2章14 重ならない面影、触れられない記憶 ①
注文した品が届くまでの間、希咲 七海は改めて確認する。
現在、自分の目の前に座っているクソ野郎――弥堂 優輝は自分の彼氏だ。
そして希咲は彼の彼女である。
そういう設定だ。
希咲の目的は、親友である水無瀬 愛苗の行方を捜す為に、その手掛かりを持つ、或いは犯人である可能性もある弥堂から情報を得ることだ。
そうするには、弥堂に近づけるポジションを確保しなければならない。
その為に、世界一カワイイ彼女でいる必要がある。
(……うんっ。改めて客観的に考えるとマジでイミわかんないわね……っ!)
だが、実際そうだし、現実こうなってしまったので、もうやるしかない。
でも――
(――それって、どうやんの……?)
今更考えることでもないが。
そういえば自分は異性とデートをするのは初めてだ。
彼女として振舞うことの引き出しが少ない。
今頃になって希咲はそれに気が付いた。
思えば、こうして家族以外の男の子と二人でお出かけをしたことすらもないかもしれない。
身近で歳の近い異性というと、幼馴染の紅月 聖人や蛭子 蛮が居る。だが、彼らのことをそういう対象の男の子として見たことはない。
それに、彼らと出かける時も大抵紅月 望莱や天津 真刀錵のどちらかは一緒だったので、こういったデートと呼べるようなシチュエーションになることもなかった。
とはいえ、問題はそういった希咲自身の経験不足だけでもない。
今回の任務の難易度を上げているのは、どちらかというと相手の方が問題だ。
なにせこの彼氏ときたら、油断をすると何をするかわからない。
脈絡もなく一般人に危害を加える恐れもある。
そんな狂犬と仲良くして大人しくさせ、彼が隠しているであろう情報や複数の拠点を割り出すのだ。
そんな任務の最中でミスをすれば、違う意味というか本当の意味でこの彼氏に襲われるかもしれない。
そして最終的に彼との関係が失敗に終われば、親友の生命が危険に晒される可能性すらある。
だからこのデートは必ず成功させなければならないのだ。
(デートってそういうのじゃないでしょ……⁉)
あまりにもキナ臭いデートに、七海ちゃんのお胸はドキドキしてきた。
<――七海ちゃん? 大丈夫ですか?>
すると、希咲が何も動きを見せていなかったせいか――
――現在の状況を隠しカメラで見守っている望莱から思念通話が入る。
<あ、ごめん。ちょっと緊張してドキドキしちゃって……>
<んもぅ、七海ちゃんったら。男の子とのデートにドキドキしちゃうなんてウブカワイーです>
<これってそういうのじゃなくない⁉>
<えー? では、普通のデートだったら余裕なんですか?>
<そ、それは……、まぁ……>
その普通のデートの経験がなくてまさに今困っていたのだが、七海ちゃんはついイキってしまった。
「初めてだからどうしていいかわかんないの……」なんて言おうものなら、このナマイキな妹分にナメられて、余計に彼女が自分の言うことを聞かなくなる恐れがあるからだ。
(でも、そっか……。そうだ……)
いっそ普通のデートと考えてみよう。
そんな風に思いつく。
難しく考え過ぎるから、実際に難しいこのデートが余計に難しく感じられるのだ。
だから普通のデートだと思えば、この激ムズデートよりはいくらもマシに思えて、肩も軽くなる。
(さて、何を話せばデートっぽくなるかしらね……)
適切な話題を探しつつ、希咲は対面の弥堂の顔をジッと見た。
奴は変わらず何もない宙空をボーっと見ている――
――と思いきや、やはり眼球をゆっくり動かして今も周囲を警戒しているようだ。
いつもああやってあらゆる物事に自分は関係ないとでも考えているかのようにボーっとしている――と、そんな風に彼のことを思っていた。
もしかしたらああやって視野を広く確保しようとしているだけで、日常の中でも常に全方位を警戒していたのかもしれない。
今ならそんな風に思えた。
だが、だとしても――だ。
希咲はムッとする。
(なんなのこいつ……っ)
現在は設定の上とはいえ、彼女である自分とのデート中のはずだ。
その彼女である自分がこんな風に話題に困っているというのに、奴には自ら話題を提供するというような素振りがまるで見られない。
(少しは気を遣いなさいよ……!)
これは自分が女として完全に軽視されているに違いないと、希咲は腹を立てた。
希咲は自らの目的のために弥堂の彼女として振舞わねばならない。
だが、弥堂の方もそれは同じなはず。
彼も何かしらの隠蔽を目的とし、その為に希咲の彼氏として振舞わねばならないはずなのだ。
それなのに――
奴のする彼氏ムーブときたら、たまに思い出したかのように、且つとってつけたかのように「好き」だと言ったり、「俺は彼氏だ」と言い張ることだけだ。
たったのそれだけで彼氏としての要件を満たせると考えているのだとしたら、甘いにも程がある。
(――少しはそう見せる努力をしろっ! 彼氏ナメんな……!)
なによりも、こんなことで誤魔化せる程度のバカな女だと思われていることに、希咲は腹が立った。
膨れ上がる怒りに「ぐぬぬぬ……」と拳を握ったところでハッとなる。
(こ、こんなんじゃいけない……っ)
この男は確かにムカつく最低男だがそれでも自分の彼氏なのだ。
この彼氏と仲良くお喋りすることが自身のミッションなんだったと思い出す。
(こんなヤツと何を話せば楽しくなんの……⁉)
希咲はお喋りが得意な方であるし、あまり普段関わりがない人と接する時も会話に困ったことなどない。少なくともこの10年ほどは。
だが、相手が弥堂となると途端に言葉が出てこない。
悪口やダメ出しは無限に湧いてくるのに。
(あぁぁぁ……、どうしよう……っ⁉)
「――失礼致します」
「へ?」
そうやって悶絶しかけていると女性店員がまたテーブルに戻ってきた。
「お飲み物をお持ちしました。ごゆっくりお楽しみください」
「あ、どうもありがとうございます」
「…………」
希咲は店員さんにペコリと頭を下げる。
当然弥堂が同じ行動をすることはない。
店員がトレンチに乗ったグラスを持ってテーブルに置く所まで、彼はずっと手元をジッと監視し続け、その手が離れた後もジロジロと店員の顔を見ていた。
希咲は弥堂のその不躾な態度を注意しそうになって、やめる。
人としては注意するべきなのだが、如何せんそれをするとまたケンカになってしまう。
せっかくドリンクが来たことだし、ここは飲み物トークから始めてみて空気を和ませることにした。
「わ、わぁ……っ。ドリンクきたねー? あたしレスカにしたんだ。あんたは何頼んだのー?」
ストローの袋をペリペリと破りながら若干引き攣った笑顔で希咲がそう言うと、弥堂は眉を顰める。
希咲も咄嗟に出した自分の声色に同じ顔をしそうになったが、頑張って愛想笑いを維持した。
「……? お前の目の前で頼んだだろ。ついさっきのことも憶えていられないのか? バカが」
「…………」
七海ちゃんはニッコリとパーフェクトスマイルを造り、レモンスカッシュのグラスに黄色いストローをザシュッと突き刺す。
そしてナイフで傷口を抉るようにグリッグリッと手首を捻った。
(な、なんてイヤなヤツなの……っ!)
知ってはいたが希咲は改めて実感する。
会話が続かないどころか、初手の会話を成立させることすら困難だ。
<な、七海ちゃん……っ、おちついて……っ>
すると望莱からの通信が入り、再びハッとする。
氷がグラスの中で暴れた後の、シュワシュワッという炭酸の音に癒されたことにして気を取り直す。
みらいさんの声が若干半笑いだったような気もするが、希咲はそれにも気付かなかったことにした。
ストローを咥えて一口分、喉を通す。
まだ戦える気がした。
<やっぱり手を付けないんですね>
望莱に指摘され、弥堂の手元へ視線を遣る。
彼の前には大きなグラスに入ったハニージンジャールイボスミルクティと、外袋に入ったままのストロー。
それらに触れようともしていない。
「……なんだ?」
「え……?」
ストローを吸いながらそんな彼の様子を見ていたら、弥堂から訝しむような目を向けられた。
「…………飲まないの?」
「あぁ」
「なんで……」
「……? なんだ?」
「んーん」
『飲まないなら何で頼んだ』と言いかけてやめる。
『お前が頼めと言ったんだ』と返事されるからだ。
彼が自分を疑っているのか、店を疑っているのか、それとも全ての他人を疑っているのか――
それはわからないけれど。
しかし、もしも外で出された物に手を付けないと彼がそう決めているのなら、きっと何を言っても意味が無いのだろう。
レモンスカッシュでコクコクと喉を鳴らしながら、希咲はそんな風に思った。
だから――
「……ねぇ?」
「なんだ」
「あんたって潔癖症だったりする?」
「……なんだと?」
彼にとっては想定外の質問だったのか、弥堂は不可解そうな顔をする。
その表情を見て、希咲は少しだけ気分をよくした。
「けっぺきしょーは潔癖症よ。自分の物を他人に触られるとか、他人の物に触るのとか、そういうのムリな人?」
「そんなもの、誰だって嫌がるだろ」
「あん、だから防犯的というか、そういうイミじゃなくって。なんか『い゙ぃ゙ーっ』ってなって生理的にムリとか、そういう感じのこと言ってんの」
「……別に。そうだと自覚したことは一度もない」
「ホントに?」
「しつこいな。女の股を2時間ぶっ通しで舐めさせられたことがある。潔癖症の人間には無理だろう」
ビキっと希咲の頬が吊る。
プルプルとグラスを持つ手を震わせながら、彼女はどうにか冷静さを保った。
「…………仮にそれが本当だとして。それを何であたしに聞かせるわけ? 彼女なのよ? あたし。どういう気分になるかとか、少しもわかんないの?」
「さぁ? 仮にお前が男にク〇ニリングスをさせることに並々ならぬ拘りを持つ女だったとしたら、今の話をメリットに感じることもあるかもしれないな」
「バカじゃないの⁉ そんなアプローチされて喜ぶ女の子がいるわけないでしょ⁉」
「さぁ? 『世界』は広いからな。実際そういう女が居たことだし」
「サイテー! だからそれをあたしに言うなっつーの! そういうとこよ!」
「どういうとこだよ」
「デリカシーっ! スイッチ“ON”にしろ! そういう気遣いというか常識のなさがヤなの! そんな態度とられるのって、あたしが女としてナメられてるってことでしょ⁉」
「だから舐められるというステータスを提示したのだが――」
「――うるさぁーいっ!」
こんなオサレなカフェで底辺レベルの下ネタをぶっこんできたクソ男に、七海ちゃんはぷんすかする。
しかし――
<『させられた』……ですか>
<え?>
――ぽつりと呟くような望莱の言葉がやけに耳に残って、希咲の怒りは少し醒めてしまった。
<いえいえ。せんぱいったら過去の女とのアレやコレやを包み隠さずに話してくれるなんて、とっても誠実な人だなって>
<どこがよ⁉ サイテーじゃん!>
<そんな……、せんぱいが恥を忍んであんなに必死にアピールしたのに。七海ちゃんったらヒドイです>
<あんなアピールがあるか⁉ 喜ぶ人いないでしょ⁉>
<まぁ。ということは七海ちゃんはク〇ニリングスに並々ならぬ拘りはないんですね? わたし的にはポイント高かったんですが>
<あんたバカじゃないの⁉ なに言ってんの⁉>
敵味方など関係なく非難すべき下ネタ野郎を何故かみらいさんが擁護したので、希咲はまた頭が混乱してしまう。
<わたしの性癖はともかく。それより“せんぱい”の元カノさんって“Sの者”だったんですかね?>
<え? なんで? 逆じゃないの? “Sの人”とか絶対あいつに耐えられないでしょ。スッゴイ“Mの人”だったらワンチャンあるかもだけど……>
<まぁ。ということは“せんぱい”は“どS”なんですね。よかったですね。七海ちゃんと相性ピッタリです>
<なんでよっ! あたしベツに“M”じゃないし>
<じゃあ“S”なんですか?>
<どっちでもないし>
<ということは、七海ちゃんは“パーフェクトエレメンタル”なんですね>
<は? なにそれ?>
<“全属性対応”ということです>
<全然イミわかんないんだけど>
また意味のわからないことを言い出した望莱に嫌な予感はしつつも、希咲はとりあえず話は聞いてあげることにした。
<この世に存在するありとあらゆる性癖を開花させた超越者に与えられるユニーク称号――それが“全性癖解放”です>
<ほらっ! やっぱふざけてたっ!>
<わたし、ウチのお兄ちゃんにどうにかこの称号を取得させたいんですよね>
<やめたげなさいよ。ただでさえ聖人の人間関係わけわかんなくなってんだから>
<ですが。今日、それ以上の才能に出逢ってしまったかもしれません……>
<なに言ってんのあんた>
<見てますか、兄さん……。兄さんを超える逸材がここに居ます……。そう、弥堂 優輝という原石が……>
<聖人が死んじゃったみたいな言い方すんな。つか、あんた結局何が言いたかったわけ?>
思念通話での会話なので実際に目の前に望莱は居ない。
なので、希咲は仕方なく代わりに弥堂へジト目を向けておいた。
弥堂が不愉快そうに眉を動かすと同時に、望莱が喋り出す。
<いえ、特に言いたいことはありません。下ネタになったので七海ちゃんをイジリたかっただけです>
<ざけんな! ジャマしないでよ!>
<わかりました。では、トークの続きを。さぁ>
<なんなのっ!>
これからだと意思を確かめ合ったばかりなのに、その矢先にみらいさんは早くも集中力が切れてしまったようだ。
希咲はそんな彼女を叱り付け、それから目の前の男へ意識を戻す。
すると、そこには逆ギレ寸前の不機嫌顔が。
「――というか、なんだ? お前は何が言いたいんだ」
「は? あ、いや、うん……」
今自分が望莱に言ったばかりの台詞を真似されてバカにされたように感じてしまい、希咲は反射的に棘のある返事をしてしまった。
だが、いくらなんでもそれは八つ当たりが過ぎる。
なので、七海ちゃんはお口をもにょもにょとさせて、自分が元々何を言おうとしていたのかを思い出そうとした。
「えーっと……、あ、そうだった。んしょ……」
「……?」
幸いにもそれはすぐに思い出すことが出来たので、希咲は弥堂の方へ両手を伸ばす。
弥堂の前に置かれていたミルクティと未使用のストローを左右それぞれの手で掴み、自身の方へと手繰り寄せた。
「ちょっと飲ませて」
手早くストローを袋から取り出してグラスに挿し入れる。
そして、弥堂の返事を待たずに口を付けて吸い込んだ。
「…………」
弥堂は特に何も思わず、希咲の喉がコクリと嚥下する動作を視る。
やがて――
「ん~~っ、おいしーっ」
希咲はストローから口を離すと、期待に違わないその味に目元と口元を緩めた。
「ん。ありがと」
「あ?」
希咲は自分の使ったストローを抜き取って水の入ったグラスに入れ、そしてミルクティのグラスを弥堂の方へと戻す。
「おいしーよ?」
「…………」
弥堂は希咲の意図がわからずにただ怪訝そうに眉を寄せた。
すると、今度は希咲は両手を胸の前でパッと開く。
そして、まるで自分自身の元気さを強調するようにその手を顔の両サイドまで上げてみせると――
「――おいしーからだいじょぶよ?」
「…………」
――もう一度同じ言葉を口にした。
弥堂はスッと眼を細める。
希咲はそれに怯むでも反発するでもなく、同じような軽い調子を心掛けて口を開いた。
「カフェに来て何も飲まないってヘンよ? フツーはそんなことしない。周りにヘンな目で見られちゃうわよ?」
「…………」
「だいじょぶだから」
弥堂はジロリと眼を動かして、自身の前に戻されたグラスを視る。
ほんの一口分だけ減ったミルクティ。
その物体を構成する“魂の設計図”の違いはわからない。
ミチィッと眼球の中心が軋む音を幻聴した。
コメカミを突き破って脳漿が噴きだすような激しい頭痛が起こる。
<七海ちゃんっ。今っ――>
<――ダメよっ>
弥堂の瞳の中心に僅かに蒼い光が灯った様子が彼女たちにも見えた。
望莱がスキルの使用を促すが、希咲はそれを強く禁じた。
<ダメ……。今は、絶対ダメ>
<七海ちゃん……?>
<今それをやったら、この子はカフェでお茶するなんて当たり前のことが一生出来なくなっちゃうかもしれない……>
<…………>
<……ゴメン。そんな場合じゃないのはわかってるけど。でも、ダメなの>
自分でも何を言っているのだろうと、希咲は思った。
現在の自分と彼は限りなく敵対関係に近い。
自身の目的である愛苗のことを考えれば、本当にそんな場合ではないはずなのだ。
だけど――
彼女の倫理観や正義感からなのか――
今彼に対してそれを仕掛けることに、酷く禁忌を感じてしまった。
そこに理屈はなく、限りなく直感的なモノだ。
そうしている内に、弥堂の瞳から蒼い火が消えてしまう。
<……ゴメン、みらい>
<……いいんですよ。わたしは推しを全肯定ですから。七海ちゃんがそうした方がいいって感じたのなら、それでいいと思います>
望莱が苦笑いを浮かべた気配を感じた。
彼女はそう言ってくれたが、希咲には後悔や罪悪感が確かに残った。
<それに――>
まるで独り言のように、ぽつりと望莱が呟く。
<――目的としても、それが正解かもしれません>
<え?>
彼女の言うことが希咲には理解出来なかった。
だからそれを聞き返そうとするが――
弥堂はチラリと、グラスの横の未開封のストローに目線を移動させる。
そして手をそれに伸ばした。
彼が動きを見せたことで、希咲たちの意識もそちらへ移る。
手を伸ばしてストローに触れる。
見た限りでは淀みの無い動作。
だが、やや躊躇いがあるように希咲には感じられた。
彼の手が紙で出来た袋を引き千切って中からストローを取り出す。
どこかぎこちない動作。明らかに慣れていない。
左手でストローをグラスに入れて、右手でグシャッと袋を握りつぶした。
テーブルの上にコロッと転がる袋の塊を見て、『あぁ、すごく“らしい”な』と希咲は思った。
そんなことを考えていると、彼はグラスを持ってストローに口を付ける。
その動作に躊躇いはなく、だがミルクティを吸い上げる動作にはぎこちなさが見えた。
やり方を知らないか、忘れてしまったかのような。
そんな覚束なさが。
青いストローの色が下からゆっくりと変わっていく。
希咲は彼の喉仏に目線を先回りさせた。
自分とは違うカタチのその骨が動いた瞬間、今度は彼の顔へ目線を上げる。
どんな表情をするのだろうと――
そんな不思議な期待が胸の中にあった。
<なんでしょう。この感じ。保護した野生動物がちょっとデレた瞬間みたいな……>
頭の中の望莱の言葉を聞き流して、黙って彼の頬の動きを監視する。
ストローがさっきの倍ほどの速度で青に戻っていった。
すると――
「…………」
弥堂の眉間に皺が寄り、その目元が露骨に顰められる。
彼は無言でコトリとグラスをコースターの上に戻した。
「おいし?」
希咲は吹き出してしまいそうな衝動を堪えながら彼に尋ねる。
「…………」
弥堂は顰めた表情のまま希咲に顔を向け、しかし何も言わなかった。
まだ口の中に残っているのかもしれない。
「あによ、その顔。おいしーでしょ?」
「…………」
自分の声が咎めているのか笑っているのか、希咲は自分でもそれが判別できなかった。
数秒して弥堂はようやく口を開く。
「……別に」
彼らしい端的だがよくわからない感想を口にした。
「なんでよ。おいしくない?」
「……複雑だ」
「ん? マズイってこと?」
「複雑な味だ」
「……? それマズイって意味?」
「不味いとは言っていない。ただ、複雑だ」
「おいしいってこと?」
「いや、複雑だ」
「……褒めてんの?」
「複雑で美味いのか不味いのか俺にはわからない」
「んー、好きではないってこと?」
「あぁ」
「ぷっ、なによそれ。そんな感想言うヤツ初めて、あはは……っ」
「…………」
弥堂は難しい顔をしたまま、楽しそうに笑う彼女の顔を視る。
そして無言で希咲の方へグラスを移動させた。
「くれるの?」
「あぁ」
「えっと……」
希咲は戻ってきたミルクティをジッと見て、それから隣のレモンスカッシュのグラスへ目線を動かす。
「こっち飲む?」
グラスを持ち上げながら弥堂に尋ねるが、
「いらない」
やはり拒絶されてしまった。
「そ」
これ以上は彼女も強要はしなかった。
彼はちゃんとカフェでお茶をしたので、もう許してあげることにする。
そういうことにして、希咲は今度はレモンスカッシュを一口飲んだ。
すると、弥堂が何とも言えない顔で自分を見ていることに気が付く。
「ん? なに?」
「……そんな味の強そうなものを交互に飲んでなんともないのか?」
「や、ベツに?」
キョトンとした顔でそう答えると弥堂は先ほどよりも難しい顔をして、それからすぐにいつも通りの無表情に戻った。
「そうか」
いつも通りの、話を広げる気のない共感性のない相槌を打って、彼はまたそれっきり黙ってしまう。
そしてまた会話が無くなった。
(やば。ミスった……)
こっちが広げるようなことを言ってあげればよかったと希咲は後悔しながら、今度はミルクティの方のストローを咥える。
<あ――>
すると、望莱が何かに反応をして短い声を出した。
<ん? どした?>
<あぁ、いえ。なんでもないです>
どこかニンマリとしたような彼女の返事に、希咲は内心で首を傾げる。
だが、今は望莱のことよりも、弥堂との会話を考えなければならない時だ。
(あれ……?)
希咲は自分自分自身に何か違和感を感じる。
それは、会話が得意なはずの自分が話題に困っているところだろうか。
それとも、状況は変わらないがさっきよりも気分が軽くなっているような気がするところだろうか。
(……違う)
そういえば、そうだったと思い出す。
半月ほど前、彼と一緒に下校をした時のことを。
希咲 七海はプロフェッショナルなJKだ。
そんな彼女は会話に長い間が出来るとどこか落ち着かなくなり、無理にでも何かを喋らなきゃという気持ちになってしまう。
だけどあの時も。
この弥堂 優輝という男の子が普段からあんまりにも喋らないものだから、不思議と彼との無言の時間はそれほどストレスにならなかった。
あの時にそう感じたことを思い出した。
(だけど、だからって今日はそうはいかないのよね……)
苦じゃないからといって黙っているというわけにもいかない。
既に一度自分の意思でチャンスを見逃してしまっていることだし、だからこそ目的はちゃんと叶えなければならないと思い直す。
では、どうするかと、希咲が思考の舵を切った瞬間――
スッと――弥堂が立ち上がった。
「――ちょっと?」
一瞬で希咲はジト目になり、その目線で弥堂を咎める。
「なんだよ」
「あんた今度は誰にカラむつもり?」
そう疑いを向けると、弥堂は「なに言ってんだこいつ?」といった顔をした。
その反省と自覚のない態度に希咲はムッとする。
だが――
「便所に行くんだよ」
「あ、そなんだ」
「すぐ戻る」
「ん。いてらー」
彼の行動の理由を知ると、希咲はひらひらと手を振ってあっさりと弥堂を解放した。
離れて行くその気配を確かめながら、希咲はミルクティを吸う。
<七海ちゃん。そういうとこですよ?>
<は? なにが?>
またも不可解なことを望莱に言われるが、どうせふざけているのだろうと判断する。
望莱は何も答えなかったが、希咲もそれ以上は聞かなかった。
黄色いストローに唇を付けた。
(次はなに喋ろっかな)
口の中に残っていた甘さとそれが混ざり合う。
思い悩み言葉は見つからず。
舌に触れる味が一色に変わってしまった頃――
どうせうまい会話なんて出来ないんだろうなと苦笑いした。




