2章14 重ならない面影、触れられない記憶 ②
「――でさー、ガチで森でクマさんに出遭っちゃってさー。あたしホントびっくりで。だってそんなの居ると思わないじゃん?」
「そうだな」
「そしたらみらいがさ。『わたしが飼いますー』とか言い出すし。や。そりゃ“処分”とかって話になるよりはずっといいけどさー。だからあたしもついオッケーしちゃったのよ」
「キミは素晴らしいな」
「でもクマさんよ? いくら檻に入れといても日本の住宅地でクマさんはヤバくない? てか今更だけど、それって法律的にアリなのかな? それにさー、オッケーだったとしてもさ? やっぱ閉じ込めっぱなしだと、今度はそれはそれでどうなのってなるじゃん? あんたどう思う?」
「あぁ」
「……まぁ、でも、あんたみたいな危険生物が放し飼いで自由にオサンポしてんだし、ベツにクマさんくらいいいわよね? あんたはカワイクないけど、ペトロビッチくんはカワイーし」
「キミの言う通りだ」
「…………あたしって超カワイーわよね?」
「そうだな」
「なのに、あんた待ってる間にナンパしてきたオジさんにブスって言われちゃってさ? そんなわけないじゃん? あんたもそう思うでしょ?」
「キミは素晴らしいな」
「あ、ここ奢ってね?」
「あぁ」
「今度あんたのこと女装させてもい? 絶対似合わないけど逆にアリなんじゃないかなって思ったのよ」
「キミの言う通りだ」
「…………」
希咲はスッと手を伸ばして、水のグラスに挿さったままだったストローを掴む。
(こ、こいつ……っ!)
トイレから戻ってきた弥堂にこうして一生懸命話しかけ続けているのだが、ずっとこの調子だ。
ヤツは質の低いAIのように数パターンの相槌を繰り返すだけで、会話をしようとしない。
まるで自分が、SNSでたまに見かける何も知らずにbotに話しかけ続けるオジさんのようではないかと、希咲はイライラしてきた。
弥堂がトイレに出掛けたばかりの時は、次の会話を考えるのに少しは気が楽になっていたような気がしたのだが、どうやらそれは気のせいだったようだ。
実際に会話をスタートさせると、やはり苛立ちしかない。
さらに、希咲としては現在のこの構図が酷く気に入らなかった。
(あ、あたしが好きな人に構ってほしくてがんばってるみたいじゃないのよ……っ! あたしが下なの⁉ は? は? ふざけんな……っ!)
膨れ上がる怒りを紛らわせるために、ストローを回してシャカシャカっと水を掻き混ぜる。
<七海ちゃん七海ちゃん。お行儀が悪いですよ?>
<ハッ――⁉>
望莱の声で我にかえる。
<つかさ、こいつホントは毒とか警戒してるわけじゃないんじゃない?>
<え?>
誤魔化すように咄嗟に話題を振った。
<や。なんか10分くらいトイレから戻ってこなかったじゃん?>
<はぁ>
<フツーにお腹壊してるだけとか>
<だから飲み食いをしたくないってことですか?>
<うん。だって男の子ってトイレ早いでしょ?>
<んー、でもでも、男子が早いのっておしっこの方じゃないです? 小の場合は、確かに我々女子はカサカサしなきゃいけないのに比べて、男子は適当にブンブンするだけっぽいですし、早く済むと思うんですよ。あと、男子はチャック開けるだけですけど、わたしたちってパンツ脱がなきゃじゃないですか?>
<んー?>
<うんちの場合は変わらなくないです? だってお腹壊してるならそっちですよね? 女子トイレが混みがちなのを差し引いても、そんなに所用時間変わんないと思うんです>
<それもそっか……>
<だから、せんぱいがめっちゃお腹壊してるか、それか他になにか……>
<他って?>
少し声を潜めた望莱に合わせて希咲も声色を揃える。
思念通話なのであくまで雰囲気だけだが。
<それは怪しいことですよ>
<なにそれ?>
<怪しいは怪しいです。個室に籠って、一人で、怪しく、シコシコと>
<は⁉ ば、ばかじゃないのあんたっ!>
<え? 怪しい工作をシコシコと仕込んでいたのかもってことですよ?>
<んな……っ⁉>
<んもぅ、七海ちゃんのえっちー>
<あんたがヘンな言い方したんじゃん! もういい! これからご飯なのに汚い話しないで!>
<七海ちゃんったら理不尽カワイイです>
<うっさい!>
セクハラをパワハラで跳ね返して希咲は現場に意識を戻す。
こんなゆるいやりとりをしている場合ではないのだ。
とはいえ――
楽しいデートをするために、楽しくお喋りをする。
単純な目的だが、どうも上手くいかない。
(あれー?)
さっきは少しは楽しく喋れていたような気がしたのに、何故こんなに難しいのだろうと希咲は内心で首を傾げる。
デートというものに関する自分の経験不足もやはり影響しているのだろう。
だけど問題はそれだけではない。
他に一つ致命的な問題がある。
それは――
自分はこの彼氏のことをこれっぽっちも好きではない。
――ということだ。
なんなら嫌いな部類に入る。
これは楽しくデートをする上で致命的であり、根本的に破綻している問題だ。
おまけに相手には楽しくしようなんて気は更々ないように見えるし、あったとしても彼のコミュ力は終わっている。
果たしてこんな状況で楽しいデートなんてものが、実現出来るものなのだろうか。
(あ、あれ……?)
もしかしてこれは絶望的に難易度が高いのではと、希咲は不安になる。
しかし、ここでまごついていては大好きな親友である愛苗ちゃんに近づくことは到底出来ないし、ナマイキな妹分であるみらいさんにもナメられてしまう。
希咲 七海と謂えば、コミュ力に自信有り系女子だ。
たとえ相手がコミュ障陰キャ男子でも、別に好きじゃない人でも、それなりに楽しく会話するくらいはどうにでもなると思っていた。
それがこの体たらくだ。
好きじゃない人と適当に時間を過ごすくらい、さっきの広場に居たパパ活女子たちだって普通に熟していることだというのに。
(も、もしかして……あたし、イケてないのでは……?)
七海ちゃんの女子としての自尊心がグラリと揺らぐ。
ここまでの時間で、弥堂の巻き添えで周囲から疎まれる目で見られていたこともあって、彼女は自信を失くしかけていた。
(どどどど、どうしよう……⁉)
どこかにヒントはないかと周囲の様子に意識を向けてみると、一つの会話が聴こえてくる。
それはテラス席の脇、これからお店に入ろうとする人たちが並んでいる列からの声だ。
「――ねぇ、あの子さ。テラス席の帽子とサングラスの子……」
「ん? あぁ……うん。あれって変装かな……?」
どうも希咲のことを話しているようだ。
(ま、まさかこの上ファッションにまでダメ出しを……⁉)
このコーデにはワケがあるのだ。
どうかそれを言い訳させて欲しい。
そんな風に思いながら七海ちゃんは肩を縮める。
「顏見えないけどさぁ。あの子芸能人っぽくない?」
「うんうん。顏ちっちゃー。脚も細いし」
(えっ……?)
しかし、希咲が恐れていたようなディスではないようだった。
どうやら時間が経って列が進んだおかげか、現在並んでいる人たちは先程の弥堂のやらかしを知らない人たちのようだ。
ピクリとお耳を動かして七海ちゃんは耳を澄ます。
「なんかさー、オーラでわかるよね。カワイーって」
「わかるー。モデルさんとかかなー?」
希咲は母の洋服店の広告費を浮かすために、母の店の商品を身に纏って写真を撮り『親族だから実質無料!』でチラシに載ることがある。
それは『実質モデル』と名乗っても過言ではないだろうと、七海ちゃんはコクコクと頷いた。
見知らぬ女子たちからの称賛に、七海ちゃんの自己肯定感がモリモリと回復していく。
「つかさ、連れの男。あれなに? ジャージって」
「あれじゃん? マネージャーとか」
「マネージャーってより、ADっぽくない? ジャージだし」
「あー、確かに。ってことは近くで撮影とかしてんのかな? それの休憩中とか」
「アイドルの食レポ?」
「でもカメラはないよね……」
(あ、そういう風に見えるんだ……。そうよね、うん。このイケてないジャージ野郎が彼氏に見えるわけないもんね……)
希咲は一定の納得感を得て、対面のジャージ野郎を見る。
そして、こちらへ何やら不審げな目を向けている男を鼻で笑ってやった。
「聞いたー? あたしアイドルだって。ゼンゼンそんなんじゃないのにね? フフフ。ホントならあんたみたいな下っ端ADが対等に口をきける女子じゃないのよ? そこんとこわかってるわけ?」
「……キミは素晴らしいな」
メンドくさい女がなにやらメンドくさそうなことを言い出したので、弥堂はとりあえず肯定しておいた。
メンドくさかったからだ。
希咲は満足げに頷き、見知らぬ女子たちの会話の盗聴に戻る。
「――つか、インフルエンサーとかじゃない?」
「あー、投稿用の映え写真のためってこと?」
「そうそう。この店SNSでも人気だし」
「ってことはジャージの人はスタッフさんか」
(そうっ。そうなの! こいつなんて所詮スタッフなの。彼氏なわけないの)
「いや、彼氏じゃない?」
「え?」
(え⁉)
気分よく話を聞いていたが、どうやら雲行きが怪しいようだ。
「絶対彼氏よ。ジャージだし」
「えー? だって雰囲気がパチンコ屋とかにいそうなコワイ人っぽくない?」
(そうっ。そうなの! だから彼氏なわけないの!)
「だからよ。ほら、こないだもあったじゃん?」
「こないだ?」
(え? なになに?)
「フォロワー20万くらいのインフルエンサーの女子でさ。派手に炎上したじゃん」
「あー! あれでしょ? 裏に反社の彼氏いたってやつ?」
(え? なにそれ? こわ)
「そうそう。ちょいエロで男も釣ってたから彼氏バレもヤバいけど、その炎上ついでにバレたじゃん? 紹介してた美容品が殆ど詐欺だったって」
「つーか、あの垢自体も、元々ホストで作った借金払わせるために全部コワイ人たちに指示されてやってたヤラセだったんだってね」
(そんなことあるの⁉)
「なんかさー、何年か前までは素人の女の子でも芸能界通さずに一人でビッグになれるとかって夢あったけどさー……」
「ねー? 結局そういうことなのね。あそこの子もそのクチか」
(ち、ちがうしっ!)
「どうせそうでしょ。あの子の垢見かけたらブロックしとこ」
「あー、わたしも。TLに流れてくるだけで不快だわ」
(えっ⁉)
SNS上で見かけたこともない人たちから、先にリアルでブロック宣言をされて七海ちゃんはビックリ仰天する。
「つか、この店も案件なんじゃない?」
「うわ。サガるー」
「反社と関わってるとかヤダよね。他いこっか」
「うん。スッゴイ人気だったから楽しみにしてたけどマジ幻滅……」
(お、お客さまっ⁉ 誤解です! おまちください……っ!)
スッと列から離れていく二人組の背中に、希咲は力無く手を伸ばす。
(な、なんてことなの……っ⁉)
あまりの衝撃的な出来事に希咲は愕然とする。
見ず知らずの自分に対する勝手な決めつけや偏見、そういった誤解も酷いとは思う。
だが、それ以上に――
希咲は目の前の男へ恐怖の目を向けた。
「……?」
<七海ちゃん? なにかあったんですか?>
不可解そうな顔をする弥堂も、さすがにあの会話は聴こえていなかった様子の望莱も無視して、希咲は怯える。
さっきの人たちは、弥堂がこの店で暴れたりイチャモンをつけたりしていたことを知らないはずだ。
なのに。
それなのにも関わらずだ。
(た、ただここで座ってるだけで、お店とあたしに迷惑と風評被害を……)
別に何もしなくても存在しているだけで他人に迷惑をかける。
そんな悪魔のような男に恐怖を感じる。
お店の客を減らしたという点では、自分も多少その原因に含まれているということは考えないこととした。
一頻り恐怖して、それから一周してある種の感心すら覚える。
今度はマジマジと弥堂の顔を見た。
「……なんでだろ。ベツに髪染めてるわけでもないし、ガラ悪いアクセジャラジャラさせてるわけでもないのに」
「あ?」
「ぱっと見でハッキリとわかるような、そういう見た目のガラの悪さじゃないのよね……。なのに、なんで“そっち系”っていうか、なんかそういう感じに見えちゃうんだろ……?」
「いきなり何言ってんだお前」
思わず口から疑問が漏れてしまっていることに気付かないまま、希咲は弥堂をジィっと見る。
自分はどうだっただろうかと思い出してみる。
初めて彼を見た時のことを。
特に強くは気にしていなかったし、彼も目立つような男子ではなかったので、初見の印象に関する記憶はパッと出てこない。
ただ、愛苗のことがあったので「えー? こいつがー?」という感想を抱いたのは覚えている。
なにより、その後の自己紹介の衝撃が強すぎた。
例の“ヌカサン事件”だ。
そしてその後から今までで色々と彼の特殊性を知ってきた。
なので。
今は中身を知ってしまっている分、余計にガラが悪いというか反社的というか、とにかく“そっち系”にしか見えない。
だけど、今にしてみれば言えることかもしれないが、彼のことをよく知らない時でも、一目見ただけで多少の危険な“香り”は感じたかもしれないと思い出す。
(ま、それは人のこと言えないけど……)
本当の本当に一般人と呼べる人たちが暮らしている場所が“表”の社会だとしたら。
ヤクザや半グレ系の人たちが悪さをしている所は“裏”の社会で。
さらに一般的には存在しないことになっているある意味オカルトチックな自分たちの世界は“裏の裏”と謂ったところだろうか。
(あれ? 裏の裏じゃ“表”になっちゃう? なんかもっと奥というか地下というか……)
言葉のニュアンスに囚われかけて、そんなことは今は関係ないと頭を振る。
再び弥堂に意識を戻した。
「どうしてだろ。陰で喋らなくって。モメてる時以外は大人しーし。でも、そういう子って、ちょっと弱そうとかって思っちゃうのよね。モメてる時を知らなきゃだけど。人のことそういう見方すんのよくないけど、でも、フツーならそう思っちゃう。陰キャなのは間違いけど、う~ん……、なににカテゴリーすればいいんだろ……」
ブツブツと口の中で考えを回していると、いい加減痺れを切らしたのか、ようやく弥堂の方から口を開く。
「なに見てんだ。というか、さっきから何言ってんだ?」
「ねぇ、あんたってなんでそうなの?」
しかし、よくわからないから質問を行ったはずなのに、さらによくわからない質問で返されてしまう。
「……どういう意味だ?」
「そうなのよ。どう言っていいかわかんなくて困っちゃったの。あんたはどう思ってるの?」
「だから、何の話だ?」
「あんたの話よ」
「俺がなんだ?」
「それがわかんないのよねぇ……」
ハァと悩ましげに溜め息を吐いて俯く希咲を、弥堂は薬物中毒者に向けるような眼で視る。
結局よくわからない感じのままその会話は終わってしまった。
だが――
「――あ。なんかフツーに喋れた」
自覚なく出来ていたことに希咲は気が付く。
しかし、そう思ったのも束の間――
「――失礼いたします」
店員が料理をテーブルに運んできた。
コトリと目の前に置かれたお皿の上のパンケーキに、七海ちゃんはキラキラとお目めを輝かせる。
続いてトっと置かれたパスタには思わず眉間を「むむっ」とさせてしまう。
つい先日に大盛のパスタに苦しんだからだ。
しかしそれも、次の置かれたフルーツタルトに目が釘付けになったことで忘れてしまう。
タルトに乗った桃をジッと見ていると、その皿の隣にチーズケーキが並べられる。
白いお皿の余白を彩るカラフルなソースとジャムにうっとりとしてしまう。
そこに満を持して登場したのが大きなお皿のピザだ。
「……んん?」
あれ? この流れなんか見たことある――と、希咲は急激な不安に襲われた。
慌てて顔を上げると気が付く。
このテーブルに向かってくる店員が他にも居ることに。
それは一人や二人ではない。
「あ、あの……」
震える声で話しかけようとしたが、店員さんはダンっとワンプレートのハンバーグランチセットを置いて足早に立ち去ってしまう。
そうしてオロオロしている間にも、パフェだのプリンだのが次々にテーブルに並べられていく。
「ま、まさか……」
希咲は恐る恐るメニュー帳へ目を遣る。
それから目線を弥堂の方へ動かした。
これはもしかして、さっきこのバカがメニューに載っている物を適当に持って来いと言ったから、お店側がそれ通りのことを実行しているのではないか。
それに思い至った。
(で、でも、おかしくない……⁉)
確かにそう言ったのは事実だが、しかし弥堂が言ったのは――
『メニューのこのページに載っている物を適当に見繕って持ってこい』
――だ。
テーブルの上の品物をもう一度見る。
ランチセットに単品料理、それからデザート類。
一番多いのはやはりスイーツ系だ。
弥堂がどのページを開いていたのかはわからないが、この比率からいってデザートのページだった可能性が高い。
そうするとこの配膳はやはりおかしいのだ。
このお店はメニューの種類が豊富だと評判だ。
そんなお店の冊子になっているメニュー帳のデザートのページに、ランチプレートやパスタやピザが一緒くたに掲載されているとはとてもではないが考えづらい。
それに、たとえそうだったとしても、こんなしっかりとしたお店で料理もデザートも順番もクソもなく一辺に並べられていくような配膳の仕方をするはずがない。
なのにこんなことになっている。
それが一体何を意味するか。
(も、もしかして……)
カタンっとピスタチオのジェラートを置いた店員さんの顔を見る。
完璧な接客スマイル。
だが、そのおでこには確かな怒りマークが。
(お、怒ってるぅーーっ⁉)
ガーンっとショックを受けるが、しかし考えてみれば当たり前だ。
弥堂がここまでにしたことを考えると怒らない人間がいるわけがない。
本当ならとっくに追い出されていても文句は言えないような利用態度だったのだ。
それを許してくれるとは、なんて大らかなお店なんだろうと感動していた。
しかし、それは大きな間違いだった。
きっと、迷惑をかけられた分しっかりとお金をとれるだけとってやろうということなのだろう。
(ど、どう思えばいいの……、これ……?)
明確に注文したわけでもないものを勝手に持って来られて、その代金を請求される。
常識的に考えるとそれは許されることではないような気がする。
だが、そうするように要求したのは弥堂だ。
あのバカがしっかりと『金ならある』とイキっていたせいだ。
自分も請求される側でさえなければ心情的にはお店の味方だ。
だけど、悲しいことに希咲もこれらの料理を食べてお金を払う側なのだ。
(あ、待って……!)
確かに自業自得とはいえ、このような対応をされてこの男が大人しくしているだろうか。
新たな揉め事の気配を感じて希咲はハッとする。
慌てて弥堂の方をまた見るが――
「…………」
このトラブルの元凶とも云える男は、目の前に並べられていく料理に一切の興味を持たずに、またぬぼーっと宙空を見ていた。
(え……? こいつ、これ全部食べ切る自信あるの……?)
ほんの僅かな希望的観測。
しかしそれは2秒で断ち切れる。
希咲はまたもハッとした。
(い、いや、こいつ……、なんにも食べないし飲まないじゃん……っ!)
お腹が痛いのだかなんだか知らないが、この男は出された物に手を付ける気がないのだ。
もしかして、自分は食べないから一切関係がないとでも考えていて、だから興味がないのだろうか。
(え……? これ全部、あたしが食べるの……?)
サァッ……と、血の気が引いていく。
「失礼します」
「あっ――ま、まって……!」
サッと目を背けて立ち去っていく店員さんを呼ぶが、逃げるように背を向けられてしまった。
「サ、サラダを……っ! せめてサラダを……っ!」
伸ばした希咲の指先の向こうに店員さんは消えていく。
そして新たに別の料理を持った店員さんが開いた掌に近付いてきた。
「そ、そんな……」
希咲が絶望しかけたその時、みらいさんからの通信が入る。
<これはシビアな展開になってきましたね……>
<え……?>
<どうやらここからはドカ食いバトルのようです。世界一の彼女でいるためにも負けられませんよ?>
<は? どゆこと? これ食べきれないとあたしの負けになんの……?>
<七海ちゃん! 今こそ鍛え上げた女子力を見せつける時です! 本番で発揮出来る実力が足りなければ彼女として失格です!>
<なんで⁉ デートで大食い対決させられた上に、負けたらフラれるとかイミわかんないんだけど……⁉ いいこと一つもなくない⁉>
<七海ちゃんは一人ではありません。及ばずながらわたしも遠く離れたこの無人島で一緒にカップ麺を食べます。わたしとて紅月の女。この局面で傍観の姿勢に甘んじたりはしません。というわけでお湯入れてくるのでしばらく一人で頑張ってください>
<ちょっと⁉ 一息で喋った最初と最後で矛盾するのやめてよ! ねぇーっ! みらい⁉>
<おなかすきまし――>
電話でもないのに何故かみらいさんとの通信が不自然に途絶える。
普通のシカトだ。
希咲は呆然とテーブルを埋める大量のお皿とその上に乗った食べ物を目に映す。
カクッと肩の力が抜けて、お手てがプラーンっと身体の横に垂れる。
その目の前でさらに食べ物が増えていく。
胃がきゅっと鳴った。
「ふっ……、う、うぇぇ……っ」
思わず泣き声が漏れたが、自分たち以外の全てのテーブルの楽しそうに談笑する声に掻き消されてしまう。
サングラスの下では当然泣きが入っていた。
そうして圧倒的な物量の前に希咲が戦意喪失した時――
ギラリ――と、弥堂の眼光が鋭さを増した。




