2章14 重ならない面影、触れられない記憶 ⑦
ジロリと、弥堂の眼が希咲へ向く。
「……なんだ?」
「ん? なにが?」
彼らしい端的なその問いに希咲はキョトンと目を丸くしてしまう。
惚けたわけではなく、本当に何を咎められているのかわからなかったのだ。
「なに笑ってんだ」
「あ、そーいうことか」
彼の方からすると、自分を見て希咲が笑ったように受け取ってしまったようだ。
確かに弥堂を見てはいたが彼を笑ったわけではなく、思念通話で聞いた望莱のよくわからない冗談に笑ったのだ。
だけど、普通に考えればそう誤解をするのも無理はない。
ただちに訂正をしなければならないが、事実をそのまま言う訳にもいかない。
(さて。どう言い訳しようかしらね……、ん?)
心中で弁明を考えながら改めて弥堂の方を見ると、目に映った光景に思考が止まった。
希咲の前に広がる光景とはテーブルの上の世界。
そこには量が減ったことでいい案配にスペースを空けて並べられた食器類がある。
パフェの入ったグラスやスイーツの飾られたお皿たち。
さっきまではそれらがギッチギチに敷き詰められた光景に圧倒されていたのでとてもそうは思えなかったが、現在はとても癒しの多い幸福な空間に変わっている。
希咲の思考を止めたのは、そんな世界の向こう側に見えるモノ。
色とりどりなオサレスイーツごしに映るのは、それらと対極の存在であるようなジャージ男の不機嫌顔だ。
そのミスマッチとアンバランスが、希咲にはとても可笑しかった。
「ぷっ――ははっ……、あははは……っ」
遂に我慢できずに吹き出してしまう。
弥堂の眉間がさらに不愉快そうに寄せられた。
「なんだよ」
「あははっ、ごめんごめん。バカにしたわけじゃないの」
「なんだよ」
「や。あのね? このオサレスイーツとあんたの組み合わせがさ、似合わなすぎて。なんかおかしくなっちゃって」
「……いまさらか?」
「うん。マジでいまさらよね? さっきの方がいっぱいあったのに。ふふっ……」
弥堂は眼玉を動かしてテーブルの上を見周し、さらに不可解そうな顔をした。
「こんなことが面白いのか?」
「うん、おもろい。ちょっと写メ撮るからそのままムッツリしてて?」
「やめろ――」
希咲がリュックからスマホを取り出して弥堂の方へカメラを向けると、弥堂はサッと腕で顔を隠した。
弥堂のような犯罪者マインドを持つ人間は、いつ何が証拠となるかわからないので、どんな形であれ自分の記録が残ることを極端に嫌う習性があるのだ。
「なにビビッてんの? ダッサ」
「ビビってない」
腕の陰から希咲を睨もうとしたが、パシャパシャとシャッター音が鳴ったことでさらに顔を隠す羽目になる。
「ビビってんじゃん」
「うるさい。俺の想像権を……アレしろ」
「は? 創造剣? なにそれ? 必殺技?」
「必殺技などない」
「じゃあ……、あ、肖像権のことか。それをリスペクトしろって?」
「そうだ。ちゃんと“お”を付けろよ」
「やーよ。“おしょうぞうけん”とかスッゴイ言いづらいじゃん。つか、あんたがまず他人の人権をリスペクトしろ」
「している。俺は風紀委員だ。当委員会は人権というものに重きを――」
「――うっさいだまれ。これでもくらえっ!」
「ぐぅ……っ」
しょうもない嘘を封じるために希咲がフラッシュを連発すると、弥堂は苦しげに呻いた。
「あんたって闇のモンスターかなんかなの? 光を浴びると滅んじゃうわけ?」
「そんなわけあるか」
「あそ。あっ、ミッチーさーん!」
弥堂を適当にあしらってから、希咲は通りがかったミッチーさんを呼ぶ。
その声に気づいて彼女はパタパタと寄ってきた。
「まだ食べるの? 七海ちゃん」
「や。ちがくて。今更だけどお料理の写真とか撮ってもヘイキ?」
「あはは。ホントに今更だ。もちろんいいよー。他のお客さんの写り込みとかに配慮してくれれば、むしろどんどんSNSにあげて欲しい」
「ん。おけ。ありがとー」
「はぁーい。バズらせてねっ」
あまり器用でないウィンクをしてミッチーさんが立ち去っていくと、希咲はパフェにカメラを向ける。
だが――
「――ねぇ」
「あ?」
「ちょっと手ぇどけてよ」
「手……?」
画角的にテーブルの上の弥堂の手がどうしても写り込んでしまうため、希咲は彼に退去を求めた。
「手がなんだ?」
「だから画面に入っちゃうんだってば」
「だからなんだ?」
「邪魔だからどけろっつってんの!」
しかし彼が素直に応じるはずがない。
「なんでだよ?」
「写真の端に男の手とか写っちゃってたらなんか匂わせみたいになるじゃん!」
「写真からなんの匂いがするってんだよ。おかしな言いがかりはやめてもらおうか」
「そういうことじゃないし! なんでわかんないのよ」
「とにかく。ここには俺の手が先に居たんだ。占有権はこちらにある」
「あんたの場所じゃないし。お店のものだから。ミッチーさんいいって言ったし」
「うるさい黙れ。何と言われようが俺はどかない。諦めるか、金を払うかするんだな」
「もぉー……、マジめんどいっ」
希咲の主張することは弥堂には理解出来なかったが、とりあえず自分が手をどかさなければ彼女が困るということだけはわかった。
なので断固拒否の姿勢をとる。
希咲も彼のこういう部分に慣れてきたので、これくらいで怒鳴るような事はしなかった。
疲れてきたと言っても合っているかもしれない。
ただジトっとした目を向けてぶちぶちと文句を言った。
「だって、あんたさ。あたしが諦めてこのまま写真撮るじゃん? それで自分の手が映ったらその時も文句言うでしょ?」
「あぁ、もちろんだ。肖像権にリスペクトがないから金を請求する」
「すーぐお金。ちなみにいくらなの?」
「そうだな……、3,500円。税別だ」
「……なんか、スッゴイ生々しいラインの金額ね……。場合によってはワンチャン払っちゃいそうな感じの。あんた普段からやってんな」
「そのような事実はない」
「もういいし」
希咲は左手をテーブルの下へ入れて指輪から大きめのハンドタオルを取り出す。
それを弥堂の手にファサっと被せると素早くシャッターを押した。
「あ、貴様――」
「あによ。タオルで手隠れてるから問題ないでしょ。文句言わないで」
「チッ、クソが」
「こんくらいのことでいちいち悪態つくな。ばか」
希咲は撮れた写真をチェックする。
しかし――
「う~ん……、めっちゃ不自然だし。ま、もういっか。タオルかえして」
「おらよ」
弥堂は手首のスナップだけで器用にタオルを希咲の顏目掛けて飛ばす。
だが、それは彼女にあっさりとキャッチされてしまった。
「なにその動き。キモいんだけど。つーか、ちゃんと手渡しなさいよね」
「勝手に人の手に布を被せといて偉そうなことを言うな。つーか、問題なく掴んだだろうが」
「うっさい。そういう問題じゃないし」
写真を見ながら弥堂に言い返し、それから彼女はお口をもにょもにょさせる。
「……もういっか。このままアップしちゃお。するわよ?」
「あ? 知るか。勝手にしろ」
「あんたわかってないでしょ」
「わかってる」
「あそ。じゃあする。てゆーか、よく考えたら彼氏だし、匂わせもなにもないか。はぁ……、あたしどうなっちゃうんだろ……」
「知るか」
「知っとけよ。お前が彼氏だ」
「そうだ。俺が彼氏だ」
「そこだけ力強く言うな、ばか……」
はぁ、と溜め息を吐いて希咲はスマホをテーブルに置き、それで切り替える。
「そういえばさ。あんたに写メのやり方教えてあげる約束だったわね」
「あ?」
彼女のトランジションに着いて行けずに弥堂は眉を寄せる。
「なんの話だ」
「旅行から帰ったら教えてあげるって約束したじゃん」
「そんな約束はしていない」
「したから。スマホだして」
「持ってない」
「うそ」
「家に忘れた」
「…………」
希咲は無言で置いたばかりの自分のスマホに手を伸ばした。
ペタペタと操作をして――
“ぺぽん”――と。
弥堂のジャージから間抜けな音が鳴る。
希咲は嘘吐き男を半眼でジッと見る。
「あるじゃん」
「……ない」
「音したし」
「幻聴だ」
「もぉーっ! だせばいいじゃん!」
あまりの往生際の悪さに彼女も焦れてきた。
「必要ない。やり方くらいわかる」
「うそつき。わかってなかったじゃん」
「わかる」
「じゃあやってみせなさいよ」
「めんどくせえな……」
イライラしながらも弥堂はスマホを取り出す。
これ以上抵抗するとスマホを寄こせと言われそうなので、彼女に触られるよりは自分で動かした方がいくらかマシかと判断した。
覚束ない手つきでカメラアプリを起動し、背面のレンズを希咲へと向ける。
突然カメラを向けられた七海ちゃんは反射的に“きゃるんっ”とポーズをとった。
パシャリとシャッターが切られる。
「……ちょっと。なに勝手にあたし撮ってんのよ」
「お前も撮っただろ」
「あたしの“しょーぞーけん”リスペクトして」
「文句を言ってるわりに、しっかりポーズまでとってるじゃねえか」
「これはあんた、アレよ。ついクセで……?」
「知るか」
チョキチョキと動いたギャルピの隙間から覗く彼女の目に、弥堂は呆れた視線を向ける。
プロフェショナルなJKである七海ちゃんは、カメラを向けられるとついポーズをキメてしまうのだ。
「それより、ちゃんと出来ただろ。謝れ」
「ヤ」
「…………」
「…………」
二人はジトっとした瞳を合わせる。
先にやめた方が負けな気がして、そのままの状態で無言になった。
<流石です。七海ちゃん>
すると、その隙に望莱が話しかけてくる。
<ん? なにが?>
<いえ。これはわたしが少々七海ちゃんを見縊っていたかもしれないです>
<……? あんた何言ってんの?>
彼女は何かを感心しているようだが、希咲にはまるで意味がわからない。
<正直、彼女ムーブなんでムリめかなーって思ってました>
<うん。うん……?>
<ですがどうでしょう。素晴らしいパフォーマンスです。御見それしました。さすななっ>
<へ? なにが?>
<え?>
<え?>
どうも本人には楽しく仲良くお喋りしているつもりなどまるでないようだった。
同じような認識の齟齬は弥堂サイドにも起きている。
<オイッ! オマエなにイチャイチャしてんッスか⁉>
<うるせえ殺すぞ>
<えっ……? なにこの人キレてんの……?>
<このクソギャルがムカつくんだよ>
<は? だってオマエ仲良しじゃんッス>
<どこがだ。脳みそ腐ってんのかボケがくたばれ>
<おぉ……、このいつもと違う方向性の口の悪さ。これはガチッスね……。まぁ、その様子なら大丈夫そうッスね。計画通りやるんッスよ>
<あ? 意味のわからんことを言うな。死ね>
メロの言葉に強く苛立った弥堂はギロリと眼つきを険しくする。
それを受けて希咲もムッとした。
「ちょっと」
「あ?」
「今撮ったやつ消してよ」
「断る」
「あんたに写真持たれてるとか不安しかないの。消して」
「断る」
「断るな! 消せっ!」
「お前が消したらな」
交換条件のようなその言葉に、希咲は反射的に拒否をしようとして思い留まる。
別に弥堂の写真など残しておく必要はない。
なんとなく断りたくなっただけだ。
そこに合理性のある理由などないし、自分の写真を消してもらうメリットの方が遥かに高い。
「……わかったわよ」
「ほう……?」
すると、相手が譲歩した瞬間に弥堂はすかさず攻勢に出る。
そこに合理性のある理由など当然ない。
嫌がらせをしたいだけだ。
「恋人の写真を特に意味もなく消すのか?」
「はぁ?」
急に何を言い出すんだこいつはと、希咲は眉間を歪める。
だが、そういえばそういう設定だったと遅れて気が付いた。
「いや、別にお前がそうしたいのなら仕方ない。まるで本当は恋人ではないようで、俺は酷くショックだが」
「そ、そそそ、そんなことするわけないじゃぁーん? もち冗談よ」
「へぇ?」
「消さないから。だからあんたも消しちゃダメよ」
「あ?」
頑張って造った笑顔を引き攣らせながら希咲も反撃に出る。
『消せ』と言い合ったり、『消すな』と言い合ったり、何を奪い何を守る戦いなのかはもう本人たちにも定かではない。
「は? アタリマエじゃん。彼女の写真意味なく消す彼氏なんていないんでしょ? あたしが保存すんだから、あんたもやんなさいよ」
「……チッ、わかったよ」
「なにその態度。イヤなわけ?」
「別に。嬉しすぎて唾液が溢れただけだ」
「きも。汚いし。つーかさ、あんたそれ待ち受けにしなさいよ」
「なんだと?」
「彼女の写真待ち受けにするのとかフツーでしょ。やんなさいよ」
<七海ちゃん……?>
果敢に攻撃に出過ぎてどこか違う方向へ突撃し始めた希咲に、さしものみらいさんも「ん?」と危機感を覚えた。
「そうしたいのもやまやまだが、生憎やり方がわからん。残念だが――」
弥堂が嫌味たらしくスマホを持った手を希咲の前でヒラヒラさせていると、ヒュンッと――鞭が振られたような音ともに手の中の重量が消失する。
何が起こったかを確認しようとした時には、目の前の希咲が弥堂のスマホを持って何かの操作を行っていた。
そしてそれはすぐにスッと突き返される。
「はい」
「…………」
警戒しながら受け取りチラリと画面を見ると、そこに映っているのはギャルピをキメた七海ちゃんだ。
「ありがとは?」
「…………」
「おいこら」
「……お前もやれよ」
「は?」
「俺がやったんだからお前もやれよ」
弥堂は相手を道連れにする手に出た。
勿論合理性などない。
「ぐ、ぐぬぬ……」
「どうした? 出来ないのか? 普通のことなんだろ?」
「い……、いま、やろうとしてんじゃぁーん……っ! あはっ、あははははははは……っ!」
「ククク……ッ!」
お互いにスマホをギチギチと握りしめ合いながら、カップルらしく微笑み合い、ガンギマリのお目めで見つめ合った。
<うける。なんの勝負なんッスかこれ?>
<なにこれ。おもしろすぎなんですけど>
通信は繋がっていないが、メロと望莱は同じ感想を浮かべた。
そして両者とも止める気などもはやない。
「ねぇー、あんたの写真顔隠れてるからちゃんと撮らせてよー」
「おい、やめろ」
希咲はカメラを弥堂に向けてパシャパシャと連続でシャッターを切る。
闇の者である弥堂は苦しんだ。
「あはは、ゴシップの人に襲われた不倫芸能人みたい」
「不倫をするようなカスと一緒にするな」
「は? あんた浮気したカスじゃん。一緒でしょ?」
「一緒ではないな。何故なら結婚をしていない。つまりそこには何の責任も発生しない」
「……仮にさ、法的にはそうだったとしても、浮気した癖に彼女の目の前でそれ言うの? ばかなんじゃないの?」
「馬鹿はお前だ」
「は? あんたちゃんと反省してんの? あたしまだ謝ってもらってないんだけど?」
「なに?」
希咲は『浮気をされた』という点を全面に押し出して攻撃に出る。
実際にそのような事実はないのだが、現在の二人はそういう設定なので、弥堂は迂闊に否定も出来ない。
「俺も悪かったがお前も悪いと昨日言っただろ」
「なんで『お前も悪い』を足してくんの? まずは素直にゴメンなさいでしょ?」
「…………」
「ゴメンなさいでしょ?」
「…………」
「ん?」
「……ごめんなさい」
コテンと首を傾げて目力で追及してくる希咲に、弥堂は反論が思いつかなかったのでとりあえず謝った。
すると俄然希咲は勢いづく。
「きゃはは、だっさぁーい。浮気なんかしてー、こーんなお外でー、女の子に謝らされて。ださいねー? はずかしーねー?」
「お前がやらせたんだろうが」
「あんたが悪いんだし。つか、あんたなんだって浮気したわけ?」
「あ?」
「なんで浮気したのかって聞いてんの」
「…………」
勢いのまま細かな尋問が開始された。
「別に」
「ベツにじゃない。なんで浮気したの?」
「それは、アレだ」
「どれ?」
「昨日言っただろ」
「もっかいゆって」
「お前がその、勝手に居なくなったから……、なんだ? つい」
「へぇ~?」
もごもごと言葉を詰まらせた弥堂の言い訳に、希咲は瞳に嗜虐的な色を浮かべる。
弥堂も別に気まずかったり言いづらかったりしてこのような口調になったわけではない。
実際には浮気などしていないので、浮気をした理由が彼自身にもわからなかったのだ。
「ちょっとあたしが構ってあげなかっただけで、すーぐ他の女の子のとこ行っちゃうんだ?」
「…………」
「バカ犬じゃん。せっそーなし」
「…………」
「ねぇ。なんか言いなよ」
「…………」
「言うことないんなら『わんわん』って言えば?」
「……わん」
「あはっ」
手の甲に顎を乗せて楽しそうに弥堂を嬲り、彼が犬の真似をすると希咲は殊更嬉しそうに笑った。
「いつから?」
「あ?」
「いつから浮気してたの?」
「……こないだだ」
「こないだっていつ?」
「…………」
「答えられない時は『わんっ』って言ったら許したげるかも」
「……わん」
「ふふっ」
微笑みながら希咲は手を伸ばし、テーブルの上の弥堂の手に爪の先を押し付ける。
グッと押し込んで離すと、彼の手の甲に爪痕が残った。
弥堂は声を出すことはなかったが、一瞬だけ眉を寄せた。
その表情の変化に希咲はニッコリと笑う。
「ださーい。こんなことされても『わん』しか言えないなんて」
「……あまり調子にのるなよ?」
「は?」
「お前を好きだとは言ったが、お前は最推しではない。調子にのるな」
「なにそれ? あたしと別れてみらいと付き合うって意味?」
「……違う」
「じゃあどういう意味?」
「……わん」
「えー? また『わん』なのー?」
「…………」
弥堂が口を噤むと、希咲は彼の顔にスマホを向けて撮影をした。
「あはー。撮っちゃったぁー。女の子にイジメられてる時のなっさけない顔ー」
「……お前」
「あによ。いーでしょ、これくらい。あたし浮気されたんだし」
「…………」
「てゆーか、こんなにイジメられても、あたしと別れたくないんだ? なんで?」
「……わん」
「浮気したくせに?」
「……わん」
「へぇー? あんたってば、そんなにあたしのこと好きなんだぁー?」
「…………」
「『わん』って言ったら別れる」
「……好きだ」
「ふふ、そーなんだー。でも、どうしよっかなぁー? 浮気されちゃったしなぁー」
「……クソが」
「なんか言った?」
「……わん」
ネチネチと詰めながら、希咲は言い訳に苦しむ男の様子をニッコリと眺めた。
<あの……、七海ちゃん?>
<ん? なに?>
<あんまり浮気の件を問い詰めると、こちらとしても結構諸刃の剣なのですが……>
<あーね>
さすがに危険かと、望莱がストップをかけてきた。
<んとさ、なんかちょっと楽しくなってきちゃって>
<はい?>
<ほら、今ってあたしって浮気されてるわけじゃん?>
<まぁ、そうですね>
<浮気されたらフツー問い詰めるでしょ?>
<はぁ……>
希咲の言わんとすることがよくわからず望莱は生返事をする。
<でも浮気されたらムカつくし悲しいからホントだったら「わぁー!」ってなっちゃうでしょ?>
<はい……、はい?>
<でもでも、実際は浮気されてるわけじゃないし、こいつのこと好きでもないからさ、これって実質ノーダメじゃん?>
<うん……?>
<つまりよ? 今って、このウソつきクズ男をタダでイジメ放題なわけじゃん?>
<……なるほど。よくわかりませんが、七海ちゃんが楽しそうなのでよかったです>
本当はダメなのだが、みらいさんは大好きな幼馴染のお姉さんの知らない一面が開花しそうだったのでヨシとすることにした。
七海ちゃんはさらにノリノリで弥堂をイジメにかかる。
これには今日のここまでの仕返しも多分に含まれていた。
「ねーえ? せっかくだしスイーツの写真をSNSにアップしよーよ。あんたの捨て垢っぽくて怪しすぎだし、なんか投稿した方がいいって」
「必要ない」
「あたしやったげるー。このパフェをオサレに撮って……」
「おい、返せ。というか、お前それどうやって――」
またも一瞬のうちにスマホを希咲に奪われる。
神速の強奪と神速の操作であっという間に投稿記事が出来上がる。
「――はい、初投稿ぉーっ! あっはははは、あやしいアカウントでオサレカフェー!」
「なにがおもしろい」
「なんかさ? たまにいるじゃん?」
「誰が」
「こういう女子アピールな写真アップして、自演バレて逃げちゃうネカマのオジさん」
「意味がわからんが。しかし、要は俺をバカにしてるんだな?」
ケラケラと笑う希咲に弥堂は半眼を向ける。
「そんなことないってばー。ほら、見てみ? カワイーでしょ? ぷぷーっ」
「……お前のスマホを貸せ。同じことをしてやる」
「は? 貸すわけないじゃん。ばかじゃん。浮気したくせになに言ってんの」
「浮気を盾にすればなんでも通ると思うなよ。寄こせ」
「ダメに決まってんでしょ。女の子のSNS勝手に弄ろうとかサイテー。浮気もサイテー。合わせて超サイテー」
「クソが……っ」
弥堂は歯軋りをする。
こんなクソメンヘラ女とはとても付き合えないと思った。
しかし、任務である以上は耐えるしかない。
(そうでなければこんな女とっくに……、いや、待てよ?)
その時、弥堂の脳裏に閃きが奔る。
<ヘイヘーイ! 浮気ヤロウ! 『わん』って鳴けよーッス!>
ちょうどそのタイミングでメロが煽ってくる。
<うるさい黙れ。役立たずの分際で>
<ハァン? でも、まぁ、いい調子じゃねえッスか。このままいけば――>
<――お前の話など聞いていない。それよりも、方針を変えるぞ>
<へ?>
突然の弥堂の提言にメロは煽るのをやめる。
<なんッスか? いきなり>
<恋人ごっこはもうやめだ。俺はこの女と別れることにする>
<んん?>
<確かに恋人のフリをすることで難を逃れはしたが、しかしそのせいで恋人でいることに縛られることになった。今後の為にはなるべく穏当にこの女と別れる必要がある>
<えーと……?>
<ここからは、この女から『別れ』を切り出させるように仕向ける。お前もそのつもりでいろ>
弥堂の説明にメロは一瞬だけ頭が真っ白になった。
<あ、あの……?>
<なんだ?>
<するってーと、今までは『別れるつもり』は全くなく、フツーに彼氏をやってたつもりだったんッスか?>
<つもりというか、そうだな。最初に説明した通りだ。しかし、それももう終わりだ>
<えぇ……、この人素だったの……? あれが100%の彼氏だったの……?>
メロはどん引きした。
彼の振る舞いから、最初から希咲に「別れる」と言わせようとしているのだと察したつもりだったが、どうやらそれは誤解だったようだ。
メロは自分のご主人である弥堂 優輝という男を、まだまだ甘く見ていたことを理解する。
『あ、この人こんなに頭がおかしいんだ』と戦慄した。
絶句するネコさんは無視して、弥堂はすぐに次にとるべき動きを考える。
(下手に恋人のフリを続けるよりも、こいつを徹底的に怒らせてこの場で別れるように仕向けるか……)
それにはどうするべきかと、周囲の環境から使える物を探す。
すると、目の前にある溶けかけ生クリームがたっぷりのパフェに眼がいった。
弥堂はパフェに手を伸ばす。
(この訳のわからない白濁液をあいつにぶっかけてやれば……)
そっとグラスを引き寄せて、目線もゆっくりと上げていく。
まず、テーブルの上でスマホを弄る彼女の手元。
それから彼女の着ているニットを僅かに膨らませる胸元。
その上の肌。
右側の鎖骨を隠す三つ編みのおさげ。
首を昇って細い顎の先が映り。
そして――
次に視えたのは希咲の顔――
――それと、彼女の背後の少し左側。
そこに居るもう一人の女。
右肩から胸元に金髪のおさげを垂らしたメイド。
そこで弥堂の目線は止まる。
「…………」
この店の従業員と似ているようで似ていないメイド服を着た、ここには居ないはずの女――
――エルフィーネがジッと弥堂へ咎める目を向けている。
「……わかってるよ」
弥堂はそっとパフェをテーブルに置いた。
弥堂がパフェを手に取った時から、希咲は彼の動きに気が付いていた。
スマホを弄るフリをして彼の様子を視野に入れる。
自分の方へ向いている彼の目線が少しずつ上がっていくのを感じる。
その視線に首筋を撫でられた時、彼の瞳の奥に蒼い火が灯ったことに気が付いた。
(――っ⁉)
緊張を浮かべると、彼の眼球が俄かに横に逸れていく。
<――七海ちゃん! 今っ!>
<――っ!>
希咲は目線をしっかりと弥堂の顔へ向けて、彼の力を探るためのスキルを発動しようとする。
だが――
――その時に見てしまった。
「あ……」
彼の顔と、その目。
それは見たことのある色だった。
彼との因縁というか関係の始まった日。
その時に見たのと同じ色だった。
「……わかってるよ」
多分聴いたことのない声の色。
それに脳裏に浮かべていた記憶の情景が流される。
<七海ちゃん……?>
<……ゴメン、ミスった>
上手い弁明が思いつく前に、対面の弥堂と目が合った。
「あによ」
「なにが」
半ば誤魔化して押し通すために、声に棘を含ませた。
でもその棘は自分の胸に刺さる。
「いま、ヘンだった」
「意味がわからん」
希咲も自分で意味がわからないと思った。
棘の刺さった心臓が痺れたようでどこかふわついた心地になる。
そのせいで自分が何を言っているのかが他人事のようにも感じた。
でも――
「なんか、見る目が変わってた」
「目?」
「ん。目」
「……また色がどうとかって話か? 光の加減だろ」
「んーん。そうじゃない」
彼を見て感じたことはきっと確かで、希咲は首を振る。
「そういう色じゃなくって……」
「…………」
「なんか……、恋人を見るような目、してた」
「……だったら間違ってないだろ」
「ふぅん……、そーね」
「…………」
咎める気がないのに、咎めるようなことを言うのは難しいなと――
希咲はもう触れるのをやめた。
ただ、何も思わずに、ただ、弥堂の顔を目に映す。
弥堂はそんな彼女の視線を無表情で受け止めながらも、彼女とは眼を合わせないようにした。
(どういう勘してんだこいつ……)
罪悪感ではないが、何か隠し事を見つけられたような――
後ろめたさに近いそんな居心地の悪さを感じる。
ただ、何も思わないように、ただ、背景の前に彼女の顔を浮かべた。
「……なぁ」
「んー?」
「お前のその髪型、ムカつくな」
「あっそ」
その言葉に意味はなく、口にすることに合理性はない。




