2章13 ドキドキの初デート ⑤
テラス席に座った希咲は身を縮こまらせて周囲からの奇異と軽蔑の視線に耐えていた。
(うぅっ……、かみさま……。あたしが一体なにを……)
心中で何処の誰かもわからない神への恨み言を溢す。
状況はより悪くなった。
さっきまでならまだ同じ学園の者に見つからなければいいだけの話だった。
しかし、現在は違う。
公共の場で悪目立ちをするような、弥堂の非常識な行動が衆目を集めてしまっている。
見られているだけならまだいい。
しかしこのご時世――
お外でちょっとやらかしてしまうと、それを動画や写真に撮られてSNSにアップされる。
そして人々の数値化された承認欲求や正義感の足しにされてしまうのだ。
(と、撮られてないわよね……⁉)
七海ちゃんはお目めをキョロキョロさせる。
絶対にこの非常識男の連れの女が希咲 七海だとわかる状態でデータに残されるわけにはいかない。
晒された動画から自分のアカウントが特定されて盛大に燃やされるシーンを想像してプルプルと震えた。
そんなことになればJK生命終わりどころか、卒業後も含めて選手生命が終わる。
女子を引退することを余儀なくされるのだ。
そんな女に普通の彼氏など出来るわけがない。
きっと弱みにつけこんだ怪しい業者や反社チックなガラの悪い男しか近づいて来なくなるに違いない。
(あ、それってこいつのことじゃん……)
もしかしてこの男とお出かけしてしまった時点で詰んでしまったのではと、気が遠くなる。
<――七海ちゃん七海ちゃん>
<おわり……、もうおわりよ……>
<しっかりして下さい、七海ちゃん>
<へ……?>
気が付いたら望莱に話しかけられていた。
<七海ちゃん、勝負はこれからなんですよ?>
<ム、ムリ……、ムリよ……>
<まぁ、心が折れちゃってます>
<こんなのとデート続けながら話を聞き出すなんて人類女子にはムリなの……。そ、そうだ……! クマさんとかならイケるわ。ペトロビッチくんと交代させて>
<ペトロビッチくんは今充電中なので。ていうか女子じゃないですし>
<そんな……。うぅ、愛苗のこととか、こいつの正体とか、まだ一個も話出来てないのに……、こんなんじゃ……>
<安心してください。こんなんでもわかったことがちゃんとありますから>
<え……?>
大分正気度を削られている様子の希咲に望莱が朗報を齎す。
希咲は縋るように思念に精神を傾けた。
<この人の行動、たぶんただのアタオカだけじゃないです>
<そ、そうなの……?>
<外の席に座りたがったのって、ちゃんと理由があるんだと思います>
<ワガママとか嫌がらせじゃなくって?>
<ワガママはワガママですけど、きっと建物の奥に入りたくなかったんですよ>
<なんで?>
<襲撃を警戒してるんだと思います>
<襲撃?>
だが、望莱の説明に希咲はいまいちピンとこない。
<犯罪者とか追われてる人特有の心理からくるムーブです。襲われたら逃げられない場所とか、自分から周囲が見渡しづらい所を異常に嫌うんですよ>
<警察に追われてるからってこと……?>
<そうかもしれないですし、警察以外にも何か敵を想定しているのかもです>
<警察以外の敵ってなに?>
<んー、例えばわたしたちですね>
<あ、そっか。そういえば敵なのか、あたしたち>
<こっちは確定はしてないつもりなんですけどね>
<敵とデートしてるとか、ホントいみわかんないわよね>
お互いに苦笑いを浮かべそうになった。
<彼からしてみると、七海ちゃんが囮になって“せんぱい”をここに誘き寄せているとか、そういう可能性も考えているのかもしれないです>
<えぇ? 襲うにしたってさ、こんなとこでやるわけないじゃん>
<いいえ。この店も店員も周りのお客さんも、全部わたしたちが用意した罠だとすら想定しているのかもしれません>
<は? 奥まで入ったらここに居る全員が襲ってくるってこと? そんなわけないじゃん>
<はい。わたしもそう思います。でも“せんぱい”は『そんなわけない』とは思っていない>
<そ、そこまであたしのこと疑ってんの?>
<んー……?>
望莱は少し間を置いて言葉を探す。
<疑ってるというか、これが普通なのではないでしょうか?>
<これが、ふつう……?>
<はい。警察やわたしたち。そういう具体的で身近な脅威がなくても、これが彼にとっての普通なのかもしれないです。日常から習慣化するほどに、こう振舞うことが身に沁みついているようにわたしには見えました>
<えっと、追われてるのがデフォってこと?>
<はい。そう考えると彼の人物像にもフィットしますし、これらのアタオカ行動にも少しは納得できます>
<……そういえば罠とか伏兵とか言ってたわね。あれマジで言ってたんだ……>
<厨ニ乙ってわたしもスルーしちゃってましたけど、どうやらマジのようですね>
<でも疑ってるんなら、それをあたしに言ってくるってマヌケじゃない? 仮に罠なら、それに気付いてるって教えてるようなもんじゃん>
<普通の犯罪者さんならそうかもですね>
<フツーの犯罪者って……>
犯罪者の時点でもう普通ではないと、希咲は冗談と受け取って笑みを漏らしそうになる。
だが、望莱の声音は真剣なままだ。
<七海ちゃん。せんぱいは、もっとタチが悪いんです>
<え?>
<襲撃や罠を警戒して逃げようとしているだけじゃないんですよ。全くビビッてない。襲撃を受けるところまで織り込み済みというか、それを前提にしてます>
<警戒しているのに襲われる前提って、どういうこと……?>
希咲には望莱の言う精神性が理解出来ない。
<もちろん躱せるのならそれに越したことはないんだと思います。でも、わたしの印象ではこの人は違います。罠にかけられることも、襲われることも、全部当たり前すぎて慣れきっています。彼にとって重要なのは、罠を看破して存命することではなく、罠を張るような敵意の確認――敵対関係を確定させることだと思います>
<それってどう違うの?>
<攻撃する理由が欲しいんですよ。罠だの伏兵だの言って、七海ちゃんの反応を見ています。気をつけてください。こっちが罠を張っていると彼が確信した瞬間に攻勢に出る可能性が高いです>
<……それが本当にあたしたちが仕組んだものかどうかは関係ないってこと?>
<そうです。敵か味方かなんて考えてる時間は無駄。わからないならとっとと敵対してしまえばいい。かなり大袈裟に言いましたけど、きっとこれが“せんぱい”の言う『効率』です。根本から考え方が違う生き物だと思ってください>
<なに、それ……? そんなのヘンじゃん……>
<こっちから探りを入れにくくなりましたね。ここまで通り、とりあえずは一般的なJKとしてリアクションして下さい>
<わかった……。あんたさっきのことでよくそんなのわかるわね>
希咲は望莱の指示に了承しつつ、彼女の洞察眼に感心する。
だが――
<いいえ――>
<え?>
ニヤリと彼女が笑う気配が伝わってきた。
<わかったことはその先です>
<先って……?>
<ちょっと面白いことを見つけました。彼の矛盾――というよりは歪でしょうか>
<なに? ひずみって>
一転して望莱は上機嫌そうに話しだす。
<せんぱいは襲撃を警戒して席を変えた。仮にこれが合っているとしましょう>
<うん>
<それなら今座ってるテラス席を選ぶのはおかしいんですよ>
<え? なんで? いつでも逃げられるように通りに近いところがいいってことじゃないの?>
<いいえ>
不思議そうにする希咲に、望莱はきっぱりと否定をした。
<確かに襲撃を恐れる人って、建物の奥の席とか嫌がるんですけど、だけど外から丸見えの場所もNGなんですよ。周囲や外を見渡しやすい真ん中近辺の壁際、だけど出口には向かいやすい場所。そんな席が理想です>
<追われてるくせにワガママね>
<ワガママすぎたから追われちゃうのかもです>
冗談めかしてクスリと笑い合う。
<今居る場所って四方八方から丸見えじゃないですか?>
<オープンテラスだしね>
<七海ちゃん、周囲の建物を見てください>
<ビルばっか……、そっか>
<はい。せんぱいは襲撃を警戒している。なのに、その警戒には決定的な一つの穴があります>
<それって……>
<はい。“狙撃”です。彼の警戒からは狙撃という概念がスッポリと抜け落ちています>
そこまで聞いて、希咲もそれは確かに変だと感じた。
<七海ちゃん。七海ちゃんは今スナイパーさんです。先輩を狙うスナイパー。そんな七海ちゃんはここらのビルのどれかの屋上に居るとします。さて、どうでしょうか?>
<楽勝ね。人目を考慮しないで、撃って当てるだけならベストなロケーションよ>
<ですです。狙ってくれと言っているような状況です。別に狙撃じゃなくっても、その辺の人混みから拳銃持った人が何人か飛び出して来たら終わりじゃないですか?>
<なにか狙いがあるってこと?>
<んー……? そうかもしれないし、そうではないかもしれない>
<どういうこと?>
<狙撃は織り込み済みで、撃たれてもどうにか出来る自信がある。その可能性はあるんですけど……>
<けど?>
<そんな風に見えないんですよねぇ。わたしには“せんぱい”は銃を想定していないように見えます。でも、現代社会で“裏”に関わってる人が銃を意識しないのは酷く不自然>
<そっか。だから“歪”ってことね?>
<です>
ようやく希咲にも望莱の言いたいことがイメージ出来た。
希咲とて、一応少しは“裏”に関わっている人間ということになる。
それは一般的な裏社会とは少し異なるが、しかし怪異方面の裏も、そういった裏社会と無関係ではいられない。
銃を持った人間と戦ったことはないが、それでも仮に人間と敵対することがあれば銃の存在はどうしても意識せざるを得ない。
そんな雰囲気が弥堂からは感じられない。
こんなに反社会的で犯罪行為にも手を染めていそうな人間なのに。
しかし銃という概念が彼の頭にはない。
確かに望莱の言うとおり、彼は酷く歪な人だと思った。
<どうする?>
<まぁ、焦らずいきましょう。これは“デート”なのですから。ほら、メニューでも選んで気分を解しましょう>
すると、そのタイミングでテーブルを片付け終えた店員が希咲と弥堂の前に水の入ったグラスを置く。
弥堂がグラスをジロリと睨む姿が見えた。
「あとでご注文を伺いに参りますね? 先にお決まりになりましたら、いつでもお呼びください」
「あ、はい」
希咲は店員が差し出すメニュー冊子をハシっと掴む。
その際に対面に座る弥堂と目があったが、「ふしゃーっ」と威嚇をしてこれは渡さないという意思をぶつけた。
弥堂はどうでもよさそうに肩を竦める。
その余裕が希咲には癇に障った。
<落ち着いてください。美味しいジュース飲みましょう>
<わかってるわよ>
どこまでこちらの様子が見えているのか、望莱に窘められて希咲はメニューを開く。
顔に近付けて自分の正体を隠しながら、彩り豊かなオサレメニューに目を遣った。
七海ちゃんのご機嫌が少しなおった。
<なに飲みますー?>
<あたしアレがいい。ハニージンジャーのルイボスミルクティ。あ、フラッペもいいなぁ。ミントのやつ>
<わたしパンダさんのラテがいいです>
<あんたはここに居ないでしょ。でも、そっか……。ラテアートもやってくれるのか……。う~ん……>
<七海ちゃんっていっつも色々目移りしてますけど、結局レモネードとかレモンスカッシュとか無難なのに落ち着きますよね。どこ行っても>
<だって、選べないで迷ってると店員さん来ちゃうじゃん? そうすると焦るじゃん? 追い詰められると失敗しないってわかってる無難なの咄嗟に言っちゃうのよね>
希咲は目の前の彼氏を放置して、思念通話で望莱とのカフェトークを楽しむ。
<あ、ていうか。それこそですけど、先に“せんぱい”の注文決めてあげた方がいいんじゃないですか?>
<それもそうね。この子、咄嗟に選ぶにもなんにもわかんなそうだもんね>
望莱のアドバイスに従って、仕方なく話しかけてあげることにした。
「ねぇ、あんた何飲む?」
「あ?」
「…………」
変わらずの態度の悪さに思わずスゥーっと息を吸い込んでしまう。
だが、怒鳴ったりしてまた目立つわけにはいかないので、希咲は吸った息をそのままハァーっと吐き出した。
「あんたどうせわかんないだろうから先に選ばせたげる」
「不要だ」
「や。ゼッタイメニュー見た方がいいって。どんなのあるかわかんないでしょ?」
「必要ない」
「…………」
希咲はスゥーッと息を吸って、ストローの紙袋をペリペリと千切る。
取り出したストローをグラスに挿して、お水を一口飲み込む。
冷たい水が怒りを少し冷ましてくれた。カランっという氷の音も心地よい。
ハァーっと息を吐いて、再チャレンジする。
「じゃあ、あたしが選んだげる」
「いらない」
「ダメ。あんた好きなお茶は?」
「ない」
「ダメ。なんか言って」
「……お茶はお茶だろ」
「色々あるでしょ。日本茶、紅茶、コーヒー、ジュースだってあるし」
「どうでもいい」
「ダメ。つか、コーヒー好きなんだっけ?」
「好きじゃない」
「…………」
希咲はスゥーッと息を吸って、不要になったストローの紙袋をクシャッと縮れさせてから弥堂の目の前に置く。
グラスから抜いたストローをその上に持っていって水滴を垂らすと、それを吸ったストローの袋がウネウネと芋虫のように蠢いた。
弥堂の眼がギョロリと動いて、モゾモゾする袋の様子をジッと視た。
<あ、なんか興味を示してますよ! 珍獣の反応観察みたいで面白いです! ちょっとカワイイです!>
<カワイイわけないでしょ>
<ていうか、七海ちゃんなんのためにこんなことを?>
<や。どうせこういうの知らないだろうからビックリさせてやろっかなって。ちょっとした仕返し的な?>
<カワイイです>
<だからカワイクないってば>
「ふふふ」と笑う望莱の声に不思議そうにしながら、希咲は困ったお客様から注文をとる作業に戻ろうとする。
<あ! 待ってください! 今スキル使って“せんぱい”を見てみてください>
<え? あ、そっか――>
希咲は慌てて弥堂の方へ目を向け直すが、その前に弥堂はフイっと視線を動かしてしまった。
希咲は機を逸する。
しかし、代わりに気付くこともあった。
弥堂はどこか一点に視線を置いてボーっとしているように見えていたが、よく見るとゆっくりと目を動かして絶えず周囲の様子を確認している。
どこかでチャリンっと食器を鳴らす音が大きめに鳴ると、彼の目線は素早くそちらへ動く。
余裕そうに見えていたが、そういうわけでもなさそうだ。
「……なんだ?」
「ん?」
「なにを見ている?」
「ベツに」
すると、希咲が自分へ視線を向けていることに気付いた弥堂が訝しむ。
希咲は適当にあしらった。
「つーか、あんた落ち着きないわね」
「別に」
彼の方も素っ気なく答えてまた視線を他所へと遣った。
<……あまりよろしくないですね>
<追い詰めすぎちゃダメ、だっけ?>
<はい。七海ちゃんもですが、“せんぱい”にも少しリラックスしてもらった方がいいですね>
<こいつリラックスとかすんのかな?>
そうして注文を決めないままで、弥堂を見ながら望莱と相談をしていると――
「――失礼いたします。先にお飲み物のご注文よろしいでしょうか?」
「あ――」
さっきとは別の店員さんが来てしまった。
恐れていたタイムアップだ。
「……っと、えっと……、その、レモンスカッシュを……」
「レモンスカッシュお一つですね? サイズは如何したしますか?」
「あっ⁉」
「……? ご変更なさいますか?」
「……いえ、トールでお願いします……」
「かしこまりました。ありがとうございます」
<草>
結局咄嗟にレモンスカッシュを頼んでしまい、七海ちゃんはシュンとした。
「お客様はいかがいたしますか?」
すると、その間に店員さんは弥堂に声をかけてしまう。
ギロリと鋭い眼が動いた。
「あ? いかがだと? どういう意味だ?」
「えっ……? その、ご注文を……」
「こ、こらっ! あんたは何飲むかって聞いてんの⁉」
「最初っからそう言え」
「言ってんだわ……」
希咲が翻訳をしてあげて、ようやくどうにか日本語が通じた。
「飲み物は不要だと言っただろ」
「ダメだってば。カフェに入って何も飲まないわけにいかないでしょ!」
「何故だ」
「そういうものなの!」
「チッ、仕方ないな」
「あ、これだと言うこときくんだ……」
何故か了承してくれた様子の弥堂はゴソゴソとジャージのポッケに手を突っ込む。
そして――
「――だったら俺はこれを飲む。注文は不要だ」
「は?」
ガンっとテーブルに置かれたのは水のペットボトルだ。
「お、お客様、困ります……っ!」
店員さんは当然のリアクションをした。
弥堂はまた女性の店員さんをジロリと見遣る。
「困る? それはどういう意味だ? お前が持ってきた物を俺が飲まないと、お前は困るのか? それは何故だ? 言ってみろ。どうなんだ? おい」
「こ、こらぁーっ!」
すかさず詰め始めたので、希咲は慌ててそれを止めた。
「あのね! こういうとこは持ち込み禁止なの!」
「何故だ」
「そういうルールなの!」
「何故だ」
「あんたが勝手に持ってきたもの飲んでお店の中で食中毒とか起こしたら、お店の人が困るでしょ⁉」
「ふん、まるで店から出てきた物なら飲んでも安全だと言っているようだな?」
「そう言ってるんだけど⁉」
「妙だな。お前も店の出す物を俺に飲んで欲しそうにしているように見えるぞ」
「飲んでほしい! マジで! お願いだから!」
「怪しいな。お前その女とは初対面か? どうなんだ?」
「こ、こいつ……っ!」
<猜疑心が服着てゴネてます。おもしろすぎです>
こちらにまで疑いを向けてくる弥堂に、希咲は説明の言葉を失くしてしまう。
言うべきことは至極簡単で当たり前のことなのに、それをどのようにして伝えても通じる気がしなかったのだ。
「あ、あのお客さま? 他のお客様にご迷惑ですので……」
「あっ……、ご、ごめんなさい……」
興奮して叫んでしまったので、店員さんから申し訳なさそうに「うるさい」と遠回しな注意をされてしまう。
七海ちゃんは理不尽さに泣きそうになった。
だが、泣いている場合ではない。
どうにかしないと、この男はきっとこの店員さんにセクハラをしだすに決まっている。
ボディチェックをするから服を脱げとか。
「あ、あの、このバカにはなんかフツーのアイスコーヒとか……。フツーのオジさんとかが飲んでるようなのでいいので……」
「あ、はい……」
これ以上トラブルになる前に、代わりに適当な注文で済ませてしまおうとするが――
「――おい、勝手な真似をするな。俺はコーヒーなんか飲まんぞ」
――迷惑男は他人に迷惑をかけるのが仕事かのように、頑なにワガママを言い続ける。
希咲はコメカミに青筋を浮かべながらも深呼吸をし、それから弥堂を宥めにかかった。
「あんたコーヒー好きでしょ」
「好きじゃない」
「いっつも飲んでんじゃん!」
「嫌いだから飲んでるんだ」
「いみわかんない! つか、だったらここでも飲めばいいでしょ⁉」
「嫌いだから飲みたくない」
「あああぁぁぁっ! ぶっとばすぞこのやろーーっ!」
「お、おきゃくさま……⁉」
思わずブチギレて席を立とうとしてしまうと、店員さんに止められる。
希咲はハッとして、もう一度深呼吸をした。
「じゃ、じゃあさ? 注文しなくっていいから、好きなお茶教えて」
「またそれか」
「はやくっ! 教えるまであたし引かないわよ⁉」
「…………マテ茶」
「は? なにそれ?」
流石にそれは面倒だと思ったのか、弥堂は渋々答える。
だが、それは希咲の知識にないものだった。
窺うように店員さんに目を向けると、店員さんは少し困った顔をした。
「申し訳ありません。当店ではマテ茶のお取り扱いは……」
「あ、なら仕方ないわね。ちょっと。ないんだって。他の言って」
「断る。俺はマテ茶以外飲まんぞ」
「うそつけ! いいから早く言いなさいよ! つか、ホントにそんな名前のお茶あんの? どうせまたテキトーなこと――」
「――知らんのか? マテ茶は南米のアルゼンチンやブラジル、パラグアイなどで主に生産される茶葉で、ビタミンやミネラルが豊富な“飲むサラダ”とも言われている。食欲や消化の促進、疲労回復やビタミン補給に優れ、コーヒーや紅茶などに比べてもカフェインが少なく健康的だ。そのコーヒーや紅茶とともに世界三大飲料の一つともされ、日本茶などより遥かに広く愛されている。それを知らない? 貴様モグリか? 神に不敬だぞ。死んで詫びろ。このクソギャルが」
「は……? え? え? な、なに……? なんて?」
なにか酷く強い言葉で罵られた気がしたが、ずっと不貞腐れていたような男が急に早口で語りだしたので七海ちゃんは気圧されてしまった。あとキモイと思った。
困惑しつつも言い返した方がいいのかなと考えていると、気を遣って店員さんが間に入ってくれる。
「あの、マテ茶はございませんが、味の似ているルイボスティならございます」
「え……? あ、じゃ、じゃあそれで……」
「おい――」
「――うっさい! あたしが勝手に2つ頼むの! あんたは黙ってて!」
「…………」
希咲は強引に弥堂を黙らせる。
「ではルイボスティをお持ちしますね。どのようにお飲みになりますか?」
「知るか。どうにでもして勝手に持ってこい」
「で、では、当店人気のハニージンジャールイボスミルクティをお持ちしますね」
「あっ⁉」
「……? どうされました?」
「い、いえ……、なんでも、ないです……」
それは希咲が最初に注文したいと思った飲み物だった。
店員さんには誤魔化すように謝り、代わりに弥堂には怨念をこめた視線を送る。
「サイズはどうされますか?」
「ト、トールでだいじょぶです……」
「とおる? 誰の話だ。そんな奴は呼ばなくていい」
「サ、サイズっ! 中くらいのサイズのこと! トオルくんって誰よ⁉」
「知るか。誰だトオルくんって」
「あたしが知るか! もぉーっ! 恥ずかしいから黙ってて……!」
店員さんと周囲のクスクスと微笑ましそうに笑う声に、希咲はまた身を縮こまらせてしまった。
「それではご用意しますね。メニューは置いていきますので、お食事も必要でしたらご注文ください」
「は、はい……」
どうにか飲み物の注文を済ませて希咲はホッとする。
店員さんは去り際にそっと希咲に顔を寄せ――
「ルイボスティはグランデでお持ちしますね。美味しいのでぜひシェアしてみてください」
「あ……」
――そう囁いて、少しイタズラげな目でパチンっとウィンクした。
「店員さん……。やさしい……すき……」
七海ちゃんはステキな女性店員さんに“はきゅん”っとトキメく。
<は? なんです? あの女。色目使いやがって。ちょっとあの店員を映してください。すぐに特定しますので>
頭の中に響く呪いめいた言葉を無視して、希咲はギュルンっと弥堂に顔を向けた。
「あんたね! いい加減にしてよ!」
「なんのことだ」
正当なクレームをつけると、弥堂は不思議そうな顔をする。
それがさらに希咲を怒らせた。
「10秒間隔で恥かかせないでっ!」
「知るか」
「こういうとこで持ち込みはダメって、常識でしょ!」
希咲はテーブルに置かれたままだった水のペットボトルへ手を伸ばす。
迷惑男が蓋を開ける前にふんだくった。
「おい、返せ」
「だめ! これはお店出るまであたしが預かっておくから!」
生意気にも不満そうにする非常識男を叱って、希咲はリュックを開けてペットボトルを仕舞おうとする。
「つか、なんであんたみたいなのがお水持ち歩いてるのよ。熱中症とか気にしなそうなのに。ヘンなとこばっか意識高いんだから……」
ちなみにそのボトルの中身は詰め替えられた灯油だ。
以前はガソリンを持ち歩いていたのだが、事故でうっかり爆発させてから弥堂は外出の際は灯油を持ち歩くことにしていた。
目的は当然放火である。
そうとは知らずに、希咲はリュックの中に危険物を収納する。
弥堂は特にそれを止めはしなかったが、しかし文句だけは言うことにした。
「他人の物を勝手に仕舞うな。泥棒め」
「うっさい。ルールも守れないヤツがエラそうにすんな」
「俺の知ったことか。こっちは客だぞ」
「お客を名乗るならお店のルール守ってからにして。それが出来ない人はお店使っちゃダメなの」
「いちいちうるせえな」
「うるさいじゃない。つーか、飲み物頼むだけでなんでこんなに苦労すんのよ……」
希咲は溜息を吐いて、そういえば確認しなければならないことがまだあったと思い出す。
「あ、つかさ、お昼ここで食べちゃわない? あんた何食べたい?」
普通のカップルならごく当たり前の会話だが――
「――必要ない」
「…………」
この男は当然こうなる。
希咲はスゥーっと息を吸い込んだ。
飲み物であれだけ苦労したのだから、食事の注文はもっと困難になりそうだ。
いっそ食事抜きにしようかとも思ったが、お腹が空いてきたのも事実である。
空腹状態でこのクズ男の相手をするのは無理だ。
スナイパーさんよりも先に、自分がうっかりこいつに襲いかかってしまうかもしれない。
希咲は深呼吸をして覚悟を決める。
さっきと同じことを繰り返すわけにはいかないので、店員さんが来る前にどうにか注文を決めておかなければならない。
「…………」
簡単なことのはずなのに、何故か途轍もなく無謀な挑戦をすることのように感じられた。
「かみさまたすけて……」
「神などいない」
思わず祈りの言葉を口にしてしまうと、試練そのものの男が神の存在を否定してくる。
この野郎への怒りで、少しだけエネルギーが湧いてきた。
「ところで、ハニージンジャールイボスミルクティとは何の暗号だ? 正直に言え」
「うっさい黙れ!」
七海ちゃんの受難は続く。




