあの子が“人間扱い”されるのはこう呼ばれる時だけだったわ>
<はわわ……ッス。つーか、そんなおっかねえネエちゃんにドン引きされてフラれるとか、少年オマエどんだけなんッスか……?>
回り回って結局弥堂が最低だという結論になる。
そのことに、弥堂は若干不満もあったが、しかしそんなに間違ってもいないかと反論をしなかった。
それ以後は会話に参加せず、適当に聞き流しながら希咲が戻るのを待った。
<――優先順位を決めましょう>
<優先順位?>
一方、個室型のトイレ内の洗面所の鏡の前で、希咲たちも作戦会議だ。
<はい。せんぱいのスキルとマーキング。優先するのはマーキングです>
<もしもどっちかしか達成できないならってことね?>
<ですです>
弥堂の力を探ること。
今後の弥堂を追いやすくすること。
その取捨選択だ。
<ちょうどいいのでカフェを出たら映画に行きましょう>
<えー?>
<なにか予定を決めていたんですか?>
<そういうわけじゃないんだけど……>
望莱からの提案に希咲は若干難色を示した。
<だって、あの映画ってホラーなんだもん……>
<あぁ……、ふふふ>
<あによ>
<いーえ、別に>
鏡に映った希咲のジト目にみらいさんは萌える。
<でも、むしろちょうどいいです>
<え?>
<怖いから手つないでもいい? って自然に出来るじゃないですか>
<えぇ……、やだなぁ……>
<あとは二人の間に置かれたポップコーンに手を伸ばしたら、偶然タイミングがあって「キャッ」って>
<はぁ……、確かにマーキングは狙いやすいわね……>
<それにカフェと違って対面じゃなくって隣り合って座るじゃないですか?>
<あーね。あいつがどっかにヘンな目を向けてる時にスキルも覗けるってことか……>
<ですです>
<わかったわよ……>
提示された合理性を跳ねのけるだけの反論を思いつかず、希咲は渋々受け入れた。
<でも、マーキングはマジでバレるかもよ?>
<その時はもうその時です。マーキングさえしちゃえばもう8割チェックメイトです。なにせ居場所がわかるだけじゃなくって……>
<……それってさ“アレ”のことよね?>
<……? 元々そのつもりですよね?>
<そうだけど……>
<せんぱいの居場所を把握できるだけじゃなくって、上手くいけばダイレクトに必要な情報を得られますし。やらない理由はないですよね?>
希咲は「はぁ」と溜め息を吐き、鏡の自分から目を逸らした。
<でも、上手いこと欲しい情報が出るかはわからないわよ?>
<ランダムですっけ>
<そ。何見せられるかわかんないから、このスキルはキライなのよね……>
<あぁ、そうか。“だから”水無瀬先輩には使えなかったんですか>
<うん。でも……、その愛苗のためにはそうは言ってらんないわよね……>
キッと、強い瞳で鏡に目線を戻す。
<もう戻りますか?>
<うん>
とりあえず今日の“詰め”は算段がついた。
しかし――
<――七海ちゃん……?>
なのに、鏡に映る自分を見つめたまま希咲は動こうとしない。
そんな彼女を望莱が訝しむと――
「…………」
希咲は右肩から前に垂らしている自身の後ろ髪へ手を近づける。
三つ編みの先端をまとめているリボンに指で触れ――
――そして、シュルリとそれを解いた。
<おさげ解いちゃうんですか? カワイーのに>
<んー……>
短く返事だけをして解けた三つ編みの先端を摘まみ――
<――やっぱやめた>
また髪を結び直した。
<どうしたんですか?>
<これはね、愛苗の為なの>
<え?>
鏡に向かって発するその言葉は、望莱に答えているようで、違う人物に向けているようだった。
<絶対に愛苗を助けるぞ!って、そういう気合なの。それで愛苗みたいに三つ編みおさげにしたの。でも二つ結びはちょっとカワイすぎで、あたしには合わないから……>
<はぁ……>
<だから、これは愛苗を意識してるの>
直した三つ編みをまた細いリボンで留め直して、それから希咲はトイレを出た。
テーブルに戻ると、そこにはちゃんと弥堂が居た。
この男なら逃げかねないし、頼み過ぎた注文の会計を全部払わされたら堪らないと心配したが、とりあえず一安心だ。
<あ、領収書もらってくださいね。ウチの経費で落としますので後でお金払います>
<ん>
望莱の厚意にさらに安心する。
弥堂のせいで余計な出費が嵩んだと気を病んでもいた。
希咲家には一切の余裕などないのだ。
(つか、あたしが離席する前と同じ姿勢のまんま。なんか爬虫類みたい)
関係のないことを考えながら彼の対面に座り直す。
「ただいま」
「…………」
「ただいま」
「……わん」
「ただいま」
「しつけえな」
「ただいま」
「……おかえり」
「ん」
「…………」
バカ犬の躾を済ませてから炭酸の抜けたレモンスカッシュをチューっと吸う。
(さて、何を話そうかしら)
望莱との作戦会議になってしまったので、話題の用意までは間に合わなかった。
そのせいか、適当に口を開いてしまう。
「……あんたってさ」
「あ?」
「実は結構未練タラタラなタイプ?」
「なにがだ?」
「ん。ベツに。なんでもない」
「そうか」
何も考えずに喋り出したせいで失敗してしまう。
(ヤバッ。完全に言わなくていいこと言った……!)
素っ気ない仕草で話題を打ち切ってジュースを飲みつつも、内心では大焦りだ。
さて、ここからどう挽回するかと考えていると――
「――失礼しまぁーす!」
「へ?」
義妹支配人が再びテーブルにやって来た。
元気いっぱいに挨拶した彼女は希咲と弥堂の間に、大きめの食器を置く。
「ん? なにこれ……?」
二人の怪訝な目に挟まれたそれは、かなり大きなドリンクグラスだ。
随分とエグいサイズのカクテルグラスに青い色の液体が波々と入っていて、そこに何やらウネウネと絡まってハートを模った2本のストローが刺さっている。
弥堂は眉を寄せただけだが、希咲はそれにすごく見覚えがあった。
「こ、これって……、まさか……っ⁉」
途轍もなくイヤな予感がしながら義妹ちゃんの顔を見ると、彼女はニッコリと素敵な笑顔を見せた。
「当店名物のカップル専用スペシャルカクテル――ラブラブふぉーえばぁーエターナルバースト~春に芽吹いた二人の恋は夏が薫る風に期待を寄せて~、ですっ!」
「はずかしいっ……!」
そのあんまりなネーミングに、七海ちゃんは「キャッ」とお顔を手で覆った。
すぐにギロリと弥堂を睨む。
「あんた! こんなのも頼んだわけ⁉」
「さぁ?」
当然弥堂は他人事のように適当に返事をする。
しかし――
「でも、あれ……? さっき注文は全部揃ったって……」
――クールなバイトリーダーさんがそう言っていたはずだ。
「あっ、それはですね――」
義妹ちゃんは身体を一歩横にずらして背後の別のテーブルの方を指す。
「――あちらのお客様からです!」
示された方を見ると、さっき友達になったばかりのめぐめぐがパチンっとウィンクをキメてきた。
(ありがた迷惑……っ!)
希咲は心中でガーンっとショックを受ける。
「あと、さっき励ましてもらって、義理でもいいんだって勇気が出ました。だから、あたしからのサービスで大増量しておきましたっ!」
(ありがた迷惑……っ!)
七海ちゃんは心中でワっと泣き出した。
しかし、文句を言うどころか、迷惑だと態度に出すことも出来ない。
何故なら、めぐめぐにしろ義妹ちゃんにしろ、彼女たちをそうさせてしまった原因は自分たちにあるからだ。
彼女たちは大前提の部分を誤解している。
(あたしたち……っ、カップルじゃないんです……っ!)
それが真実だ。
とはいえ、この手のカフェに男女二人きりで来ていれば他人からはどう見えるかというのは、希咲にもよくわかっている。
まさか――
互いに恋人のフリをしながらどちらが先に音を上げるか、などという意味のわからない勝負をしている。
――G.Wの初日の午前中からそんな正気を疑われることをしているとは誰も思わないだろう。
普通に考えてそんな高校生男女は世の中に存在しない。
義妹ちゃんにしても本人が言った通りだろうし、めぐめぐにしても料理を貰ったお礼のつもりなのだろう。
彼女らにはまったく悪意はなく、それどころか完全に善意からこのカップルジュースをプレゼントしてくれたのだ。
故に、悪いのは100%自分たちだ。
文句を言えるわけもないし、迷惑だと態度に出すことすら許されないのだ。
「う、うそでしょ……?」
そろそろこのカフェを出ようかと考えていたところ、最後に思いもよらぬビッグウェーブが襲い掛かってきた。
「それでは、あたしは次の準備をしてきますねっ!」
「あっ、ま、まって……」
義妹ちゃんが何やら不吉なことを言い残して足早に立ち去っていく。
希咲は力無く手を伸ばしたが、彼女は立ち止まってくれなかった。
ガックシと首を垂れてから、改めてテーブルの上の強敵に目線を戻す。
<こ、これがカフェステージのラスボス……>
<まぁ、デートイベントの定番と謂えば定番ですけど。わたしこういうのアニメかゲームでしか見たことないです>
<“edge”でたまに見かけるけど、大体女子同士の映え狙いだしなぁ……>
<ここはカップルらしく“せんぱい”と協力して挑むしかありませんね。わくわく>
<こいつと……? マジで……? ウソでしょ……?>
<七海ちゃんの前世さんは一体どんな業を積んだのでしょうか。うふふ>
愉しげなみらいさんの声がどこか遠くに感じる。
希咲は最後に立ち塞がった強大なモンスターと、その向こうに座るクソ野郎を視界に映して茫然としてしまった。
ついさっきトイレで、大好きな親友の愛苗ちゃんの為に! と、決意を固め直したばかりだが――
それは決してこういうことじゃない!
――彼女は声を大にしてそう言いたかった。




